2014年の2014を目指して(7)

7月31日(木)晴れ

 7月8日に横浜に戻ってきた。それで東京で過ごしたのが7日、横浜で過ごしたのが24日、1月からの合計では東京で過ごしたのが176日、横浜が36日ということである。

 7月は新たに杉並区と荒川区に足跡を記した。また横浜高速鉄道と横浜市営地下鉄を新たに利用、路線では総武・中央線、みなとみらい線、メトロ千代田線、東海道線、横浜市営地下鉄ブルーライン、横浜線に乗車、飯田橋、阿佐ヶ谷、新高島、千駄木、町屋、西日暮里、上大岡、新横浜の各駅で乗り降りした。

 ブログは33件を投稿、日記が6件、未分類が3件、外国語が4件、詩が3件、映画が3件、読書が13件、推理小説1件という内訳である。コメントを2通、205の拍手を頂き,トラックバックも2つあった。

 13冊の本を買い、10冊の本を読んだ。1月からの合計では90冊の本を買って、70冊を読んだことになる。読んだ本を列挙すると:
前田英樹『民俗と民藝』、原香苗『テキヤはどこからやってくるのか? 露店商いの近現代を辿る』、東海林さだお『ゆで卵の丸かじり』、カルヴィーノ『イタリア民話集(上)』、カルヴィーノ『イタリア民話集(下)』、馬田草織『ようこそポルトガル食堂へ』、山出保『金沢を歩く』、エイヴリー・エイムズ『チーズ専門店④ ブルーベリーチーズは大誤算』、プルタルコス『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』、高野秀行『イスラム飲酒紀行』である。

 見た映画は3本にとどまった。1月からの累計は40本である。見た映画は『果てしなき欲望』、『好きっていいなよ。』、『グランド・ブダペスト・ホテル』である。今年になって初めてラピュタ阿佐ヶ谷と109シネマズMM横浜で映画を見た。1月から入館した映画館の合計は18館である。

 FEI ART MUSEUM YOKOHAMAで「夏のうちわ展」を見た。1月からでは4つの展示を見ているが、金を払って見に出かけた展覧会が1つもないのが問題である。

 サッカーの天皇杯2回戦の横浜FC対カターレ富山の試合をニッパツ三ツ沢球技場で観戦した。

 NHKラジオのドイツ語、フランス語、イタリア語の講座をそれぞれ23回ずつ聴いた。1月からの通算ではそれぞれ82回、143回、143回である。7月はイタリア語に力を入れるつもりで関口・白崎「名作短編で学ぶイタリア語」を買って読み始めたのだが、引越しのため中断したままになっている。それでもこの4月からだと、イタリア語の進歩が一番目立ち、ドイツ語、フランス語の順ではないかと思う。ドイツ語も久しぶりに勉強しなおして、色々と学ぶ点が多いが、フランス語は停滞気味である。何とかしなくてはいけない。

 NHKカルチャーラジオ『聖地エルサレムの歴史』を4回分、『シェイクスピアと名優たち』を5回分聴いている。またEテレ「100分de名著」の『ファーブル 昆虫記』も4回分を視聴した。

 ノートを2冊使い切った。万年筆(ウォーターマン)のカートリッジを2本、パイロットのカートリッジを1本使い切っている。

 酒を飲まなかった日が12日とこれまでに比べて少なかったのは問題であるかもしれない。8月からまた気をつけるようにしよう。

 7月は引っ越しに加えて、その直後に伯母が103歳で老衰のため死去するなどかなりざわついた月になってしまった。それに篤さが加わってなかなか大変だが、まあよく頑張ってきたと思うことにしたい。 
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プルタルコス『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』(4)

7月30日(水)晴れ

 オシリスはエジプト人に文明をもたらした神であるが、その地位を奪おうとした兄弟のテュポン(セト)のたくらみによって殺害され、その遺体は海に流される。しかしオシリスの妻であるイシスが苦労して遺体を発見するが、テュポンは彼女のスキをついて遺体をバラバラに切断する。イシスはバラバラにされた遺体をすべて見つけてそれぞれに墓を造り、さらにオシリスを生き返らせる。オシリスとイシスの子どもであるホロスがテュポンと闘って打ち勝つが、彼を亡ぼすことはしない。

 この物語について、プルタルコスは神々にふさわしくない残忍さをもつとする一方で、人間の歴史上の出来事でもないと論じる。「テュポンやオシリスやイシスの話は、神々の受難でも人間の経験でもなく、鬼神とか半神とか呼ばれるダイモンのそれだと考える方がよいのです」(50ページ)との解釈を述べる。鬼神あるいは半神は神と人間の中間の存在と考えられる。さらに道徳的にも人間同様に美徳と悪徳の個人差がみられるという。イシスとオシリスは善きダイモンであり、テュポンは悪しきダイモンである。そしてその高い徳によって善きダイモンから神へと転身したと説く。そしていたるところで信仰されているという。

 さらにプルタルコスは、神の自然学的な説明としてオシリスは水、万物の発生の原因であり、テュポンは乾燥、水に敵対するものであるという。この点をめぐってはタレスへの言及(67ページ)とともに、ホメロスも水が万物の始原であることをエジプト人から学んでいたとしている。このあたり、どこまでがエジプト人やギリシャ人が本当に考えていたことなのか、プルタルコスが自分の頭でこじつけたことなのか怪しげな箇所が続く。ただ、雑談の種としては面白い話が多い。
 例えば、「エジプトの物語では、オシリスの死は月の17日のことあった、となっています。しかし17日と申せば、満月だった月がかけ始めているのがはっきりと見える日です。ですからピュタゴラス派の人々は、この日を「障害日」と呼び、この17という数を全く忌むべき数とみなします。そもそも17という数は、16という正方形数(つまり4×4)と18という長方形数(3×6)――この2つの数だけが、4辺を全部足し合わせた周囲の数と、その図形の中に囲まれる面積の数とが等しくなる平面数です――の間に介在し、8対8+8分の1の比率となって、両者が接続するのを妨げて切り離します」(81ページ)。

 神は善であるが、この世の中には悪も存在することをめぐり、エウリピデスの言葉を借りて
「善と悪とが別々にあるのではなく、
 両方が混ざり合ってちょうどいい加減になる」
(86ページ)という二元論的な世界観を述べている。さらにこの点と関連してゾロアストレス(ゾロアスター)の見解が紹介されているのも興味深い。この書物に出てくる多くの信仰は過去のものであるが、ゾロアスターの教義を信じる人は未だに少なからず残っていることも忘れてはなるまい。さらにプルタルコスはカルダイア人(バビロニア人、アッシリア人のこと)、ギリシャ人の世界形成論についても言及している。カルダイア人は水星・火星・木星・金星・土星のほかに太陽と月を含む7つの惑星が人間の誕生にかかわっていて(これが1週間の曜日と結びつくのであるが)、このうち2つが福星、2つが禍星、残る3つが中間であると考えていた。今ではどの曜日が福で、どの曜日が禍かわからなくなっていると訳注にある。

 プルタルコスによれば、「この世界の誕生も構成も、対立する力の混合によっております。両者は互角ではありません。善なるものの方が力をもっております。しかし悪の力が完全に滅びることはありません。宇宙の体にも魂にも悪の力が生まれながらに息づいていて、善の力に対して絶えず必死の戦いを挑んでいる」(93ページ)のである。それでも善の力の方が強いのは、知性と理性がその源となっているからであり、それはオシリスの働きであるという。これに対してテュポンは非理知的なものの象徴である。また「イシスは自然における女性的なものそのものでして、あらゆる種類の生殖の営みの受け手です」(98ページ)とされる。

 ここまで紹介してきたところからわかるように、様々な説話や学説が紹介されて、話題豊富に議論が展開されるのだが、イシスとオシリスが善きダイモンだといっておいて、その後で神になったという説明など肩透かしを食わされた感じがしないでもないし、それ以上にこれだけの説話や学説が一体何を基準として収集・整理され、ここに引用されているのか、まったく雑然とした知識の羅列の中に読者を置き去りにしているような印象も受ける。中には著者自身の勝手な解釈や想像が紛れ込んでいるのかもしれないとも思われる。プルタルコスを教師として見た場合、好奇心を喚起するという点では優れているが、その方向性を定めないという点では問題が残るのではないかという気がしてならない。エジプトの神話とギリシアの神話をどのように統一させて理解していくかにプルタルコスは苦心しているのだが、むしろ異質なものは異質なもの、別のものは別のものであるとはっきりさせた方がよかったのではなかろうか。

日記抄(7月23日~29日)

7月29日(火)だいたい晴れ

 7月23日から本日にかけて経験したこと、考えたことなど:
7月23日
 テレビ朝日の「マツコ&有吉の怒り新党」の「新・3大」のコーナーで、松田優作主演の連続TVドラマ『探偵物語』の「つい脱線しちゃう次週予告」が取り上げられていた。1970年代の初めの一連の日活作品の中で、長谷部安春、藤田敏八、澤田幸弘らの監督による一連の作品を「日活ニューアクション」と名付けて評価する動きがあったが、『探偵物語』はそれらの映画のスタッフが制作に加わっていたとのことである。松田優作の次週予告は作品の内容よりも、スタッフの紹介の方に力が<入って脱線を繰り返すことがおおかったという。「日活ニューアクション」がどこまで社会的に認知されていたか、また現在も記憶されているが、その作品群を同時代的に見ていただけでなく、大いに評価してもいたので、気になるところではある。

7月24日
 NHKカルチャーラジオ『生誕450年シェークスピアと名優たち』は「僕を彼女だと思って」という題名を掲げてシェークスピアの喜劇『お気に召すまま』を取り上げた。シェークスピアの時代にはまだ女優がいなくて、俳優の徒弟である少年俳優たちが女性の役を務めた。そのためか、女性が男装するという話がシェークスピアの作品には多く出てくるという話であった。実際には男性である俳優が女性の役を演じ、また男装するというのだから話はややこしくなり、そこに笑いが生まれてくる。今でも、『お気に召すまま』を男性俳優だけで上演する試みがなされたりするそうである。逆にいえば、宝塚でやってみてもいいのではなかろうかと思ったりして聞いていた。

7月25日
 NHKラジオまいにちドイツ語応用編でドイツの学校の休みSchulferienについての話題が取り上げられた。その中では夏休みdie Sommerferienが最も長く、6週間続き、そのほかにクリスマス休暇、イースター休暇などキリスト教の行事と結びついた休暇が設けられている。日本との大きな違いは休暇中の宿題がなくて、学期中と休暇中との区別がはっきりしているということだそうである。

 山出保『金沢を歩く』(岩波新書)を読み終える。「いつかは朽ちる建物と違って、道はよほどのことがない限り残ります。道は歴史の生き字引、何でもも知っている歴史の記憶装置なのです。歩けば、そこに歴史、自然、文化が詰まっています。金沢は、町全体が博物館です。金沢は、歩いて、見て、ふれて学ぶまちなのです」(3ページ)と金沢に生まれ、市役所に務め、さらに市長になった著者は記す。金沢には何度か出かけたことがあるのだが、街の雰囲気をゆっくりと味わう機会に恵まれたことがないのが残念に思われてくる。

7月28日
 関幸彦『「国史」の誕生 ミカドの国の歴史学』(講談社学術文庫)の中に命じの新政府が国家や皇室のために勲功を挙げた人物を盛んに発掘しては、位を与えたという話が出てくる。たとえば平将門を追討した藤原秀郷は明治16(1883)年に正三位を贈られている。俵藤太とも呼ばれる伝説的な英雄に対して、むしろ低い評価に思われないでもない。その一方で平将門を神として祀っている神社も複数存在することも記憶しておく必要がある。
 上田正昭さんがどこかで書いていたが、朝廷は神様にも位階を与える。そのたびに神社に勅使が向かうのだが、伝達役の勅使のほうが神様よりも位が高いということがある。でも、神様は怒らない…。「日本は神の国だ」といった元首相がいたが、神様が怒らないからいいようなものの、怒っても仕方がないようなことを我々は結構繰り返してきたのではなかろうか。日本の伝統信仰の場合、キリスト教やイスラム教に比べて神様に対する接し方はむしろ難しいのではないかと思っている。

7月29日
 NHKラジオまいにちドイツ語で
Holst du uns mal einen Schirm? (私たちに傘、取ってきてくれる?)
という表現が出てきた。この場合のmalは何か依頼をする際に、相手が押し付けられたような気持を抱かないようにするために加えられた語(話法の不変化詞)であって、訳語に反映させる必要はないとのことである。もう40年以上昔にトーキー初期のドイツ映画『制服の処女』(Mädchen in Uniform、1931)を見た際に、軍人の娘を教育する厳格な女子校で、教師たちが生徒に対して厳しく接している中で、若いベルンブルクという先生だけが生徒たちに話しかけるときにこのmalを使う。そのことが強く印象に残った。なお、この教師役のドロテア・ヴィークという女優であるが、レマルクの原作による『愛するときと死する時』の映画化作品(1958)をTVで見て、終わりのクレジット・タイトルを見ていたら、名前が出てきたので、もう少し丁寧に見ておけばよかったと後悔している。『制服の処女』は1958年に再映画化されて、この時は女教師役をリリー・パルマー、生徒役にロミー・シュナイダー、クリスティーネ・カウフマンという豪華な配役であったが、映画としての感動は薄かったようである(こちらの方は見ていない)。

 カルチャーラジオ『聖地エルサレムの歴史』で、古代の民族や都市国家の滅亡とともに、それらの民族や都市国家の神は滅びたのだが、ユダヤの場合、誰か、天才的な思い付きをした人がいた。自分たちが神の意志に添う行いをしなかったので、民族は滅びたのだ――それは神が自分たちに与えた罰なのだという解釈をすることで、ユダヤ人たちは自分たちの信仰を守り通すことができたという。たしかに類似した例を見つけることが難しい事例ではある。

高野秀行『イスラム飲酒紀行』

7月28日(月)晴れ
 
 高野秀行『イスラム飲酒紀行』(講談社文庫)を読む。
 
 「私は酒飲みである。休肝日はまだない」という弁明のような、居直りのような文句が繰り返される。各章の書き出しに出てくることもあれば、途中で思い出したように出てくることもある。

 「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」(29ページ)というモットーのもとに『西南シルクロードは密林に消える』、『アヘン王国潜入記』、『謎の独立国家ソマリランド』などの著書を書いてきた高野さんであるが、酒好きなのに「どういう因果か最近はイスラム圏に行くことが多い。目的地がイスラムの国であるほか、経由地がドバイやドーハというのもしょっちゅうだ」(11ページ)という。それでひたすら酒が飲みたいというだけの理由から「イスラム圏で酒のために悪戦苦闘を繰り返している」(25ページ)。「そして、実際に酒はどこでも見つかった。いつも意外な形で」(同上)。ということで、この書物は「イスラム圏における飲酒事情を描いたルポである」(同上)と高野さんは言う。。「飲酒事情を描いた」というほど密着して取材がされているわけではないが、飲みたい一心で酒のにおいを探り当てていく高野さんの執念と鼻の利き方は尋常なものではない。

 この書物は
ドーハの悲劇・飲酒編~序章にかえて――カタール・ドーハ
紛争地帯で酒を求めて――パキスタンからアフガニスタンへ
酔っぱらい砂漠のオアシス――チュニジア
秘密警察と酒とチョウザメ――イラン
「モザイク国家」でも飲めない!?――マレーシア
イスタンブールのゴールデン街――トルコ・イスタンブール
ムスリムの造る幻の銘酒を求めて――シリア
認められない国で認められない酒を飲む――ソマリランド(ソマリア北部)
ハッピーランドの大いなる謎――バングラデシュ
の10章から構成されている。すべてイスラム教徒が多数を占める国々の探訪記録であるが、取材で出かけた国、観光で出かけた国、訪問の動機は一様ではない。それでも酒に対する高野さんの執念は共通している。

 パキスタンでは医者の診断書があれば酒が飲めるという。ドクターストップならぬドクターゴー?である。「いいなあ、ドクターゴ―」(42ページ)と高野さんは独り言ちる。パキスタンの警官隊が講演でtんでんばらばらにのんびり寝そべっている。「パキスタンでは日本や西欧とは違った形で個人の自由がちゃんと尊重されているのだ。いや、それ以前に誰も個人を管理しようとしていないのだ」(49ページ)と高野さんは指摘する。アフガニスタンでは、ビールを飲もうと探していた中華料理店が爆破されてなくなっていることを知らされる。「いったいどういうことなのだ。官公庁や外国大使館や外国人用ホテルならまだしも、一介の中華料理屋が爆破されるなんて」(65ページ)。ようやく探し当てた別の中華料理店での出来事も興味深い。

