2013年の2013を目指して(12)

12月31日(火)

 今年もいよいよ終わろうとしているときに「目指して」はおかしいと指摘される方もいらっしゃるかもしれないが、まだ不確定で数が伸びるかもしれないことがあり、これは最終報告ではないことを断わっておく。

 12月の31日間を通じて日記を書き続け(31日分、年間では365日分)、ブログはこの記事を含めて32件ということになる。映画について4件、読書が8件、日記が6件、推理小説が8件、詩が3件、外国語が1件、未分類が2件である。年間ではブログを373件投稿した。これまでのところ633の拍手と8件のコメントを頂き、トラックバックが4件あった。

 買った本の数は正確には分からないが、今月は11冊、年間では122冊の本を読んだ。今月読んだ本は:①城所岩生『著作権法がソーシャル・メディアを殺す』、②黒田龍之助『ぼくたちの外国語学部』、③円地文子・白洲正子『古典夜話――けり子とかも子の対談集』、④マーティン・ウォーカー『黒いダイヤモンド』、⑤マーティン・ウォーカー『緋色の十字章』、⑥増井元『辞書の仕事』、⑦マーティン・ウォーカー『葡萄色の死』、⑧三枝充悳『インド仏教思想史』、⑨アンドレア・カミッレ―リ『モンタルバーノ警部 悲しきバイオリン』、⑩岡崎勝世『科学vs.キリスト教』、⑪モーリス・ルブラン『フランス語で読むアルセーヌ・ルパン 対訳 ルパンの逮捕・遅すぎたホームズ』である。推理小説ばかり読んでいるといわれそうだが、思想史や外国語の本も読んでいると言い訳しておこう。

 見た映画は6本で:『ケンとメリー 雨上がりの夜空に』、『風俗行ったら人生変わったwww』、『沈黙の声』、『十五少年漂流記 海賊島De大冒険』、『ふたりのアトリエ~ある彫刻家とモデル』、『ヨコハマ物語』である。見た映画の合計は73本になった。

 NHKラジオまいにちフランス語の時間を20回、イタリア語の時間も20回聴いた。1月からの合計はそれぞれ236回、233回である。この他カルチャーラジオ「文学の時間」を4回聴いている。

 ノートを2冊、万年筆(ウォーターマン)のカートリッジを5本使い切っている。

 酒を飲まなかった日が15日で年間通算では186日と過半数を数えた。12月に飲んだ酒の量は紹興酒が1升5合、老酒がコップ11杯、日本酒を1合枡で10杯、白ワインをグラス2杯、赤ワインを1杯、その他多少というところである。

 焼きそばを3種類4皿、ワンタン麺、たぬきそば、天ぷらそば、天ざるをそれぞれ1杯(皿)、パスタ・ボロニェーゼを1皿食べている。

 月末になって忙しく、体調も悪くなっていろいろと数えていくのが面倒になったので、数字の正確さは今ひとつ受けあいかねるところがある。

 今年は母を亡くし、中学・高校時代の恩師2人、大学院時代からの指導教官が逝去され、さらにその著書を愛読してきた谷川健一さんが亡くなられた。退職後の人生をさらに充実したものとしながら生きていくことで、母とその他の亡くなられた方々の期待と教示にこたえていくつもりである。

 当ブログについていえば、特に今年の後半になって多くの方々に目を留めていただけるようになった。来年もさらに工夫しながら続けていきたいと思う。2013年の2013の正確な内容については新年を迎えて後にあらためて発表するつもりである。

 それでは皆様、よい年をお迎えください。
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日記抄(12月25日~31日)

12月31日(火)晴れ、大晦日

 大晦日定めなき世のさだめ哉(井原西鶴)

 西鶴、近松、芭蕉と並べると、西鶴に一番親しみを感じる。これはあくまで趣味の問題。優劣ではない。

 12月25日から本日までに経験したこと、考えたことなどを簡単にまとめて列挙すると:

12月25日
 「マツコ&有吉の怒り新党」で宝くじや懸賞に当たったことを告げると、運を使い切ったというような言い方をされるのは腹が立つという意見が取り上げられていた。NHKまいにちフランス語のクイズに昨年当たっていたのが、今年になってわかったのと、中央公論新社のアンケートにあたったのが大きな出来事だったというのだから、私の運も大したことはないが、まだ1つ残っている・・・。年末ジャンボが当たっても・・・書くものか!!

 いろいろなブログから、「クリスマスおめでとう!」という言い方をいくつか拾うことができた。
 God Jul! (デンマーク語)
 Buon Natale! (イタリア語)
 Crãciun Fericit! (ルーマニア語)
 クリスマス反対!という方もいらっしゃるようだが、友人である限りその宗教は尊重して、「メリー・クリスマス」とか「ハッピー・ラマダン」とかのあいさつはするようにしている。

12月26日
 NHKまいにちフランス語応用編『作家とともにパリ散歩』はアラゴンの『パリの農夫 Le Paysan de Paris』からパリのパサージュについて取り上げた個所を、パサージュと縁の深いシュルレアリストたちの活動を振り返りながら読んだ。パサージュのガラス天井が水族館を連想させるというのはその通りだなと思う。

 イタリア語の時間は「名言・名句で学ぶイタリア語」その1として3つの名言を取り上げた。Eppur si muove!(それでも地球は動く)が一番印象に残る。

12月27日
 仕事部屋のつもりで借りていて、結局物置になりかけていたアパートから荷物を引き上げる。運び込んだ先で予想以上のスペースをとってしまってこれからどうするかが問題。

 NHKまいにちフランス語応用編はレイモン・クノーの「街を駆け抜けて Courir les rues」という詩を読んだ。パリの街を飛び回っていた小バトたちが、つかまえられて地方に送られる。
 Adieu Paris! adieu ma belle ville {さらばパリ! さらばわが美しき街よ)
 ハトはあちこちで増えすぎて問題を起こしているが、どちらかというと私はハトが好きで、多少のことは我慢すべきだと思っている。リヴァプールに滞在中、大学のベンチでサンドイッチをかじりながら、パンくずをハトにやっていたことを思い出す。

 イタリア語の名言で印象に残ったのはNiente è più forte dell'abitudine. (習慣より強いものはない⇒習慣に勝るものなし。) ローマの詩人、オウィディウスの言葉だというから、もとはラテン語であろう。

 12月30日
 アンドレア・カミッレ―リの『モンタルバーノ警部 悲しきバイオリン』とどちらをブログに取り上げようかと迷って、取り上げなかったマーティン・ウォーカーの『葡萄色の死』(創元推理文庫)の中で特に面白かった個所は、ラグビーについて論じた部分である:
 ブルーノの持論では、国民性のもっとも深いところがあらわれるのはラグビーのプレイ・スタイルだ。イングランド人は泥まみれで疲弊する戦い、灰色の空の下で血だらけのフォワードが1インチを競り合うような厳しい戦いを好む。ウェールズ人は快活にめまぐるしく動き回り、敏捷に踊るようなステップでディフェンスを交わしながらラインを突破する。スコットランド人は英雄的な攻撃を愛する。・・・アイルランド人はずる賢さを好み、・・・創造的な策略を用いる。
 だがフランス人は独自の夕方なスタイルでプレイし、走れるバックスをフォワードのように使ってウィングを突破させる」(163-4ページ)。
 ラグビーについては全く知らないのだが、1999年のW杯のときにダブリンでアイルランドがアルゼンチンに敗れた試合をTVで見ていて、その翌日だったか空港に向かうタクシーの中で運転手さんとその試合の話で盛り上がったことを覚えている。

 12月31日
 友人の友人である日向ノエミアさんが書いた『悪いけど、日本人じゃないの』(柏書房)という本を読んでいて、著者の今は亡き夫君(日本人)が「子どもに何かを説明するとき、あまりにも分かりやすく説明していたら、その子どもの脳はあまりよく育たない」(94ページ)といっていたことが目にとまった。実は私も同じようなこと、最近の大学生のあたまがあまり活発でない(これは偏見かもしれないが)のは、予備校の先生があまりにも丁寧に教えすぎているからではないかと考えているところなのである。 

アンドレア・カミッレ―リ『モンタルバーノ警部 悲しきバイオリン』

12月30日(月)晴れ

 年末、普通ならば越年の準備で忙しい中、粗大ごみ然と座り込んでいればよかったのだが、今年は引っ越しを間近に控えて荷物の整理をせきたてられている。体調万全でないところでの作業はかなり厳しい。少し荷造りをしては休み、荷造りをしては休みの繰り返しである。その中で時間を見つけて、近頃読み終えた2冊の推理小説:マーティン・ウォーカーの『葡萄色の死』(創元推理文庫)とアンドレア・カミッレ―リの『モンタルバーノ警部 悲しきバイオリン』(ハルキ文庫)のどちらを紹介することにした。『葡萄色の死』のほうが分かりやすいが、『悲しきバイオリン』のほうが作品として優れているように思われる。

 入り組んだ物語を途中まで紹介すれば、こういうことだろうか:知り合いの奥さんの葬儀に参列するために出かけたモンタルバーノ警部は、途中、事故に出会い、負傷した部下の診察に時間を取られて葬儀には間に合わず、事故の現場に戻ってみると車は事故直後のままの状態であった。その後、問題の車の近くの邸で死体が見つかる。邸は北部の人間の別荘で、死んでいたのは持ち主の夫人であった。

 モンタルバーノの上司となる新しい署長はボネッティ=アルデリーギと言い、貴族の出身であることを自慢にしている。彼は地元住民の利害を優先しているモンタルバーノが気に入らず、何とか追い出そうと計画を巡らしているらしい。問題の殺人事件の捜索は別の人物に託され、容疑者が機動隊員によって射殺され、一件落着したと記者会見が開かれる。ところが容疑者は犯罪など起こしそうもない人物であった。警察が証拠をでっちあげようとしている現場がマフィアの手によって撮影され、事件の捜索は思いがけない展開を遂げていくことになる。

 新しい署長が自分に忠実な部下を信頼したのはよいが、その部下が驚くほど無能であったために、本来簡単な事件がどんどん複雑になっていく。警察という官僚機構の問題点が中央集権的な上意下達を好む上司と、分権的な地元尊重のモンタルバーノの対立という形で描かれているともいえよう。この対立の中で警察もまた社会の外にあるのではなく、社会の中にある組織としての性格があらわにされていく。事件は悲劇的なのだが、モンタルバーノを取り巻く人々が喜劇的なまでにドジで、かえって悲劇性を和らげているのがイタリア的である。

 この本の「訳者あとがき」で千種堅さんが書いているところによると、モンタルバーノ警部ものはイタリアでは超ベストセラーなのだが、日本では紹介されてこなかった。ネックとなったのはイタリア人でもわからないというシチリア方言がふんだんに使われていることだという。とにかく、この作品と『おやつ泥棒』(8月7日の当ブログで取り上げた)しか翻訳されていないのは困ったことである。最近、AXNミステリーで放映されているというし(私は見ていない)、注目度は上がってきているようではあるが、さらに翻訳の企画はないのだろうか。

 千種さんと、『ミステリ文学』(文庫クセジュ)の著者であるアンドレ・ヴァノンシニとが書いているところでは、カミッレーリは彼よりも年下のスペイン(カタルニヤ)の推理作家マヌエル・バスケス=モンタルバンの愛読者でモンタルバーノ警部という名前もモンタルバンに由来するとのことである。両者の影響関係を過度に強調する必要はないだろうが、バスケス=モンタルバンの作品も機会を見つけて読んでみたいと思っている。

三枝充悳『インド仏教思想史』

12月29日(日)晴れ、場所を選ぶと、富士山が見えるくらいに空気が澄んでいたが、ひどく寒かった。

 12月28日、三枝充悳『インド仏教思想史』(講談社学術文庫)を読み終える。12月24日にこの本と、岡崎勝世『科学vs.キリスト教』(講談社現代新書)を買った。クリスマスを迎えて、人生と宗教について考え直してみようと思った――というのは、格好のつけすぎかな。他に読みたいと思うような本が見つからなかったというのが正直なところである。

 考えてみるとこのブログで仏教関係の本を取り上げることはあまりなかった。宗教に関心がないわけではないが、どの宗教に興味をもつかには波があるようで、ある時期仏教関係の本を読んだり、放送講座を聴いていたのだが、現在はあまり興味がない。母の葬儀は仏式で行ったし、お寺に墓参りにも出かけているが、それ以上のことはしていない。

 三枝充悳(さいぐさ・みつよし、1923―2010)は宗教哲学者、仏教学者であり、比較思想にも関心をもっていたという。あるいはどこかでそれとは知らずにであっていた方かもしれない。この書物は『インド仏教思想史』と銘打たれている。インドでは哲学と宗教、体系的・論理的な思索と解脱と救済を求める営為が区別されないのが特徴であるが、宗教が思想の主流となった時代もあるし、哲学的な思索が優勢になった時代もあるという。

 ここでは、インドにおける仏教の発展を初期仏教、部派仏教、大乗仏教の3つの局面に分けて、それぞれを代表する経典の内容が哲学的に分析・概観されている。もちろん、思想史である以上、思想そのものの変化に加えて、インドの歴史との関係は考察されているのだが、そういう部分はごくわずかに留まっている。これは「インドには歴史がない」といわれていることと関係するのであろう(著者はこのことについては述べていない)。それでそれぞれの思想が展開された背景をなす人々の生活や、その中での苦悩や願望というものが今ひとつ描き出されていないという欠点はあるが、その代わりに現代の我々の経験に引きつけて分かりやすく問題を解説している部分が多く、仏教について知る、あるいはあまりはっきりしない知識を確かなものとさせる手掛かりとなりそうである。

 特に印象に残ったのは「初期仏教」に関連しては、仏教の根源は「苦」に直面するところにあるという主張。「苦とは、望んだものでもなく、願ったものでもない。否、反対に、避けようとして避けられないわたくしたちの本来の姿なのである」(66ページ)。著者はさらに「苦」は現代の言葉で「自己矛盾」ないし「自己否定」と言い換えられるともいう。人間は自分の中に自分の意志では動かせないものを抱え込んでいるという。これはたしかにその通りであると実感できる(その割には直面せずに逃げているところが多い)。

 「部派仏教」が次第に教団内部の問題に心を傾け過ぎて、大多数の世俗の人々の気持ちを思いやらず、離れていったことから大乗仏教が生まれてくるという。「宗教はたんに一部のエリートだけのためのものではなく、専門家ばかりをめざすものであってはならない。苦しみ悩むすべての人間、すべての生命あるものに、ひろく開放されていなければならない」(114-5ページ)。

 「大乗仏教」をめぐっては法華経とナーガールジュナ(龍樹)についての記述が詳しいように思われる。仏教とはその名のごとく、仏陀の教えであるが、「大乗仏教」の「如来蔵・仏性」の思想になると、一切の生あるもの(一切衆生)に可能性としてではあるけれども、仏になる可能性が認められるようになる。「こうして、仏教は、(前の意味の他に)仏に成る教えという意味をもつことになる。このような思想は、まったく仏教独自の思想であって、キリスト教にもイスラーム教にもないし、またそれらの教義上ありえない」(204ページ)。

 著者は仏教だけでなく、キリスト教やヨーロッパの哲学についても言及しながら、インドにおいて展開された仏教の思想の概要を分かりやすくまとめている。仏教とジャイナ教の共通点や弥勒菩薩とその信仰がイランのミトラ神と結びつくことなど、新たに知ったことは少なくない。インド仏教についての通史的な知識を得るという教養的な意味に加えて、自分自身の修養の出発点ともなりうる書物である。
 

百歳を超えた伯母に

12月28日(土)晴れ

 今年も今日を入れればあと4日、入れなければあと3日となった。2013年に自分がしたいろいろなことについての数字を合計して2013にするために、いろいろと計算中である。その中で一つ、目標を達成したのは、アルコールを1滴も口にしなかった日が12月26日をもって183日となり、1年の半分を超えたということである。今日さらに1日増やして、184日ということになった。もっとも、一時は200日に迫るペースだったのだから、何とか頑張ったというのが正確なところである。この他にあと、どんな数字を並べることになるだろうか?

