池波正太郎『食卓の情景』

9月15日(火)晴れたり曇ったり

 蔵書の整理をしていて、池波正太郎『食卓の情景』(新潮文庫)を見つけた。1971年から1年半ほど『週刊朝日』に連載されたエッセイをまとめて、1973年に朝日新聞社から単行本として発行されたものが、1980年に新潮文庫に収められた。私の手元にあるのは1980年に発行された第4刷であるが、この本はその後増刷を続けて、現在でも刊行されており、70刷を越えている。この本を購入した前後の事情はとっくに忘れているが、池波正太郎の随筆類はこの書物を含めて愛読してきた。私にとって池波正太郎は随筆家であって、小説家ではない。

 池波の随筆を好んで読むようになったのは、彼の映画の見方が納得のいくものだったからである。どうも私は映画評論家よりも、他に職業があって、このんで映画を見ているという類いの人物の映画評の方を信用する傾向がある。池波という人は、何がしかの理論を組み立てて、正面切って議論をしてくるという人ではない。自分の人生経験を踏まえて、映画についてふとした感想を述べている――という場合のその感想がいいのである。
 この書物では、そういう感想が述べられている個所はそれほど多くはないが、マイク・ニコルズ監督の『愛の狩人』という映画について、ジャック・ニコルソンとアン・マーグレットがいかにもまずそうに腹を満たしているシーンが2人のあいだの性の荒廃を描きだしているだけでなく、アメリカ社会全体の荒廃も象徴的に描いていると述べて、「映画にしろ、芝居にしろ、食物と食卓を扱うとき、これが、その作品の主題や人間描写にからみ合っていないときは、まったくむだになってしまう。/これは、時間的に濃縮され、切取って見せる芸術だからであろう」(56ページ)と指摘する。

 池波は小学校を出ただけの学歴ではあるが、職歴は多彩で、株屋の小僧、東京都職員(保健所の環境衛生の仕事から税務事務所の仕事まで)、新国劇の座付役者・演出家、そして作家、旅行を好み、行く先々で様々な職業に携わる人物とみられ、それを好んだという。「その中で、もっとも多いのは、なんと〔呉服屋〕なのである」(59ページ)。そこで自分から長崎の「べっこう屋」になったり、京都の〔呉服屋〕になったり、札幌の〔電気器具商〕を名乗ったりした。刑事と間違えられたこともあるという。演出だけでなく、自分自身でも演技を楽しんでいたのである。

 子ども時代の思い出、青年時代のさまざまな冒険、戦後の波乱に満ちた生活などに加えて、執筆当時=1970年代前半の生活ぶりと見聞きしたものについての感想が記されている。青年時代に横浜のホテル・ニューグランドで見かけてあこがれた大佛次郎に、戦後、直木賞を受賞した際に選考委員と受賞者として出会い、祝いの言葉を受けたというくだりは印象的である。ちなみに池波の師である長谷川伸、吉川英治、それに大佛など、横浜は大衆小説で名を成した人物を多く生んでいる。その長谷川や、子母澤寛の想いでも心に残るし、ビリー・ワイルダーの『お熱い夜をあなたに』の試写会で、吉村公三郎、中村登両監督にあった話なども面白いのだが、極め付きのエピソードは1972年の初めに伊勢に旅行に出かけようと考え、その前に1日だけ京都に立ち寄った際のものであろう。
 駅の売店で新聞を買って映画館の広告を調べ、新京極のS座で東京で見逃していた『ダーティ・ハリー』を見て、「河原町の電車通りを突切り、M館で東映の藤純子引退の記念映画『関東緋桜一家』を見物する。/映画そのものより、藤を見る観客の熱気が館内に充満している」(77ページ、M館とあるが、この時期、東映の封切館は河原町通りの東側にあった京劇であったはずである)。その後、腹が減ったので、新京極への通りを歩いていると、「後ろから来た男が私を追い越したので何気なく見やると、新国劇の辰巳柳太郎氏だ」(同上)。昔の仲間である。辰巳もまた藤純子を見てきたという。それで、木屋町の逆鉾という店でちゃんこ料理をごちそうになったという。京都の地理を多少知っているとわかるが、行ったり来たりである(その行ったり来たりが楽しいのであろう)。
 この時代は、私にとっても京都での大学・大学院時代の後半部分であり、ひょっとすると新京極通で池波や辰巳とすれ違っていたこともあったのではないかと読んでいて懐かしく思った。書くのが遅くなったが、S座というのは松竹座である。『ダーティ・ハリー』という映画は何度か見ているが、この映画館での封切りで見たかどうかの記憶は定かでない。『関東緋桜一家』は封切り上映が終わった後で新京極の菊映で見たのではないかと思う。菊映というのは変った館名だと小林信彦さんが書いていたが、これは菊水映劇を略した呼び方で、この映画館のチェーンの本館は神戸の湊川(菊水を家紋とした楠正成の討ち死にした場所)にある。

 この本の中で取り上げられている旅館や料理店のかなりの部分が、今は営業していなかったり、代替わりをしていたりするはずである。にもかかわらず、この本が引き続き読まれているのは、古き良き時代への郷愁もあるだろうし、経験に培われた作者の人間観察の妙と人生の知恵への共感もあるだろうと思う。とはいえ、既に書いたようにこの随筆が書かれた1970年代は私にとって懐かしい時代なのだが、それは池波の知る昔とは異質のものなのである。
 池波は伊賀上野を訪問した際の感想として、「荒木・渡辺が河合一行を要撃した上野城下の鍵屋ヶ辻に立つと、西方の長田川にかかる長田橋を河合又五郎一行が馬を連ねて城下へ入って来る有様が、十年前には、/(目に浮かぶような・・・・・)/おもいがしたものだ。/しかし今は、風致がまったく変ってしまい、そのおおもかげは消えた。/鍵屋ヶ辻の、又右衛門が数馬とともに身をひそませていたという茶店の「鍵屋」だけが、/みぎいせみち・ひだりなら路/としるした石の道標を前に、古風なたたずまいを見せている」(229-230ページ)と、既に昔の景観が失われていることを書き留めているのである。
 この書物の挿絵も水彩画をよくした池波自身が手掛けている。実は、池波にはこの書物では書いていない趣味や道楽がほかにもあって、それはほかの随筆集をひもとくとよくわかる。井伊直弼の曽孫であり、彦根市長であった井伊直愛の三味線に合わせて、長唄の「勧進帳」を歌うくだりがあって、そういえば「勧進帳」は8代目三笑亭可楽の出囃子だったなと余計なことを考えながらよんでいた。そういうわけで、旅や食べ物と映画についての感想を折に触れてまとめたという体裁のこの随筆集から、多くのことを学び、考えさせられたのである。
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