 イランではスーフィーの若者たちと酒を飲んだり、同行のカメラマンが秘密警察に捕まって女性が移っている画像をすべて削除されたりする。マレーシアではポルトガル系の人々のたまり場のバーで開放感を感じる。シリアでたまたま出会った美人酒飲み女子学生サバちゃんの父親はダマスクス州の知事であった! 彼女はクリスチャンであり、中東の独裁国ではクリスチャンは意外に高い地位を与えられていることに高野さんは気付く。イエメンとソマリランドでは「カート」という特殊な植物性嗜好品のおかげで酒を必要としなかった。それでもソマリランドでは最後に酒(ジン)を飲み、改めて酒に酔うということの意味を考え直す。バングラデシュでは少数派の仏教徒との会話から、仏教も本来飲酒を禁じていたのになぜ飲酒が普及しているのかと考えさせられる。

 怪しげな場所に迷い込んで危ない目にあったり、どこからともなく冷たい視線を浴びたり、酒がなかなか飲めずに不機嫌になったり、飲みすぎて酒の味がわからなくなったり、体調を崩したり、いろいろな経験を潜り抜ける。それでも高野さんは酒を飲むことをやめないし、「ムスリムの人たちは酒を飲む人も飲まない人も、気さくで、融通がきき、冗談が好きで、信義に篤い」(315ページ)とムスリムの人々の気質の長所を認めている。酒を手段として人間と社会の探求を続け、また多くの人々との交流を実現しているのは大したものであるといわざるを得ない。著者の経験と世界がこれからどのように広がっていくかを興味深く見守っていきたいと思う。 

エイヴリー・エイムズ『チーズ専門店④ ブルーベリー・チーズは大誤算』

7月27日(日)晴れ

 7月26日、エイヴリー・エイムズ『チーズ専門店④ ブルーベリー・チーズは大誤算』(原書房:コージーブックス)を読み終える。アメリカ(中西部?)の田舎町プロヴィデンスでチーズ&ワイン専門店を経営するシャーロット・べセットが物語の語り手であり、この町で起きたいくつかの事件を解決してきた素人探偵でもある。店の共同経営者であるマシューはシャーロットの従兄で、彼女の親友のメレディス・ヴァンスと結婚することになっている。店の従業員の1人であるティアンは町はずれのハーヴェスト・ムーン牧場を買い取り、そこで様々なイベントを行おうと計画している。マシューとメレディスの結婚式がその第1号になるはずである。マシューには前の妻のシルヴィとの間に双子の娘がいるが、シルヴィがこの町に戻ってきてブティックを開き、よりを戻そうと画策してきた。

 シャーロットの祖母のバーナデットはこの町の町長であるが、町の観光業の発展を目指して様々な企画を展開している。たとえば、動物の保護活動と提携したランニング大会の”ぶどうを踏もう〟の開催であり、さらに自分の主宰する劇団で『ハムレット』の上演を準備している。この小説の原題”To Brie or Not to Brie"が『ハムレット』のなかの有名な台詞のもじりであることはいうまでもない(Brieはチーズの一種だそうである)。物語を通じて、これらの行事の準備の様子が語られている。

 シャーロットにはジョーダンという恋人がいて、結婚の約束もしており、あとは結婚式の日取りを決めるというところまで来ているのだが、ジョーダンは証人保護プログラムのもとでこの町で暮らす人間であり、彼の妹であるジャッキーは暴力的な夫から逃れて、やはりこの町で暮らすことになった。

 プロヴィデンスの町で人気を博しているアイスクリーム・パーラーの<イグルー>の冷蔵室で男性の死体が発見される。殺されたのはジャッキーの元夫であるジャコモであり、彼は弟のヴィニーとともに少し前にこの町にやってきて、ジャッキーのことを心配している何人かの人々に警戒心を抱かせていたのである。店の経営者であるヒューゴ・ハンターは姿を消し、他にも何人かの容疑者が捜査線上に浮かぶが、みなシャーロットの身近な人物ばかりである。小さな町で、子ども時代からの顔見知りが多いのだから仕方のないことではあるが、シャーロットはいやいやながら、また町の警察署長であるアーソとぶつかり合いながら、捜査を進めていくことになる。TVの犯罪捜査ドラマで余計な知識を詰め込んだ従業員のレベッカが彼女を手伝ったり、足を引っ張ったりする。

 シャーロットは「ナンシー・ドルーにでもなったつもり?」(311ページ)と詰問されたりするが、確かにこの作品はグルメ、おしゃれ、ロマンスと少女探偵ナンシー・ドルーの世界が大人の女性の世界に移行したような内容満載である。「≪サウンド・オブ・ミュージック≫のマリアさながら」(138ページ)とか、「サンドラ・ブロックどころではない名女優だ」(309ページ)というような映画やTV番組への言及もしきりになされていて読む楽しみの多い書物に出来上がっている。田舎町を舞台としているわりに、牧場や農場の描写はあまりなく、その点ではナンシー・ドルーの世界からは遠い。田舎町の生活のいろいろな面が多彩に描き出されている一方で、ある登場人物の意外な素性が明らかになる場面はあるものの、謎解きの面白さは語り手の身の回りの出来事の複雑さに隠されてしまっているようにも思える。もっともその分、最後まで犯人が分からないということにもなるのであるが。

 グルメということになると、比較的凝った料理が多く登場するこの作品よりも、素材の良さが強調されることが多いモンタルバーノ警部物のほうが料理をうまそうに感じるのは私の勝手であろうか。警察官がほとんどいない、署長の母親が臨時の受付をするようなアメリカの田舎町の警察と、田舎であっても官僚機構の一端として機能しているイタリアの警察のどちらがいいかということまでも考えさせられた。

 事件は解決しても、ジョーダンはシャーロットにとって謎の男であり続けそうである。次回作では彼らの身辺にどのような事件が起きるのだろうか。

語学放浪記(39)

7月26日(土)晴れ、暑し

 正確な日付を忘れてしまったのだが、ロシア語の時間にこんな話題が取り上げられていた。一事集中型というのか、一つのことをしっかりと計画的に成し遂げていくというタイプの人はドイツ人に多く、自分の興味のあることに片っ端から手を付けて、どれもこれもなかなか完成できないという人はロシア人に多い。このように人間の性格を二分してしまうのは乱暴な議論ではあるが、私はかなりはっきりとロシア人のほうのタイプに属している。

 ところがドイツ語のほうがロシア語よりは能力は上で、もちろんドイツ語だって使い物になるといえるほどに上達しているわけではないのだが、ラジオのまいにちドイツ語の応用編を聴いて何とかついていく程度にはできる。これはロシア語よりもドイツ語のほうに時間をかけて勉強したからであって、以前にも書いたが、ドイツ語ができる方が就職に有利だと発破をかけられて勉強した成果が今でも少しは残っているということである。それでも形容詞や名詞の格変化などはほとんど覚えていない。というよりも、はじめから覚えていないようである。だから結局のところ、少しは勉強の痕跡が残っているということであって、到底使い物にはならないのである。アンデルセンのドイツ語訳を対訳本で楽しみながら読むのが精いっぱいというところであろうか。

 外国語の学習における相性ということを考えた場合、一つは外国語学習そのものについての相性がある。暗記や反復練習が苦手だという人は、多くの外国語の学習で苦戦を免れない。高等教育が大衆化すると、あまり学習耐性の整っていない学生が増えてくるわけで、だから第2外国語の学習を義務付けるということには疑問が生じる。もちろん学習耐性のない学生に耐性をつけるというのは大学教育の重要な課題になるはずであるが、物には程度というものがある。それにいまどきの大学の先生たちに、学生を鍛えて学習の耐性をつけさせるという仕事ができる人がどのくらいいるのかはかなり疑問である。

 それからいろいろな言語の中での相性というのも考えてよい。日本人は子どものころから比較的多くの種類の文字に親しんでいるとはいえ、外国の言語の中には文字を見ただけで、これは何だ!と思うようなものがある。ビルマ(ミャンマー)の文字など目の検査の記号によく似ていて、実際にビルマの留学生が目の検査を受けていて、ビルマ語の文字の名前を答えたという笑い話がある。ある言語が使っている文字は、それだけでかなりその言語のイメージを左右する。見知らない文字を見てそれだけげっそりする人と、よーし、これも人間の使っている文字だから読めないわけがない、やってやろうじゃないか!!と張り切る人がいる。両者を同列に扱うわけにはいかない。

 これに比べると最初に述べた民族性のようなものは、かなりいい加減なものであろう。計画性・組織性・整理整頓などというドイツ人気質は私にはまったく欠けたものであるが、落ちこぼれなりに言語の学習を楽しむことはできる。ただ専門的な上達はあきらめた方が賢明だというだけのことであって、そのあたりが大学院時代の指導教官と意見が異なって、行き別れてになってしまった点である。だから先生が無理にドイツ語の学習を強要せずに、適当にやれと言っていたほうがもっと楽しくドイツ語に接していたし、もう少し高いレヴェルのドイツ語の能力を見につけていたかもしれないと思う。

 それでも自分の性格から見てとっつきやすい外国語というのはあるかもしれないし、さらにその言語で書かれた文学作品が好きだとか、その国で盛んな文化活動やスポーツに興味があるというのも相性ではないかと思う。推理小説が好きで英語にのめり込むとか、トゥール・ド・フランスに熱を上げてフランス語を勉強したくなるとか、イタリア映画が好きでイタリア語を勉強するとか、サッカーのW杯でドイツが優勝したからドイツ語を勉強しようとか、きっかけはそれで充分である。

 外国語の教師というのは、自分が教えるその言語の魅力を学生・生徒に自分なりのやり方でしっかり語れる人であるべきだと思う。尾崎雄二郎先生の中国語の時間の最初の授業で、先生が中国語の音が作り出すリズムが詩の中でどのように生きているかの実例として「涼州詞」を現代中国語の発音で朗誦してくださったことを時々思い出し、自分でも朗読してみることがある。大畑末吉が旧制高校でドイツ語を教えていたころ、テキストを訳して見せながら、ここのところはいいですねぇなどと生徒たちを前にして感嘆していたという話がある。生徒がどの程度ドイツ語に上達したかどうかはわからないが、先生の姿はいつまでも思い出として残ったようである。

垂水雄二『科学はなぜ誤解されるのか わかりにくさの理由を探る』(3)

7月25日(金)晴れ、暑し

 垂水雄二『科学はなぜ誤解されるのか わかりにくさの原因を探る』(平凡社新書)について、5月26日と6月11日の当ブログで取り上げたが、第Ⅱ部の後半についての紹介をまだ残したまま投稿を中断していた。ダーウィンの進化論について正しく知ることは、彼の時代の社会と科学の状況について考える上で重要であり、さらに今日の特にアメリカの教育における創造説やインテリジェント・デザインの取り扱いとも関係しているので慎重にならないわけにはいかないのである。ところが友人から続きを早く書いてほしいという督促をもらい、引越しの荷物を調べてみたところ、運よくこの書物が見つかったので、書物の記述を追いながら、考えたことをまたぼちぼちと書いていこうと思う。

 垂水さんによると、ダーウィンの批判者たちはどうもまともに『種の起源』を読まず、自分たちのサイトの記事を引用しあって、議論を展開しているのだという。垂水さんは触れていないが、万物の創造をめぐる旧約聖書の記述には混乱があることは聖書学者の多くが認めていることであり、その旧約聖書を信じて議論を進めるということにも問題がある。ちょっとだけ書いておくと、『創世記』1.1で「初めに、神は天地を創造された」と会って天地創造の物語が始まり、2.4で「これが天地創造の由来である」とあってここで物語は完結する。ところが、その後に「主なる神が地と天を造られたとき」、「地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった」(2.5)とまた別の天地創造の物語が始まる。最初の物語では神は神にかたどって人間の男女を創造される(1.27参照)。ところが後の物語では「土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(2.7)。それから人が一人でいるのはよくないと、「人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた」(2.22)とされる。もともと、様々な時期に、様々な人々によって書かれたものが1つにまとめられたので、細かい部分にまで目が行き届かず、矛盾する個所があるのは当然のことである。護教的な立場からすれば、細かい個所にこだわらず、全体として真実を伝えていると考えるべきであろうが、一言一句すべてが真実だとする原理主義的な立場も根強い。しかし聖書を批判的・合理的な目で読まず、その一方で『種の起源』を批判的に読もうとするのはどう考えても筋が通らない。それはもはや批判の名に値しない。(聖書の引用は『新共同訳』を使用。)

 『種の起源』というからには、種とは何かという定義が求められるはずであるが、ダーウィンは不思議なことに書物の中で種の定義をしていない。彼は「類縁のあるすべての種はもともと空間的・時間的に連続したもので、その中で特定の変異をもつグループがまずは変種あるいは品種として区別されるようになり、時間がたつうちに、互いがめったに交雑しなくなるほど違いが大きくなると亜種、さらに分岐して分布域も異なり、交流が途絶えると別種、すなわち新種になる」(121ページ)と考えていたと論じる。したがって[変種、品種、亜種、別種への分岐は漸進的で連続的な過程であって、その境界を厳密に定めることはできないし、定義しても意味がない…大事なのは一つの種内の変異が次第に大きくなって集団の分裂(分岐)が起こることが、種の起源だ」(同上)と考えられていた。

 実際問題として生物学の研究上、種の定義は必要なので、1942年にエルンスト・マイヤーが提案した生物学的種概念「内部で相互に交配しあう個体からなる自然集団で、他の自然集団から生殖的に隔離されているもの」(122ページ)というのが広く使われているが、これにも問題はある。反進化論者は品種改良などで変種や品種が生まれても、それは種内のことであって、どんなに変異があろうとも種が変わることはないと論じる。しかし、イヌの品種の中でチワワとセントバーナードでは体重にして100倍の違いがあり、姿形もまるで違うから、形態学上は別種としても全くおかしくない。「と変種(品種)の違いは恣意的な区別に過ぎず、軽微な変異の累積から、新種が生まれないとは決して断定できないのである」(124ページ)と著者は論じている。

 反進化論者がよく口にするもう1つの批判は、もし進化論が正しいのなら、なぜ中間種は見つからないのかというものであるが、「中間種」をどのように遅疑するかによって話は違ってくるし、現実には様々な移行化石が発見されてきているという。特にティクターリクという魚類から両生類への進化段階を示す化石の発見が進化を証拠立てることになった実例が援用されている。

 「進化論という言葉は、生物が進化するという事実を指すとともに、進化がどうして起こるかの理論をも指す。ダーウィンが両者を一体のものとして提示したからである」(127ページ)。しかし、ダーウィンは進化evolutionという言葉をあまり使いたがっていないように見える。進化という言葉には、「生物があらかじめ定められた方向に前進的に進化するというニュアンスが含まれるが、ダーウィンが描きだそうとしたのは、生物の相互作用を通じてのもっとダイナミックな種の変遷だった。ダーウィンは、退化や痕跡器官も進化の一つの在り方として扱っているから、進化=進歩という見方には与しなかった」(128ページ)のである。進化をevolutionと呼んで、この言葉を流布させたのはハーバート・スペンサーであると垂水さんは指摘している。ダーウィンは「変化を伴う由来」(descent with modification)という言葉を好んだという。

 それでは「変化を伴う由来」はどのようなメカニズムによって起こるのであろうか。ダーウィンはマルサスの『人口論』からヒントを得て、次のような3つの前提を考えた。
①生物は親のあとをつぐのに必要以上の多数の子を生む
②個体間に変異があり、変異の中には遺伝するものがある
③個体間の生存競争を通じて、より適応的な変異をもつ個体がより多くの子孫を残す
(130ページ)
 この③がいわゆる自然淘汰の過程である。①は仮説ではなく、自然界に実際に見られる事実であるが、②と③が自然淘汰説にとってその成否を握る鍵となる。

 「ダーウィンの進化論にとって、自然淘汰の概念こそ最も本質的なものである。この概念の重要性は、進化を集団の漸進的な現象として捉えるのを可能にすることにある」(131ページ)。ところが、ダーウィンの多くの同時代人たちが、集団と個体のレベルの違いを意識せず、また漸進的な進化ではなく飛躍的な進化を信じていた。このため、ダーウィンは種々の批判にこたえて『種の起源』に様々な改訂を施しているが、その多くが事実上の改悪になってしまっているという。

