行方昭夫『英会話不要論』

11月1日(土)雨

 10月31日、行方昭夫『英会話不要論』(文春新書)を読んだ。ラジオの『入門ビジネス英語』、『攻略!英語リスニング』、『実践ビジネス英語』というような番組を聴いていて、さらに『ラジオ英会話』と『ワンポイント・ニュースで英会話』も聴こうというしている人間が、その一方で『英会話不要論』を読むというのは矛盾ではないかと思う向きもあるかもしれないが、そうではない。

 この書物の題名は極端な表現になっているが、英語教育、とくに学校での英語教育の中で会話の教育に過度の期待をし、また過度の強調を置くことは間違っており、このような動きを推進している政府の政策と、その背後にある世論に待ったをかけて、再考を促そうというのが趣旨である。中・高等学校の現場での英語教育の実態を詳しく調べることなしに、会話重視を叫ぶことの問題点を指摘する声が、英語教育関係者の少なくとも一部からあげられて来たが、この書物もその流れに乗るものである。著者は東大などいくつかの大学で長年英語教育に携わり、ヘンリー・ジェームズやサマセット・モームの翻訳者としても知られている。そういう英語の専門家としての意見である。

 中学から大学までの間英語を勉強したけれども少しも身につかない、とくに会話能力が低い、これはこれまでの学校での英語教育に問題があるという議論は、人々に支持されやすいが、そのような学校教育を受けてきた人々のなかでも英語が達者な人は少なからず存在する。それはそれぞれの人が彼らなりの努力を積み重ねた結果である。逆にいえば、「辛抱強く学ぶ意欲もないのに、また語るべき内容も持たないのに、何が何でも英語を喋りたい」(4ページ)というのが大方の願望であるとすれば、そういう英会話への期待は困ったものではないかというのである。

 第1部「英語と日本人」では、母語としての英語の習得と、外国語としての英語の学習とが同一次元で論じられないこと、日本の伝統的な英語教育にはそれだけの経験の蓄積があり、教育方法として優れた性格があって、その効果も即効的ではないが十分に認められてきたこと、小学校の3年生から英語を必修にしようとか、中学や高校での英語教育は英語を用いて行うべしといった文科省の方針が改善でなく改悪であると指摘する。また現在の中学、高校では、「文法と訳読だけの授業」は、平成に入ってからはもう行われていない、各種の機器が導入され、またALTが英会話を教えるように配置されるようになっている。さらにまた大学入試センター試験ではリスニングのテストが既に導入されていることなど、英語教育の実情は、英語教育改善論の前提するものとは大きく異なってきていると指摘する。そして、現状でも英語教育はかなり会話に重点を移してきていて、その効果がどの程度現われているかを測定することの方が重要ではないかとも述べている。
 英語教育をめぐっては、多くの人々が実情を知らずに放言している。帰国子女が皆ペラペラしゃべれるようになって帰国するというのは嘘だと著者は実例を挙げながら反証している。さらに英語教育の在り方に関する論争で、もっとも有名な平泉・渡部論争を紹介し、その問題点を分析している。著者によれば平泉は英語で学んだ力がすぐに顕在化することを期待し、渡部は潜在化すると考えているところが大きな違いであるという。学校における英語教育は潜在力を養うことに主眼があるという点で渡部の主張の方に同調しかけているが、潜在力がつくほど勉強している学生・生徒が少なくなっているという現状も見逃していない。(いわんや顕在力をやということである。) インターネットやメールが盛んになっているこの時代、多くの日本人にとって重要なのは読みの力であって、会話の力ではないということが再三強調されていることも見逃すべきではない。

 第2部「異文化交流の壁」では「外国人にとっての日本語の難解さを含めて、一般に、母語と隔たりのある外国語を見につけようとするとき、行く手を阻む、高く頑丈な壁を考察する。さらにまた「ネイティブはそうは言わない」という発言について真偽を問う。2008年に旺文社から発行された『オーレックス和英辞典』には英語母語話者への「自分ならいう」「言わない」というアンケート結果が掲載されており、それを見ると、英語話者の中でも意見の分かれることが多いことが分かる。(この辞書を、さっそく探してみるつもりである。) さらに終りの方に出てくる、ある国際会議で英語非母語話者たちが英語で議論していたところ、2人いた英語母語話者がなかなか理解できなかったというエピソードは私も類似の経験があって、いろいろ考えさせられた。

 英語に限らず、言語は環境に応じて変化を続け、それぞれの場面で個性的な意味をもつ。そういう言語に付き合っていくのには学校教育だけに頼るわけにはいかない。学校教育はおおもとの基礎のところをおさえればよいのであって(その基礎のところもまた変化するのであるが)、それ以上の期待をすべきではない。その意味で日本の伝統的な英語教育の方法の良さを改めて見つめなおし、その上での改善策を図っていくべきであろうというところで、この書物の主張にはだいたい賛成なのである。
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