 百歳を超えた伯母に
百歳を超えた
私の伯母は
とうに亡くなった
弟である
私の父と
私の区別がつかず
次郎は 禿げた 禿げたと
いう

区別できないほどに
顔が似ているとは
思わないのだけれど
伯母には伯母の記憶があるのだろう

父が死んだのは六十歳を過ぎたばかりのこと
今の私は七十歳に近付いている
父よりも長生きしたから
父よりも髪が薄くなった
長生きはいいことには違いないが、
いいことばかりでは
ない

いいことばかりでは
ないといっても、
やはりもっと
伯母には
長生きしてほしい
今年もあとわずか
来年も元気に過ごしてほしい

ウィルキー・コリンズ『月長石』(20)

12月27日(金)晴れ

 イングランド北部ヨークシャーの地主であるヴェリンダー家の令嬢レイチェルの誕生祝いとして伯父であるハーンカッスル大佐から遺贈された黄色いダイヤモンド「月長石」はその美しい輝きの影に不気味な呪の影を宿していた。誕生祝いの翌日、宝石がレイチェルの手元からなくなっていることがわかる。レイチェルの従兄であるフランクリン・ブレーク(月長石を運んできた人物でもある)と、同じく従兄のゴドフリー・エーブルホワイトはともに彼女に求婚していた。フランクリンは地元の警察に事件を解決する能力がないと判断して、ロンドンからカフ部長刑事を呼んで捜査に当たらせるが、彼はレイチェルに疑いをかける。事件のあと彼女がとっている奇妙な行動、特に警察への協力・証言を拒み続ける態度が疑われたのである。彼女はまた事件の後、それまで睦まじく接していたフランクリンへの態度を一変させる。そして事件について口を閉じたままロンドンに去ってゆく。

 レイチェルの母であるヴェリンダー夫人は彼女を心配してロンドンで医者に診てもらうが、医師たちからはレイチェルよりもヴェリンダー夫人の健康状態のほうが危ないといわれる。その一方で、月長石の紛失事件直後にロンドンでゴドフリーがインド人らしい謎の人物たちに襲撃されるという事件が起きる。同じ時期に金貸しのルーカーが同じように襲撃を受けたために、憶測が広がる。ゴドフリーが月長石をルーカーのもとに質入れしたのではないかというのである。ロンドンに滞在しているレイチェルは、ゴドフリーの訪問を受けた際にこの噂は無根であるという証拠を自分が握っているという。

 熱心なキリスト教信者で「慈善」運動家としてゴドフリーの同志でもあるクラック嬢はヴェリンダー夫人の今は亡き夫の姪にあたるが、夫人やその周辺の人物に信仰を勧めようと働きかけている。彼女はヴェリンダー夫人の遺言書の立会人になるが、死期が近いことを自覚している夫人に宗教書を読ませようと躍起になっている。そうして、夫人の邸を訪問すると、慈善事業の会合に出ずにレイチェルのご機嫌伺いばかりしているゴドフリーがやってきて「今日こそは決行しよう」と独り言を言っているのが聞こえる。

 クラックはカーテンに隠れてゴドフリーの様子をうかがっている。そこへレイチェルが現れて、なぜここにいるのかと問いかける。ふたりはクラックを避けている様子である。クラックはこの場面を目撃してひどく冷静になる。「話を盗み聞きしたからには、姿をみせるわけにはまいりません。また逃げ出すなんて・・・これまた問題になりません。殉教の苦悩が目の前に待っています」(中村訳、383ページ)。「殉教」とは大げさである。自分の下世話な好奇心を信仰の言葉で包み隠しているだけではないかと思う。

 ゴドフリーは自分がレイチェルに恋しているというが、レイチェルはヨークシャーの邸でいったように、自分たちは従兄妹同士として付き合うことを続けるべきだと思っていると答える。「決行しよう」といっていたのは、求婚しようということであったのである。ゴドフリーは慈善事業が煩わしくなるくらいに、レイチェルのことを思い続けていると弁舌をふるう。ゴドフリーの告白を受けて、レイチェルは自分が現在のところみじめな境遇にあることを察してほしいという。それは月長石の事件をめぐってのことであると続ける。そして自分をそっとしてほしいと頼むが、ゴドフリーは彼女を巧みに言いくるめ、自分の母(ゴドフリーの母=ヴェリンダー夫人の姉)は不幸な失恋のあと、自分の父と結婚して幸福に暮らしているとい聞かせる。とうとうレイチェルは根負けして、結婚の約束をするが、しばらくそれを母親には秘密にしておこうという。

 レイチェルはふと、クラックが隠れているカーテンが不自然な様子であることに気付き、近づくが、その時、彼女を呼ぶ従僕の声が聞こえる。
 ヴェリンダー夫人が気を失って倒れたのである。
 駆け付けた医師はレイチェルに席を外させ、他の人々にヴェリンダー夫人の死を告げる。

 クラックは記す:「後で、わたくしは食堂と、それから書斎をのぞいてみました。叔母は、わたくしが出した手紙を一通も開かないで死んだのです。この事実を知ってあまりにショックをうけたため、いく日かあとになるまで、叔母がささやかな遺贈をくれることまで忘れて死んでしまったことなど、まるで心に浮かびもしませんでした」(396ページ)。本当は、ささやかであっても遺贈が受け取れる方がいいほどに、彼女は困窮しているようである。

 クラックのこれらの証言は月長石の事件が一応落着した後に、関係者が依頼を受けて執筆したものの一環をなすものであるが、彼女は事件の経過を記すよりも、信仰にかかわる発言をしたいと考えるが、事件に記述を集中するようにという依頼主との間でかなり執拗な手紙のやりとりがあったことが語られている。

 大金持ちの地主の息子で、父親が変人であったために外国で教育を受け、気持ちが変化しやすく、うわっ滑りなところがあるが気立てのいいフランクリンと、銀行家の息子で法廷弁護士であり、慈善運動家としての弁舌で名声を得ているゴドフリーを比べると、後者のほうが誠実な感じがあり、ヴェリンダー夫人はゴドフリーのほうを好ましく考えていたようである。

 ヴェリンダー夫人は邸に出入りする人物と過不足なく適切に接しており、賢明な女性であるという印象を受ける。登場人物のほとんど全員が尊敬の気持ちを隠していないのはヴェリンダー夫人だけであった。その彼女が死んで、登場人物たちはそれぞれ勝手に動き出すことになる。月長石の事件以後のレイチェルの態度の変化に失望したフランクリンは海外旅行中であり、ゴドフリーが婚約にこぎつけたことは彼のほうがレイチェルをめぐる争いで勝利したかに思えるが、それまでレイチェルが彼の求愛を拒み続けた理由は何であったのかも知る必要がありそうである。

 クラックはゴドフリーを尊敬しているだけでなく、たぶん愛情の対象として考えている。そのために、レイチェルに対する嫉妬心を隠せず、常に冷たい書き方をしているのが、愛情に満ちた書き方をしている他の証言者たちと大きく違うところである。しかも、そのような気持ちが率直に記されず、信仰の外皮をかぶせて語られているので、かえって説得力がなくなっているように思われる。本人の意図とは裏腹に、クラックはコミック・リリーフを演じているのである。

 ヴェリンダー夫人がなくなったため、ゴドフリーとレイチェルは婚約をだれにも隠す必要はなくなったはずである。ふたりの仲は、また月長石の事件は今後どのような経過をたどるのだろうか。

宇治拾遺物語(8)

12月26日(木)曇り、時々雨

 NHKカルチャーラジオ「文学の時間」『むかしがたりの楽しみ 宇治拾遺物語を繙く』第13回「孔子様はダメな人?」を聴く。講師は白百合女子大学の伊藤玉美教授である。10月から続いてきたこのシリーズも今回で終わるということで、最後と最後から2番目の説話を取り上げた。ともに中国の昔話が語られている。

 最後から2番目、196話「後の千金の事」は、荘子が貧しさのために食べるものがなく、隣の人のところに今日の食料を分けてくれと頼みに出かけると、隣の人はあと5日したら、大金が入るのでそれまで待ってくれという。そこで荘子は昨日道を歩いていると車輪で出来たくぼみの中にいる鮒を見かけた。鮒は自分が河の神の使いで江湖に出かけようとして間違ってこんなところに落ちてしまった、のどが渇いているので水をくれという。荘子は2,3日後に江湖に行くのでそれまで待ってほしいと答えたが、鮒はそれまで待てない。いっぱいでいいから水をくれといった。今の自分はその鮒と同じだといったという。この逸話から「後の千金」という言い回しが生まれた。

 最後の説話、197話「盗跖、孔子と問答の事」では孔子が大盗賊の盗跖と問答をして散々にやりこめられる。悪いことをすると必ず報いがあるという孔子に対し、盗跖は実例を上げてそれが根拠のない主張だとやり返す。高氏自身の一番弟子である顔回は窮死したし、忠実に仕えた子路は非業の死を遂げた。論駁されて孔子はふるえながら逃げかえり、世の人は「孔子(くじ)倒れす」といったという。

 孔子は『宇治拾遺物語』に3度登場するが、他の2回においても隠者らしい老人、さらに子どもにやっつけられている。このように孔子は賢人ぶりを発揮するというよりも、他人の賢さにやりこめられる姿ばかり描かれている。これは『宇治拾遺物語』独自のものかというと、そうではなく、同じような説話は『今昔物語集』にも収められている。しかし『今昔』のほうは孔子を賢人として敬うという姿勢が一応示されているところが違う。『宇治拾遺物語』の作者には、正論や理想主義が、必ずしも貫かれえないこの世の不条理が認識されていて、それがこのような説話を締めくくりにもってくるという構想を生みだしているのではないかという。

 賢人と考えられている人が、そうではない人に一本取られるという話は、『宇治拾遺物語』のなかでは孔子の他に、藤原頼長の説話としても語られている。一本取られた――というのは一種の笑い草なのだが、それが成り立つのは取られた人の権威が認められているからである。普段は評価する側の人が、評価される側に回る面白さが話の核心をなしている。(逆転の面白さは洋の東西を問わずに人々に一種の解放感を与えてきた。) 

 伊東教授は『宇治拾遺物語』の説話の既視感を強調して講義を終えていたが、その既視感はこの説話集が同時代の人々の生活経験やその中での噂話を巧みにとらえていたことによるのであろう。そして他の説話集や、説話集以外のジャンルの文献のなかにもそのような源流をもつ説話が収められていて、それらを読み比べることでますます既視感が強くなっていくということではなかろうか。一方で中世の説話集、他方で現在まで伝承されている民話を読みくらべて、あらためて昔話の可能性について考えてみようと思った。

語学放浪記(21)

12月25日(水)晴れ、温暖

 昔、京極純一・森毅の対談による『学校と世間』という本のなかで、「自動車学校型」と「劇場型」という学校の類型化がなされていたと記憶する。自動車学校型というのは、実際のスキルを身につけることを(さらに資格や免許を取得することを)目的とする学習が中心になる学校であり、劇場型というのはとにかく楽しく有意義に時間を過ごせればそれで良しとする学校である。外国語の学習について、この類型化はかなり有効ではないかと思う。自動車学校型の外国語学習というのは実用重視、劇場型は教養重視と言い換えてもよい。しかし、外国語を勉強して実際に役に立つほどのレヴェルのスキルを身につけるのは、かなり必死に勉強しないといけない。たいていの場合、建前は実用だが、実態としては教養にも程遠い間に合わせということになるという恐れが付きまとう。

 自分自身について言うと、外国語を勉強するのは好きだが、たいていの言語が入門か初級レヴェルに留まっている。少しかっこつけていえば、教養主義の学習を貫いてきた、ただし、自分の教養を補強するほどの語学力は(英語を除いて)身につけられなかったということであり、ありていにいえば、下手の横好きということになるだろう。

 就職したころから、スペイン語の勉強を始めた。ごく単純にスペイン語が話されている国は多いから、この言葉を知れば世界が広くなるのではないかと思ったのである。世界は国の数で決まるほど単純なものではないと気付いたのはもう少し年をとってからのことである。もう一つ動機になったのは、私はカトリック系の中学・高校で学んだのだが、スペイン語圏から来た神学生と話す機会があって、英語の次はスペイン語を勉強するといいですと言われたのを真に受けたことである。ラジオのスペイン語講座のテキストを手にしているところを、その頃教えていた学生に見られて、「先生はスペイン語も(!)できるんですか?」と聞かれ、「出来ないから勉強しているんじゃないか」と答えたのを記憶している。先生にもできない、わからないことがあるとその学生は信じたくない様子であった。ずいぶん昔の話で、その学生は既に50歳を超えているはずである。

 今では気持ちが離れているが、スペインという国は割に好きであった。どんな国でもそうだが、好きになれそうな面と、なれそうもない面がある。主としてどちらを見るかという問題ではないかと思う。とにかくずっとNHKラジオのスペイン語講座を聴いていたが、一向に上達しない。結局、ラジオの講座を聴くだけではだめで、他の勉強もいろいろとしていかなければならないと気づいて、辞書や文法書を入手して勉強するようになった。それでも、なかなか上達しない。定年退職した後は、スペイン語で『ドン・キホーテ』を読めるようにしたいなどと思っていたが、日本語でもなかなか読み通せないものが原文で読める訳もないと気づいた。それに自分の仕事を進めるためには英語力の増進が最大の課題で、それ以外の言語を勉強するならばフランス語とラテン語が優先されるべきだと考えるようになってスペイン語からは遠ざかった。

