2014年の2014を目指して(5)

5月31日(土)晴れ

 5月を通じて、ずっと東京都内で過ごした。その中で東京都豊島区、横須賀市に今年になって初めて足を運んだ。東京メトロ浅草線、京浜急行、京急本線、池袋駅、京急田浦駅を新たに利用した。

 5月を通じて31項のブログを投稿する。映画7、日記5、推理小説1、外国語3、読書10、歴史・地理2、未分類2、詩1ということである。1月から投稿したブログの数は152ということになった。354の拍手と1件の拍手コメントをいただいた。1月からの通算では1363の拍手をいただいている。

 この間に買った本は13冊で1月からの通算は67冊、新たに神保町の山本書店で本を買った。本を買った書店数は9店ということになる。
 1月から買った本の通算は67冊、本を買った書店は新たに神保町の山本書店を加えて9店ということになる。読んだ本は12冊で:アラン・ブラッドリー『春にはすべての謎が解ける』、カミ『三銃士の息子』、柳谷晃『数学はなぜ生まれたのか』、高岡詠子『チューリングの計算理論入門――チューリング・マシンからコンピューターまで』、『太平記(一)』、垂水雄二『科学はなぜ誤解されるのか わかりにくさの理由を探る』、常見陽平『「できる人」という幻想 4つの強迫観念を乗り越える』、山田順『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』、浜矩子『円安幻想 ドルにふりまわされないために』、ルイ=ジャン・カルヴェ『社会言語学』、齋藤希史『漢文脈と近代日本』、椎名誠『そらをみてますないてます』の12冊である。1月から読んだ本の通算は51冊である。

 5月を通じて観た映画は、9本で、その内訳は:『ある過去の行方』、『そこのみにて光輝く』、『クジラがいた夏』、『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う』、『人も歩けば』、『還って来た男』。『WOODJOB(ウッジョブ) 神去りなあなあ日常』、『ノンちゃん雲に乗る』、『Let's 豪徳寺』の9本である。1月からの通算は32本となった。テアトル新宿、シネマート新宿、シネクイント渋谷、池袋新文芸坐、新宿ピカデリーに新たに出かけた。1月から出かけた映画館は15館となった。

 東急本店の8階美術画廊で『太田和亜咲宜 油絵展』、『伊熊義和 油絵展』を見る。1つから見た展覧会は3点ということになる。

 アルコール類を飲まなかった日が15日で、久しぶりに1か月の半分に満たなかったのだが、1月からの通算では76日で、これまでの過半数には達している。

 NHKラジオまいにちドイツ語の時間を20回、フランス語、イタリア語の時間も20回聴いており、1月からの通算では40回、99回、99回となる。このほかに、ラテン語の勉強もしようと思っているのだが、なかなか進捗しない。6月はドイツ語を重点的に勉強する予定なのだが、4月、5月の目標が十分に達成されなかったので、アンデルセンの『絵のない絵本』を読み進めることに限定するつもりである。

 このほかに「思想史の中のマルクス」を4回聴いている、通算では9回ということにある。

 ノート4冊を使い切り、1月からの通算は25冊、万年筆(ウォーターマン)のカートリッジの使いきりは6本(36本)、万年筆(パイロット)の使い切りは4本(9本)ということである。

 全国自治宝くじのあたりが5枚、宝くじの全体では11枚が当たったことになる。

 5月には高校の同期会で旧友と旧交を温めたほか、研究会で同学と交流を深めることができた。

 数え方にもよるのだが、2014の2014を達成するのか、5月に入って少し希望が出てきたというところである。とはいうものの新しい項目をさらに設ける必要が新たに生じるかもしれない。 


 
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齋藤希史『漢文脈と近代日本』(2)

5月30日(金)晴れ

 昨日に続いて、齋藤希史『漢文脈と近代日本』について紹介する。本日は、第3章「文学の近代はいつ始まったのか――半政治としての恋愛」、第4章「小説家は懐かしき異国で何を見たのか――艶情と革命の地」、終章「漢文脈の地平――もう一つの日本語へ」を取り上げていく。

 第3章は漢詩文の側から日本の近代文学を問い直そうとする試みである。この章はまず、明治の漢詩文とはなんであったか、江戸から明治への変化で何が起きたのかを確認することから始められている。文明開化の後、漢文の訓読体がもともとの漢文から離れて公式の場でつかわれる書き言葉になったといっても、漢詩や漢文が読まれなくなったわけではない。訓読体に実用の領域を明け渡した分、学芸や教養としての位置づけが定まった。漢詩を作ることは、明治になってから一層盛んになったとさえいえると著者は論じる。

 明治時代に活躍した漢詩人としてまず取り上げられるのは森春濤である。彼は維新の顕官たちと交わりを結び、詩の指導を行い、さらに詩の雑誌を主宰して全国的な名声を得ていた。およそ志士的な要素のなかった春濤であるが、中国の士大夫が属していた世界の二重性、公・出・進・仕と私・処・退・隠の2つの側面を考えると彼の果たした役割がよく理解できる。閑適と感傷の詩の世界に退いていた春濤ではあるが、漢詩文の世界になじんだものとして公への意識を全く欠いているわけではない。一方、公の世界に生きる明治の高官たちにとっても文化や風流に通じている私の側面を捨てるわけにはいかなかった。こうして両者が共存しえたのである。これに対し、大沼枕山のように世俗を避けて生活する漢詩人もいた(彼は近藤勇の辞世の詩を添削したほどであるから、政治的に全く無関心でなかったわけではないが、少なくとも維新後は無関心を貫こうとしたように見える。) 公と私とを巧みに使い分ける士人的なエトスに対し、俗世を避けて風雅に遊ぶ文人的なエトスを重んじる人々もいた。一方に漢詩文を息抜きとする士人がいて、他方に漢詩文こそいきがいであるとする文人がいたのである。

 この2つの焦点が近代以降、いわば政治と文学とでもいうべき対立へとシフトしていく。「それは、文学というものの位置が確定していくことを意味しても」(150ページ)いる。しかしそれ以前に政治と学問のあり方が明治以後次第に変化することに目を向けるべきであるという。旧来の学問は漢学を基礎としており、そこには漢詩の読み書きも含まれていた。しかし、次第に学問の実用的な側面が強調されるようになった文明開化の時代において、漢文も漢詩もその地位を後退させることになる。また、革命の時期は情動を鼓舞する詩は必要であるが、「ひとたび体制が成立してしまえば、それは邪魔なものになることさえ」(152ページ)ある。

 公のための漢文は、明治の漢文訓読調の今体文を生み出し、政治を語る言葉となり、「私の世界を語る詩文は、『文学』として新たに位置づけなおされることになった」(152ページ)という仮説を著者は提案する。もともと学問と同義であった文学がその範囲を限定されるようになる。その過程、「文学が学問から文藝にシフトする過程において、漢文脈における公/私の二重の焦点の枠組みが重要な役割を果たした」(155ページ)と著者は考えている。そしてこの問題を森鴎外に即して考察する。鴎外の『舞姫』の主人公は「公」と「私」、「条例」と「歴史文学」、士人的と文人的なものの間で揺れ動いているという。そしてその「政治」と「文学」の対立は、「功名」「勉強」と「恋愛」の対立という形をとる。結局のところ『舞姫』は「感傷小説」に終わっているが、時代はむしろ恋愛への傾斜を強めていった。

 第4章は明治から大正へと時代を移し、漢文脈が大きく変容する契機となった「恋愛」と「異国」という2つの因子に着目しながら、永井荷風、谷崎潤一郎、芥川龍之介の紀行や小説を取り上げている。谷崎が別世界としての中国を描いているのに対し、芥川が現実の姿を見ているという指摘など興味深い。

 終章では明治から大正にかけての文学の中で言文一致体や自然主義は漢文脈の外側で、それに回収されることを拒否して成立したものであることが指摘される。文学者は伝統的な漢文脈の中にあるのとは別の生き方をしながら創作活動を展開するようになった。西洋文学の知識は漢文脈の外部に文学の新たな根拠をもたらすものであった。その中で漢文脈でも、自然主義でもない、新たな文脈を作ろうとして苦闘した作家として夏目漱石を挙げているのは興味深い議論であるが、ここで詳しく取り上げる余裕がない。漢文脈にはそのゲーム性をはじめとして再評価すべき多くの要素があり、なぜ我々がそれを捨てて、別の日本語を選んだのかの再検討を含めて、再評価が必要であるという。

 魅力的な論考であるが、こちらの理解不足も手伝って 駆け足での紹介となった。「漢文脈」をはじめとして個々の用語がしっかりと定義されていないこと、議論が全体として十分に練り上げられているとは言えないことなどの問題はあるが、それは著者の別の著書を参照することで解決できるかもしれない。明治以後の文学者の中で、例えば幸田露伴の業績をどのように評価するのかなど、ここで議論された図式だけですべてが理解できるのかには疑問が残る。第3章で取り上げられている永井荷風の大沼枕山への傾倒は唐木順三の『無用者の系譜』で接したことがある話題であり、全共闘運動が展開する中での自分自身の立ち位置が定まらぬまま、唐木の著書によみふけった時期のことを思い出したりした。著者は出仕と隠逸を対立項としているが、魯迅が指摘したように出仕しないことによって自分の政治的な立場を表明した隠逸もいたのである(ただし、その抵抗の生ぬるさについても魯迅は合わせて指摘している)。逸民といってもその内実は歴史的に多様であり、まだまだ議論を深める必要がありそうである。

 このブログを始めて以来、読者各位からいただいた拍手の数が、昨日で2000を超えた。私の文章を面白いと思っていただいているのか、役に立つと思っていただくのか、あるいは別の評価があるのかはわからないが、ご愛読とご支援にお礼を申し上げるとともに、今後とも勉強を続けて、ブログを絶やさないように努力する所存であることを述べておきたい。

齋藤希史『漢文脈と近代日本』

5月29日(木)晴れ、暑し

 斎藤希史『漢文脈と近代日本』(角川ソフィア文庫)を読み終える。近代日本のことばの変遷を漢文脈、漢文やそれに派生する文体と、漢文的な思考や感覚を含めた「漢文脈」という視点からとらえてみようという試みである。日本のことばの世界における漢詩や漢文は、時代によってその役割が違うが、大きな力をもつようになったのは近世の半ばごろから後のことであるという。「漢文脈のうねりが起きた、といってよいでしょう。そしてそのうねりこそが、近代という時代を用意したのです」(12ページ)という。しかし、漢文脈に支えられながら成立した近代日本は、「そこからの離脱、あるいは解体と組み換えによって、時代の生命を維持しつづけようとし」(同上)た(具体的には言文一致などの運動をさす)。この過程の全体を見直すことによって漢文脈の再認識を図ろうというのである。

 序章「漢文脈とは何か――文体と思考の二つの極」ではまず、漢字片仮名交じりの文語文=漢文訓読体が長らく日本の公式の文体として使われ、今日のわれわれの生活にも影響を及ぼしていることが指摘される。その一方で、漢文長という場合のその範囲が曖昧であるとも説かれる。漢文脈は文体であるとともに、思考でもある。漢文を学ぶことはただ漢文法(形式)を学ぶだけでなく、中国古典世界についての知識(内容)をも要求する。「漢文によって自らの心情や思考を記すということは、その知の世界において、自分自身の輪郭を定めていくということでもあるわけです」(19ページ)。

 漢文の流通した世界では、どの地域であっても古典文としての漢文(文言)のみが唯一の書記体系として閉鎖的に存在しつづけたわけではない。日本はもとより、韓国でもベトナムでも複数の書記体系が存在し、その中で漢文は時代や地域によって異なった役割を果たしてきた。このことから近代日本のことばの問題を考えていこうとする。漢文は断片的な知識の集積ではなく、一つの知的世界として習得されるものであり、同時に個別の職業のために要求される専門的・技術的な知識ではなかったことが重要である。さらに日本社会において漢文が世間一般に一人前と認められるためには習得が望ましいものと考えられるようになったのは、近世以降のことである。このような転機は松平定信の寛政の改革によってもたらされた。特にその中の「異学の禁」は、朱子学を正統として、幕府の儒者がそれ以外の学派の学説を講じることを禁止し、それまでは林家の家塾であった湯島の聖堂を正式に幕府の学問所とし、さらに「学問吟味」、「素読吟味」という試験を行った。このような教学システムの整備が各藩にも波及し、教育が普及するとともに教授内容の標準化が進んだ。

 多くの人々が漢文を学ぶようになったが、それは儒者になったり、漢詩人になったりするためではなく、基礎学問としてであった。その過程で、ある特定の思考や感覚の型が形成されることになる。それは中国でその高度な読み書き能力によって社会的な地位を築いた士人もしくは士大夫と呼ばれる呼ばれる人々のもつ思考や感覚の型にならうものであった。太平の世が続く中で武士は武芸よりも行政能力を要求されるようになる。漢文の学習はその基礎を築くものであり、かつ道理と天下を語るための言語を武士たちに与えるものでもあった。

 第1章「漢文の読み書きはなぜ広まったのか――『日本外史』と訓読の声」は近代日本の漢文脈の中で最も大きな影響力を及ぼした書物である頼山陽の『日本外史』の成立の事情と性格、そしてそれがどのように読まれたかを論じる。『日本外史』は保元・平治の乱による源氏平氏の台頭から徳川の天下統一に至るまでの武門の攻防を記した書物である。多くの日本人の興味を引き寄せる時代を取り上げている一方で、小説的な面白さの方に重点が偏って歴史書としての正確さが欠けていること、大義名分論を強調するあまり史実にあわない叙述が生じたりするという問題点もある。しかしとにかくわかりやすく面白いし、武士にとっては自分たちのアイデンティティを確認するのにも役立つ書物であった、「思想の中身もさることながら、歴史を一つの原理、一つの流れでわかりやすく描き出し、規範を示したことが人々に歓迎された」(66ページ)のである。特にそれを音読することによって、人々の心に強く訴えることができる名調子が広く受け入れられた。それは詩吟の流行とも重なるものであった。

 第2章「国民の文体はいかに成立したのか――文明開化と訓読文」では初等教育としての素読の普及によって、訓読のリズムが日常の言語とは異なったリズムとして身体化されたこと、その基礎の上に漢文が歴史や道理を語る言語としてその役割を確保したのは江戸時代の後半になってのことであったが、文明開化に伴って漢文と訓読の分離が始まったことが述べられる。訓読体がいわゆる文語文として公式の場で用いられるようになった。その一方で、西洋流の近代意識をもちはじめた明治の新知識階層は山陽流の漢文への違和感をもちはじめていた。

 著者は頼山陽の文章をどのように評価するかをめぐる徳富蘇峰、山路愛山、森田思軒の議論の分析を通じて、漢文という文体には表現媒体としての機能性と歴史=自己認識にかかわる精神性の2つの焦点があるということに注意を促す。異言語への対応力や造語力の高さは漢字漢語の特質であり、その一方で歴史的な伝統とつながることによって精神の規範を提示するものでもあったという。しかしその一方で、西洋の新しい知識の流入は(既に述べたように一方で漢字・漢語の活躍の余地を与えたのだが)、より実用的な文体を求める動きも強くなってくる。その中で広い幅を持ちながら訓読体が国民の文体として広く普及し、定着したと著者は説いている。

