2013年の2013を目指して(11)

11月30日(土)

 11月の30日間を通じて日記を書き続けた。1月からの通算は334日分である。今月書いたブログは今、書いているものを含めて32件で、読書が13件、日記が5件、推理小説が4件、詩が2件、外国語が2件、歴史・地理が1件、未分類が1件、映画が4件という内訳である。1月からの通算は341件である。155の拍手を頂いた。1月からの通算は452となる。

 受け取った郵便は10通で、喪中欠礼が6通、喪中欠礼の返信、会葬お礼、転居通知、展覧会の案内が各1通である。 

 買った本は14冊、読んだ本は10冊で、内訳は:タブッキ『夢のなかの夢』、野中惠子『ゲセル王物語』、下川裕治『週末台湾でちょっと一息』、山田篤美『真珠の世界史』、小泉武夫『缶詰に愛をこめて』、岡谷公二『神社の起源と古代朝鮮』、阿刀田高『知的創造の作法』、ファブリツィオ・グラッセッリ『イタリアワイン㊙ファイル 日本人の飲むべき100本』、黒田龍之助『ポケットに外国語を』、島田裕巳『なぜ八幡神社が日本では一番多いのか』。1月からの通算では111冊の本を読んでいる。

 『坊っちゃん』、『そして父になる』、『マラヴィータ』の3本の映画を観た。1月からの通算は67本となる。

 第92回全国高校サッカー選手権神奈川県予選の準決勝2試合、決勝、J2第42節の横浜FC対水戸ホーリーホックの4試合を観戦した。1月からの通算は13試合である。今月はミニトトを1回もあてることができなかった。1月からの通算では9回あてている。

 フランス語の時間、イタリア語の時間を17回ずつ聴いている。1月からの通算はフランス語が216回、イタリア語が213回である。またカルチャーラジオを4回聴いた、これまでの放送と合わせて25回となる。

 A4のノート1冊、A5のノート2冊を使い切った。万年筆のカートリッジはウォーターマン、パイロットの黒をそれぞれ2本ずつ使い切った。

 酒を飲まなかったのが12日で、1月からの通算は171日ということになる。1年の半分以上の日に禁酒という目標は達成できそうである。11月の酒量は紹興酒9合、老酒コップ23杯、日本酒枡酒8杯、生ビール1杯、スタウトジョッキ2杯、シュタインヘーガー1杯、その他というところ。飲まない日が増えている一方で、飲む日の酒量は増えているようでもある。サンマー麺3人前、富士宮焼きそば2人前、チャーシューメン1人目、餃子4人前を食べている。
 
 11月は急に寒くなったこともあってか、不活発であまり記録を伸ばせなかった。本屋、映画館、サッカーのスタジアム、飲食店、新しい店を開拓することは全くなかった。それでもあと1カ月、何とか頑張っていろいろな数を集めて2013年の2013にこぎつけたいと思っている。
 
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黒田龍之助『ポケットに外国語を』(2)

11月30日(土)晴れ

 昨日に続いて、黒田龍之助『ポケットに外国語を』について。外国語と外国語学習についてさまざまな切り口から語るエッセー集。昨日取り上げた第1章は黒田さんの外国語との付き合いについて、第2章は外国語教育が当面する問題と学習へのヒントなどが記されていた。本日は第3章から最終第5章までを紹介する。

 第3章「言語学どうでしょう」では、言語と言語政策の問題、言語学の意義が語られている。第1章で黒田さんはできるだけ多くの言葉を勉強したいと書いている。勉強したいということは「できる」とは別のことである。「できる」と言ってもいろいろなレヴェルがある。コマの並べ方、動かし方がわかれば、「将棋ができる」ということはできる。逆に将棋の名人はたぶん、自分は将棋ができるとは言わないだろう。謙遜ではなく理想が高いのである。外国語を勉強しているからと言って、どの程度できるかはさまざまである。それでも勉強を通じて、いろいろな知識は多少バラバラではあっても身についている。しかし、その知識を寄せ集めても、言語について理解したとはいえない。言語学はさまざまな知識をまとめて体系化し、理解を深めていくための理論となるものである。

 世界には多くの言語があり、一つの国のなかでも多様な言語が話されていることが多い。ではどういう言語を選択し、教育していくか。現在の日本では英語が優先されているが、英語教育の実態を踏まえない奇妙な英語教育改革論が横行している。自分が英語は得意だといえないような人が、次世代には英語が使いこなせるようになることを期待して、英語を英語で教えるべきだと言ったりしている。外国語の教育では、その楽しさを伝えることが大事だが、このことについて文部科学省は何もできないことを肝に銘じるべきである。TOEFLを国公立大学の卒業要件にする(何点以上を合格とするのだ?)という提案がなされたというが、そういっているご本人は何点くらいとったのだろうか。

 これらの議論の延長で第4章「わたしが大学教師を辞めたワケ」が語られる。外国語を勉強するのは苦労もあるが楽しいといえる。しかしそれを教師として上から教えるとなると余計な苦労をしなければならない。大衆化した大学が競争と成果主義にどっぷりとつかっている中で、外国語の授業の困難は大きく、教師の自由な相違が生かされる余地は少ない。黒田さんは科目の縦割りの枠にとらわれず、いろいろな言語を教えてみた意図考えているようであるが、それは既存の大学のなかでは無理である。対等な立場で言語についておしゃべりするような気持ちで本を書く方がよい。

 第5章「ことばへの異常な愛情」は黒田さんの半世紀である。小学校6年生のときに英語をラジオ講座ではじめ、中学校3年のときからロシア語の講座を聴きはじめた。「外国語学習について、英語とロシア語の次に勉強したのはフランス語だった。高校生の頃、林田遼右先生のラジオ・フランス語講座がカッコよくて、非常に憧れた。フランス語以上に、先生に憧れていたのである」(267ページ)。実は私も聴いていて、林田さんの番組は好きだった。もっともその割にフランス語は上達していない。その後、ドイツ語、セルビア語、チェコ語、ポーランド語、ウクライナ語、ベラルーシ語を勉強したという。本人は不ぞろいだというが、それなりの系統性が感じられる。

 その後は教える立場を兼ねて外国語と付き合うことになった。国立大学の理工学部で教えたので新しい経験をすることになる。「理系の学生たちは何というか、とにかく違う。教師が『ねえねええわかるでしょ』といえば、文系の学生なら『うん分かります』といってくれる。ところが理系では『いいえ、わかりません。もう一度はじめからお願いします!』となる。文系的な甘えは許されない」(270ページ)。学生との交流はそれなりに順調ではあったが、ロシア語だけを教えることに限界を感じはじめ、言語学を教えるようになったが、ある私立大学の理工学部で英語を教えないかという誘いがあり、それに乗って職場を変える。さらにその大学の理工学部だけでなく、文学部にも出向して教えることになる。

 ロシア語が専門なのだが、その他の言語にも興味がある。それで多の言語の専門家との交流が増えてきた。NHKの語学講座の講師仲間との交流もある。その中には明治大学の清岡智比古さんの名前もある。清岡さんの『エキゾチック・パリ案内』について昨年の12月14日付の当ブログで紹介したところ、ご本人から丁寧なコメントを頂いた。こちらからもご挨拶申し上げるべきところ、怠ってしまったことを反省しているところである。

 閑話休題、外国語は簡単ではない。容易に習得できるものではないのに、各種の試験で高得点をあげるというような成果が求められる。大学は資格取得機関化している。「語学は時間がかかるから、プロセスが大切である。習得の過程を省略してはいけない。何かを飛び越えて早く進むことはできない。単語を暗記したり、練習問題を解いたりとか、そういうことをするほかにも、本を読んだり、映画を観たり、現地へ出かけたりして、成長していくことを目指さなければ嘘だ」(283-4ページ)。

 ということは、この書物もまた多言語への旅の過程の所産ということであろう。黒田さんとは違う種類の言語に興味があるし、言語についての情熱も努力も釣鐘と提灯くらいの違いがあるが、一読者として自分なりに語学と付き合っていこうと自分の周囲を見回したところである。

黒田龍之助『ポケットに外国語を』

11月29日(金)晴れ、寒さが一段と厳しくなってきた。

 黒田龍之助『ポケットに外国語を』(ちくま文庫)を読み終える。黒田さんは専攻言語にとらわれないという意味での「フリーランス」語学教師として、執筆と講演を中心に活動されてきて、多くの著書があり、そのまた多くをこれまで読んできた。この『ポケットに外国語を』は2007年7月に講談社から刊行されたエッセー集『ポケットいっぱいの外国語』を増補改題したものであるという。『ポケットいっぱいの外国語』も読んだはずなのだが、わたしの記憶が弱ってきたのか、書き改めた部分が多いのか、新鮮な気分で読むことができたのは予想外の幸運であった。

 外国語というが、特に日本の学校教育の現場では英語の一人勝ち状態が続いており、それはある程度やむを得ないことではあるが、世界には数千の(誰にもその正確な数は分からない)言語がある中でその中の僅かの言語しか知ろうとしないのはもったいないことである。ここに収められているのはその中のできるだけ多くに好奇心を燃やしながら立ち向かおうとしているだけでなく、そのチャレンジ精神を他人のも伝えようという意図に基づくさまざまなエッセーである。
 「わたしが付き合った外国語は、果たして多いのか少ないのか。よくは分からないのだが、ポケットの中の外国語はこれからも増やしていきたい。
 だって、外国語はいっぱいあるほうが、断然いいからである」(97ページ)。

 黒田さんの友人でポルトガル語を専門とする(フェルナンド・ペソアの詩を知ってこの言語にますますのめりこんだというのが共感を呼ぶ)管啓次郎さんの言葉によると「道は長い、外国語はそもそも絶望的にわからない、進歩は遅い。でも生きてる限り学びつづけることはできるし、自分の進度は誰に聞く必要もごまかす必要もなく、自分で判断できる。しかも、それがつねに生きた人々との回路になってくれる」(218ページ)。

 第1章「鏡の国の外国語」は黒田さんが主として勉強し、教えてきたロシア語を中心に、リトアニア語、ウクライナ語、スウェーデン語、フランス語、ベラルーシ語、タジク語などに取り組んだ経験が語られる。言語と文化の結びつきがさまざまな具体例を通して語られている。須賀敦子『ミラノ霧の風景』が、イタリアについての先入観を打ち破ってくれたという個所を読んで、須賀の著書をあらためて読み直したくなった。また英語が「国際共通語」であるが故に地域文化抜きで教えられようとすることの得失を論じた部分が特に興味深い。大学の先生には学生の学力低下を話題にしたがる人が多いという話から始まって、学生の間違いにもいろいろあるという意見には耳を傾けるべきものがある。

 第2章「レトロな語学も悪くない」は外国語教育が抱えるさまざまな問題を論じたエッセーを集めている。学校(大学を含む)での外国語教育に過大な期待をかけるべきではない、授業に出席するだけでなく、自分でも努力を重ねてほしいという意見は正当なものである。伝統的な外国語の教え方は批判されがちだが、その長所を見出し、維持していくことも必要であるともいう。外国語学習者の経験をつづった書物から長澤信子『台所から北京が見える』を取り上げ、その著者との交流について書いた文章が特に印象に残る。辞書の選び方についての助言も役に立つはずである。

 文庫版で300ページほどのそれほどかさばらない書物であるが、この本を読んで著者の意見をそのまま伝えたいこと、自分なりの意見を書き添えたいことはまだ色々あるので、第3章~第5章については明日書き記すことにしたいと思う。(つづく)

シャレード

11月28日(木)曇り後晴れ

 昨日の当ブログでも書いたが、11月25日(月)、NHKBSプレミアムでスタンリー・ド―ネン監督、オードリー・へプバーン主演の『シャレード』(Charade, 1963)を見た。途中で放送画面が乱れたりしたが、久しぶりに見て、この映画についての記憶を修正するのには十分であった。

 20代の前半に一度だけアルバイトで一緒に仕事をした青年が、自分にとってのベスト・ワンの映画は『シャレード』だといっていたのをなぜか今だに記憶している。そういう映画の見方もあるのだと教えられたのである。『映画評論』的な見方ではなく、『スクリーン』的な見方とでもいおうか。そんなことを思い出しながら、今回は、映画について論評するよりも、映画に関連した余談を並べてみようと思う。

 ヒロインのレジーナはぜいたくな暮らしをしているが、なにひとつ本当の姿が見えない夫と離婚しようと思っている。決心を固めたスキー場からパリの自宅に戻ると、家財道具はすべて持ち去られている。そこへ現れた司法警察の警部から夫は列車から突き落とされて殺されたと知らされる。スキー場であった男性であるピーターが力になろうと言っていくる一方で、夫の葬儀には3人の怪しげな男が姿を見せる。アメリカ大使館から呼び出されたレジーナは死んだ夫が第二次世界大戦中に情報活動に携わり、その過程で4人の仲間と25万ドルの金塊を横領し、戦争中のどさくさで独り占めして逃げていたのだと知る。葬儀の席に現れた3人の男はその時の仲間であったのである。25万ドルはどこに隠されているのか、レジーナは謎と恐怖の中を切り抜けなければならない。頼りになるはずのピーターは名前や境遇を二転三転させるし、3人の男たちとも連絡を持っているようでもある。25万ドルの謎とレジーナとピーターのロマンスはどのような展開を遂げるのか。

