白上謙一『ほんの話――青春に贈る挑発的読書論』(2)

10月18日(日)曇り

 もともとこの書物は、山梨大学の生物学教授だった白上謙一(1913-1974)が「ほんの話」と題して『山梨大学学生新聞』に1962年5月25日の第102号から始めて、京都大学に転ずる直前の1971年4月12日の第167号まで9年間、約50回にわたって連載した記事を、著者の死後にその人となりと業績とを慕う人々によってまとめられたものである。著者としては手を入れて単行書にまとめるつもりであったらしいのだが、著者が思うような形に推敲を加えることなしになくなってしまったために、勤務校の具体的な問題など生々しい記事も散見される。単純に読書をめぐる思い出や、読書法をめぐる示唆というだけでなく、著者が大学・大学院生として、また専門学校の教師として過ごした昭和10年代と、大学の教師として過ごしている昭和30年代・40年代の世相を重ね合わせ、世の中の動きに対して敏感であり、積極的にかかわることの重要性を訴えているところにこの書物の特色があるといってよかろう。そして、昭和30年代から40年代にかけて大学・大学院生であった私にとって、この書物が単に読書論という以上の意味をもっていることは、前回(10月11日)の当ブログで述べたとおりである。

 今回は、この書物の中で、読書には道案内や道連れが欠かせないという著者の主張について紹介していくことにしたい。著者自身は図書館の利用者でもあり、相当な蔵書家でもあったのだが、図書館の利用よりも、書物を買い集め、揃えて読んでいくことのように情熱を傾けていたようである。そしてその蔵書家と呼ばれるべき資格についてこんなことを書いている:
「私が蔵書家とみとめるのは、無理なことをいうようだが、私がこの人なら当然持っているはずだと思う本を持っている人なのである。さらに、私などが見たことも聞いたこともない本でも、その人なら当然持っているべき本を、ちゃんと持っている人なのである。」(48ページ)
「私のいう蔵書家の資格は、書物に対する愛情と、加うるにある題目に関しての完蒐を期するたえざる情熱である。」(50ページ)
 例えば夏目漱石の本を集めるということになると、彼の全集を1揃い持っていてそれで満足するというのではなくて、全集を出版されただけすべて集め、さらに単行本も集め、研究書も集め…ということが「完蒐」になる。私は柳田国男の本を集めているので、自分が白上のいう「蔵書家」の定義からほど遠いことがよく分かる。

 このことと関連して、悔やまれることがある。何度目かの職場で図書委員をしていて、職場が移転するために図書館の蔵書を大幅に整理することになった。その際に図書館の世界ではかなり有力者だという図書館長が、辞典の類は一番新しいものが1種類あればよいので、古いものは整理するという方針を述べたのだが、それに反対意見を述べたいと思ったものの、事を荒立てたくないので(というよりも反対しても先は見えていたので)、何も言わなかったことがある。辞典類の説明の変化を辿ることも研究上必要な場合がある。歴史学者であった私の伯父は、『広辞苑』の初版を終生手放さなかった。新しいものが常にいいものだとは限らない。そんな当然の理屈が通らない世の中になっていることが恐ろしい。

 詳しいことは省くのだが、白上は大学を卒業した後、大学院に籍を置きながら、旧制の自由が丘中学(現在の自由が丘学園中学・高校)で週に2日ばかり教えることになる。この学校の校長をしていた藤田喜作の書斎を訪問した時の驚きについて彼は次のように語っている:
「先生の背面一ぱいの書棚には、哲学と社会学、とくに社会科学関係の洋書がギッチリ並んでいたのである。その時目についたのはカシラー版のカント全集とか、マックス・ウェバーの著作集、ラッサ-ル全集、マルクス・エンゲルス・アルヒーフ、それからふっくすの風俗史揃といったものだったが、その後何度も訪問し、最後にはこの先生とともに生活をするようになって分かったことは、先生もまだその時は移転されたばかりであり、箱づめのままになっている本がその他何十箱もあったのである。「本を持っている」というのは、こういうものか、と思い知らされたのはこの先生の蔵書であった。妙な話であるが、当時の私は中学校の校長先生などというものが、こんなに大変な本を持っているものとは夢にも考えなかった。」(53-54ページ)
「あとで分ったのだが、この先生は、ただものではなかった。東大で教えておられたこともあり、1922年頃からのインフレ時代のドイツでその蔵書の基礎を作られた…」(54ページ)。

 中学校といっても、旧制の話なのでとんでもなく偉い先生が校長であったという例は少なくない。私も、芝学園中学校高等学校を訪問した際に、この学校の校長であった渡辺海旭の像を見てびっくりしたことがある。渡辺は有名な仏教学者であり、日本に『ラーマーヤナ』を本格的に紹介した人物であり、且つ武田泰淳の伯父である。この学校の生徒たちが渡辺の像をどんな気持ちで毎日眺めているのかにはちょっと興味がある。渡辺がどんな人物であるかは、かなりの数の書物を読まないと理解できないはずである。

 読書遍歴には案内者や道連れがいた方が楽しくなるという著者の主張を紹介するつもりだったのが、著者と藤田喜作という偉大な蔵書家(であり、教育者でもあった)との出会いについて触れただけで、それ以上のことを書き進めていく時間が無くなってしまった。ただ、この蔵書家との出会いが白上を読書人として成長させていったことは間違いなく、フジタが彼の案内者の1人であったということは間違いない。 
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