或る夜の殿様

8月18日(火)曇り

 午前中、ラピュタ阿佐ヶ谷で『集金旅行』(1959、松竹、中村登監督)、その後、中央・総武線を乗り継いで水道橋で下りて、神保町のランチョンで日替わりランチを食べ、その後神保町シアターで「戦後70年特別企画 1945-1946年の映画』の特集上映から『長屋紳士録』(1947、松竹、小津安二郎監督)、『或る夜の殿様』(1946、東宝、衣笠貞之助監督)を見る。それぞれ面白かったのだが、一番感心したのは、衣笠貞之助(1896-1982)の戦後第1作である『或る夜の殿様』であり、まずこの作品を取り上げて論じてみたい。

 明治19年(1886年)の夏、箱根山中につくられた豪華建築のホテル箱根山泉楼では、宇都宮と水戸の間に敷設する予定の鉄道の計画をめぐり、このホテルに滞在する江本逓信大臣(大河内伝次郎)の承認を得ようと、菅沼(菅井一郎)、波川(清川荘司)らのグループと、この計画をどこかで聞きつけた越後屋喜助(進藤英太郎)の2つのグループが暗闘を続けていた。越後屋のやり方が強引であるのと、その妻のお熊(飯田蝶子)の成り上がりぶりが気にくわないと、お熊の旧知の北原虎吉(志村喬)が菅沼らのために一計を案じる。
 江本によるとこの計画には水戸の旧藩主の承認がいるが、彼を説得できるのは1人だけだろうという。それは15代将軍の弟で他家に養子に出たが、戊辰戦争の際には幕府を支持、その後謹慎を命じられ、その命令が解けて以来行方をくらましている平喜一郎である。そう言いおいて江本は所用で東京に戻ってしまったのだが、ホテルに滞在する人々が誰もその顔を知らない若者を、喜一郎に仕立て上げて一杯食わせてやろうというのである。
 ホテルの女中で客たち、とくに菅沼たちに信頼の篤いおみつ(山田五十鈴)は、ちょうどその役にぴったりの若者がいるという。このホテルに腹を減らしてたどりついた書生(長谷川一夫)を、喜一郎に仕立て上げようというのである。若い、出世しそうな書生の面倒を見るのが夢だというおみつが、ここでちょっといたずら心を起こしたのが思わぬ波乱を呼び起こす。

 書生を喜一郎だといい触らす作戦は図に当たり、越後屋が食いついて来ただけでなく、お熊もまた虎吉に頭を下げてくるようになる。ここまではよかったのだが、越後屋は喜一郎をかこいこんだだけでなく、娘の妙子(高峰秀子)を喜一郎に近づける。二人とも、相手の性格や教養がすっかり気に入った様子で、相手のことを真剣に思い始めているようである。となると、おみつもまた気が気ではない。戦後すぐに製作された映画で、オールスターの共演だとはいえ、山田五十鈴と高峰秀子の両手に花は贅沢の極みである。もっとも、この2人が大女優という評価を得るようになるのはもっと後のことで、この当時は単なる人気女優であったようである。それでも日本風の顔立ちと表情の山田五十鈴に対し、より近代的な容貌の高峰秀子、大正生まれのこの2人の女優が、この映画の制作時はまだともに20代で、それぞれの美貌と演技力を競っているのはそれだけで楽しい見ものである。

 物語そのものはまったくの創作であろうが(脚本は小国英雄、さらに映画の最初と最後の部分に一種の「枠」が設定されていることも注目する必要がある)、その時代が1886年に設定されているというのが一つの工夫である。内閣制度はできているが、その一方で憲法はまだ制定されず、国会もまだ成立していない。国会ができると、自分たちの利権争いについて追及する奴らが出てくるというので、今のうちに仕事を進めようというのが2つのグループが共通に抱いている思惑である。それで物語は、得体のしれない若者を大名の若様に仕立てるという、たくらみがいつバレルかわからないような怪しげな綱渡りの展開となり、そこに笑いが生まれる。が、祭り上げられている若者には、彼らが理解できない新しい人間性が備わっているようにも思われる。
 さらに越後屋の夫婦は自分の娘の妙子を何とか華族に嫁がせようとしているが、当の妙子はそんなことは大したことではないと考えている。またこの夫婦は、東京の商人山崎(清水将夫)とその妻の里野(吉川満子)がその娘綾子(三谷幸子)と華族との縁談を進めようとするのに敵愾心を燃やしているのだが、妙子と綾子はお互いに仲良くしようとしている様子であり、お互いの長所は認めあっている。
 つまりこの映画では年長の世代に比べて、若い世代のほうが新しい文明の影響を受けて開化され、啓蒙されてより高次の人間性を身につけているという描き方がされているようである。新しい世代のほうがより大きな可能性を持っている、それは啓蒙の結果であるという考えはきわめて啓蒙主義的に思われる。
 もちろん、われわれはそのような啓蒙主義を客観的に批判することはできる。しかし、衣笠という一方で前衛的・実験的な作品を世に問い、他方で商業的に成功した娯楽作品を何作も作りえた、さらにその集大成として、『地獄門』でカンヌ映画祭のパルム・ドールを得た作家の戦後における出発点がこのような啓蒙主義であったことは注目に値するように思われる。

 衣笠はまた新派の女形としての前歴から江戸・明治の社会と文化について深い理解を持ち、その雰囲気を再現することに長けた作家でもあった。この作品では明治中期の古いものと新しいもののせめぎあいの様相を描いているが、とくに面白いのはホテルが雇っている音楽隊が盛んに「ジョージア行進曲」を演奏していることである。これはアメリカの南北戦争の際の歌だそうであるが、日本では大正時代に「東京節」とか「パイのパイのパイ」という題名の替え歌で親しまれた曲であり、この歌が何度も演奏されているところに、監督である衣笠の遊び心が現われているとみることもできよう。そして監督の遊び心を登場人物の誰がいちばん体現しているかを見ていけば、この作品の結末と、作者の意図とが読み取れるはずなのである。

 音楽といえば、この作品の枠の部分に滝廉太郎の『箱根八里』が使われているが、この歌が小学唱歌として発表されたのは明治33年(1900年)のことであるが、物語の中ではなくて、枠の部分で使われているので、よしとしておこう。
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