 NHKラジオのフランス語の時間を聴いていると、その前後にスペイン語の時間の放送の一部が耳に入ることがあって、結構忘れていない部分があると変なところで自信をもったりする。実は学習者向けに読みやすく編集した『ドン・キホーテ』が出版されているのを手に入れているので、時間を見つけて読んでいこうと思っている。

日記抄(12月18日~24日)

12月24日(火)晴れ後曇り、比較的温暖

 例によって12月18日~24日の間に身の回りで起きたこと、考えたことなどについて簡単にまとめていく:

12月18日
 前日に続いてテレビ東京では『タワーリング・インフェルノ』を放映した。この映画にはかつてTVの人気シリーズ『ナポレオン・ソロ0011』で主演したロバート・ヴォーンが高層建築の建設を推進する上院議員の役で出演しているが、この番組の前の時間帯に放映される『NCIS2』に『ナポレオン・ソロ』でソロの相棒のイリアを演じたデヴィッド・マッカラムが出演しているという組み合わせが何となく面白かった。ロバート・ヴォーンはこの映画の当時まだ若く、デヴィッド・マッカラムはすっかり老人になってしまっているという時代のずれはあるのだけれども。

 『NCIS2』でデヴィッド・マッカラムが演じている鑑識医は英国のパブリック・スクールであるイートンをでて、エディンバラ大学で医学を学んだという設定になっている。エディンバラ大学は現在でも『タイムズ高等教育版』の世界の大学ランキングで39位にランクされているほどの名門大学である(日本でこれ以上の順位を与えられているのは東京大学だけ)が、伝統的に医師の養成で知られてきた。シャーロック・ホームズの生みの親であるコナン・ドイルがこの大学で医師になるための勉強をしたことは有名である。あるいは、作者の念頭にこのことがあったのかもしれない。

 『マツコ&有吉の怒り新党』でマツコが病院で受け付けの第1番になりたいともって朝早く出かけるのだけれども、まだ前で待っている人がいる。もっと早く出かけてもまだ駄目だ・・・という話をしていたのがおかしかった。いつも病院で一緒になる人が来ないので、病気になったのではないかと心配した・・・というのは笑えない笑い話である。

12月19日
 『まいにちフランス語 応用編』の「作家とともにパリ散歩」ではゾラの『ボヌ―ル・デ・ダム百貨店(Au Bonheur des dames)』の一部を取り上げて、パリにおける誕生まもない頃の百貨店の様子を覗いた。フランスでデパートが出現したのは第二帝政期だそうだから、150年を超える歴史があるのである。

 NHKカルチャーラジオ「文学の時間」『むかしがたりの楽しみ 宇治拾遺物語を繙く』⑫「運命の岐れ道」は夢をめぐる説話を取り上げていた。どういう夢を見るかということよりも、夢をどのように解くかのほうが重要だというのは、少し条件を変えれば現代にも当てはまる話であろう。

12月20日
 『まいにちフランス語 応用編』ではプルーストの『失われた時を求めて(À la recherche du temps perdu, 1913-1927)』から行商人の呼び声について触れた個所を取り上げた。呼び声の間の取り方がグレゴリオ聖歌を思い出させるという類比が独特のものである。

12月21日
 終日、家にいた。

12月22日
 フィギュア・スケートの織田信成選手は織田信長の子孫だそうだが、織田氏は福井県の織田町にある剣神社の神官の家柄であったといわれる。織田町は「おだ」ではなく、「おた」と読む。内田百閒の『阿房列車』に金田一という駅を通ったところ、「きんたいち」と平仮名表記されていたので、自分が使っている金田一(京助)の辞書をこれからは「きんたいち」の辞書と呼ぶことにしたという個所があったと記憶する。百閒らしいユーモアだが、地名と人名では別の呼び方をするのだと割り切った方がいいのではなかろうか。

12月24日
 そごうの中の紀伊国屋で本を買おうと思ってエレヴェーターに乗ったら、中国人らしい男女の集団が私のあとからがやがやと乗りこんできた。ことばがよくわからない外国でエレヴェーターに乗るのはちょっと勇気がいることで、誰かが乗りこむとそのあとを慌てて追いかけるということになるようである。そういえば、日本やアメリカでは1のボタンを押せば1階、2を押せば2階に止まるが、英国では1階をGround Floor、2階を1st Floorというので1を押すと2階に行ってしまう。Gを押さなければならない。わかっていても、ついつい間違えることはある。自分でも間違えたことがあるので、えらそうなことは言えない。

明治は遠くなりにけり

12月23日(月)晴れ後曇り

 俳人の中村草田男(1901-83)を囲んで、何人かの人々が料亭で歓談していた。すると、雪が降り出した。そこの女将が雪を見て「降る雪や明治は遠くなりにけり」と口に出したので、笑いが起きた。女将は澄まして、「あら、お客様、ご存知ないんですの? これ有名な句ですのよ」といったという。

 一座の中心になっている人物がこの句の作者だと知らなかったのは、客商売にしては迂闊な話だと思うが、この話は句の解釈にかかわる問題を含んでいる。この句は1931(昭和6)年に東京が大雪に見舞われたときに、草田男が母校の小学校を訪れた際に詠んだものだそうである。大雪のなか、作者は一瞬、自分が小学生の時代に戻ったような気分に襲われ、その後で明治は二度と戻ってこないのだという感慨にふけったという(実際にはもっと複雑な事情があったらしいが、最低限の事だけ書いておいた)。ちょっと雪が降りだしたくらいで、すぐにこの句を口ずさまれても作者としては当惑するかもしれない。文学作品の解釈は自由であるが、一応作品の成立の背景や作者の意図は押さえておくべきであろうと思う。

 東京の雪というと、フォークソングの「なごり雪」を思い出す人もいるかもしれないし、226事件を思い出す人もいるだろう。どちらも「降る雪や」の句が詠まれたあとのことであるが、解釈を膨らませる材料にはなりそうである。わたしについてみると、雪よりも年号のほうにかかわって感じたことがある。昨年まで大学で教えていたのであるが、受講する学生はほとんどみな平成生まれという時代になってしまって、学生から先生はいかにも昭和の人だと骨董品扱いされていた。明治どころか昭和まで遠くなってきている。

 とはいえ、明治はまだまだ手の届かない過去でもない。今年、大正生まれの私の母が死んだ際に、「大正生まれの方が少なくなってきましたねぇ」といわれたが、実は明治生まれの私の伯母が100歳を超えてまだ元気で生きている。昔のことは奇妙に覚えているが、私と、彼女の弟である私の父の区別がつかないようである。考えてみれば、彼女が記憶している子ども時代は大正時代のことであって、明治ではないから、やはり明治は遠いということになるのだろうか。

相鉄演芸場の思い出

12月22日(日)晴れ後曇り

 横浜駅西口のJOINUSとダイヤモンド地下街が大改修を迎えるという話を聴いて、これらの商店街ができる以前にあった相鉄名品街のこと、さらにその地下にあった相鉄演芸場のことを書いてみようと思った。もう50年以上も昔、未成年であったころに、両親に連れられて3回出かけた。その他に、これも今はなくなった東宝名人会に連れて行かれたこともある。成人してから、時々寄席に出かけたこともあるが、それ以前に訪れた相鉄演芸場の思い出のほうが強く残っている。
 
 最初に出かけたのは小学校高学年のときで、それまでもラジオで落語はよく聞いていたが、実際の高座に接するのは初めてのことであった。この時の主任は五代目の柳家小さんで演目は「湯屋番」であったが、それよりも六代目の三升家小勝の「花見小僧」と、二代目三遊亭百生の「天王寺詣り」が面白かったことが強い記憶にある。ともに得意の演目で、初めての寄席経験でこの出会いは実に幸運であったと思う。

 2度目はたぶん1958(昭和33)年のゴールデン・ウィークのことで、主任は古今亭志ん生、演目は「風呂敷」であったが、マクラに振っていた小噺のほうが印象に残り、その後長く隠し芸として使うことにしていた。中トリが七代目一龍斎貞山、食い付きが柳家小さんで演目は「強情灸」であった。この話に出てくる峰のお灸というのは横浜の円海山護念寺でやっていたお灸だということで、横浜の寄席でやるのにふさわしいと思って選んだのかどうかは分からない(第一、そんなことを知っている人はあまりいないだろう)。この他に、中入り前に先代の林家三平が出ていた。ちょうど太陽の黒点が話題を集めていたころで、「大きな黒点が出ています」「ばかっ、望遠鏡にハエが止まっているんだ」というギャグが出てきたのを覚えている。

 しかし、この回で最も記憶すべき出演者は膝代わりででてきた西川たつ(1895-1959)であった。三代目の柳家小さんに可愛がられた女道楽の岸沢式多津が戦後、この名前で高座を務めていたのである。女道楽というのは女性の芸人が三味線あるいは太鼓を使い、歌や踊りを披露しながら、その間に軽妙なおしゃべりをしてつないでいくというもので、榎本滋民の劇「たぬき」のヒロインとなった立花家橘之助(1866-1938)がとくに有名である。

 若い頃の式多津が美貌で人気を集めていたことは、彼女の訃報に接して内田百閒が書いた「小さんと式多津」という文章に記されている(筑摩書房版『うつつにぞ見る 内田百閒集成17』、2004、所収156-168ページ)。「演芸評論の安藤鶴夫さんの『最後の女芸人の死』と題する追悼の一文を、東京新聞で読んだ途端に、急にはっきりして、思い掛けない感慨に襲われた。六十五で死んだ西川たつなる婆さんは、四五十年昔の、私共も若かったし、高座の彼女もいつ見ても綺麗であった常盤津の式多津なのであった」(157ページ)。その師である漱石同様に三代目小さんを愛した百閒は、小さんの独演会に組み込まれている常盤津につきあわされるうちに、常盤津というと必ず出てくる式多津を覚えてしまう。「式多津は面長の美人で、色が白かったのは高座へ上がるのだから厚化粧していた所為もあったか知れないが、常盤津はわからなくても、節回しで可愛らしい口もとを曲げたりゆがめたり、綺麗な顔を上げたり伏せたりするのを随分長い間、はたのだれに遠慮する事もなく、一心にじっと見つめていられるのは悪くなかった。だから昔昔の事ではあるけれど、式多津の顔かたちは、今こうして思い出してみても、非常にはっきりした輪郭が記憶の奥に残っている」(157-8ページ)。

 百閒は三代目を愛するあまり、その葬儀に出かけたことを記し、「それからだいたい三十年の歳月が過ぎて、小さんの高座に活けた白い花の様な、式多津が死んだ。式多津のお弔いにも行ってやればよかったと思う」(168ページ)と結んでいる。百閒がこう書いてから、また50年近くがたっている。

 中学生に60代の老女の美醜を判断させるのは無理であるし、それ以前に西川たつの芸を評価するほどの素養がある訳もなかった。しかし、百閒の文章を読んだときに、高座の上で「これ、たぬき」などと演じていた西川たつが老境にあっても色の白い端正な容貌の女性であったと思い出したのである。相鉄演芸場の思い出は、そういういわけで、五代目の古今亭志ん生よりも、五代目柳家小さんよりも、西川たつの思い出につながるのである。
 

マーティン・ウォーカー『緋色の十字章』

12月21日(土)晴れ

 12月20日、マーティン・ウォーカー『緋色の十字章』(Bruno, the Chief of Police,2008)(創元推理文庫)を読み終える。フランス南西部の小村サンドニの警察署長ブルーノの活躍を描くシリーズの第1作。12月18日に取り上げた同じ作者による『黒いダイヤモンド』は3作目にあたるそうである。フランスを舞台としているが、作者であるウォーカーは英国人で英紙ガーディアンの記者を25年にわたって務めていたという。

名物はフォアグラ、トリュフ、クルミ。人口約3000人というサンドニで、のどかな村を揺るがす大事件が起きる。2つの戦争でフランス国家のために戦い、戦功十字章を授与された英雄であるマグレブ人の老人が殺害されたのである。彼は腹部を裂かれ、胸にナチスの鉤十字を刻まれていた。村の警察署長であるブルーノは、村の人々の助けを得て捜査を始める。

  人種差別に基づく犯罪と考えられたこの事件を捜査するために国家警察がジャン=ジャック・リボ―、通称J=Jを送り込んでくる。ブルーノは事件の捜査から外されるが、村の平和を守るために独自の捜査を続ける。捜査線上に上がったのは村の医師の息子とそのガールフレンドで、ガールフレンドは麻薬を所持していた。事件を担当する予審判事は野心家で、この事件の立件によって脚光を浴びることを望んでいる。ブルーノはJ=Jの助手であるイザベルの協力を受けながら、事件の真相を明らかにしようとする。老人の息子と孫はこの村に溶け込んで生活していたのに、彼らとは離れて生活していた老人は、村に移り住んでからも一家とは距離をおいて住まいを構えていた。

 村の生活はフランスの田園部の縮図であるようで、古い歴史を宿している。村の人々は古くからの生活を変えようとせず、中央政府からのさまざまな干渉には反抗的な態度をとり続けている。しかし、グローバルな変化はこの村にも押し寄せている。人種差別主義者のデモがこの村でも吹き荒れる。マグレブ人の存在には、フランスがこの地域を支配した過去が絡まる。そうかと思うと殺された老人にはサッカーの選手であった過去があり、かつてフランスが国民統合のためにサッカーを利用したことが明らかにされたりする。ブルーノは学者の論文を読んでその歴史について知る:「最初の2ページに書かれているのは、マルセイユの北アフリカ人の生活およびスポーツによる人種の統合について過去の学者たちがどんなことを述べてきたかだった。3度読み返して、やっと理解できたように思った。要するに、統合は異なる少数民族グループのチームがたがいにプレイするときに生まれるのであって、同じ民族内でプレイしているだけでは生まれないってことか。ならば筋が通ってる。だったらなぜストレートにそう言わない?」(257ページ)。ブルーノが行動派であることを示す感想である。

 ブルーノはイザベルと親密になる一方で、村に住みついた英国人のパメラと、休暇でやってきたその友達のクリスティーンともテニスを楽しんだりする。ブルーノが2人と食事する際のメニューが英仏の料理の比較考察になっていて面白い(253ページをご覧ください)。事件は思いがけない展開を遂げる・・・とだけ書いておこう。そしてさらにシリーズは続く。第2作The Dark Vineyard(2009)は『葡萄色の死』という題名で創元推理文庫に入っており、これも入手している。第4作もいずれ翻訳が出版されると思われるので、楽しみに待つとしよう。

 翻訳者である山田久美子さんはマグレブ人よりも北アフリカのアラブ人という言い方を多く使っている。マグレブは北アフリカの西の方の地域を指して言い、同じ北アフリカでもエジプトやリビアは含まれない。フランスが植民地支配していたのは西のほうであることと、私がロンドンにあるマグレブ書店という本屋によく出かけたことでこの呼び方に愛着があるので、マグレブという言い方を使っていることを注記しておく。 

