加東大介『南の島に雪が降る』(4)

8月15日(土)晴れ

 1944年(昭和19年)11月3日、大阪を出港してちょうど1年目のこの日に、演芸分隊の第1回正式公演が行われた。まだ劇場が出来上がっていないので、将校集会所を会場として使用した。その時のプログラムは
① 歌謡曲 コロンビア歌手 及川一郎(今川一等兵)
② 落語 市川莚司(加藤軍曹→加東大介)
   前進座の舞台に立っていたときの芸名で落語をやるというのも何かおかしいと加東は書いている。
③ 手品 如月寛太(青戸兵長、前回に触れたが実はニセモノである)
④ 物語 市川莚司
⑤ 漫才 吉田富士男(見習い軍医)
       東勇(篠原曹長)
⑥ 踊  花柳五郎(前川一等兵)
⑦ 音曲 杵屋和文次(叶谷一等兵)
 叶谷の芸名は本物だが、あとは自分で勝手につけたものである。小原上等兵が腕を振るって仕上げた緞帳が本格的なもので、一座の貴重な財産となった。
 「――第1回の公演で、わが演分にもスターができた。・・・それは立女形の前川一等兵と、三味線という郷愁をそそりたてる武器を持った叶谷だった。特に、女装の麗人は、人気を一手に集めた。」(123ページ)

 第1回の公演が好評ですぐに第2階の準備に取り組むことになる。しかも演劇評論家だった顧問格の杉山大尉の助言で今度は芝居に取り組むことになる。まだ、芝居をするのは無理かもしれないが、とにかく隊員を訓練してやってみようというのである。そこで分隊員たちに芝居のABCを教える稽古が始められた。と同時に座員の二次募集を行った。芝居をするという噂を聞きつけてムーランルージュの脚本家だった門馬実善一等兵がやってくる。彼の話では高射砲の部隊に中山上等兵という、関西の辻野良一劇団という剣戟一座の座付役者がいるという。そこで問い合わせてみると、病気が重態で寝込んでいるらしい。これは大変とすぐに入院させるように手配を行う(このおかげで中山は生きて日本に帰国できるのである。まさに芸は身を助けである)。また浪花節に合わせて所作を行う節劇の役者だったという蔦浜一等兵という二枚目がやってくる。普通の芝居には不向きだからと断るのだが、一からやり直すというので採用を決める。

 午前中は農耕、午後は劇場の建設工事、夜が次の演目の準備と”日常訓練”という忙しい日々を送る中で、しばしばあちこちの部隊からお座敷がかかる。演芸分隊の食料は乏しいので、このお座敷でもらう祝儀の食料を当てにしなければならないという事情もあり、二手に分かれて出かけるようになった。
 そのうち、女形の前川上等兵(進級)の人気が高くなり過ぎた。「カツラをかぶり、キモノをまとった前川は日本の象徴だった。色恋ではないのだ。女装をした前川には内地があった。だから、取り合いは必死だった。」(136ページ、ここは「必至」のほうがいいのではないかとも思うのだが、「必死」と書いたほうが適切に思われる確かにある。) 前川の取り合いで部隊間に波風が立つことを心配した村田大尉の配慮で「支隊司令官付」に転属することになる。

 1945年(昭和20年)2月に第2回の公演が開かれる。例によって歌謡曲と踊りもあったが、門馬上等兵が書いたマゲ物喜劇<うかれ捕物帳>が上演された。配役は
 目明し莚司・・・市川 莚司(加藤)
 乾分・八公・・・杵屋和文次(叶谷)
 松平伊豆守・・吉田富士男
 家老・・・・・・・・東    勇(篠原)
 寛 左門・・・・・如月 寛太(青戸)
 浪次(芸者)・・花柳 五郎(前川)
 藪医者・・・・・・市川鯉之助(蔦浜)
 群衆A・・・・・・及川 一郎(今川)
  〃 B・・・・・・塩島 茂
         ×     ×
 浪曲口演・・・・真野狩亭虎太郎(日沼)

 この芝居をもって各部隊を巡回している時に、たまたま長谷川伸の戯曲集が手に入る。そこで第3回の公演では『瞼の母』を上演することになる。「戦地にいて、一番考えるのは、国のお袋のことですものね」(142ページ)というのが加東の実感でもあった。

 そのうち突如として、深堀少将に無電で転属命令が届いた。この噂が伝わってきたころに、加東は小林参謀に呼び出される。深堀少将が転属にあたり、加東と前川を連れて行きたいとの意向を示しているというのである。受けるか受けないかは本人の意思に委ねられている。司令官についていく方が生き残れる可能性は大きい。しかし、加東が去ってしまえば演芸分隊はやって行けなくなるだろう。しばらくの猶予を貰った加東は、ほぼ完成された劇場の木でできた舞台を踏みながら考えて、マノクワリに残ることを決心する。