 3章、4章、終章の紹介は後の機会に回すことにする(どうも近頃書物の前半だけを取り上げて、後半になかなか筆が及ばないことが多くなっているが、何とか残りの部分も頑張って紹介するつもりである)。ここまで読んできた中で気になったのは著者の記述が<文学的>で厳密さを書くこと、「漢文脈」ということを強調している一方でその概念があいまいなまま議論が進められていること、歴史や論説の文章が多く取り上げられている一方で、もっと日常生活に即した場面での記録や報告の類がどのような文体で記されていたことには興味が及んでいないことなどである。訓読体は日記を書くのに適した文体だという気がするので、そのあたりのことをもっと実証的に取り上げていくとよかったのではないかという気がしている。

 著者は漢字・漢語の造語力の高さは類例がないと論じているが、これは井の中の蛙の議論であって、ラテン語の造語力とそれを借用した英語の造語力が、これらの言語を世界的な規模で有力な言語にした歴史的な経緯を視野に入れる必要があるだろう。文明開化の日本において漢字・漢語の果たした役割と、ルネサンスのヨーロッパにおいて古典ラテン語や古典ギリシア語が果たした役割には新しい知への対応に古典的な言語が役割を演じたという共通性が認められるかもしれない。そういうことを考えさせられたというだけでも、この書物を読む価値があったと思う。

ノンちゃん雲に乗る

5月28日(水)曇り

 5月27日、神保町シアターで「麗しき美少女伝説」特集上映の一環として上映された『ノンちゃん雲に乗る』(1955、新東宝、倉田文人監督)を見る。児童文学の古典的な作品である石井桃子(1907-2008)による原作は何度か読んでいるが、映画を見るのはこれが初めてである。

 東京の郊外(といっても、かなり田舎)に父、母、兄、それに飼い犬と暮らしている小学生のノンちゃん(田代信子とい宇野だが、みんなからそう呼ばれている)は、母親が兄を連れて東京に出かけ、自分が置き去りにされたのをだまされたと思って泣きながら、いつもの遊び場である瓢箪池に出かけ、池に張り出している木に登り、池の面に映った雲を眺めているうちに池に落ちる…

 なぜか彼女は雲の中を漂っており、不思議なおじいさんの呼ぶ声に導かれてそのおじいさんが操っている雲にたどり着く。そこには普段彼女をからかって喜んでいる悪たれ小僧の長吉がいる。雲の上には、何か悲しみごとを抱えてやってきた人たちがいるといって、おじいさんはノンちゃんに自分の身の上を語らせる。ノンちゃんは彼女の家族の一人一人について語っていく。

 石井桃子が太平洋戦争中に東北の農村で書き進めていた原作は、かなり慎重に書かれており、それをまたこの映画はかなり慎重に脚色している。原作で多少時代背景が描かれていたのに対し、映画ではそれが取り除かれている。原作の時代背景は昭和の初めか、物語の終わりの方で戦後のノンちゃんが医者の学校に通っているところまで描かれているが、この部分は映画では省略されている。したがって映画の方では戦前の話か、戦後の話かはちょっと見ただけではわからない。石井桃子が小学校に通ったのは大正時代のことで、物語はいずれにせよ昭和の話だから、原作者=主人公ではない。ノンちゃんとその兄さん、長吉といった子どもたちは石井が接してきた様々な子どもたちの姿から描き出されたもので、彼女の狭い経験に基づくものではない。

 映画はノンちゃんの雲の上での体験を「夢」にしてしまっているが、彼女はそれが夢だとは思いたくないらしい。何よりも長吉が一緒に雲に乗っていることが気にかかるのである。原作では長吉が戦争に出かけたきり、帰ってこないので謎は解けないままであることが語られているが、この部分は映画では省かれている。原作では必ずしも主人公の「夢」ではない経験を「夢」にしてしまっている例としては、アメリカ映画の『オズの魔法使い』があるが、この映画製作・公開の時点で『オズ』はまだ日本で公開されていなかったはずであり、構成や、犬が重要な役割を演じていることなど偶然の一致とみるべきであろう(それに、「夢」として片づけてしまうのは、それこそ夢がないというのが物語のテーマの1つではないかと思う)。子どもの世界には現実を超えた「神話」的な部分があり、ノンちゃんの経験はそういう部分と結びついていると考えるべきである。

 以前、武者小路の「新しき村」について調べていた時に、会員に石井桃子という名前を発見したことがあり、これが児童文学作家と同一人物であるかは未確認であるが、石井が農村での事業にかかわったり、こどもの図書館を運営したりしたことは白樺派的な理想主義の影響ではないかと思われる。それどころか彼女は若いころに白樺派の一員でもあった犬養健のもとに出入りをしているのである。その一方で彼女は菊池寛にも認められて、文藝春秋で働いていた時期もある。このころの菊池が社会改良的な思想を持っていたことも注目されてよい。英語に堪能であった石井がボームの『オズの魔法使い』シリーズを読んでいた可能性は高いと思うが、アメリカの人民主義運動の支持者であったボームと理想主義的な改良主義との間には微妙な距離があるように思われる。

 ノンちゃんの一家は昭和初期ではまだ珍しかったと思われる一世代の核家族であり(原作によると、もともとは東京の都心部で大家族で暮らしていたのだが、ノンちゃんが重い病気にかかってやっと回復した後で、健康にいい場所はないかということで郊外に引っ越したのである。映画では父親があえて郊外での暮らしを選んだという風に語られている)、色々な新しさを持っている一方で、映画でも描かれているひな人形のエピソードに見られるように伝統的なものをどのように継承するかということも物語の底流をなしている。何よりも雲の上のおじいさんは祖霊的なものを感じさせる(原作でノンちゃんは氷川神社の境内で泣いている。石井桃子は埼玉県の人なので、埼玉県と東京都の西北部で多いこの神社にはなじみがあったのであろう)。ノンちゃんの一家は核家族ではあるが、その一方で親戚間の交流も盛んであるらしい。

 ノスタルジックな部分もあり、新しい生活の胎動もあり、子どもの世界を写実的に描いていたり、ファンタジーを展開したり、色々な要素を含んでいて色々な読み方ができる原作を、映画はかなり簡略なものにしているが、ファンタジーの部分が強調されているのは映画なりの工夫であろう。ただ、『オズの魔法使い』などと比較すると、ファンタジーの部分が見劣りするのは時代の制約として致し方のないところであろう。原節子さんと鰐淵晴子さんの母子が美しすぎると思う人と、だからこそこの映画の魅力があるのだという人と、これも意見の分かれるところであろう。

日記抄(5月21日~27日)

5月27日(火)午前中雨が残っていたが、午後には上がる。蒸し暑かった。

 5月21日から今日までの間に経験したこと、考えたことなどの中から::
5月21日
 テレビ朝日の『マツコ&有吉の怒り新党』で「いつも計画倒れになってしまう自分」に対して怒りを感じるという意見があった。計画通りに作業ができないのは、結局本当に必要ではない作業に取り組んでいるからではないかという番組中の指摘はその通りだと思うが、実際問題として、やらなければならないという仕事になかなか取り組めない、作業がはかどらないという問題は誰にでも付きまとうものである。結局は努力の積み重ねで克服する以外に解決法はないだろう。
 昔教えた学生の中で、それなりに形式の整った計画表を作成しはするのだが、いつも実行できないというのがいた。これは結局、自分の能力を考えずに計画を立てているからいけないのである。その顕著な例として彼の場合、1週間に2日程度は作業を休む日を設定しろと指示しているのに、毎日作業をする計画を立てる。毎日、同じペースで作業を続けていくのは、よほどすぐれた能力と強い意志を持っていないとできないことである。何度も失敗しているのに、それでも平板な作業計画を立てるのはどういうことであろうか。さらに言えば、途中で進行状況を勘案して計画を修正することも必要であるが、そういう工夫もしていなかったようである。 

5月22日
 NHKラジオまいにちドイツ語応用編「いうが花のドイツ語」で、パートナーのダニエル・ケルンさんがトーキー初期のドイツ映画でウィーン会議を題材にした『会議は踊る』(1931)を話題に取り上げていた。40年くらい昔に見たことがある作品であるが、今見たら、どんな感想をもつだろうかと思う。

 NHKBSプレミアムで『ひばり捕物帳 かんざし小判』(1958、東映、沢島忠監督)を見る。女目明し、実は老中の妹というひばりが江戸市中を騒がせる小町娘連続殺人の謎を追って大活躍する。ひばりと、いざという時に彼女を助ける飲んだくれの浪人の東千代之介の両方が「貴種」であるという設定をどのように考えるべきであろうか。

5月23日
 NHKまいにちフランス語応用編「作家とともにパリ散歩」ではユゴーの『レ・ミゼラブル(Les Misérables)』の一部を取り上げた。番組内でヴェルディの『リゴレット』の「そうだ、復讐だ!」の一部が流れたが、この歌劇の原作はユゴーの戯曲『王は楽しむ』だそうである。醜い道化師が自分の娘を辱めた享楽的な王フランソワ1世に復讐を誓うその姿に、ヴェルディは心を動かされ、フランスでは上演が禁止されていたこの作品の舞台をマントヴァに移し、登場人物の名前を変えてオペラとした。ユゴーは当初イタリア語版の台本に不満を述べていたが、実際にヴェルディの音楽を耳にして態度を変えたという。ユゴーとヴェルディという19世紀ヨーロッパの文化史における巨人が民衆の自由と解放を求める精神において結ばれていたというのは感動的な話である。

5月24日
 野村克也さんの話を聞いている夢を見た。以前、野村さんがタイガースの監督をしているころに、横浜スタジアムのベイスターズ戦で、審判の判定に抗議するために姿を見せたのを見かけたことがある。近くにいた女性が「あっ、野村さんだ! テレビで見るのと同じ顔だ!」といったのを覚えている。確かに、その通りには違いない。

5月25日
 我が家の雄猫2匹が、仮住まいの2階よりも1階で過ごす時間が多くなっているようである。1階の方が涼しいからで、それだけ季節が変化してきたということであろう。

5月26日
 NHKBSプレミアムで『ギターを持った渡り鳥』(1959、日活、斎藤武市監督)を見る。函館が舞台になっているが、佐藤泰志の原作を映画化した『海炭市叙景』、『そこのみにて光輝く』とは全く異質の物語が展開する。西部劇の世界を日本に翻案しようとして現実との接点を探しているのだが、なかなか見つけられないという状態のまま作られた作品。小林旭、浅丘ルリ子、宍戸錠、みんな若い。

5月27日
 『ちくま』6月号が届く。加賀乙彦さんがなだいなださんを追悼する文章を書いている(4-5ページ)のが印象に残る。和田英の『富岡日記』がちくま文庫から刊行されるが、中公文庫版を持っているはずなので、買わないだろう。リチャード・ローティ『プラグマティズムの帰結』、近藤和彦『民のモラル』(ホーガースと18世紀のイギリスとの副題がついている。ホーガースという画家は好きなのである)、上野修『スピノザ『神学政治論』を読む』と、読みたくなるような本が3冊学芸文庫の新刊として予告されているが、定価合計が4200円にもなる(それに増税された消費税が加算される‼)。読書生活も楽ではない!

垂水雄二『科学はなぜ誤解されるのか わかりにくさの理由を探る』

5月26日(月)曇り、夜になって雨が降り出す

 5月16日、垂水雄二『科学はなぜ誤解されるのか わかりにくさの理由を探る』(平凡社新書)を読み終える。垂水さんの書いたものを読むのはこれが初めてなのだが、自然科学、特に遺伝や進化論にかかわる文献の翻訳に長くかかわって来た方だそうである。これらの領域にはそれなりに関心はもっているつもりであるが、読み終えるのに苦労したし、どこまで理解できたかもわからないが、わかったつもりになっている部分だけでも紹介してみようと思う。

 この書物は2部からなり、第Ⅰ部は,「科学的コミュニケーションを損なう要因」、「騙されやすさは人間の本質――知覚の落とし穴」、「複雑な現象の理解は簡単ではない」という3つの章からなり、科学コミュニケーションを阻害する一般的な要因について取り上げ、第Ⅱ部は「誤解されるダーウィン――進化論再入門」、「『利己的な遺伝子』をめぐる誤解」という2章から構成されて、進化論と利己的遺伝子説を取り上げて、科学思想の受容における誤解と歪曲について具体的に述べている。

 垂水さんは「はじめに」のなかで、自分自身もその翻訳にかかわったリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』が広く読まれる一方で、『利己的な遺伝子』という言葉に込めた著者の意図と一般読者の受け取り方には大きなズレがあることを指摘して、この書物を書き出す。 学術的な用語や概念の誤った理解や使用は、自然科学一般に見られる現象であるが、もともと限定的な意味でつかわれるはずの学術用語が読者によって一般的な意味として受け取られる場合が少なくないこと、さらに読者が与えられた科学的な概念や法則の中で自分に都合のいい部分、都合のいい解釈だけを採用する傾向をもつことによるものであるという。

 第1章「科学的コミュニケーションを損なう要因」では、まず科学者の側の誤った情報発信としてねつ造と情報操作、またパラダイムの違いによって起きる誤謬がそれぞれの事例に即して取り上げられる。他方、受け手の問題として正しい情報と誤った情報を区別することが容易ではないこと、メディアによる歪曲の可能性が指摘されている。その中で他の分野との整合性を考えることが示唆され、集団心理の恐ろしさについて触れられている。

 第2章「騙されやすさは人間の本質――知覚の落とし穴」では、まず比喩的表現の功罪が論じられる。「科学的に難解な概念や事柄を比ゆ的な表現によって理解するのは、自分の腑に落ちる部分だけをわかったつもりになるということでもある」(48ページ)ということから、「ビッグバン」「ヒッグス粒子」の通俗的な説明の問題点について論じている。さらに学術用語を研究者はできるだけ意味を限定して使っているのだが、受け取る側はその用語が持つ他の意味を読み取ろうとする誘惑にかられることがあるという。たとえば数学的な概念である「カタストロフ」が、日常的な意味で理解されたりする。さらに人間の知覚が当てにならないこと、記憶も歪められることなどが実例を援用しながら語られている。

 第3章「複雑な現象の理解は簡単ではない」では、相関関係は因果関係を示すとは限らないこと、決定論的ないなが関係だと考えたのでは見えないことが確率論的な手法によって見えてくる場合があることが指摘される。一方で統計学を用いた新しい自然科学の展開の事例が紹介され、他方で統計のウソ、統計的な手法の限界も論じられている。

 今回は第Ⅰ部の紹介だけにとどめておくが、科学の新しい動向についての理解が一足飛びでは得られないことが実感としてわかった。高校や大学で学んだことが最終的な知識となるのではなく、たとえ門外漢であっても、新しい動向については絶えず注意して目を向けていく必要があると思う。ここではほとんど紹介を省略してしまったが、個別的に取り上げられている様々な事例を丁寧に読んでいくことも大事であろう。

Wood Job ! (ウッジョブ) ~ 神去なあなあ日常~

5月25日(日)曇り

 新宿ピカデリーで『Wood Job! (ウッジョブ) ~神去なあなあ日常~』を見る。三浦しをんさんの小説『神去なあなあ日常』の映画化。三浦さんの作品は最近、よく映画化されているが、なかなか見る機会がなく、私が見たのは『風が強く吹いている』に続いてこれが2本目である