ウィルキー・コリンズ『月長石』(19)

12月20日(金)雨が降ったりやんだり

 インドの寺院の月神の像の額に飾られていた巨大なダイヤモンドは月長石と呼ばれ、人類の時代が続く限り3人の僧によって守られるべき神聖な宝石であると信じられてきた。悪名高いハーンカスル大佐の手によって英国に持ち込まれたこの宝石は、彼の死後にその姪であるレイチェルの誕生祝いとしてヨークシャーのヴェリンダー邸に届けられる。しかし、誕生祝いで彼女の身につけられた翌朝に、紛失していた。地元の警察の手では宝石のゆくえは分からず、宝石の運び役でありレイチェルの従兄かつ求婚者の1人でもあるフランクリンはロンドンからカッフ部長刑事を呼ぶ。彼は邸の召使の1人で、前科のあるロザンナの不審な挙動と、レイチェルが彼の質問を拒否していることから、2人の共謀を疑うが、ロザンナが自殺し、レイチェルが証言を拒否したままロンドンに去ったことで事件の捜索は暗礁に乗り上げる。フランクリンはこの事件をきっかけにレイチェルの愛を失い、失意のまま外国旅行に出かける。その後、レイチェルのもう1人の求婚者で従兄であるゴドフリーがロンドンで、ロザンナとも交渉のあった金貸しのルーカーと同じ日に、3人のインド人に襲われるという事件が起きる。世間ではゴドフリーが月長石の紛失と、さらにこの事件と関係があるのではないかという噂がささやかれている。

 レイチェルは母親であるヴェリンダー夫人とともにロンドンのモンタギュー・スクエアにあるタウン・ハウスで傷心の身を休めている。ゴドフリーが彼女のもとを訪れ、彼に対してレイチェルは月長石の事件について彼が無実であるという確証をもっているという。ヴェリンダー夫人の義理の姪であるクラックは慈善運動家であるゴドフリーの賛美者であり、ゴドフリーがレイチェルに思いを寄せていることにまゆをひそめながらも、彼の疑いを晴らそうとすることに変わりはない。ヴェリンダー夫人は自分の健康状態が悪化していることをクラックに告げ、遺言状の立会人になってほしいと頼む。遺言状の作成のためにやってきたヴェリンダー家の顧問弁護士であるブラッフはゴドフリーに皮肉な態度を示し、クラックと議論になる。(少し長くなったが、これがここまでの要約である。)

 レイチェルがゴドフリーは無実だと断言しているとクラックから聞いて、ブラッフは当惑した様子である。クラックはさらに月長石が紛失した夜にヴェリンダー邸にいたという点ではゴドフリーだけでなく、フランクリンにも嫌疑がかけられてよいという。彼があちこちで借金を作っているのは周知の事実であり、これは宝石を盗む動機として十分なはずである。これに対してブラッフはフランクリンの父親は大富豪であって父親の遺産を相続すれば借金は返済できることを、どの債権者も知っていて金を貸しているのだと反論する。さらにもともとレイチェルはフランクリンに好意を寄せていて、彼の気を引くためにさまざまな手管を使っていたのに、フランクリンがその好意を裏切るようなことをする訳がないともいう。

 ということはゴドフリーも、フランクリンも無実であるということになり、犯人探しは振り出しに戻ることになる。では、いったん暗礁に乗り上げたカッフの推理が正しかったのか。議論は結論を得ないまま中断され、ヴェリンダー夫人のもとで遺言状が作成される。署名が済んだ後、クラックはヴェリンダー夫人に宗教書を読むことを勧めるが、夫人は医師が健康にさし障るような本は読まないほうがよいといっていると拒絶する。そこで、クラックは邸のあちこちに12冊の本を隠して、叔母を信仰の道に進ませる足がかりをつくったという晴れ晴れとした気持ちになって引き上げる。

 次の日、クラックがヴェリンダー夫人のもとを訪問しようとすると、邸の従僕が荷物をもってやってくる。夫人とレイチェルはドライヴに出かけたという。それどころかゴドフリーまで慈善団体の仕事を後回しにして一緒に出かけたらしい。従僕がもってきた荷物は、クラックが邸に残していった宗教書であり、このような書物を読むことは体によくないという医師の意見で返却するという叔母の手紙がついていた。

 第三者的に見て体の弱っている人間に信仰を無理強いするのは不親切だと思うのだが、クラックは意に介せず、書物がだめならば手紙作戦だと、信仰の同志とともに12冊の書物の内容を要約する12通の手紙を書き、6通は投函し、残る6通は自分の手に持ってヴェリンダー邸を訪れる。ところが夫人もレイチェルも外出中で、それをいいことに彼女は手紙をあちこちに置きはじめると、何者かが邸にやってくる。クラックが小部屋に隠れて様子をうかがっていると、やってきたのはゴドフリーで、彼は「今日こそは、決行しよう!」(中村訳、創元推理文庫版、381ページ)と言い放つ。いったい何を決行しようというのか?

 クラックとブラッフのやりとりで誰が月長石をもちだしたかをめぐる3つの推理がもちだされ、ふるいに掛けられているが、結論には至っていない(まだ物語は中盤である)。レイチェルの意を受けてロザンナが盗みだしたというカッフの推理はレイチェルの証言によって否定されているが、彼女の証言がどこまで信頼できるか。高価な宝石を質入れした直後に襲われたことで世間から疑われているゴドフリーは無実だと、レイチェルはいうが、これもレイチェルがそういっているというだけのことである。残るのはフランクリンであるが、ブラッフによれば彼には全く動機らしいものがない。3人ともに疑わしいといえば疑わしく、灰色の状態である。

 クラックの証言の形をとるこの個所は、彼女のはた迷惑な狂信者ぶりがそれと気づかぬご本人の口から語られているという悲喜劇とも喜悲劇とも言えそうな部分となっている。本来ならばヴェリンダー夫人から立会人を頼まれるというよりも、多少の遺産の贈与を受けてもいい立場にあるのに、その性格ゆえに損をしてしまっている。本人もそのことを全く自覚していない訳ではないが、それを信仰にことよせてごまかしているのが見て取れる。一般に読者は語り手のいうことを無批判に信じる傾向があるのだが、この個所についてみると、語り手の性格が極端に誇張されているために、読者は批判的に読まざるを得ない。コリンズの語り口の巧みさに気づく個所でもある。

ヨコハマ物語

12月19日(木)雨

 みなとみらいで演奏するアマチュア・バンドとその演奏を見守るマネージャーの若い女性。
 同じく、みなとみらいのマリノスタウンのピッチの芝生と別れを惜しみ、他のスタッフに見送られて去っていく初老の男性。

 25歳の女性、松浦七海は中学生のときに両親を亡くし、施設で育った過去をもつ。貯金ゼロ、家賃を滞納し、食うものも食わずにうろうろしている。
 65歳の男、田辺良典は40年以上サッカー場のグリーン・キーパーとして勤めてきたが、定年で退職、帰宅したその日に妻は病気で倒れ、既にこときれていた。仕事一筋で、妻の願いに応えない夫であった父親に対し、一人息子は背を向けていて、彼はかなり広い家で一人暮らしをすることになる。

 妻の墓前で良典が物思いにふけっていると、親を罵る七海の声が聞こえる。窘める良典に対して、七海はこれが自分のうっ憤晴らしなのだといって、立ち去ってゆくが、その途中で空腹のあまり倒れてしまう。良典は七海を自宅に運び、うどんを振る舞うことになる。良典の家の部屋が余っていることから、七海は彼の世話をすると言いだして勝手に住みつく。

 ある日、やはり演奏に立ち会っていた七海は、男から逃げている子ども連れの女・葵を見かけ、彼女を良典の家に連れてくる。彼女を同居させることをはじめは渋っていた良典であるが、葵の5歳の子どもに打ち解けて、一緒に住むことになる。葵には親とけんかして家出をした過去があるが、その一方で親を懐かしがっている様子もあり、母親がしていた家事を思い出しながら、家の仕事をして、新しく職探しを始める。まだ部屋が余っていることから、七海はハウス・シェアリングの張り紙を出し、それを見て不動産会社の社員である25歳の麻子がやってくる。大学院卒という高学歴で、自分の生活スタイルを貫こうとする彼女は、その性格のためになかなか営業成績をあげられず、上司のいじめにあっている。良典や七海、葵ともはじめはぎくしゃくしているが、次第に打ち解けるようになる。

 葵が山手のレストランに就職が決まるが、それは良典がかつて妻に一緒に食事しようと誘われた店であった。ある日、良典の息子が家を訪ね、良典のやっていることを非難する。それで、七海と葵母子は家を出ていく。しかし、家を出ていったことで、みんなが共同生活のよさに気づく。・・・

 七海には逃げていったヴォーカルの後釜を探して、メジャー・デビューを果たそうという夢があり、葵には両親との和解、麻子には職業人としての自立という課題がある。それぞれが次第に理解し合いながら、夢の実現や課題の解決に向かっていく姿、それと向き合いながら次第に良典が新しい生きがいを見つけていく姿が描かれる。何よりも冷凍うどんも満足にゆでられなかったのが、多くの料理ができるようになる(七海が口ほどには家事をしないためでもある)。

 良典と七海の出会い、七海と葵の出逢いは偶然のものである。葵の就職先が映画の展開の中で、偶然にもかなりの役割を果たすことになる。人生の中で偶然の役割は小さくない。とはいうもののそれを生かすのは個人の工夫と努力であり、それぞれの協力である。ハウス・シェアリングがその協力の機会を提供した。映画は一方で山下公園や元町、山手の古くからの横浜の名所を取り上げ、他方でみなとみらい、特にマリノスタウンや、日産スタジアムなどの新しい横浜も描き出している。新旧の風景を描き出すことにより、定年を迎えた男性と若い、未来を目指す女性たちとの交流の背景を整えていると考えられる。とはいうものの、描いていない横浜も多いし、描かれているのはどちらかというとよそゆき、表向きの横浜ではないか、もう少し日常の横浜は違った姿を見せているのではないかという気がしないでもない。また横浜で暮らす人々の多くが、横浜以外の都市で仕事をしたり、学校に通ったりしているのであり、物語が横浜だけで完結しているのには無理があるかもしれないと思ったりもする。これは「横浜都民」の生活を長く続けた私だけの感想ではないはずである。

 そうはいっても、なじみ深い風景が多く取り上げる映画はそれなりに楽しめた。七海を演じている北乃きいの元気のいい演技をはじめ、若手の女優陣の頑張りが物語を引き立てている。喜多一郎監督は以前に『シェアハウス』というという作品も作っており、どういう映画だったのかという興味がわく。一昨日(12月17日)付の当ブログでこの作品がみなとみらいの風景を多く描きながら、みなとみらいのシネコンで上映されていないのはどういうことかと書いたが、桜木町の横浜ブルク13で上映されていたので多少の補いはついていると思う。予定では明日(12月20日)でムービルでの上映が終了するのは残念である。見逃した方はまたの機会を探してください。

マーティン・ウォーカー『黒いダイヤモンド』

12月18日(水)曇り後雨

 マーティン・ウォーカー『黒いダイヤモンド』(創元推理文庫)を読み終える。「黒いダイヤモンド」はトリュフのことで、フランス南西部のむかしのいい方でペリゴール地方、現在のドルドーニュ県に設定された小さな村、サンドニの警察署長であるブノワ・クレージュ、通称ブルーノの活躍を描く。

 ブルーノはサンドニ村にいる唯一の地方警察官であり、地元の人々と狩りに出かけ、トリュフを探し、地域のラグビー・チームの一員であるとともに、子どもたちにテニスを教えるなどすっかり村に溶け込んでいる。この村で最大かつ最古の事業所である製材所が大気汚染についての新しい規則に違反して閉鎖される。大気汚染に反対してきた環境主義者たちと、閉鎖によって職を失う村民たち。その対立の中で製材所の事業主ボニファースの息子であるギヨーム、通称ビルが環境主義者たちを指導するだけでなく、村長選挙に立候補すると言いだす。

 その中で、ブルーノは狩猟仲間であるエルキュールから、トリュフ市に粗悪な中国産トリュフが紛れ込んでいる問題について調査を依頼される。だが、聞き込みを始めて間もなく、エルキュールが何者かにひどく残忍なやり方で殺害される。エルキュールは昔、情報部に所属する腕利きの秘密警察官(バルスーズ)だった。彼の殺害はその過去と関係があるのか。エルキュールの友人であったヴェトナム人夫婦まで中国人犯罪組織の襲撃を受けて、姿を消した。

 事件の背景に中国人とヴェトナム人の闇組織の対立が設定されるなど、フランス社会の多文化化が反映された物語りとなっているが、そのような多文化化がフランスの植民地支配の過去の遺産であることが、エルキュールをはじめとする登場人物たちの履歴を通して語られている。中国人やヴェトナム人だけでなく、英国人女性やスラヴ系の女性も登場する。今や多文化主義は推理小説の世界でも国際的な傾向である。

 題名から想像できるように、作者は登場人物が食事を楽しむ場面も少なからず設定している。ブルーノは独身で、この物語では今の恋人だけでなく、昔の恋人が登場することで、さらなる波風がたつことになるが、自分でも料理を楽しんでいるらしい。エルキュールを追悼するために集まった男たちが料理に取り組む場面は次のように描かれている:
 村長は自分の温室からもってきた大きなレタス2個を洗い、ジュール軍曹は彼の特製ヴィネグレットを作りはじめた。ロランはサルラ風ポテト用にニンニクとパセリを刻み、息子の一人が巨大なフライパンに鴨の脂をスプーンですくって落とし、もう一人が湯通ししたジャガイモの水気を切った。ブルーノは沸騰してきたスープにさらにナツメグをすりおろし、味を見て、塩を足してから、ステファンがもってきた濃いクリームを加えてかき混ぜた。ジョーは厚い手袋をはめて、暖炉の長い串を外し、あたためた皿に鳩を一羽ずつ取り分けた。近代的なコンロで赤ワインと自家製ストックを煮詰めたものを、ソースパンで下ごしらえしておいたキャベツとベーコンに注ぎかけた。そうした調理の仕事がほとんど打ちあわせもなくおこなわれることに、ブルーノはいつも驚きを禁じ得ない。数え切れないほどのハンターの晩餐、毎年豚を一頭解体したあとの家族や隣人たちとの饗宴で培われた伝統なのだ」(193ページ)。

 フランスの農村部と地方都市の雰囲気を巧みに再現しているように思えるが、作者は英語圏の人である。シチリアを舞台とするモンタルバーノ警部ものに比べると土臭さがなくて、読みやすい代わりに感動が少ないのは、やはり作者の目が外からフランス社会を眺めているからであろうか。ブルーノの今の恋人であるパメラは英国人で、村にすっかりなじんで村会議員に推薦されたりもしているが、その一方でフランスのあれこれについて質問してブルーノにうるさがられたりする。異文化理解もまた一つのミステリーなのである。
 

