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前田速夫『「新しき村」の百年 <愚者の園>の真実」(2)

12月1日(金)曇り

 武者小路実篤が日向で「新しき村」を始めてから、来年(2018年)11月には100年を迎える。この間、昭和14年(1939)に村の主力が埼玉県入間郡毛呂山葛貫に移るという変化はあったが、現在でも「村」は存続している。ただしその現状はかなり厳しいものがあり、打開策を講じる必要がある。
 「新しき村」の源流は武者小路実篤を中心とする同人雑誌『白樺』にある。その同人たちは、夏目漱石らの先行世代から「個人主義」の思想を学びながら、自然と人間の本性の皇帝、個人主義に基づく文芸運動を展開していった。

 『白樺』派の特徴の1つは、総合的な思想運動であり、文学だけではなく美術、工芸にもその影響を及ぼしたことである(私などは、「新しき村」は別にすると、こちらの方に受けた影響の方が大きい)。武者小路と学習院で同窓だった人々の他に、多くの若い洋画家、彫刻家、工芸家たちが集まってきた。岸田劉生、高村光太郎、山脇信徳、南薫造、斎藤與里、梅原龍三郎、富本健吉、津田青楓、木村荘八、河野通勢、中川一政、椿貞雄、バーナード・リーチ… 錚々たる顔ぶれである。「《白樺》は、文芸誌であると同時に、有力な美術誌であった。」(33ページ)

 特に武者小路は、海外や日本の多くの著名な画家を本格的に紹介、あるいは再評価した。彼が激賞したのはダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、デューラー、ルーベンス、レンブラント、ゴヤ、ブレイク、ミレー、セザンヌ、ロダン、ゴッホ、ルオー、ピカソ、さらに牧谿、梁楷、石濤、八大山人、雪舟、大雅、鉄斎と多岐にわたり、「画家としての本気度、天才性、作品の普遍性を、ずばり指摘して…我が国の画壇に新鮮な息吹を吹き込んだ。」(34ページ) 
 注記しておくべきは、武者小路が無邪気に天才を賛美したというわけではなさそうだということである。むかし、ある文学教室で江口渙が芥川龍之介の思い出を中心に話したついでに、武者小路がイタリアでダ・ヴィンチをはじめとするルネサンス期の絵画に圧倒されて、何歩か後ろに下がったところ、ティツィアーノのヴィーナス像に何重にも絵の具が塗ってあることに気づき、やはり努力だと思いなおしたという話を聞いたことがある。武者自身が「勉強、勉強、勉強、勉強のみよく奇蹟を生む」と何度も揮毫していることを忘れてはなるまい(くどくなるけど、この色紙の複製を私も持っている)。

 急ぐ旅ではないので、脱線ついでにもう一つ思い出を書いておく。阪急梅田駅近くの古書街「かっぱ横丁」で武者小路の色紙を飾っている店があったので、これは売るのであればいくらくらいかと聞いたところ、今、主人がいませんのでわかりません、お急ぎでなければお待ちくださいといわれ、それが急ぐので…と店を出て歩いていくと、別の店に三島由紀夫が王安石の言葉を印した色紙が飾られていた。うーん、先輩も後輩も字が下手だねぇと思ったのを覚えている。そういう私は、学習院の卒業生ではないが、やはり字は下手である。(字が下手だから、却って武者小路に共感するものが多いということかもしれない。)

 特にロダンと直接交渉をもち、彼に浮世絵を送ったところ、返礼として3つの小さな銅像を贈られたというのは武者小路と『白樺』派の大きな功績である。

 文学同様、美術の世界においても、作品の評価や芸術のあるべき姿をめぐって武者小路は自説を曲げず、時として激しい論争を行った。気になるのは木下杢太郎との論争である。前田さんは俗衆の理解を求めなければ芸術の理解は広がらないだろうという木下に対し、俗衆を意識した芸術など認めたくないと反論した武者小路の立場を肯定しているようであるが、私はどちらかというと木下の方が広い世界を視野に入れているのではないかと思う。19世紀のヨーロッパにおける芸術論は「人生のための芸術」と「芸術のための芸術」の論争史であるが、その中で大衆(木下と武者小路の言う俗衆)の位置づけは重要な役割を演じている。木下の方がそういう文脈は理解していたのではないかという気がしてならない。武者小路と『白樺』派の立場は、彼らがトルストイを尊敬していたことから見ても、「人生のための芸術」であるはずなのが、そこで「俗衆」を切り離してしまうと、「人生」のかなりの部分が見失われてしまうことになりかねない。芸術の思想史的な背景を視野に入れずに、自分の主観だけで取捨選択を行っていくことは、思いがけないつまずきをもたらすかもしれない。

 理想主義的で、断定的な武者小路の言説は、また『白樺』の影響は、東京の文壇や画壇だけでなく、全国に広がっていった。その典型例が信州で《信州白樺》派の運動が展開することになる。以前にも書いたが、私の友人・知人で、その父親が《白樺》の共鳴者だったというのが2人もいる。特に小学校の先生たちの間で『白樺』派の影響が大正を越えて、昭和にまで及んだことを私なりに身近な経験から理解しているつもりなのである。
 小学校の先生たちの間で、『白樺』派の影響が強かったのは、武者小路たちの言っていることがわかりやすく、説得力に富んでいたためであろうが、世の中は理想で押し切れるほど単純なものではないというのもまた半面の真実である。
 今回は、『白樺』派の思想とその影響力について、美術方面を中心に論じた個所の紹介となった。次回、いよいよ「新しき村」の発足の事情をめぐり考察することになるはずである。
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