 「シャレード」はジェスチャーによってあることばを思い出させるゲームである。登場人物の何人かは自分の正体を隠しながらレジーナに接している。そのことが彼女の不安を増幅させているのであるが、映画にゲーム性を与えてもいる。なお、レジーナはラテン語で「女王」を意味する。

 この映画を魅力的にしているのはジヴァンシ―がデザインしたオードリー・へプバーンの衣装と、その衣装を身につけた彼女が動き回るパリの市街地の描写であり、それに配役の妙が加わる。どちらかというと年齢が離れた男優を相手にすることが多いオードリーにとってケーリー・グラントはもっともふさわしい共演者であるし、ウォルター・マッソー、ジェームズ・コバーン、ジョージ・ケネディ、ネッド・グラスと一癖も二癖もある男優陣が脇を固めていることも見逃せない。さらにヘンリー・マンシー二の音楽も効果的である。

 ところで、この作品のあとにオードリーは『マイ・フェア・レディ』(1964)に出演しているが、その際の共演者であったレックス・ハリソンが主演した『三人の女性への招待状』(The Honey Pot, 1967)という映画があり、この中でハリソンが演じているフォックスが執事に雇ったマクフリーに、自分はこれから過去に付き合っていた3人の女性を招待するが、これは一種の「シャラード」であるという。最近では「シャレード」という発音が一般的になったが、昔は「シャラード」とフランス語のままに呼ぶ方が一般的だったのである。ヴェネツィアが舞台になっており、エリザベス時代の英国の劇作家ベン・ジョンソンの戯曲『ヴォルポーネ』が下敷きになっている。3人の女性を演じているのがスーザン・ヘイワード、キャプシーヌ、エディ・アダムズ。執事をクリフ・ロバートソンが演じ、スーザン・ヘイワードの秘書をマギー・スミスが演じていた。この後、『まごころを君に(アルジャーノンに花束を)』でオスカーをとることになるクリフ・ロバートソン、『ミス・ブロディの青春』でこれもオスカーをとるマギー・スミスという2人の上り坂の俳優の演技が印象に残った(アカデミー主演賞をとった=とることになる俳優が4人出演している映画はあまりないのではないか)。また、モデル上がりのキャプシーヌはオードリーの親友の一人であった。

 もう一つ『シャレード』という映画に絡んで思い出すのは、スタンリー・ド―ネンがこの後『アラベスク』(1966)をいう映画を作っており、こちらもロマンスがらみのスパイ映画でグレゴリー・ペックとソフィア・ローレンが主演していた。1960年代にエリザベス・テイラー、オードリー・へプバーン、ソフィア・ローレンが100万ドル女優として競い合っていた。この3人が共演していたかもしれない映画があったという話を最後に書いておこう。

 オードリー・へプバーンは『ローマの休日』(1953)で脚光を浴びる前に英国で何本かの映画に出演しているが、その中にイーリング・コメディの傑作に数えられる『ラヴェンダー・ヒル・モッブ』という作品がある。この作品に主演していたアレック・ギネスはオードリーの可能性に着目し、当時企画中だった『クォ・ヴァディス』のリジア役に彼女を推薦したのだが、実現せず、結局この役はデボラ・カーが演じることになった。デボラ・カーは美人で演技の幅も広かったが、リジア役にはそれほど演技力は要求されないと思うし、年齢的にいっても、持ち味からいってもデボラ・カーよりもオードリーの方が適役ではなかったか。なお主人公のマーカス・ヴィシニウスはロバート・テイラーが演じたが、もともとグレゴリー・ペックが予定されていたという。『ローマの休日』の2年前にペックとオードリーが共演していたかもしれないというのも仮定法過去完了の問題として面白い。さらに、出来上がった『クォ・ヴァディス』では女奴隷の役でエリザベス・テイラーがカメオ出演し、これも女奴隷の役でソフィア・ローレンがエキストラとして姿を見せていたそうである。もし、デボラ・カーではなくオードリーがリジアを演じていれば、映画の歴史が変わっていたかもしれない・・・と思う。

日記抄(11月20日~27日)

11月27日(水)晴れ

 11月20日(水)から27日(水)までに出会ったこと、考えたこと:

11月20日(水)
 夜、例によってテレビ朝日の「マツコ&有吉の怒り新党!」を見ていた。自分のことを名字で呼ぶ女性が許せないという意見が出てきたが、これは一種の流行であって、いいとか悪いとかすぐに決められる問題ではないように思われる。

11月22日(金)
 モーリス・ルブラン『フランス語で読むアルセーヌ・ルパン 対訳 ルパンの逮捕・遅すぎたホームズ』(NHK出版)を購入する。この本を読んでフランス語を勉強するつもりなのである。大岡昇平がなぜフランス文学を専攻すると決めたかというと、ホームズよりもルパンの方が面白かったからだと言っていたと記憶するが、私にはホームズの方が面白かった。 

11月24日(日)
 ニッパツ三ツ沢球技場でJ2第42(最終)節の横浜FC対水戸ホーリーホックの対戦を観戦する。実のところ横浜FCの試合に足を運ぶのは久しぶりのことである。横浜が前半に武岡選手、内田選手、後半に高地選手、大久保選手のゴールで4得点を挙げて快勝。こういう試合ばかりならば、もっと足を運ぶ機会が多かったのにと思う。さらに言えば、もう少し懐が豊かならば富士宮焼きそばに加えて寒川の棒コロッケなどのB級グルメを心行くまで楽しむところであるが・・・。(どうもけちな話である。)

 試合が終わってから、バスで横浜駅に向かい、みなとみらい線で新高島に出て、109シネマズMM横浜で映画を見る。2013年の2013を達成するための強行軍である(などというほどのことでもないか)。

11月25日(月)
 NHKBSプレミアムでスタンリー・ド―ネン監督、オードリー・へプバーン主演の『シャレード』を見る(この作品については明日のこのブログで取り上げるつもりである)。既に何度か見ているが、記憶が不正確になっている部分を補うことができたのが収穫。最後の方のパレ・ロワイヤルの場面で受信状態が悪くなって完全に見ることができなかったのは残念。

11月26日(火)
 109シネマズMM横浜で映画『マラヴィータ』を見た。この映画の事は昨日の当ブログで書いたが、北フランスが舞台であるのに、映画のなかでの会話がほとんど英語で進められているのが奇妙である。

 その後、いきつけの中国料理店に出かけると、店主が客席で居眠りをしていた。どうもはやらない店であるが、店内の神棚に線香をあげて祈っているところとか、中国庶民の日常がわかるような気がするので、足が向いてしまう。 

マラヴィータ

11月26日(火)晴れ

 109シネマズMM横浜シアター6で『マラヴィータ』を見る。malavitaはイタリア語で「悪の世界」、「裏世界」、「犯罪者仲間」というような意味。主人公が飼っている黒犬の名前でもある。

 北フランスのノルマンディー地方に引っ越してきたブレーク一家。アメリカ人だと自称している。父親のフレッドはもとはと言えばマフィアの大物で、現在はFBIの証人保護プログラムの下に置かれている。祖父、父親と続けてマフィアに属してきて、それが生業となっていたのが、組織を裏切ってしまったためにその命を狙われているのである。北フランスの前はパリ、その前は南フランスというように各地を転々としている。その先々で事件を起こしてきた。

 フレッドだけでなく、その妻も気に入らないスーパーを次々と爆破してきたし、娘と息子も転校先の学校で生徒間や教師との間で事件を引き起こしている。彼らの住まいの近くでその安全を見守っているFBIの職員も気が気ではないのである。

 それでもどうやら新しい土地になじみかけてきたと思ったところ、奇妙な偶然が重なって、アメリカの刑務所で服役中のマフィアのボスに一家の居場所が分かり、殺し屋の一団が送り込まれる。それぞれが自分自身の問題を抱えたブレイク一家はまったくバラバラになりかけている。はたして、一家のいとり一人の運命はどういうことになるのか・・・?

 マーティン・スコセッシが製作総指揮、リュック・ベッソンが監督、ロバート・デ・ニーロが主人公フレッドを演じる。作家と身分を偽った主人公が引っ張り出された行事で上映される映画がスコセッシとデ・ニーロが組んで製作した『グッドフェローズ』という楽屋落ちの場面もある。いわばタイトル・ロールである黒犬がどのように活躍するかも一つの見どころである。

 イタリア系のアメリカ人が主人公である物語で、フランスが舞台になっているのも奇妙ではあるが、主人公ばかりか、その妻子も暴力をふるうことになる展開には抵抗を感じてしまう。その一方で、悪もここまで徹底してくるとかえって痛快に感じられさえするのが不思議ではある。娯楽作品として楽しめるのだが、手放しでほめる訳にもいかないだろう。 

アガサ・クリスティー『予告殺人』

11月25日(月)曇り後雨、夜になって風雨が強くなる。

 『予告殺人』(A Murder Is Announced, 1950)はクリスティーのマープルもののなかでも傑作といわれる作品である。

 イングランドのどこにでもあるような小さな村、チッピング・クレグホーンの人々が毎週読んでいる地域新聞『ギャゼット』に「殺人お知らせ申し上げます。10月29日金曜日。午後6時30分より、リトル・パドックスにて、お知り合いの方のお越しをお待ちします。右ご通知まで」(田村隆一訳、ハヤカワ・ミステリ文庫版、13ページ)という広告が載る。

 事件の現場として予告された家であるリトル・パドックスに住む人々は驚く。悪いいたずらであろうか。予告に興味をもった何人かの村の人々はリトル・パドックスを訪問する。人々の前で予告した時間に、本当に事件が起きる。

 不意に部屋中の電灯が消え、混乱のなか、激しい音がしてドアが開いた。懐中電灯の強い光が部屋を一回り照らして、素早く動いた。男のしゃがれた音声が一座の人々に命令した。
「手をあげろ!」
人々の予期を裏切って、ピストルの発射音が2発続いた。それは「ひとびとの喜びを一挙に粉砕してしまった。不意に遊びが遊びでなくなったのだ」(48ページ)。ところが戸口の人影は急に向きを変え、第3弾を撃つと、体をよじらせて倒れる。

 死体になった男は、近くのメデナム・ウェルズのホテルで働いているるディー・シャーつという男であることがわかる。彼はスイスのホテルの経営者の息子で、英国にホテル経営の修行に来ていると言っていた。それだけでなく、リトル・パドックスの人々を知っていると言い、金を借りにきたことがあるという。被害者についても、彼が倒れた状況についても謎が残る。そもそもなぜ「予告殺人」などという手の込んだ企てが実行されたのか。

 地元の警察からの報告を耳にしたスコットランド・ヤードの元警視総監ヘンリー・クリザリング卿は、この事件の性質がかねてからの知り合いでその推理能力に敬意を払っていたミス・マープルの存在を思い出す。彼女はこの事件の謎をどのように解いていくのか。

 戦後間もないイングランドの状態と事件の渦中にある人物たちの性格とそれぞれの事情が巧みに描き出され、読者を飽きさせない。それだけでなく作者は読者にさまざまな情報を与え、登場人物たちに先立って事件の真相をつかんだような気分にさせていく。しかし読者よりも作者の方がおそらくは何枚も上手である。

 とはいうものの、読者が解くべき謎もある。クリスティーはマープルの方がポアロよりも好きだと書き残しているが、彼女の作品のなかではマープルの登場がポアロに比べて遅く、その大活躍の時期はさらに遅いことの意味は、作者ではなく読者が解くべき謎であろう。

 付記:わたしは古い文庫本で読んでいるが、早川書房のクリスティ文庫でも同じ田村訳を使っているはずで、ページ数に大した違いはないと思う。

そして父になる

11月24日(日)晴れ

 109シネマズ横浜MMシアター11で是枝裕和監督の『そして父になる』を見る。封切りからだいぶ経ってやっと見ることができた。好みのタイプの映画ではないが、一見の価値はあると思っていたのである。

 病院での赤ん坊の取り違えが6年後に発覚したために起きる2組の家族の混乱を、その一方の父親の気持ちの動揺と変化を中心に描く。赤ん坊の取り違えという衝撃的な出来事を題材としているが、子育てにおいては血縁が重要か、日常的な接触の方が重要かという問題、また家庭における父親の役割というより普遍的な問題が取り上げられている。

 野々宮良多は建設会社でプロジェクトを中心になって推進しているエリート社員で、一人息子の慶多を私立小学校に入学させようとして、塾で準備させようとしたりしている。ところが妻の実家近くの病院から、6年前に子どもの出産の際に取り違えがあったらしいという連絡を受ける。自分たちの本当の子どもを育てていたのは地方の電器店主の一家である。こちらは琉晴と名づけた子どもを長男に妹と弟がいる。2組の家族は病院の対応に腹を立てながらも、取り違えの事実に向き合っていこうとする。仕事にかまけて子どものことの多くを妻に任せている良多とは対照的に、もう1人の父親である斎木雄太は遊び好きで子煩悩である。生活はあまり楽ではないらしく、病院に対して賠償を求めることを考えているが、実際にどう手続きを進めるかについて詳しいことを知らず、良多が自分の知り合いの弁護士に依頼することになる。

