ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄篇』(12‐2)

9月3日(木)晴れ後曇り、夕方になって雨、蒸し暑い

 1300年4月11日の朝、ダンテはウェルギリウスとともに煉獄の門をくぐり(第9歌)、煉獄山の急な斜面の岩に穿たれた狭い裂け目を登って、煉獄山の壁面をめぐる第1環道へと達する。そこでは死者の魂が高慢の罪を償っている(第10歌)。そこでは神の手になる浮彫が謙譲の美徳の実例を教え、魂たちは大岩に押し潰され、地面に這いつくばるようにして歩いている。そのような魂たちの中に、ダンテは自分の知人の姿を見出す。細密画家オデリージの魂との出会いを通じて、文学・芸術が人々を導く社会的・倫理的な性格をもっていること、そして社会の移り変わりとともに新しい文学・芸術が現われていくが、究極の存在である神の前ではそれらは空しく、はかないとする彼の芸術観を語る(第11歌)。彼は、道に刻まれた高慢の罪の事例を顔を伏せた謙譲の姿勢で見つめながら、先を急ぐ(第12歌の前半)。

集中していた私の心が
思っていたより、すでに私達は山の周囲を多く踏破し、
太陽の歩みもずっと先に進んでいた。
(181ページ) その時に、ダンテの案内役であるウェルギリウスが、1日の正午を告げる天使が彼らの前方に現れていることに注意を促す。
「おまえの顔と態度を敬意で飾るがよい。
我らを上に呼ぶことがあの方の喜びとなるように。
この太陽が今日と同じ日の出を繰り返さぬことを思え」

時を失うことなかれ、との
あの方の警句をこれまでも聞いていたので、それゆえに
その話の意味が私には明らかだった。
(182ページ) 天使は2人に近づいてきたが、
・・・その顔はまるで
明けの明星のように輝き瞬いていた。
(同上) 「朝日に先立つ明けの明星の輝きは、新たなる生を予告する」(183ページ)と翻訳者が傍注で解説している。

 天使は、第1環道から第2環道へと登る階段へと2人を導く。そしてダンテに向かって道中の無事を約束して去ってゆく。坂は急ではあるが、階段によりやわらげられている。
ただ、切り立つ岩盤は左右をかすめる。

私たちがその場所に向かって進むと、
「心貧しきものは幸いなるかな」、声が
歌った、それを言葉では言い表しようもない。

ああ、そこでの入り口は地獄の諸圏のものと
何と違っていることか、ここでは歌に包まれて、
奈落では惨い嘆きの叫びに包まれて入るのだ。
(184ページ) ダンテは地獄では、次第次第に重い罪を犯した人々の魂が置かれる圏へと下降していったが、煉獄では罪を贖いながら天国へと前進する魂たちとともに移動しているのである。嘆きの叫びと歌声とには残酷なほどに大きな隔たりがある。

 階段を登りながら、ダンテは自分の体が軽くなっているのを感じて、ウェルギリウスにそのわけを尋ねる。ウェルギリウスは煉獄の門で、門を守る天使からダンテがその額に刻み付けられた7つのP(第9歌 112-114行)へと注意を向けさせる。その時、天使は煉獄の門の「中に入ったならば、/これらの傷を洗い流すようにせよ」(142ページ)と言っていたのである。ダンテが自分の額に触ってみると、Pの字が1字消えていた。

それを見て、我が導き手は微笑まれた。
(186ページ) こうしてダンテは煉獄における最初の環道での試練を乗り切った。しかし、まだ6つの罪に対応する6つの環道が残されており、彼の煉獄での道のりはまだまだ続く。「地獄篇」が34歌で構成されていたのに対し、「煉獄篇」は33歌からなっているので、あとまだ21歌分が残っていることになる。煉獄における彼の歩みがどのように歌われるか、人間が現世で犯した罪がどのように回想され、評価されるのか、今後の展開に興味が尽きない。

 
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