 大学受験に失敗した平野勇気は、高校卒業後の進路を決めかねている。卒業祝いの夜、たまたま目にした「緑の研修生」のパンフレットの表紙に出てきた美女にあこがれて三重県の山中へと旅立つ。林業の研修の厳しさに何度もくじけそうになるのだが、脱走を企てた夜にあえないと思っていたその女性に出会ったりして、彼女が縁があるらしい林業の会社で本格的に研修を続けることになる。携帯電話の電波も届かず、町に出るには車で2時間はかかるという山奥。止宿先の先輩ヨキは極めて粗暴、その家庭にも問題があるらしい。それでも仕事には次第に慣れ、小学校の先生をしている問題の美女の身の上も次第に明らかになる。

 都会から距離が離れているだけでなく、自分たちが苗木を植え、樹木を育てる一方で、伐採するのは曾祖父の時代に植えた樹木であるという極めて緩やかな時間が流れる世界。その緩やかさの中に身を置くことが求められる世界でもある。登場人物がどこまで気がついているかわからないが、神話と隣り合わせの世界でもある。(だから「神去なあなあ」ということであろうか。)

 物語と主人公の恋愛のクライマックスになるのが大山祇命を祭るという祭礼の神事。どこまでが事実でどこからが創作なのかはわからないが、古代から伝承されている行事であるとされているだけでなく、主人公にとっての通過儀礼の役割を担っている。さらに言えば、その成功に主人公が憧れる美女が絡む。『古事記』で描かれる大国主命の通過儀礼が繰り返されているようでもある。

 一方で山村が過疎化、少子化していくという現実があり、他方で故郷への愛着がある。そしてその愛着をつなぎとめているのが伝統的な神事であるのだが、神事の内容もやり方も少しずつ時代の変化を反映して変化しているようでもある。村の人々は町との往来に車やオートバイを使っているし、林業の親方はインターネットを利用している。

 主人公である勇気は外部から村にやってくることで、村に新しい記憶を植えこむ。彼の成長の過程は村にとって新しい記憶である。さらにこの映画は勇気の成長とともに、ヨキ夫婦の子づくりの努力にも目を向けている。共同体が共同体であり続けるためには、住民の人口が維持されなければならない。勇気を時に厳しく、また時に優しく、共同体に受け入れようとするのは結局そのためでもある。そして、共同体がその性格を保つためには、ある時に起きたある出来事の記憶が共有される必要がある。閉ざされているようで、どこか開かれている部分があるから、記憶されるような出来事が起きるのである。若者が通過儀礼を乗り越えて成長する姿と、共同体がその若者をどのようにして受け入れていくかの両方の過程を描きながらこの映画は伝統と現代とがどのように共存できるかについての問題を提起していると見るべきであろう。

『太平記』(2)

5月24日(土)晴れ

 『太平記』は君主が慈愛に満ちた天の徳に、臣下がその仕事に励む地の道にそれぞれ則って政治を行うことが世の中を平和にするという考えを述べた「序」に続いて、鎌倉幕府が北条氏の歴代の善政によってその力を増してきたが、高時の失政によってその勢威に翳りが見えたことを冒頭に記す。今回は、この機に乗じて朝廷を中心とする政治の回復を企てた後醍醐天皇の政治とその周辺について見ていく。

 後醍醐天皇は後宇多天皇の第二皇子で、北条高時の計らいで31歳で即位した。当時としては異例の高齢での即位である。『太平記』はこの間の事情についてそれほど丁寧に説明はしていないが、鎌倉時代の後期から続いていた皇室の中での皇位継承をめぐる争いと関連する。皇位をめぐって紛議を続けていた持明院統と大覚寺統の両方で皇位継承の正系を主張すべき人物がまだ幼く、持明院統の花園天皇に続いて、大覚寺統から後醍醐天皇が即位することになった。花園天皇も後醍醐天皇も一代限りで、その子孫は即位することなく、皇位は「正系」に戻すことが予定されていた。後醍醐天皇は花園天皇時代に皇太子であったのだが、皇太子の方が年長であったというのも異例である。

 後醍醐天皇は、そのような即位をめぐる事情にもかかわらず(あるいは、だからこそかもしれないが)、意欲的に政治に取り組まれた。「御在位の間、内には三綱五常の儀を正しうして、周公孔子の道に従ひ、外には万機百司の政(まつりごと)に懈(おこた)らせ給はず、延喜天暦の跡を追はれしかば、四海風を臨んで悦び、万民徳に帰して楽しむ」((38ページ)。うちには道徳を正しくし、政務に熱心に取り組まれたので、人々は喜んだという。

 その善政の内容を具体的に述べると:
①物資の流通を阻害する新席を停止したこと、②元亨2年の夏に発生した飢饉で庶民が苦しんだとき、検非違使別当に命じて米商人による米価のつり上げを禁止し、京都の二条町に仮屋を建て米価を定めて売らせたこと、③後醍醐天皇自身が記録所に出御され、訴訟を直接聞き、理非を決断されたことである。

 このような政治について、「誠に治世安民の政、もし機巧についてこれを見れば、命世亜聖の才とも称しつべし」(39-40ページ、誠に世の中を治め民を安んじる政治で、そのような政治を行う才知は命世亜聖=孟子に引けをとらないものというべきである)とたたえている。しかし、その一方で、「ただ恨むらくは斉桓覇を行ひ、楚人弓を遺(わす)れしに、叡慮少しき似たる事を」(40ページ、ただ恨めしいことには斉の桓公が覇道を行い(武力で国を治めた)、楚の名君恭王が自分の国の民のことしか考えず、志が狭小だったことに、天皇のお心は似たところがあった)とその覇者的で狭量な政治の推進が政権の長続きを妨げたのだと批判の言葉を加えている。

 物語は続いて後醍醐天皇の后妃について述べる。中宮となったのは後に太政大臣となった西園寺實兼の娘である嬉子であった。西園寺家は承久の変以来鎌倉幕府との結びつきが強く、そのことにも配慮した縁組であったと考えられる。しかし天皇は嬉子の美貌にもかかわらず、彼女に心を寄せず(これは『太平記』の作り事らしい)、阿野中将公廉(きんかど)の娘廉子を寵愛された。「傾城傾国の乱れ、今にありぬと覚えて、あさましかりし事どもなり」(42ページ)と、天皇の廉子への寵愛が国の乱れにつながったと嘆いている。

 とはいうものの、後醍醐天皇にはほかにも多くの妃があり、「宮々次第にご誕生ありて、十六人までぞおはしましける」(43ページ)。特に尊良(たかよし)親王、尊澄法親王=還俗して宗良(むねよし)親王、尊雲法親王=還俗して護良(もりよし)親王、静尊法親王が有力な方々であったとする。中でも護良は利発・聡明であったので、後醍醐天皇は位を継がせようと思っていたが、幕府を慮ってそれもできず、持明院統から皇太子が立った(量仁親王=後の光厳天皇)ので出家させたと『太平記』は記すが、森茂暁さんによるとこれは歴史的な事実ではないそうである。物語を先取りして言えば、護良親王は鎌倉幕府を倒す際の功労者の1人であるが、その後、転落・悲劇の道をたどることになる。『太平記』はこの宮様に同情的であり、その筆法がこのあたりに現れていると見るべきであろう。

 「皇子たちの御事」と題された段は「この外の儲君儲王の撰び竹苑椒庭の備へ、誠に王業再興の運、福祚長久の基、時を得たりとぞ見えたりける」(45ページ)と、優れた親王がそろったことにより、倒幕と王政復古の条件が整ったと論評する文をもって締めくくられている。

 以上、観てきたところからわかることは、『太平記』が歴史的な事件に即しながらも、ところどころ事実と違う記述をしていること、その中で儒教的な政道観に立って個々の場面について是々非々の判断を下していることである。その一方でなかなか表に出てこない作者がところどころで悲劇的な運命をたどった人物に同情するような書き方をしているところがあって、一筋縄の評価を拒否するところがあることも付け加えておこう。

 次回から後醍醐天皇とその側近による倒幕の企ての具体的な姿をたどることにしたい。

 

フィリッポ・リッピ

5月23日(金)晴れ

 NHKラジオまいにちイタリア語応用編「イタリア:24の物語」の再放送はウンブリア州の都市スポレートSpoletoを取り上げた。この都市の大聖堂にはイタリア・ルネサンスを代表する画家フィリッポ・リッピFilippo Lippi (1406-1469) の最晩年の大作が残っている。彼はこの大聖堂の壁画の製作中に世を去ったのである。

 リッポはフラ・アンジェリコとともに15世紀のフィレンツェを代表する画家の1人とされるが、敬虔な修道士であったアンジェリコと違い、かなり奔放な人生を送った。È noto che, nonostante fosse un frate, Filippo si innnamorò della monaca Lucrezia Buti e la rapì.彼は修道士でありながら、修道女のルクレツィア・ブーティに恋をして駆け落ちしたことでよく知られている。しかし、時代の勢いというものがあって、彼らの恋は認められ、2人は夫婦として暮らすことになった。(なお、放送では触れられていなかったが、この時、リッポは50歳、ルクレツィアは23歳で、かなり年が離れていた。) 

 Nonostante la sua vita movimentata e diloluta, le Madonnne da lui dipinte ono sempre giovani, belle e innocenti.(波乱にとんだ放埓な一生でしたが、彼の描く聖母の姿はいつも若く美しく、優しげな姿で描かれています。) その聖母のモデルとなったのが、彼の妻のルクレツィアであったのは言うまでもない。

 リッピはロレンツォ・モナコの弟子とされるが、その一方でマサッチオの影響も受けたといわれる。人物の現実感を持った描写など、彼によって開拓された絵画表現の世界は大きく、また同時代の風俗を宗教画の中に取り入れて描いたことも彼の絵画の特色である。宗教的な絵画の中に彼は世俗的な要素を持ち込んだ画家といってよいようである。

 リッピはまたサンドロ・ボッティチェッリの師でもある。ボッティチェッリは宗教的な画題の作品も多く手がけたが、その一方で『春』や『ウェヌス(ヴィーナス)の誕生』のような異教的・世俗的な作品によって知られる。ルネサンスの精神について考えるとき、こういう画題や、描き方の変遷を手掛かりに考えると理解が深まるところがある。しかし、その一方でボッティチェッリについてはリッピのようなスキャンダルは知られていないようでもある。なお、リッピとルクレツィアの息子であるフィリッピーノもボッティチェッリのもとで修業を積んで画家となった。

語学放浪記(32)

5月22日(月)晴れ、ところによって雨が降ったり、変化の激しい空模様

 5月19日放送の「まいにちドイツ語」では「敬称のSie」について取り上げた。3人称のsieを転用した2人称の使い方を「敬称のSie」というということである。家族や親せき、友人など親しい間柄の人に対してはdu(複数はihr)を使うのに対し、それ以外の人にはSieを使う。普通の日本人がドイツ人と親しくなるのはあまりないし、ドイツにいるのでなければ、親しくなっても日本語か英語で話すことが多いので使い分けについてそれほど気にすることはない。それでも大学時代に高安国世先生がSieだけで済むと思っていたら、見落としがあった、こどもと話すときはduを使うことになる・・・とドイツ滞在中の思い出を語られていたのを思い出す。

 Sieからduに切り替えるときはそのことをお互いに確認しあう。またSieからduに切り替えると、お互いにファーストネームで呼び合うようにするという。年齢の差や性別は問題視しなくてよい。呼びかけ方については、相手が女性の名前はファミリーネームの前にFrauを、男性の場合はHerrをつける。

 番組中で触れられていたが、ドイツ人の先生に対してそれほど親しくもないのにファーストネームで話しかけたり、年齢をきいたり、あるいは結婚しているかどうかまで聞く学生がいるそうである。しかしこれは、特に女性の先生の場合は失礼である。会話の教科書に出てくる表現を使ってみたい気持ちがあるのあろうが、師弟間のマナーは守るべきである。

 この点も外国語教育を考える上で重要な点かもしれない。と思うのは、日本の学生の傾向として授業の内容以上に教師のプライヴァシーに興味を示す傾向があるような印象があるからである。何か質問はあるかといったら、先生はなぜひげを伸ばしているんですかと質問されたとある同僚が話していた。会話力をつけるには、会話の内容となる専門的な知識や一般的な教養が重要だというのはすでに何度か書いたことであるが、マナーを見につける必要も認識しておくべきである。

 さて、ファーストネーム、ファミリーネームという代わりにクリスチャン・ネーム、サーネームという言い方もある。外国の病院で自分はクリスチャンではないからクリスチャン・ネームはないと言い張った人がいたという話を読んだことがあるが、姓に対する名前の方だと理解すればよく、信仰は関係ないのである。

隣り合わせ

5月21日(水)雨

 隣り合わせ

電車が込み合っているとはいっても
もう少し離れて座ってもらえないか
病院に向かう途中で
気分を落ち着かせたいのだから

五分刈り頭で
スーツ姿の青年が
スマホの画面に見入りながら
こちらを押すように体を揺らす

画面には何やら文字が
ぎっしりと並んでいるが、
何が書いてあるか
知りたくもない

仕事中だろうか
あるいは趣味だろうか
他人が目に入らなくなるような
熱中ぶりは羨ましいことだが

スーツ姿で
ワイシャツの袖のボタンが
外れているのは
手抜かりというものだよ

夢中なのはわかるけれど
周りに目を向けるだけの
心のゆとりも必要だろうよ

日記抄(5月14日~20日)

5月20日(火)曇り

 5月14日から20日にかけて経験したこと、考えたことから;

5月14日
 ベトナムで開かれているアジア女子サッカー選手権の一次リーグ戦で日本チーム(なでしこジャパン)はオーストラリアに0-2と先行されたが、追いついて引き分けた。テレビ朝日が実況放送を行ったが、そのために「マツコ&有吉の怒り新党」の時間がつぶれた。

5月15日
 池袋の新文芸坐に川島雄三作品の上映を見に出かけようと思ったのだが、体調が悪く外出を見合わせた。それでBSプレミアムで美空ひばりの『花笠道中』を見た。あまり埋め合わせになるような作品ではなかった。ひばりが芸者の姉と遊び人の弟の一人二役を演じ、姉の恋人役を里見浩太朗が演じている。その里見がある藩の藩主の長男坊で、相続をめぐるお家騒動が起きたことから「道中」が始まる。里見とひばりの道中に謎の男・近衛重四郎が絡む。ひばりは背が高くないので、男役には無理があると思ったりした。

 テレビ朝日の『世界の車窓から』はリスボンの下町を写していた。リスボンはローマやエディンバラと同じく「七つの丘」のある町である。

5月16日
 NHKラジオ『まいにちフランス語』応用編はフロベールの『感情教育』の二月革命で民衆が国王ルイ=フィリップの住まいであるチュイルリー宮殿を襲う場面を取り上げた。この作品、読んだことがないのだが、何か気になるので、そのうち機会を見つけて読んでみようと思う。