 個体間に変異があり、自然淘汰が作用すれば進化が起こるというのは、アルゴリズムとしては正しいが、それだけでは種の分岐は説明できない。ダーウィンは種の変化についての十分なデータをもってはいたが、種分化の原理について思いつかないままであった。1858年にウォーレスの「テルナテ論文」を受け取ったダーウィンはそこから重大な刺激を受け、結果として両者が連名で学会で発表をして進化論を世に問うこととなった。とはいうものの、両者の間には考え方の違いもあり、ダーウィンの考えだけをまとめると、「大きな多様性をもつ種ほど、変種として分布を拡大していく潜在能力をより多く秘め、自然淘汰によって変種が適応性を高めていくにつれて、最初の小さな差が大きな差になり、そこに地理的な隔離が成立すれば、新種として成立し、種分化が起こる」(138ページ)ということになる。

 今回取り上げた部分では、ダーウィンが進化=進歩という考えをとらなかったという指摘が、同時代の社会思想との関連で注目される。どのように注目されるかということは、次回に詳しく論じることにしたい。 

グランド・ブダペスト・ホテル

7月24日(木)曇り、日が暮れてから、雷が鳴った。雨が降ったかどうかは知らない。

 昨日(7月23日)、109シネマズMM横浜で『グランド・ブダペスト・ホテル』を見た。ブダペストとあるが、ハンガリーの首都とは関係がない。ズブロフカ共和国という東欧の架空の小国を舞台とするノスタルジックな、それ以上に19世紀末から20世紀初めにかけてのベル・エポックへの郷愁をテーマとする映画である。映画の終わりに、シュテファン・ツヴァイクへの謝辞が記されている。

 東欧の小国、ある学生がその国を代表する作家の記念碑をおとずれる。そして次の場面では、その作家がインタビューを受けている。作家は自分で取材をしなくても、素材のほうが自分の所に飛び込んでくると語る。そして、さらに時間はさかのぼり、彼がアルプスの山中にあるグランド・ブダペスト・ホテルで、ホテルの所有者らしい老人から聞いた物語について語り始める。映画は二重・三重の枠の中で物語を進行させてゆく。

 彼=ムスターファは難民としていくつかのホテルで仕事をしたのちに、グランド・ブダペスト・ホテルの名声に惹かれてこのホテルで働こうとやってくる。ホテルのコンシェルジェであるグスタフは彼を信頼し、後継者と考えるようになる。グスタフは多くの顧客の信頼を得ていたが、その1人である貴族の夫人がホテルでの滞在を終えた直後に彼女の訃報を聞く。彼女が愛蔵していた美術品を遺産として贈与されるとの遺言があったのだが、遺産の継承者はそれを喜ばず、グスタフが夫人を殺害したという嫌疑を申し立て、彼は投獄される。ムスターファは恋人のアガサとともにグスタフを救おうと奔走する。

 1930年代、第二次世界大戦が勃発直前の東欧。ジャン・ルノワールの映画『大いなる幻影』は第一次世界大戦とともに「古きよき(貴族的な)ヨーロッパ」は滅びるであろうと予言していた。しかし、部分的には「古きよき(貴族的な)ヨーロッパ」、あるいはその郷愁は残ったのである。グスタフは貴族ではないが、貴族を愛することでは貴族以上である。そういう人間の存在も古きよき(貴族的な)ヨーロッパへの郷愁の一部である。映画はそのようなグスタフの人間像を二重・三重の枠の中で語り、しかも彼の素性を最後まで明かさないことで古いヨーロッパからの現代の断絶を語っているようにも思われる。

 アガサといえば、ホテルと外界を結ぶケーブルカーの存在などは、アガサ・クリスティーの世界である。クリスティーは、特にその初期においてはオペレッタ風のスパイ活劇も手掛けていた。そのような作品の1つ『チムニーズ荘』は東欧の小国の主の座をめぐるミステリーであったが、この作品は共和国における貴族のお相手も務める庶民の物語である。もともとアガサというのはギリシャ語で、そういえば、シャーロック・ホームズの「ミルヴァ―トン」の中に、アガサという名のお手伝いが物語の中で名前しか登場しないけれども、それなりに役割をはたしていたことを思い出す。おそらくズブロフカは、スイスとギリシャの間に設定されている国なのであろう。

 映画はグスタフの人間像を描くと見せかけて、名前から判断して、もともとはイスラーム教徒であったらしいムスターファの人間的な成長の過程も描いている。彼自身がヨーロッパ社会に適応しようと努力している一方で、社会のほうでも彼を受け入れて、成長させようとしているところがこの作品の1つの見どころではないかと思う。それが過去の出来事という枠の中で語られているところに、現在のヨーロッパ社会が抱えている人種・民族問題の深刻さを窺うべきであるのかもしれない。

つまり古いヨーロッパへの郷愁を描くと見せかけて、ちゃっかり新しいヨーロッパの問題をのぞかせているところにこの映画の奥の深さがあるわけであるが、あまり深読みをせずに、表面的な活劇だけを追いかけても楽しめる映画であることは否定できない。冒頭の場面で作家の胸像に多くの鍵が捧げられていること、映画の中で<鍵の結社>という秘密結社の活躍が語られることなど、どうしても深読みをしたくなる仕掛けが設けられているとはいうものの、映画の楽しみ方は多様であろう。

好きっていいなよ。

7月23日(水)晴れ後曇り

 昨日、カルヴィーノ『イタリア民話集(下』を読み、今日、馬田草織『ようこそポルトガル食堂へ』を読み終えた。また、109シネマズMM横浜で『好きっていいなよ。』と『グランド・ブダペスト・ホテル』を見た。『好きっていいなよ』を取り上げるのは、基本的に自分の経験だけに基づいて批評できるからである。

 自分の経験だけに基づいて批評できるなどと書いたが、高校生の恋愛を描いた映画を、50年も前に高校を卒業し、しかも高校時代は受験一色であった男子校の卒業生が「批評できるのか」は疑わしい。せいぜい、思い出すのは電車の中でよく同じ車両に乗っていたのでいつの間にか覚えてしまった、他の高等学校に通う女子生徒の顔くらいのものである。おたがいに、挨拶をしようか、しまいか、というところで考えているうちに卒業してしまった。そういう記憶は恋愛以前であって、もし私がその後の人生で顔に見覚えのある彼女に、別の場面で出会ったら、何かの物語が生まれただろうが、そういうことは起きなかった。

 男女共学で、比較的自由な雰囲気を持っているある高校。学園祭のイベントで1年生の間からアイドルに選ばれた男子生徒。その騒ぎをよそに誰とも口をきかずに登下校を繰り返している女子生徒。ところがその男子生徒が、女子生徒の方に興味を抱く。男子生徒が階段を上る女子生徒のスカートに触れて蹴飛ばされ、けがをする。それが発端になって2人は口をきくようになり、それまで誰ともほとんど口をきかなかった女子生徒が他の生徒と口をきくようになり、なぜか周りに集まる人間が増えてきて、物語があちこちに動き回る。といっても、男子生徒の中学時代の友達で、いじめを受けていたのに助けることができなかった生徒が新入生としてやってくるとか、男子生徒がモデルにスカウトされるというような起伏が目立つ程度の展開である。

 映画が終わった後、うらやましいなぁというような男性の観客の声が聞こえた。どうもその人が経験した高校生活と比べると、かなり楽しい日常が描かれていたようである。ヒロインは高校生活の合間に、パン屋でアルバイトをしているようであるが、他の登場人物についてみると、そういう日常の姿は描かれておらず、部活に汗を流すでもなく、予備校で受験勉強に励むわけでもない。親たちの姿もあまり見えてこないし、そういう意味では気楽に高校生活を過ごしているようである。

 住まいの近くにある高等学校に通う生徒たちをいつも眺めているし、そうではない高校生にもよく出会う。家庭で、通学途中で、学校で彼らは様々なドラマを演出しているのであろうが、外から眺めているだけではそういうことはわからない。映画の中で中学生時代のいじめの話が出てきて、それはそんなに簡単に克服される問題ではないのに、ただエピソードとして語られているだけであるのが気になった。以前に見た『ある定時制高校の記憶』に登場する高校生のほとんど全員が中学時代にいじめを受けて十分な日数登校できず、しっかりとした中学校教育を受けてこなかったと語られていたことが思い出される。部活動について触れたが、学園祭にしても、準備には相当な時間と労力がかかるのである。登場人物たちはその準備に加わっているようには見えず、成果をただ利用したり、あるいはそれすらも無視したりしている様子なのである。

 恋愛が当事者の認識する世界を広げるという場合もあるし、狭めるという場合もある。この映画は広げる方の恋愛を描いているようであるが、その広がり方に問題がないわけではない。人生は長く、恋愛の機会は高校時代に限定されない。しかし、若いころの恋愛のほうが純度が高いというか、意味が重く感じられるところがある。『桐島、部活やめるってよ』などと比べると、教師の姿がほとんど見られない――というよりその役割が感じられないのもこの作品の特徴である。親もダメ、教師もダメとすると、青年時代の問題は同世代間の交流と協力によってしか解決できないというのであろうか。これはもっと真剣に考えて良い問題である。

日記抄(7月16日~22日)

7月22日(火)晴れ

 7月16日から本日までの間に出会った事柄、考えたことの中から;
7月16日
 テレビ朝日の「マツコ&有吉の怒り新党」で、「ミランダ・カーに憧れる女性」が許せないという怒りが寄せられていた。そもそもミランダ・カーというのがどういう女性かわからないのだが、話が出演者の憧れる人物が誰かという方向にそれたので、かえって面白くみていた。
 ある人間が成長していく過程で目標とする人物は身近な存在であればより具体的にイメージがつかめるし、欠点も含めて全体像をとらえやすいのだが、時としてあまりに平凡で憧れとか尊敬にはそぐわないように思われるかもしれない。これに対してマス・イメージから得られる人物像はより華やかだが、時として具体性に欠ける。このあたり、個々の事例に即して考えていく必要があるだろう。

7月17日
 伯母の通夜。斎場の中でいくつもの通夜が同時に営まれていて、大人数でにぎやかなのもあり、小人数でひっそりしているのもあり。我々は小人数のほうであった。

7月18日
 伯母の葬儀が終わる。

 NHKラジオまいにちフランス語応用編で
S'il y avait un konbini adns ma résidence, je n'aurais plus besoin de frigo!
(もしうちのマンションにコンビニがあったら、もう冷蔵庫入らなくなりますね!)という文が出てきた。実際に1階にコンビニが入っているマンションは私の身近にも少なくないのだが、結構消長が激しいように見受けられるのはなぜだろうか。

7月19日
 東海林さだお『ゆで卵の丸かじり』(文春文庫)を読む。東海林さんの相変わらずの好奇心の広がりと、独自の発想に基づく突っ込みに感嘆させられる。身近な話題もあるし、縁のない話題もある。そういえば揚子江菜館の冷やし中華は食べたことはないが、店の前は何度も通ったなぁというようなことを考えながら読み進む。「第4のビール出現」(文章に添えられた漫画の中の人物がノンアルコールビールに焼酎を入れて飲んでいるというのが可笑しい)、「さんま大出世物語」(サンマが高級魚に出世すると、落語の「目黒のさんま」はどうなるか?)に大笑いし、「かき氷のサクサク」と「カツカレーうどんのカツカツ」は、それぞれ試してみたくなり、「決行! 炭酸水!」に拍手を送る(炭酸水が好きなのである)。

7月20日
 夕食後、薬を飲む際に炭酸水を使う。ちょっとしたぜいたく(昨日の項に書いたように、炭酸水が好きなのである。

7月21日
 NHKラジオ文化講演会、四国大学教授の真鍋俊照さんによる「国宝美術の旅」で宇治の平等院が取り上げられた。普通、浄土教信仰の成果だと考えられているが、密教の影響もあるという考えのようである。平等院の成立について、藤原頼通よりも父の道長が果たした役割を重視していて、その根拠として道長が南都、吉野、高野山に参拝している事実を掘り起こしている点が注目される。

7月22日
 NHKラジオまいにちドイツ語(入門編)の中でこんな会話が出てきた:
Essen wir heute zu Hause oder gehen wir irgendwohin?/ (今日はうちで食べる、それともどこかに出かけるかい?)
Lass uns doch mal wieder italienisch essen! (たまには、またイタリアンに行きましょうよ!)
ドイツではイタリア料理のほか、ギリシャ料理やトルコ料理の店も少なくないが、フランス料理の店は多くないそうである。そういえばわが家の近くに1軒フランス料理店があって、一度出かけてみたいと思っているのだが、なかなかきっかけがつかめない。 

プルタルコス『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』(3)

7月21日(月)曇り後晴れ

 この書物は、古代エジプトの神話についてギリシャ人であるプルタルコスが紹介し、彼の世界観に基づいて解釈を加えたものである。博識ではあるが、鋭い分析力を持っているとはいいがたい著者の論述の中で、その当時の人々の考え方の一端が分かること、それにごくささいな事柄に新しい探求の糸口が潜んでいること、この2点が重要ではないか。

 ギリシャの神々であれ、エジプトの神々であれ、神々に対しては敬虔であれというのがプルタルコスの主張である。また、「宗教上の儀礼には、ある人々が信じているように、不合理な点とか作り話めいた点とか迷信的なものは織り込まれていません。むしろ道徳的な理由やそうせざるを得なかった必然の理由があり、歴史や自然による洗練に無縁でもないものです」(23ページ)というのが彼の立場である。人間のすることにはそれなりの理由があるという意味では正しいと思うが、その理由が人間の経験の蓄積によって不合理なものとして廃棄されることはあるのではなかろうか。神に関する教えは謎めいているというのは、その当時の人々の考えを示すものとして受け取ることができる。

 オシリスとイシスという神々の誕生をめぐってプルタルコスは次のような神話を紹介している:
「レアはクロノスとひそかに契りあいましたが、それが太陽神の知るところとなり、彼はレアに呪いをかけて、いかなる月にもいかなる年にも子を産むことなかるべし、と申しました。ところがこのレアをヘルメスが愛して交わり、それから月と将棋をさして勝ち、彼女の輝きから70分の1を取り上げ、その取り上げた70分の1を5日として集めて、360日に付け足しました。この付け足された5日を、今日のエジプト人は閏日と呼び、神々の誕生日として祝っています」(30-31ページ)。
 閏日の第1日目にオシリスが、第2日にアルエリス(アポロン、ホロス)が、第3日にテュポンが、第4日にイシスが、第5日にネプテュス(テレウテ、アフロディテ、ニケ)が生まれた。ギリシャとエジプトの神々が習合して訳が分からなくなっている。本来のギリシャ神話ではレアとクロノスが夫婦であったはずだが、プルタルコスはレアは太陽神(ヘリオス)の妻であったと考えているようである。ギリシャの神々からエジプトの神々が生まれたと考え、しかもそれらの神々はギリシャの神々としての別名も持っているというのはわが本地垂迹説のような趣を感じさせる。

 もう一つ注目されるのは、ギリシャの神であるヘルメスが月と将棋をさすという個所で、ここには「将棋というのはエジプト名でセネト、ギリシア語でペッティア(あるいはペッテイア)というもの。骰を振る点では双六に、石を使う点では碁に、しかしその石を桝目によって動かす点では将棋に似ている。ヘルメス(トト)が将棋をするというのは、エジプトの文献に明記されているわけではない。しかしプラトンも『パイドロス』274C(加来彰俊訳の岩波文庫、133ページ)で、トトが算術と天文学、幾何学、将棋と双六を発明したと言っているので、これもエジプト・ギリシアの宗教の習合以後生まれた所伝であろう。この挿話に太陽暦と太陰暦の抗争を見る学者もある」(151ページ)という訳注がつけられている。ささいな事柄に探求の糸口が潜んでいるということの一例である。