日記抄(12月10日~16日)

12月17日(火)晴れ後曇り

 12月11日~17日の間に起きた出来事と考えたことについて簡単に:

12月11日(水)
 テレビ朝日の『マツコ&有吉の怒り新党』で秋田県の佐竹知事が無類のネコ好きであるという話が取り上げられていた。テレビ番組で話題として取り上げられるというところがどうも感服する。毒舌家の2人もただただあっけにとられている感じであった。

12月12日(木)
 NHKラジオまいにちフランス語応用編ではバルザックの『ランジェ侯爵夫人』La Duchesse de Langeais(1834)からパリのフォーブール・サン=ジェルマンle faubourg Saint=Germainというパリの貴族街について述べた個所を取り上げていた。この地区が開発され始めた18世紀には広い館と庭園を作ることが可能であったので、貴族が邸宅を構えるようになった。そして貴族的な生活習慣の発祥地となっていったという。現在ではパリ7区、アンヴァリッド界隈の官庁街となっているが、国民議会はかつてのブルボン公の邸宅、首相官邸になっているマティニョン館も貴族の館であったそうである。江戸時代の大名屋敷が姿を消し、門や庭園だけが残っている場合があるというのと大変な違いである。

12月13日(金)
 まいにちフランス語応用編ではネルヴァルの『散歩と回想』Promenades et souvenirsから「拡大するパリとモンマルトルの丘」について述べた個所を取り上げていた。この丘の上に建つサクレ=クール寺院は普仏戦争での敗北とパリ・コミューンの制圧後の王党派が優勢を占めていた政治状況の中で19世紀にフランスが犯した罪を償うために建てられたものであるが、現在ではノートルダム大聖堂に続いて2番目の観光客数を誇っているという。その来歴から一度もいったことがないというパリジャンも少なくないらしい。

12月14日(土)
 終日、家にいた。

12月15日(日)
 横浜駅西口のムービルで『ヨコハマ物語』を見る。午前中だけの上映である。みなとみらいを舞台にする場面が多いのに、みなとみらいの映画館では上映していないというのは奇妙なことである。この作品についてはそのうち取り上げてみたいと思う。

12月17日(火)
 ピーター・オトゥールの訃報を聞いたと思ったら、今度はジョーン・フォンテーンが亡くなったという知らせが届いた。こちらの方がだいぶ先輩である。アカデミー賞を受賞するのも、亡くなるのも姉のオリヴィア・デ・ハヴィランドよりも先になってしまった。姉妹ともに東京生まれである。アカデミー賞を受賞した『断崖』は見ていないが、見た作品のなかでは『ジェーン・エア』が印象に残っている。

 テレビ東京で『タワーリング・インフェルノ』の前半部分を放映したのを見た。この映画が製作されてから30年以上の年月がたっているが、高層建築の工事の過程での手抜き(というか、より安価な部品へのすり替え)の問題など、意義を失っているようには思えないところがある。その一方でITがオフィスの様子をずいぶん変えてしまったのだなと、映画の筋を離れたところで社会の変貌ぶりを実感した。

円地文子 白洲正子『古典夜話 けり子とかもこの対談集』(2)

12月16日(月)晴れ

 12月13日の当ブログではこの対談集の前半を取り上げたが、今回は後半について見ていく。『源氏物語』の現代語訳や劇化に取り組んできた円地と女性として最初に能舞台に立った経験をもつ白洲のそれぞれの心身に刷り込まれた古典的な教養の凄さは学校で古文をかじった程度の知識ではその奥行きを窺うこともできない。まあ、それでもわかる程度で書いていこうと思う。

 「世阿弥のこと」は随筆系統の文学がなぜ能の題材になっていないのかという円地の問いから始まっている。これに対して白洲は「舞う」ような話ではないからではないかという。これは実際に待ったことのある人だからこその発言であろう。能の根本原理は「幽玄」であるが、世阿弥が考えていた「幽玄」は、非常に具体的なものであって、「ひとくちにいえば、ただ姿が美しく、上品なものであった。別の言葉でいえば、宮廷ふう、または王朝ふうというのが手本であった」(141ページ)と白洲はいう。世阿弥は子どもの頃、足利義満の寵を受けるその前に二条良基に可愛がられていた。その影響が大きいという。

 『源氏物語』や『平家物語』、当時の連歌などに造詣が深かった一方で、世阿弥には古代信仰の影響も見られるという。このほか、観阿弥と世阿弥の作劇術の違い、古典芸能における舞の話から、対談当時の歌舞伎役者の話になる。当時まだ勘九郎だった中村勘三郎の話が出てくるのが時間の流れを感じさせる。文章を書く場合に、登場人物や事件から作者自身が距離を置くのと同じようなことが演技の場合にもあるという。世阿弥は文学、歴史を取り入れて、作品を作り、その中に自分の世界を作り出している。それが「幽玄」の世界だという。

 ということで、対談は「幽玄と変身」に及ぶ。世阿弥は「二曲三体人形図」のなかで「稚児姿は幽玄の本風なり」といっていると白洲が述べる。これは能を演じるための教科書のようなもので、世阿弥自身が描いたと思われるスケッチまで添えられているという。能の背景にある性の問題についての女流の目からの議論が展開され、演技、雰囲気と幽玄についての議論で締めくくられている。

 「昔、男ありけり」では在原業平を中心に平安時代の男性像についての議論が進められている。戦国時代あたりから男性の理想像が変わってくるという。さらに貴種流離譚から民俗学とのかかわり、西行やその他の歌人の歌についての評価がなされ、折口信夫に話が及ぶ。白洲がわたしはもっと長生きして、旅をしなければならないという。(実際にその通りに生きているのだから、凄い。)

 「戯曲というもの」は、円地が『源氏』の「葵の巻」を劇化したことをめぐる対談。実際に舞台を見ているともっと面白く読めるのだろうと思いながら読んでいた。

 「作家について」は近松から谷崎潤一郎までの作家についての品定め。泉鏡花について「田舎の人が、東京に出てきて、江戸っ子に憧れる。その江戸の味は的確につかんでいるけれど、江戸っ子に書けないものを、堂々と書いている」(261-2ページ、円地)。円地も白洲も「高野聖」を高く評価しているのが興味深い。「鏡花の作品には明らかに『幽玄』というものがありますわね。」(円地) 「たしかにある。自分がその中の人だったし、頭で理解するのでなしに、身についてる」(白洲)(264ページ)。泉鏡花から金沢つながりで室生犀星に話がおよび、合間に中原中也や折口信夫がでてくる。この話の展開がいい。「室生さんのところのお茶はおいしかった」(267ページ)というのも両者共通した意見である。正宗白鳥、志賀直哉、永井荷風、谷崎潤一郎、縦横無尽である。谷崎について円地は「私は小説のほうが上質だと思う。ご当人は私はそんなに面白いとは思わない」(272ページ)と断言している。白洲が「でもね、人間より小説のほうが面白いというのは、やはり大したことだと思うわ」(273ページ)というのも頷ける。梶井基次郎の作品が散文詩みたいだという白洲の意見には全く賛成。私も梶井のような文章が書きたいといつも思っている。中島敦が古典を題材にして書いた小説は面白いが、私小説はつまらないという白洲の意見には与したくない。『かめれおん日記』などは面白いと思う。最後に両者の文学とのかかわりを自伝的に振り返っておしまい。

 ほぼ同世代の女性で、前回にも述べたようにその時代としては恵まれた環境のもとで教養を形成した2人ではあるが、実作者としての円地と、旅行家、フィールド研究家としての白洲ではものを見る角度が微妙に違い、それが厳しい対立というよりも相補いあう関係で対談を進めている。白洲が「日本人というのは、舶来品を自分たちの好みでつくり直して、いわゆる『日本化』することに卓抜した才能をもっているんですね。それはたいしたものだと思います」(138ページ)と一種の雑種文化論を述べているのには感服した。すべての議論に賛同する必要はないが、それぞれに自分なりの対処をすることは有益な経験となるはずである。

冬に、南風

12月15日(日)晴れ

 冬に、南風

風は何を目指して
どこに向かって
吹いているのか、
寒さに震える季節だが、
なぜか南から
風が吹いてきた。

テレビで予報士が
今日は少し暖かくなるでしょうと
予報していた。
その少しが、
どのくらいの少しか、
気になる冬の朝だ。

吹雪の冬、
寒さに凍りついた冬も
ただ寒いだけの冬
さまざまな表情を見せながら
冬はやってきて、やがては過ぎ去る。

さまざまな表情を見せて、
人々を寒がらせ、凍りつかせながら
時々ほっとさせるように
南風が吹く。

シャーロック・ホームズの祖母

12月14日(土)晴れ

 11月27日付の当ブログ「日記抄(11月20日~27日)』の11月22日の項で触れたように、モールス・ルブランの原作を佐藤若菜さんが翻訳・解説した『フランス語で読むアルセーヌ・ルパン 対訳 ルパンの逮捕・遅すぎたホームズ』を読んでいる。

 まだ、読み終えていないのだが、解説の方は既に読んでいて、その中で佐藤さんが「歴史的にも人間のタイプとしても、フランス人に相対する存在として取り上げられることの多いイギリス人ですが、本作でも『ルパン対ホームズ』の裏にちらほら『フランス人対イギリス人』の構図が見え隠れしています。原文では、ホームズのことを名前でなくl'Anglais (イギリス人)と表現している個所が多々あります。良くも悪くも『イギリス人らしさ』を凝縮したような人物像のホームズを通じて、イギリス人全体をちょっと揶揄しているような作者の意図が感じられます」(175ページ)と書いているのは、ホームズの愛読者ならばちょっと気にしてもよい個所ではないかと思った。

 イギリス人とひとくくりにしても、イングランド人、スコットランド人、ウェールズ人、それにアイルランド人が含まれているのだから、その民族性をひとまとめにして論じるのは性急であるというような議論(あるいは民族性というものがそれほどはっきり断言できるものか)という議論はさておいても、ルブランがホームズをイギリス人の典型として描き、佐藤さんがそれをそのまま受け取っているとすれば、ホームズをきちんと読んでいないということになると思うのである。

 というのは、『回想のシャーロック・ホームズ』(深町眞理子訳、創元推理文庫)の中に収められている「ギリシア語通訳」のなかでホームズは彼の観察力と推理力が遺伝によるもの、たぶん祖母から受け継いだものだと述べ、「祖母は、フランスの画家ヴェルネの妹に当たるんだ。芸術家の血というのは、とかく非常に変わったかたちであらわれるものだからね」(307ページ)と述べている。そしてこの血は、彼の兄のマイクロフトにも流れているというところから、話が別の方向に向かっていく。

 ヴェルネ(Vernet)はクロード・ジョセフ(1714-1789)、アントワーヌ・シャルル・オラース(カルル)(1758-1835)、エミール・ジャン=オラース(1789-1863)と三代続いたフランスの画家の家系で、祖父と父は風景画を、孫はオリエンタリズムの濃厚な絵を描いたそうである。ホームズが活躍したのは19世紀の終わりごろなので、おそらく祖母の兄というのはエミール・ジャン=オラースが念頭にあったのだと思われる。ホームズの発言は、祖母が画家の妹だったということよりも、画家の家系の遺伝子をもっていたというところを強調しているようである。

 なお『シャーロック・ホームズの生還』(阿部知二訳、創元推理文庫)の中に収められている「ノーウッドの建築業者」のなかで、ホームズの遠縁にあたるヴァーナーという若い医師がワトスンの開業医としての地盤を買い取ってくれた(実はホームズがその資金を調達していた)ことから、2人がまたベーカー街で起居を共にすることになったと記されている。VernerとVernetとはよく似ていて、ホームズの祖母の一族が英国に移住してVernerと名乗ることにしたのかもしれないという推測も可能である。

 またホームズはアメリカやフランスの探偵たちの仕事に興味を寄せ、助言したり励ましたりしている。彼は国家とヴィクトリア女王の危機には進んで立ち向かう愛国者ではあったが、その愛国心は偏狭なものではなかったし、彼の敵意は外国にではなく、悪に向けられていたのである。ホームズの最大のライヴァルが英国人のモリアーティ教授であったことを思い出せばこれは分かることであろう。

 以上、ホームズの愛読者ならばだれでも知っているようなことではあるが、ルパンとホームズの対立についてホームズの側から少し書いてみた。

円地文子 白洲正子『古典夜話――けり子とかも子の対談集――』

12月13日(金)晴れ

 円地文子 白洲正子『古典夜話――けり子とかも子の対談集――』(新潮文庫)を読み終える。円地文子(1905-86)、白洲正子(1910-98)という日本の古典文学に造詣の深い2人の女流の対談。小説と劇作で知られる円地は国語学者・上田萬年の次女。随筆・紀行文で知られる白洲は薩摩出身の海軍軍人で、文部大臣となったこともある樺山資紀の孫である。ともに学歴は中等教育段階に留まっている(白洲は米国の学校で中等教育を終えている)が、その学識と洞察には恐るべきものがある。樺山は日本の女子教育における良妻賢母主義の道筋をつけた人物の一人とされるが、白洲は良妻賢母の枠にはまらない自己形成を遂げたように思われる。

 まえがきで円地が書いているところによると、けり子とかも子は式亭三馬の『浮世風呂・女湯の巻』にでてくる国学を学び和歌を嗜んでいる上品ぶった2人の女性である。「わたしは古典について生物知りのお喋りをする度に、必ず何でこうつまらないことを勿体らしく話したものだろうと後悔することが多い」(9ページ)ための自戒の気持ちを込めてのことであるというが、これは自由に対談を展開するための煙幕であると理解した方がよかろう。

 対談は「『お水取り』と観音信仰」から始まる。円地が「お水取り」を見学して、自分の娘時代の芝居見物を思い出したという率直な感想を述べる。観音信仰について詳しい白洲がお水取りの背景について、さらには東大寺の起源について古代の山岳信仰との関係を視野に入れて説明する。私が小学生の頃、二月堂、三月堂を見学し(その後大人になってから何度か訪問した)、四月堂もあることに気付いた記憶があるのだが、お二人もこのことに興味を抱いていて、白洲は笠置寺にも正月堂、二月堂、三月堂、四月堂があると指摘している(東大寺には正月堂はない)。そしてさらに本地垂迹説にも言及している。お水取りは単純に仏教の行事とはいえないのである。(東大寺と大仏の造立の過程にも神様が絡んでいる。)

 また一方でお水取りの過程は女人禁制で行われ(能でも「翁」を演じる時はそうなると白洲が指摘する)、その一方で「過去帳」の中に現実の存在が定かではない「青衣の女人」が読みあげられることについても女流の目で論じられている。