 病院の勧める計画に従ってはじめは子どもを相手の家に泊らせ、次第に新しい環境になじませて本来の親元に戻そうとするのだが、双方の家族の子育ては対照的である。良多は子どもに独立心を育てようと考えて、一人部屋で寝かせているし、雄太は子どもたちと一緒に遊んだり、風呂にはいったりで、寝る時も一家で雑魚寝をしている。良多が子どもに多くの要求をしているのに対して、雄太は子どものおもちゃを直したりして、子どもたちの要求に応じることが多い。父親たちが対立することが多く、妻たち、特に良多の妻のみどりが間に入ってとりなすことが少なくない。

 子どもたちを交換する計画とともに、病院の責任の追求が進む中で、良多の家族が幸せそうに思えたのでそれをねたんで当時病院に勤務していた看護師が意図的に赤ん坊を取り換えていたということがわかる。看護師は自分が再婚したばかりで不安を抱えていたが、今は落ち着きを取り戻して幸福に暮らしているので真相を打ち明ける気持ちになったという。

 子どもたちはそれまでの6年間の家庭生活から違う環境におかれることでストレスを感じるし、親たちも戸惑う。その中で良多自身の複雑な家庭環境や生い立ちが明らかになる。彼が競争に勝つことに執念を燃やしている(そのため、慶多には不満を感じていた)理由もわかってくる。勝ってばかりいる人にはそうでない人の気持ちはわからないと雄太はいう。それも一面の真実である。しかし、勝ち続けようとする心理にも何か理由はある。時代は変わるから、子育ても変わる。自分が育てられたように、子どもを育てる訳にはいかない。とはいっても、共通する部分もあるはずである。

 子どもに自分の要求を押し付けてばかりいる良多よりも、子どもたちの要求を受け入れることを生きがいにしているような雄太の方がよい父親に見えるかもしれないが、良多の計画性や厳しさも子どもにとって必要な場合がある。子育ては常に試行錯誤であり、正解を求めすぎてはいけないのかもしれない。

 この映画がハリウッドでリメイクされるという話を聞いたが、それぞれの家庭とその環境がどのように設定されるか、日本とアメリカの家庭の問題を考える上で興味深い。登場人物だけでなく、観客もイライラするところがある物語の進行のなかで、良多が慶多にピアノを習わせているという設定からか、平易な練習曲が多用される音楽が効果をあげている。それでも何とか人間の善意と変化の可能性を信じようという物語の展開にほっとする人も少なくないはずである。 

ファブリツィオ・グラッセッリ『イタリアワイン㊙ファイル』

11月23日(土)晴れ

 ファブリツィオ・グラッセッリ『イタリアワイン㊙ファイル 日本人が飲むべき100本』(文春新書)を読み終える。副題を見ていると、イタリアワイン100本を選んでその理由を書いたワインのガイドのように思われるが、1955年生まれで1990年代に来日し、本業の建築に加えてイタリア語とイタリア文化の紹介に活躍してきた著者によるイタリアのワイン文化の紹介書として読まれるべきであろうと思う。

 ワインはさまざまなアルコール飲料のなかで特別な飲み物であり、イタリアはそのワインにとって特別の国であると著者は断言している。その主張を展開しているのが「プロローグ ワインとは『愛』であり『友情』である」である。ワインは古代ギリシャと古代ローマ文明が交わるところから生み出された、偉大な文化の賜物である。ワインは古代ローマ文明が今日に残した多くの遺産のなかでも重要なもののひとつである。古代ローマ帝国においてワインは日常的な飲み物となった。そしてその時代から今日に至るまで、中断されることなくワインをつくり続けてきたのはイタリアの地だけである。イタリアでは南北を問わず、各地にさまざまな品種のブドウが自生し、また栽培され、多様なワインが造られてきている。そのようなワインを理解し、楽しんで飲むためには、イタリアのワインをめぐる文化と伝統についての知識と理解が必要であると著者は書き起こす。

 第1章「かつてワインは「親父の味」だった」では、50年ほど以前までのイタリアにおけるワイン造りとその消費について回想されている。その頃ワインは造られた土地で造られてから1~2年のうちに飲まれるものであり、よその土地のワインを飲むというのはめったにないことであったという。多くの農家が自分のぶどう畑をもち、自分でワインを造っていた。ぶどうの収穫とワイン造りが農家のカレンダーのなかで重要な役割を演じていた(日本のコメ作りと似ているところがある)。

 自分たちでワインを造ることのできない人たちのためにはオステリアという一種の大衆酒場が開かれていた。伝統的なオステリアは男たちのたまり場であり、ワインを小売りする酒屋としての役割も持っていた。ところがテレビの出現をはじめとする生活様式の変化によってオステリアは形を変えてバールになったり、廃業したりしていった。また、オステリアとは別に地方自治体や、地区の住民たちによって自主的に運営・管理されているカ―サ・デル・ポポロあるいはチルコロと呼ばれる一種の厚生施設があった。ここでも人々がワインを飲んだり、政治的な討論をしたりしていたが、人々の社会的な改装意識や連帯感が薄くなるにつれて、次第に減少してきているという。

 第2章「イタリアの『ぶどうの貴族』たち」では第1章のような普通に飲まれているワインとは違う、特別な伝統をもつぶどうとワインが紹介されている。北イタリアではネッビオーロ種のブドウが栽培され、さまざまなワインが醸造されてきた。中北部ではサン・ジョヴェーゼ種のぶどうが栽培されている。19世紀の半ばにイタリア王国が誕生したときに、この品種から造られた赤ワインがキャンティと名づけられ、食文化の上で国民を統合する象徴的な存在としてその生産が奨励されてきた経緯がある。北イタリアの出身である著者はその洗練の過程を評価する一方で、フランスの貴族⇒ブルジョア階級の「好み」によって生まれ、その後英国に波及し、近年はアメリカの人々を対象にした「マーケティング」の結果できあがったワインの味に対する価値観がイタリアワインの個性を押し殺そうとしていることに批判的であり、トスカーナのワインがその本来の個性を取り戻そうとする動きを歓迎している。さらに南イタリアの古いワイン造りの伝統が復興しはじめていることについても好意的に触れている。「わたしたちは、古くから伝えられてきたワインの味やワイン造りの手法を見直し、今、それを守っていこうとしている、小さくても良心的な生産者を応援し、イタリアワインの世界における『伝統回帰』の傾向を支援したいものだ」(77ページ)といい、「有名な」ワインより「個性的な」ワインを飲むべきであると主張している。

 第3章「ワインと郷土料理は『兄弟』として生まれてきた」では、イタリアのワインと伝統料理がそれぞれの土地のなかで、「一緒に生まれてきた」ものであることが力説されている。歴史的にも地理的にも、イタリアの各地方は強い独自性をもっている一方で、古代ローマからの伝統を共有している。種類の違いはあってもオリーブオイルや、パン、ワインは共通のものである。イタリア各地の料理にはもともとメニューというものは存在せず、コースという概念もなかった。だから料理もワインも、もっと自由に常識にとらわれずに楽しんで良い。「大切なのは、いつも好奇心を持ち、常に研究と実地の体験を重ねていくこと」(98ページ)であると著者は助言する。

 第4章「ワインの『グローバル化』と巨大金融資本の暗躍」では現代のワインをめぐる基準が19世紀にフランスで進行したホテル、レストラン文化の発展に起源を持つものであると論じられる。この時代に近代的なフランス料理というものが確立し、それとセットになって近代フランスのブルジョアの好みに合った「近代的なワイン」というものが誕生した。そしてその後のフランスにおけるぶどう作りとワイン造りの技術革新が世界各地に普及し、「グローバル・スタンダード」となっていった。

 もともと多様な伝統を持っていたイタリアのワイン造りは1960年代から70年代にかけて、イタリアが(日本と同様に)高度経済成長期を過ごす中で、就業構造が大きく変化し、伝統的なワイン造りを続けてきた農家が姿を消し、大量生産されたワインが消費されるようになった。このような暗黒時代を過ぎて、1980年代に入りイタリアワインはルネサンスを迎えることになる。革新的な生産者たちが新しい努力と伝統への回帰を組み合わせて「グローバル化していないワイン」を造って、グローバルな市場に挑戦しようとしている。ワイン市場は巨大金融資本と結びついたワインの「多国籍産業」に強く影響されている。その中で真に個性的なワインを造ろうとしている小規模な業者の活躍が期待されるのである。

 第5章「イタリアワインの新しい波」では第4章で言及されたローカルで個性的なワイン造りの取り組みが紹介されている。伝統と革新をどのように組み合わせてワインを生み出すかが若い世代の課題となっている。最近は若い世代、特に女性の活躍が目立っている。女性のワイン愛好家が増えていることがこの傾向を後押ししている。

 第6章「日本人のイタリアワイン選びは間違いだらけ!」では業者の側の不勉強・無知と消費者の側の権威主義がこの間違いを生みだしていることを明らかにする。第7章「どこで買う? どう保存する? どうやって飲む?」と第8章「『イタリアワインの深い森』の歩き方」はイタリアワインを楽しんで飲むための日本の消費者への具体的な助言である。

 高価なワインや評論家によって高い評価を与えられたワインを選んで飲むのではなく、自分自身でさまざまな料理とワインを楽しみながら、その個性を見分けられるように努力すべきであると著者は主張する。「深い森」がダンテの『神曲』の冒頭部分を連想させるというように、イタリアワインの世界は文化の一部であり、他の部分と切り離されられない性格を持っている。著者は日本と日本酒の例を引き合いに出したりして、分かりやすく問題を明らかにしている。この書物を通じて得られる知識や理解がワインへの嗜好を豊かにすることは確かだが、なかなか著者の勧めるような経験ができないことも否定できないのは残念な(要するにつね日ごろワインを楽しむほど、懐が豊かではないという)ことである。 

宇治拾遺物語(6)

11月22日(金)晴れ

 NHKカルチャーラジオ「文学の時間」の2013年10月~12月放送分である『むかしがたりの楽しみ 宇治拾遺物語を繙く』(講師:伊東玉美白百合女子大学教授)第8回「観音にすがる女」を聴く。1回からずっと聴いていて、1~5回については単独で、6~7回については「日記抄」の一部として当ブログで紹介してきた。

 今回は『宇治拾遺物語』131話「清水寺の御帳 給はる女の事」を取り上げた。身寄りのない女が長年の勤め先を大した理由もなくやめたばかりに路頭に迷うことになってしまった。そこで清水寺に参籠して幸運を祈ることになる。当時は多少身分の高い女性であっても、運命の変転によってはどん底の生活に落ちる恐れがあり、努力するあてがある女性はなりふり構わずそうせずにはいられないし、出来ない人は命も落としかねないという厳しい弱肉強食の時代であった。

 観音の御前にうつ伏して女が眠った夜、観音さまからの伝言だと言って、「これほど一途に祈るので、気の毒には思っていおられるが、多少はあるべききっかけがおまえには全くないので、それを嘆いていらっしゃる。これを頂戴せよ」と間仕切り用の家具である御帳の布をきちんと畳んで前に置かれたという夢を見て目が覚めた。夢に見たとおり、布がたたまれて目の前にあった。これでは頼りないと不満でお返しすると布を寺の外陣から内陣に押し戻すと、また眠ってしまい、夢でせっかく頂いたものを返すとはけしからんといわれて、また御帳を下される夢を見た。女はまた泣く泣く御帳を返す。最後に「もう一度お返ししたら、もはやこれは熱心を取り越して無礼である」と叱られたので、やむなくまだ夜更けの時分にこの布を懐に入れ、観音様の御前から退出した。

 参籠したからと言って夢でお告げを受けることができるとは限らない。有難い夢を見ただけでも下方であるのに、この女はもらったものが不本意でここで引き下がれないほど追い込まれているのだと公賞を続ける。観音様への信頼は疑いようもないが、どうも無遠慮に過ぎる。

 それでも女は頂いた布をどうしようかと思い、考えるうちにそれを着ものにして着ようと思い立つ。ところがその着物を着てからは運が向いてきて裕福に暮らすことができた。他の説話も視野に入れて考えてみると、観音さまはどのような立場の人間であっても、信心の真さえ示せばそれに応えてくれると説話集の編じゃは考えていたように思われる。

