ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄篇』(16‐2)

10月23日(金)晴れ後曇り

 煉獄の第3環道でダンテは北イタリアの宮廷で活躍したマルコ・ロンバルドの霊に出会う。地上から「あらゆる美徳の一切」が失われた理由を尋ねるダンテに対し、深いため息を漏らし、その後、次のように答える。

「君ら生ける者達は、あらゆる事象の原因を
ただ天上に帰する、まさしくそれが
すべてを運行に合わせて必然により動かしているかのように。

もしそうであるならば、君らのうちに
自由意志は存在できなくなり、そのため
善には喜び、悪には死で報いることは正義でなくなる。
(240ページ) 地上に生きる人間たちは天空の世界によって地上のすべての出来事が決定されていると考えている。しかし、1人1人の人間には自由意志が備わっているので、人間は自分の意思でよいことをできるし、悪いこともできるという。マルコは続けて、

天空が君らの活動の始点ではある。
すべてがそうだとは言わぬが、しかしそう我が言ったとしても、
君らには善と悪を明らかにする光と、

そして自由な意志が与えられている。それは、
空との最初の戦いで苦戦するが、
もしも正しく育まれたならば、ついにはすべてに打ち勝つ。

さらに大いなる力とさらに優れた本性に
自由なる君らは従うのだ。それこそが
君らのうちに知性を創造するが、それは空が支配下に置いていないものなのだ。
(240-241ページ) 自由意志は神から与えられたものであり、絶対の神と直接関係をもつために天空の影響を受けない。諸天空の力は人間の衝動に影響を与えるが、人間は神与の理性と自由意志とによってそれを乗り越えなければならない。(ダンテは天体の運行が社会や個人に影響を及ぼすということは信じていた。しかし、それがすべてではないというわけである。) すべてに勝る神の力に従って人間はさまざまな試練を乗り越えなければならないのである。

 したがって、ダンテを取り巻く世界が道を外れているものだとすれば、それは神意に基づくものではなく、人間の自由な行為の結果と考えるべきである。特に社会を乱しているのは「富」への愛着である。
最初に小さな富の味を覚えると、
そこで欺かれ、その後ろを走ってついていく、
導き手か抑え手が彼の愛を矯(た)めなければ。
(242ページ)

 人々が地上世界の富をめぐって争って、世の中は乱れる。そして、その原因となったのは「邪悪なる導き」(244ページ)である。
ローマは善なる世界をなした後、
常に二つの太陽を持っていた。それらは二つの道を
照らして見せていたのだ。一方は世俗の、他方は神の。
(244ページ) 中世の世界は、世俗世界の指導者である神聖ローマ帝国皇帝(抑え手)と神の世界の(地上における)指導者であるローマ教皇(導き手)とがそれぞれの仕事を分担・協力することによって秩序を保ってきた。ところが
一つがもう一つを消し去り、剣は
司教杖に結びつけられた。両者が
無理強いされて一つになれば、忌むべき事態が生ずるのは当然である。
(同上) ローマ教皇が皇帝と対立するだけでなく、自ら世俗世界の君主として武力を行使し、各国の政治に介入するようになった。

もはや断言せよ、ローマ教会は
己のうちに二つの統治権を混ぜ合わせようとしたために、
汚泥の中に倒れるであろうと、己と積荷を汚すであろうと。
(246ページ) 教皇と皇帝がそれぞれの支配する領域を守り、お互いの支配に干渉しないこと、今日的に言えば政教分離の原則を守ることが社会を平和に保つ道であると結論される。ダンテとウェルギリウスを第4環道へと導く天使の出現を感じて、マルコは姿を消す。

 『地獄篇』が34歌から構成されているので、煉獄篇の16歌を読んだところで、『神曲』全体の半分を読み終えたことになる。第16歌では世俗的な権力と宗教的な権力との対立が取り上げられたが、この問題はダンテが一生を掛けてその解決に取り組もうとしたものであった。政教分離の問題は今日でも重要な問題であり、そこにダンテの文学の今日性、あるいは永遠性の一端を見ることができる。
 これまでも何度か『神曲』を読んできて、「煉獄篇」までは何とか読み通すことができたが、「天国篇」で躓いて全部を読み通すことができなかった。だから半分を読み終えたからといっても、気持ちを緩めず、完読を目指していこうと思う。
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