 すでに述べたことの繰り返しになるが、オシリスはエジプトの王位につくと、エジプトに文明を広める。「栽培して実りを得る道を示し、法を定め、神々を敬うことを教えたのです。後にエジプト全土をくまなくめぐって平定しましたが、身に寸鉄を帯びず、言葉の力、そしてあらゆる種類の歌と音楽によって大勢の人々を惹きつけて従えました。ですからオシリスは、ギリシア人から見るとディオニュソスだということになるのです」(33ページ)。古代の帝王が音楽の力で人々を導いたというのは、中国など他の古代の神話伝説にもみられることである。しかし、オシリスとディオニュソスの信仰を同一視できるかは疑問が残る。ディオニュソス信仰はかなり熱狂的なものであり(ニーチェの『悲劇の誕生』におけるアポロン的とディオニュソス的という二分法を思い出していただきたい)、オシリスの方はどんなものかわからないから何とも言えないが、プルタルコスの記述は乱暴であるように思われる。

 プルタルコスの『モラーリア』は大著であるが、『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』はその一部を取り出したものなので、簡単に紹介できると思ったが、読んでいくと結構面白いので、なかなか終わりまでたどり着くことができない。その点をご理解の上、お付き合いのほどをお願いする。

タイサンボク

7月20日(日)夜になって雷雨に襲われたが、どうやら終わったようだ

 タイサンボク

崖の上の
白い 大きな 花に
気づきはじめたのは
この道を通って
通勤するようになって
何年かたってのことだった

梅雨時は
傘をさして歩くことが多く
上を見上げることはあまりないから
いくら大きい花でも
なかなか気づかなかった
それでも、もし
この白い 大きな花が見えなければ
崖の上の木の名前も
知らずじまいだっただろう

毎年
毎年
タイサンボクの
白い 大きな 花を
見上げて 職場へと行き帰りして、
退職してからも
梅雨の鬱陶しさの中で
白い 大きな 花を 探し出しては
ほっとした気分に なっていた

梅雨の終わりだという
雷雨の中で
家の中に閉じこもって
雨の音を聞き
雷の音を聞く

タイサンボクの花は 大部分散ってしまって
残った花も
黄ばんでいる
そろそろ 梅雨も明けそうだ
今年の夏は暑いだろうか
どんな台風がやってくるのだろうか
ちょっと悲しい気分で
黄ばんだ
タイサンボクの花に 思いを寄せる

カルヴィーノ『イタリア民話集(上)』

7月20日(日)曇り、時々晴れ

 カルヴィーノ『イタリア民話集(上)』(岩波文庫)を読み終える。イータロ・カルヴィーノ『イタリア民話集』(Fiabe Italiane, 1956)に収められた全200篇の民話の中から、75篇を選び翻訳した内の、33篇が北イタリア編としてこの中に含まれている。

 20世紀イタリアを代表する文学者のひとりであるカルヴィーノがこの民話集の編纂に取り組んだ理由と背景については、この民話集の序文であり、上巻の巻末に収録されている「民話を求める旅」に詳しく記されている。イタリアには古くから民話への関心はあったが、「読んでいて楽しく、その源泉においてばかりか、目的においても真に民衆的な、イタリア全土の民話を集成した作品」(314ページ)はまだ現われていなかった。「≪遅れたりといえども≫文学の手法と科学の情熱という2つの基盤の上に、それを築き上げることができないであろうか?」(同上)というのが彼の出発点である。

 こうして
イタリア語の方言による存在が資料として確かめられたすべてのタイプの民話を表出させること。
イタリアのすべての地方を漏れなく表出されること。
(323ページ)を目標として作業が進められ、民話集が完成した。イタリア語の諸方言が話される地域の民話が集められたので、それは必ずしもイタリアの政治的な国土と一致してはいない。南イタリアのカラーブリア地方のギリシア語を話す人々の民話が例外的に収録されているが、これは彼らの民話が他のイタリアの民話と十分に溶け合っているからであるという。

 上巻には北イタリア(トスカーナとマルケ以北、「民話を求める旅」にも記されているように、ウンブリアの民話はなぜか収められていない)の民話が集められている。王、女王、王子、王女、貴公子、商人、職人、農民、狩人など多少類型化されてはいるが様々な社会階層に属する人々が登場し、恋と冒険の物語が展開する。
 ある商人が旅行に出かける間、娘に留守番をさせる。誰も家の中に入れてはいけないといいつけるが、娘は窓の外に鸚鵡を見つけて、鸚鵡を飼いたいといって許しを得る。かねがねこの娘に目をつけていた王様が手紙を言づけてもっていかせるが、娘は鸚鵡の話が済むまでは手紙を開こうとしない。何度も何度も手紙が届き、鸚鵡はそのたびに話を続けていく…という「鸚鵡」(モンフェッラート丘陵地帯の民話)は、『アラビアン・ナイト』風の枠物語で、二重に楽しめる。
 薬屋の美しい娘と貴公子とが相手をからかう詩を応酬する「花薄荷の鉢」(ミラーノの民話)はいかにもイタリア民話らしいと思う内容だが、ちょっと意外な方向に展開していく。
 ステッラ・ディアーナ、暁の明星よ、
 きみの花薄荷にはいくつ葉がついているの?

 まあ、美しく貴い身分の騎士さま、
 夜空にはいくつ星がございますか?

 夜空の星は数えきれません。

 あたしの花薄荷を見つめてはなりません。
(56-7ページ)というやり取りが面白く、イタリア語で聞けばもっと面白いのだろうと思う。

聖ジュゼッペ(ヨセフ)一辺倒の信心を重ねた男が天国に入れてもらう「聖ジュゼッペの信者」(ヴェローナ)は宗教的な見かけの中に世俗的なものの見方が隠れている。聖ジュゼッペが「私が女房と子供を連れて、天国などおさらばして、どこか別のところへ出ていってやる」(71ページ)などという(女房=聖母マリア、子ども=キリストというわけである)。息子を学校に入れて「怠けの技」を勉強させようとする男の話(トリエステ)は落語の「あくび指南」を思い出させるところがある。
 ある王様が3人の娘の各々に自分をどのように好きかとたずね、「塩みたいに」と答えた3番目の王女が機嫌を損ねて追い出されてしまうが、城を出た後他の国の王子と結婚することになり、結婚式の宴会で父親に塩抜きの料理が振舞われるという話(ボローニャ)は、イギリスの民話にもあるようである(『リア王』の原型でもある)。
 「生まれても家を出ていってしまい二度と会うことのなくなる息子を持つか、さもなければ、しっかり見張っていれば十八歳までは何とか手もとにおくことのできる娘を持つか」(219ページ)という占いを受けて(ほかの物語にもこの占いは出てくる)生まれてきた王女が数奇な運命をたどる「乳しぼりの女王」(リヴォルノ)は最後の結婚式の贈り物に面白さがある(類話と比較してみるとさらに面白い)。
 ある王様の孫が人々を苦しめる魔女の首を切って殺すという「魔女の首」(アルノ川上流域)はギリシャ神話のペルセウスの物語の変形という点が興味深い。アンドロメダに相当する女性も登場する。宮廷につかえる樵の3人の娘の家の末娘が、王様をからかい、いたずらをしながら、最終的にはその愛を勝ち取るという「籠の中の王様」(フィレンツェ)はイタリア女性の賢さ、強さ、たくましさを感じさせる。

 というように、多くの話が含まれ、その中にはどこかで読んだような記憶のあるものが少なくないのだが、そのような共通性と微妙な違いとを味わっていくのが民話集を読む醍醐味ではないかと思う。一方で物語を語り継いだ人々の生活に根差した具体的な部分があるかと思うと、願望に根差した幻想的な部分、全くの絵空事などが入り混じり、民話ならでの世界を形作っている。『グリム童話集』に類話が見出される話に加えて、『アラビアン・ナイト』に似通ったオリエンタルな雰囲気を持つ物語も見られるところがイタリアの地理的な条件の表れなのかなと思う。一方でフランス、スペイン、ポルトガル、その一方でトルコ、アルメーニアに物語の舞台が広がっている。北アフリカを舞台にする物語がないのは、北イタリアの民話だからであろうか。続けて南イタリアの民話を集めた下巻を読むつもりである。

厚香苗『テキヤはどこからやってくるのか? 露店商いの近現代を辿る』(3)

7月19日(土)雨が降ったりやんだり

 第5章「露店商いをめぐる世相解説」ではテキヤの商いに欠かせない伝統的な慣習
①親分子分関係
②なわばり
③口頭伝承と文字による記録の関係
について、また
④テキヤが「一般の人びと」からなぜ異質視されるか
について考察を加えている。

 「親分子分関係」は親族関係に基づかない、「社会的親子」関係の一種であり、労働や職業集団の秩序を維持するためのものである。中根千枝によると会社や官僚機構に代表される近代的な「見える組織」はしばしば親分子分関係や派閥などの「見えない組織」によって支えられていることがある。テキヤの親分子分関係は、他の親分関係と同様に子分の側の社会的劣位状況の克服を目的とし、それが血縁によらず、社会的な地位の異なる者同士を結合するものである。親分には子分を助けるだけの余裕が備わっていなければならないが、子どもが一人前になっていくまでにはできるだけ多くの「親」(あるいは親代わり)がいた方が心強い。「おおぜいの親は子にとって重層的なセーフティネットになる」(137ページ)。とはいうものの血縁で結びついている家族を買えるほどの強い力はない。

 親分子分関係は頼りになるが窮屈でもあり、近代化によって次第に過去のものとなっているが、テキヤの世界ではまだまだ重んじられている。それがこの集団が異質視される理由でもある。しかし、著者が実際にテキヤ集団の親分子分関係について調べたところでは、「血縁否定」「序列異動」「新参者の恒常的受入れ]が特徴となっていたという。親分への忠誠は、新たにつく仕事にかかわる人間関係を最優先できるかという問いに置き換えれば、企業への忠誠心を要求する会社人間への要請とそれほど変わるものではない。

 テキヤの世界には(男性のみに)「稼ぎ込み」→「一本」→「実子分」→「一家名乗り」→「代目」という序列がある。「稼ぎ込み」と「一本」は「若い衆」と呼ばれる未熟な段階であり、「一家名乗り」、「代目」は親分である。一方で親分と子分の関係があり、親分同士の序列も存在する。

 露店商の世界では誰がどこに店を広げるかをめぐる配置(=ミセワリ)が重要である。なわばりは通常、他者が入ってこないことを前提とする区切りであるが、東京の下町のテキヤの中にはアイニワ(合庭)という慣行がある。多くの場合、複数の集団が協力して祝祭空間を管理している。テキヤにはコミセ、コロビ、三寸などの業態があり、職種や職分に応じた系統分けがなされてきた。テキヤの集団はこれらの系統と関連しているが、商売を盛り上げていくためには異質な系統に属する露店の協力が望ましいのである。「アイニワ」により、安定的に多様な露店が営業することが可能になる。

 テキヤの世界では自分がどのようなテキヤであるかを名乗る口上が重視される。その中でもとくに重要なのは自分がどのような親分子分関係に属しているかを示すことである。現在では口上はすたれて、名刺によってとってかわられている。親分子分関係が重視されるのは、学会で師弟関係、ビジネスの世界で企業やそこでの上司・部下関係が相互交流の際に重視されるのと同様であるという。

 テキヤはその他の人々と違う神(神農)を信仰しているが、縁日などの主体である神仏の信仰との間に相互信頼関係を築いている。犯罪に走るものの存在が指摘されるが、それは例外的なものであり、親分の統率のもと、警察や保健所に書類を提出するなどの法的な手続きを踏んでその仕事は行われている。多少の問題はあっても祝祭空間を楽しく盛り上げればよいではないか――という考えでこれまでは済んできたが、これからは組織暴力との関係がさらに厳しく追及されていくかもしれない。

 確実な資料が乏しい社会を対象として、著者が実際に露店商の手伝いのアルバイトをしたり、長い時間をかけて調査した成果をわかりやすくまとめたものであるが、東京周辺の露店商に対象を限定しており、その意味で今後の研究範囲の拡大が望まれるところである。露店商の世界を一般と「異質」なものと考えるよりも、日本社会の特徴の一部がかなり凝縮された形で表れている社会ととらえる研究であるように思われる。親分子分関係を学校における師弟関係に置き換えて考えてみると、わかってくる部分が少なくないので、かなり説得力が感じられる研究である。

 この書物の第3章と関連して思い出すのは、1970年に日活から公開されたマキノ雅弘(1908-93)監督の『牡丹と竜』という映画である。1970年前後に盛んにつくられていたやくざ映画には博徒を中心として物語が展開するもの(少し古い時代に舞台が設定されるものが多い)、愚連隊を中心として物語が展開するもの(戦後を舞台にするものが多い)が多く、テキヤが取り上げられる作品は比較的少なかったのであるが、この作品は妻に死なれ、子どもを抱えて路頭に迷いかけたやくざ者がテキヤの親分に助けられ、関東大震災の後の東京でテキヤとして一人前になっていこうとする過程を描いており、露店商いの場面などノスタルジックな魅力が感じられた。主演の高橋英樹に神農道を説いて、テキヤになることを勧める小杉勇扮する地方のテキヤの親分と、東京に出てきた高橋英樹に商売の仕方を教える先輩の世志凡太の演技、それに共演の和泉雅子の美しさが印象に残っている。厚さんが生まれる前にとられている映画であるが、この作品についての感想を聞いてみたいと思う。(一部の情報サイトでは小杉勇が「小松勇」と誤記されている。コマツタことだ!?)
 

語学放浪記(38)

7月18日(金)曇り、時々雨

 伯母の通夜・葬儀が終わった。100歳を超える年齢だったので、友人・知己の方々の大部分はこの世を去られているし、親類・縁者とも疎遠になっていて、会葬者はごく限られていたが、幸いに天候に恵まれて無事式を執り行うことができた。終わってほっとしたけれども、この間、あまりよく眠れなかったので、眠くて仕方がない。パソコンに向かっても、すぐに寝入ってしまうことを繰り返しているので、厚香苗さんの『テキヤはどこからやってくるのか?』の紹介は後回しにして、書き慣れたテーマでお茶を濁すことにする。

 NHKラジオまいにちフランス語入門編は、今年の4月から9月にかけて大木充さんを講師として『話せるフランス語~文法より実戦練習』を放送している。蒸し返しになるが、番組のテキスト7月号に兵庫県のある聴取者による「半年後にはペラペラになること」という目標を記した投書が掲載された。投書者は「万年初級者」と謙遜しているが、仏検準2級に合格しているというから、かなりの水準に達した学習者である。またペラペラになることについて、「夢ですね」とも書き添えている。それでも、気になるのは、この番組がそもそもCEFR(ヨーロッパ共通参照枠)のA1レベルを参考にしているとテキストに記されていることである。A1レベルは「ペラペラ」とは程遠い、自己紹介ができるという会話の基礎的な水準である。会話重視といっても、会話にもいろいろな水準があるのである。A1レベルは千里の道は一歩から始まるというその一歩である。(千里≒4000キロ、一歩≒70センチというように具体的に考えるとイメージがはっきりしてくる。)

 そんなことを書いたのも、どうもフランス語の勉強が停滞気味だからである。では、他の言語の勉強は捗っているかというとそうでもない。ドイツ語もイタリア語も同じように壁にぶつかっている感じである。ただ、壁にぶつかるそのぶつかり方が違っているということはあるかもしれない。フランス語の場合は口に出して練習することが億劫だというのが一番問題であり、イタリア語とドイツ語の場合は、もっと練習すればよいのだが、そうするつもりになかなかなれないということである。それぞれもっと熱心に口頭練習に励めばよいのだが、日本語との発音の違いが障害になっている。個々の単語の発音はできても、全体としてのイントネーションなど、練習を重ねるべき課題は多く、それらの課題に取り組む根性がなかなか坐らないということである。

 何度も繰り返し書いているが、私の場合、研究上の必要から勉強している言語と、趣味で取り組んでいる言語とがある。フランス語とラテン語は前者であり、イタリア語は後者である。(ドイツ語はどちらともいえないところがある。) 大学などで第二外国語を学ぶ場合、学術研究のため、ビジネス等の実用のため、観光など趣味的な理由のため、単なる教養など、色々な目的の学習が考えられ、それぞれに応じてどのような内容を優先するかに違いが出てくるはずである。私の学生時代は学級単位の授業で教材の選択や授業の目標は各教師が自由に設定していたが、授業の多様性を確保しながら、目標を明示して、学生による選択が可能になるように配慮すべきであろう。同じイタリア語の授業に観光目的と、料理目的と、ルネサンスの文化に興味がある学生とが混在するのも悪くはないが、その一方で、観光イタリア語、料理イタリア語、教養イタリア語の授業が設けられていることも必要ではあるまいか。

