シーボルト

10月12日(月)晴れ

 10月10日、11日にNHKラジオ第2放送で放送された『攻略!英語リスニング』では、”Siebold"(シーボルト)を取り上げた。フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・ジーボルトPhilipp Franz Balthasaar von Siebold (1796-1866)はドイツの医師、博物学者でオランダ商館付きの医師として来日し、患者の治療を行うだけでなく、動植物の研究をしたり標本を採集したりしたほか、地元の役人の治療に協力したことから出島以外で活動することを許され、鳴滝塾を開いて、西洋式の医術の普及に努めた。彼はその間、日本の様々な品々を収集したのだが、その中に伊能忠敬が作成した日本地図(の写し)があったので問題になった。というようなことが語られたのだが、彼の伝記と業績にかかわることで気になっていて、放送でも触れられなかったことがいくつかある。

 すでに気づかれた方もいらっしゃると思うが、Sieboldはドイツ人なので、「ジーボルト」(もっと正確にはズィーボルト)と発音するのが正しい。しかし、長らく「シーボルト」という呼び方に慣れてきているので、うるさく言う必要はないだろう。もう1つ彼の名前にかかわって気になるのは、彼の長い名前の中に、貴族にしか使われないvon(フォン)という前置詞が入っていることで、調べたところ、やはりシーボルトは貴族の出身であった(どういう貴族であるのかはわからない)。

 ここまではどうでもいい話である。ここからの話が重要である。ジーボルトが来日したときに、長崎のオランダ語通詞からあなたのオランダ語はおかしいと指摘されて、オランダ語にはいろいろな方言があって、自分は普通のオランダ人が使わない方言を使っているといい抜けたという話を読んだことがある。ドイツ語には低地ドイツ語と中高地ドイツ語とがあり、オランダ語はその低地ドイツ語の一部が、オランダの政治的独立により独立の言語としての地位を得たという経緯を考えると、かなりうまいいいわけではある。しかし、ジーボルトのオランダ語がおかしいと見抜いたオランダ語通詞の能力を私は賞賛したいのである。

 江戸時代に日本にやってきて、日本について詳しく紹介する書物を書いた人物として、ドイツ人のケンペル(Engelbert Kaempher, 1651-1716)、スウェーデン人で分類学の祖であるリンネの弟子のツンべルク(Carl Peter Thunberg, 1743-1822)とジーボルトの3人が有名である。3人ともにオランダ商館の医師として来日したこと、にもかかわらずオランダ人ではなかったことが共通している。ケンペルとツンべルクはオランダ人ではないことを見抜かれなかったようであるが、ジーボルトは見抜かれた――ということは徳川300年の間に長崎のオランダ語通詞の能力が確実に前進していたことを物語る。なお、ツンべルクが江戸に出かけた折には、彼がそれまでの商館付きの医師と違って、すぐれた学者らしいという評判が広がっていたために、『解体新書』の翻訳にも加わった中川淳庵と桂川甫周が質問に出かけ、ツンべルクからそのオランダ語の能力を賞賛されただけでなく、彼の帰国後には手紙を届けている。だから蘭学者の方も確実に語学力を向上させていたのである。ツンべルクの場合は江戸参府の際に質疑を行う程度の交流であったのが、ジーボルトは塾を開いて医学教育を行った。そのあたりの西洋医学への関係の深化も見落とすべきではなかろう。

 ところで、彼ら3人は日本についての主要な著作をラテン語で書いている。だから彼らが書いたものを当時の日本人はほとんど理解できなかったはずである。中川淳庵と桂川甫周について触れたが、彼らとともに『解体新書』の翻訳に取り組んだ前野良沢がオランダ語だけでなく、ラテン語の学習にも取り組んだことはよく知られており、少なくとも蘭学者のレヴェルでは世界にはかなり多様な言語が行われていること、ラテン語が学問の世界における共通言語として使われていることが認識されていたようである。幕末に近づくにつれて、オランダ語以外のヨーロッパの諸言語も少しずつではあるが学習されるようになる。そういえば(時代はかなり後になるが)司馬遼太郎の小説『胡蝶の夢』の主要登場人物である司馬凌海がラテン語で日記をつけていたことが知られている。その日記がかなりとんでもないもので、ラテン語で書かなければならないような内容を書き記したものであったことは詳しく書かない方がよいだろう。

 番組ではジーボルトの娘の楠本いねについても触れていた。ジーボルトは日本の女性との間に子どもを儲けていた。ということは彼は多少は日本語を話せたということで、この点も見落とすべきではなかろう。以前、ピエール・リトヴァルスキーさんが横浜FCの監督をしていたときに、インタビューはドイツ語で行っていたのだが、実はリティーは日本語が話せるのだけれども、間違いがないようにドイツ語でしているという話であった。おそらくジーボルトの日本語も同じようなレヴェルではなかったかなどと想像している次第である。
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こんにちは。

ちょうど今読んでいる「慊堂日暦」の中で、何処で聞きつけたのか「シイボルト」とただひとことだけ書き付けた箇所がありました(文政9年10月)。また、当時の長崎などの文書でも「シーボルト」の記述で統一されていることから見ると、本人が当時日本滞在中に無声音で発音していた可能性が高いかなという気がします。あるいはオランダ語風に自分の名前を発音する様に心掛けていた可能性はないでしょうかね。
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