 『宇治拾遺物語』には有名な「わらしべ長者」に相当する説話も収められていて、話の枠組みはこの清水の観音と押し問答をした女の説話と共通点をもっている。この男も長谷の観音に参籠して、何かわずかでもきっかけを与えるような夢を見るまではここから出ないと祈る。これを寺の僧が見て、男が死んでケガレが生じては困ると食べ物を与えて祈り続けさせているうちに、寺を出てすぐに手に入ったものを捨てずにもって色とのお告げを受ける。この男の場合は観音様の夢告にがっかりしながらも、何か計らってくれるのだろうと門でつまずいて倒れた時に手のなかに入っていたわらしべをもって歩き、幸運を招くことになる。こうしてみると、清水寺の女の必死の交渉ぶりの強引さが目立ってくる。

 『宇治拾遺物語』108話「越前敦賀の女、観音助け給ふ事」は典型的な観音霊験譚であるが、清水寺のンナがなぜここまで必死になったかの謎を解くカギを提供する説話である。もともと豊かな暮らしをしていた女が父母の死後、困窮していると、日頃信心している観音堂から夢に老僧がやってきて、翌日到着する男のいうようにせよという。翌日の夕方、大勢の旅人がやってきたが、その一行の主である三十過ぎの男が女に言い寄ってきた。彼は美濃国の野武士の一人息子で妻を失ったが、この女が亡き妻にそっくりなので、迎えたいというのである。男は翌日すぐに戻ってくると約束して、郎党や従者らの一部を残して、用事のある若狭国へ旅立っていく。女は残された郎党や従者をどうして世話しようかと困惑するが、両親の生前に家で働いていた女の娘だという女性がやってきてすべてを手配してくれる。約束通り帰って来た男が女を国へ連れていくというのに従って旅立つことになる。女は世話してくれた女性に紅の袴を与えるが、翌朝、旅立つ前に観音を拝もうとすると、その方に赤いものがかかっていて、それは紅の袴であった。

 わらしべ長者も敦賀の女も夢を通して与えられたのは予言であって現物支給ではなかった。この2つの説話と比べてみて、清水もうでの女が不満であったのは、彼女が将来についてのお告げを欲していたからだということがわかる。生活苦に悩んでいる人々が、神仏に期待しているのが、具体的なものではなく、将来についての漠然としたお告げであるという点が興味深い。さらにまた自分たちの祈りが神仏に通じ、神仏の眼が人々に注がれているということが有難い事実として人々に信じられていたと説かれている。

 生活苦のなかで将来についての不安を抱えて生きる人々は説話集の時代だけでなく、現代にも少なくないのだが、その中で確実な将来を予言されることと、何か現物の給付を受けることとどちらが有難く思われるだろうか。そう考えてみると、『宇治拾遺物語』の説話はわれわれの生き方を再点検させるような内容を含んでいるように思われる。

ウィルキー・コリンズ『月長石』(16)

11月21日(木)晴れ

 前回(11月13日)で「第1期 ダイヤモンドの紛失(1848年)」が終わった。この部分はそのすべてがヴェリンダー卿夫人の執事であるガブリエル・ベタレッジの手記から構成されていた。これから始まる「第2期 真相の発見(1848-49年)」は7人の人物による8つの語り(narratives)から構成されている。この部分の途中で犯人がわかッてしまうので、全部は紹介しないことにするつもりである。

 第2期の最初の語りはヴェリンダー卿夫人の故人になった夫であるジョン・ヴェリンダー卿の姪であるドルシーラ・クラックによるものである。彼女のいうところでは、執筆時点で結婚してフランスのブルターニュ地方に住んでいるとのことであるが、なぜかミスと呼ばれている。

 既に紹介してきたベタレッジの手記のなかでは、レイチェルの誕生祝いの席でゴドフリー・エーブルホワイトと隣り合わせて座っていた親せき筋の婦人(a member of family)で、ゴドフリーが関係する慈善事業の委員会の委員であり、「信仰心に厚く、鎖骨がひどく目立ち、シャンパンがお好きのようで」(中村訳113ページ、ペンギン版では76ページ)と書かれている。このときゴドフリーはレイチェルに求婚を拒絶されたためであろうか、雄弁家として知られるのに隣同士で霊的な会話に没頭するだけであり、フランクリンはなぜか場違いな雄弁をふるっていたのである。

 彼女はベタレッジの手記ではもう1か所、ヴェリンダー卿夫人とレイチェルがロンドンについたことを知らせるペネロープの手紙のなかでクラックがヴェリンダー卿夫人を訪問してこないが、例によってしがみついてくるだろうと書いている部分に登場している。以上のことから、彼女が上流に属する一族のなかで零落してもてあましものになった存在であり、狂信的なほどのキリスト教信者であり、ゴドフリーと慈善事業を通じてつながりをもっていることがわかる。

 クラックの語りは『月長石』一編のなかで最も面白く読めるものである。語りは独善的、主観的、正しいキリスト教徒である自分が周囲の迫害にあって冷遇されているという被害妄想に満ちている。ベタレッジが彼女を語る筆遣いは冷笑的ではあるがそれほど悪意をもっているようには思えないのに対し、彼女はベタレッジを「異教徒(heathen)」とののしっている。これは彼の娘のペネロープに冷たい対応をされていたのを恨んでのことらしい(自分自身で思っているほど、他人に対して愛の気持ちをもって寛容に接しているわけではないのである)。

 1848年7月3日(月)――本当に月曜日かどうかはわからないので、興味のある方はご自分で確かめてください――彼女はモンタギュー・スクエア(Montagu Square)にある叔母の家の前を偶然通りかかる(ペネロープの目から見ると、意図してやってきた)。伝統的に英国の地方地主はその本拠となる邸宅(カントリー・ハウス)の他に冬の社交シーズンにロンドンにやってきて暮らすための家(タウン・ハウス)をもっていた。ヴェリンダー卿夫人の家というのはこのタウン・ハウスの方である。モンタギュー・スクエアという地名はロンドンのSE(南東部)に実在するが、コリンズが念頭においていたのがこの場所であったと考える必要はないのではなかろうか。eがあるか、ないかの違いはあるが、大英博物館に接するモンタギュー・ストリート(Montague Street)のあたりと考えてもよかろうと勝手に考えている。なお、ホームズものの短編「マズグレーヴ家の儀式書」のなかで、ホームズが以前「モンタギュー街に下宿していた」と語っていることも思い出されてよい。

 ヴェリンダー卿夫人の邸で取次に出たのはペネロープで(クラックはその名前を記していない)、よく7月4日の2時に昼食に来てほしいという卿夫人の意向を伝える。その夜、「母の不用服活用協会(Mothers-Small-Cloghes-Conversion Society)」の委員会に出席する。「このすばらしい慈善団体の目的は・・・質屋から受けだせない父親のズボンを受けだし、罪のない息子に合うように、ただちにそのズボンを短く切り、それがふたたび救いがたい父親の手に帰するのを防ぐこと」(321ページ)である。本人は大まじめかもしれないが、吹き出したくなるほどばかばかしい団体である。ところが、出席するはずのゴドフリーがいないことに気づく。彼女は知らなかったが、前の週の金曜日である6月30日に起きた事件のためにゴドフリーは出席できなかったのである。

 この日、2人の社会的な地位のひどく違った人物――ランベスに住むセプティマス・ルーカーとゴドフリーがおそらく同じ人物によって、同じような状況で、しかし別の場所で襲われたのである。この日、2人はロンバード街のある銀行で出会う。クラックはたまたまドアのところでどちらが先に利用するかをめぐってのやりとりがあっただけだと記している。ロンバード街はロンドンに実在する銀行街である。その後、自宅に戻ったゴドフリーはある少年に託された未知の老婦人からの慈善事業に協力したいという手紙を受け取る。それでゴドフリーはストランドのノーサンバランド街の指定された家に向かう。部屋に案内されて相手を待っていると突然2人の男に取り押さえられて、もう1人の男から身体検査を受ける。3人が立ち去った後、縛られた姿で発見されたゴドフリーは家の持ち主からこの部屋は3人の東洋の貴族が借りていたと告げる。3人は立ち去ったが、ゴドフリーの持ち物も、家主の所有物もなにひとつ持ち去られていなかった。彼らは自分たちのたずさえてきた古文書だけをもって去っていったのである。

 ノーサンバランド街はチャリング・クロスの駅の近くに実在する。またホームズものに話が及ぶのだが、『バスカヴィル家の犬』でヘンリー・バスカヴィル卿とモーティモア医師が泊まっているホテルがノーサンバランド・ホテルで、ノーサンバランド街にあるホテルらしい。その後、ホームズはカートライト少年にチャリング・クロス周辺のホテルのくずかごで切りぬかれた新聞を探すようにと指示している。

 一方、ルーカーはある少年がおいていったという手紙を受け取り、トテナムコート路のアルフレッド・プレースに来てほしいといわれる。そこでゴドフリーと同じような目に会うが、彼は銀行に預けた貴重品の預かり証を奪われる。しかし、その後、銀行にその預かり証をもって現れた人物はまだいない。トテナムコート路はロンドンを南北に走る重要な道路の1つであり、アルフレッド・プレースもブルームズベリーに実在する地名である。トテナムコートロードは、私の記憶する限りホームズの「青いガーネット」と「赤い輪」でも事件に関連して登場する。インド人たちがふたたび姿を現し、ルーカーが事件に絡んで登場するだろうというカッフの予言をクラックは知らないが、読者は思い出してもよい展開である。

阿刀田高『知的創造の作法』

11月20日(水)晴れ

 昨日(11月19日)、阿刀田高『知的創造の作法』(新潮新書)を読み終え、この書物について取り上げると書いた。予告を実現する前に、昨日の当ブログで書き忘れたことを思い出したので書いておく。11月16日(土)のNHKEテレ『アイ・カーリー』で、誰かが『華氏451度』というと、あれ、摂氏じゃなかったのという突っ込みが入る。ブラッドベリの名作。読まれざる古典になってしまったのかなと思ったりした。

 『知的創造の作法』は短編小説の名手として知られる阿刀田さんが、その執筆活動を通じて身につけてきたアイデアづくりのノウハウをまとめて紹介した書物である。「知識をダイジェストしてアイデアへ、アイデアを飛躍させてユニークな創造へ、そこには実に雑多な方法がある」(4ページ)。短編小説だけでなく、ちょっとした文章を書くときのヒントになりそうな雑多な知恵が詰まっている。

 最初に掲げられているのは「ダイジェストする力」の必要性である。ダイジェストとは「目的に沿って要領よく特徴をとらえ、想像して、創造に結びつける視点」(18ページ)を定めることである。目的に即してとらえるということは、もとのものの忠実な縮図をつくることではなく、特徴を強調する奇形を作り上げることである。阿刀田さんはダイジェストには長・中・短の3種類があるという。大著を文庫本1冊ほどにまとめるのが長、短は「新約聖書はイエス・キリストの伝記」(27ページ)というように1行でまとめてしまうもの、中はその中間というわけである。阿刀田さんは国立国会図書館に勤務して分類作業に携わった経験から、分類はダイジェストの1種であるともいう。たしかに図書館における分類は内容>形式で行われるから、内容を簡潔かつ的確に把握することが求められるのである。ダイジェストのコツとして、①一番面白いトピックスから入る、②作者を紹介する、③自分とその目的を明確化する(遠山啓の『数学入門』のなかにダンテの『神曲』を数学的な見地から紹介した個所がある。彼の天文学的な知識を問題にして取り上げてみてもおもしろい)、④対象についての正確な知識をもつこと。正統的な解釈と異端的な解釈の両方を視野に入れていることが望ましいようである。

 アイデアを見出す方法としてよく知られているのはブレインストーミングであるが、セレンディピティ(何かを執拗に探し続けていると、それとはかかわりなく、特別に素晴らしいものを発見することがある、75ページ)による発見の例もあるという。偶然の発見もあるが、むしろアイデアを求めて努力し続けることが重要である。あることを不思議に思ったり、逆に考えてみたり、あるいはそれはその通りだなあと納得してみたりする。阿刀田さんは松本清張のアイデア・ノートがご自身の作っているノートと同じ発想で書かれていることに着目している。アイデアを忘れない程度に簡単に書きとめて保存しておく。あまり詳し過ぎない方がよい。

 これまで5章で構成されているこの本の2章までを紹介したのだが、3章からあとはご自分で読んでいただくとして、この本を読んで感じたことをいくつか紹介しておきたい。阿刀田さんは中村草田男(1901-83)の「雪女郎恐ろし父の恋恐ろし」(109ページ)という句を紹介している。阿刀田さんはこの句に感じた恐怖感から短編小説を書いたそうであるが、わたしはまた別のことを考えている。そのうち、雪が降ったら書いてみるつもりである。

 「小説家は特殊な才能を必要とする仕事である」(131ページ)と阿刀田さんはいう。特殊な才能が必要なのは小説家だけではないように思われる。自分の特殊な才能に気づくことも、それがないことに気づくことも同じくらい大事である。

 実は、阿刀田さんのむかしの職場であった国立国会図書館の職員だった人が知り合いに2人いて、それぞれ豊かな知識に加えて、深い見通しをもっていて付き合うのが楽しい人である。図書館は図書だけでなく、人間も蓄えているのである。図書は読者によってその評価が高まることがあるが、人間は自力で自分を高めることができる。財政難だからと言って図書館の予算を削ったり、職員を減らしたりすることは慎むべきである。

