黒岩涙香と『萬朝報』

11月17日(火)晴れ後曇り後雨

 蔵書の整理をしていたら、1992年に社会思想社から現代教養文庫の1冊として刊行された黒岩涙香『弊風一斑 蓄妾の実例』が出てきた。巻末の伊藤秀雄による解説の冒頭部分をそのまま引用すると「本書は、明治の異色の日刊紙『萬朝報(よろずちょうほう)』明治31(1898)年7月7日から9月27日まで連載された『弊風一斑 蓄妾の実例』510例を収録したものである。当時、男子の玩弄であった妾に対して、同情を披瀝し、妾を持つ男子に反省を促したものであった。現在なら名誉棄損で問題になるこの記事の発表者は、『萬朝報』を主宰する黒岩涙香であった」(187ページ)。

 黒岩涙香(本名・周六、1862-1920)は明治時代のジャーナリストで、海外の多くの文学作品をかなり自由な翻訳を通じて日本に紹介しただけでなく、大衆文化の向上と社会の改善を目指して論陣を張り、その主宰する『萬朝報』においてはセンセーショナルな記事を掲載しては、当時の政治と社会を批判し続け、「まむしの周六」と呼ばれた。この『弊風一斑 蓄妾の実例』はそうした黒岩の取り組みの代表的なものの1つで、書中にも登場する当時の政界の指導者伊藤博文が、朝起きると必ず、自分のことが出ていないか確かめたという噂が広まったほどである。510例の中には複数回登場する人物もいるが、有名無名様々な人物が登場している。解説には「臑に傷をもつ多くのものは、今度は己の番かと、恐怖の念を抱いて毎朝の朝報を眺めていた」(197ページ)と記されている(先ほどの伊藤博文についての噂もそのあたりと関連する)が、他方、自分の妾のことをのせてほしいという苦情も寄せられたようである(まるっきり懲りていない)。

 記事は朝報の記者たちが狙いを定めた人物の跡を尾行して取材したものを、涙香がまとめたもので、抜き出してみると、次のようなものが目につく:
(25)鳩山和夫 はこれまで数人の妾を置き書生に逃げられたることなどあり。(以下略、15ページ、51ページにも再登場)
(32)弁護士秋山源蔵 元勅任判事の肩書を光(ひけ)らかして近頃弁護士となりたる同人は本宅を・・・に構え、・・・に妾宅を構え…妾を囲う。(18ページ)
(51)鉱毒大尽古河市兵衛 は有名なる蓄妾家なるが吾輩の探り得たるものを挙ぐれば(中略、と6人の妾とその居所を記し)、この外にまだ2,3人ある由なれば分り次第に記す可し。(実際には、調べ上げることができなかったらしく、記されていない。24ページ)
(70)大勲位侯爵伊藤博文 の猟色談は敢えて珍しからず世間に知られたる事実も亦多しと雖もここに茲(ここ)に記する事実の如きはけだし珍中の珍、秘中の秘たる可し。(以下略、30ページ)
(260)伯爵大木喬任 …は有名の蓄財家にして、日常の買物すら自ら台所に到りていちいち品物を撿(あらた)め値段の談判までなして買入れ、剰(あまつさ)え代価は先月の分を今月の末に支払うを以て例とし家風を知らぬ出入商人は往々迷惑することあり。しかるに伯爵は又非常の好色家にして斯程(かほど)の節倹家に似合わず女のためには思わざる金を失いて後悔すること数次(しばしば)あり。近所の細民中には金に困りたる時態(わざ)と女房や娘をお手伝と称して邸へ到らしめ旨く伯の機嫌を取らしめ一夜のお伽料若干を得て帰り、これを以て一種の融通法となしおるものさえあり。伯も亦少しも恥ずることなく平気に獣行を逞しうして金銭を与えつつあるが(後略、83ページ)
(405)男爵末松謙澄 の夫人生子は大勲位侯爵伊藤博文の娘なるがため万事に就て我儘の振舞多く、偶(たまた)ま謙澄が夜深けて帰ることあれが恐ろしき権幕にて叱り附くるを以て、さすがの謙澄も大に閉口し小糠三合の俗戒を思出して窃(ひそか)に嘆声を発することありとはかつて我輩の聞く所なるが、好きの道は又格別なりと見えいつの頃如何にして手に入れしかは知らざれども、彼は夫人生この厳重なる監視の目を潜り…を妾とし、(以下略、135ページ)

