ヴォルテール『カンディード』

10月19日(月)曇り後晴れ

 ヴォルテール『カンディード』(光文社古典新訳文庫、斉藤悦則訳)を読み終える。この作品の中でも取り上げられている1755年のリスボンの大地震を扱った「リスボン大震災に寄せる詩」が付け加えられ、作品をめぐる時代背景がより鮮明にされているのが特徴的である。

 ヴォルテールはルソーとともに18世紀のフランスを代表する思想家の1人である。彼らの思想と著作とがフランス革命の知的な背景となったことは受験知識的にはよく知られているが、彼らが具体的にどんなことをいっていたのかを知り、語る人は少ないのではなかろうか。ヴォルテールの著作の中で、現在、もっともよくよまれているのがこの『カンディード』であるというのは確かであるが、同時にいろいろと考えさせられることでもある。

 ヴォルテールが『カンディード』を発表した1759年に、英国ではサミュエル・ジョンソンがわが国では『幸福の探求』と訳されて岩波文庫に入っている(朱牟田夏雄訳)『アビシニアの王子ラセラスの物語』を発表している。この2つの小説は、世間知らずの若者が各地を遍歴して人生の意味を問うという物語の展開において類似しており、出版当時からさまざに比較され、論評されてきた。地震や暴風雨のような自然災害に加えて、戦争が起きたり、政府高官が処刑されたり、美女が凌辱されたり、主人公が巨万の富を手に入れたり、だまされて財産を失ったりと『カンディード』の世界が波乱に富んでいるのに対し、『ラセラス』の方は登場人物があちこちの賢人のもとを歴訪して回るというのが主な筋で、物語の展開にそれほどの起伏はない。ただ、『カンディード』が人生の、そして人間性の残酷な側面も視野に入れているのに対し、『ラセラス』の方は登場人物のそれぞれが善良で、温和であり、そのあたりにフランスと英国というよりも、ヴォルテールとジョンソンの人間性の違いを感じるのである。だから、物語としては、『カンディード』の方がはるかに面白いのだけれども、『ラセラス』の魅力も捨てがたいと思う。

 むかし(と書きだされているのだが、1755年のリスボンの大地震が描かれているのだから、それほど昔のわけがない)、ドイツのウェストファリア地方のツンダー・テン・トロンク男爵の城にカンディードという名のまことに気立ての優しい一人の若者がいた。彼は男爵の妹がある貴族との間に儲けた子どもであったが、そのことは公にされず、城の中で男爵の娘である美しいクネゴンデやその兄である男爵の跡取り息子と一緒に暮らし、パングロスという名の家庭教師の教育を受けていた。パングロスは「物事は現にそれがそうなっているようにしかありえない。なぜなら、ものごとはすべて何らかの目的のためにつくられたものであるから、必然的にすべては最善の目的のために存在する。・・・『すべてが最善である』」(9ページ)という「最善説」の哲学、現実を楽観的に肯定する考え方を教え、カンディードはそれを素直に信じていた。実際、城の中ではみんなが幸福に暮らしていたからである。

 ところが、パングロスが奥方の侍女に「実験物理学を教える」姿を見たクネゴンデが、カンディードに自分の思いを伝えようとして2人が抱き合っているところを男爵に見つけられてしまい、カンディードは城を追い出される。彼は無一文で彷徨ううちにブルガリア(実在のブルガリアではなくて、ヴォルテールが創作した架空の国である)の軍隊に入れられる。カンディードは軍隊でひどい目に合うが、ブルガリアが隣国であるアバリアと戦争を始め、お互いが相手の国の国民たちを虐殺する中で、軍隊を脱走する。

 オランダに逃れたカンディードは、善人ジャックに助けられ、街を歩いていると一人の乞食に出会う。その乞食がパングロスであった。ブルガリアとアバリアの戦争の際にツンダー・テン・トロンク男爵の城はブルガリアの兵士たちの攻撃を受けて落城し、男爵と奥方は殺され、クネゴンデも凌辱された上に殺された。パングロスは何とか逃げ出したものの、侍女から病気を移されてなさけない姿に落ちぶれてしまったという。パングロスも善人ジャックに助けられて、片目と片耳をなくしたものの病気を治してもらう。ジャックは2人を連れて商用でポルトガルに向かうが、航海の途中で大嵐に出会い、ジャックは命を落とす。かろうじて命拾いをしたカンディードとパングロスはリスボンの港にたどりつくが、今度は大地震に遭い、さらにその後の復旧作業を手伝ううちにパングロスが語った言葉が異端審問官に咎められて、パングロスは地震を鎮めるために行われる派手な火あぶりの刑に処せられることになり、カンディードも投獄される。

 30章からなる物語のここまでがはじめの6章の要約で、物語はここから二転・三転、カンディードはヨーロッパからアメリカへと遍歴を続けるが、その間、死んだと思った人物が死んでいなかったり、さまざまな運命に弄ばれた人物が次々に道連れに加わったりという起伏の多い展開が続く。18世紀の初めに世界を旅したガリヴァーはずっと孤独であり、航海から帰ると人間嫌い(馬好き)になってしまうのだが、世紀半ばの主人公であるカンディードが旅の終わりにたどりつくのはどのような結論であろうか。少なくとも、彼は孤独に生きることにはならないように思われる。

 翻訳者である斉藤さんは物語の「軽さ、軽やかさ、軽薄さを楽しむのがよい。…『カンディード』は話の展開も文章もスピード感が味わいどころである」(292ページ)という。カンディードと彼を取り巻く人々の運命は悲惨きわまるもので(もちろん、ときにはいいこともあるが)、善人ジャックの運命が示しているように、善が栄えて悪が滅びると決まったものではない。こうしたことはパングロスの哲学を否定するもののように思われる。にもかかわらず、パングロス自身の姿を含めて、物語にはどこか滑稽感も付きまとっている。どんな悲惨な運命に置かれても笑いを忘れないことが生き抜いていく秘訣であるかもしれない。また経験を通じて、カンディードもその周辺の人々もわずかながら賢くなっているようにも思える。だとすれば、パングロスの哲学もまったく唾棄すべきものだとは思えない。物語の展開の目まぐるしさもさることながら、その展開を通じて探求される人生の意味について「軽く」考えてみることも意味のないことではないだろう。
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