 ただ、大学の授業だけ、語学学校に通うだけ、ラジオ・テレビの放送を聴くだけでは上達はおぼつかず、それらを組み合わせて自分でメニューを作っていくことが必要である。個人指導を受けることも有効な方法には違いないが、適切な指導者に出会うかどうかということと、その指導者に払う謝礼の問題がある。語学の学習には運不運が付きまとうことは心得ておいた方がよい。私の語学は下手の横好きの域を出ず、たいていの言語はかじっただけで実用のレベルに達していないにもかかわらず、語学がよくできるという噂を立てられたり、教えてくれと頼まれたりして余計な面倒に巻き込まれる。これも運不運の内に入るかもしれない。

 これも蒸し返しになるが、外国語の履修の前には入念なガイダンスを行う必要があり、「世界の言語」とか、「国語、英語の中の外来語」とか、「発音の不思議」とか、「世界各国の言語の簡単な会話入門」といった授業を設けて、それも第2外国語の学習の一部(あるいは全部)とみなすようなことも考えてよいのではなかろうか。必要に迫られて勉強するにせよ、面白そうだからと思って始めるにせよ、外国語の学習にはできるだけ正しい予備知識があったほうがよいのではないかと思うのである。これらの授業によって、さまざまな言語についての具体的な予備知識を身につけることができればよいのではないか。さらにまた、履修できる言語はできるだけ多様で、その中から自由に選択できるようにしていくことが望ましい。そんなのは面倒だ、英語だけでいいじゃないか、というのならばそれはそれで結構である。何も考えずに現状を維持しようとするのが一番悪い。

 最近、興味深く感じた経験。最近、自宅の比較的近くに開店したインド料理店で店の人と話していて、彼は12の言語を話すといっていた。母語はヒンディーなのだが、インド国内のいろいろな言語ができて、英語も話せる。日本に10年以上生活しているので、一応日本語も話せるが、難しいですねえということであった。自分の置かれた環境の中で努力を重ねることが重要なのだが、やはり困難は付きまというということのようである。

厚香苗『テキヤはどこからやってくるのか? 露店商いの近現代を辿る』(2)

7月17日(木)晴れ

 昨日はこの書物の第2章までを紹介したが、本日は第3・第4章を紹介する。

 第3章「近代化と露店――明治から第二次世界大戦まで」は露店商いが近代化に即応しようとし、またその結果として変貌してきた過程をたどっている。ともすると、伝統をそのまま保っているようにみられがちな露店商いであるが、決してそうではないことが論じられている。

 たしかに「現代の東京下町で露店商いをしているテキヤ集団の中で、近世の大都市江戸で商いをしていた商人の系譜を引いていることが予想される集団はいくつもある。
 しかし…由緒書を持っているとか、江戸時代にどのような商いをしていたなどという伝承を持つ集団はほとんどないように見受けられる」(70ページ)と著者は記す。

 この理由の1つは明治の新政府による風俗の取り締まり、軽犯罪法[東京違式詿違(かいい)条例」(1872)の布達によって露店商たちの生活が一変させられたことによる。それまで彼らの間で一般的であった裸体、肌脱ぎや刺青が禁止されたのである。このため、「近世の江戸と近代の東京の間に、露店商たちの文化的な断絶が意識されたとしても不思議はない」(81ページ)と著者は説く。

 「もともと江戸で生活してきた庶民の生活が国家の力で改変されようとする中、露店商の周辺でも新しい時代への適応が模索された」(同上)。これまでの江戸の住人達に加えて、地方から多くの人々が新しい東京に流れ込み、彼らの中には屋台の商売を始めるものも少なくなかった。さらに日本の帝国的な拡張に連れてアジア諸地域からの人口の流入も見られるようになった。

 露店商の商売は加入に際して希望者の前歴を問わないので、門戸が広く、時として犯罪者の入り込みやすい社会であった。露店商たちの使う隠語が犯罪者の集団の隠語と部分的に重なることも指摘されてきた。このため、国家権力から取り締まりや、その前段階としての調査の対象とされることもあった。これに対して、露店商の側からも圧迫に対抗して自分たちの地位向上を目指す動きが出てきた。その中で近代的親分といわれた倉持忠助(1890-1958)のように東京市議会の議員となって政界に進出するものもあらわれた。倉持が中心となって1927年には昭和神農実業組合が結成された。露店商の社会の「弊習」を正すことを目的とするこの団体の名称として、昔から露店商たちが信仰してきた神農が選ばれている点が興味深いと著者は指摘している。しかし、世間の露店商たちを見る目は露骨かついやしいものであった。

 第4章「第二次世界大戦後の混乱と露店商――敗戦後の混乱期――」は終戦後、各地に出現した闇市とその中での露天商の役割、さらに占領政策の元締めであるGHQによる露店の調査・分析と評価、その結果が論じられている。

 戦後、各地に公には売買を認められていないものを扱う市――闇市がターミナル駅などの周辺に設けられた。その最初の時期において、闇市の主導権は誰にあるとも言えず、テキヤ以外に博徒や暴力団、さらには外国人も介在し、混乱した状態にあった。その中で、前回も触れた野口家文書の中には、テキヤ集団が闇市における主導権を握るために協議を重ねていたことを示す資料が見出される。

 一方、占領政策を担っていたGHQの中に設けられた民間情報教育局CIEは社会学的な調査の結果として、露店は社会の病理現象であり、その撤去が望ましいと結論した。このような結論の背後には当時の社会病理学の考えの影響があった。「しかし、研究者が社会病理として露店を見たからといって、露店商が商いをやめるわけではないし、客足が遠のくわけでもない」(119ページ)。その一方で地域社会の伝統としての露店商いへの関心もあったが、民俗学の研究対象として取り上げようとする動きはなかった。

 1949年にGHQは東京都に対して、都区内の国道上にある露店を整理するように命じた。このため、公道上に<露店を並べることへの代替案として、露店を収容するための建築物が各地に作られた。

 私が大学に入学したときに、授業科目の一覧を見ていたら社会病理学というのがあって、面白そうだと思ったことを思い出した。結局、この科目は受講しないままであった。露店を収容するために建てられた建築物について、著者は上野駅前の西郷会館を例として取り上げているが、他にももっと適切で、現在も残っているような例があるのではないかと思う。

 著者は1975年、テキヤのフーテンの寅さんが活躍する『男はつらいよ』シリーズが始まった後、さらにまたいわゆるやくざ映画がその最盛期を過ぎたころの生まれである。やくざ映画の中では、テキヤ、博徒、愚連隊などのやくざ内部における分類は意識されており、それぞれの作品の主人公がそのどれに属するかによって、物語の展開や登場人物の『善悪』の区別に影響が出ていた。1970年にマキノ雅弘監督が日活で作った『牡丹と竜』という作品などは、この書物の、特に第3章の内容と重なる部分があるように思われるし、著者がまだこの映画を見ていないのであれば、観たうえでその感想をうかがってみたいものだと思う。そういうことを含めて、あと1回、この書物の紹介を続けていきたいと考えている。

厚香苗『テキヤはどこからやってくるのか? 露店商いの近現代を辿る」

7月16日(水)晴れ、暑し

 7月14日、厚香苗『テキヤはどこからやってくるのか? 露店商いの近現代を辿る』(光文社新書)を読み終える。東京とその周辺に対象となる地域を限定して、露店商についてのフィールド・ワークの成果をわかりやすくまとめた書物であり、最後まで興味深く読み通すことができた。

 東京の下町に生まれ育った著者にとって縁日やお祭りの際に定期的にやってくる「テキヤさん」は親しみのもてる存在であった。浮かれた気分の人々の集まるところで、さらに雰囲気を盛り上げ、そんな祝祭空間で生計を立てているのが露店商たちである。「新聞などでは露天商とするが、本人たちは必ず露店商と書くので、この本でも露店商という標記を使いたい。主な舞台は東京の下町、具体的には墨田区、江東区、荒川区、台東区周辺で、そのあたりでは伝統的な露店商を『テキヤさん』と呼んでいる」(3ページ)と著者は語る。露店商に対する興味と親しみとがこの書物の出発点となっている。

 露店商のあり方には地域差がある。「テキヤはどこからやってくるのか――先に結論を述べてしまうと、大半は近所からやってくる。もし…この答えに疑問を抱くとしたら、それは…テキヤの歴史的・文化的性格がそうさせるのである」(4ページ)。この書物では地域を東京とその周辺に、また時代を近・現代に限定してテキヤの仕事と伝承を考察している。江戸・東京は近世以来の大都市で、現在に至るまで多様な露店商いが展開されてきたこと、露店商は口頭伝承を好んで文字による記録をあまりつくらないので、語られる情報が豊富な「近い過去」に焦点を合わせることで、彼らの間で形成されてきた「祝祭を祝祭らしくするための不文律」を詳しく分析できるのではないかと考えたためであるという。この不文律の中には親分子分関係や、なわばりなどの「怪しげな」慣行が深くかかわっているという。彼らの慣行には地域性と歴史性とが絡み合って部外者には理解しにくいような複雑さがみられる。

 「現代の日本の祭りに、小さなトランク一つでふらりとやってくる『寅さん』のような軽装の商人はまずいない。商人たちはワンボックスカーに組み立て式の屋台(サンズン)を積んでやってくる」(5ページ)。その一方で、移動する商人たちが商売を許可される時間と場所は制限されがちであり、商売をする場所と売る商品には流行り廃りがある。そして彼らの仕事にはトラブルとデメリットも当然のことながら存在する。この書物は、露店商いの禁・現代における変遷の実態について以下のように論じている;
 第1章 露店商いの地域性
 第2章 近世の露店商
 第3章 近代化と露店――明治から第二次世界大戦まで――
 第4章 第二次世界大戦後の混乱と露店商――敗戦後の混乱期――
 第5章 露店商いをめぐる世相解説――1960年代以降――
  ①親分子分関係
  ②なわばり
  ③口頭伝承と文字による記録
  ④テキヤは特殊なのか

 第1章「露店商いの地域性」では、多くの露店商から聞いた発言として、「静岡あたりの見えない壁」の存在が語られる。「目には見えない、けれども分厚い『慣習の壁』のようなものが静岡あたりにあって、露店商の行動様式を東西に分けているイメージらしい」((21ページ)。「静岡あたり」というあいまいさが重要であるかもしれない。おそらくは静岡市がイメージされているのであろうが、静岡県かもしれない。伊豆、駿河、遠江という3つの国からなる静岡県はむかしから東西の教会と考えられてきた。その線は明確には引けないものであるかもしれないが、とにかく存在するようである。

 文化の違いを見る場合に着目点となるのは集団の組織の原理及び、それを支える伝承である。その1つが「分家」である。東京では「分家」しなくても一人前のテキヤとして扱われるが、関西では一人前になると誰もが「分家」するという。厚さんは、同じ言葉が使われていても、実際に意味するところには違いがあるかもしれないと論じていて、詳しい研究は後日のにゆだねられている。さらになわばりをめぐる慣行も露店商の行動に影響している。

 店を出している露店商の数が多ければ多いほど、その場をホームグラウンドとしている「身内』(=組合員)とよそから来た「旅の人」とが混在している。とはいうものの、少数の例外はあるにせよ、「ほとんどの祝祭空間では地元の露店商が多数派として、地域の事情をふまえて祝祭空間を取り仕切っている」(29ページ)。

 「露店商いをめぐる諸慣行は、北海道・東日本、西日本、沖縄という3つのエリアに分かれるといわれる」(30ページ)。沖縄の慣行が異なるのは、長くアメリカの占領下におかれたことと、沖縄の血縁関係を重視する社会慣行が影響している可能性があるという。

 テキヤの少なからぬ部分が職能神として戴いているのが神農、正式には神農黄帝である(袁珂の『中国古代神話伝説』などを読めばわかるが、本来、神農と黄帝は別の存在である)。「現代の日本で神農は露店商の一部と製薬関係者、特に漢方薬関係者に信仰されている」(37ページ)。「大企業として医薬品を製造する製薬会社は、だいたい神農なら神農、少彦名なら少彦名の崇敬集団を組織して定期的な祭祀を行っている。一方、露店商たちの神農信仰は見えにくい」(39ページ)。

 それでも東京のテキヤは、一人前になることを業界関係者で見届けるダイメ(代目)という通過儀礼を設けており、その際に「神農黄帝」と大きく墨書した半切紙を祭壇の中央に掲げて、その前で「神農道に邁進」することを誓うという。しかし、彼らの神農信仰には見えにくいところがあり、それは①内部的な儀礼の際に最も鮮明に信仰が現われるが、それは外部に示されないこと、②由緒書きのような文書に文字で記録されることがなく、木像や神絵などの図像として身近に意識されることがないこと、③神農廟や少彦名神社といった神農が鎮座している場所へ参拝しないことが原因ではないかと考察されている。

 「露店商いは地域性豊かに、時代に合わせて多様に展開されてきた。そして神農が謎に包まアれているように、いつでもどこでも、外側からはわかりにくい社会を作ってきた」(48ページ)と第1章は結ばれている。

 第2章「近世の露店商」ではまず、近世から現代にかけての露店商の呼び方の歴史的な変遷について考察している。関東地方の場合、近世においては香具師(コウグシあるいはヤシ)、近代になってからはテキヤ(的屋)、現代では露店商((あるいは露天商)という呼び方が一般的であるという。近世の香具師の実態や、現代の露店商との関係についてはわからないことが多いという。彼らが口頭伝承を好み、後世に記録が残りにくい社会を形成してきたことも理由となっている。

 それでも例外的につくられてきたのが、露店商という職種の由来を述べた由緒書であり、東京都調布市を根拠とする橘屋一家の長である野口家には多くの文書が残され、その中に由緒書も含まれている。香具師の仕事についていろいろ書かれてはいるが、今一つはっきりしないところもあり、それは仕事そのものの性質にもよるのであろうが、その一方で社会との摩擦を避けようとしているところも見られるという。

 近代以後にこの仕事のありようがどのように変わっていったかについてのこの書物の内容は、また機会を改めて紹介・論評していきたい。実際に露天商の中に入ってアルバイトをしたりしながらまとめられた研究だけに、仕事の具体的な内容をとらえている部分も少なくないが、その一方で著者自身が認めているように、地域的な多様性を十分に視野に収められていないのは個人の研究としての限界を示すものであろう。とはいうものの、これまでの自分の研究の限界がしっかりと把握されているだけに、多少の停滞はあっても、将来さらに実りある成果が期待できるのではないかと思う。静岡あたりに東西の境界線があるという話と、職能神として神農が祭られているがその信仰は見えにくいという指摘が興味深かった。 

日記抄(7月9日~15日)

7月15日(火)晴れ

 7月9日から本日にかけてであった事柄、考えたことなど:
7月9日
 NHKラジオまいにちフランス語のテキストに書かれていて、放送では省略されていたPourquoi c'est comme ca? (なぜ、そうなの?)では、英語では目的語は動詞の後におかれるが、フランス語では目的語の働きをする代名詞は動詞の前におくという規則が取り上げられた。「日本語でも目的語は動詞の前ですね。『私はあなたを愛しています』。世界の言語全体では、「主語+動詞+目的語』の語順、『主語+目的語+動詞』の語順は、ほぼ半分ずつだそうです」(45ページ)という。これはヨーロッパの言語の文法に染まった議論で、そもそも日本語の文法を論じる際に「目的語」という概念を使う学者はあまりいないのではなかろうか。ついでに言えば、「私はあなたを愛しています」といういいかがも、ヨーロッパの言語の影響のもとで生まれてきた言い回しで、もともとの日本語では求愛の際には、「月が綺麗だね」などと間接的な表現をするのが一般的であった。

 同じくイタリア語の時間で、
Da che binario parte l'Intercity per Trieste? (トリエステ行きのインターシティは、何番線から出ますか?)
という文が出てきた。Intercityは〔インテルシティ〕と発音し、「イタリア国内の主要都市を結ぶ特急列車」だという説明であった。
 英国でもIntercityという列車が走っているが、日本で言うと快速という感じで、特別の料金は取らない。現在ではまた制度が変わっているかもしれないが、英国の鉄道料金はどうも複雑でよくわからないところがあり、英国人に聞いてもやはりわからないと答える人が少なくなかった。