 深堀中将(転属と同時に進級)は出発前に『瞼の母』の出来上がっている部分だけの上演を見て去っていく。この上演は中将に従って転属する前川の引退興行でもあった。マノクワリの将兵のあこがれの的であった前川の転属は全将兵にショックを与えた。あくる日、深堀中将と小林参謀ら数人の幕僚、前川はマノクワリを去っていく。
 「海岸沿いに進んで、昼はジャングルのなかにひそみ、夜だけ舟を走らせながら、飛行機のあるところまで、何日もかかってたどりつく行程であった。」(148ページ)
 この箇所を引用したのは、さらに悲惨な戦局を描いた映画『野火』に同じような行動を描く場面があったからである。すでに戦局の主導権を完全に奪われても、まだ戦闘をやめないのは愚かであり、どこかねじが外れている。

 一座の立女形がいなくなって窮地に陥った演芸分隊は新たな女形要員を探さなければならなくなる。分隊の中では三味線の叶谷とテーラーの斎藤が使えそうなので、女形に仕込むことにした。
 その頃、イモばかり食べていたのでは抵抗力がなくなるということがわかり、各隊ではトウモロコシをつくりはじめていた。ところがうまくいく隊と、いかない隊がある。うまくいった隊では収穫祭をやる。そこへ演芸分隊が正体を受け、御馳走になる代わりに、アトラクションを提供することになる。
 第6中隊ではトウモロコシがうまく実らせたので、収穫祭を行った。そこで隊員たちが盆踊りをした中で、長束上等兵が女形として使えそうなので、隊長と交渉して転属させてもらう。しかも彼は本業が床屋であった。さらに農業の技手として働いていた軍属の斎木を転属させる。芝居をすることを渋っていた斎木であるが、やがてその魅力に惹かれるようになる。

 1945年(昭和20年)4月29日、その頃は天長節といったその日に「マノクワリ歌舞伎座」が開場した。御大層な名前ではあるが、みんなが望んでつけた名前である。マノクワリに2台しかない発電機のうちの1台が、深堀中将の言い置きで、ここに備え付けられた(もう1台は司令部にあった)。本職の電気屋がいたので、舞台照明は整っている。
 公演は「及川一郎とマノクワリ楽団」の”歌と軽音楽”から始まり、杵屋和文次の音曲、真野狩亭虎太郎の浪曲と続いて、いよいよ『瞼の母』が演じられた。配役は
 番場の忠太郎・・・・・・市川莚司
 水熊女将・お浜・・・・・東   勇
 娘・おとせ・・・・・・・・・・杵屋和文次
 料理人・善三郎・・・・・如月 寛太
 博徒・金町半次・・・・・市川鯉之助
 半次の母・・・・・・・・・・塩島   茂
 半次の妹・・・・・・・・・・斎藤弥太郎
 博徒・宮の七五郎・・・日沼長四郎
 〃  突藤の喜八・・・及川 一郎
 浪人・鳥羽田要助・・・市川鯉之助
東勇(篠原曹長)の女形がその熱意を反映して役に備わった貫録すら見せるようになり、カツラ師から役者兼業になった塩島が老けの女形をこなしたのも驚くべき進境であった。幕が開くと、
「そこには、なつかしい内地があった」(162ページ)。
 観客は障子の白さに目を瞠り、柿の実やなだらかな山で表現された日本の秋にその目をくぎ付けにした。美術担当の小原の熱心な作業の成果である。
 「舞台には長火鉢さえあった。これだけは、演芸分隊の手に負えないので、司令部にたのんで、求人募集をしてもらった産物である。たまたま、本職の指物師が応募してきた。こっちもありがたかったが、、その兵隊も、
「いやあ、こんなところで、長火鉢を作らせてもらえるとはねえ」
と、ほくほくしていた」(163ページ)。
 やってみると、装置に使うのがもったいないほど、本格的な長火鉢を作る。舞台装置なんだから、そんなに丹念に造らなくてもというと、「これをやってるあいだだけは、戦争を忘れられるんでさ」(164ページ)という答えが返ってきた。出来上がった長火鉢を囲んで、演芸分隊の面々はしんみりしてしまう。

 「――私たち出演者にとっては、いささか心外なことに、この序幕はもっぱら背景が主役の形であった」(165ページ)。観客たちは久しぶりに日本を思い出したのである。

 公演はさらに青戸主演の『軽喜劇 金ちゃん』を上演して終わる。しみじみと泣いた後の喜劇は気楽に楽しめるものであった。この日からずっと、マノクワリ歌舞伎座はほとんど1日も休まずに公演を続けることになる。

 日本から遠く離れたニューギニアのあまりにも違う風土の中で、故郷での普通の暮らしを懐かしむ将兵の姿が印象的であり、久しぶりに自分の本職に戻ることができて「戦争を忘れられる」喜びに浸る職人の話が感動的である。自分の故郷の風景や、日常の暮らし、仕事に愛着を持てない人間が多くなっているから、日本を戦争ができる普通の国に戻そうなどという政治家を支持する人が少なくないのかなと思ってしまう。普通の人の普通の暮らしと、戦争とは相反するものだと、あらためて思う。

 昨日(8月15日)、作業の途中で寝てしまい、更新が1日遅れとなった。しばらくはこの状態が続きそうであるが、ご容赦ください。
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