日記抄(11月13日~19日)

11月19日(火)晴れ

 11月13日(水)から今日までのあいだに経験したり、ちょっと考えたりしたこと:
11月13日(水)
 横浜駅西口ザ・ダイヤモンドのそば屋更科一休で店の人から聞いた話。ザ・ダイヤモンドとJOINUSの全館改装が来年早々から始まり、現在は両方にあるこの店は1つにまとめられるそうである。長年通っていた店なので亡くなるのはさびしい。この店のテーブルと椅子が気に入っていて、1そろいを分けてほしいほどであるが、置く場所がない。

 テレビ朝日の『マツコ、有吉の怒り新党』で最近はどこの店に出かけても、ふわとろオムレツばかりで昔ながらの普通のオムライスを出す店がなくなってしまったのが腹が立つという意見が採用されていた。わたしはオムライスには興味がないけれども、食材に凝り過ぎていたり、何かと頑張りすぎている店が多いのではないかという指摘には賛同したい。高級化・差別化を図るのも程度問題である。その一方で食材の虚偽の表示の問題が出てきたりする。

11月15日(金)
 NHKカルチャーラジオ「文学の世界」『むかしがたりの楽しみ 宇治拾遺物語を繙く』第7回「奇跡の体験」は前回の『亀の恩返し』をうけて、さらにもう一つの同文的同話を同じ時期の説話集である『打聞集』の中に見つけ、さらに中国の7世紀の仏教説話集『冥報記』のなかの類話に考察の対象を広げる。説話として取り上げられるような奇跡的な体験は、特定の選ばれた人物にしか経験できないものであると考えられていたと論じられている。

11月16日(土)
 日本テレビの『メレンゲの気持ち』にバレーボールの栗原恵選手が登場していて、ロシアのカザンでプレーしていた時の話をしていたのが印象に残った。カザンはとにかく寒かったという。わたしが出かけた最北端の都市はスコットランドのエディンバラで、カザンと緯度はそれほど変わらないが、暖流の影響でそれほど寒くはなかった(といっても冬なので氷点下の気温であった)。カザンは内陸部なので余計に寒いのだろうと思う。

 カザンというと、トルストイやレーニンが学んだ大学の所在地であるが、この大学で勉強しようとやってきたが、年齢や資格の関係で入学できず、学生たちとの学習会や、町の人々との交流のなかで自己形成を遂げた経験をつづったゴーリキーの『わたしの大学』の舞台でもある。ゴーリキーの本を読んでいると、寒さよりも空腹の経験の方が印象に残る。ロシア人なので寒さは当たり前のことだったのだろうか。

 夜、NHKの『songs』でちあきなおみさんの歌の特集をしていたのを途中から聞いた。再放送の機会があればまた聴いてみたいと思う。今年死んだ母がちあきさんの「喝采」が好きだと言っていたことを思い出す。

11月19日(火)
 阿刀田高さんの『知的創造の作法』を読み進んでいる。あしたか、明後日のこのブログで取り上げることになるだろう。

下川裕治『週末台湾でちょっと一息』

11月18日(月)晴れ

 この下川裕治『週末台湾でちょっと一息』(朝日文庫)は11月1日に購入して、7日に読み終えた。だからこのブログで取り上げようと思えば、もっと早く取り上げられたのだが、なかなかその気にならなかった。著者である下川さんはタイを中心に各地を旅行した経験を多くの書物にまとめてきた。そしてそのうちの何冊かはわたしも読んできた。しかし、下川さんは台湾に何度も出かけているにもかかわらず、台湾についての書物をなぜか書いてこなかったとプロローグに記している。もともと複雑な成り立ちを経て今日の姿になってきた台湾が、それゆえに直面しているさまざまな問題の奥深さが執筆をためらわせたというのである。

 台湾に何度も出かけた下川さんの気持ちをわたしが推し量ることは僭越ではあるが、わからない訳ではないと言いたくなるところがある。台湾はきわめて身近な国であるし、台湾の人たちには親近感のもてる人が多い。それでも、親しさの程度によるが、避けてしまう話題はある。あるいは腹を割って話すことができても、それを公にすることをためらう気分がある。日本の植民地時代の記憶もあるし、戦後の国民党政権のもとでの本省人と外省人の対立や、独立への動きなど、安易に意見を述べることのできない問題である。

 もちろん、政治的な問題に触れず、グルメを中心に台湾の風物について語ることはできる。この書物もそういう観点から読むことはできる。そのような台湾を安上がりに旅行する手引書として読むこともできる。第1章「空港バスが淡水河を越えるとき」から、第2章「台湾式連れ込み安宿に流れ着いた」を経て、第3章「ご飯とスープを勝手によそって、台湾に来たな・・・・・・と思う」までは台湾への旅行の経験を語りながら、台湾の変貌ぶりとこの国の親しみやすさを語っている。鉄道、バス、自転車、利用している交通手段にこの著者独特の旅行ぶりが感じられる。

 第4章「自転車で淡水往復 50キロの表道と裏道」は無謀とも思われる自転車走行の経験を語りながら、テレサ・テンの話が出てくるし、第5章「夜市の蟻地獄テーブルに座って、赤肉咖唎飯を逃す」は台湾の屋台の様子を語るように見せて、その中に日本の植民地であった時代の味が刷り込まれていることを記している。以下、台湾を走っている北回帰線を訪ね(?)た経験や、独立派の根城だった店のビールの味を記す省が続く。最後の台湾在住者による台湾の過ごし方への提案を掲載しているので、確かに旅行案内の役割を果たすだろうと思う。

 台湾という国の表向きのトロピカルなゆるさと、その裏にある政治的な対立の深刻さについて語れることだけ語って、あとは読者の判断に任せるというのが著者のスタンスではないかと思われる。それで、私も時間的・経済的な余裕があれば台湾に出かけてみたいとも思うのだが、それだけの余裕があればもっと別の国に出かけようとも思ってしまうのである。このブログを読んだ方はどう判断されるだろうか?

岡谷公二『神社の起源と古代朝鮮』

11月17日(日)晴れ

 岡谷公二『神社の起源と古代朝鮮』(平凡社新書)を読み終える。同じ著者の『原始の神社をもとめて――日本・琉球・済州島』(平凡社新書)に続く、神社の起源を探究する旅行と思索をまとめた書物である。

 すべての神社がそうだというわけではないが、古くからある神社には何か心を安らがせるものがある。それを個人的な感想と見るか、民族の精神的な伝統と見るか、あるいは人類に普遍的なものと見るか、即断はできない。古くから人々の心のよりどころであった神社を訪ねることによって、何が見えてくるのか。それは自分自身の心のあり方かもしれないし、民族の精神であるかもしれないし、人類全体の霊性であるかもしれない。

 著者はまず近江の神社を訪ねている(第1章)。近江地方には少なからぬ渡来系の神社があり、その多くが古くからの由緒をもっている。「この古さは、神社信仰の成り立ちに朝鮮半島、特に新羅・伽耶がある役割を果たしていることを暗示する」(40ページ)と著者は説く。この地にゆかりがある神功皇后や継体天皇についての伝承の他、渡来人の足跡が製鉄と結びついているらしいこと、記紀に登場する新羅から渡来した王子天日鎗の伝承などが語られるほか、「日本で最も数の多い神社のうちのそれぞれ一つである八幡神社、稲荷神社が、元来は新羅系の秦氏が祀った神社であった」(41-2ページ)ことが指摘されている。

 第2章では「天日鎗の問題」を考えるために但馬(兵庫県の一部)の出石神社をはじめとする神社を訪問している。実は私も出石神社には興味があって、一宮巡歴の第一歩をこの神社に記したほどである。ここではさまざまな文献に登場する天日鎗の記述に食い違いがあること、この人物と製鉄の結びつきについての考察がなされている。

 第3章「敦賀という場所」では気比神宮をはじめとする越前(福井県の一部)の神社が探訪されている。気比神宮の祭神の伊奢沙和気(いざさわけ)命が天日鎗と同一神ではないかという本居宣長以来の説が紹介される。さらにこの地方に残っていた習俗が韓半島のそれと似通っていること、新羅系の神社の存在についても触れられている。著者は触れていないが、日野川の流域に白鬼女(しらきじょ)の渡しという場所があり、これについても白鬼=新羅だという説があることをつけ加えておこう。またこの地方の出身であるという継体天皇にかかわる記述もなされている。

 第4章「出雲と新羅」は(延喜)式内社が大和、伊勢に次いで多い出雲では、新羅文化の痕跡が注意深く覆い隠されているが、素戔鳴尊は新羅の神ではないかという説があり、出雲と新羅の関係が深いことが考察される。それらのことが記紀や『出雲国風土記』における素戔鳴尊の性格の描き方にも反映しているのではないかという。

 また「社殿を含め、形あるものを嫌うとは、神社信仰の一つの大きな特色である」(134ページ)ことを想起しながら、出雲では巨大な神殿が建立されていたことを謎として取り上げる。岡谷さんはこの点の解明の鍵として新羅仏教の影響と新羅系の工人の存在を示唆している。これは今後さらに掘り下げられるべき問題であろう。

 第5章「三輪信仰の謎」では本殿がなく神体山を直接拝するという太古の神社のありようを伝えている大神神社(三輪神社)について、その祭神=大物主命と大国主命との関係、出雲の国の神がなぜ大和に祀られているのかが考察される。ここでも渡来人と製鉄の関係が重視されている。

 第6章「新羅から来た神」は宇佐八幡とその周辺の神社を探訪し、豊前地方が秦氏の勢力圏であること、天日鎗と同一視される都怒我阿羅斯等を祀る神社があること、この地方には公伝以前に仏教が入りこんでいたこと、神仏習合がいち早く進んでいたことなどが指摘されている。

 第7章「慶州の堂」は慶州と済州島に残っている古代の信仰の場である堂(タン)を探訪している。『延喜式』(927)に登録された神社の多くが今なお残っている日本に比べて、儒教一色に塗りつぶされた韓国の堂は衰退して、古い姿をほとんどとどめていない。それでも、日韓に共通するものとして森の役割を見出している。

 岡谷さんが「あとがき」で書いているように、神社を日本固有のものと信じている人が読めば反発するかもしれないが、歴史学、民俗学、考古学の成果を活用しながらの探求はまだ途上のものであり、むしろ研究のゆくえを注意深く見守るべきであろう。 

杉浦茂『怪星ガイガー 八百八狸』

11月16日(日)晴れ、20:44頃震度4の地震に見舞われる。

 横浜駅西口のヨドバシカメラの6階のコミックスの売り場はなかなか充実している。ここで青林工藝舎から出ている『杉浦茂傑作選集』を見つけたので、おいおい買い揃えていこうと思っている。13日に第1巻の『怪星ガイガー 八百八狸』を買ってきて、その日のうちに読んだ。杉浦茂(1908-2000)の作品については1987年から1988年にかけてペップ出版から『杉浦茂ワンダーランド』、1993年から1996年にかけて筑摩書房から『杉浦茂マンガ館』、そして2006年に青林工藝社から『杉浦茂傑作選集』(特装版)が編集・出版されており、今回入手したものは青林工藝舎版の普及版である。この他に河出文庫からも彼の作品が復刻・出版されている。ここに収められている「怪星ガイガー」は『マンガ館』に、「八百八狸」は『ワンダーランド』にも入っていたと記憶するが、記憶しているものと微妙に違うところがある。青林工藝舎版の「怪星ガイガー」は発見された原稿をもとにしているとうたわれており、『マンガ館』の方は杉浦があとで手を加えたものであったらしい。原稿が散逸しがちであったこともあり、杉浦は過去の作品を何度も書き直していたという話である。

 マンガについて紹介する際には、やはり画像を使う方がよいし、杉浦の作品を批評するのは至難の業である。だから批評というよりも、雑文という感じで書いていこうと思う。以前にも書いたように、管理人の自称「たんめん老人」は杉浦のマンガ『猿飛佐助』に登場する中国の忍術使い「やきそば老人」をアレンジしたものである。わたしが小学校に入学する以前から卒業するころにかけては杉浦の全盛時代であり、彼の作品をよく読んだものである。しかし、今わたしが杉浦の作品にこだわるのは、郷愁だけからではない。「やきそば老人」の他にも「やきぶたにいちゃん」というのがいたと思うし、『猿飛』の別の場面では、「コロッケごえんのすけ」というような徳川方の忍者が登場する。名前の付け方に昭和20年代の子どもたちの周囲にあった生活の匂いがあり、その一方で謎の地下室から続いている地下道を進んでいくとアフリカに到着してしまうというような想像力の飛躍がある。そのギャップが魅力の一つではないかと思う。

