日記抄(8月20日~26日)

8月26日(水)曇り、時々雨

 8月20日から本日までの間に経験したこと、考えたことを書く前に、前回、書き落としたことをいくつか書いておきたい。

 8月18日にラピュタ阿佐ヶ谷で『集金旅行』、神保町シアターで『長屋紳士録』、『或る夜の殿様』を見た中で、小津安二郎が1947年につくった『長屋紳士録』だけ論評しないままになっていた。
 東京の下町の、どうやら戦災を免れたらしい一角にある長屋。貧しいなりに安定した暮らしを営んでいる住人達の1人が、九段で父親にはぐれたという男の子を連れてきて、一人暮らしのお種婆さん(飯田蝶子、婆さんといっても、初老というところで、昔の人は老けるのが早かったが、今だったら中年で通る年齢であろう)にその世話を押し付ける。初めは迷惑がっていたお種であるが、次第に子どもに愛着がわいてくる。ところが、本気で面倒を見ようと思い始めた矢先に、父親が現われ、子どもを引き取ってゆく…。
 長屋の人々が寄合で集まって、まだ若い笠智衆が覗きからくりの「不如帰」一下りを語って見せるなど、和やかな雰囲気が漂い、これが戦後すぐの時期につくられた映画なのかと驚くほどののんびりした雰囲気の場面があるかと思うと、戦災で親を失った子どもたちの姿を映す場面があり、安定と不安定とが共存しているところが注目される。この後、小津は戦後の庶民生活の不安定な部分を強調した『風の中の牝鶏』を作るのだが、不評で、安定した世界の中に閉じ籠ることになったといわれる。まだ市井の映画青年だった佐藤忠男さんが『風の中の牝鶏』を見て感動したという話もあり、批評と製作の関係がどのように作家の方向性に影響していくかは大いに考えるべき問題だと思った。

 8月19日にNHKラジオ「まいにちロシア語」の文化コーナーでここ20年間の間に目覚ましい発展を遂げたといわれるロシアの都市カザンの話題が取り上げられた。タタルスタン共和国の首都であり、ロシア人とタタル人が同じくらいに住んでいるほか、多くの民族の人々が暮らしている町だという。番組の中では触れられなかったが、カザン大学はトルストイとレーニンが学んだ大学であり、ゴーリキーが大学に入ろうとしてやってきたが、入学資格を満たすことができず、うろうろしながら、その間の人生経験で作家としての成長の基礎を築いた『私の大学』となった町でもある。

8月20日
 シネマヴェーラ渋谷で『アパッチ砦』(1948、ジョン・フォード監督)と『マルクス捕物帖』(1946、アーチ-・L・メイヨ監督)を見た。『アパッチ砦』はTVで、『マルクス捕物帖』はこの劇場での上映で既に1度見ており、それぞれ2度目の観賞である。『アパッチ砦』の批評は当ブログの非常用にとっておくこととして、『マルクス捕物帖』の方を取り上げてみる。
 いったん映画界から引退したマルクス兄弟であったが、チコの要望で、もう1度だけ兄弟が顔を合わせての出演となった作品。カサブランカのホテルを主な舞台として、ホテルの支配人が何人も変死を遂げる事件と、ナチスの残党がそのホテルに隠している財宝をめぐる騒動が描かれる。ナチスの残党である「伯爵」が支配人になって財宝を持ちだそうとするのだが、別の人間が支配人になってしまう。
 ホテルの周辺をうろうろしている怪しげな人物がハーポ、ホテルの前でラクダタクシーの客を探している「運転手」がチコ、新しく支配人になるのがグラウチョのマルクス3兄弟で、この3人が中心になってドタバタ喜劇を展開する。チコがピアノを弾き、ハーポがハープを弾く場面がそれぞれに設定されており、兄弟の達者な芸が楽しめる(チコがピアノで弾いた「ビア樽ポルカ」を、ハーポがその後の場面でハープで弾くのが特にうれしい)。口が利けないという設定のハーポがパントマイムでチコに情報を伝える場面などの見せ場もある。小林信彦さんがこの作品を見て、マルクス兄弟、とくにハーポが好きになったというのはよくわかる。

 NHKカルチャーラジオ「ボブ・ディランの世界を読む」は第8回で前回に引き続き、ブルースの歴史とそれがディランの作品に与えた影響について概観された。ブルースが5線譜に書き留められ、定型化が進められたことはプラスにも、マイナスにも作用してきた。これはほかの民衆芸術についても当てはまることではないかと思った。

8月21日
 NHKカルチャーラジオ「私達はどこから来たのか 人類700万年史」は第8回で、「ネアンデルタール人は白人だった」と題されていた。彼らが今日の白人の祖先にあたるというのではなくて、高緯度の土地で暮らすために白い皮膚をもつように進化していったという意味だそうである。

