ジャンヌ・バレ 初めて世界一周した女性

9月4日(金)晴れたり曇ったり、一時雨

 シネマヴェーラ渋谷でオーソン・ウェルズ監督・主演『上海から来た女』、アルフレッド・ヒッチコック監督『三十九階段』を見て後、市谷ルーテル・ホールで別府葉子さんのシャンソン・コンサートを聴いた。なかなか充実した1日であったが、何をブログに書いてよいか迷ってしまう。とりあえず、別府さんのコンサートで歌われた「悪魔の積荷」に関連して、フランス人としてはじめて世界を一周したルイ=アントワーヌ・ド・ブーガンヴィル(Louis-Antoine de Bougainville, 1729-1811)の航海に男装した女性が紛れ込んでいて、結果的に彼女が世界一周をすることになったという話を思い出し、詳しいことを調べてみた。

 別府さんの9月2日付のブログにも出てくるが、「悪魔の積荷」というのは女性が船乗りとして船に乗り込むことを許されなかった時代のことを歌った歌である。それでも船員として船に乗った女性がいたのではないか、それが歌になって歌い継がれることになったのではないか。私が思い出したのは、初めて世界を一周した女性といわれているジャンヌ・バレ(Jeanne Baret, BaréあるいはBarretともいわれる、1740-1807)のことである。彼女は、ブルゴーニュ地方の生まれで、植物学者であるフィリベール・コメルソンの家の女中であったが、コメルソンの妻が早く死んだためにその家の家事一切を取り仕切っていたようである。フランス科学アカデミーによって、ブーガンヴィルの世界一周にコメルソンが随行することが決まった時に、病弱なコメルソンには身の回りの世話をする人間が必要であり、そのためにジャンヌが男装して航海に加わり、かねて助手の役割も果たすことになったようである。

 ブーガンヴィルは若くして数学と法学をまなび、その両方で前途を嘱望されていたのだが、フランス海軍の軍人となった。世界一周を目指して1766年の12月半ばに、ブーガンヴィルは新たに建造されたフリゲート艦ラ・ブードゥーズ(ふくれっ面)号で出発。この月の末に出発した輸送艦のレトワール号と南米で合流した。コメルソンとジャンヌはレトワール号の方に乗船していた。コメルソンの荷物が多く、広い部屋を与えられていたうえに、船長用のトイレを使用することを許されていたためにジャンヌが女性であることを隠すことができた。「悪魔の積荷」ではフランスの港町ナントとブラジルのリオが歌われているが、ブーガンヴィルが出発したのはブレストだそうである。ブレストというと、ジャック・プレヴェールのシャンソン「バルバラ」を思い出す。その頃から、ブレストは海軍の軍港であったのだろうか。

 寄港先のモンテビデオとリオデジャネイロでコメルソンは植物を採集。リオで採集した未知の植物にはブーゲンビリアという名前が付けられることになる。この間、機材や標本の運搬はジャンヌが行ったようである。さらに標本の整理もかなりの部分、彼女が引き受けることになった。太平洋を横断して、後にブーゲンヴィル島と名付けられることになる島に立ち寄ったりしたが、この間、ジャンヌが実は女性ではないかという噂が広がるようになる。ブーガンヴィルの『航海記』によるとこのことが最終的に明らかになったのはタヒチ島でのことだという。これは探検隊にとって好ましくないことであると考えられた。

 一行は中国に立ち寄ることを考えていたが、結局断念し、インド洋を渡って、当時フランス領であったモーリシャス島に到着。ここにコメルソンの友人の植物学者であるピエール・ポワヴル(Pierre Poivre)がいたことから、コメルソンとジャンヌは下船して、ここを根拠地として植物採集を行うことになる。この間、彼らと別れた本隊は1769年に帰国する。さて、1773年にコメルソンが病死し、ポワヴルもすでに帰国していたことから、ジャンヌは居酒屋で働くなどして生計を立てていたが、1774年にフランスに帰国途中のフランス陸軍の下士官ジャン・ドゥベルナ(Jean Dubernat)と結婚、1775年頃に帰国したようである。こうして、彼女はあまり世に知られないまま世界を初めて一周した女性となった。

 帰国後の1776年にジャンヌはコメルソンの遺言による遺産を受け取ることができ、それを元手に夫の故郷で鍛冶屋を開業した(実際に作業をしたのは、夫のジャンのほうであっただろう)。1785年には、コメルソンの植物採集の事業を助けた功績により年200ルーヴルの年金を与えられることになった。その後、フランス革命とナポレオンの時代に彼女がどう生きたかは定かではないが、1807年に没している。

 一方、ブーガンヴィルの方は帰国後、ラファイエットらとともに、アメリカの独立戦争を助けるために戦い、フランスに戻ってからは北極探検を計画したが、当時のフランス国家の財政難で実現しなかった。ブーガンヴィルは一種の万能人といえるが、その本質は軍人というよりも探検家であったのではないかという気がしてならない。ルイ16世支持派だったのだが、フランス革命の時代を生き延び、ナポレオンに重用され、国葬で送られた。ブーガンヴィルがその『航海記』で南太平洋の島々の住民についてルソーの「高貴な野蛮人」を思わせるところがあると書いたことが、その後の欧米における人間観・教育観に大きな影響を及ぼすことになる。

 ブーガンヴィルの業績の評価はさておき、ジャンヌが彼女自身の「世界一周」によってではなくて、「コメルソンを助けた」ことによって年金を授与されることになったのは、当時のフランス社会における女性観を要約しているようで興味深い。とにかく、初めて世界一周をしたと一般に認められている女性の生涯は、いろいろなことを我々に語りかけているように思われる。
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