 杉浦は『のらくろ』で知られる田河水泡(1899-1989)の「一番弟子」である。田河の弟子としてよりよく知られているのは『あんみつ姫』や『てんてん娘』などで戦後活躍した倉金章介(1914-1973)と長谷川町子(1920-1992)で、杉浦はやや異色でもあり、田河とは距離が感じられる。若い2人は内弟子として田河のもとで生活した時期があるが、杉浦は通いであった。年齢的に見ても杉浦からは師である田河の方が三番弟子の長谷川よりも接近していて、弟子というよりも身内とか弟分という感じである。さらに倉金と長谷川がはじめから漫画家志望であったのに対し、杉浦はもともと画家を志望しており、同じように画家を志していたが、マンガ家に転向した田河に親近感を抱いてその門をたたいたという経緯がある。杉浦自身、倉金と長谷川に比べるとマンガについての情熱は不足していたと回想しているが、それでもアメリカン・コミックスや西部劇などの影響は杉浦にもっとも強く感じられる。そういう新しい要素が知らず知らずのうちに彼の想像力の中に浸透していたのは、彼が東京の下町育ち(湯島の生まれ)であったからであろう。

 秋田書店の『漫画王』1955年新年号の別冊付録として描かれた「怪星ガイガー」では少年科学者のロケット・ボーイが怪しい星を見つけるが、そのことで何者かから研究を続けるなという脅迫を受ける。ロケット・ボーイは脅迫者を追跡し、助手のだるちゃんから話を聞いた新聞記者たちが事件に勝手に尾ひれをつけて「怪星ガイガー」について報道する。主人公とその助手をはじめとする子どもたちと宇宙人、その手先となっている「あくまはかせ」とが入り乱れての冒険が展開される。

 少年画報社の『少年画報』1955年3月号の別冊付録として描かれた『八百八狸』は時代ものであり、民話的な背景のなかで豪傑の武勇伝が語られる。広島からかなり離れた小さな村に生まれた平太郎という男の子は子どものころから力が強く、父母に死に別れた後に仙人のもとで修業を積む。その頃、広島近辺では刑部たぬきという古だぬきを首領とする狸たちが人を化かしたり、食べ物を盗んだりと悪さの限りを尽くしていたが、平太郎は広島の殿さまの家来となって刑部たぬきを退治に出かける。

 一方が空想科学もの、他方が時代ものということになろうが、両作品とも杉浦流の奔放なひねりが加えられ、物語の展開、登場人物の姿、ネームなどそれぞれが独特なものである。杉浦のマンガにはシュールなとか、ナンセンスとかいったカタカナ言葉の形容がしばしば与えられてきたのだが、特に「八百八狸」を通しては、民族的・伝統的な側面もあって、古い笑いに結びつく面もあることに気づかされる。ただ、既に読んだ記憶が残っていることもあってか、ハッとするようなギャグの炸裂に出逢わなかったのが残念ではある。

語学放浪記(20)

11月15日(金)曇り、一時雨

 小学校から勉強を始めた英語と、大学から勉強を始めたドイツ語、中国語、ロシア語、ラテン語、大学院入学後本格的に勉強するようになったフランス語、社会人になってから勉強を始めたスペイン語などについて書いてきた。勉強したということは、それを習得したということではない。長く勉強したからと言って他の人よりも優れた能力を身につけるとは限らない。それでも、わたしについて言えば、英語の能力は他の言語よりはましである。だからと言って、早期に始めればそれだけ効果があるとも言い切れない。他の言語に振り向けた努力を英語に集中させればよかったと思うこともあるが、いろいろ勉強したおかげでわかったこともある。物事は一面的に割り切れない。

 大学院時代にある学校でドイツ語を教えるという話が持ち上がり、面接に出かけてみると、向こうの校長が君は高校時代にドイツ語を勉強したそうだがといったので、推薦した先生が嘘をついていたのか、早とちりでこちらの経歴を誤解していることがわかった。ドイツ人の先生がいる高校に在学していたのは本当のことだが、時たま英会話を習っただけなので慌てて訂正した。今、考えてみると、ドイツ語が第二次世界大戦後の国際社会でその地位を低下させていることはドイツ人自身がもっともよく知っていたはずである。それでも、推薦者は自分の顔を立てるために、この学生はドイツ語ができると強調し続けたのだが、結局、文部省によるドイツ語の教師の審査に落ちたので、おかげで経歴詐称にならなかったというのはどうも笑えない話である。(まさか、私が大学の教養部のときにドイツ語の単位を落として留年したという経歴を文部省が知っていた訳ではあるまいが・・・)

 わたしが高校時代にドイツ語を勉強したというのは仲人口の作り話だったが、かりに勉強していたとしても、他の同輩よりもドイツ語がよくできるようになっていたかは疑問である。予備知識があれば初期の段階では他の学生よりも優位に立つ可能性は小さくないが、そのために安心してしまって勉強を怠ることもありうるし、高校時代に勉強していても、そのときの成績不振がトラウマになっている可能性もある。もちろん、私の友人で高校時代にドイツ語を勉強していて、他の学科はともかくドイツ語だけに興味があって、結局高校は中退したのだけれども、検定で入学した大学でドイツ語を勉強し続けて、その後ドイツ哲学についての著書を独学で書いたのがいる。学校という環境要因に加えて、学習者自身の努力が重要な役割を演じることはいうまでもない。

 わたしの場合は経験しなかったことであるが、高校で英語以外の外国語を教えるのは悪いことではない。ただ、その場合、生徒の興味を大事にすることが必要で、やりたくもない言語を押しつけられたり、それが進級の要件になるのではたまったものではない。その一方で教師の能力も考えるべきであろう。わたしにまでドイツ語の教師の話があったのは供給の不足があったのだろうが、それならば教えなければいいのである。

 千里の道は一歩よりはじまるというが、一歩は70センチあまり、千里は4000キロほどである。外国語の勉強では入門段階における動機付けの問題と、習得してからの活用の問題に関心が向かいがちであるが、一歩と千里のあいだには多くの道のりがある。ある言語を勉強しているというのは、一歩を踏み出してはみたものの、前途遼遠という場合が多い。その距離感というのは実際にあるいてみないとわからないし、歩いていない人が勝手に判断すべきではないのである。

 これで「語学放浪記」は20回になるので、しばらく休んでまた出直すつもりである。これまでのところの語学学習はいわば畳の上の水練であった。再開後は、実際に外国に出かけたり、国際会議に出席したりした時の経験を中心に書いていくことにしたい。

小泉武夫『缶詰に愛をこめて』

11月14日(木)晴れ後曇り、次第に天気が悪くなってきた

 11月12日、小泉武夫『缶詰に愛をこめて』(朝日新書)を読む。食べ物についての本を読むのが好きで、そのなかでも小泉さんの書くものは多様な体験から得られた該博な知識が、発酵学者としての学識によって整理され、分かりやすい内容となっているので好んで読んできた。親しみを込めようとしているのかもしれないが、口語的で少し強引な語り口に辟易することはあったのだが、この書物はそれがかなり抑制されているて読みやすかった。

 小泉さんはわたしより2歳年長であるが、まあ同世代といってもよく、大学時代を故郷を離れた下宿で暮らして缶詰のお世話になったという経験も共通している。小泉さんはまえがきで「『一人でいる』ということと、『缶詰が好き』ということは、結構、性格的に重なるような感じがする」(3ページ)と書いているが、同感である。

 この書物には小泉さんの生い立ちとかかわっての缶詰とのかかわり⇒第1章「セピア色の話が缶詰遍歴」;小泉さんが好む缶詰のいろいろ⇒第2章「俺が愛した缶詰たち[魚介編]、第4章「俺が愛した缶詰たち[野獣編]、第5章「俺が愛した缶詰たち[野菜・果物編]、第7章「俺が愛した缶詰たち[おやつ編];高価であったり稀少であったりする缶詰⇒第3章「まぶしき缶詰たち」、そしてその美味遍歴の中で記憶に残る缶詰のかずかず⇒「わが思い出の缶詰たち」が詰め込まれている。個々の缶詰についての記述を出来れば自分の経験と記憶に重ね合わせて読めばよいので、多少思いつきで並べられた順序の乱雑さはそれほど気にすべきではなかろう。

 第1章で特に印象に残るし、こちらの記憶とも重なるのはサンマのかば焼き缶であるが、全国の酒造業者の息子ばかりが集まっていたという東京農大の醸造学科での学生時代の豪快な思い出も、さらに詳しく語ってほしいと思うような面白話に満ちている。魚介の缶詰ではツナ缶について書かれている部分が面白いが、アン肝缶を学生時代に酒の肴にしていたという話にはびっくりする。第3章では最後の佐賀のクジラの軟骨の松浦漬の話が面白い。第4章野獣編は読み飛ばしてもよいだろう。

 第5章では小泉さんが編み出したというナメコの缶詰を使った精力料理「ネバネバーダ」に興味がわく。一度試しに作って食べてみたいね。他にパイナップルの缶詰はこのところあまり食べていないので、食べてみたくなった。第6章ではドジョウのかば焼き缶について書いてあるところが10月26日付で紹介された南條竹則さんの『泥鰌地獄と龍虎鳳』にも土壌のかば焼きについての記載があったことを思い出させ、新潟県の菊水ふなぐち一番搾りの酒の缶詰は私自身の思い出とつながってそれぞれ興味深かった。第7章で取り上げられているみつまめの缶詰は私も学生時代結構よく食べていたことを思い出す。

 小泉さんの食の履歴の一面を簡潔に語っていて、その簡潔さが惜しまれる―もう少し詳しく書いてくれともよかったのではないかと思わせてしまうところが、この著者の芸と見てよかろう。缶詰のような加工食品にもきちんと地方色、地域性が織り込まれるのだということも語られていて、旅を楽しみの一つとしている著者の個性がここでも効果をあげている。わたしはというと、小泉さんほど好んで旅行はしないし、料理をする人でもないのだが、その経験を共有しながら、楽しんで読むことができた。 

ウィルキー・コリンズ『月長石』(15)

11月13日(水)晴れ

 インドの寺院の神の像を飾っていた月長石と呼ばれるダイヤモンドは残虐非道な軍人であるハーンカッスル大佐の手で略奪され、英国に持ち込まれたが、その宝石を守る使命を課せられた3人のインド人の姿が彼の周辺に見え隠れしていた。大佐の遺言で彼の姪にあたるヴェリンダー家の令嬢レイチェルに贈られた宝石は、彼女の18歳の誕生祝いの翌朝、忽然と消失していた。宝石のゆくえを探るために雇われたロンドン警察のカッフ部長刑事は、借金を抱えたレイチェルが、前科をもつ使用人であるロザンナ・スピアマンの助けを借りて宝石を隠したのではないかと疑うが、ヴェリンダー夫人はその推理を受け入れない。カッフはレイチェルに事件について問いただすことを提案し、ヴェリンダー夫人が伯母のもとに身を寄せているレイチェルのところに出かけることになる。

 ダイヤモンドの紛失について語るヴェリンダー家の執事執事ガブリエル・ベタレッジの長大な手記はいよいよ終わりに近づく(断わっておくが、この手記に続けて、真相の発見にかかわる多くの証言がさらに続く)。ヴェリンダー夫人を見送った後、カッフは落ち着き払って自分の趣味であるバラのことに思いを巡らせているが、ハーンカッスル大佐の遺言を守り、宝石をヴェリンダー邸に持ち込んだだけでなく、紛失後カッフを呼び寄せることを提案したフランクリンは邸を去る決心をしている。彼はヴェリンダー夫人の甥(レイチェルの従兄)であるとともに、レイチェルの求婚者であるが、宝石の紛失をきっかけとしてレイチェルの態度が急に冷たくなり、邸の下働きの女中であるロザンナが姿を消し、おそらくは自殺したことに自分が責任があることですっかり気を滅入らせている。彼はとにかくヴェリンダー夫人がどのような回答をもたらすかがわかるまで出発を遅らせようという。

 戻ってきた馬車にヴェリンダー夫人の姿はなく、彼女は娘とともにロンドンに向かうと伝言してきた。彼女ががベタレッジにあてて書いた手紙によると、レイチェルはロザンナと口を利いたこともなく、事件の後も全く接触していない。彼女には借金はないし、宝石も手元にない。彼女は何かを隠そうとして黙っているが、それについては母親にも今のところ打ち明けるつもりがないという。カッフの推理は誤解に基づくものであり、事件の捜索には役立たなかった。

 事件から手を引くことになり、ヴェリンダー夫人からの小切手を受け取ったカッフは事件についてはこれ以上述べることは控えておくが、過分の報酬をもらった以上、また機会があれば役に立ちたいという。「奥さまは、今のところ、しごく、賢明に、事態をまるくおさめられたよ。しかし、この家庭内の事件は、まったく思いがけないときに再燃する種類のものだ。月長石がながい月日の齢を重ねないうちに、もう一度この調査を手がけることになるだろう」(中村訳、創元推理文庫版、291-2ページ)。

 ヴェリンダー夫人に忠実であり、彼女の配慮で事件はおさまったと信じているベタレッジはカッフの意見に承服しないが、カッフは事件をめぐりこれから起きるであろう出来事を3つ予言する。第1はロザンナの手紙を受け取ったヨーランド家の人たちから何か知らせがあるだろうというものである。第2は3人のインド人たちの噂をもう一度耳にすることがあるだろうという。第3はロザンナが泥棒をしていた時の知り合いであるロンドンの金貸しのルーカーについて耳にすることがあるだろうというものである。ベタレッジは彼の推理同様に予言も信じたくないのだが、なぜかカッフを好きにならざるを得ないという二律背反的な気持ちを感じる。