8月22日
 藤子不二雄Ⓐ『81歳いまだまんが道を・・・』(中公文庫)を読む。藤子Ⓐは『まんが道』やその他の著作で自分の履歴についていろいろと語ってきたので、知っている話が多いのだが、それでも初めて知った話がいくつかある。『まんが道』の中に、立山新聞(実際は富山新聞)に入社して図案部(実際は広告部だそうだ)に配属され、そこで変木さんという部長と2人で仕事をすることになるという個所があったが、その変木さんのモデルになったのが金守世士夫というのちに版画家として有名になった人物だという記述(43ページ)。漫画でも変木さんが版画で賞をとったというエピソードが出てきたので、モデルは誰だろうと思っていたのである。金守は棟方志功のただ1人の弟子といわれる人で、藤子Ⓐは社会人としての最初のところでかなり運のいい出会いをしたことになる。
 その他講談社の漫画担当の編集者であった牧野武朗の話(80ページ)などもそれに相当する人物が出てくる『まんが道』のエピソードを思い出して興味深い個所であった。漫画家や編集者だけでなく、吉行淳之介や芦田伸介との交友の話も出てきて、なかなか面白かった。後、映画関係の話題も多く、著者が柏原兵三の小説『長い道』から漫画化し、映画としての製作に携わった『少年時代』(1990、篠田正浩監督)の話も興味深い。さらに当ブログでも取り上げた映画『トキワ壮の青春』(1996、市川準監督)について、当事者としての立場から感想が語られていて(212-214ページ)、この映画に興味のある方は必読である。

8月23日
 NHKEテレ「日本の話芸」では柳家小三治師匠の「お茶くみ」が放送された。花魁がお茶で目をぬぐって嘘泣きをしているのに、だまされたふりをして大いにモテてきたという男の話を聞いて、もう1人の男が出かけてゆき逆に自分が泣いて花魁を騙そうとしたが、見破られていたという噺。こういう場所での男の客と遊女との騙し合いでは、男の客は騙されている(あるいは騙されたふりをしている)ほうがもてるという「実用的?」な教訓が読み取れる。小三治師匠は外見が真面目そうなので、郭噺には不向きである。それにずいぶん年をとったなぁという印象がある。時々、次の台詞が出てこないような場面があるのも気にかかった。

 雨が降りそうで降らない、不安定な空模様でどうしようかと思ったのだが、ニッパツ三ツ沢球技場へ横浜FC対ジェフ千葉の試合を見に行く。後半のアディショナル・タイムまで0-0が続いたのだが、最後の最後で1点を失い、またもや敗戦。選手がよく頑張ったのは認めるが、負けは負けである。

8月24日
 NHK「ラジオ英会話」は月末の特別版で”Britain unveils statue of Gandhi in central London"(英政府 議会前広場にガンジーの銅像設置)というニュースを取り上げた。そういえば2005年7月7日に起きた爆破テロ事件の舞台の1つであったタヴィストック・スクエアにもガンジーの銅像があったなぁと思いだした。この近くの大学に在外研修で滞在していたので、よく出かけたのである。
 ガンジーの思想や運動を賞賛する人は多いが、本当にそれを継承しようとする人はそれほど多くはないのではないか。行動の人であったガンジーが、言葉の人であったタゴールと激しい論争を展開したことの意味を掘り下げて考える必要がある。
 まぎれもなくガンジーの後継者の1人であったマーティン・ルーサー・キングの非暴力・不服従の公民権運動の展開について、ああいう暴力的な運動はよくないと、その当時滞米中だった犬養道子さんにその友人の1人が語ったという話が『マーティン街日記』に出てくる。その友人というのが障害を持つ黒人女性であったというのは、いろいろ考えさせられる。(ガンジーやキングの考えではデモ行進は非暴力であるが、その女性の考えではデモ行進も暴力であると考えていたのではないか。暴力と非暴力の境界線をどこで引くかが問題になる。場合によると、暴力的なデモ行進とそうでないデモ行進を分ける人もいるだろう。そういえば、私が学生のころは、デモの形態をめぐっていろいろと論争があったのを思い出す。)

8月25日
 NHKラジオ「入門ビジネス英語」にこんな意見が出てきた:
Japanese politeness does not always appeal to American customers. They look for friendliness rather than politeness.
(日本の礼儀正しさは常にアメリカ人顧客の心をとらえるわけではありません。アメリカ人は礼儀正しさよりもむしろ親しみやすさを求めるのです。)
 講師の柴田真一さんは、ある時アメリカのタクシーに乗ったら運転手さんがやたら世間話をする人で、降りるときには彼の家族構成を全部覚えていたと話していた。アメリカ人だけでなく、英語を使う文化圏の人にはこういう傾向があるようだ。ロンドンでタクシーに乗ったら、その運転手がシーク教徒だったという話は以前にも書いたのではないかと思うが、お互いにシーク教徒は初めてだ、日本人は初めてだと世間話をして、握手をして別れたものである。タクシーの運転手と握手をするというのは英語圏以外では経験したことがない。(シーク教徒ということはインド亜大陸、おそらくはパンジャブ地方の出身なのだろうが、かなり英国の習慣に溶け込んでいるわけである。)

8月26日
 NHKラジオ「実践ビジネス英語」の”Quote...Unquote"のコーナーで紹介された言葉:
A man is not old until regrets take the place of dreams.
----John Barrymore (U.S.actor, 1882-1942)
後悔が夢に取って代わるとき、人の老いが始まる。
 直訳すると後悔が夢に取って代わるまでは人間は年をとってはいないということになる。どこに強調点を置いて訳すかが問題になりそうである。 
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