5月17日
 フジテレビの朝の番組『にじいろ』の『ぐっさんを連れていくならこんなとこ』のコーナーに向井理さんが登場、二人で横浜中華街を探索していた。先週はTBSの『知っとこ』で中尾彬さんが中華街についてのうんちくを披露していたと記憶する。中華街探索の楽しみは、あたりの店に出会うことである。逆にいうと、はずれがあってもそれはそれで経験の一つだと思うべきではないかということでもある。

5月18日
 なでしこ、ヨルダンを破り女子のW杯への出場を決める。

5月19日
 NHKBSプレミアムで『あいつと私』を見る。中平康監督、裕次郎、芦川いづみ主演の1961年版である。東京の郊外にある大学の学生たちの生活を通して、若者の新しい生き方を描こうとする。原作者の石坂洋次郎よりも、監督で脚本も書いている中平の方が若者の生活や感情はわかっていたはずで、そういう彼の演出ぶりに見るべきものがある。すでに指摘されていることであるが、女子学生を演じている芦川、中原早苗、吉行和子、高田敏江という女優陣が全員1935年生まれで、学生というには少し年をとっていたのだが、達者な演技で物語を盛り上げている。裕次郎、小沢昭一、伊藤孝雄という男子学生たちはもっと年長だから良しとするか。芦川の高校生の妹を吉永小百合、中学生の妹を酒井和歌子(映画初出演)が演じている。酒井はこの時点でまだ小学生だったはずで、一方で年下の役どころを演じる女優さんたちがいて、その一方で年上の役どころを演じていたのかと思うとなんとなく面白い。彼女が、小学生の妹と「安保、反対」と叫ぶシーンがあって、これは記憶に値する。芦川の祖母を演じている細川ちか子のとぼけた演技が強い印象を残すことも書いておく必要があるだろう。
 映画の始めで浜村純が扮する大学の先生が小遣いの話をする。この数年後に裕次郎の母校である慶應義塾大学で授業料値上げ反対の闘争が起きたことを思い出す。実は、私はその年に慶応に合格していたのだが、入学しなかった。同期生の中にはこの闘争に巻き込まれた連中が少なくない。私が入学していたら、どういう運命が展開したのかと今になって思う。

 5月20日
 外出していて見ることができなかったのだが、先週の『夕陽に立つ保安官』に続いて、BSプレミアムでは同じバート・ケネディ監督、ジェームズ・ガーナ―主演の西部劇『地平線から来た男』を上映した。得体のしれない、どちらかというと平和主義者の風来坊がどこからともなくやってきて保安官になり、悪漢と戦って町に秩序をもたらすという物語の展開は『夕陽に立つ保安官』と共通するが、ヒロインをシュザンヌ・プレシェットが演じているところが見どころであろうか。『夕陽に立つ保安官』のジョーン・ハケットに比べると演技力では見劣りがするが、若さと美貌では優位に立っている。このあたり、どのように評価するか、話題は尽きない。ジョーン・ハケットもシュザンヌ・プレシェットも比較的若くして世を去ったことについての哀悼の気持ちを付け加えておく。

常見陽平『「できる人」という幻想 4つの強迫観念を乗り越える』(3)

5月19日(月)晴れ

 一昨日、昨日に引き続き、常見陽平『「できる人」という幻想 4つの強迫観念を乗り越える』の内容を紹介する。今回は第4章「そこまで『コミュ力』が必要ですか」、第5章「『起業家』は英雄なのか」、終章「若者の可能性にかけるな」を取り上げてゆく。

 第4章では平成になってからビジネスパーソンに対してどのようなビジネススキルが求められてきたかを新聞のデータベース検索に基づいて考察している。「コミュニケーション能力」(略して「コミュ力」ということばがしきりにみられるようになるのは2000年代を過ぎてからのことであるという。「プレゼンテーション」ということばも2000年代に使用が急増している。それに対して「ロジカルシンキング」ということばは意外にもあまり使われていない。MBAは平成時代を通じて安定的に使われているが、2000年代半ばが最も登場回数が多い。ビジネススキルとは言えないが、「プロフェッショナル」という言葉についてみると、2000年代以降に登場回数が増えている。

 「コミュニケーション能力」が近年の新卒採用市場で注目を浴びるようになってきているのは経団連が毎年発表している『新卒採用に関するアンケート調査』のデータが独り歩きしたせいであると著者は推測する。この調査では『選考にあたって特に重視した点』を24項目から5つ選んで回答する形がとられており、選ばれた回答の中での順位はつけられていないことに留意すべきであると著者は言う。それ以外に論拠となるのは社会と企業を取り巻く環境の変化である。サービス業の比重が大きくなり、職場の雇用形態が多様化し、さらにコミュニケーションのツールが多様化していることも論拠となるだろうという。

 しかし、このような「コミュニケーション能力」重視は一種の強迫観念となって実際の採用場面での希望者の奇妙な言動につながったりする。もっと困ったことに、ゆがめられた「コミュニケーション能力」によって、物事の本質をごまかすことに躍起となるようなことがありはしないかという。この点にかかわってくるのが「ポエム化」という現象である。感動的ではあるが、しかし意味の分からないようなキャッチコピーが氾濫している。このような現象が劣化している社会や企業の実態をごまかし、取り繕うためだけのものであるとすれば、それは警戒すべきことである。

 『日経ビジネスアソシエ』の特集記事から「コミュニケーション能力」の中でもどのような能力が重視されてきたかをたどってみると、「話し方」と「図解」と「外国語」が最上位を占めた。「名言」に癒される傾向、外国語が重視されるようになって得いる点が注目されるという。しかし、「コミュニケーション能力」を一方的に若手社員に求めることには問題があるのではないかと著者は言う。若者に責任を転嫁せず、受け入れる側が自分たちを変える努力をすべきであると、トヨタにおける若手育成メソッドの経験を援用して論じる。

 気になるのは、著者が「ロジカルシンキング」があまり登場しないと指摘している一方で、この問題をあまり深く掘り下げていないことである。この章で論じられている「コミュニケーション能力」が「レトリック」に偏り、「ロジック」を軽視していることも問題だと思われる。

 第5章では平成の起業家たちの群像が語られるが、その前に学生時代にはいったん起業家を目指したが、リクルートに就職してからその夢が消滅してしまったという著者自身の経験が語られている。何が何でも起業がいいとは言えないというのが著者の見解である。

 そのリクルートの創設者であり、偉大な起業家であった江副浩正の経歴と業績がかなりの紙面を割いて語られている。しかし、それ以上に著者が注意を促しているのは「10代の優れた音楽家はいても、20代の優れた経営者はいない」(179ページ)という言葉である(私としては、「音楽家」というところに疑問を感じる。音楽は文化的なものであり、単なる技能ではない。10代で完ぺきといえるような技能を見につける音楽家は大勢いるが、楽曲を自分なりに理解・解釈して独自の演奏ができるのはもっと経験を積んでからのことではないかと思う。「スポーツマン」ならまだしもと思うのだが、最近ではスポーツの一流選手の高齢化が進んでいることも無視すべきではないように思う。どうも話が脱線してすみません)。経営能力は後天的な努力によって身につくというのが江副の持論であった(江副は大学で教育心理学を勉強したはずだから、彼なりの実証的な根拠を持ってそう断言したのである)。この章はこれまでの章と違って様々なデータの分析ではなく、著者自身の体験が前面に出ているために実証性は乏しいかもしれないが、別の意味での説得力を持っている。

 終章でこれまで述べてきたことのまとめとして、先行世代は若者たちに「言いっぱなし」の「説教おやじ」になるなと説く。努力は大事であるが、「今求められているのは、『努力のデザイン』、『経験の意味づけ』なのだ。努力が無駄にあらないように、そして若者が迷走しないように、マネジメント層による『努力のデザイン』がこれほど求められている時代はない」(214ページ)。その一方で若者に求められる能力は非現実的なほどに巨大なものになってしまっている。「強さのインフレ」が起きているという。果たして若者の可能性だけに問題を丸投げして解決を図ることができるのだろうか。「いまこそ、中高年の『若者への説教離れ』が必要なのだ」(218ページ)という一文によってこの書物は締めくくられている。

 すでに何度か指摘してきたことだが、この書物の主な部分は企業が新入・若手社員に何を望んできたか/いるかをめぐる言説を分析・整理したものであって、実態の調査ではない。このことを念頭に置いて、自分自身と周囲の人たちの経験を思い起こしながら読めば有益な教訓が得られるはずの書物である。

 

常見陽平『「できる人」という幻想 4つの強迫観念を乗り越える』(2)

5月18日(日)晴れ

 昨日に続いて常見陽平『「できる人」という幻想 4つの強迫観念を乗り越える』(NHK出版新書)の内容を紹介する。いろいろと考えさせられる内容が多いので、今回は全体の中に2章と3章を取り上げていく。2章の方を重点的に論じていることをあらかじめ断っておきたい。

 第2章「『即戦力』はどこにいるのか」ではまず、「ユーキャン新語・流行語大賞」(通称・流行語大賞)を受賞したり、ベスト・テンにランクインした言葉の中から会社員や働き方にかかわるものを選び、新入社員に求められるものと労働環境のかかわりについて考察している。少し角度は違っているが、入社式の訓示を時系列的に追いながら分析した第1章とよく似たアプローチがとられている。実態よりも意識の方に焦点が当てられているので、その点は用心して読んでいく必要がある。

 平成15(2003)年の「年収300万円」(森永卓郎さんの造語だそうである)、20(2008)年の「名ばかり管理職」、25(2013)年の「ブラック企業」などの言葉からは正社員の労働環境の劣悪化が読み取れるという。その一方で非正規社員も平成の働き方を象徴するものであり、平成18(2006)年の「格差社会」、19(2007)年の「ネットカフェ難民」、20(2008)年の「蟹工船」、21(2009)年の「派遣切り」などがこれに関係する言葉である。その一方で一見、前向きに見える言葉もあるが、平成22(2010)年の「イクメン」など子育てへの参加を支援するような環境が整備されないままで奨励された場合、「単なる労働強化を煽る言葉」(66ページ)になってしまう恐れもあるとしている。「何かを変えそうで買えない、そんな言葉が並んでいる」(同上)、「情報があふれ、実現可能性があまり考慮されずに、多様な選択肢だけが提示される時代」(67ページ)であるという印象を地流行語大賞の分析から著者は引き出している。

 第2章では引き続き現代コミュニケーションセンター→日本生産性本部「職業のあり方研究会」による「今年の新入社員」という調査の概要をたどる。そして「ここで言っていることは毎年ほぼ同じなのである。…いかにもステレオタイプの若者評論でしかない」(69ページ)と断じている。「若者はいつも未経験で未完成であるにもかかわらず、身の丈に合わない力を求められているのである。『できる人』幻想そのものだ」(72ページ)という見解は傾聴すべきものである。

 第1章で著者は企業が求める人物像が次第に高度化している傾向を指摘したが、この点についての学術的な研究も少なからず行われてきた。おおざっぱにいうと学歴に集約されるような〔近代的能力〕に加えて、「人間力」や「コミュニケーション能力」などの力が求められるようになってきているという。<また工業化の時代から、徐々に第三次産業化していくにつれて、日本の産業界が大学に向けて、国際化に伴う創造性要求を増してきたとする研究もある。様々な研究はそれぞれの角度から企業が求める人物像の高度化を裏付けているように思われる。

 以上をまとめてみると、「企業をめぐる経営環境が厳しくなり、これまでの日本的経営の特徴であるとされてきた終身雇用と年功序列が徐々に崩れ、正規雇用と非正規雇用の格差が拡大している」(78ページ)ということになる。会社員生活の出発点であるはずの入社式で「会社人間いらぬ」という訓示がなされる背景にはこういう認識がある。しかし、このような危機が本当に到来しているのか、実際に企業は自分たちが求める「できる人」を採用できているのかという疑問が湧き上がる。厚生労働省の統計によると、会社にずっと残ることができる時代ではなくなってきているが、その変化はじわじわとやってきている。「じわじわした減少傾向が、まるで「崩壊」したかのように報じられて」(79ページ)いるのではないかと疑われるという。特に大企業においては長期雇用の傾向が根強いことからもこれらの言説にはどこか矛盾があると感じられる。

 その他労働環境をめぐる様々な変化はいずれもじわじわと起きていると著者は言う。それなのに、「劇的」な変化が起きているかのような議論が飛び交っている。さらに企業の側の採用活動の評価についてみると、求める人物像を高度化したところでそのような人材は十分に採用できず、妥協して採用しているのではないか、「即戦力」がとれているかどうかは疑問であるという。

 そもそも「即戦力」ということば何を意味するのかが不明である。日本の大学ではすぐに社会で通用するような職務スキルは教えてくれない。「比較的、職務に近いといわれている理工系や家政系、教員養成系の学部、経済学部や法学部でも実務とはズレている」(90ページ)。私の経験から言えば、「ズレ」ていることを自覚して教師の側が教え、学生の側が学べば、それなりの意義が生まれる、大学には実社会の理想を示すという役割もあり、大学を単なる就職準備の場と考えてはいけないのだが、著者はそこまでは言っていない。

 著者は「即戦力」ということばがもてはやされることになった背景に、新卒一括愛用の仕組みと、その前提になる環境の変化があると論じる。大卒者が増えて新卒採用戦線に参入する学生が増えてきただけでなく、就活の時期が早期化し、期間が長期化したこと、自由応募が促進されたため学生の就活も企業の採用活動も肥大化・煩雑化してきたことがあると論じる。さばく量が多くなってきたので、少しでも量を減らし、優秀な学生だけに応募者を絞るための脅し文句として「即戦力」という言葉が重宝されているのではないかという。「『即戦力』という言葉は罪深い。どういう力を持ったものが『即戦力』といえるのか、社長や人事担当者には具体的に説明していただきたいものだ」(96ページ)と著者は言う。確かにプロ・スポーツの世界などで「即戦力」とされる選手と、「育成」の対象とされる選手との両方が採用されるが、それはどのようなチーム作りをするかという具体的なイメージとしっかり結びついているようである。また、就職活動との関連で、インターンシップの意義などについても考察した方がよくはないかと思ったりした。中小企業だとアルバイトからそのまま正規の社員になる事例もあるはずで、そういう可能性も視野に入れておける方がよいのではないだろうか。

 第3章「「グローバル人材」とは誰のことか」については簡単に済ませることにしよう。昭和の末のバブルの時代から「グローバル」ということはずっと言い続けられてきたと著者は指摘する。著者は自分の経験に基づいてグローバル人材は育てられるものなのかというごくまっとうな疑問を提出している。それが誰によっても反論されない性格のものであるために、企業がより優秀な人物を探し出す手段としてこの言葉を使っているだけではないかとさえ論じている。

 これまでの紹介から読み取れるように、この書物は、事実よりも「意見」の方に分析の重点を置いて議論を進めており、読みやすく面白い半面で、実態がどの程度反映されているのかという点をめぐっては疑問が残る。第4章、5章ではいかなる議論が展開されるのであろうか!?