 「『葵上』の周辺」は円地が『源氏物語』から「葵の巻」を劇化(歌舞伎)するという話を中心に『源氏物語』、そこからつくられた能のなかでの生き霊と幽霊についての考察が展開される。両者ともに歌舞伎に詳しく、白洲は特に能に詳しい(だけでなく実際に舞台に立ったこともある)ので、内容はかなり詳しくなる(実は私は能にも歌舞伎にも興味がないので、半分は分からないまま活字を追っていた。)ここでの関心はさらに「物の怪について」に続く。世阿弥や日本人の来世観に話が及ぶ。

 「源氏物語拾遺」は2回にわたる対談である。源氏の現代語訳に取り組む円地に対し、『湖月抄』(北村季吟の書いた注釈書)をテキストにして源氏の個人指導を受けたという白洲がさまざまに問いかける。源氏は紫式部の書いた正編と、薫や匂宮が出てくる十三帖は他の作者が書いた続編とからなるという円地の分析は興味深い。また個々の登場人物についての評価がかなり詳しくなされているが、こちらが源氏を読んでいないので、その適否は何とも言えない。この時代の服装についての詳しいことは分からないという発言などはハッとさせられる。絵巻物における描写は同時代のものではないというのである。民俗学的な知見も含まれていていろいろと考えさせられる対談である。

 ここまで読んできたところで、両者の知識が単に学校で勉強したというよりも、個人指導や観劇、実地訪問などのある意味では身体的な体験を通じて獲得されたものであるが故の深さをもっていることを感じた。ただ、漢文についての知識が十分ではないように思われる個所があるのは残念である。以下、「世阿弥のこと」、「幽玄と変身」、「昔、男ありけり」、「戯曲というもの」、「作家について」と対談は続くのだが、これらについてはまた機会を見つけて書くことにしよう。

黒田龍之助『ぼくたちの外国語学部』

12月12日(木)晴れ

 12月10日に黒田龍之助『ぼくたちの外国語学部』(三修社)を読み終える。11月29日、30日に同じ著者による『ポケットに外国語を』を取り上げていることでもわかると思うが、黒田さんの著書はかなりよく読んでいる。黒田さんはもともとロシア語を専攻していたが、スラヴ系の言語を中心に幅広く言語を勉強し、それらの言語について少なからぬ書物を書いている。書いているということは読む人が多いということでもあり、特に若い人が多いようである。その結果、外国語を専攻しようと思う人もいるという。

 黒田さんは外国語を勉強したいと思い、大学でも外国語学部で学んでいた。そして教えることを楽しんできた。もっとも外国語は外国語学部でなくても勉強できるのだが、外国語学部の方が接する機会は多く、学習には有利なことが多い。しかし、黒田さんも書いているように、今の日本ではただでさえ少ない外国語学部はますます減少傾向にある。「わざわざ外国語学部に進んでマイナーな言語やマニアックな文法に取り組むよりも、実用的な学部で役に立つことを学んで、ついでに外国語も身につけてしまうほうが、ずっとお得ではないか」(12ページ)と考える人々が少なくない。もともと外国語学部であったものが、改組される例もある。

 しかし、外国語学部には、他の学部にはないよさがあるのではないか。外国語を勉強してもその言語が得意になるとは限らないし、だから通訳などその言語を生かした職業につけるとは限らない。逆に言えば外国語学部には不定型の魅力があるともいえる。黒田さんはある外国語系の大学で2年生を対象とする専門科目の一つとして比較言語学を教えていた。その受講者は予想以上に多く、受講者のなかにはさらに黒田さんが1年生を相手に開講している言語学までさかのぼって受講するものもでてきた。そういう学生たちとインフォーマルに集まっておしゃべりをしたり、飲みに出かけたり、さらには温泉で合宿をしたりするようになった。いわば「裏ゼミ」である。というのは黒田さんは非常勤講師であり(実はパートナーがこの大学の専任の先生であるという事情もある)、学生たちには別に正規の指導教官によるゼミに所属しているからである。

 この書物にはその裏ゼミに参加していたインドネシア語を専攻するスギくん、ドイツ語を専攻するクワくん、同じくドイツ語を専攻とするがハンガリー語を得意とするウメくん、ポーランド語を専攻するフジくん、日本語を専攻していたサクラくんとの交流が記されている。彼らはそれぞれの専攻言語を勉強するだけでなく、専攻と関連したり、しなかったりするさまざまな言語を身につけようとする。

 黒田さんはロシア語を中心に多くの言語を勉強し、また教えてきたが、それは外国語(世界の言語は数千、国家は200あまり、ということは「国語」でない言語の方が多いから、外「国語」という表現はあまり適切ではないのだが、世界の主要言語はだいたい「国語」になっているから、まあこの言い方でも差支えはないだろう)についての黒田さんなりの考え方に基づくものであった。黒田さんは外国語学部の学生は最低4つの言語は勉強してほしいという。専攻語、関連語、英語、有力語である。専攻語がドイツ語であれば、関連語はオランダ語とか、スウェーデン語、有力語はフランス語のように広い地域で使われている言語でもいいし、古典語でもいいという。多様な言語に接することによって、視野が広がり、異文化に対する柔軟な姿勢も生まれるはずである。

 裏ゼミに参加した学生たちの進路も多様である。進路どころか、まだ卒業できない学生もいる。勉強した言語がどこまで身についているかもまちまちである。しかし、言語を勉強する楽しさは苦しさと表裏の関係にあるにせよ、味わっているはずである。
 
 さて、下手の横好きで多くの言語に手を出してきたが、どれもこれもものになったとは言い難いわたしの場合、外国語学部ではなくて、総合大学で学んできたのであるが、「語学放浪記」で書いた山口巌先生のように多くの言語を勉強することを奨励する先生がいらっしゃったことがこの性向を後押ししてきたようだ。人生が外国語を勉強するだけで決まることはないのだが、それなりの影響力をもつことも確かである。そのことを考えさせる書物である。

ウィルキー・コリンズ『月長石』(18)

12月11日(水)晴れ

 クラックの証言は続く。レイチェルは母の制止にもかかわらず、ゴドフリー・エーブルホワイトが襲撃を受けた事件と月長石との関係について異常なほど執拗に質問を続ける。ゴドフリーはこれに対し、世間では月長石が自分の手で金貸しのルーカーのもとに質入れされたのだと噂されていると答える。

 レイチェルはそれを聞いて取り乱して叫び、その噂は事実無根でゴドフリーは無実だという。ゴドフリーはこのような噂で自分の社会的な信用が失われることはないというが、レイチェルは聞き入れない。彼女は噂が真実ではないことの証拠を自分が知っているという。それを治安判事のもとで証言してもよいとさえ言うが、ゴドフリーは軽々しく振舞ってはいけないとたしなめる。

 それでもレイチェルは自分自身もカッフ部長刑事によって借金の返済のために月長石を隠したのではないかという嫌疑をかけられたといい、ゴドフリーが無実であるという証言を公表すると言い張る。それで、ゴドフリーは彼女の署名入りの声明書を作成する。レイチェルは自分がゴドフリーに対するこれまでの見方をあらためようとしているという。レイチェルとゴドフリーのあいだに親密な感情が生まれはじめているのをクラックは喜んでいる様子ではない。「このときほど、わたくしは、われらの英雄的キリスト教徒との態度や言葉に、がっかりさせられたことはありませんでした」(中村訳、創元推理文庫版、347-8ページ)。

 その時に3人の女性がレイチェルを花卉展覧会(flower show)に出かけようと誘いにやってくる。「窓からのぞいてみると、俗悪、情欲、悪魔が――馬車と馬、髪粉をつけた馬丁、そして、いままで見たこともないほど人もなげに着飾った3人の女に姿をかえて――家の前に待っていました」(348ページ)という表現がクラックの性格をよくあらわしている。レイチェルが出かけた後、ゴドフリーは直前の声明書の作成はレイチェルの自己犠牲心をゴドフリーが受け入れたと信じさせるための芝居であったのだと弁明しながら、声明書を焼き捨てる。これこそがレイチェルをかばう行為なのだという。そしてクラックに声をかけて、退出する。

 ヴェリンダー夫人はクラックと2人きりになると、自分の秘密を打ち明けると述べ、彼女の遺書の立会人になってほしいと頼む。彼女は月長石の紛失をめぐる事件で心身ともに傷ついたレイチェルを医師の手で診察してもらおうとロンドンにやってきたが、医師から重大な病気を抱えているのは母親であるヴェリンダー夫人の方であり、心臓の病気が既に手遅れの状態にまで進行しているといわれたと告げる。心臓の病気は月長石の事件よりも前から進行していたのだが、レイチェルが聞くと自分のせいだと気を病むかもしれないので、隠しておきたいと母親としての配慮を口にする。

 クラックはもともと義理の叔母であるヴェリンダー夫人には敬意を抱いており、それは従妹であるのにそう呼びたくないと言いきっているレイチェルへの軽蔑や敵意と対照をなすものであるが、伯母を信仰の道に導くための好機であると考える。そこで自分の仲間の1人と話をすることを勧めるが、見知らぬ人と話したくないという。それでクラックは信仰に関係する書物を夫人に読ませようと、いったん自分の家に引き返す。

 ヴェリンダー家のモンタギュー・スクエアのタウン・ハウスにクラックが戻ると、そこにはヴェリンダー家の顧問弁護士であるブラッフがいる。世間的な意味で有能なこの弁護士は、世渡り下手を狂信で言い繕っているクラックとは話が合わない。ブラッフはクラックの大荷物にびっくりする(クラックはヴェリンダー家のもてあましものなのであることは、執事であるベタレッジの証言でもほのめかされていた)が、彼女はヴェリンダー夫人の遺言書作成の立会人に選ばれたのだといって、ブラッフを納得させる。

 既に述べたことと一部重複するが、少し補足的な説明をしておくと、イングランドの司法制度のなかで弁護士には2種類あって、上位裁判所における弁論を行うのが法廷弁護士などと訳されるbarrister、法廷弁護士と訴訟依頼人との間で裁判事務を行うのが事務弁護士などと訳されるsolicitorである。ゴドフリー・エーブルホワイトはbarrister、ブラッフはsolicitorである。ヴェリンダー夫人は自分の死後の財産の管理をめぐり、不安定でわがままなレイチェルの性格では問題が生じる恐れがあると思って遺言書を作成するのであるが、レイチェルの結婚の相手として名乗りを上げている2人が、ともに彼女の従兄であるのはヴェリンダー家の財産の問題が絡んでいることを承知しておく必要がある。ヴェリンダー夫人は金にだらしのないフランクリン・ブレークよりも、法律家であるゴドフリー・エーブルホワイトの方を頼もしく思っているように思われる。

 ブラッフはクラックに、ゴドフリーが影響力をもっている慈善団体のこと、ノーサンバーランド街での事件の後のゴドフリーの様子を尋ねる。ブラッフは、現状はゴドフリーに対して不利であるという。彼は月長石がなくなったときに邸内にいて、紛失後すぐに屋敷を出た、その後、ロンドンで怪しげな人物とともにインド人たちの襲撃を受けたことがそれらの証拠である。

 月長石と呼ばれるダイヤモンドはもともとインドの寺院で古くから神像を飾るものであったのが、数奇な運命を経てイングランドに渡ってきたものである。何世代に渡って3人のバラモンたちがこのダイヤモンドを見守っており、出来ればインドの元の寺院に持ち帰ろうとしてきたという経緯がある。

 月長石が紛失する前夜のレイチェルの誕生祝いに3人のインド人たちが姿を現していた。事件後、彼らは地元の警察によって拘留されていたのだが、嫌疑が晴れて釈放されるとロンドンに戻って金貸しのルーカーと彼が銀行の金庫室に預けた高価な貴重品に目をつけ、彼と接触したゴドフリーとともにその所持品を調べることにしたのだと世間が噂していることをブラッフは述べる。

 これに対しゴドフリーを信じているクラックはまずカッフ部長刑事が宝石はレイチェルが隠したのだと推理したことを述べる。ブラッフはカッフはレイチェルの性格を正確に知らなかったために推理を誤ったのだという。レイチェルは自分の真意をたやすくは打ち明けないし、わがままで、きまぐれであるが、嘘をつくような人間ではないというのである。これに対しクラックはこの日の出来事を踏まえて、レイチェル自身がゴドフリーは無実だと証言していると反論する。

 クラックはこの反論が効果的で、ブラッフを混乱させたと書く。ブラッフはレイチェルのこの発言が全く説明がつかないという。ブラッフはレイチェルと同じくらいフランクリン・ブレークに好意を抱いており、2人が結ばれることを期待しているようである(ヴェリンダー夫人に信頼されているブラッフであるが、この点では彼女と見解を異にしているようである)。

 これまでのところ月長石の紛失をめぐり、ヴェリンダー家の下働きの女中で前科があるロザンナ・スピアマンがレイチェルの意向のもとに盗み出したという推理がされ、金貸しのルーカーがロンバード街の銀行の金庫室に預け入れた高価な貴重品が月長石なのではないかという推測、この前後にルーカーとなぜかゴドフリー・エーブルホワイトが襲われたという事件をめぐる憶測が飛び交ってきた。これまで沈黙を守ってきたレイチェルがとうとう口を開く。彼女が言っているのは、ゴドフリーは無実だということで、何を見たかではない。また、なぜ宝石が紛失したかの背景と動機に迫る事実はまだ明らかになっていない。

日記抄(12月4日~10日)

12月10日(火)雨、午後になって晴れ間が出る

 12月4日(水)~本日(10日)にかけて身の回りで起きたこと、考えたことなど:

12月5日(木)
 まいにちフランス語応用編『作家とともにパリ散歩』の12月放送分は「パリの街角」と題して、パリのさまざまな生活シーンを取り上げていくという。この日はメルシエの『タブロー・ド・パリ』からブキニストと呼ばれる、「パリ中をくまなく歩き回り、古本や希少本を掘り出す人」、「それらを売る人」について記した個所を読んだ。ブキニストは今日もセーヌ河畔に屋台を並べているそうである。フランス人の講師であるヴァンサン・ブランクールさんによると、営業の形態は違うが神田神保町が似たところがあるという。

12月6日(金)
 まいにちフランス語応用編『作家とともにパリ散歩』はバルザックの『幻滅』の主人公のリュシアン青年がヴェリというレストランで食事をする部分を取り上げた。この小説、学生時代にたしか河出書房の世界文学全集に入っているを読んだ記憶がある。バルザックの作品で本格的に読んだのはこの作品だけであるが、もっと多くの作品を読んでおけばよかったと今になって後悔している。

12月7日(土)
 Eテレで放送していた『アイ・カーリー』が最終回を迎えた。シアトルのハイスクールに通う女子生徒のカーリーとサムが、同じ学年の男子生徒であるフレディの助けを借りてウェブ番組を制作・放送する。最終回では軍人であるカーリーの父親が彼女を自分の任地であるイタリアに連れてゆくことになる。イタリアに米軍基地があるということをはじめて知った。