 ヴェリンダー夫人はフランクリンにあてた手紙も書いていて、レイチェルをロンドンに連れて行って医者に見せること、彼女が落ち着くまでフランクリンは接触しないでほしいと頼んできた。レイチェルの異常な状態にフランクリンは責任があるというのである。

 この手紙を読んでフランクリンは大きな衝撃を受ける。彼がレイチェルを心から愛していることを知っているベタレッジは彼に同情する。フランクリンは自分がダイヤモンドをもちこんだことで、ヴェリンダー家の雰囲気を一変させてしまったことを後悔し、「月長石は、大佐の復讐をりっぱに果たしたんだよ」(300ページ)という。彼は失意のまま旅立っていく。

 あくる日、ベタレッジはヴェリンダー夫人からの指示を受け取る。夫人とレイチェルはそのままロンドンの邸に向かい、そこで生活することになり、ベタレッジの娘のペネロープをはじめとする一部の使用人たちはロンドンに赴くことになる。

 ペネロープたち使用人と荷物を見送ったベタレッジは漁師(カッフのいっていたヨーランド家)の娘で足の不自由なルーシーに呼び止められる。彼女はロザンナからフランクリンにあてた手紙をもってきたという。彼女はロザンナがフランクリンのために死んだといい、自分から直接に手渡すのでなければ手紙は手放せない、手紙が欲しかったらコブズホールにやってきて自分から受け取れと云い捨てて戻っていく。

 ベタレッジはヴェリンダー夫人とレイチェルが無事ロンドンに到着したことをペネロープからの手紙で、フランクリンが海外に旅立ったことをその父親からの手紙で知らされる。これでフランクリンがロザンナの手紙を受け取る機会は遠のいてしまったのである。ロンドンでレイチェルは気晴らしに興じ、もう1人の従兄で求婚者でもあるゴドフリーとのよりを戻しはじめているが、ヴェリンダー夫人の方が元気がない様子である。故人となったヴェリンダー卿の姪で生活に困っているクラック嬢がいずれ訪ねてくるのではないかと思われている。

 そしてベタレッジはカッフからの手紙を受け取る。同封されている新聞によると金貸しのルーカーが3人のインド人たちに付きまとわれて悩まされていると治安判事に訴えたというのである。カッフの3つの予言がすべて1週間足らずのうちにすべて成就してしまった。事件ははたしてどのような展開をたどるのか、結末まで知っているはずのベタレッジはすべてを語らぬままに、次の語り手にバトンを渡そうとする。

 ベタレッジは『ロビンソン・クルーソー』を教訓書として読む、ある意味で世故にたけた人物であり、この次に証言者となるクラック嬢に言わせれば「異教徒」であるが、コミック・リリーフの役割も演じていて、彼なりに複雑な人物なのである。今後の証言者によって、事件のさらなる展開とともに、ベタレッジが語った出来事についても別の角度から照明があてられる。物語はますます複雑で、思いがけない展開をたどることになる。

日記抄(11月7日~12日)

11月12日(火)晴れたり曇ったり、寒い。

 11月7日(木)から本日まで、気になったり考えさせられたりしたこと:

11月7日(木)
 下川裕治『週末台湾でちょっと一息』(朝日文庫)を読み終える。「司馬遼太郎風にいえば、文化とは、些細な行動や習慣の総体である。家で食卓を囲み、その中で子どもたちは礼儀や作法を身につけていく。大人が口にする会話から社会を理解していく。その過程が似ているということが、日本人と台湾人のなかで、共通の分母をもつことになるのだろうか」(283ページ)。台湾では、昔の日本でふつうにみられたような家庭でのカレーライスにであうことができるという。とはいえ、日本と台湾は交わりつつも異なった歴史をもつ国である。そのことも感じながら、著者はこの書物をまとめている。

 NHKカルチャーラジオ「文学の時間」『むかしがたりの楽しみ 宇治拾遺物語』第6回「亀の恩返し」を聴く。『宇治拾遺』と『今昔』の亀の報恩をめぐる同文的同話を取り上げていて、さらに次回にも考察が続くようである。助けた亀に恩返しをされるという話は浦島太郎だけではないこと、鎌倉時代の初期に既に銅銭が流通していたことなどがわかる。日本での鋳銭は行われていなかったが、中国から銅銭が輸入されていたのである。

 ちくま文庫のトゥキュディデス『歴史 上』を読みはじめて、「伝説で知りうる一番最初の海軍の支配者はミノスである」(14ページ)という記事にであった。子どもの頃に考古学の本でクレタ文明について触れた個所でこの記事が引用されているのにであったことがある。その後、ずっとこの言葉はヘロドトスのものだと思い込んでいたのだが、そうではなく、トゥキュディデスのものであり、「伝説で知りうる」と断り書きがされていることを知った。記憶はあてにならない。本は何度も読み返すべきである。

11月9日(土)
 日本テレビの「ぶらり途中下車の旅」、今回はなぎら健壱さんが横須賀線に乗って旅していたが、横浜駅西口の鶴屋町のよく見られた光景が、テレビカメラのレンズを通して全く違った様子に映し出されていたのが興味深かった。

 昼から、ニッパツ三ツ沢球技場で第92回全国高校サッカー選手権神奈川県予選の決勝、桐光学園対県立座間高校の試合を観戦。桐光が前半あげた1点を守り、この大会3連覇を達成した。座間の小柄なFW三木君に注目していたのだが、前半活躍したものの、後半になって交代してしまったのが残念。

11月11日(月)
 文部科学省は道徳を「特別の教科」に格上げすることを中心に、児童生徒への道徳的な育成を強化する方向を検討しているという。子どもの問題行動が顕著になっているかどうかについては、実態についての実証的な調査が必要であり、改善のための施策については子どもを取り巻く環境や人間関係を含めて総合的な見通しに立って検討されるべきであろう。学校での道徳の授業を強化し、画一化する(それが標準を上げることだと思っているのだろうか)だけで、子どもたちの道徳性が改善されると思うのは相当に甘い。

 テレビ東京の「YOUは何しに日本へ」に岡山の禅寺で修行をする前に、四国八十八か所のお遍路を区切り打ちするというロシア人女性が取り上げられていた。仏教の修行といっても参禅とお遍路ではだいぶ違うと思うが、いろいろやってみることの方が仏教の理解につながるかもしれない。テレビカメラが付いていると、やりにくいということで途中で撮影を打ち切ることになった。これは当然。

11月12日(火)
 NHKの「ひるまえほっと」で鶴岡八幡宮で開かれた東日本大震災復興を祈る神事についての報道を見る。宗教宗派を超えて復興を祈るということで仏教界からの参加もあり(もっとも鶴岡八幡宮はもともとは神仏混淆で寺院の性格を強く持っていた)、さらにハワイから古典フラのダンスの奉納があったそうである。神社でフラを踊っている場面を見ても、それほどの違和感は感じられなかった。国境を超えた民俗学の可能性についてあらためて考える。

神様たちの会議

11月11日(月)晴れ後曇り、一時雨、急激に寒くなってきた。

 神様たちの会議

毎年毎年
十一月に
出雲に集まっている
神様たちには時間なんて
関係ないはずだが
最近の会議の中身は
深刻になっているのかもしれない

元日から大みそかまで
神頼みだけは逞しく
信心のほどは疑わしい
人々に頼られて過ごしている

何よりも人々の数が減って
縁結びの仕事が
だんだん難しくなり
外国の神様と付き合うことも
考える必要がありそうだ
神様も 外国語を習って
交流を心がけるべき時らしい

森の木々が切り倒され、
川岸がセメントで固められている
人々と神様の
心のふるさとが傷つけられて
日本の隅々から
声をあげたくても
あげられない神様たちの
沈黙の重さが会議を支配している

坊っちゃん

11月10日(日)曇り

 神保町シアターで「神保町、お茶の水、九段下―“本の街”ぶらり映画日和」の一環として上映されている丸山誠治監督の1953年作品『坊っちゃん』を見る。夏目漱石の作品で大衆的に人気を博したといわれるのは『坊っちゃん』、『虞美人草』、『三四郎』であり、それぞれ映画化されているが、その中でも『坊っちゃん』は何度も映画化されている。そうした映画化作品のなかで、池部良の坊ちゃん、岡田茉莉子のマドンナ、森繁久弥の赤シャツというこの作品は特に有名なものである。

 『坊っちゃん』は漱石の作品のなかでは人気があるが、映画化が難しいことも否定できない。その理由は2つあって、1つはこの作品が主人公の一人称の語りによって展開され、すべての事件と人物の評価が主人公の目を通して語られていることである。坊っちゃんの評価が客観的に見て正しいかどうかは、読者の判断にゆだねられている。第2は作品の時代設定である。漱石が松山の中学校で教えた年代と、この作品が発表された年代は異なっている、そのギャップを映画化がどのように解釈するかももう1つの問題である。

 この作品では第1の問題は、坊っちゃんの評価を全面的に肯定することで解決している。原作では坊っちゃんと彼が教えている生徒のあいだにはものの見方の対立があるが、この作品では彼に同調する生徒たちを描き出すことによってこの問題を回避している。校長をタヌキ、教頭を赤シャツと呼ぶのは原作では坊っちゃんだけの心のなかのことであるが、この映画では山嵐や生徒たちにもその呼び方が浸透している。

 第2の問題はきわめて楽天的なアナクロニズムで解決しようとされている。はじめの方で宿から人力車で赴任先の中学校に坊っちゃんが向かい、生徒たちと会話していると、向こうからマドンナがやってくる(原作にはそんな場面はない)。そこで生徒たちが松井須磨子の「カチューシャ」の替え歌を歌ってマドンナを囃す。あるいは坊っちゃんが下宿に戻ってきて電灯の明かりをともすが、そうすると映画の時代はかなり後のことになる。

 作品のなかでばあやの清に坊っちゃんが手紙を書く場面はあるが、その返事が届かないのは原作と違い、後半になると清の役割が減少してくる。その代わりにこれも原作にはそんなエピソードはないが、祭の夜に坊っちゃんとマドンナが会話を交わしたり、マドンナが坊っちゃんにかごに入った鈴虫をプレゼントするというのもこの映画の創作である。(原作に忠実ではないことは確かであるが、映画の流れの中で意味のある工夫となっている。) あるいは山嵐や裏なりの家庭の事情について詳しく描き出しているのも映画なりの工夫である。

 江戸っ子である池部良の坊っちゃんは適役。切符を買う時に、前にいた老人(私だって老人だが)が、池部良の坊っちゃんというのが適役だと思って見たいのだとモギリの青年に話しかけていたが、青年の方に話が通じるわけがないのが残念であった。もっと勉強して下さい。実は私は、池部良よりも岡田茉莉子のマドンナの方がお目当てで、単に美しいというだけでなく、女の勘定高さを可愛らしく表現するという点でも出色のできであった。東宝時代の彼女の代表作に数えてよかろうと思う。たぶん、吹き替えだと思うが、彼女が「庭の千草」を歌う場面があり、そういえば中川信夫監督の『夏目漱石の三四郎』でも美禰子を演じている八千草薫が「庭の千草」を歌う場面があったと思いだしたりした。小沢栄(太郎)の山嵐も面白いが、森繁の赤シャツの演技も目を奪うもので、特にうらなりの送別会の場面の余興などは、原作のイメージを損なうかもしれないが、見ておく価値はある。多々良純ののだいこもなかなか好演ではあるが、原作で最も活躍する場面であるうらなりの送別会で「日清談判」の踊りを踊らないのは残念。

 原作に忠実な映画化ではないが、原作に忠実になると話が暗くなるという側面があることも心得て映画を見るべきであろう。娯楽を求める観客向けの脚色であると、漱石のまじめな読者は認識する必要がある。11日(月)は14:15から、12日(火)は16:40から、13日(水)は14:15から、14日(木)は19:15から、15日(金)は12:00からとまだ上映されるので、ぜひ見に出かけてください。

オルレアン公(フランス)とヨーク公(イングランド)

11月9日(土)

 11月7日のNHKラジオまいにちフランス語の時間(応用編)ではディドロの『ラモーの甥』(Le neveu de Rameau)の冒頭部分を取り上げていた。作者自身とそっくりの語り手「私」がパレ=ロワイヤル(Palais-Royal)を散策する場面である。「天気が良かろうが、悪かろうが、夕方5時頃パレ=ロワイヤルを散歩するのが私の習慣だ」。