常見陽平『「できる人」という幻想 4つの強迫観念を乗り越える』

5月17日(土)晴れ

 常見陽平『「できる人」という幻想 4つの強迫観念を乗り越える』(NHK出版新書)を読み終える。「この本は、『できる人』という幻想について検証する本である」(3ページ)と書き出されている。この幻想が強迫観念になって日本の若者を苦しめている。
「頑張れ」
 この言葉に、疲れていないだろうか。(同上)
という問いかけによって、著者は「若者脅迫社会」の実像に迫ろうとしている。確かに、頑張ることは大事だが、者には程度というものがある。「環境や本人の能力を度外視した『頑張れ』は暴力でしかない。そして、右も左もわからない若者に対して『頑張れ』を連呼し、強迫しているのが今の日本社会なのだ」(5ぺーじ)という。

 この書物では平成に入ってから強調されている「できる人」に関する言説を4つのキーワードに即して検証している。その4つは
 即戦力
 グローバル
 コミュニケーション能力
 起業
である。

 本論に入る前に著者は第1章「入社式に見る平成『働き方』史」で日本経済新聞の大企業の入社式についての記事を時系列的に追って紹介し、考察を加えている。著者自身の企業での新入社員として、また人事担当として入社式の企画・運営をした際の経験が織り込まれていて、興味深い。入社式の前に内定式というのもあるとのことだが、この書物では入社式に研究対象が限定されている。入社式は「社会人になる心構えを説く場であるとともに、社会学や経営学で言う『オリエンテーション』および『組織的社会化』の起点となる儀式」(19ページ)であるという。それはもっと具体的にいうと「経営者が、今後の企業方針や従業員のあるべき姿を、若手社員だけでなく、多くの人に投げかける場なのである。/入社式の訓示とは、…理想のビジネスパーソン像を会社と社会に問いかける行為なのである」(20ページ)という。

 まだ好況が続いていた平成2(1990)年の入社式では、(気持ちを引き締めるという意味でであろうか)「社会的使命」が連呼されていた。バブル経済崩壊直後の1991年の入社式では「チャレンジ」「挑戦」「プロ」「国際感覚」「創造性」「個性」「社会」といった言葉が頻出していた。しかし、これらの資質の要求は今日とも共通するものであるが、経営者の側が自分たちのことを棚に上げて、言いっぱなしに終わっているという傾向もうかがえ、そのことも今日と共通するものはないかと著者者は皮肉めいた所見を述べている。バブル経済崩壊後の入社式は、単に日本経済の厳しさを伝える場と化し、社長の言葉も精神論に終始している例が大半であったという。

 阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件の起きた平成7(1995)は、各領域で多くの変化が起きた年であり、インターネット元年といわれた一方で円高が進み、入社式では時代の変化や変革をあおるメッセージが発せられる。とはいうものの、個人の能力や個性が花開くのは、入社後かなりの時間を経てのはずであり、企業経営者たちの新入社員を応援しているようでいて、実は丸投げにしているという状態が垣間見えるようになってきていると著者はいう。平成8(1996)の日系は「会社人間いらぬ ひるまず挑戦を」という見出しを掲げて入社式報道を行う。「即戦力になれ」「自立しろ」という新入社員がいきなり言われても困るようなメッセージが発信されている。翌平成9(1997)になるとこの傾向はさらに強まる。さらに平成10(1998)年ごろからは、危機感の慢性化・状態化が進むようになってくる。危機感が強調される一方で、本来経営者が自覚すべきことが新入社員に押し付けられる傾向も顕在化してきている。

 平成12(2000)年の入社式報道にはあるべき社員像を具体的に明示する訓示が多くなっているという変化が捉えられている。入社式の報道は、次第に扱いが小さくなっていくが、新しい兆候も見られる。平成16(2004)年には「CSR(企業の社会的責任)」という言葉が初登場し、平成17(2005)年からは「グローバル」ということばが頻出するようになる。平成18(2006)年は1990年代前半から続いた就職氷河期が終わった年であったが、企業の側の危機感は相変わらず強調され続けていた。平成19(2007)年で注目されるのは「法令順守」や「コミュニケーション能力」が言及されるようになってきたことである。
 平成20(2008)年に起きたリーマン・ショック後の21年(2009)年になると「生き残りをかけた変革」への参画が求められるようになる。しかし「ただ単に危機感を煽るのではなく、自らを励ますかのようなメッセージが込められているのが特徴だ」(46ページ)ともいう。平成22(2010)年には就職率が大きく悪化する。平成23(2011)年には厳しい就職状況に加えて、東日本大震災の直撃を受ける。震災に絡めた訓示が多く見受けられる一方で、グローバル化を強く意識したメッセージも見られる。平成24(2012)年、25(2013)年と「危機感×グローバル化」という訓示がフォーマット化され、若者の強迫観念になっているようである。

 平成の25年間を通じて日本の企業の入社式での強調点をまとめながら、著者は改めて「入社式は誰のものか」という疑問を提起する。新入社員は基本的には未経験者であるにもかかわらず、入社式の訓示で社長が発信するメッセージはますます高度化してきている。そんな新入社員がいるのか?どころか、そんな人間がいるのか?というレベルにまで達しているという。新入社員が成長する時間をあらかじめ想定せずに、即戦力を求めるのも無茶な話である。「日本の企業は、本来は上の世代が果たすべきことを、若者に転嫁してきたのではないだろうか」(52ページ)と著者は疑問を投げかける。さらに、新卒卒業者を迎える場でありながら、「会社人間いらぬ」とか「一生勤められると思うな」というメッセージを発することにも疑問を呈している。おそらくは入社式という世間の注目が集まる場に、会社としての現状認識や展望を示す機会を見出そうとしているのであろうが、もう少し新入社員のことを配慮してもよいのかもしれない。そのことも踏まえて著者が最後に、当の新入社員の感想にも目を向けるべきではないかと述べているのが、注目される。そういっているだけで、何らかの調査がなされているわけではないのが残念である。著者の今後の研究に期待したい。

 第1章の紹介だけでかなりの量になってしまったので、残りの部分は後日紹介することにいたい。「グローバル化」と英語力への期待に関連して思い出すのは、本ブログでも何度か書いてきたように、「頑張れ」という言い方は英語にはないということである。英語では、むしろ「気楽にやれTake it easy」というところ、経営者の皆さんにはこのことの意義を考えてほしいなと思った次第である。

ドイツの朝食

5月16日(金)晴れ

 NHKラジオまいにちドイツ語応用編『言うが花のドイツ語Wer spricht, gewinnt』のドイツ人パートナーであるリナ・マーティンさんとダニエル・ケルンさんによる『リナとダニエルから見た世界 Die Welt von Lina und Daniel』のコーナーで、ドイツの朝食がどのようなものかが話題として取り上げられた。

 ドイツの朝食というとパンとバター、ソーセージ、チーズ、マーマレード、はちみつのほか、シリアルなども食卓に上っているという。火を使う料理がないとはいうものの、主婦にはそれなりに苦労があるという話であった。ドイツには出かけたことがないのだが、英国やフランスと共通するところ、違うところがあって興味深かった。特に野菜の料理がほとんど出ないことや、火を通した料理が出ないところが英国の一般の朝食とは違う。英国だとトマトを焼いたのが出てくる場合があって、これが一つの特色ではないかと思う。

 また、小さい子どもだとパンにバターをうまく塗ることができないので、母親が塗ってあげるのが普通だという話を聞いて、思い出したことがある。アンデルセンの掌編小説集『絵のない絵本』は月が自分の目で見た様々な出来事を読者に語るというものだが、その中に小さな女の子が夕食の前の主の祈りの中で、いつも決まった祈りの言葉に何かごにょごにょと付け足す。母親が何と言っているのか問いただすと、毎日のパンにもっとパンを塗ってくださいとお祈りしているという話がある。

 アンデルセンはデンマーク人なので、ドイツと同じだと考えることはできないかもしれないが、女の子は神様にお祈りをしているようでいて、母親にそれとなく訴えていたということのようである。この話を花田清輝が『復興期の精神』の中で取り上げて、アンデルセンの自己中心主義について批判的に論じているが、だからこそ彼の童話が子どもの心をとらえてきたのだということも言えるのではないか。人間の生涯の中には自己中心的な考え方しかできない発達段階もある。その存在を拒否してしまう子ども観というのも問題だと思っている。

 朝食というと、他に思い出すのがTBSの土曜朝の番組『知っとこ』の「世界の朝ごはん」のコーナーである。これは世界各地の新婚家庭の朝食の様子を紹介するものであるが、テレビで放送するということもあって、裕福な家庭が選ばれる傾向があり、食事も普段の朝食よりは少し見栄えのする内容になっているように思われる。見ているほうもそんなことは承知しているだろうから、それはそれでいいのであると思う。 

フランス革命とロベスピエール

5月15日(木)雨のち曇り

 本日放送されたNHKラジオまいにちフランス語応用編「作家とともにパリ散歩」(再放送)の第11課は19世紀フランスの歴史家ジュール・ミシュレ(Jules Michelet, 1798-1874)の『フランス革命史(Histoire de la Révolution française) 』(1847-1852)の中の「ロベスピエールの失脚と恐怖政治の終焉」を扱った部分を取り上げた。厳密にいうと、ロベスピエールが処刑された後のパリの雰囲気の変化を、当時10歳だった男の思い出を中心にして描いた部分である。

 両親に連れられて劇場に行った子どもは、出口で初めて華やかな馬車の長蛇の列を見て圧倒される。上着を着た人々が帽子を脱いで、劇場から出てくる観客に「馬車はいかがですか」とたずねていた。こどもはこの初めて聞く言い回しの意味があまりわからず、その意味を教えてほしいと頼むのだが、ただil y avait eu un grand changement par la mort de Robesspierre. (ロベスピエールの死によって大きな変化が起こったのだよ)と教えられるばかりであった。

 馬車は富の象徴としてロベスピエールの支配のもとでは禁止されたのが、日の目を見ることになった。馬車を取り上げることで、ミシュレはロベスピエール死後の社会の変化を巧みに描き出している。とともに、このような変化が人々の心にいつまでも残るという事実も書き留めているのである。

 ミシュレは共和主義者であり、ロベスピエールの平等な社会の実現を目指す理想主義には共感していたが、その一方でその実現のために彼がとった態度については非難するという、両義的な評価を下している。そして彼の『フランス革命史』がロベスピエールの失脚により擱筆されていることに、彼のフランス革命についての見方が集約されていると講師の井上さんは説明していた。

 もう1人の講師であるヴァンサン・ブランクールさんによると今日でもロベスピエールについてフランスでは賛否の議論が絶えないという。ただ、彼の故郷であるアラスには彼の名前を冠したリセ(高校)があるという。

 ロベスピエールはその光と影があまりにも著しい例ではあるが、歴史上の有名人とその業績には、肯定面と否定面があり、しかもどれが肯定すべき点で、どこが否定すべき点なのかをめぐっては論争があるのが常である。歴史記述も、歴史教育も、このことを踏まえて読者、あるいは生徒の間で生産的な議論が起きることを期待して行われるべきではないかと思う。

『太平記』

5月14日(水)晴れ、暑し

 岩波文庫から兵藤裕己校注『太平記(一)』が刊行され、5月13日に読み終えたところである。この第1分冊には40巻からなる(ただし22巻は欠けている)『太平記』の1巻から8巻までが収められており、これから第6分冊までが順を追って発行されていく予定のようである。これまで2度挑戦して、成功しなかった『太平記』の全巻読破がどうやらこの岩波文庫版で実現しそうだと喜んでいる。

 『太平記』は後醍醐天皇の即位(1328)から、鎌倉幕府の滅亡、建武の新政、南北朝分裂、観応の擾乱、足利義詮の死と細川頼之の管領就任(1368)に至るまでの歴史を描いた軍記物語であり、この文庫本の巻末の「解説1 『太平記』の成立」で兵藤さんがまとめているように扱っている時代と物語の主題、歴史認識や政治思想において重要であるだけでなく、一種の百科全書的な豊かさを秘めた物語である。また『太平記』の文章について兵藤さんは「和漢混淆・雅俗折衷」で「以後の文章語の標準」(457ページ)となったと記している。個人の好みの問題ではあるが、私は『平家物語』の冒頭の名調子よりも、『太平記』の論説的な始まり方の方が好きである。

 『太平記』は次のように書き出されている:
 蒙竊(ひそか)に古今の変化を探って、安危の所由を察(み)るに、覆って外なきは天の徳なり。明君これに体して国家を保つ。載せて棄つることなきは地の道なり。良臣これに則って社稷を守る。若しその徳欠くる則(とき)は、位ありと雖も持(たも)たず。(33ページ、不肖私が古今の歴史的な変化を探って、平和と戦乱の由来を考察してみたところ、天は万物に慈愛を垂れ、優れた君主はこの原理を実行に移して国家を保つ。地は万物をはぐくみ載せるが、良い臣下はこのことをよく理解して国家を守る。若しその徳が欠けているときには、高い地位にあってもそれを保つことはできない。) 以下、暴政が国家の混乱を招いたいくつかの例を示し、「後昆(こうこん)顧みて誡(いまし)めを既往に取らざらんや」(同上、後世の人は顧みて過去の例に学ばなければならない)。つまり歴史的な教訓から政治のあり方を学べと論じているのである。もっともその歴史的な教訓がどういうものか、物語の内容と記述がかなり複雑で読み取りにくいから問題になるわけである。またここで述べられている政治哲学に私が賛同しているわけではないことも付け加えておきたい。

 第1巻は後醍醐天皇が即位されてから、意欲的に政務に取り組む一方で、倒幕の企てを進められるが、それが露見して首謀者が殺されたり、、捕縛されたりする。その中で天皇は北条高時のもとに申し開きの文書を送り何とかことを収めることに成功するという次第(いわゆる正中の変)を語っている。

 その最初の段は「後醍醐天皇武臣を亡ぼすべき御企ての事」と題されている。
 ここに、本朝人皇の始め神武天皇より九十六代の帝、後醍醐天皇の御宇に、武臣相模守平高時と云ふ者ありて、上には君の徳に違ひ、下には臣の礼を失ふ。これによつて、四海大いに乱れて、一日も未だ安からず。狼煙天を翳(かく)し、鯨波地を動かす、今に至るまで三十余年、一人としてまだ春秋に富めることを得ず、万民手足を措くに所なし(34ページ、さて、神代の後、人代の最初である神武天皇から96代の帝である後醍醐天皇の治世の時代に、北条高時というものが政治の実権を握っていた。彼は天皇の徳に背き、家臣たちの統制を保つことに失敗した。それで天下は大いに乱れ、1日も安心して暮らせなくなってしまった。狼煙(のろし)の煙が天を覆い、ときの声が地を揺るがす。今に至るまで30年以上の長きにわたり、一人として長生きできるものはいないし、万民は安心して暮らせない)。
 つまり、悪いのは北条高時が序文に出てきた天の徳、地の道にそむいた政治を行ったからであるという。書物の題名は『太平記』であるが、「今に至るまで」=書物執筆の時点まで太平は訪れていないとここには書かれている。