12月8日(日)
 Eテレの「日本の話芸」で桂福団治による「蜆売り」の高座を視聴する。冬のさなか、路上で蜆を売り歩いている少年に同情した金もちがその身の上話を聴き、自分がかつて困っていた男女に与えた大金に疑いをもたれた男女を苦しめていることに気づいて、さらに援助の手を差し伸べようとする。もともと講談で、東京では鼠小僧次郎吉の話になっているが、上方ではただの金もちの親切の結果である。福団治の高座は慎重すぎるように思えた。

12月9日(月)
 ヨドバシカメラのコミックス売り場で藤子・F・不二雄の全集の中から『仙べえ』を見つけて買って読んだ。思いがけなく豪勢な住まいに住むことになった一家に、明治時代の初めに仙人になるといって家出した曾祖父の兄=仙べえがやってくる。修行していた洞窟がダムで水没して住むところがなくなったので親戚を頼ってやってきたのである。彼の未熟な仙術のおかげで一家は迷惑の連続である。平凡な家庭生活が異分子の来訪によって混乱するというのは藤子・Fの作品で繰り返されるパターンであるが、この作品は来訪者がかける迷惑を強調しているところが特徴的である。 

ふたりのアトリエ~ある彫刻家とモデル

12月9日(月)曇り

 渋谷Bunkamuraル・シネマ2で『ふたりのアトリエ』を観る。

 第二次世界大戦末期のフランス。スペイン国境近くの小都市。老境に達した彫刻家が妻、お手伝いさんとひっそり暮らしている。彫刻家は日中はカフェで時間をつぶす。戦時中とはいっても、そういう余裕は残されているらしい。

 町の広場をうろうろしている、行き場所のなさそうな若く美しい娘を彫刻家の妻が見つける。もともと夫をはじめ、多くの芸術家たちのモデルであった彼女は、この娘にモデルの可能性があると思ったのである。スペインの収容所から逃げてきたという娘は、モデルという言葉の意味さえわからないが、素直にモデルの役割を引き受ける。山の中にある小屋をアトリエとして娘を住まわせ、彫刻家は自然そのものを表現するような作品の制作を始める。何度も何度もつまずきながら新しい作品をつくりあげようとする。

 山の中での制作活動は静かなように見えるが、ときどき波乱に見舞われる。町の子どもたちが山の中に裸の女がいると噂をして覗きに来たり、抵抗運動に参加している若者が小屋にやってきたりする。実は娘も抵抗運動家たちの道案内をしていたのである。その一方で彫刻家の芸術に敬意を払うドイツ軍の将校がアトリエを訪問したりする。

 映画は老彫刻家と若いモデルの交流を白黒の画面で描いている。色彩を捨てたことによって映画は彫刻作品の完成の過程を強調しているように思われる。戦時下という、静かな生活が難しいときに、彫刻家は静かに生きて、自分の芸術を完成させようとする。周囲の人間の行動を無視しているわけではない、社会の動きに無関心な訳ではないが、自分には自分の生き方があると考えているようである。子どもたちの例を観ても、すべての人々が芸術家の生き方に理解を示しているわけではない。そして老境にある彫刻家は自らの死の時期が迫っていることを自覚している。その妻はひたすら彫刻家の芸術の進展を願っているようである。戦争の終わりに少し先だって作品が完成する。そしてモデルをすることによって娘は自分の新しい生き方を見出しはじめる。

 戦時下のフランスの生活と、その中での芸術創造の営みを描いた作品。戦争という暴力を通じて世の中を変えようとする動きの一方で、芸術を通じて人々の心に訴えようとする努力もある。そして芸術創造にかかわることによって変わっていく人々もいる。それはきわめて少数であるかもしれないが、確実な変化の種となりうる。彫刻家を演じているジャン・ロシュフォールが老境を自覚しながら、芸術創造に取り組む芸術家の二面性を表現している。若い娘を演じているスペインの女優アイーダ・フォルチはそのヌードよりも表情の美しさの方が印象に残る。彫刻家の妻を演じているクラウディア・カルディナーレが貫録を見せている。
 

雪国と東京と

12月8日(日)曇り 雪国と東京と

雪国で大雪が降ったという
TVの画面を観ていて
この間まで自分が
この中にいたことを思い出す

雪を踏みしめて
車の屋根の雪を払いおとし、
なかに入ってエンジンをかければ、
やがて暖かくはなるが、
それでも雪にしつこく
邪魔されながら
進まなければならない。

行きと帰りに
雪を相手に
車を走らせる
その繰り返しが続く

東京の晴れた空の下
着膨れした人々のあいだ
自分も着膨れして
押し合いながら電車に乗っている
電車の窓から
かわいた北風が吹く
町を眺めている

町の向こうに
近くのビルと
遠くの山に遮られながらも
時々雪を被った
富士山が見える

その雪が
雪国の暮らしを
つかの間
身近に引き寄せる
いつの間にかなじんでいた
雪国の暮らしを思い出させる

島田裕巳『なぜ八幡神社が日本で一番多いのか』(2)

12月7日(土)晴れ

 12月2日付の当ブログでその前半部分を紹介した島田裕巳『なぜ八幡神社が日本で一番多いのか』(幻冬舎新書)から、まだ取り上げていない後半の6章について論じてみたい。

 第6章「春日」は春日神社を取り上げているが、古代から重視されてきただけでなく、全国に分布した神社数でも11位に入るほどの存在でありながら、その祭神である春日神の実体ははっきりしない。なぜはっきりしないかというと、それは複数の神が合体したものだからであり、重視されてきたのは天皇の外戚として権力を握ってきた藤原氏の氏神であったことが大きい。

 奈良市にある春日大社の祭神は春日神とされる一方で、5柱の神々であるともされ、神社の社殿はそれに対応して建てられている。5柱の神のうちの3柱は藤原氏の祖神であり、残る2神は鹿島神宮、香取神宮から勧請された神々である。なぜこのようなことになったかをめぐっては今後の研究に俟つところが多い。春日大社は歴史的に興福寺と一体となって大和の国を支配してきたが、明治の廃仏毀釈で仏教色が一掃された。春日神に関連する神社として重要なものに、京都の吉田神社がある。以前にも書いたことがあるが、節分になると吉田神社の節分を思い出す。日頃は京都大学の陰に隠れている感じがある吉田神社がこのときばかりは主役となる。春日大社にももちろん出かけたことがある。

 第7章で取り上げられる「熊野」は浄土や観音信仰と結びついた西国33ヵ所の巡礼と融合しながら信仰されてきた。熊野詣が盛んになるのは、平安時代に浄土教信仰が流行してからのことである。熊野神社の神はさまざまに呼びならわされるが、熊野権現という呼び名がもっとも一般的である。既に述べたように、この信仰には神仏習合の要素が濃厚である。明治の神仏分離によってもこの性格はぬぐい去ることができなかった。

 熊野神を祀る熊野神社、あるいは十二所神社は全国におよそ3000社あるとされるが、地域的な偏りは少なく、ほぼ全国に分布している。このことは八幡、伊勢、稲荷の信仰と同様で、この信仰の重要性を物語るものである。熊野の信仰が全国に広まったのは、仏教と深く融合し、浄土教信仰や観音信仰と結びついたためであり、仏教色が強いことが特徴的である。この書物でも触れられている京都・東大路丸太町の熊野神社は大学とも学生時代の下宿とも近く、あらためて界隈を歩いてみたいと思った。

 第8章「祇園」で連想されるのは京都三大祭の一つである祇園祭である。葵祭が朝廷や貴族の祭であるのに対して、祇園祭は庶民の祭であり、三大祭のなかでは最も盛んである。それどころか大阪の天神祭、東京の神田祭(山王祭)とともに日本三大祭に数えられている。祇園の八坂神社という名称は明治以後のもので、それ以前は祇園社などと呼ばれていた。本来は雷神である天神を祀っていたと思われるが、その神が牛頭天王と習合することによって独自の発展を遂げてきた。また素戔鳴尊の信仰との結びつきも指摘されている(参考文献として挙げられている真弓常忠『祇園信仰』ではもっぱら素戔鳴尊や新羅との結びつきについて論じられていたと記憶する。なお、真弓さんは八坂神社の宮司を務められていた。)

 祇園祭は、夏の祭であるので帰省して京都にいなかったこともあるが、大学在学中、また卒業後何度かその開放的な気分を味わったことを思い出す。島田さんの記述によると、山車や囃子、踊りなどが出て華やかであるうえに、庶民の祭であることから全国に広がり、各地で祇園祭が営まれている。その伝播に際しては北前船の役割が大きかった。素戔鳴尊に関連する神社としては大宮氷川神社をはじめとする氷川神社があるが、これは別の系統の信仰と見るべきであるとのことである。

 第9章「諏訪」では長野県にある諏訪大社を中心とした諏訪信仰について論じられている。この神社の数は調査によって違うがきわめて多い。諏訪大社は伊勢神宮の式年遷宮と共通した性格が見られ、古代の信仰の姿をとどめていると考えられる御柱祭で知られる。その祭神は大国主命の子で国譲りに反対したが、天から下った神様に負けて諏訪の地に逃げ込んだ建御名方神であるとされてきた。しかし、土着の蛇体の神ではないかとする意見が有力である。他の神社の信仰と同様に神仏習合が見られたが、明治以後また変化を遂げてきた。

 諏訪神社が一番多いのは実は新潟県で、県内の神社のなかでも諏訪神社がもっとも多いそうである。新潟市内に住んでいたころに通りかかったどこかの諏訪神社で、夾竹桃の花に見とれたことを思い出す。島田さんは書いていないが、建御名方神の母は、現在の糸魚川のあたりの女神である奴奈川姫命であるから、新潟県とは縁が深いのである。これもこの本では触れられていないが、長崎の諏訪神社の祭である長崎くんちは近世以来のものだとはいっても盛大なものとして名高い。

 第10章「白山」では加賀の白山に関連した信仰が取り上げられている。この信仰の拠点である石川県の白山比め[口篇に羊]神社のそのまた中心である奥宮はかつてはむしろ寺院と考えられており、この奥宮を創建したのは奈良時代の伝説的な僧である泰澄とされている。仏教の影響、特に天台宗との結びつきから白山修験が形成された。白山神社と並んで神社数が多い日吉神社も天台宗との結びつきが強かった。しかし、戦国時代に荒廃した白山神社は、加賀の前田家によって再興されるが、真言宗に改宗させられる。明治の神仏分離以後、修験道は仏教の枠の中に収められるようになった。この章では、全国のその他の修験道系の神道についても触れている。

 第11章「住吉」は大阪市住吉区にある住吉大社を中心とする住吉信仰について触れている。白山信仰をはじめとする修験道系の神道が山の神様に関連する信仰であったのに対し、こちらは海の神様への信仰である。特に海上交通や漁業にかかわる神様として信仰を集めた。また、風光明美な土地にあることから、和歌の神様としても信仰を集めた。

 住吉大社はえびす信仰と結びついているほか、貴船神社と関連をもッている。さらにこの章では宗像神社、恵比寿信仰、金毘羅信仰などの海に関連する信仰についても概観している。

 以上紹介してきたことから明らかなように、この書物は(前回でも述べたが)神社と日本の神様についての網羅的・百科全書的な概説書である。天神信仰と関連してわらべ歌の「通りゃんせ」や、住吉信仰と関連して「一寸法師」に言及するなど、身近な話題が取り上げられており、細かい部分にも注目すべき記述がみられ、神社と神道について個別的な問題意識を発展させて行くのに役立つ。もちろん、この書物だけで神社とそれをめぐる信仰の全部が明らかにされているわけではないし、近世における神社と庶民の関係についてはもっと多くの紙面を割いてほしいと思ったのだが、出発点としては十分に意味のある書物といえよう。

十五少年漂流記 海賊島DE!大冒険

12月6日(金)晴れ

 109シネマズ川崎でアニメーション『十五少年漂流記 海賊島DE!大冒険』を観る。

 ネコの世界のテーマパーク「ニャンポンランド」では、最新式の大型潜水艇:ダイカイオーに乗り込んで15人{匹?}の少年たちが探検をおこなうという企画の前夜祭が開かれている。トラネコのドリアンは、弟のチェリーがダイカイオーに乗り込みたいとわがままを言うのに手を焼いているが、探検隊の副隊長であるドリアンが、自分の仲間たちを誘って前夜のうちに試験的な航行を行おうとしていることを知り、自分たちも乗せてもらおうと思いつく。

 多少の波乱はあったが、15人{匹?}の少年少女がダイカイオーに乗り込む。そして深海までたどり着き浮上しようとすると、プランクトンの群れにであってシステムが乱れ、浮上すると、海賊が環境運動家の令嬢の乗った船をおそっている場面に遭遇し、海賊船に撃沈されただけでなく、海面に生じた大渦に巻き込まれる。気がついてみると、彼らは電波が通じず、海図にも乗っていない不思議な島に到着していた。少年たちは外部との接触ができないなかで、自分たちの住む場所を見つけ、工夫しながら生き延びていくが、レーモンとドリアンの反目により、少年たちの結合も危機を迎える。しかし、海賊たちの攻撃に直面して、彼らは再び団結を取り戻す。

 多くの人たちが、特に男性であれば少年時代に読んだことがあるはずのジュール・ヴェルヌの小説『十五少年漂流記』のアニメーション映画化。原作の設定とあらすじを大きく変更している。原作はもともと『二年間の休暇』という題名の一種のロビンソン小説で、少年たちが限られた物資しか持たずに無人島に漂着し、自分たちの博物学的な知識と創意工夫を利用する一方で、勇気と団結と協力の力で難局を乗り切っていくという少年たちの成長の過程を描くものであるが、日本では明治時代の森田思軒の翻訳以来『十五少年』という受け止め方が定着し、どちらかというと少年たちの団結と協力の意義に強調が置かれて読まれてきたように思われる。

 今回の映画化では物語がネコの世界に設定されている。漂流する15人には少年たちだけでなく少女たちも含まれている。原作で少年たちは同じ学校の生徒であることにより団結心をもっているのだが、その点がこの作品ではあいまいにされている。物語の舞台として一方で現代のIT技術が活用される世界があって、他方では前近代的な海賊が出現するだけでなく、彼らが漂流した島に漂着してそこで命を終えた人物が、彼らの潜水艇を沈めた海賊たちの頭目の父親ということになっている。島ではさまざまな不思議な現象が起き、異様な姿の生物が出現するだけでなく、海賊の父親が残した財宝が残されている。

 ヴェルヌの原作は彼の科学的な知識に基づいて書かれているのだが、この脚色では博物学的な知識は無視されている。ネコだから肉食であるはずなのに、果物を探して食べたりしている。それどころか科学を超えた存在が登場する。また原作で強調されている少年たちの英国系、フランス系、アメリカ系という出自に基づいた対立も無視されている。少年たちの対立はあくまで個性の衝突によるものである。