7月10日
 NHKカルチャーラジオ『生誕450年 シェイクスピアと名優たち』の第2回は『恋する少女の変貌』として「ロミオとジュリエット」を取り上げた。講師の前沢浩子さんがジュリエットの立場からこの戯曲を分析していたのがなかなか興味深かったのだが、そのジュリエットを演じた演技者の中で英国の女優であるクレア・ブルームに焦点を当てていたのが特に印象に残った。チャップリンの『ライムライト』で一躍脚光を浴びた彼女が、その直後にジュリエットを演じ、ジュリエットがロミオとの恋を通じて急激に変わっていく姿を比較的容易に理解し、無理なく演じることができたと回顧しているそうである。クレア・ブルームはハリウッド映画にも多く出演しているが、今一つパッとしなかった。ロッド・スタイガーと結婚していたころに出演した『まごころを君に』(『アルジャーノンに花束を』の映画化)が印象に残るくらいである(実際のところ、あまり出演作を見ていない)。ただ、最近では『英国王のスピーチ』でメアリ王太后の役を演じて風格を見せていたのが記憶される。前沢さんがこの作品に言及しなかったのはちょっと残念である。

7月11日
 NHKラジオまいにちフランス語応用編では「歩道橋と心斎橋」が話題として取り上げられた。大阪でアルバイトをしていた時期があるのだが、だいたいキタのほうをうろうろしていて、心斎橋の方に出かけることはあまりなかった。当時、キタには大毎地下、ミナミには戎橋劇場という名画座があった。大毎地下には足しげく通い、仕事の帰りに立ち寄って夜遅く下宿に戻ったこともしばしばだったが、戎橋劇場に出かけたことはほんの数回しかなかったと記憶する。

7月12日
 荷物の整理の中で出てきた赤坂憲雄『遠野/物語考』を読み直している。それよりもまず、『遠野物語』を読み直すべきかもしれない。何が出てくるかわからない作業に影響されて、読書も乱雑になっている。

7月13日
 サッカーのW杯はドイツが優勝。サッカーの強豪であるというのもドイツの一面。もっと注目され、重視されてよい一面ではないかと思う。

 映画を見るつもりだったのだが、上映時間がこちらの都合にあわず、結局天皇杯の2回戦、横浜FC対カターレ富山の対戦を見ることになった。観客はわずかに1,326人。0-1で敗戦。スコア以上に試合の内容には差があった。横浜駅西口に出て、やけ酒を煽る――などという気持ちにさえならない。

7月14日
 フランスの革命記念日。

 NHKラジオまいにちドイツ語入門編でWochenende(週末)についての話題が取り上げられていた。1980年代ごろから経済の活況を反映して休暇が延びる傾向が広がり、1990年代には週当たりの労働時間が40時間ほどになったので、木曜日の夜ごろから週末という感じだったのが、現在では週当たり45時間ほどになっている。Wochenendeの範囲は経済や時代によって変化しているという話であった。日本でも一時はハナモクという言葉があったが、今では死語といっていいだろうね。それでもドイツのほうが日本より労働時間は短く、労働者の権利は守られているのではなかろうか。

7月15日
 NHKラジオまいにちフランス語入門編の「なぜ、そうなの?」のテキストには出てくるが放送されなかった「なぜ、そうなの?」のコーナーによると、フランス語で「最も頻繁に使われるアルファべ」はeだそうである。英語でも同様であるが、他の言語ではどうなのだろうか?
 

びいどろ学士

7月14日(火)晴れたり曇ったり、一時雨

 フランス・ルネサンスとその中心人物の1人であるフランソワ・ラブレー(1483?-1553)の研究家として知られる渡辺一夫(1901-1975)が太平洋戦争中の1944年に「びいどろ学士」という文章を書いている。

 「びいどろ学士」はミゲル・デ・セルバンテス(1547-1616)が1613年に出版した『模範小説集』(Novelas Ejemplares)に収められた短編小説で、セルバンテスの作品の中では、おそらく『ドン・キホーテ』に次いでよく知られた作品である。この作品が会田由によって翻訳されたのをきっかけとして、戦地に赴く若い友人(つまり彼の教え子である)にあててこの短編小説の内容を紹介しながら自分の心中を打ち明ける手紙の形で、渡辺の文章は書かれている。この作品は短いので、わりに簡単に読み終えることができる。わたしも少なくとも2回は読んでいる(『ドン・キホーテ』は何度か読みかけて、途中で挫折した。) 今、手元にこの作品を収めた書物がないので、渡辺の要約をたどって行くことにしよう。

 トマス・ロダーハという貧しい家に生まれ育った青年が、苦学したり、戦乱のさなかであった16世紀後半のヨーロッパを遍歴したのちに、スペインの最高学府であるサラマンカ大学を優秀な成績で卒業する。「ところが秀才で謹厳なトマース学士は、邪悪な女に恋慕された挙句の果て、女はトマース学士を己が意に従わせようとして、惚薬を盛るのだ。しかし、幸か不幸か、惚れ薬は初期の効を現さず、その代わりに自分の体が硝子(びいどろ)でできているという奇怪至極な幻覚に捕われることとなってしまった。学士は、こうした奇病にかかっても智能は健全であるのみか、かえって頭は冴えてきて、いかなる難問をも解決できるようになり、奇蹟的人物としてもてはやされるようになるのだ。この物語の後半は、社会の様々な人間と接した『びいどろ学士言行録』となる」(ちくま日本文学全集『渡辺一夫』14-15ページ)。

 「『びいどろ学士』は、その後名医の治療によって狂気より脱し、心身ともに健康となり、改めて社会にご奉公しようと決心する。ところがそうなると、誰も相手にはしてくれないのだ。社会は狂人の言葉に対しては寛大だが、健康人の憂世の言葉はまま痛すぎることがあるから拒否する。実に無欲恬淡なものだな。わが日本国民だってそうなのだよ。いや、特にそうかもしれない。優れた人々が戯作者や半狂人にならねばならないということは、悲しい証拠かもしれないね。トマースは絶望して首都に別離の言葉を送り、戦乱の国フランドルへ旅立ってしまう」(17ページ)。

 国内でユダヤ人や異端の人々を迫害し、国外では先住民を圧迫して植民地帝国をきずいたスペインだからこそ、『ドン・キホーテ』や「びいどろ学士」のような複雑で屈折した笑いを内包する作品が生まれたのだと渡辺は論じる。「『ドン・キホーテ』も『びいどろ学士』も名作だとは思うが、こういうひねくれた作品は、帝堯あるを知らぬ鼓腹撃壌の国からは決して生まれやしないのだ」(18ページ)とまで極論する。中国古代の伝説的な帝王である堯は理想的な政治を行ったので、世の中が平和に収まり、人々は誰が天子であるかさえも忘れてしまったという。セルバンテスの時代のスペインはその全く逆の社会であったと渡辺は言うのである。

 渡辺が研究したラブレーもまた、宗教戦争のさなかにカトリック、プロテスタント両陣営から攻撃を受けながら、自分の本心を屈折した形で表現しながら、『ガルガンチュアとパンタグリュエル』を書き進めた。セルバンテスの場合でも、ドン・企保手とサンチョ・パンサの遍歴と冒険だけでなく、その過程で彼らが出会う人物たちがそれぞれの物語を展開し、一種の枠物語になっている。複雑に仕組まれた物語の展開の中で、物語が展開し、作者の真意が見えにくい。ただ笑って読めばよいという作品でもない。

 21世紀の今日の世界を見渡しても、言論や思想の自由が極端に制限されている国は少なくない。しかし、そういう国でも優れた文学作品や思想上の著作が発表されている例もある。そのような作品や著作を生み出す源となっているのが教養の伝統であり、人間中心主義の思想である。17世紀のスペインを生きたセルバンテスもまた、ヨーロッパのルネサンスの伝統に連なる人々の1人であり、渡辺の筆致もかなり屈折しているのではあるが、何が抵抗の核心にあるべきかを暗示しようとしているように思われる。

 さて、渡辺は、作家の大江健三郎さんが師事していた先生としても知られている。大江さんが東大の仏文科に所属することになって歓迎コンパの席で、先生の『フランス・ルネサンス断章』を読んで、仏文を専攻することに決めましたといったところ、同じようなことを言い出す仲間が何人かいた。それに対して渡辺は「君たちの行く末を誤らせてどうもすまない」というようなことを言ったそうである。韜晦や含羞もあるだろうが、文学を勉強しようという学生が口をそろえて優等生的なことを言うのは気持ちが悪いという心境もあったのではないか。模範解答も結構だが、一人か、二人は、「先生の翻訳された『未来のイヴ』が面白いと思いました」などというとぼけた学生がいてもよかったと思うのである。

 そうそう、私は本日、ドン・キホーテで買い物をした。

プルタルコス『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』(2)

7月13日(日)晴れたり曇ったり

 以前にも書いたことがあるが、最初の職場では「哲学」を教えていた。技術系の学校で「哲学」を教えるのは、戦前からの思想善導的な意味合いが含まれていたようであるが、果たしてどれほどの効果があったのだろうか。大学で哲学を専攻したわけではないし、それ以上に教養部で履修した哲学の成績は「不可」であったのだから、自分がこの科目を教えるのにふさわしいとはどうも思えなかった。それに加えてさらに、就職先のほうでは「生き方について教えてくれればいい」などといってくるので、ますます混乱してしまった。

 「生き方」は誰かに教えられるものというよりも(教えたがる人がいることは否定できないが)、一人一人が自分で学び取るものである。「哲学」を通して「生き方」を学び取ることもできるし、その可能性を否定するものではないが、実際のところ多くの人は、自分の周囲の尊敬できる人を見習い、尊敬できない人を反面教師にしながら自分の「生き方」を作っていくのではなかろうか。夜、遅くまで哲学書を読むよりも、早寝早起きのほうが健全な生活にとって重要なのではなかろうか。そういう考えから、改めてプルタルコスの書物を読み返してみようと思う。

 プルタルコスの『モラーリア』はヨーロッパの多くの知識人たちに愛読され、称賛されてきた書物だそうである。エラスムスなどはプルタルコスを「最も学識深き」と最大級の賛辞を与えたという。『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』は読んでいて、多くの未知の事柄を教えてくれるし、それ以上に既知の事柄についての新しい解釈の可能性を示してくれる書物である。とはいうものの、プルタルコスの同時代人といってよいタキトゥスの『ゲルマーニア』や『同時代史』に比べるとどうも書物としての魅力に欠ける。

 『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』は著者の知人であるクレアという名前の女性へのメッセージから始まる。古代の書物は手紙の形をとって書かれたものが多いが、これもその1つらしい。プルタルコスは知識は神にお願いをして得るものだとまず述べて、神が人間に与えるものの中で最も重要なものが真理であると説く。そして神にとっても、まして人間にとっても理知が最も重要な価値をもつものであるという。そしてイシスは理知の女神なのである。

 クレアという女性がエジプト人なのか、エジプトに住むギリシャ人なのか、あるいはその他の民族に属しているのかはわからない。名前から言えばギリシャ人かもしれないが、クレアというのが本名かどうかもわからない。ただ、「あなたがお仕えなさっているイシス」(12ページ)という表現がみられるから、イシス信仰に深くかかわっていた人物と考えてよい。だとすると、そのような人物に当の神様についての解説をするというのも奇妙な話である。

 それでも、紀元1~2世紀のローマにおいては、その版図の拡大に伴って様々な信仰が持ち込まれ、共存し、交流していたというのは、現代の中東における宗教紛争を考えると、高く評価すべきことである。2000年近くの歴史をかけて、宗教画憎悪の根源になってしまったというのは人類として恥ずべきことではなかろうかと思われる。プルタルコスは基本的にはギリシャの神々を信じていたのであろうが、そのギリシャの神々はゼウスがユピテルになったようにローマの神々と習合し、新しい属性を獲得していったのである。そのような環境の中で、様々な信仰について哲学的に解釈することによってその価値を安定させ、普遍的なものとすることがプルタルコスの意図であったと思われる。

 もっとも、イシスという名前はギリシャ語起源だといったり、この神様はギリシャの神々の系譜ではどのように位置づけられるかなどと論じたりして、プルタルコスがギリシャ中心の考え方を脱しきっていないことも注目しておく必要があるだろう。そういう自己中心的なものの見方があるにせよ、他の信仰・世界観をそれなりに認めていくという態度を我々は限定的にではあるけれども評価していくべきではなかろうか。

 書物の冒頭の本の数ページの内容を紹介しただけで終わってしまった。ただ、外国の神様について哲学的に考察しているこの書物よりも、外国に暮らす人々の姿をできるだけ客観的にとらえようとしたタキトゥスの書物のほうが面白いという私の意見に同意していただけるならば、幸いである。



 

「アイドル」再考

7月12日(土)晴れたり曇ったり、暑し

 ものを考えるときに、その際に使用する言葉の意味をしっかり押さえておくことが大事である。

 以前、夜、酒を飲んでいたら、会社員風の2人連れの男性が、上司が「アイドルのアイは愛情のアイだ!」という熱弁をふるったとかで、ぼやいているのが聞こえてきたことがある。本来の意味からはだいぶ外れてしまっているが、アイドルの語源は英語のidolで「愛情」とは何のゆかりもない。そんなことは知っての上で、部下にはっぱをかけるつもりで言ったのかもしれないが、意図を誤解されて、何と無知な上司だろうとかえって軽蔑される恐れもある。

 英語のidolの語源はラテン語のidola(idolumの複数形)で、これはさらにギリシャ語のeidolon(古典ギリシャ語には強くないので、辞書のままに、ローマ字で書いた)という言葉に由来し、もともとは「幻影」という意味である。それが転じて「偶像」という意味でも使われるようになったのだが、idolという言葉を物事を考える上でのカギになる概念として提案したのが英国のフランシス・ベーコン(1561-1626)である。彼は『ノヴム・オルガヌム』という書物の中で、人間の偏見や先入観がどのようにして生じるかを説明している。それには人間がもともともっている性質に基づくものと、個人や社会に原因が求められるものがあるというのである。

 「種族のイドラ」(the Idols of the Tribe, idola tribus)というのは人間の感覚の性質に基づく誤りで、太陽や月が地平線上では大きく見えるというような現象がその例である。人間は自然の性質上も誤ることがある存在であるという指摘は心に留めておくべきであろう。

 「洞窟のイドラ」(the idols of the Cave, idola specus)というのは個人がその経験にとらわれすぎておこる誤りを言う。個人の実体験を大事にするのはいいことなのだが、その人が体験したことがたまたま例外的な事例だったということもあるから、他人の経験も参考にして柔軟に考えていかなければならない。
,
 「市場のイドラ」(the Idols of the Market, idola fori)というのは伝聞などによる言語の混乱に基づく誤りを言う。同じ言葉を使っていても、その言葉の定義が人によって違い、それで議論がすれ違うということはよくある。

 「劇場のイドラ」(the Idols of the theatre, idola thatri)というのは伝統的な権威に基づく考えや思考法を鵜呑みにすることから生じる誤り。地球は平たいとか、天動説を人々が長く信じてきたのはその例である。

 こういうことを言い出したベーコンが単なる学者先生ではなくて、法律家であり、政治家であった、顕職についたけれども疑惑に巻き込まれて地位を失った人だというのが興味深い。なにかというとすぐ「風評被害」と言い出す現在の日本の政治家に比べると何十等か高い知性を持った人物に思われるが、その彼でも政治の世界を乗り切れなかったのである。

 さて、アイドルの話に戻る。最近は、見かけなくなった日清食品のカップヌードルのCMで「この国の若者たちはアイドルとヌードルが好きです」という。日本語だと両者はうまく脚韻がそろうのだが、英語だと「idols, noodles」で脚韻がそろわない。多分、そのあたりも考えての遊び心で作ってみたのだろうと推測しておく。 

語学放浪記(37)

7月11日(金)晴れたり曇ったり、一時小雨がぱらつく。

 最近、出会った2つの事柄について感想と意見を書いておく。

 7月9日のラジオまいにちフランス語の時間で講師の大木充先生が「往年の名女優ジャンヌ・モローのような」という表現をされた。これはまずいでしょう‼ ジャンヌ・モローは86歳の今日も現役で、最近も出演作である『家族の灯り』が上映されていた(残念ながら物語が暗すぎてつまらなかった)。「往年の」ではなくて、「今なお元気な」というべきだろうと思う。