 語り手はここから高時に至るまでの鎌倉幕府がたどってきた道のりを振り返る。平家を亡ぼした源頼朝が将軍に任じられるが、その子実朝で頼朝の血筋は絶え、北条氏が実権を握ることとなる。北条氏は代々「謙に居て仁恩を施し、己を責めて礼儀を正しうす」(36ページ、謙虚な態度をとって仁政を行い、自分に厳しくして礼儀を正しく守った)。それで当主は政治的な実権を握っていても、高い地位を求めるようなことはしなかった。源氏の血筋が絶えてからは、京都からはじめは摂家から、のちには親王の中からしかるべき人材を招いて将軍と仰ぎ、京都には六波羅探題、九州には鎮西探題を置いて幕府の権力を浸透させた。こうして幕府と武士の力は強大になり、朝廷と公卿の力は次第に衰えていくかに見えたが、高時の代になって「政道正しからずして民の弊(つい)えを思はず」(37ページ、正しい政治を行わず、民衆の苦しみに思いを寄せず)、逸楽にふけっていたため幕府の威勢に陰りが見えてきた。この時、帝位にあったのが後醍醐天皇である。

 これからどのくらいの時間がかかるかわからないが、続けて『太平記』の内容を紹介、論評していきたい。理解が十分に及んでいない点についてご教示をいただければ幸いである。

日記抄(5月7日~13日)

5月13日(火)雨、午後には止んで蒸し暑くなった

 5月7日から13日にかけて、経験したこと、考えたことから:

5月7日
 関西学生野球連盟の春季リーグ戦で京都大学が同志社大学を3-0で破って通算成績を2勝1敗とし、23季ぶりに勝ち点1を挙げた。かつて東京6大学野球で東大のエースとして活躍した大越健介さんがNHKのnews watch9でこのニュースを取り上げていたが、その東大は連敗を続けている。

5月8日
 Nhkラジオ『まいにちフランス語』応用編でディドロの『ラモーの甥』を取り上げていた。ディドロそっくりの語り手である「私」とフランスの有名な作曲家であるジャン=フィリップ・ラモー(1683-1764)の甥との対話の形をとっている。ディドロは『百科全書』の編集と刊行のほか、哲学、演劇、美術、文学など広い領域で活躍した思想家である。「甥」ということはおじさんが有名人であったことを示すが、その伯父さんであるラモーの曲はあまり聞いたことがない。音楽史の知識がドイツ・オーストリア中心に偏っているので、フランスやイタリアの音楽については知識・理解が不十分であることを感じる。

5月9日
 ラジオでフランス語、イタリア語の時間を聴いた後、、ぼんやりしてしまって寝床から起き上がらずにいたら、中国語の時間になり、おなじみの「北風吹」のメロディーが聞こえてきたので懐かしかった。この曲が使われている歌劇『白毛女』をめぐる論争はさておいて、好きな楽曲である。

5月10日
 高岡詠子『チューリングの計算理論入門 チューリング・マシンからコンピューターへ』を読み終える。3月23日に買った本なので、読了するのに1か月半ほどの時日を要したことになる。しかし、時間をかけて読んだとはいうものの内容を理解したとは言えない。ただ、この本の中にブール代数への言及があったので思い出したことがある。ジョージ・ブール(1815-1864)は、アイルランドのコークにあるクイーンズ・カレッジの数学の先生をしていたのだが、授業の帰りに雨に打たれたことが原因で肺炎で死去した。教育熱心があだになった形であるが、カレッジがその後発展してできたユニヴァーシティ・カレッジ・コーク(UCC)の大学図書館は彼の名前を冠している。以前、この大学と図書館を訪問したことがある。人物についての知識はあっても、それぞれの業績についての内容的な理解ができないのがまことに残念である。

5月12日
 池袋の新文芸坐で映画を見た帰りに、池袋駅前でサッカーのW杯の日本代表のメンバーが決まったという号外を配っていた。
 テレビ朝日の『世界の車窓から』では、これまでインドネシアの鉄道を取り上げていたのが、この日からポルトガルを取り上げることになった。インドネシアのゆる~い感じもよかったが、ポルトガルのどのような魅力が映し出されるのかにも興味がある。

5月13日
 朝(8:35頃)と午後(15:35頃)に地震があった。最近、地震が多いのが心配である。
 NHKBSプレミアムでバート・ケネディ監督の『夕陽に立つ保安官(Support Your Loacl Sheriff!)』を見る。コミック・ウェスタンの傑作。保安官と町を陰で支配するならず者たちとの対決という構図は、フレッド・ジンネマンの『真昼の決闘』、ハワード・ホークスの『リオ・ブラボー』と共通するのだが、その中での女性の役割の描き方がそれぞれ大きく違う点に注目すべきではないかと思う。グレース・ケリー、アンジー・ディキンソン、ジョーン・ハケットという女優それぞれの個性を対比してみるのも面白いのではないか。

『還って来た男』、『人も歩けば』

5月12日(月)晴れ後曇り

 池袋の新文芸坐で「没後50年 映画監督 川島雄三」の特集上映の初日のプログラムで『人も歩けば』(1960、東京映画)と『還って来た男』(1944、松竹)を見る。『人も歩けば』は既に別の機会に見ており、初見であり、川島の監督昇進第1作でもある『還って来た男』の方を主に取り上げることにする。

 太平洋戦争中の1944年6月に公開された作品。編中のあちこちに戦時色が感じられるが、それ以上に印象に残ったのはクレジット・タイトルが省かれていること。67分という上映時間の短さも、戦時中の物資の不足を物語っている。川島もその下で助監督を務めたことがある小津安二郎が、シンガポールの映画館に残されていた『風と共に去りぬ』のプリントを上映してみて、「あかん、戦争は負けや!」といったという話を思い出す。監督・製作者の才気において劣っているわけではないという自負があるから、余計に悔しかったのであろう(もっとも表現の自由のために作家としてどれだけ頑張ってきたかという点が棚に上げられているという問題はある)。

 戦争中の大阪を中心に、京都や奈良、さらには名古屋に舞台が広がる。南方から帰還してきた軍医は、その経験から日本でも栄養不良の子どもたちのための施設を創設する必要を感じ、父親から受け継ぐことになった財産をつぎ込んで事業に取り組もうとする。父親は彼に見合いを勧めるが、その相手は彼が戦地でその最期をみとった中学校時代の友人の妹と同じ国民学校に務める教師であった。

 とにかく、もう少し作品を長くして、主人公をはじめとする個々の登場人物の人間関係や性格の説明に充てるべきであった。見合いをすることになる男女がそれと知らずにすでに何度も顔を合わせ、お互いに好意を持ってしまうという展開が、見合いの相手を演じている田中絹代の演技に多くを頼りすぎているように思われる。織田作之助の小説『清楚』、『木の都』を原作として原作者自身が脚本を書いたというのだが、もう一つ原作のイメージが伝わらないところがある。短編小説をつないで作り上げたためであろうか、登場人物の人間関係が複雑な割に、偶然の結びつきが多い。作品中には、少年工として名古屋に就職した子どもが、家が恋しくて何度も戻ってくるエピソードがあるが、一家ぐるみで名古屋に移住してしまうというところに戦時下の生活の不満をだましだましで解決を図るという構図が浮かび上がる。戦時下の生活の問題点をそれなりにリアルに描いていると評価すべきか、建前優先の解決の嘘くささを批判すべきか。戦時下の国民学校の授業や学校行事の実態がどのようなものであったのか、映画であるから現実そのままとは言えないだろうが、ある程度までの現実感をもってうかがい知ることができる点は貴重である。作品中で主に言及されている南方とはマレー半島のことらしいが、かなり広大な地域をごくあっさりと一言にまとめて呼び捨てているのも気になるところではある。

 『人も歩けば』は梅崎春生の同名小説の映画化。戦後を代表する作家の一人である梅崎はこの時期ユーモア小説に専念して、一部からは批判を浴びていた。しかし、この作品からはユーモアの衣にまぶした世相への鋭い洞察と批評が見て取れる(見て取らずに、ゲラゲラ笑って読んだってそれはそれで意味のあることだと思う)。砂川桂馬というドラマーが主人公。そういえば、この時代に話題になっていた「砂川判決」が改めて脚光を浴びている。桂の高跳び、歩の餌食という将棋の格言はこの作品中にも出てくるが、素人初段程度に将棋が強いことから質屋の主人に気に入られ、婿養子になった。ところが嫁は出戻り娘、結婚式直後に義父は頓死してしまい後ろ盾を失い、口うるさい義母にいじめ倒される。ついに家出、ところがその彼に莫大な遺産相続の話が舞い込む…。岸(当時の首相と同姓)という二股も、三股もかける裏切り専門の学生が登場したり、ゴジラ、ラドン、アンギラスと怪獣の名前をもったやくざが主人公を追いかけたり、金田一小五郎という怪しげな探偵が絡んだり、その探偵に元華族のご落胤を自称する女性が付きまとったりと物語はハチャメチャに展開していく。

 以前に観たときに比べて、淡路恵子が綺麗だとか、加東大介の演技がうまいとか、ごく月並みな感想がより実感をもって感じられるようになったというのが正直なところなのだが、それはそれで大事なことだと思う。主人公がドラムをたたいているバンドの名前がコットン・キャンディーズでそんな英語があるのか知らないが、作品中綿あめが重要な役割を果たすことになるのでご注意ください。

語学放浪記(31)

5月11日(日)晴れ

 外国語の教育に力を入れるよりも、自動翻訳機械のようなものを開発すべきではないかという意見を聞いたことがある。それも一つの考え方で、翻訳をめぐる機械技術が向上すればいろいろ便利になることは多いと思うが、すべてが解決できるわけではない。地球上で話されている言語は6,000とか7,000とかいわれ、それぞれが相当数の語彙をもち、固有の文法体系を備えている。翻訳機械といっても、とりあえずは使用人口が多い言語を優先して開発されることになるだろうが、これは仕方のないことである。

 科学技術関係の用語などで意味がはっきり限定されているものは、他の言語で言い換えることは容易なはずである。だから特定の領域に限定された多言語の用語集や辞典は現在でもかなり出回っている。このような用語集を電子化したり、自動翻訳に利用することは既になされているはずである。(それ以前の問題として、国によっては、大学などでの理工系の授業は語彙の関係で英語でやっているところがあるそうである。)

 それから、日常の会話でこういう場合にはこういうのだと決まっているというような言い方についても、うるさいことは言わなければ他の言語に置き換えることは可能である。5月6日の「まいにちフランス語」入門編で
Comment dit-on: ≪ I-ta-da-ki-ma-su≫, en français?
On dit: ≪Bon appétit≫.               
(「いただきます」をフランス語でどういうんですか?――Bon appétit.といいます)という会話が出てきたが、「いただきます」と≪Bon appetit≫は厳密にいえば違う心持を表している。しかし、そんなうるさいことを言うのは現実的ではないということである。

 もっともこのような場合でも、気持ちを伝えるのはそれほど容易ではない。英語のtake careには「用心する」、「気をつける」という意味で、別れる際にTake care!(気を付けて)ということもある。昔、英国の地方都市のスーパーで買い物をしたら、レジのおばさんに「タイク!」といわれて、一瞬、何のことかと思ったのだが、Take care!というのをさらに簡単に言ったのである。おばさんにとってみると変な東洋人に対する最大限の好意の表明だったのであろう。(こちらの年齢を棚に上げて、心の中で思っていただけではあるが「おばさん」などと失礼な言い方をしてしまったことをお詫びしておく。)

 この話には続きがある。その後、日本で観光客を引率して京都の二条城に出かけたところ、背の高い外国人が鴨居に頭をぶつける場面に出会ったので、気を付けてくださいという意味でTake care!といったのだが、怪訝な顔をされた。どうもイントネーションがおかしかったようである。日本語でもそういうことがあるが、イントネーションによって意味が違ってくる表現というのはあるのである。それを翻訳機械がどの程度聞き分けるか、表現し分けるかというのも1つの問題であろう。

ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!

5月10日(土)晴れ

 昨日、渋谷のシネクイントで『ワールズ・エンド 酔っ払いが世界を救う!』を見る。

 1990年に英国のありふれた田舎町であるニュートン・ヘイヴンで1マイルの距離の間に並んでいる12軒のパブ全店でビールを飲むという企てに失敗したゲイリーは、それから20年以上がたって40歳近くなって、再挑戦を思い立ち、昔の仲間たちに声をかける。今ではそれぞれの仕事を持ち、家庭生活を営んでいるニック、バディ、マーティン、エディの4人の仲間たちはあまり乗り気ではなかったはずだが、町に戻ってくる。

 それぞれのパブで1パイントのビールを飲もうというのだが、禁酒中のニックが水を頼んだりして、彼らはむかしの彼らではない。それでもマーティンの美人の妹のサムが途中で顔を見せたりして、昔の思い出が良くも悪くもよみがえる。サムも20年前の企てに部分的に参加してたのである。しかし町と1軒1軒のパブは昔と変わらないようでいて、どこか異様なところがある。20年もたてば町が変わるのは当然のことなのだが、変わり方がなんとなくおかしい。どうもこの町の人々は何者かによって操られているようである。企てを続けるか、それとも逃げるか。彼らは選択を迫られる。しかも次第にその選択の幅は狭まってくる。

 パブは英国(とアイルランド)で単にビールを中心とするアルコール類を飲む酒場というだけでなく、人々の集まる場所、語り合う場所として地域文化の中心としての役割を持っている。パブの看板のミニチュアを売る商売がある、ということはそれを買い集めている人がいるということとで、それほど人々に愛着をもたれているということでもある。私は夜、飲みに出かけるよりも、昼、ランチを食べに立ち寄ることの方が多かったのだが、金曜の夜になるとどこのパブも満員の活況出会ったことを思い出す。1パイントは568ミリリットルであるから12軒で1パイントずつ飲めば全部で7リットル近くのビールを飲むことになる。容易に想像できるように、この映画ではトイレが大きな役割を演じている。店はこぎれいでも、トイレはそれほどきれいではないという描き方がリアルである。エイリアンの侵入というSF的な物語ではあるが、最近はパブの閉店や系列化が進んでいるという現実も押さえられているようである。

 細かいことをいろいろと書いてしまったが、おおざっぱにストーリーを追いかけるだけでも楽しめる映画である。原題はThe World's Endで12軒の最後に位置するパブの名前であるが、「世界の端」とも、「世界の終わり(身の破滅)」とも受け取ることができる。「酔っぱらいが世界を救う!」という副題は物語の展開と結末にかかわっているので、なくてもよいように思われる。 
 

クジラのいた夏

5月9日(金)午前中は晴れ、午後になって一時雨が降るなど変わりやすい天気

 シネマート新宿で吉田康弘監督の『クジラがいた夏』、その後シネクイントでエドガー・ライト監督のイギリス映画『ワールズ・エンド 酔っ払いが世界を救う!』を見る。前者は地方都市での生活を東京へ出ることで変化させようとする青年と、彼の周辺の青年たちを描き、後者は地方都市で過ごした若者時代にできなかった一晩で12軒のパブのはしご酒に再挑戦しようと故郷の街に戻ってきた中年男性たちを描く作品である。どこか共通する部分がありそうな、なさそうな2作品を1日のうちに見ることになった。ここではまず『クジラがいた夏』を取り上げることにする。

 高校時代からずっと続いている4人組の青年たちの1人、”チューヤ”が東京に出ることを決めた。地元を離れる最後の日の前日に、残る3人、”ジェイ”、ギズモ、町田が大送別会を開くことにした。ボウリング場で開いた送別会は全く人が集まらず、”チューヤ”が小学校時代、中学校時代に思いを寄せた女子を訪ねる試みは、それぞれかなり悲惨な結末を迎えることになる。そして、”チューヤ”が高校時代に思いを寄せ、今は上京して女優として活躍しているはずの先輩の弓子が彼らの目の前に現れたことで、”チューヤ”の心は揺らぐ・・・。