 ヴェルヌの作品はその描いている不思議な出来事の多くがその後の科学技術の発展によって乗り越えられたり、場合によっては否定されており、最近では彼の作品の冒険的な要素を評価する意見が多いとも聞く。その意味では原作の冒険的な要素を強調するのは間違っているとはいえないのだが、どうも強調の仕方に問題がある。冒険を成し遂げている力が少年たち自身の自発的なものではなく、超自然的な働き掛けによるもののように描かれているのはどういうことだろうか。

 わたしはヴェルヌの作品を20作以上は読んでいるという程度に、彼の熱心な読者なのであるが、それだけに空想科学小説の先駆者の作品に非科学的な色合いの強い脚色を施すというやり方には賛同できない。クレジットで見た限りでは、この作品のかなりの部分が中国人アニメーターの参加によって製作されているようで、その技術の確かさは評価しておきたいのだが、その技術をもってしてもヴェルヌの想像力の自由な羽ばたきが十分に伝えられなかったことを残念に思う。

宇治拾遺物語(7)

12月5日(木)晴れ

 NHKカルチャーラジオ「文学の時間」『むかしがたりの楽しみ 宇治拾遺物語を繙く』第10回「化かされた聖たち」を聴く。第9回「いかさま上人」が人々を枉惑(おうわく、誑惑、狂惑と書いて「おうわく」と読む場合もあるそうである)する僧の話であったが、今回は僧の方がさまざまな化け物に化かされた説話が取り上げられた。

 第10回について紹介する前に、12月3日付の当ブログ「日記抄」で第9回の内容について触れた部分が、こちらの理解不足のために誤解を招きやすいものになったと思うので、多少補足しておきたい。第9回で中心的に取り上げられた説話は『宇治拾遺物語』の第133話「空入水した僧の事」であるが、ここである僧が桂川に身投げをして往生をしようとするが、噂を聞いて大勢の人たちを集まってくる。僧はなかなか入水しようとしないが、それでもやっと川の中に入る。川の中で苦しそうにしているので舟に乗って近くにいた人が引き上げると、この恩は極楽でお返ししますなどといってにげ出す。集まった人々は怒って石を投げつける。ブログでは「実行できない」と書いたが、はじめから実行するつもりがなかったと考えないと「枉惑」にはならない。

 さて、今回中心になるのは『宇治拾遺物語』104話「猟師、仏を射る事」である。愛宕山で長い間修行を積んでいる僧がいて、その僧を尊んである猟師が食べ物などをもってきている。あるとき、僧が猟師に向かって長年経を読んできた功徳が実ってきたのか、毎晩、普賢菩薩が象に乗って現れるという。有難いことなので、猟師も拝むようにという。猟師が僧に従っている童に訊ねると、童も5,6度見たというので自分も見ることができるだろうと思って、僧とともに寝ずにいる。

 すると夜半過ぎに、白象に乗った普賢菩薩が現れる。僧は感涙を浮かべて伏し拝んでいるが、猟師は経も読めないような自分でも菩薩の姿が見えるのはおかしいと思って、試しに菩薩に向けて矢を射る。すると、菩薩の胸のあたりに矢が当たったようで、光が消えて何かが逃げていく様子である。僧は泣いて混乱しているが、猟師は事情を説明し、本当の仏であれば、矢が刺さることはないはずで、当たったからにはあれは怪しいものだという。夜が明けて、血の跡をたどっていくと、大きなタヌキの死骸が見つかった。

 『今昔物語集』の同文的説話と照らし合わせると、「天狗・野猪」は前世で犯した罪のために、このような下等なものに生まれ変わったものと考えられており、そのため彼らは情けない習性として、人を誑かさずにはいられず、結果としてあっけなく命を落としてしまうということだという。

 天狗やその乗り物と考えられていた鳶、あるいは狐狸は人々の前に幻覚を生じさせるのが得意である。これらの欺かれるのは知恵のなさが原因であると説話集は説いている。『今昔物語集』20巻12話は天狗に極楽往生させると欺かれて木の上に置き去りに去られた僧の説話を「かくの如きの魔縁と三宝の境界とは更に似ざりける事を、智(さと)り無きが故に知らずして、謀(たばか)らるるなりとなむ語り伝へたるとや」と結んでいるが、本当の来迎と偽物の来迎をそう簡単に見分けられるものではない(と、凡夫であるわたしも思う)。

 ところで、当時の人々の考えでは天狗は驕慢心、執着心の強い人々の生まれ変わりであり、名僧といわれていたような人でも天狗道に落ちる例が多いとされていた。ということは、天狗や狐狸に騙された人も、内心の自負心を見透かされていたからだとわかる(現代の詐欺とも通じる話である)。彼らに知恵や広い経験があれば、頑張っている人はもっと他にもたくさんいる、こういう奇跡はめったに起こらないのだと判断もできただろうが、狭い世界にこもって修行に励んでいたことが悲劇を生む結果になったのであるという。

 宗教には理屈を離れた無垢な信仰心も大切であるが、ただの習慣と化してしまう信仰のあり方、知識を軽んじる傾向の危うさも中世の人々(少なくとも一部の自覚的な人々)には気づかれていた。北条重時(泰時の弟)は、武士であっても、経についての講義を聴くような心がけがないと、知恵のない、見識の狭い人間になってしまうといい、明恵上人は仏法においても、文学を嗜む時のような心の使い方が重要だと言ったという。

 仏教者にとって、ひたすらな信心だけでなく「知恵」が必要なのだということが当時重大な問題であったことをこれらの説話は物語っているというのが講師である伊東玉美さんの結論である。実際に、戦乱の世であり、天災地変も少なくなかった中世は信仰心が強くなる時代であったかもしれないが、それだけに頼って生きるのは危険だったと思われる。それは僧侶だけでなく、普通の人々にとっても同じことだったのではないだろうか。危機の時代にこそ、バランスの取れた精神が必要だというのは、現代においても意味をもつ考えではないかと考えさせられる。

ウィルキー・コリンズ『月長石』(17)

12月4日(水)晴れたり曇ったり

 また間が空いてしまったが、ウィルキー・コリンズの『月長石』について書くことにする。インドから数奇な運命を経てイングランドにわたってきた「月長石」と呼ばれるダイアモンドは、ヴェリンダー家の令嬢レイチェルの誕生祝いとして贈られたその夜のうちに、姿を消した。宝石のゆくえと犯人をめぐって捜索が続けられたが、レイチェルの沈黙も手伝って事件の謎は解明されないままになっている。この間の経緯を語るヴェリンダー家の執事ベタレッジの回想が終わって、今は亡きヴェリンダー卿の姪であるクラックがその後の事件について語る手記が続く。

 レイチェルの誕生祝いは1848年6月21日の夜に行われ、22日に宝石がなくなっていることがわかった。その後、6月30日にロンドンでレイチェルの従兄で誕生祝いに出席していたゴドフリー・エーブルホワイトと、ロンドンの金貸しのルーカーの2人が、同一人物だと思われるインド人たちに、別の時間、別の場所で襲われるという事件があり、世間の話題となる。「月長石」の背後には、常に3人のインド人の影が付きまとっていたという経緯がある。

 7月3日に、ロンドンにあるヴェリンダー家のタウン・ハウスを訪問したクラックはヴェリンダー夫人から翌日の昼食に招待される。当日、ヴェリンダー家を訪問すると、夫人はレイチェルのことを心配している様子であるが、クラックはレイチェルと仲が悪いこともあり、気にとめない。「わたくしは、レイチェルを見るたびに、こんな下賤な顔つきの娘が、ジョン卿とヴェリンダー夫人ほどのすぐれた両親のあいだにできたかと、いつも不思議でなりません」(中村訳、330ページ)。これは、ベタレッジの「レイチェルさまは、みなさまがこれまでに見た誰よりも美しいお方であることを、私は保証する」(88ページ)、「レイチェルさまは人にお心のうちを打ち明けない、我の強いお方だが、けっして偽りの心は露ほども持っていらっしゃらない」(89ページ)という発言と大きく食い違うものである。昼食中、レイチェルは落ち着かない様子である。

 ヴェリンダー夫人はレイチェルに席を外させて、「月長石」をめぐる一部始終をクラックに語る。この問題は秘密にしておきたいというのが夫人の意向である。しかし、宝石の紛失は召使の誰もが知っており、内幕記事が新聞に出ただけでなく、ヨークシャーの事件とロンドンでの襲撃事件を結び付ける噂が飛び交っているという。

 ヴェリンダー夫人はこの事件がレイチェルに与えた影響について心配し、彼女を医師の手で治療してもらおうとする。これに対し、クラックはレイチェルの問題は牧師が取り組むべきだと内心で思っている。ヴェリンダー夫人は、レイチェルを落ち着かせるために従兄のゴドフリーを読んでいると語るが、クラックはレイチェルが罪深い秘密を持っているのではないかという推測を述べる(既にカッフが同じような推測に基づいて捜索をしてきた)。この会話の途中で、「折よく」、ゴドフリーの来訪が告げられる。

 クラックはゴドフリーの崇拝者なので、彼の行動のすべてを賛美する。彼は金曜日の事件について語り、特に何かを失うようなことはなかったし、自分は大丈夫であるという。そこへ、「レイチェルというわずらわしい俗悪の権化が部屋にはいってまいりました」(335ページ)。原文ではan element of worldly disturbance entered the room, in the person of Miss Verinder.(p.207)

 レイチェルはゴドフリーに対し、親しげで好奇心いっぱいの様子で話しかける。それに対してゴドフリーは嬉しそうに対応するが、その対応をクラックはいまいましげに記している。レイチェルはゴドフリーから襲撃事件について詳しく聞こうとする。しかし、ゴドフリーはなぜこんなことになったかわからないと答えるのみである。ルーカーとは全く面識はなかったという。

 世の中の噂が襲撃事件と「月長石」の紛失を結び付けようとしていることをゴドフリーも否定しない。ルーカーが奪われた預かり証に記された宝石は「月長石」ではないかといいかけて、レイチェルは気を失いかける。クラックはレイチェルがゴドフリーの気をひくために気絶するふりをしたのではないかと思う(思うが、文章の中ではそれを懸命に否定する―あるいは否定しているふりをする)。

 ゴドフリーは、宝石は「月長石」であったかと今度ははっきりと質問されて、顔色を変える。噂についてルーカーが否定しているのだから、それを信じるよりほかに道はないはずだと怒気を含んだ語調で述べる。レイチェルは、ゴドフリーがなぜルーカーの肩をもっているのかをさらに質問する。たしかに、まったく知らない仲であるという発言とあわせると、彼の発言をこれほど無条件に信じてしまうのは異様に思われる。レイチェルの熱心さをクラックは不快に思う。ヴェリンダー夫人もレイチェルの好奇心を抑えようとするが、彼女はいうことをきかない。

 読み進むにつれてわかることであるが、登場人物がそれぞれ本心を隠して発言し、したがってその真意はすれ違っている。目の前で起きたことについての証言者であるクラックが狂信的なキリスト教徒であることが読者の目にははっきりしているので、読者が慎重に事態を見極めようとする効果が生まれている。レイチェルに続いて、今度はゴドフリーに対する疑惑が生まれてきているが、さらに他の登場人物にも疑惑がかけられるかもしれない・・・。 

日記抄(11月27日~12月3日)

12月3日(火)晴れ

 ブログを更新しないまま、日をまたいでしまった。11月27日(水)~12月3日(火)にかけてであった出来事、考えたことなどを手短に記していきたい。

11月27日(水)
 水曜日というと、この番組の話題ばかり取り上げていると思われるかもしれないが、1週間の中で楽しみにしているTV番組が他を見渡してもあまりないので、やはりこの番組を取り上げる:テレビ朝日の「マツコ&有吉の怒り新党」で流行語大賞の話題が出てきた。その流れで、夏目三久さんが「ジェジェジェ」、有吉が「倍返し」、マツコ・デラックスが「お・も・て・な・し」を口にした。お持成しを「表なし」と取り違えるのはおっちょこちょいの極みかもしれないが、はたして、「表なし」がマツコの場合、何を意味するのであろうと気をもんでいた。この3人が「今でしょう」を口にしなかったのも、番組の性格を示すものではなかろうか。(それはそれでいいのである。)

11月28日(木)
 NHKカルチャーラジオ「文学の時間」『むかしがたりの楽しみ 宇治拾遺物語を繙く』「いかさま上人」では即身成仏をすると宣伝して、実行できない僧の説話が取り上げられていた。その当時の信仰からすれば即身成仏は有難いことかもしれないが、現代の人情から考えるとまだ生きていられるのに自殺を強いられるのは困ったことである。実は、当時にあっても死にたくないという気持ちは強かったのかもしれない。説話の筆者は事実を出来るだけ忠実に記して、判断を読者に委ねている――そこに説話の特徴があると考えてよいのではなかろうか。

11月29日(金)
 NHKラジオ「まいにちフランス語」の時間で、パリ・コミューンの末期に放火されたパリ市庁舎の焼け跡を訪れたエドモン・ド・ゴンクール(兄)の日記が取り上げられた。放送の息抜きの時間のコーナーで有名なシャンソン「さくらんぼの実る頃」のメロディーが流された。この曲の詞は19世紀後半の指導的な社会主義者であったジャン=バティスト・クレマンが書いたのだが、そのことについては触れられなかった。11月30日の当ブログでも触れたが、1980年代に放送された林田遼右さんのまいにちフランス語の時間では、クレマンと彼のパリ・コミューンとのかかわり、そして「さくらんぼの実る頃」について詳しく取り上げられたことを思い出す。
 わたしが好きな歌3つ:「さくらんぼの実る頃」、「アイルランドの瞳が輝くとき」、「愛のロマンス(禁じられた遊び)」。

12月2日(月)
 蔵書の整理をしていて、高橋哲雄『ミステリーの社会学』(中公新書、1989)を発見する。著者は経済学者である。ミステリーを近代的「気晴らし」の手段ととらえ、そのスポーツの類似性に着目しているのは、鋭い洞察だと思う。

12月3日(火)
 109シネマズMM横浜で『風俗行ったら人生変わったwww』を観る。観客数きわめて少なし。脇役で出ている松坂桃李がカッコイイという女性観客の声あり。このような観客層と、物語の展開を考えると、題名が悪すぎる。その後、渋谷に出て、イメージフォーラムでポーランド映画祭2013の一環で上映された『沈黙の声』を観た。こちらは上映時間ぎりぎりで入場したこともあり、空席を探すのに苦労した。ポーランド映画の「幻の傑作」だそうだが、映画が前提としている<戦後>体験を共有できない人間には分かりにくい作品ではないかと思う。
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