 若いころは語学の勉強を名目にして、映画を見るという人が少なくない。わたしもそうで、京都の日仏学館で上映されるフランス映画を都合がつくと必ず見に行ったものである。これは以前にも書いたはずだが、字幕が英語なので、英語の勉強にもなった。ジャン・ルノワールの『コルドリエ博士の遺言』(ジキルとハイドもの)とか、ロベルト・ロッセリーニの『ルイ14世の執権』のような日本未公開作を見る機会があったのはよかったが、同じルノワールの『恋多き女』を上映する際に、『エレーナと男たち』と現代の直訳で紹介したりするような不親切なところが玉に瑕であった。『ルイ14世』はイタリア語の会話にフランス語字幕だったので歯が立たなかったのを記憶している(これも以前に書いたのではないか)。

 さて、このように若いころは映画に親しんでいても、就職してしまうとなかなか時間が取れず、学生時代ほどに映画を見ることができなくなる。それでも都合をつけて映画を見に出かけたり、多少金銭的な余裕ができれば、ビデオやDVDを活用して映画に親しむという手もあるが、映画界の情報を手に入れるということになるとどうしても不利になる。大木先生の場合も、若いころはジャンヌ・モローの映画をよくご覧になったのであろうが、最近の彼女の動静についてはあまり情報を得ていないということではないか。

 1970年の大阪万博のフランス館でフランス映画の特集回顧上映がなされた際に来日したジャンヌ・モローに出会った、昔のアルバイト仲間の弟さんが、フランス語で話しかけたら、喜んで相手をしてくれて、サインをもらったという話をアルバイト仲間から聞かされてうらやましく思ったこともある。万年初級を脱出すべく発奮させるようなエピソードであったが、その後の努力が続かず、今に至っている。

 この記事を書くために調べてみたところ、私はジャンヌ・モローの出演作品をこれまで17本みていることが分かった。これは外国の女優としては多分、最高の本数で、日本の女優でも17本映画を見ているという人はいないのではないか。男優ではフランキー堺の出演作品を25本は見ているので、国内外の男優・女優を通じてトップというわけではないが、かなりよく見てきたといえるそうである。

 さて、映画の話ではなくて、語学の話である。本日、ある大規模な書店の語学書コーナーを覗いていて、ドイツ語の本よりも、イタリア語の本のほうが広いスペースをとっていることに気付いた。もちろん、この書店でたまたまそうなっているというだけのことかもしれないが、大学ではドイツ語を履修する学生のほうが、イタリア語を履修する学生よりも多いと思われるだけに、注目すべきことである。つまり生涯学習という見地からすると、イタリア語の人気がドイツ語に追いつき、追い越そうとしているようなのである。

 ドイツ語のほうがイタリア語よりも使用する人口は多いし、政治・経済の面から見てもドイツのほうがイタリアよりも重要な地位を占めている。今回のサッカーのW杯でもドイツは決勝に進もうとしている。確かにドイツ人には英語がよくできる人が多いし、ビジネス上の会話など、英語で事足りることが多いのであろう。実は私も、ドイツ人とは日本語か英語で話してきた。もっとも、それを言うならば、イタリア人とだって英語で会話してきた。

 イタリア語の魅力はどこにあるのか? イタリア語を勉強するのは、音楽、料理、観光、映画、ファッション…何が動機になるのだろうか。私の場合は、須賀敦子さんの本を読んだのが大きなきっかけになっていて、イタリアの小説をイタリア語で読みたいという気持ちが強い。実は英語でも、小説やエッセー、それから旅行記を読みたいという気持ちが強く、空港内の書店をうろうろすることがあった。そうすると、その言語による文学作品の優れた紹介者がいるかどうかが勝負になるような気もする。ドイツには伝統的に推理小説がみられず、イタリアにはあるというようなことも影響しているのかもしれない(最近は、ドイツでもネレ・ノイハウスのような作家が出てきたので、これからが楽しみである)。

 以上は、私の個人的な事情について述べてみたのだが、より一般的に視野を広げて考えてみても、英語以外の言語の学習においては、結局のところ、実用よりも趣味・教養のほうが強い動機になっているのではないか・・・と改めて考えている次第である(もちろん、そういう人のほうが多いのではないかということであって、すべての人がそうだというわけではない。)

百歳を超えた伯母に

7月10日(水)雨が降ったりやんだり、台風が近づいている

 昨年の12月28日の当ブログで「百歳を超えた伯母に」という詩を投稿したが、その伯母がとうとうこの世を去った。昨年、書いた詩に少し手を加えて改めて発表することで、伯母の冥福を祈りたい。

 百歳を超えた伯母に
百歳を超えた
私の伯母は
とうに亡くなった
実の弟である
私の父と
甥の私の
区別がつかなくなっている
そして
次郎は禿げた、
はげたといって
帽子をかぶれと
世話を焼く

区別ができないほど
私と父の
顔が似ていると
父と私は
おたがいに思っていなかったのだが、
伯母には
よく似て見えるらしい。

会社の役員をしていた父は
六十歳を過ぎて間もなく
現役のまま亡くなり
私はというと
定年を過ぎて、
まだ何とか生きていて
間もなく七十歳になる。
禿げているのは
父よりも長生きしたからで
長生きしたからといって
いいことばかりではないかもしれないが、
禿げた、禿げたと
心配しているご本人のほうが
もっと長生きして
いいことも悪いことも経験しているはずだ。

いいことも悪いことも
あるとはいっても
元気で長生きするのは
いいことに違いない
今年もあとわずか、
来年もしっかり
いきぬいてほしい。

残念ながら、願いはかなわなかったのだが、それでも長寿ぶりをうらやましく思う気持ちがどこかにあり、これからもたぶん、どこかで私のことを見守っているのだろうという気がする。幸か不幸か、まだ仕上げていない仕事もあるし、伯母の生前の期待に応えるべく、努力を重ねて生きていきたいと思う。

プルタルコス『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』

7月9日(水)雨が降ったりやんだり

 引越しの後の荷物の整理でただでさえ落ち着かないのに加えて、台風の襲来で、朝のフランス語の時間の途中で急に台風による特別警報の放送が流れたりした。先行きが思いやられる。

 このブログで取り上げている書物については、荷造りの時に特別に配慮したつもりだったのだが、どこかに紛れ込んでしまって、まだ発見できないでいる。その代り、あれっ、こんな本をもっていたのかと思うような本が出てきたりするので、つり合いは取れている――などとのんきなことを言っている場合ではないのだが、プルタルコスの『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』(柳沼重剛訳、岩波文庫、1996)を思いがけず荷物の中から見つけた。

 プルタルコスは紀元1世紀から2世紀の初頭にかけて生きていたギリシャの学者である。日本ではプルタークという英語読みの名前でよりよく知られている。もっとも、欧米の読書家たちが読んでいた(読まされていた)ほどに日本では彼の書物は読まれていないようである。この『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』は彼の浩瀚な著作『モラーリア』(『倫理論集』と訳している人もいる)の一部であり、エジプトの主要な神々であるイシスとオシリスをめぐる物語としては「最古の文献であるばかりでなく、唯一の信頼できる典拠でもある」(205ページ)と「解説」で柳沼さんは書いている。古代のエジプト人たちが石碑やパピルスに膨大な文字を残したことを考えるとこれは奇妙なことである。詳しい詮索は専門の学者に任せることにして、エジプトの2人の(夫婦である)神々の物語はプルタルコスのこの書物を通じて広く知られることになった。

 子どものころ、野尻抱影の星や星座の伝説をまとめた本を読んでいて、この物語に出会ったことを思い出した。野尻は英文学者で、『鞍馬天狗』などで知られる作家・大仏次郎の兄弟である(兄だったと思う)。野尻がどんな形でこの物語を知ったのか、たぶん、英語で読んだのだろうが、あるいはひょっとして…などと考えるのも楽しい。野尻の影響で西洋の古典に興味を持ったという人は、意外に多いのではないかと思う。たとえ、彼が英語を通じてギリシア・ローマの古典に親しんでいたにせよ、その影響力は小さいものではなかったはずである。

 オシリスは万物を産んだ男神で、王としてエジプトの支配者ともなり、それまで野蛮で獣のような生き方をしていた人々を教育して、文明を与えた。ところが彼の兄弟であるセトは、彼の地位を奪おうとして、はかりごとを設けて彼を生きたまま棺の中に閉じ込めて、ナイル川に流した。オシリスの妹であり妃であるイシスは、その棺がフェニキアのビビュロスに漂着しているのを知ると、それを引き取ってナイル河口のブトに運んだ。セトがこれに気付いて、今度はオシリスの遺骸を14に切断してばらまいた。イシスはその遺骸の断片を探して各地を放浪し、息子のホルスの協力を得てオシリスをよみがえらせ、セトに復讐した。こうしてオシリスは死者たちを支配する神となり、さらにまた死んでまたよみがえる神としても尊崇を集めた。

 ナイル川とその河口、死と再生などエジプトらしい物語の展開とも思われるが、細かい点を見ていくと他の民族の神話と共通する要素も見いだされる。物語を紹介したのちに、プルタルコスは彼独自の解釈を試みる。興味深いのは、一方で神や超自然的な現象の存在を信じながら、他方で昔の物語の合理的な解釈を求めようとしている著者であるプルタルコスによる解釈である。プルタルコスの時代にはすでにキリスト教が多くの信者を隠していたはずであるが、彼の宗教観はもっと別の所に目を向けているようである。それでも、彼はローマが地中海一帯を支配し、様々な文化が交流・融合していた時代の人であって、それゆえに、より複雑に練り上げられた学識に基づいて神話についてもっとも知的な解釈を加えたと考えるべきである。

 書物の具体的な内容については別の機会に詳しく書こうと思うのだが、本日、NHKEテレの「100分de名著 ファーブル昆虫記』の第1回の再放送を見たのだが、番組中でファーブルがフンコロガシに対して抱いた興味が強調されていたのを思い出した。「武士階級の人々は黄金虫の印形をもっていましたが、これはこの虫がみな雄ばかりで雌がいないからです。この虫は糞を丸めてその中に子を産みますが、こうして産む場所を作っているだけで、この糞がこの栄養になるわけではありません」(28ページ)。フンコロガシが子どもを産むのはただ単に糞を丸めてその中に産むのではなくて、洋ナシのような形の球体を作って、こどもが呼吸しやすいようにするとか、子どもは糞を食べて育つとか、ファーブルが観察し、発見したこととプルタルコスの断定はかなり違っていることも頭に入れておいてよいことである。書物の後の方で、プルタルコスはフンコロガシについて「わずかながら何がしか、神々の力を連想させるものがみられるから大事にされる」(129ページ)とも書いていて、この虫について昆虫学者とは別の目を向けていることがはっきりするのだが、それはそれで興味深いことだと思う。

日記抄(7月2日~8日)

7月8日(火)晴れ

 リフォームが一段落して、元の住まいに戻ることになった。新しい環境のもとで、どうも手間取ることが多く。引越し前後の動きと、この間に考えたことについてごくごく簡単に書いておくことにしたい。

7月2日
 まいにちフランス語の時間でフランスでは、どんなスポーツが人気があるのかという話題が出てきた。一番人気があるのはサッカーで、次にテニスとサイクリングであり、フランスの南部、特に南西部ではラグビーも人気があるという。女性は体操やジョギングをすることを好むというが、スポーツの人気といっても、「する」ことと、「見る」あるいは[応援する]というのと、2種類の人気があるのではないか。ツール・ド・フランスの熱狂はサイクリングを「する」ことの人気と無関係ではないだろうが、全く同じものではないだろう。ペタンクの話題が出なかったが、最近はあまり人気がないのか、あるいはスポーツではなくただの遊びだと考えられているのであろうか。

7月3日
 まいにちドイツ語応用編で自動詞の受動態の例が取り上げられた。
Heute wird in meiner Firma auch gearubeitet. (今日も会社では仕事があるんだ。)という文では動作主が示されず、主語もない。大学時代、第二外国語としてドイツ語を勉強したときに、こういうことを教えられたという記憶が欠落している。ただ単に、私が怠け学生だったというだけのことかもしれないが、日常会話で使われている表現には、文法的に考えると難しいものが少なくない。外国語の学習で会話と文法のどちらを重視するかという議論をする人がいるが、そういう二分法的な思考では十分な解決は得られないのではないだろうか。

 まいにちイタリア語応用編に出てきた表現
Penso che sia troppo diffiile. (難しすぎるのではないかと思います。)
そういうことは少なくない。

 前田英樹『民俗と民藝』(講談社選書メチエ)を読み終える。昨年に刊行されたときに購入して、その後途中で読書作業を中断したりしていた。柳田国男と柳宗悦について対比的に論じた書物であるが、2人の世代や環境の違いにもっとこだわって議論を展開した方が面白かったのではないか。

7月4日
 アメリカの独立記念日。外国のことだといってしまえばそれまでだが、どうも影が薄くなっているような気がする。

 4月のフランス語、5月のラテン語、6月のドイツ語に続いて、7月はイタリア語の学習に励むつもりで関口英子 白崎容子『名作短編で学ぶイタリア語』を購入した。白崎さんは4月からまいにちイタリア語入門編の講師をされているので、ちょうどいいかもしれない。しかし、眺めてみたところ、最初の方は易しく、面白く読めるとはいうものの、最後の方になるとタブッキのかなり難しい作品が取り上げられていたりして、そう簡単に読みこなせそうもない。

7月5日
 体調が悪く、食欲もないのに、テレビのスポーツやグルメ番組ばかり見ている。どういうことであろうか。

7月7日
 NHKBSプレミアムで市川崑監督の『太平洋一人ぼっち』を見る。1962年に日本人として初めてヨットで太平洋を横断した堀江青年を石原裕次郎が演じ、横断航海の苦闘の描写の合間に、航海に出かけるまでの経緯や、周囲の人々との葛藤が回想場面として挿入されている。裕次郎というスターが主演していることでどうも現実性が希薄になってしまっているのではないかと思う。田中絹代が演じている母親が印象に残る。今年は私にとって田中絹代再発見の年になってきたような気がする。

7月8日
 引っ越しを終える。狭い住まいに多すぎる荷物。これからどうするか。 

地下鉄

7月7日(月)雨が降ったりやんだり

 NHKラジオまいにちフランス語の時間で、地下鉄の切符売り場で観光客が係の職員にむかって
Pour aller à la tour Eiffel, c'est qulle ligne? (エッフェル塔に行くのには、どの線に乗ればよいのでしょうか?)などと質問する場面が取り上げられ、番組中の余談として、パリには14の地下鉄路線があって、観光には便利であるという話が出てきた。ただ、東京とか、ロンドンとか、ニューヨークのような他の都市と比べてどうなのかという方向に話が進まなかったので、その点がちょっと残念であった。

 かくいう私、地下鉄には多少のなじみがあって、国内では東京メトロと、都営のほか、札幌、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、福岡、海外ではソウル、ロンドンの地下鉄に乗っている。リヴァプールにも地下を走る鉄道があるのだが、地下鉄の内に入っていないようである。パリに出かけたことはあるが、地下鉄に乗っていない。バンコクにも出かけたことがあるのだが、そのころはまだ地下鉄が開通していなかった。国内では仙台と広島の地下鉄には乗っていない。

 パリの地下鉄が数え方によって違うとはいうものの、14路線というのは他の都市に比べて多い。東京はメトロが9路線、と映画4路線で、東急の二子玉川線を地下鉄に加えれば同数になる。ニューヨークは数え方によるが、24系統、34路線というからもっとすごい。世界最古の伝統をもつロンドンの地下鉄は11路線で、ほかの都市に比べると車両が小さい。英国人は体が大きいので、車内は窮屈に感じられる。それでも1日乗車券を使ってロンドンの地下鉄をあちこち乗り回したのは懐かしい思い出であるが、今ではオイスター・カードにとってかわられた。

 パリの地下鉄といえば、レイモン・クノーの小説をルイ・マルが映画化した『地下鉄のザジ』は好きな作品の1つで、3回ほど見ている。母親とともに地方で暮らしている少女ザジがパリにやってくる。彼女は地下鉄に乗ることを楽しみにしているのだが、あいにく地下鉄はストライキで動いていない。最後に、彼女がパリを去るときに、ストライキは終わって地下鉄に乗ることができたのだが、彼女は眠りこけていて、地下鉄がどういうものか経験できずじまいに終わる。

 映画の最初の方でザジは地下鉄が地上を走っていることを知って失望するが、フランス語で地下鉄はメトロであり、「都市」という意味は含まれていても、「地下」という意味はない。少し前まで東急東横線の渋谷駅は東急デパートの2階に相当する高架線上にあり、東京メトロの銀座線の渋谷駅はさらにその上にあった。こちらは今でもそうである。作家の竹内真さんがあるとき、地方から出てきたらしいおばあさんに、地下鉄に乗るにはどうすればよいのか聞かれたので、あそこの階段を昇ればいいですよと答えたところ、「田舎者だと思ってバカにするな! 地下鉄が地下を走っているくらい私でも知っている!」とすごまれたという話を書いている。しかし、地下鉄が地下を走らない場合が少なくないことを知っていないといけないのである。(この話では、『地下鉄』と一般的な質問になっているところが気になる。そのころ、渋谷駅で利用できる地下鉄は銀座線だけだったのであろうか?)