 近くの水族館にクジラが登場し、観客を集めているという噂を信じて水族館に出かけたが、クジラはいなかったという高校時代の思い出。クジラを見に出かけたために、”チューヤ”は弓子先輩を見送る時間をロスするのだが、どうやら彼女の旅立ちを見送ることができた。それだけのことで、何故『クジラがいた夏』なのか? 映画は彼らが高校生だった3年前と、現在とを交錯させながら進む。

 映画の主要なロケ地は富山県の高岡市で、藤子不二雄@の名作『まんが道』の舞台でもある(必ずしもこの町だという特定がなされているわけではない)。藤子不二雄の2人は将来への夢を抱いてこの町で過ごし、やがて旅だったが、ここにとどまるか、大都会へと旅立つかという選択は、人生の目的を見出すこともできないし、夢もなく、さしたる能力にも恵まれない若者にも突きつけられる問いである。残る3人は地元への愛から、地元にとどまることを決めているが、”チューヤ”だけは自分の気持ちを決めることができないままである。結局3人がいくらやきもきして世話を焼いても、これはご本人の問題である。

 実は私も、成人してからのことであるが、20年近くの年月を日本海岸の地方都市で過ごした経験がある。ある時、職場の窓から外を見たら、日本海を練習帆船が航行しているのが見えたことがある。もし、こども時代にこういう経験をしていれば人生が変わっただろうと思う。人生のかなりの部分は偶然によって決められるといった人がいるが、確かにその通りである。大人になればなるほど偶然の効き目は小さくなる。何かの出会いに感動することも乏しくなる。過去の道をたどりなおすことも一つのやり方ではあるが、新しい出会いを求めることも必要ではあろう。

 地方都市に住んでいても、全国的あるいは全世界的な視野をもつことはできるし、都会に住んでいても、地方のことを思い出すことはあるだろう。都会と地方とをむやみに対立させるのは意味のないことである。どこで生活していても、もっと広い世界を意識するような体験をすることが大事なのではないかと思う。”チューヤ”を東京に送り出すか、郷里にとどまらせるか、仲がよいように見える仲間たちの間でも実は意見の違いがみられる。その意見の違いがもっとはっきりとやり取りされているような物語の展開の方が面白かったかもしれない。

エトルリア人が遺したもの

5月8日(木)曇り

 NHKラジオまいにちイタリア語応用編の『イタリア:24の物語(L'Italia 24 storie)』の再放送の第9回ではトスカーナ州のチェルヴェーテリ(Cerveteri)に残るエトルリア人のネクロ―ポリ(ネクロポリス=死者の都)について取り上げていた。エトルリア人はイタリアの先住民族の1派で、ローマに先立ってイタリア半島に独自の文明を築いていた。

 Gli Etruschi sono un popolo che viveva nell'Italia centrale in tempi antichi.(エトルリア人はその昔、中部イタリアに住んでいた民族である。) 彼らは多くの都市を築き、緩やかな都市連合を形成するだけでなく、鉄を利用し、フェニキアをはじめとする地中海の諸民族と交易活動を展開していた。しかしローマから勢力を広げてきたラテン人の文明圏に次第に飲み込まれ、その文明は姿を消していった。

 彼らは当時としては高い建築技術を持ち、その技術は都市国家ローマの建設にも生かされた。エトルリア人たちは、人間は死後に病や苦しみから解放された生活が続くと考え、死後の生活のために巨大な墓からなる広大な墓地を造成した。彼らの建築技術が死者の都市に生かされたばかりでなく、今日までその姿を残しているというのは歴史の皮肉である。

 エトルリア人は歴史における謎の民族の1つで、フェニキア人やギリシャ人との交流を通じて自分たちの言葉を書き残すためのアルファベット式の文字を考案した。おそらくローマ字に大きな影響を与えたと思われる彼らの文字の音を推測することはできるが、彼らの言葉が他のどのような言語とも類縁関係がないためにその意味を解読できずにいる(大体、3割から4割程度しかわかっていないそうである)のは残念なことである。

 大英博物館に出かけると、エトルリアの遺物を展示する部屋が確保されていて、ギリシャともローマとも違う彼らの文明の姿を具体的に見ることができる。このような扱いは、この民族の歴史的な存在感が決して小さなものではないことを示すものであろう。訪問の際にエトルリアのアルファベットをノートに書き写したことなど、懐かしい思い出である。

 ところで、半ば伝説的な王政ローマ時代の7人の王のうち、最後の3人はエトルリア人であったといわれる。漱石の『吾輩は猫である』の3で、訪ねてきた迷亭をそのままにして苦沙弥が出かけてしまったので、苦沙弥の奥さんが相手をしているうちに、「何でも昔し羅馬に樽金とか云う王様があって」と言い出す。なんでも七代目だそうです。さすがに迷亭は物知りで、Tarquin the Proudのことだと気付くというくだりがある。Tarquin the Proudは英語のいい方で、ラテン語ではTarquinius Superbus(傲慢王タルクィニウス)というローマ王政時代の最後の王はエトルリア人ということになっているが、漱石はそこまでは書いていない。ローマでも縁が遠い話だと思っている苦沙弥の奥さんにエトルリアなどといってもわかるはずはないということであろうか。彼が王位を追われる経緯については有名な話があるが、それは別の機会に譲ることにしよう。

 イタリアのトスカーナ州(トスカーナとは、「エトルリア人の地」という意味だそうである)、あるいは半島に面したティレニア海(ティレニアはギリシャ語でエトルリアのことである)などの地名にエトルリア人はその名を残している。

 放送では最後にGuardando l'allegria della cerimonia funeraria o i visi sereni della coppia sul sarcofago, ci viene un po' da invidiare la loro visione dell'aldilà.(葬式の楽しそうな宴会の絵や、幸せそうな夫婦石棺の表情などを見ていると、彼らの死生観がちょっとうらやましくなります)と結んでいた。地上からはその姿を消したエトルリア人たちが、あの世から現代をどのように見ているか、好奇心がわくところである。

柳谷晃『数学はなぜ生まれたのか?』

5月7日(水)晴れ

 柳谷晃『数学はなぜ生まれたのか?』(文春新書)を読み終える。

 学校で勉強することは易しいことから始まって、次第に難しくなる。算数・数学も例外ではない。そして数学の歴史も同じように、次第次第に難しいことに取り組むようになった。そこで数学の歴史的な発展の道筋を追いかけて、数学を勉強していけばよいという考え方がある。もちろん、数学の歴史的な発展の過程はそれほど単純なものではない。とは言うものの、大数学者のエピソードは数学の学習にアクセントをつける効果もあり、数学史は数学教育の中で重視されてきた。

 著者は早稲田大学高等学院(高校)の先生で、その肩書きから察してなぜこんなに苦労をして難しい数学を勉強するのか?という高校生たちの問いに答えてきたと推測される。そこそこの成績さえ取れば、大学に進学できる付属校の生徒たちが苦労したがらないのは人情といってもよいかもしれない。この書物の内容を形成しているのは、そういう生徒たちの問いに答え続けてきたなかで蓄積されてきた著者の数学観である。

 数学は人間が作ってきた文化の1つである、人間の歴史とともに何千年もの間歩んできた歴史を持っているし、人間の生活にとって不可欠なもののひとつである、人間は自分たちの生活をよくするために数学的な知恵を役立ててきた。「ですから、数学の歴史を学ぶことは、人間が何を目的に生きてきたかを学ぶことと同じです」(17ページ)という。数学は多くの人々の苦心と努力の成果の蓄積であり、それゆえに「数学を本当に勉強するということは、昔の人への感謝と、尊敬心を持つことです」(19ページ)ともいう。

 とはいっても、書物の構成は必ずしも歴史的な年代を追うものではない。
第1講 0はなぜ偉大か
第2講 2次方程式の解の公式を覚えていますか?
第3講 三角比はなぜ生まれたのか?
第4講 古代ギリシャで「証明」が生まれたのはなぜか?
第5講 アルキメデスに学ぶ微分積分:微積分入門Ⅰ
第6講 リンゴが落ちても、万有引力は生まれない:微積分入門Ⅱ
第7講 平行線が交わる幾何学:非ユークリッド幾何学の世界
第8講 コンピュータはなぜ2進法で考えるのか?
というのがこの書物の構成である。

 第1講では歴史上様々な数字が工夫されてきたが、それらは基本的には記録用にできており、筆算が機能的にできる数字は、インドアラビア数字だけである、インドアラビア数字が使いやすいのは、位取り記数法というシステムがあるからである、その位取り記数法を支えるのが0という数字の発見であると論じられている。

 第2講では方程式が古代エジプトやメソポタミアにおいても存在していたことから、フランソワ・ヴィエトによって二次方程式の解の公式が見出されるまでの経緯が語られる。この公式によって多くの人々が二次方程式を解くことができるようになり、全体としての国民の能力が向上したと著者は論じる。「才能のある人にしかできなかったことを、努力しかできない人もできるようになる」(62ページ)ことの意義が強調されている。そしてヴィエトの業績が国力の充実を目指して大土木工事を推進していたアンリ4世の政策に呼応するものであったことも付け加えている。

 第3講では三角比が建築に欠かせないことから、歴史的な三角比の使われ方をたどり、ギリシャの数学的な知見を西欧に伝えたイスラムの貢献についても言及している。第4講では、古代ギリシャの都市国家間の交渉の中で話し合いと説得の技法が洗練され、論理的な証明の背景となったこと、そこから論理学の基本的な問題を取り上げ、論理的・抽象的な思考が物事を易しく考えるために必要なものであると論じている。(最近、19世紀の社会科学の発展の中で「抽象的な思考」が演じた役割について考えているので、大いに参考になる個所であった。)

 第5講ではアルキメデスの業績、第6講ではニュートンの業績に即して微分積分の考え方を概観しているが、その中でトリチェリとか、バロウとかいう、あまりその業績について取り上げられない数学者についてその役割を評価している点が興味深い。第7講ではこの世界がユークリッド幾何学に従って成り立っているのか、ロバチェフスキーとボヤーイの幾何学に従っているのか、リーマンの幾何学に従っているのか、まだわかっていないというのが面白かった。「当たり前に見えることを疑うのは、とても大切です」(174ページ)と著者は言う(もっとも何でもかんでも疑うのも問題ではある)。第8講ではコンピューターの理論と歴史をたどりながら、数学と論理について考えている。

 「おわりに」の中で、著者は数学を学ぶために「素直になろう」、「数学と人間の生活は切り離せない」、「体で覚えよ」、「数学は万能ではない」、「数学は人間の味方」と説いている。時々独断的になったり、論理が飛躍する個所があるような気がするのだが、数学の発展をその背景となった社会の要請との関連で論じている個所は参考になる。この点を考えると数学と科学技術との関連について多くのページを割いている半面で、医療や経済との関連での議論がほとんどないのが残念である。第6講で人口密度を低下させることが伝染病を防ぐ有効な手立てであることが触れられていたり、「おわりに」で「金融工学」の「数理モデル」のいい加減さが指摘されていて、著者がこれらの方面にも通じていることがうかがわれるだけに余計にそう思える。数学について一般的な知識を得ようとする人々にとっても有益な書物であるが、それ以上に数学教育に携わろうとする人々にとって参考になるのではないか。

日記抄(4月30日~5月6日)

5月6日(火)曇り

 4月30日から本日までの間に、出会った事柄、考えたことなど:

4月30日
 NHKのニュース番組で渋谷駅の南西の桜ヶ丘地区の開発について取り上げていた。この地区にあるネパール料理店のカンティプールには以前よく出かけたものである。この地区は緑が多いのが特徴だというが、だとすれば無理に開発しないで緑を増やす方がよいのではないか。

5月1日
 5月を迎える。プレヴェールの「五月の歌(Chanson du mois de mai)」が思い出される。
 ロバと王様と私
 私たちは明日死ぬだろう
 ロバは飢えで
 王様は退屈で
 私は恋のために
 シナリオ・ライターでもあったプレヴェールが脚本を書いたポール・グリモーの長編アニメーション映画『王と鳥』で王様が聞き入っているレコードの中の歌である。昔々、『やぶにらみの暴君』という題名で上映されたもの、その後グリモ-自身が手を入れなおしたもの、両方を見ている。

5月3日
 5月はラテン語を重点的に勉強しようと思っていて、岩崎務『CDエクスプレス ラテン語』(白水社)を読み始めた。この本の装丁を手掛けているのが山本美智代さんで、もう40年くらい昔になるが、京都の河原町通りにあった京都書院という本屋のギャラリーで山本さんの作品展が開かれたときに、ご本人にあったことがある。

 ラテン語のこんな一文を見つけた: Nôs taedet bellum gerere. (私たちは戦争をするのは嫌だ。)

5月6日
 NHKBSプレミアムでドン・シーゲル監督の『真昼の死闘』を見る。この映画は映画館で2度くらい見ているはずだが、記憶のある場面にほとんど出会わなかった。

 まいにちドイツ語の時間で聞いた話。ドイツでもこどもにどんな名前をつけるかをめぐってはその時々で流行があるのだが、男性の場合には北欧系の名前、女性の場合にはフランス風の名前をつけることが最近の傾向だそうだ。

カミ『三銃士の息子』

5月5日(月)曇り

 朝の地震にはびっくりした。連休は人出が多くなるし、体調が十分とは言えないので、本日は外出せず。

 カミ『三銃士の息子(Le fils des trois mousquetaires)』(ハヤカワ・ミステリ)を読み終える。3月30日付の当ブログで同じ作者の『機械探偵クリク・ロボット』を取り上げた際に、この作品が間もなく刊行されるという情報を書いておいたが、これほど早く実現するとは思わなかった。うれしい誤算である。

 1680年、太陽王と呼ばれたルイ14世治下のフランス。ルイ13世時代からルイ14世の治世の初期にかけて活躍した三銃士たち(本来、アトス、ポルトス、アラミスの3人のはずだが、この作品ではなぜかダルタニャン、アトス、ポルトスになっている)はこの世を去り、物語の登場人物で存命中なのはダルタニャンの従者だったプランシェだけとなった。60歳を過ぎた彼はパリのトンバール通りで食料品の店を開き、その商才と人柄とで店は繁盛している。

 プランシェは彼の店を突然訪ねてきて、赤ん坊を彼に託して死んでいった女性との約束を守り、18歳を迎えて美しい娘に成長した昔の赤ん坊、ブランシュ=ミニョンヌに母親の遺言を知らせようとしている。18歳の誕生日を明日に控えたブランシュ=ミニョンヌは教会に出かけるが、そこで聖人を装った悪漢たちに誘拐されそうになったところを1人の勇敢な若者にすくわれる。その若者こそ「三銃士の息子」である。出会った瞬間から二人はお互いに惹かれあう。

 1658年に三銃士は国王のお供をしてベアルン地方を訪れた際に、若く、美しく、金持の未亡人たちとの間に契りを結び、こどもを儲けた。知らせを受けた三銃士は一心同体であるから、誰の息子かなどという言い争いをして仲間割れなどしない。そのこどもに「三銃士の息子」という名をつけて、20歳まで養育してほしいと頼んだ。こどもがパリに出てくれば自分たちの力で一人前の重視にするつもりだったのである。もし、3人が3人とも世を去っている場合はプランシェを頼れとも言い送った。こうして「三銃士の息子」はプランシェを訪ねてパリにやってきたのである。彼はダルタニャンのように知略に富み、アトスのように気品にあふれ、ポルトスのように背が高く、力持ちである。まさに「三銃士の息子」である(3人の父親のDNAを受け継いだ!? そんなことがあるのか!?)

