ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄篇』(13-2)

9月17日(木)雨

 ウェルギリウスとともに煉獄山の山腹を走る第2環道に達したダンテは、そこが魂たちの嫉妬の罪を浄める場所であることを知る。ダンテの目には崖と道の他に何も見えなかった。これは一面が冷たい鉛色で、道行くものの視界を閉ざしているからである。ウェルギリウスは闇を照らす、太陽の光の輝きを祈り、2人は前へ進む。歩きはじめると、姿の見えない何者かが慈愛の例を大声で叫んで飛び去っていった。これらの言葉は、温かく他人に向かう精神と行動を象徴するものであり、嫉妬とは正反対の実例を示すものであった。
 次に、ウェルギリウスに言われてダンテが遠くを見ると、内側の崖に沿って嫉妬の罪を贖っている者たちが、壁や道と同色の悔悛布でできたマントを着て、両瞼の上下を鉄線で縫いつけられていた。瞼が縫いつけられているのは、嫉妬の罪が語源的に他人を正しく見ない罪と中世には説明されていたためである。

 贖罪者たちは贖宥の日に教会の前に集まる乞食達のように並び、ダンテとウェルギリウスはその中を進む。ダンテは魂たちに問いかける:
ここにいるあなた方の中にラテンの魂がいるかどうか。
(196ページ、ここで「ラテン」はローマの栄光を直接継承するイタリアという意味で使われている。) するとある魂が答える。
「我が兄弟よ、どの魂も皆、ただ一つの真理の都市の
市民なのです。けれどもあなたが言いたいのは、
流浪の魂の時にイタリアで生きたということなのですね」。
(196-197ページ、魂の祖国である天国を遠く離れた地上波異郷であり、そこでの生活は流浪に他ならないというのである。)
 こう答えたのはダンテの故郷であるフィレンツェと同じトスカーナ地方にあり、フィレンツェよりも南の(ローマに近い)方角にあるシエナの出身であるサピーア・サルヴァーニの魂であった。ダンテが第1環道で見かけた「現世で自信過剰だった」プロヴェンツァーノ・サルヴァーニのおばにあたる。ただし、この2人は仲が悪く、サピーアが煉獄で罪を贖っているのもそれが理由の一つである。

 サピーアは生前、神をないがしろにして、都市間の争いに熱中していたが、人生の最後になって神との平和を望み、フランシスコ会の第三会員であった櫛屋ピエル・ペッティナイオが彼女のために祈ってくれたこともあってここにいるという。そして、まだ生きているダンテがここにいることを不思議がって、彼について尋ねる。ダンテは、彼女に自分の使命を告げ、やがてトスカーナに戻ると述べ、サピーアは生きている縁者たちへの伝言を頼み、シエナの未来についての予言の言葉を述べる(ダンテの異界旅行は1300年の4月に行われたことになっているが、『煉獄篇』が書き終えられたのは1316年のことと考えられており、1300年の時点で予言であったことの少なくとも一部の結果は煉獄篇執筆の時点でわかっていたはずである)。

 ここの魂の運命とその贖罪の様子の描写もさることながら、ダンテが中世を通じて激しかったイタリア諸都市間の戦いを嫌悪し、それが肉親の愛情さえも引き裂いていることを憂えていたことが分かる。彼の煉獄第2環道の道中はまだまだ続く。
 
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