 その他、今日でも有名な人物を列挙すると、(14)犬養毅(12ページ)、(19)森鴎外(14ページ)、(38)北里柴三郎(19ページ)、(40)侯爵西園寺公望(20ページ)、(48)益田孝(23ページ)、(49)元帥大将侯爵山県有朋(23ページ)、(60)伯爵井上馨(26ページ)、(61)男爵楠本正孝(28ページ)、(78)尾上菊五郎(34ページ)、(81)文学博士重野安釋(35ページ)、(90)渋沢栄一(37ページ)、(99)松旭斎天一(39ページ)、(100)男爵伊藤巳代治(39ページ)、(109)浅野総一郎(42ページ)、(139)子爵榎本武揚(50ページ)、(192)原敬(65ページ)、(201)伯爵佐野常民(68ページ)、(346)高田早苗(113ページ)、(364)松本順(118ページ)、(369)ベルツ(121ページ)、(377)伯爵勝安房(海舟)(126ページ)、(400)旧琉球王侯爵尚泰(133ページ)、(422)黒田清輝(140ページ)、(446)男爵九鬼隆一(149ページ)、(458)海軍大将元帥侯爵西郷従道(157ページ)、(475)子爵芳川顕正(162ページ)、日本人だけでなく、外国人の名前も少なからずあげられている。森鴎外の名が出ているので、ついでに書いておくと、夏目漱石の妻鏡子の父(119)中根重一(45ページ)も名が出てきている。こういう例を探していくと、大変なことになりそうである。

 黒岩は社内に「眼無王侯。手有斧鉞(眼は王侯になく、手には斧鉞あり〕という『水滸伝』の中の言葉を神に書いて貼ったという。王様でも権力者でも遠慮せずに批判するという意味で、その通り地位の高低、貧富、学歴などまったくお構いなしに蓄妾の事実を暴きぬいているように思われるが、実は宮家については遠慮しているなど、筆鋒が鈍っている個所もないではない。それでも、池上の本門寺や靖国神社を含む寺社の住職や神官の蓄妾を指摘して宗教界の堕落を攻撃し、東京感化院長高瀬真卿についての調査結果を詳しく記して、「実に高瀬の如きは大偽善者なり。我輩は早晩社会の制裁が彼れの身に加えらるるの時あるを堅く信じて疑わざるなり」(180ページ)と記すなど、黒岩の虚偽を憎む姿勢をよく示す個所であろう。

 この書物の解説も多少触れているが、黒岩はルコック探偵が活躍するガボリオーの探偵小説や、ヴェルヌ、ウェルズのSFを日本に紹介した人物でもあり、探偵(推理小説)が社会の暗黒面に対する関心や、それを改善しようとする試みとどのように関連しながら発展してきたかを考えるうえでも重要な人物であるように思われる。さらにいえば、「ボヘミアの醜聞」に代表されるように、スキャンダルのもみ消しもまた探偵小説のヒーローたちの重要な仕事であったことを考えると、黒岩と『萬朝報』の取り組みの評価はより複雑なものとなるはずである。

 探偵(推理)推理小説史上の意義はともかくとして、ここに収録されている記事自体が、その道徳的な評価を離れても、記事の様々な記述のいたるところから、当時の世相や風俗の実態を窺うことができ、さらなる探求を促しているという意味で、歴史的に重要な証言となっているのである。
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