 ブランシュ=ミニョンヌの母親が若いころにある貴族から辱めを受けたことを知り、「三銃士の息子」はその復讐を企てる。それだけでなく、ブランシュ=ミニョンヌの誘拐の企ての背後には、何者かの存在がありそうである。そしてその何者かというのは、ルイ14世の側近の1人であるトリスタン・ド・マカブルー公爵らしい。≪牢獄に邪魔者送ればこの世は天国≫と嘯く彼はこれまで多くの若い娘をその毒牙にかけ、今またブランシュ=ミニョンヌに狙いを定めて、配下の悪漢たちに誘拐を命じているのである。

 ブランシュ=ミニョンヌの母親をめぐる事件のカギを握るのは、スペインのキュウリモミータ(戯訳であろう)という闘牛士で、謎の解明を求めて、またブランシュ=ミニョンヌの安全を図るために「三銃士の息子」は彼女を連れてスペインへと向かうが、公爵の手下たちが執拗に追いかけてくる。ブランシュ=ミニョンヌは母親の無念を晴らすことができるのか。「三銃士の息子」は銃士になれるのか。彼と彼女にはどんな将来が待ち受けているのか。

 善悪の境界のはっきりした型どおりの勧善懲悪喜劇と見せかけて、人情の機微も垣間見せている。しかし何といっても物語を魅力的なものにしているのは、『機械探偵クリク・ロボット』について取り上げたときにも述べた、どこから湧いてくるのかわからないほどに奇想天外なカミの発想である。『三銃士の息子』と聞けば、3人か4人の若者が登場するという予想を裏切って、3人の性格を併せ持つ1人の活躍を描いている。その属性ばかりでなく、活躍ぶりも超人的である。最初に登場する場面で、稲妻を一刀両断に切り分ける。引き立て役として主人公の周囲にはきわめて個性的な従者たちが配されている。その他にも羊と犬の間に生まれた番羊のように科学を超越したフィクショナルな存在が登場したりする。作り話の連続かと思うと、時々歴史的な事実が顔を出すので油断できない。『寓話』の作者ラ・フォンテーヌが「特別出演」し、「鉄仮面」が重要な役割を演じる。煙突掃除夫ならぬ火山掃除夫という奇妙な職業の一団が姿を見せる。

 『機械探偵クリク・ロボット』と同じ高野優さんによる翻訳は、「訳者あとがき」によると、原文のダジャレを日本語に移すことができない場合には意味を優先させるなどの苦労があったそうだが、その分、日本語でダジャレができるところでは訳者自身がダジャレを付け加えたそうで、楽しみのほうが多かったような様子もうかがわれる。どうしても気になる向きは、フランス語で読むことを考えればよいのだろう。いや、フランス語で読んでみたいのだが、私の場合それはいつのことになるだろうか??

そこのみにて光り輝く

5月4日(日)晴れ

 テアトル新宿で『そこのみにて光り輝く』を見る。『海炭市叙景』と同じく佐藤泰志の原作小説の映画化。『海炭市』が短編集であったのに対し、同じく函館を舞台としてはいるが、こちらは佐藤が残した唯一の長編小説の映画化だという。

 砕石現場で働いていた時に、自分の不注意で仲間を死なせたことへの自責の念から仕事もせずに、アパートで無為の日々を暮す達夫。ただ一人の親族である妹から両親の墓地を決めろ、結婚しろという手紙が届いている。ある日、パチンコ屋で知り合った拓児という青年から彼の家に誘われ、昼食を作ってくれた拓児の姉の千夏と惹かれあう。

 千夏と拓児の父親は脳こうそくで寝たきりになっていて、母親が面倒を見ているが、思わしくない様子である。拓児は事件を起こして服役し、現在は仮釈放中であり、千夏が愛人になっている男の世話で植木職人の仕事をしている。腐れ縁が2人を支配している。達夫は元の仕事に戻るように誘われている。戻れば生活は豊かになるのだが、その仕事のために付きまとわれているトラウマのために決心がつかない。

 一人暮らしで家族とは縁のない生活をしている達夫は何をするということもなく、刹那的な快楽を求めているようにも見える。妹からの手紙に返事を出すこともしないようである。千夏と拓児の一家は負の連鎖に見舞われている。家族の意義が問われている。砕石という命がけの仕事にかかわる人間にとっては家族は必要がないという声も聞こえる。

 原作者の唯一の長編小説ということであるが、映画化に即してみた限りで物語の展開に起伏が乏しく、その点では退屈である。その一方で、作品が投げかけようとしている問いは無視しがたいものに思われる。函館は日本の代表的な港町である。港には両義性と境界性がつきまとう。この映画は港を描いてはいないが、その代わりに海と丘の上の神社、そして神社の祭礼を描きこんでいる。海と丘(山)、山で砕石をしていた達夫と、漁師の娘で塩辛の工場で働いている千夏とはいわば神話的な組み合わせである。一方で家族の血縁の継承を願う気持ちがあり、悪しき血縁を断ち切ろうとする意志もあるようにみえる。一人の人間の中でも気持ちの変化があり、おたがいに影響しあう関係になればそれだけ気持ちの持ち方は複雑になる。

 定職がないとか、経済的に立ち行かないとかいうこと(それもこの映画の中で描かれていることではあるのだが)とは別の意味で、人生の極限状況を生きている男女の愛を描きながら、映画は個々の人間を超えた生きることの意味を問おうとしている。人生に希望を寄せることは大事ではあろうが、安易な希望はそれだけすぐに破られる。『海炭市叙景』が入り口だけを描いていた北国の人生模様を、この作品はさらに奥深く突っ込んで描こうとしている。私よりも年少の佐藤が早くこの世を去ったのは残念ではあるが、文学作品という多義的な形式で彼が問いかけた人生についての問いは多くの人々に継承されるべきであると思う。

語学放浪記(30)

5月3日(土)晴れ

 急に気温が上がってきたせいか、体調があまり思わしくない。

 ドイツ語、フランス語、イタリア語、それぞれ4月分の放送が終わった。それぞれの5月放送分のテキストを見ていると、フランス語の5月号の表紙が映画のポスターのような絵で飾られているのが目を引く。『かくも長き不在』、『シェルブールの雨傘』、『僕の伯父さんの休暇』、『赤い風船』、『僕の伯父さん』と古い映画に交じって、現在上映中の『アデル、ブルーは熱い色』らしい1枚が描きこまれているのはどういうことか。このイラストを書いた人は、ジャック・タチが好きなのかな、そういえば、渋谷のイメージフォーラムではジャック・タチの特集上映をまだ続けているはずだな・・と思ったりする。

 大学での第2外国語はドイツ語であったし、大学院もドイツ語で受験したのだが、ドイツ語への意欲・関心はそれほど強いものではなかった。学術的な関心はあったものの、文化全般ということになるとフランスの方が魅力的であった。それに、私の学生時代はフランス映画の方がドイツ映画よりも圧倒的に面白かった。しかし、フランス語を熱心に勉強するというわけでもなく、要するに怠け者の学生であった。語学に対する実際的な関心は極めて乏しかった。

 最初に就職した学校は技術系であったので、それまで自分が過ごしていたのとは全く異質な文化の中に放り出されたという気分であった。理工系の研究者は英語で論文を書くことが多く、自分の研究のために語学を使うという意識が強い。私が大学でロシア語を勉強したということを(まったくどこからそんな噂が漏れるのだろうか)聞きつけたある先生などは、学生にロシア語を教えてほしいと言ってきた。こちらは、ロシア語が一向に上達しないのでやめてしまい、辞書も古本屋に売り払った後のことであった。

 確かに自然科学の場合、扱う事柄は文化に左右されることはほとんどない。アメリカの物理学の教科書も、ソ連(当時)の物理学の教科書もほとんど同じ構成になっていたそうである。だからとにかく基本的な文法さえ押さえておけば、書かれている事実の大部分は理解できることであるから、ロシア語の論文は読めるはずである。そんなことが理由になっていたのだろうが、こちらは文化の違いによって理解しにくくなっている部分に興味がある人だから、話がかみ合わなかったのである(自分勝手な言い分ですみません)。

 専門的な知識があれば、自分の専門とする領域についての外国語の文献を読むことは容易であるし、その点をめぐって外国語で討論することもそれほど難しくないかもしれないが、日常の会話となると話は別である。そして実用的な見地から見た場合、会話が外国語学習の重要な側面であることは否定できない。

 文化勲章を受章した数学者の岡潔は、フランス語で論文を書いたりしていたが、フランス留学中に食堂車で水が飲みたかったので、eau! eau!と叫んだけれども、一向に通じなかった、後で考えてみるとl'eauというべきだったとどこかで書いていた。4月9日の「まいにちフランス語」入門編の中のおしゃべりで、フランスでは水は頼まないともってきてくれないから、飲みたいときにはUn verre d'eau(コップ一杯の水), s'il vous plait.とかUne carafe d'eau(水差し1杯の水), s'il vous plait.とかいわないといけないと聞いた。冠詞をつけないといけないという点では岡潔のいうことは正しかったのだが、定冠詞ではなく部分冠詞をつけるということに気付かなかったようである。

 だから最低限の日常会話を学校で教えることに意味はある(その場合、最低限の文法の教育も必要である)と思うのだが、日常の会話というのはどの言語でも変化が激しい領域である。私が学生のころはフランス語の否定のカタチはne...pas...、例えば私は知りませんというのはJe ne sais pas.と習っていたのが、現代のフランス語ではJe sais pas.というのが普通になっている。フランス語の時間で講師の先生がそう説明したというだけでなく、TVのニュースの中のインタビューでも、映画の登場人物のせりふでもそう話している。それから、その人の立場によって口の利き方が違ってくるという問題もある。丁寧に話すべき場合もあるし、ぞんざいでいい場合もある。その人、その人、それぞれの場合がある。そういうことを考えると、学校教育の中で会話力をつけるためにできることはかなり限られているのである。

 それでも下手の横好きで勉強した言語の数を増やしていた私にとって、技術系の学校で全く異質の文化に触れたことは貴重な経験であった。

アラン・ブラッドリー『春にはすべての謎が解ける』

5月2日(金)晴れ

 アラン・ブラッドリー『春にはすべての謎が解ける』(創元推理文庫)を読み終える。4月29日に購入、4月中に読み終えるつもりだったのだが、予期していた以上に読み応えがあった。

 第二次世界大戦が終わって間もないころのイングランドの田舎、ビショップス・レーシーの古い屋敷バックショー荘に住む11歳の少女フレーヴィア・ド・ルースは化学が大好きな少女でこの屋敷のもとの持ち主であった大おじ(将来を期待された化学者であった)が残した実験室を自分のものとして暮らしている。家族は切手収集が趣味の父ハヴィランド、ピアノが上手な17歳の姉オフィーリア(フィーリー)、読書家で物知りの13歳の姉ダフネ(ダフィ)。母のハリエットはフレーヴィアが1歳の時にとっざん中の事故で死亡した。バックショー荘はハリエットが相続したものだが、遺言状がなかったせいで、父はない国税収入庁から責められており、家計は火の車状態である。3人姉妹の上の2人は仲がよく以心伝心状態だが、末のフレーヴィアに対しては「もらわれっ子」だといじめるのが常である。それでも邸を手放すことになるかもしれないということになると一家はまとまりを見せる。そんな中でいつもフレーヴィアの味方になってくれるのが邸の庭師であるドガー、このほかにゴシップが大好きな家政婦のマレットさんが邸に通ってくる。

 カナダの作家ブラッドリーはこれまで『パイは小さな秘密を運ぶ』、『人形遣いと絞首台』、『水晶玉は嘘をつく?』、『サンタクロースは雪のなか』とフレーヴィアがビショップス・レーシーで起きた事件を解決する作品を4編発表してきた。イースターが近づき、フレーヴィアは間もなく12歳になろうとしている。姉のフィーリーは18歳になり、結婚するという話が具体性を帯びてきた。

 村の教会のオルガン奏者のクリスピン・コリカットが行方不明になったため、フィーリーがその跡を継ぐことになった。一方、この教会には聖タンクレアウスという聖人の遺骸が埋葬されているのだが、考古学研究のためにその墓が発掘されることになった。その発掘現場に居合わせたフレーヴィアはコリカットの死体を発見してしまう。それだけでなく、教会とその周辺では不思議な出来事とうわさが絶えない。フレーヴィアは警察や教会の人々に協力する一方で、彼らの目を巧みにかわして事件の真相に迫ろうとする。植物考古学者と自称するアダムという男が彼女の前に現れて協力を求めてくる。主教代理は発掘を邪魔しようとしているようであるが、その真意はどこにあるのか…

 物語の舞台はイングランドであるが、作者はカナダ人、シリーズ第1作『パイは小さな秘密を運ぶ』は作者が70歳の時に発表されたものだという。豊かな想像力に加えて多くの推理小説を読みまくった成果がこのシリーズを生み出しているのだと思われる。フレーヴィアが化学実験に余念がないというのはシャーロック・ホームズを思い起こさせる。村の教会と司祭の夫婦が大きな役割を果たすというのは『牧師館の殺人』をはじめとするクリスティーの作品によく見られる(現在の英国では住民と教会の結びつきが希薄になってしまっているから、物語はどうしても過去の出来事という設定になってしまう)。インドからもたらされたダイヤモンド「ルシファーの心臓」が一連の事件と絡み合うというのは『月長石』を連想させる。ギリシア神話やシェイクスピア、クラシック音楽についての造詣、その一方でモイラ・シアラー(我々にとっては過去の女優だが、物語の登場人物にとっては同時代人のはずである)が飛び出す作者の博識と好奇心の広がりにも目を見張るところがある。

 時代背景も舞台の設定も書物から抜け出したような型どおりのものであり、現実性が乏しいといわれればその通りかもしれないが、最近の英国ではリチャード3世の遺骨が発掘されたというニュースも伝えられた。なお、『春にはすべての謎が解ける』というのは翻訳者が物語の内容を踏まえて与えた表題で、原題はSpeaking from among the Bones 、直訳すれば「骨の間から話している」ということであろうか。墓地や遺骨が進行に大きなかかわりをもつので、正直気味の良い物語ではない。それでも、フレーヴィアの独特の勇気と闘志に支えられて読者は最後まで読み通すはずである。

 翻訳について一言付け加えれば、イングランド国教会(聖公会)では牧師といっても司祭といってもいいそうであるが、教会の役職について「主教代理」とか「政務官」とかいうのは具体的にどういうことなのかなと考えてしまった。英語で何というかをフリガナで示してくれた方がわかりやすかったという気がするが、これは私だけのことであろうか。
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