招かれざる客

3月10日(日)晴れ後曇り

 このブログを始めてからこれが100番目の記事である。ささやかな記念として、3月8日にNHKBSプレミアムで見た『招かれざる客』について考えたことを書いておきたい。

 最近は大画面になったとはいっても、TVの画面で映画を見るのはあまり好きではない。途中から見るのも嫌である。映画は最初から最後まできちんと見たい。『招かれざる客』(Guess Who's Coming to Dinner, 1967)はTVで途中から見たのだが、それでも批評を書いておこうと思った。そのくらい自分の中で重要に思われる作品である。映画が公開されたときに大学生だった私は劇場ではなく試写会で見たという記憶があるが、その後、繰り返してみる機会がなかった。繰り返し見ることで自分の考えが膨らんでいくという性格の映画だけに、返す返すもそのことが残念である。

 スタンリー・クレーマー(Stanley Kramer, 1913-2001)はアメリカを代表する映画製作者、監督の1人であり、製作者として『真昼の決闘』(フレッド・ジンネマン監督)、監督として『手錠のままの脱獄』(1958)、『渚にて』(1959)、『ニュールンベルク裁判』(1961)、『おかしな、おかしな、おかしな世界』(1963)、『愚か者の船』(1965)、『サンタ・ビットリアの秘密』(1969)などの作品を手掛けている。他の映画作家が避けるようなテーマを扱う問題作が多く、人々の良心に訴えかけ続けた作家として知られる。このような一連の作品の中で、『招かれざる客』はクレーマーの作家としての活動の頂点に位置する作品ではないかと思う。

 サンフランシスコで新聞社を経営するマット・ドレイトンとその妻クリスティーナの娘ジョアンナ(ジョーイ)が結婚すると言いだす。その相手は国際的に活躍する黒人医師のジョン・プレンティスで、最初の結婚相手と子どもを交通事故で失ったという過去を持つ。最初は当惑したクリスティーナであるが、ジョーイのひたむきな態度に結婚に賛成するようになる。これまで人種差別に反対する論陣を張って来たドレイトンであるが、娘とジョンの将来に待ち受ける困難を考えると結婚には賛成できない気持ちになる。一家と信仰があるライアン司教はジョンとジョーイの結婚を祝福し、ドレイトンを説得しようとする。結婚の報告を受けたジョンの父母もロサンジェルスからやってきて、息子の相手が白人だと知って驚く。二組の家族の中で葛藤が生じる。夜には飛行機で外国に旅立つというジョンにジョーイも同行すると言いだす。夕食(ディナー)の席に着く人間が、ジョン、ジョンの両親、それにライアン司教と次第に多くなっていくが、その一方で時間は切迫している。その中の人間模様がウィリアム・ローズの脚本の中で巧みに描き出されている。

 ベトナム戦争と公民権運動が盛んな時代、古いものと新しいものとがぶつかりあって、社会が変化しはじめていた。この映画ではそのような大きな流れは話題として出てくるだけで、家庭の問題が前面に出ている。ドレイトンが安全剃刀でひげをそっている場面や、登場する男性がきちんとスーツを着ていることなど、古いアメリカの具体的な細部を感じる。ジョーイの友人の女性が同棲生活を経てやっと結婚したことを話題にするなど、白人同士、黒人同士の男女関係は変わりはじめていたのだが、それが白人と黒人の結婚ということになると話は別であった。アメリカ社会における人種問題を描いた作品はクレーマー自身の『手錠のままの脱獄』を含めてそれ以前からも作られていたが、問題を家庭の中に持ち込み、一般的な主張が自分自身の生活と矛盾しないか深く掘り下げている(ジョージ・スティーヴンスの『ジャイアンツ』では主人公の息子がメキシコ人女性と結婚しているが、登場人物の内面にそれほど深く入り込んでいるようには思えない)点が画期的である。

 その一方で、ドレイトンの家庭にもティリーという黒人のメイドがいて、彼女がジョンを全く信用しないことも物語の中で重要な要素の1つになっている。『招かれざる客』と同じ年に作られ、同じくシドニー・ポアチエが出演しているダニエル・マン監督の『愛は心に深く』が黒人のメイドが辞めると言いだして困惑する家庭を描いていたことを忘れてはならない。昨年公開された『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』は公民権運動を背景に、白人の女性の社会と黒人のメイドの世界とを対比的に描きながら、問題をより深く掘り下げ、アメリカの映画づくりの進化を感じさせていた。

 だから『招かれざる客』という映画を全面的に賛美する気は起きないのだけれども、人種問題に取り組み続けるアメリカの映画人の取り組みが、着実に成果を上げていること、その中でこの映画が大きな地位を占めていることを強調しておきたいのである。

 出演者ではドレイトン夫妻を演じているスペンサー・トレーシーとキャサリン・ヘップバーンの演技が素晴らしい。これが遺作となったスペンサー・トレーシーには心なしか衰えが見えるようにも思われるが、主人公の心理的な葛藤をよく表現しているし、キャサリン・ヘップバーンがこの作品でアカデミー主演女優賞をとったのは当然のことであろうと思う。またライアン司教を演じたセシル・ケラウェイもアカデミー助演男優賞にノミネートされた。これもなかなかの名演である。『野のユリ』でアカデミー主演男優賞を受賞し、この年はこの作品以外にも『愛は心に深く』、『夜の大捜査線』と話題作に出演が続いたシドニー・ポアチエであるが、スペンサー・トレーシーとキャサリン・ヘップバーンに比べると貫禄不足という感じは否定できない。

 『招かれざる客』という映画を見たことで、大学時代から現在に至るまでの社会の変化と自分の生活の変化についていろいろと考えなおすことができた。そのすべてをここに書いた訳ではないが、考えさせられたという点に意義があると思う。書き残したことについては、また機会を見て書いていくことにしよう。  
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