氷の花火 山口小夜子

11月8日(日)雨が降ったりやんだり

 シアター・イメージ・フォーラムで『氷の花火 山口小夜子』を見る。定員64人というミニ・シアターに観客が溢れ、しかも若い観客が多かったのが特徴的であった。山口小夜子の母校である杉野学園(ドレメ)から、渋谷は遠くないので、その関係者が多かったのかもしれない。上映終了後、この映画の監督である松本貴子さんの映画の内容を補足するようなトークがあった。

 冷たい「氷」と熱い「花火」は相容れない。氷は動かないが、花火は動く。両方ともに、つかの間のものであるという共通点はある。そして対立する2つの要素の葛藤から美が生まれるのかもしれない。
 日本国内だけでなく、パリ・コレクションにおいてもトップモデルとして活躍した山口小夜子(1949-2007)には、だれの目にも明らかな彼女が表現する性格と、にもかかわず秘められている謎の部分があった。この作品は2007年の8月に急性肺炎で死去した彼女の遺品がずっと保管されていたのを、親交のあった松本監督が開封させてもらったことから始まっている。彼女は衣装は捨てられないといっていた通りに、物凄い量の衣装が残され、子どものころから好きだった人形とか、彼女の手掛けた作品に関係する品々が明るみに出される。その中で松本監督の知らない山口小夜子の様々な側面が次第次第に出現し、その一方で、小夜子を愛し、懐かしむ人々の手によって、あらためて小夜子をよみがえらせるプロジェクトが立ちあげられる。(現存のモデルである松島花さんに小夜子そっくりのメークをして、ポーズをとってもらうことになる。)

 山口小夜子には実像の部分と虚像の部分があり、虚像を通じて表現したかった彼女の考えもあって、それが彼女を取り巻く謎を複雑なものとしている。山口小夜子というと思いだすことの一つがおかっぱ髪でこれは彼女の顔の自身のない部分であった額を隠すための工夫であったようである。また切れ長の目というのはメークアップによる演出で、実際の彼女は丸い大きな目をしていた。169センチという日本人女性としては高い身長の持ち主ではあったが、海外のモデルに比べると背は低く、それを実際以上に見せる工夫をしていたという。

 工夫と言えば、この映画では山口小夜子の天才的な側面よりも努力家としての側面のほうが強調されている。遺品の中には少女時代から作っていたスクラップブックがあり、そこには『セブンティーン』など雑誌からの切り抜きが貼られている。高校時代からすでにファッション・モデルを志して、食事にも気を使っていたという同級生の話が出てくる。ファッション・ショーの楽屋の片隅で、他の連中が紫煙濛々の中で酒を飲んで騒いでいる中で、本を読んでいたという逸話も紹介される。彼女と特に仲がよかったセルジュ・ルタンスが言うように、映像世代であったということもあるだろうが、映画をよく研究していたし、演劇や舞踊、人形劇まで劇場に足を運んでお気に入りを探していたようである。観客としてかかわるだけでなく、実際に彼女が踏み込んだ分野もあるし、そこまでいかなくても関係者と対話を続けることもあった。上映後のトークで松本監督が話していたところでは、小夜子さんはいろいろとアンテナを張っていたのである。

 山口小夜子の遺品を手掛かりに、彼女とかかわりのあった人々の証言や残された映像を利用しながら、彼女の実像に迫ろうというドキュメンタリーであるのだが、その手法が劇映画の傑作である『市民ケーン』に似ていることも想起されるべきであろう。ジグソー・パズルの様々なピースが集められたのだが、全体が復元されたかと言えば…そうとは言えない、というところまで、『市民ケーン』を思い出させる。わざと外されたピースもあるかもしれない。例えば、彼女の読んでいた本の中に寺山修司の本が何冊もあるのだが、彼女と寺山の関係についてはまったく語られていない。(これは単に、寺山が故人になっているからだけのことかもしれない。同じことがイヴ・サン=ローランについても言える。)

 映画は全体として山口小夜子の生き方を辿り、それを再現する方向に進むのだが、彼女がその生涯を通じて何を表現しようとしていたのか…ということをめぐってはまだ謎が残る。デザイナーたちのデザインした衣装を生かすために仕事をしているのだが、その中で彼女の個性が発揮される。デザイナーとモデルはともに時代の空気を吸いながら仕事をしている。そしてお互いに影響しあっている。そして山口小夜子自身が、杉野学園で洋裁を学んで、デザインもしたし、衣装に手を加える作業もしていた。

 映画は、その一方で2000年代に入って山口小夜子がより若い世代との交流に力を入れていたことも紹介している。都立忍ヶ丘高校の制服をデザインしたのもその一例で、遺品整理を手伝っている杉野学園の学生の中に、この高校の出身者がいて、あらためて自分たちと山口小夜子との結びつきを考えていたのが印象に残った。この場面を含めて、遺品整理を手伝う杉野学園の学生たちの表情や、作業の中での感想が新しい可能性を感じさせた。山口小夜子は死んだが、残るものがある…ということを一番、しっかりと語っているのは、彼女の後輩である杉野学園の学生たちの姿であったと思うのである。
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こんばんは

はじめまして


私が高校生の頃から とっても記憶に残っているモデルさんです。
今のところ 私地方では上映の予定がないので残念に思っています。
機会があれば観て見たいですね~。

Re: こんばんは

コメントをありがとうございました。山口さん自身が話している映像も、彼女の思い出を語る関係者の映像も温かい雰囲気があって、よかったと思います。彼女の生涯は決して、平坦で温かいものだけではなかったはずですが、いろいろ取捨選択をして映画を作っているという感じがしました。機会を見つけて、映画を是非ご覧になってください。
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