土岐健治『死海写本 「最古の聖書」を読む』(2)

9月21日(月)晴れ

 この書物は7章と補遺から構成され、1~3章の内容については、一昨日(9月19日)の当ブログで紹介したので、今回は第4章と第5章の内容を紹介する。

 「死海写本」はこれら一連の文書が発見されたクムランという丘陵地に残る遺跡に住んでいた人々(著者は「クムラン宗団」と呼んでいる)が残したものであり、彼らはヘレニズム・ローマ時代のユダヤ教の重要な部分を構成していたエッセネ派の少なくとも一部、それも中核的な一部であったと考えられている。

 第4章「クムラン宗団の思想」は「死海写本」の内容を分析して、終末論的二元論(神の審判によって善悪の最終的な判断が下される世界の終末が迫っているという考え。二元論というのはこの世の中で善と悪が対立し・戦っているということである)と知恵文学(確かに世の中は罪と悪とに満ちているが、しかしその世界を創造したのは神の知恵であり、人間はその知恵を探求すべきであるとする考え)との両方の傾向の文書が残されているという。クムラン宗団が俗世間を離れて荒野で自給自足的な集団生活を送っているのは、世界の終わりが近づいているから、自分たちだけでも正しく生きようという終末論が根底にあるが、その一方で彼らは常識や世間的な知恵を重んじる態度も示しており、これは新約聖書における終末論的な傾向と知恵文学的な傾向の混在とよく似たものである。

 「クムラン宗団は、現在を終末直前の時代(マルコ福音書1-15「神の王国は間近に迫っている」、マタイ福音書15-28および並行個所、ヨハネ黙示録1-3,22-10参照)、あるいはむしろ、終末時代の初期段階とみなしている(この実現した終末論、あるいは実現しつつある終末論という見方は、新約聖書と共通する)。」(140ページ)
 旧約聖書の正しい解釈は、神から特定の指導者を通じて宗団のメンバーだけに啓示され、とくに旧約聖書の預言書の内容は現在の彼らを取り巻く状況を予言したものであると考えられている。これは旧約聖書がイエスの事実を予言したものであると考える新約聖書と同じ考え方である。
 「彼らは間近な終末における、モーセないしエリヤのごとき預言者と、2人のメシアの到来を信じているが、メシアの1人は祭司、もう1人は王的人物で、前者はアロンの末裔、後者はダビデの末裔である。(中略) 祭司的メシアが王的メシアの上位にあり、宗団の構成員の中でも非祭司(一般信徒)に対して祭司が上位に位置付けられている。クムラン宗団が祭司的共同体とも呼ばれるゆえんである。これはのちのキリスト教における神父や牧師と一般信徒の関係と類比的である。」(141ページ) 

 宗団に属する人々は自らを「光の子ら」、自分たちに敵対する者たちを「闇の子ら」と呼んでいたが、「自らの卑しさ罪深さと、すべてに先行する神の自由な恵みをその祈りの中で強調した。これは新約聖書の中で見出すことが容易な考え方であると著者は言う。彼らは荒野での禁欲的な生活を送って、来たるべき終末に備えていたが、このような集団はユダヤではほかにもみられたようである。その一方で彼らは権力と結びついたユダヤ教の祭司たちの言行を否定し、パリサイ派やサドカイ派などのユダヤ教の他の宗派に対しても批判的な態度をとったが、パリサイ派の一部が悔い改めて自分たちに合流する可能性は否定しなかった。

 クムラン宗団は自分たちの信仰生活を維持していくうえで暦の役割を重視し、独自の暦を作り出していた。また、遺跡からは日時計が発見されており、彼らがこれによって季節と1日の時間を計っていたことが確認できるという。宗団にとって暦は終末論的な思索と密接的に結びついて、神学的な意味をもつものであったのである。

 第5章「考古学から見たクムラン遺跡」は考古学的な調査結果に基づいて、クムラン宗団がこの場所でどの程度の期間活動していたか、その規模はどの程度のものであったか、その他どのような特徴が見いだされるかを考察している。遺跡の発掘調査において指導的な立場にあったドゥ・ヴォーはクムラン宗団がここに居住していた期間は紀元前130年ごろから紀元68年までとして、それを「第1期a」(前130年頃~前100年頃)、「第1期b」(前100年頃~前31年)、「第2期」(前4から前1年頃~後68年)、「第3期」(68年~73/4年)の4つの段階に分けた。その後、彼の研究を見直したJ・マグネスにより年代の修正が行われ、ドゥ・ヴォーのいう第1期aは存在せず、第1期bは地震前(前100から50年頃~前31年)と地震後(前31年~前9/8頃)とに分けられ、第2期、第3期はドゥ・ヴォーのいうとおりであると論じられている。
 クムランにどの程度の人々が暮らしていたかははっきりしないが、多く見積もって150人から200人程度であり、少数の女性と子どもを除き、大多数が男性であり、汚れから身を浄めるための沐浴(ないし浸礼)を重視し、遺跡内にはそのための多くの水槽が残されている。マグネスはクムラン遺跡に居住していた人々の生活が「徹底して反ヘレニズム・ローマ文化的」(192ページ)であったと論じている。

 著者である土岐さんはキリスト者なので、クムラン宗団の考え方が新約聖書の考えと共通する部分が少なくないことを強調している。この点については次の機会に紹介する第6章「死海写本と旧約聖書の関係」、第7章「死海写本と新約聖書の関係」でさらに掘り下げられるはずである。その一方で、宗教思想史の見地から見て、クムラン宗団の独自性がどこにあるのかという点はあまり明らかにされていないように思う。ただ、この書物における聖書からのさまざまな引用は興味深いものであり、あらためて聖書を読み直してみようという気持ちにさせられたこともたしかである。

 現代人にとって終末論的な考え方がもつ影響力は小さいものではないし、現代の社会にはクムラン宗団のように俗世間を離れて共同体的な生活を送る人々もあまり目立たないけれども存在している。これらの問題についても可能な限りで考え、また書いていきたいと思う。
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