『太平記』(126)

10月1日(土)曇り

 護良親王を勝手に殺害したこと、朝廷の許しを得ずに勝手に諸国に将軍としての御教書を進覧したことで、後醍醐天皇は尊氏への不信を強め、討伐の決定を下された。建武2年(1335年)11月19日、新田義貞は朝敵追討の宣旨を賜り、同日、官軍の大手・搦め手の軍勢は東海道と東山道を下って関東に向かった。鎌倉では、直義が兄尊氏に出陣を促したが、尊氏は天皇に恭順の意を示すべきだとして取り合わなかった。23日、直義は兄弟の母の兄である上杉重房、一族の細川和氏、尊氏の盟友佐々木道誉らの勧めで出陣したが、27日、三河国矢矧の合戦に敗れ、鷺坂、手越でも敗退した。

 義貞軍は数においては劣るものの朝敵討伐の錦の御旗を掲げ、士気が高く、ここまでは義貞の作戦もうまく当たって、連戦連勝、逆に鎌倉軍は肝心の尊氏がはっきりいないために、中心的な存在がおらず、気持ちばかり焦って、失敗を重ねてきている。この時代の戦いの常として、負けた方の軍から勝った方の軍にそのまま寝返るものも多く、義貞軍は雪だるま式にその勢いを増していた。義貞軍が伊豆の国府(三島)に到着した時には、佐々木道誉までが窮余の一策として一時的に義貞軍に投降したふりをしたほどであった。

「官軍、この時、足をもためず追つ懸けて寄せたりしかば、敵、鎌倉にも滞(たま)るまじかりしを、「今は何となくとも、東国の者ども、味方へ参らんずらん。そのうえ、東山道より下る搦め手の勢いをも、ここにてこそ待ため」とて、伊豆の府に逗留して、7日まで徒にいられるこそ、不運の至りとは覚えたれ」(第2分冊373ページ、官軍がこのとき進撃の勢いを止めず、追走を続けていれば、敵は鎌倉もささえられなかったであろう。〔ところが〕、こうなったら今更手を打たなくとも、東国の武士たちが味方に参ることであろう、その上、東山道より東へ向かった搦め手の軍勢をも待つべきであるといって、伊豆の国府に逗留を続けたことこそ、天運とは言いながら、まったくなさけないことである。) 義貞は優れた武将であったが、勝機を待ちすぎて逃してしまうことがあったようである。

 直義が鎌倉に戻り、すぐに尊氏の屋敷に出かけると、司法の門は閉じられ、まったく人気はない。これは大変だと、荒々しく門をたたいて、誰かいないかと呼びかけると、尊氏の側近の須賀左衛門という武士が出てきて、将軍は建長寺にお入りになって、出家されようとしています。お側のものが必死になって止めているので、今のところ髻を結ぶひもは切ってしまったものの、方位をお召しになるというところまではいっていませんという。なお、『梅松論』では建長寺ではなく、浄光明寺にこもっていたと記されているそうである。(周囲が止めているとはいっても、さっさと切ってしまえばいいのに、尊氏もまた恋にか、当然の成り行きでか、出家に時間をかけている。彼の伯父の上杉範房はこの時点で出家しているから、出家していることと、戦争に加わることは矛盾しないのである。)

 直義をはじめ、高、上杉の人々、これを聞いて、いよいよ軍勢の頼りとするものがなくなるだろう。どうすべきか」と慌てていると、範房の息子(尊氏、直義兄弟の従弟)である上杉重能が悪知恵を働かせる。将軍がたとえ出家されて、恭順の意を表されても、天皇のおとがめは避けられないということをお知らせして、出家の志を翻意させることが肝心である。そこで偽の綸旨を2,3枚作成して、将軍にお見せするのがいいだろうという。直義も承諾して、とにかく尊氏を翻意させてほしいというので、重能は蔵人発給文書に使用する薄墨紙を作らせ、筆の達者なものを呼んで、蔵人の筆跡に少しも違わずに、偽の綸旨を書いた。そこには尊氏、直義以下の一類は朝敵であり、たとえ「隠遁の身」であっても手加減せずに討伐せよと書かれていた。

 直義がこの文書を尊氏に見せると、尊氏は、こうなっては仕方がないと再び直垂と鎧を着用し、出陣の準備をする。(なお、『梅松論』では手越河原の戦いで直義が敗れたという知らせを聞いて、弟が死んでしまえば、自分が生きていても仕方がないと、戦いに赴くことを決意したという。(どちらが事実に近いかは、わからない。尊氏・直義兄弟の母の実家である上杉家は正室の儲けた子ではない兄弟にとって頼りになる家柄であったが、足利家、譜代の臣である高家、特にその家長の師直が尊氏との結びつきを強めると、尊氏=高、直義=上杉という対立図式ができてくるようになる。)

 とにかくこうして、尊氏が先陣に立つことが決まったことで、関東のどちらにつくかを決めかねていた武士たちが足利方にはせ参じることになり、その軍勢は30万余騎を数えた。

 護良親王を追い落としたのは確かに阿野簾子と共謀した尊氏であったかもしれないが、それを承認したのは後醍醐天皇であり、実際に手を下して殺害したのは直義である。この後、護良親王の怨霊は物語の後続部分に何度となく登場するが、恨みの対象となっているのは尊氏ではなくて、直義である。尊氏はこれまでのところ弟思いのいい兄さんで、弟のおかげで損ばかりしている。逆に言うと、汚い仕事は全部弟が引き受けて、兄に傷がつかないようにしている、直義の方が兄思いのいい弟だといえるのかもしれない。
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