集金旅行

8月20日(木)曇り、時々雨

 シネマヴェーラ渋谷で『アパッチ砦』(1948、米、ジョン・フォード監督)と『マルクス捕物帖』(1946、米、アーチ-・L・メイヨ監督)を見る。18日に『集金旅行』、『長屋紳士録』、『或る夜の殿様』と3本の日本映画を見たことは既に書いたが、8月前半の怠けぶりがうそのような頑張りようである(もっとも新しい作品を見ていないのは、やはり一種の怠惰の表れであろう)。

 『集金旅行』(1957)は井伏鱒二(1898-1993)の同名小説(1937)の映画化。井伏鱒二は私の好きな作家の1人であり、今年になってから彼の作品の映画化されたものを2本:『駅前旅館』(豊田四郎)、『本日休診』(渋谷実)と2本みているのもその表れである。とはいっても、この『集金旅行」は読んだことがあるが、何度も読み返したということはなく、詳しいことは忘れてしまっている。ただ、映画化にあたって、時代を昭和戦前から戦後(映画の製作された昭和32年頃)に移しているほか、男女が中国四国地方を『集金旅行』をして歩くが、どうもうまくいかないという大枠は残しながら、かなりの脚色を加えているようである。

 東京のアパート望岳荘では持ち主の仙造の妻の浜子が住人の1人と駆け落ちして、それにショックを受けた仙造がやけ酒を煽るうちに急死してしまう。仙造は生前、高利貸の香蘭堂から多額の借金をしており、アパートはその抵当に入っている。住人達が鳩首協議した結果、仙造の手元には彼が貸した金の借用証書がかなり残っており、また家賃を貯めたまま逃げ出した元住人もいるので、それを集金して、香蘭堂の借金の返済と残された仙造の子どもの勇太の養育費に宛てようということになる。潰れかけている出版社の社員である旗(佐田啓二)がその仕事を押し付けられるが、汽車に乗り込んだところ、同じアパートにいる謎の女小松千代(岡田茉利子)が勇太を連れて乗り込んでいる。彼女はあちこちに昔の男がいて、そこから慰謝料を取り立てるために、旗と同じ方面を旅行して回るのだという。

 2人は岩国、山口、萩、松江と旅してまわる。千代はなかなかの芝居上手で旗よりも多くの金を集めているが、萩で医者の箕屋(トニー谷)と見合いをすることになり、この男が千代の美貌にすっかりのぼせて、松江まで付きまとい、それやこれやで出費も少なくない。四国に渡って、駆け落ちした浜子に出会い、千代の必死の説得で勇太を引き取らせるが、それまで集めていた金のほとんどを渡すことになる。そして・・・

 物語の進行に連れて、訪問先の各地の名所や民謡、踊りなどが披露される展開であるが、松江でトニー谷が泥鰌掬いを、徳島で岡田茉利子とアチャコが阿波踊りを踊るというように、土地の人の芸も映像に収められているとはいうものの、主要な出演者の芸の披露の方に重点が置かれているというのが面白い。さらにトニー谷が岡田茉利子に向かって「焼酎のポスターのようだ」というセリフなど(当時、岡田茉利子は焼酎のポスターのモデルをしていた)楽屋落ちがいくつかあって、ラピュタ阿佐ヶ谷の年配の客層がにやにやとうなずく場面が少なくなかった。実は、本日見た『マルクス捕物帖』で痛感したことであるが、出演者が見ごたえのある芸を披露するというのは、映画にとって大事な見せ場になるということである。この作品の物語の進行にとってトニー谷はただただ邪魔な存在であるが、にもかかわらず、その芸によって映画を見る楽しみを増す存在にもなっている。そのあたりが映画とは何かということについて、あらためて考えさせる。

 それまでは東宝にいた岡田茉利子が松竹に移っての専属第1作ということは、クレジットにも明記されている(五社協定が厳しく守られていた時代なので、そういう細かいところに注意する必要がある)。旗と小松さんとがお互いに惹かれあっているような、そうでないような、親和と反目を続けながら旅行するという展開は、どこかとぼけた筆致で時に残酷な人生の真実を描きだす井伏らしいものではある。かなり怪しげな過去をもつ小松さんを岡田茉利子が演じることが適切かどうかは議論が分かれるかもしれないが、同じく井伏の原作を川島雄三が映画化した『貸間あり』で乙羽信子が演じた女性と比較してみると、ほんわかととぼけた感じが漂う岡田のほうが、人生の真実が滲み出す乙羽よりも適役だったのではないかという気がする。
 とにかく、移籍第1作だということで岡田が張り切っていることが分かる一方で、佐田啓二になんとなく疲れた感じがみられるのはどういうことであろうか。この作品で2人が結ばれなかった(原作がそうなんだから、仕方ないだろう)のは残念だという声がかなり多かったらしく、翌年松竹はこの2人に高橋貞二、桑野みゆきのコンビを絡ませて、『モダン道中 その恋待ったなし』という映画を製作、今度は東北・北海道を旅行させる。この映画については昨年、取り上げたが、当時助監督だった山田洋次のオリジナル脚本で、井伏の『集金旅行』がさりげなく作品中に描きだしている社会の哀歓のようなものが十分に取り込まれていない分、前作よりも見劣りがするようである。また、すでに述べたように、出演者の芸を披露させる場面がないのが、映画の興をそぐことになっているようにも思われる。

 昭和戦前に書かれた原作の時代を、戦後に置き換えたにもかかわらず、その時代そのものが今では歴史的な過去になっている。映画製作当時の景観や交通手段の様子を記録した映像が多いのも、それらが大きく変化してしまった現代の目から見て価値をもっているように思われる。
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