ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄篇』(11‐2)

8月17日(月)雨が降ったりやんだり

 ウェルギリウスに導かれながら煉獄山を登るダンテはこの山の急な斜面の最初に現れた台地(山を取り巻く第一環道)に達する。ここでは魂たちが高慢の罪を贖っている。ここでダンテは旧知の細密画家オデリージ・ダ・グッビオ(?-1299)に出会う。彼は生前、自分の浮ついた名声に胡坐をかいて、より優れた才能が後から現れていることに気付かなかったために、ここで高慢の代価を支払っているという。彼の名声はフランコ・ボロニェーゼのそれに取って代わられたが、それもいつまで続くかはわからない。そして細密画以外の領域においても同じようなことが起きている。

チマブーエは確信した、絵画界で
天下をとったと。しかし今やジョットが覇を唱え、
ために彼の名声はかすんだ。
(168-169ページ) チマブーエは本名チェンニ・デ・ペーポ(1240-1303)。この時点ではまだ生きていたから、そのうわさが語られているだけである。チマブーエはフィレンツェ出身の画家で、ビザンティン様式の影響を受けながら、それまでの非現実的な絵画を克服して、現実の観察をもとに生き生きとした描写を最初に行ったといわれる。
 ジョットと呼ばれるジョット・ディ・ポンドーネ(1266-1337)は、自身優れた画家であり、ルネサンス時代の多くのイタリアの画家たちの列伝を著したヴァザーリによれば、少年時代に父親の家畜を見張っている際に、地面に描いた落書きがあまりにも精妙だったために、それを見かけたチマブーエが自分の弟子にしたという。絵画に奥行きを導入して遠近法の表現に道を開き、人物のモデルに市井の人々を用いて絵画の色彩を一変させた。つまり後にルネサンス芸術と呼ばれる運動の先駆者となった。ヴァザーリは彼がダンテの親友であり、その肖像画を描いたとも記しているが、それは原さんの翻訳の注記には出てこない。ダンテが「中世最後の人」と呼ばれるのに対し、ジョットは「中世最後の、そして近代最初の画家」と呼ばれると子ども向けの西洋史の本で読んだ記憶がある。

 オデリージはさらに言葉を続けて、
同様に一人のグイドが別のグイドから
言の葉の栄光を奪った。だがおそらくは生まれているのだ、
二人ともをその巣から追い出すことになる者は。

この世のざわめきなど風の
ひと吹きにほかならず、今はこちらからそよぎ、今はあちらからそよぎ、
向きが変わるにつれ名を変えていく。

君が、年老いてから肉体を脱ぎ捨てたとしても、
『おまんま』や『お金』といった幼児語を離れる前に死ぬのと比べて、
どれほどの名声を保っているだろうか。

千年後には、その千年ですら、
永遠を前にすれば、天空の中でも最遅の速度で動く円周に
比された瞬(まばた)きより短い間だというのに。
(169-170ページ)と歌う。最初に登場するグイドはグイド・グイニツェッリ(1235頃‐76)、ダンテが属していた詩派である清新体派の創始者、「別のグイド」と呼ばれるのは清新体派の当時の第一人者であったグイド・カヴァルカンティ(1255-1300)のことである。「言の葉の栄光」というのはラテン語に対し、生れつきの言語とされた「俗語」における詩作の栄誉である。この2人に取って代わるものと予言されているのは、ダンテ自身のことだとする説が有力。ここでそのように歌っても、それは高慢の罪を犯したことにならない――かどうかについては、原さんの翻訳の解説を詳しく読んでほしい。
 ここでは同時代の文学に対するダンテの評価とともに、彼の言語感覚の鋭さにも注目しておく必要があるだろう。幼児語について触れている点が特に興味深い。また講談社学術文庫版の巻末に収められている原さんのカヴァルカンティ、ダンテ、ペトラルカについての論考も読んでほしい。清新体派と呼ばれる人々の作品は恋愛を哲学的に論じたものが多く、原さんはカヴァルカンティとダンテの哲学的な違いについて強調しているが、それ以上にダンテがその詩の主題を恋愛からより広い世界に広げ、単に哲学的であるだけでなく、リアリスティックな現実描写によって自分の思索を補強していることに注目すべきであろう。(ダンテが自分の詩の社会的・倫理的な性格について想定していたことは、原さんも指摘している。)
 「天空の中でも最遅の速度で動く円周」というのは第8天空である恒星天。ダンテは天動説に従って『神曲』の世界像を描きだしている。

君ら人類の名声とは草の色。
萌えては褪せる。それを枯らすのは、
地面に若葉を茂らせるものだ。
(170-171ページ)とオデリージは続ける。この詩行に続いて、第11歌の最後に言及されるのは、プロヴェンツァーノ(プロヴェンツァン)・サルヴァーニ(1220-69)というシエナ商人であり、その財力から都市における権力を獲得し、神聖ローマ帝国の皇帝の命令をも無視するようになったという高慢の罪を犯した。
 そして漠然とした形でではあるが、オデリージはダンテがこの旅を終えた後にたどる運命について、予言めいたことを語る。権力の座から失墜し、他人の善意に縋って生きなければならなくなる運命はダンテ自身にも訪れるものであった。

 ダンテが第11歌でチマブーエに代わってその弟子のジョットが絵画における第一人者として広く認められるようになったと歌っている個所はとくに有名で、しばしば引用される。チマブーエに代わってジョットが、2人のグイドに代わってダンテが、あたらしい芸術の担い手になっているというのは、単に若い世代が台頭しているというだけでなく、より現実を詳しく観察し、表現するものが師事を集めているという芸術哲学の変化についての議論である。もちろん、芸術(そして思想)表現の歴史はある方向に向かって絶えず前進するというような単純なものではない。しかし、社会の転換期にあたって、リアリズムの偉大な表現者が現われたという事実には注目しておく必要があるのではないだろうか。
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