 ヨーロッパの都市で比較的地下鉄網が整備されていないのはローマだそうである。映画『フェリーニのローマ』の中で、地下鉄の工事をしていたら、ローマ時代の遺跡に行き当たり、しかもそれが外気に触れて一気に破壊されていく様子が描かれていた。その一方、イングランドのニューカッスルはcarry coals to Newcastle(ニューカッスルに石炭を運ぶ=余計なことをする)という成句があるほど炭鉱として知られた都市であるが、地下鉄が走っていて、あるいは昔の坑道が利用されているのではないかと思ったりする。地下鉄は近代の産物のようでいて、それぞれの都市の歴史的な単純とは言えない過去を反映しているのである。

太平記(6)

7月6日(日)晴れたり曇ったり

 後醍醐天皇とその側近の公家たちは倒幕の密議を進めていたが、彼らが当てにした武士たちの一人が企てを漏らし、密議に参加していた土岐頼時、多治見国長らは六波羅によって討伐される。陰謀の中心にいたのが日野資朝、俊基であることが明らかになり、鎌倉から長崎泰光と南条宗直が使者として上洛して、正中2(1325)年5月10日に彼らが捕縛される。脚注によると、歴史的な事実としては、使者となったのは工藤右衛門二郎と諏訪三郎兵衛であり、2人が召し取られたのは正中元年9月のことだそうである。武士たちが全滅したので、おそらく自分たちに嫌疑はかからないだろうとはかない望みをつないで何もしなかったために、妻子までも路頭に迷うことになる。俊基はわざと重要な文書を読み間違えて姿をくらまし、諸国の事情を探るほどの知恵を発揮していたのが、今回はなぜかそのような知恵が働かなかった。もっとも武士たちが討伐されてすぐに姿をくらませばかえって怪しまれると思ったのかもしれない。

 作者は日野家が儒学によって朝廷から重く用いられてきた家柄であり、資朝、俊基がすぐれた才能を見せて天皇から寵愛を受け、重要な職務につけられてきたが、突如失脚したことについて盛者必衰の理(『平家物語』だね)を説く。陰謀の中心人物がほかならぬ後醍醐天皇であり、その後の事態の展開から見ても、彼らの行動にはそれなりの理由があったと判断してよいのだが、そのようには評価されていないことに注目する必要がある。

 鎌倉からの使いは、資朝、俊基の2人を召し連れて、鎌倉に到着する。この2人は陰謀の首謀者なので処断は免れないところであるが、朝廷の重臣であり、その才知や能力について世間から高く評価されている人物であるので、世間の評判や天皇のお怒りを懸念して、拷問にかけることもなく、通常の罪人のように侍所に留置しておいた。

 その年の7月7日、七夕の夜、宮中ではこれからの事態を心配してお祭りどころではなかったが、夜が更けて、後醍醐天皇は誰か身近にいないかとお尋ねになった。すると、吉田中納言冬方が私がおりますと、おそばに伺候した。天皇は資朝、俊基が捕えられ、「東風なほ未だ静かならずして、中夏常に危ふきを踏む」(66ページ、鎌倉の様子はまだざわついていて、朝廷の危機が続いている)、どのようにして、鎌倉幕府の気持ちをなだめればよいのかと質問された。そこで、冬方は、告文(言動に偽りがないことを神仏に誓い、相手に表明する文書=起請文)を鎌倉にあててお出しになればよいと申し上げ、天皇もそれに同意されて、冬方に草案を書けと仰せられる。草案を読んで天皇は涙を流され、近くにいた公家たちも悲嘆にくれる。

 やがて万里小路中納言宣房を勅使として、この告文を関東に下される。北条高時は馬鹿だから、開けてみようとするが、幕府の重臣で賢者として知られる二階堂出羽入道道蘊がこのような文書はこれまで発行されたことがなく、まして開けてみたなどという例はない。神聖な文書を粗末に扱うと祟りが恐ろしいと諌める。しかし、高時はそんなことは気にせずに斎藤利行に読ませる。この斎藤は、前回登場して、自分の娘が告げた陰謀を六波羅に伝えた人物である。読んでいるうちに「叡心の偽らざるの処、天の照鑑に任す」(68ページ、天皇の心に嘘がないことは、神仏がご覧になっているはずである)と書かれているところを読んだとたんにめまいがして、鼻血が出てきたため、読み終えないままその場を立ち去ってしまうが、その日から、喉の下に悪性のできものができて、1週間もたたないうちに死んでしまった。

 「時澆季に及んで、道塗炭に落ちぬと云へども、君臣上下の礼違ふ時は、さすが仏心の罰もありける」(68ページ、道徳が衰微し、人情が浮薄な末世となり、人道が廃れて泥水にまみれ、炭火に焼かれるような世の中になっても、君臣上下の礼を間違えるようなときは、さすがに仏神の罰も下るものだ)とこれを聞いた人々は恐れた。ここでは天皇が神仏に誓った文書をみだりに開いて読んだことで罰が下り、しかもその罰が高時にではなく、読んだ斎藤の方に下っていることが特徴的である。ここで高時が神仏の意思を受け止めて、自分の政治姿勢を改めれば、あるいは世の中の動きも変わったのかもしれない。が、事態はそのようには推移しない。

 とはいうもののこの事件で高時は多少は遠慮する気分になり、朝廷の事柄には介入しないと天皇に対して、御告文を返却する。宣房は京都に戻り、一部始終を報告して、天皇はここでようやく安心される。そのうちに、俊基については罪の証拠が不十分だということで赦免され、資朝については死罪となるべきところを一段軽くして、佐渡に流刑となる。

 『太平記』第1巻は「正中の変」と呼ばれる事件の収拾をもって終わる。作者は鎌倉幕府に対して批判的であるが、朝廷を手放しで支持しているわけでもないような筆法で事態を述べてきた。斎藤利行に仏神の罰が下って死んだというのが歴史的な事実としてどの程度確認できるのかはわからない。この調子で悪いやつ(あるいは少なくとも作者にとって都合の悪い、大義名分の立たない登場人物)が片付いてくれれば物語は順調に進むのだが、そうはいかない。それが末世であるということであろうか。そしてその『太平記』からさらに後世に生きているわれわれは、自分たちの時代を道徳がさらに衰微した時代ととらえるきか、それとも多少は改善された時代ととらえるべきか、判断に苦しむのではないか。

ダンテ・アリギエリ『神曲 地獄篇』(3)

7月5日(土)雨が降ったりやんだり

 第3歌でダンテは、ウェルギリウスに導かれて地獄の門をくぐる。門の頂には次の9行が記されていた。

 私を通って悲しみの都に至り、
 私を通って永遠の苦悩に至り、
 私を通って失われた者どもの間に至る。

 正義は高き造物主を動かしたり、
 私をなしたるものは、神の力、
 至高の知、第一の愛。

 私の前に造られたるものはなし
 永遠なる事物の他には。そして私は永遠に続いていく。
 あらゆる希望を捨てよ、ここをくぐるおまえ達は。
(54ページ) この9行は「新たな文体、新たな文学、新たな世界の宣言とも取れる。それはリアリズムの意思だ」(521ページ)と巻末の「各歌解説」で翻訳者である原基晶さんは述べる。以前、須賀敦子の文章を読んでいて、イタリアの詩のリアリズムの伝統はダンテから始まるという個所に出会ったことがある。天国という救済を描く前に、詩人は現実世界の悲惨さを徹底的に描き切らなければならないのである。ダンテは中世的に救済を求める一方で、近代的に現実と向き合うことになる。

 この9行を目にしたダンテは、ウェルギリウスに対し弱音を吐く。するとウェルギリウスは
「ここではあらゆる疑いを捨てねばならぬ。
あらゆる怯懦はここで殺されねばならぬ。・・・」
(55ページ)といって、ダンテを勇気づけながら、先を急がせる。

そこには、嘆きが、泣き叫ぶ声が、高い悲鳴が
星のない大気の中に響き渡っていた。
(56ページ)
聞こえてくる不思議で不気味な声は、善と悪との戦いの際に怯懦のゆえにどっちつかずの態度をとった卑怯者たちのものであるとウェルギリウスは言う。
「・・・
この者どもの名は地上に一片も残らず、
慈悲、また正義も一顧だにせぬ。
我らはこの者どものことを口にはせぬ。ただ眺めて過ぎればよい」。
(58ページ)
第5歌以降の地獄に登場する霊たちが詩人によってさまざまな感情を寄せられているのとは対照的である。そして、怯懦を憎む詩人の言葉の中に、ダンテの近代に向かう精神を認めてもよいのではないか。

 そして2人は冥府の川であるアケローンへと近づく。この川は本来ギリシャ・ローマ神話の中の存在であるが、この作品ではキリスト教の彼岸の世界に組み込まれている。川の渡し守であるカロンは、ダンテがまだ死んでいないことを理由に行く手を遮ろうとするが、ウェルギリウスは2人の道行きは神の意志を受けてのものであるといってカローンを言い負かす。カロンもまた本来はギリシャ・ローマ神話の存在であった。

 ダンテが川を渡ろうとすると、暗闇に包まれた河原が激しく揺れ動く。
涙を限りなく吸ってきた大地は風を吹きあげた。
風は鮮やかに赤い稲妻の光を走らせると
その光は私のあらゆる感覚を奪った。
そして、倒れた、眠りに昏倒したもののように。
(66ページ)

 第3歌には、どこかで既に耳に(目に)したことがあるような有名な言葉が多くみられる。そこに作者の作品に対する熱意を読み取ることができる。我々が天災地変に遭遇して記憶に残してきたイメージに訴えながら、地獄の姿を描いていく詩人の筆さばきは称賛に値する。またそれとともに、地獄がどのようなものであるかという説明を通じて、ダンテの神学の一端が語られている。さらに、アケローンとカロンに見られるように、ダンテがギリシャ・ローマの神話の世界をキリスト教の体系の中に織り込みながら、新しい思想を作ろうとしていることも注目されてよい。そしてダンテの導き手となるウェルギリウスが単にローマの詩人というだけでなく、キリスト教以前の人類が達した叡智の体現者という役割を担っていることも念頭に置く必要があるだろう。 

果しなき欲望

7月4日(金)雨が降ったりやんだり

 ラピュタ阿佐ヶ谷で今村昌平監督作品『果しなき欲望』(1958、日活)を見る。藤原審爾の原作をもとに今村と鈴木敏郎が脚色、浦山桐郎が助監督を務めている。

 終戦から10年たった年の8月15日、地方の駅に何人かの男女が降り立つ。ラーメン屋の店主である大沼、薬剤師の中田、やくざの山本、中学校の教師だという沢井、彼らは終戦の日に上官だった橋本中尉の下で時価6千万円になるというモルヒネを防空壕の中に埋めた仲間である。彼らはバッジを目印にお互いを確認するが、肝心の橋本が現われない。しかも、1人余計な男が現われる。駅前の交番の前でとっ掴み合いになるかというところに、橋本は死んで、その遺志を引き継いできたと自称する若い女志麻が現われる。

 町はすっかり様変わりしている。彼らがモルヒネを埋めた場所は商店街の中で肉屋が店を構えている。幸か(不幸か)そこから20メートルほど離れたところに空き店舗があり、大沼と志麻が夫婦を装い、不動産屋を開くということで店舗を借り受けようとするが、店主はなかなか承知せず、なかなか就職が決まらずにうろうろしている自分の息子を雇うことを条件にやっと貸すことを承知する。なぜか敷金が法外な額であり、男たちは自分たちの受け持ち分を融通するためにいったん解散することになる。…しかし、10年という決められた時よりも前に何度か下見にやって来たような男たちのことである。すぐに戻ってきて、地下の穴を掘りはじめる。大阪で山本が事件を起こして逮捕されたことが分かる。彼らはむしろ安心しているのだが…。

 「不動産屋」の社員に就職した家主の息子には恋人がいて、それが肉屋の娘である。しかもこの娘には、彼らが借りた店舗の隣に店を構える用品店の息子が同じく言い寄っていて、彼が「不動産屋」の動きを逐一観察していることが分かる。それだけではない、商店街は8月末をもって取り壊されることが決まる。しかも、取り壊しの作業中に、台風が襲来する。映画は画面を分割して地上で進む商店街の取り壊しと、地下で進むトンネルの掘削を同時並行的に描く。台風の場面など迫力がある(西日本の豪雨のニュースをTVで観た翌日ということを考えるとあまり気持ちの良いものではないが、この気持ちの悪さも今村の映画の持ち味である)。

 5人の男女はそれぞれを出し抜いて自分の取り分を大きくしようと企んでいる。しかし、そういう彼らの動きは、どこかで、誰かに見破られているのかもしれない。悪人だらけの中で善良そうに見える家主の息子を演じている長門裕之と肉屋の娘の中原早苗が、物語の進行の中での役割以上にクレジット・タイトルでは大きく扱われ、渡辺美佐子、殿山泰司、西村晃、加藤武、小沢昭一らの芸達者たちが実際のところ物語を支えている。まだまだ若い芦田伸介が刑事役で姿を現すのも見どころではある。トンネル仲間どころか、家主の息子まで誘惑して自分の意のままに動かそうとする渡辺の演技(ブルーリボン助演女優賞を受賞したそうである)も見応えがあるが、どうにもはっきりしない長門の性格表現と、はっきりしすぎる中原の対比もなかなかの見ものである。

 彼らの「店」を巡礼が訪れたり、大沼を演じている殿山泰司が時々、仏心を起こしたりする描写がその後の今村の映画作りにおける民衆文化・宗教に対する姿勢を予示しているようにも思われる。今村監督をはじめ、出演者の多くが既にこの世を去っている。これから、今村の業績がどのように継承されるかを見守っていきたいと思う。ところで、一昨年、今村の師匠である川島雄三の『グラマ島の冒険』を見たときには超満員だったこのラピュタ阿佐ヶ谷に今回は空席がみられたのは残念である。日本映画の旧作を見直し、評価しなおし続けることの重要さを改めて主張しておきたいと思う。

淡彩の街

7月4日(金)雨が降ったりやんだり

 淡彩の街

いつもは降りない駅で降りて、
いつもは利用しない路線に乗り換えた。
高架線の駅のプラットフォームから
見慣れないけれども、
どこにでもありそうな
市街地を眺め下していた。

煙のような雨で
輪郭がぼけて
淡彩の絵のようにぼんやりと
道路と街路樹と車や人の流れと
建物が見える

仕事がうまくいったとか、いかないとか、
昼はうどんを食いに行こうとか、いかないとか、
すみません、ちょっと医者に行ってきますとか
様々な人間喜悲劇が
このぼんやりとした眺めの向こうで
毎日続いているのだろう

今日は雨が降って
淡彩のような人間模様を感じさせているが、
晴れた日は、たぶんもっと元気に
人々が行き交っているのであろう

見知らない街でも
大勢の人たちが
その毎日を過ごしていて
喜怒哀楽を展開している

梅雨時の
淡彩のような街の眺めは
毎日の生活の怒り・憤りを
少しは和らげる
そして たぶん
明日もなんとか
平和な日々が続くのだろう

それでも電車は遅れているし、
また事故が起きたので
もっと遅れるというアナウンスがあった。
幸いなことに、
私は急いではいないが、
いらだちが怒りに変わろうとしている人もいるかも知れない。

そんな街を眺めながら
電車を待っている
私だって
本当は
昨日も今日も明日も
誰かから眺められ
同感されたり共感されたりしている
街で暮らす人間の一人・・・

 
プロフィール

Author:tangmianlaoren
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