ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄篇』(15-2)

10月8日(木)晴れ

 『煉獄篇』第15歌の前半で、ダンテとウェルギリウスは煉獄の第三環道に移動する。そこでは魂たちが憤怒の罪を贖っている。ダンテは、
自分が新たな環道に着いたことが分かり、
好奇心にあふれた我が目は輝き、私は沈黙した。

そこで私は突然、魂を連れ去るような
幻視の中へと引き込まれたように感じ、
(228ページ)3つの幻を見る。第1は新約聖書の「ルカによる福音書」に出てくるマリアとヨセフが12歳のイエスを連れてエルサレムの祭りに出かけたが、イエスとはぐれてしまい、3日間必死になって彼を探す。そしてラビたちの議論に加わっている自分たちの子どもの姿を見出して、自分たちが必死の思いで彼を探していたことを優しく言って聞かせる場面である。第2は古代アテネの僭主であったペイシストラトスが自分たちを愛する者たちに対する寛容を説いた場面、第3は初期キリスト教の殉教者である聖ステファノが自分たちを迫害する者たちを神が許すように祈った場面である。第2の場面が古代ギリシアにおける、ある条件のもとでの寛容を説くものであったのに対し、第3の場面では全人類への愛が語られている。

 ダンテは意識を取り戻し、自分の見たものが真実を伝える幻であったことに気付くが、その彼をウェルギリウスは叱責する。彼が自分の歩むべき道を進む足取りが遅いことを咎めているのである。そして2人は先を急ぐ。
私達は、この目が探れる限りの遠くまで、
午後遅くの輝く光線に逆らって注意を払い、
夕暮れ時を歩いていった。

そしてここに少しずつ一塊の煙が、
まるで夜の闇のように私たちに近づいてきた。
やり過ごすことができる場所などなかった。

これが私たちから視界と澄んだ大気を奪った。
(233ページ) どうも不安を掻き立てるような闇に似た煙が2人に近づいてくる。怒りは知性を盲目にする。この煙はそれを象徴するものである。2人の前途にどのような世界が現われるのであろうか。

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