今野真二『常用漢字の歴史』

10月22日(木)晴れ

 10月21日、今野真二『常用漢字の歴史』(中公新書)を読み終える。

 「常用漢字」というと昭和56年(1981年)にそれまでの「当用漢字」に代わって内閣告示され、平成22年(2010年)に改定された「常用漢字表」を思い浮かべる人が大半であろう。しかし、この書物はもう少し広い視野から日本語の中での漢字の扱いについて論じようとしている。
 日本語は普通、ひらがな、カタカナ、漢字、時としてローマ字を使いながら表記される。その中で、どの程度漢字を使うか、またどのような漢字を使うかということが古くから議論をされてきた。漢字の字体や音訓、送り仮名、筆順などについても同様である。「日本語が漢字とどのように向かい合ってきたか、それはつまり日本語使用者が漢字をどのように使ってきたかということであるが、そうした歴史的な観点を織り込みながら『常用漢字』ということについて考えていきたい」(20ページ)と著者は述べる。日本語表記における漢字の取り扱いをめぐる様々な議論を紹介しながら、著者は明治以後の日本の言語政策および言語教育政策についての自らの意見を多く述べており、傾聴すべき部分が少なくない。

 この書物は
序章 常用漢字とは何か
第1章 漢字制限の歴史
第2章 さまざまな常用漢字表
第3章 字体をめぐる問題
第4章 音と訓とはどのように決められたか
第5章 常用漢字は常用されてきたか
第6章 今、漢字はどう使われているか
終章 日本語と漢字
の各章からなり、それぞれの章の標題を見れば、その内容はかなりはっきりわかるはずである。読んでいていろいろと気になる部分が多く、論評し終えるのにかなり時間がかかりそうであるが、とりあえず、今回は第1章についてだけ取り上げておきたい。

 第1章「漢字制限の歴史」では幕末から現在に至る漢字制限という発想と議論の展開を辿り、その中で提案された内容を整理している。漢字制限の出発点ともいうべき議論は慶応!!2年12月(1867年1月、普通慶応2年は1866年とされるのだが、日本ではまだ太陰太陽暦である天保暦を使っていたので、年の始まりがグレゴリオ暦を使う場合とずれていたのである)に前島来輔(密)が将軍慶喜に提出した「漢字御廃止之議」という建白書である。ここで前島は日本が先進列強諸国に伍して富強を図るためには日本語の表記をかなに統一して教育の普及を促進すべきだと述べている。
 明治5年(1872年)の学制の公布を受けて、文部省は漢字辞書である『新撰字書』の編纂に着手する。そこでは世間で最も普通の漢字として3167字が挙げられていたが、その後の急速な社会の変化の中で漢字をめぐる状況は激変し、今日の目どころか、大正時代の目から見ても、普通に見かけられるとは思われない漢字が含まれていたようである。
 明治6年(1873年)に福沢諭吉は『第一文字之教』を著し、日常的に使用する漢字を2,000字から3,000字に節減することを提案した。さらに明治19年(1886年)に矢野文雄(龍渓)が『日本文体文字新論』の中で、3,000字程度に漢字の使用を制限すべきであると述べ、自らが社主であった『郵便報知新聞』でこの主張を実践しようとした。
 明治33年(1900年)に教育の質的な向上を目指す教育関係者の団体である帝国教育会の国字改良部が「国字国語国文ノ改良ニ関スル請願書」を内閣及び文部省等各省の大臣、貴族院、衆議院両院議長に提出した。そこでは漢字の使用を節減すること、またその形・音・義についても標準を定めるべきことが盛り込まれていた。この議論を深めて、国字改良部漢字部では、明治34年(1901年)に漢字節減の標準について議定しているが、この議定は今日から見ても示唆に富むものであったと著者は評価している。この議定はまた、漢字の字種を制限するのではなく、使い方を制限しているところに特徴があるという。(請願書を受け取った方の対応が記されていないのが問題である。)
 その一方で教育の現場では、明治33年(1900年)に第3次小学校令が公布され、この後40年にわたって小学校教育を規定することになる。この法令に基づいて「小学校令施行規則」が制定されるが、その16条には3つの表が掲げられており、第1表では小学校で教える際に使うかなとその字体、第2表ではかなの音と仮名遣いについて、第3表ではどのような漢字を使うかについて示している。ここでは1200字が掲げられており、現在の小学校で教育する1006字に比べれば多いが、これまでの議論の中で挙げられてきた3000字に比べるとだいぶ少ない。また、この一覧表では文字だけが示されていて、音訓については示していないのが、現在の「常用漢字表」と異なる。

 この章では最後に、日本語をローマ字で表記すべきだという議論の系譜をたどっている。
 日本語のローマ字化論を最初に展開したのは西周であり、彼は明治6年(1873年)に創刊された『明六雑誌』の巻頭論文「洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論」でローマ字使用が読書層を拡大し、大衆の表現力を向上させると論じた。明治17年(1885年)に羅馬字会が発足するが、明治25年(1892年)には解散する。しかし、細々ながらローマ字化運動は継続する。ローマ字で日本語を書くことは現実離れした主張のように思われるが、かなり多くの人々が(実は私もそうであるが)日本語入力ソフトにローマ字入力をしているという現実もあると著者は指摘する。また日本語教育に取り組む際にも、ローマ字使用が現実性を持ってくるはずである。
 「漢字以外の文字によって日本語を書くということをつきつめることによって、日本語にかかわるいろいろなことが見えてくることがある。そういう意味合いにおいても、仮名文字論、ローマ字論は現代的な課題を多く含んでいると考える」(54ページ)と著者は指摘している。さらに明治7年(1874年)に清水卯三郎が平仮名だけで著した純和文の化学入門書『ものわりのはしご』について紹介しているが、これは別の場所に挿入するほうがよかったのではないかと思う。

 仮名と漢字とを混用して表記する日本語のような例は、他にあまり例のないものである。そのことの長所と問題点を詳しく見ていくことは、単に国語教育だけでなく、外国語教育にも役立つはずであり、そういうことからも示唆に富んだ書物だと思っている。これからもできるだけ詳しくその内容を紹介・検討していくつもりである。 
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