クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言う

3月14日(木)朝のうち雨、その後晴れたり曇ったり

 西垣通『集合知とは何か』(中公新書、2013)を読み終える。読んで理解できた限りでは面白い。暗黙知の重要性については自分でも考えてみる必要があると思った。しかし理解できない部分もかなりあり、また読み直してみよう。

 ただ、気になったのは次の個所である。
 「自己言及パラドックスというのは、たとえば聖書に出てくるクレタ人のエピソードのようなものだ。クレタ島生まれの預言者エピメニデスが『クレタ人はいつも嘘をつく』と言ったという。『クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言う』という命題は、論理的には確かにおかしい。クレタ人が嘘つきでも正直ものでも、ともに矛盾となる」/しかし、エピメニデスの言葉を聴いた人々は、はたして混乱に陥っただろうか――タブに名である」(147ページ)。

 中村秀吉『パラドックス』(講談社学術文庫、2012)によると、「エピメニデスは紀元前6世紀初頭の人であったが、実はこのパラドックスをはっきり述べたのは彼ではなく、紀元前4世紀のミレトスの哲学者エウブリデスといわれている。このパラドックスの表現法もいろいろあるが、クレタ人の逸話になって現れたのは、パウロ書簡『テトスへの書』第1章12が最初のようである」(中村、41ページ)。「しかし、パウロはこの言明のパラドックス性に気づいていない」(同上)とも記されている。パラドックスとして有名になるのはこの後のことのようである。

 新共同訳ではこの書簡は『テトスへの手紙』と訳されている。使徒パウロはクレタ島で宣教した後、自分の仕事を受け継ぐ人物としてテトスを残し、彼に信者たちを指導する長老を任命するように指示し、その際、信頼すべき人物を選ぶようにと念を押す。「実は、不従順な者、無益な話をする者、人を惑わす者が多いのです。特に割礼を受けている人たちの中に、そういうものがいます。/その者たちを沈黙させねばなりません。彼らは恥ずべき利益を得るために、教えてはならないことを教え、数々の家庭を覆しています」(1.10-11)。

 「割礼を受けている人たち」というのはユダヤ教からの改宗者と考えられる。初期のキリスト教徒たちはユダヤ教からの改宗者がほとんどで、ユダヤ教イエス派と言ったほうがよかったという学者さえいる。パウロ自身もユダヤ教からの改宗者であったのはご存じのとおりである。パウロが言っているのは、指導者を選ぶにあたって、その人の前歴や血統などを考えずに、人物だけを見て選べということのように思われる。ユダヤ教からの改宗者の独善を戒めているようにも受け取れる。

 問題の言葉はその次に出てくる。
 「彼らのうちの一人、預言者自身が次のように言いました。/『クレタ人はいつもうそつき、/悪い獣、怠惰な大食漢だ。』/この言葉は当たっています。だから、彼らを厳しく戒めて、信仰を健全に保たせ、/ユダヤ人の作り話や、真理に背を向けている者の掟に心を奪われないようにさせなさい」(1.12-14)。

 本人が言っているのだから間違いないという口調である。パウロにとって大事なのは論理ではなくて、目の前の教団の現実であった。教団が抱えている内部の危機であった。論理的な矛盾というようなことをここから読みとりはじめたのは、古代末期のストア派やメガラ派の論理学者たちであったそうである(中村、前掲、41ページ)。

 特に聖書の専門家の意見を聞いた訳ではないから、パウロの手紙へのわたしの読み方には問題があるかもしれないが、書いてあることをそのまま受け止めればこうなるということである。それにしても、ヨーロッパ(以外の世界でもおそらく)における物の考え方の流れはなかなか複雑で安易な解釈を許さないところがある。誤解や脱線もあるかもしれないが、それが新しい知の始まりになる可能性も否定できない。
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