『太平記』(57)

8月8日(土)曇り

 元弘3年(1333年)閏2月、3月に六波羅勢は摩耶城に立て籠もる赤松勢の討伐に向かったが敗退、3月には逆に赤松勢が京都に迫り、いったんは洛中に侵攻したが、撃退され、山崎・八幡に陣を置き、西国との連絡・補給を遮断して六波羅を苦しめた。3月28日に、比叡山の衆徒が法勝寺で六波羅勢と戦って敗退した。

 六波羅勢は赤松勢、比叡山の衆徒たちの攻撃を撃退してきたが、決定的な勝利を得ることはできず、比叡山が再び六波羅攻撃の準備をしていると知って、懐柔策に出て、荘園を寄進する。このため山門における議論も、幕府の味方をするものがまた勢力を盛り返したために、まとまらなくなってきた。

 八幡・山崎に陣を張っていた赤松勢は、これまでの戦いで兵力を減らし、1万騎に満たない軍勢になっていたが、武家方の軍勢は一、京都の防御体制は大したことがないと判断をして、7,000余騎を二手に分け、4月3日卯の刻(早朝6時ごろ)にまたもや京都へと押し寄せた。一方の軍勢は関白二条良実の孫で、大塔宮の執事であった殿法印良忠、中院中将定平を大将として、伊東、松田、頓宮(はやみ)、富田判官の一党、現在の大阪府枚方市内に相当する真木・葛葉のあぶれ者(=ならず者)たちを射手にして総勢3,000余騎が伏見、木幡に火を放ち、鳥羽、竹田から押し寄せる。もう一方の軍勢は赤松入道円心をはじめとして、赤松の一族である宇野、柏原、佐用(さよ)、真島、得平、現在の岡山県和気郡和気町衣笠の武士である衣笠、岡山県英田郡にいた菅原氏の血を引く一党総勢3,500余騎で、京都市西京区川島、桂に相当する一帯に火を放ち、西の七条から攻め寄せる。

 六波羅の2人の探題はこれまでの軍に勝利を収めてきたことで、士気は上がっており、3万余騎の兵力が計算できるために少しも慌てる様子は見せなかった。比叡山は再び幕府支持に方針を変えたとはいうものの、油断はできないと近江守護佐々木時信、常陸前司の小田時朝、長井縫殿(ぬい)に3,000余騎を率いさせて鴨川と高野川の合流地点、下鴨神社の一帯である糺河原に差し向けた。また3月12日の戦闘で戦功をあげた河野・陶山に5,000余騎をつけて、前回活躍した法性寺大路に派遣した。石川県石川郡野々市町に住んでいた富樫、同じく白山市に住んでいた林、越前(福井県東部)の守護であった島津、広島県竹原市に住んだ小早川の一族にその他の国々の兵6,000を委ねて、西八条、東寺方面を守らせ、備前(岡山県)の守護であった加治源太左衛門尉、隅田、高橋、糟谷、神奈川県平塚市土屋に住んだ武士である土屋、阿波(徳島県)守護である小笠原に7,000余騎をつけて西七条口へと差し向けた。そのほか、戦局に応じて支援に加わる兵力として六波羅に1,000余騎の軍勢が控えていた。

 その日の巳の刻(午前10時ごろ)から絵か所で両軍の戦いが始まり、兵力を交替させながら戦った。赤松勢は騎馬の兵が少なく、徒歩の射手が多いので、小路小路を塞いで盛んに矢を射掛ける。六波羅勢は騎馬の兵が多く歩兵が少ないので、相手を蹴散らしながら包囲していこうとする。両者ともにさまざまな作戦を繰り出して戦ったので、なかなか勝負はつかない。

 夕方近くなって河野・陶山が300余騎を率いて猛攻撃を掛けたために、木幡に陣を張っていた赤松勢3,000余騎が踏みとどまることができず、宇治へと退却した。陶山と河野は深追いをせずに、竹田河原を斜めに横切って鳥羽殿の北の門を迂回して作り道へ出て、東寺周辺の赤松勢を攻撃しようとする。赤松勢はふりを悟って、京都府向日市寺戸のあたりを指して敗走していく。

 小早川と島津は東寺周辺にいた敵と戦っていたが、河野・陶山に敵の第一陣を追い払われて、味方に後れを取ったことが悔しく思われ西七条に押し寄せてきた敵と戦って手柄を立てようと西の朱雀へと向かう。ここにいたのは赤松円心の率いる3,000余騎で、一番の精鋭がそろっていてそう簡単に負けるような相手ではなかったのだが、横合いから河野・島津が襲い掛かってきたことで、それまで戦っていた六波羅の兵が元気を取り戻して、さかんに攻め立てたので、赤松勢の陣形は崩れて、危なくなってきた。

 ここに登場した武士たちの姓を見てゆくと、その後の時代に活躍した氏族がいくつか見いだされる。その一方で小早川氏が源頼朝に挙兵の時から従った土肥実平の子孫であるというように過去とのつながりも認められる。そんなことからも『太平記』が歴史の過渡期を描いた文学作品だということを窺い知ることができる。騎馬武者の多い六波羅勢と徒歩(かち)立ちの兵士たちが多い赤松勢という対比も、古い勢力と新しい勢力とがそれぞれ独特の戦法をもっていることを示しているようである。赤松円心が決して多くはない兵力で京都を攻め続けるのは戦術的に正しいかどうか疑問に思われる。ただ、その攻撃の背景には大塔宮護良親王のご意向が何らかの形で反映しているのかもしれない。
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