ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄篇』(15-1)

10月1日(木)雨

子供のようにいつも戯れに場所を変える
太陽の天輪上で、第三番目の時間の終わりと
それが出(いず)るところとの間、それだけの距離が、

夕陽に向かうまでの太陽の軌道上に
残っているのが見えていた。
(220ページ) ダンテとウェルギリウスは煉獄が今午後3時であると知る。彼らは西の方に向かっていたので、太陽の光を真正面から受けることとなる。

その時に私は、強烈な輝きにより
額が重く圧され、先刻よりも下げられるのを感じた。
私はその未知の何かに唖然としていた。

そのため私は額のところまで
手を上げると、それをかざして庇にし、
まぶしすぎる輝きを抑えた。

光が水面から、あるは鏡から
逆側に反射する際に
降りてくる光が

まったく同様に上がっていき、垂線を下ろせば、
理論と実験が明らかに見せているように、
同距離に間隔が開いていく。
(221-222ページ) この光は、彼らを導きに来た天使の放つものであったが、ここでダンテが超自然の出来事を、われわれが経験で知ることのできる事柄を手掛かりにして描いている、彼の時代の水準においてであるが、科学的な見方をしながら描きだそうとしていることが注目される(今に始まったことではない)。
 天使は「これまでよりはるかに緩やかな階段」(223ページ)を登って、煉獄の第3環道へと進むように言う。

 階段をのぼりながら、ダンテはウェルギリウスに第2環道で出会った(第14歌に登場した)ロマーニャの貴族が述べた「ああ人類よ、なぜその心を/仲間を締め出さなばならぬ場所に執着させる」(212ページ)という言葉が意味するものが何かを質問する。
 それに対してウェルギリウスは、「…
おまえ達の欲望は、
仲間がいると分け前が減るものに向かうがゆえ、
嫉妬がふいごを動かして苦悩のため息をつかせる。
(224ページ)と答える。地上の事物は有限であり、そのためにある一人が自分の望むだけを手に入れることはできず、嫉妬の気持ちが生まれるのであるという。さらに続けて、
しかし、もし至高の天空の愛が
おまえ達の欲望を上方へと向けるならば、
おまえ達の胸のうちにその恐れはなくなるというのに。
・・・」 (224-225ページ)という。神の愛に包まれる至高天では、所有するものが増えればそれだけ霊的な「富」(あるいは善)、つまり正しい愛の対象である神の愛が増えるのだと説く。
 ダンテは地上の現実に囚われていて、至高天の真理がなかなか理解できないが、ウェルギリウスは、これから煉獄の階梯を進み、さらに天上に達したときにより分かりやすい答えを得ることになるだろうという。

「あなたは私を満足させてくれました」、こう言おうとしているうちに、
自分が新たな環道に着いたことがわかり、
好奇心にあふれたわが目は輝き、私は沈黙した。
(228ページ) ダンテとウェルギリウスは煉獄の第3環道に到着したのである。

 ダンテの詩のリアリズムの背後にあるのは、言葉による知識・理解よりも、感覚を通した知識・理解を重んじる態度ではないかと思う。ダンテはウェルギリウスの理性の言葉から多くを学びながらも、自分がその目で見たもの、耳で聞いたものをより重視し、それらにより大きな好奇心を寄せている。さて、彼は煉獄の第3環道でどんな経験をすることになるのだろうか。
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