 パレ=ロワイヤルはもともとルイ13世の宰相リシュリューの城館であったが、オルレアン公の手にわたり、ディドロがこの小説を書いた後の1780年代に当時のオルレアン公フィリップ・エガリテ(平等公)によってその一部が商人たちに貸しだされる。その結果、さながら今日のショッピング・センターのような賑わいを見せ、警察が立ち入れないうえに、フィリップが享楽的な生活を好んだことから娼婦たちがたむろする場所となった。また多くの政治的反抗分子が集まる場所ともなっていった。1789年7月12日、革命派のジャーナリストであったカミーユ・デムーランがこの場所で「武器を取れ!」と演説、その2日後のバスティーユ牢獄襲撃の引き金となる。

 オルレアン公は王太子に次ぐ王子に与えられる爵位で、イングランドのヨーク公、スコットランドのオルバニー公に相当する。もしその王子が王位を継げば、そのまま国王がこの爵位をあわせもち、王子に直系男子がいなければ爵位は消滅する。それぞれ、何度も創設され、消滅してきた。

 フランスではルイ14世の弟がオルレアン公になって以来、その子孫が爵位を継承した。ルイ14世がヴェルサイユに王宮を移した後も、オルレアン公はパリに留まり、民衆の人気を博した。代々、虎視眈々とフランスの王座を狙っていたのである。フィリップは野心が裏目に出て命を落とすが、その息子のルイ=フィリップは1830年にフランス国王となり、短い期間ではあったが、オルレアン家による統治が実現した。

 司馬遼太郎が中学生のころに、英語の時間、「何故、ニューヨーク(新しいヨーク)というのですか」と質問して、教師につまらない質問をするなと叱られ、その教師を軽蔑するようになったという逸話があるが、1664年にイングランド軍が、当時オランダの植民地であった北アメリカのニュー・アムステルダムを攻略し、当時のイングランド王ジェームズ2世(ヨーク・オルバニー公)にちなんでこの地をニューヨークと改名したというのがこの市の地名の由来である。そういえば、ニューヨーク州にはオルバニーという都市もある。

 フランスのオルレアン公家と違ってイングランドのヨーク公家は長く続いた例がない代わりに、国王になった例が少なくない。一番最近では、現在のエリザベス2世女王の父親であり、映画『英国王のスピーチ』の主人公ジョージ6世はヨーク公から国王になった。その孫である現在のヨーク公(アンドルー王子)には直系の男子がいないので、彼が死ねばまたヨーク公家は消滅するはずである。

 あまり自分とは縁のない王侯貴族の話を書き散らしてしまった。パレ=ロワイヤルというと、オードリー・へプバーンが主演した映画『シャレード』の終わり近くの場面を思い出す。そのあたりが分相応な連想であったかもしれない。

さよなら ブルートレイン

11月8日(金)晴れ

 さよなら ブルートレイン

時計の針が 重なり合って
おやすみ――という
ほんの少し 前の時間
旅立つという興奮と
あくる日への期待で
眠れないままに
好奇心が働く

寝台車の窓から
外を眺めようと
ちょっとカーテンを開けて
覗いてみる

通り過ぎる駅の
まだ明るいプラットホームに
影を引きずりながら
家路を急ぐ人々が見える
その姿の遠さに
あらためて
自分が旅に出ていることを確認する

ちょっと腫れぼったい気分の目覚めと
少しでも旨い朝食を探して
まだ眠たげで動きの鈍い
駅中を歩きまわる朝を予期しながら
眠れないかもしれない
夜への覚悟を決める

ブルートレインの旅が
なくなろうとしている
ブルートレインの旅の時間についての
記憶をあらためて温める

山田篤美『真珠の世界史』

11月7日(木)午前中雨、その後曇り

 山田篤美『真珠の世界史』(中公新書)を読み終える。この著者の『黄金郷(エルドラド)伝説』(中公新書、2008)を読んでいる。この書物の「あとがき」で著者は「本書『真珠の世界史』は、前著『黄金郷伝説』を書いたときからあたためていたテーマだった。『黄金郷伝説』は、南米のテーブルマウンテンをめぐる「探検帝国主義」がテーマであるが、私はそのなかでコロンブスによる南米の真珠の発見とその後の真珠の狂騒についても議論した。そのさい、南米の真珠の歴史的意義は、オリエントに変わる真珠の産地の発見ではないかと思うようになった」(283ページ)と書いている。なるほど、こういうつながり方もあるのか、というのが正直なところである。こちらはもう少し大雑把に、金と真珠、貴金属と宝石というつながりを考えていた。

 11章からなるこの書物は多くの内容を盛り込んでいる。第1章から第6章は天然真珠時代、第7章以降は養殖真珠時代の、それも日本と海外における真珠と自然環境、社会・文化とのかかわりをたどっている。何冊か本が書ける内容を無理やり1冊にまとめたという感じである。

 第1章「天然真珠の世界」ではアコヤガイとそれ以外の貝からどのようにして真珠がどのようにできるかを中心に、jその大きさや丸真珠ができる割合はどのようなものかなど、天然真珠について概観している。第2章「古代日本の真珠ミステリー」は日本の古代史のなかでの真珠の役割を考察している。

 第3章から第6章までは、ヨーロッパ人がどのようにオリエントや新大陸の真珠に憧れたのかをたどっている。第3章「真珠は最高の宝石だった」ではギルガメシュ叙事詩からマルコ・ポーロに至る真珠の歴史についてオリエントに軸足を置きながら概観している。クレオパトラの真珠のエピソードなど、よく知られている話もあるが、このエピソードを伝えているのがプリニウスであるというのは初めて知った(ただし、ここは大プリニウスと書いたほうが分かりやすいのではないか)。『アラビアン・ナイト』には真珠のエピソードがかなりあるのだが、その点について触れられていないのは残念に思われる。

 第4章「大航海時代の真珠狂騒曲」は新大陸とインドへの航路の発見と真珠をめぐるスペイン、ポルトガル、その他の国々の争いをたどり、ダイヤモンドと真珠が二大宝石であった時代があったという。第5章「イギリスが支配した真珠の産地」は19世紀に入って真珠の産地をイギリスが支配するようになったこと、さらにアメリカ、オーストラリアにおける動きについても触れている。第6章「二十世紀はじめの真珠バブル」では19世紀の終わりから20世紀の初めにかけてのベル・エポック期の真珠の価格が高騰したことを中心に述べている。

 このような真珠の地位に変化をもたらしたのは日本における真珠養殖の発展であった。第7章「日本の真珠養殖の始まり」では御木本幸吉や見世辰平という真珠養殖業者たちの取り組みに焦点を当て、第8章「養殖真珠への欧米の反発」では養殖真珠の品質が素晴らしかったため(価格の下落を恐れたこともあり)起きた欧米における反発を、第9章「世界を制覇した日本の真珠」では、日本の養殖真珠が世界を席巻するようになったことを記している。

 しかし、第10章「真珠のグローバル時代」では、日本以外の諸国における養殖の発展により日本の地位が低下したこと、第11章「真珠のエコロジー」では海洋汚染により真珠の養殖業が危機に直面していることが述べられている。

 あまり興味のないところはごく簡単にしか紹介しなかったが、面白い部分は夢中になって読むことができた。『黄金郷伝説』で新大陸の発見者を詐称した「アメリゴ・ヴェスプッチには詐欺師、ペテン師という言葉が何世紀にもわたって浴びせられた。正義と公正を標榜するアメリカ合衆国のアメリカとは、人の栄誉を奪おうとした社会的不正を行った人物の名前なのである」(『黄金郷伝説』22ページ)と書いているのに、この本では「この地が新大陸だと気づいたのは、1502~04ごろのアメリゴ・ヴェスプッチだった」(79ページ)と書き方があっさりしているのどういうことだろうか。個人的な興味からはベル・エポック時代における帝国主義とファッションというようなテーマに絞ってまとめていただければもっと面白かっただろうと思う。そうはいっても、日本における真珠の養殖の開発を御木本幸吉1人の功績に帰せず、見世辰平や西川藤吉らの他の功労者たちに焦点を当てている点はやはり評価すべきであろうと思う。

語学放浪記(19)

11月6日(水)晴れ

 むかし教えた学生からこんな話を聞いた。最近、初めてフランスに出かけたが、言葉が不自由なのであまり交流ができず、学生のころにもっと勉強しておけばよかったと思ったという。学生のころにもっと語学(に限らないが)勉強しておけばよかったというのは、多くの大学卒業者が感じていることであろう。しかし、問題はそれだけではない。大学卒業後も何らかの形で言語の(言語以外についても)勉強を続けるべきである。大学時代に勉強できることは限られている。それがその後の人生にとって必要なことのすべてではない。生涯学習というのはそういうことである。

 生涯学習が必要な理由は他にもある。言語は変化するものである。私が高校生の頃に英単語のなかでcarpは単複同系であると習ったが、現在ではcarpsという複数形の方が一般的である。学校で習ったことが、いつ時代遅れになるかわからない。変化への注意を怠らないことが必要である。

 変化といえば、言語の国際的な役割も変わる。かつてのヨーロッパ社会ではラテン語が重視された。大学の授業はラテン語で行われ、大学の先生もラテン語で論文を書いていた時代が長く続いた。今や日本の大学でも英語で授業を行おうという時代である。現在の世界で最も重要な言語は英語だと断言してよい。だからと言って、英語だけを一生懸命勉強していればよいというものでもない。選択の余地は常に残しておいた方がよい。未来のことはわからないし、世界では多くの言語が話され、多様な文化が展開されている。それらに対して無知であってよいというものではない。

 何かを勉強するのにある言語を知る方がよいということはある。むかし勤めていた学校で、わたしが学生時代にロシア語を勉強したことがあることを聞きつけた同僚の先生が学生にロシア語を教えてほしいと言い出した。化学関係の研究論文の要旨をまとめた国際的な文献のなかで、英語の次に多く使用されているのがロシア語だというのがその理由であった。その後、日本語がロシア語を抜いたという話を聞いたことがある。現在はどうだろうか。科学研究に限らず、貿易などでも主な貿易相手が変化することによって重視される言語が変わるということはありそうである。一般的なやり取りであれば英語で済むかもしれないが、深く立ち入った交渉にはそれぞれの言語を使う必要が生じるだろう。

 大学で第2外国語を勉強するという制度は改善する必要がある。学生に選択のためのより多くの情報を与えるべきである。単なる履修案内だけでなく、「世界の言語」というような授業を設けて、学生に自分の興味がある言語を見つけさせて、学ばせる工夫も凝らすべきである。大学以外での学習の機会を利用することも大いに考えてよい。学習者の立場からいえば、社会的な必要性もさることながら、自分が興味がもてる言語を選択することが重要である。ある言語を勉強することは決して容易なことではない。好きでなければ苦労はできない。

 大学院時代の指導教官が自分の受け持ちの学生たちにドイツ語を教えさせたがった話は既に書いたが、わたしはどうもドイツ語を勉強する気になれなかった。ひとつはわたしが映画好きで、そのころのドイツ映画は不振であったこともあったし、ドイツ文学にはあまり親しみを感じなかったということも理由の一つである。ドイツの国際的な重要性やドイツ語の文化的な意義を否定するつもりはないが、わたし個人の好みを圧殺して強要するほどのものでもなかったと思うのである。

 さらに言えば、第2外国語を勉強しないという選択の余地も残す方がよい。いろいろな言語を覗いてみたが、どれにも興味が持てなかったというのならば、それはそれでよいということにしてもよい。その分、英語に集中すればよいのである。わたし自身についてもいろいろと外国語を勉強するよりも、英語の勉強をもっとしておいた方がよかったと思うことがある。英語以外の外国語を勉強することによって、英語の勉強にも役立つという意見にあえて反論はしないが、役立てることができるのはかなりしっかりと勉強した場合に限られるのではないか。あるいは、大衆化が進んだ今日の大学では英語を勉強しなくてもよいようにするとか、いろいろな可能性を考えるべきであろう。

ウィルキー・コリンズ『月長石』(14)

11月5日(火)

 今日は英国ではガイフォークスデイGuy Fawkes Day (ガイフォークス捕縛記念日)の行事が行われる。1605年に国会を爆破してジェームズ1世と議員たちを殺害しようとした陰謀事件(火薬陰謀事件Gunpowder Plotという)の主犯であるガイ・フォークスという人物が捕まった日であり、昔は彼の奇怪な像をつくり、町をひきまわし夜になると焼き捨てたのであるが、現在ではかがり火をたいたり、花火を打ち上げたりすることが習わしとなっている。この行事には子どものお祭りという意味合いがあって、シーラ・ディレーニーの戯曲で、トニー・リチャードソン監督により映画化された『蜜の味』(Taste of Honey)の幕切れの場面がガイフォークスデイを背景としていたのを、この映画におけるリタ・トゥシンハムの演技とともに思い出す。英国ではガイフォークスデイが盛んになったためにハロウィーンがあまり祝われなくなったといわれてきたが、最近ではハロウィーンも勢いを盛り返してきたという話も聞く。地方によっても違うかもしれない。この時期に英国に滞在したこともあるが、ロンドンの街中では経験したことがない。(なお、『蜜の味』の舞台はマンチェスターである。)

 さて、『月長石』について、また間が空いてしまったが、書き続けることにしよう。ヨークシャーのヴェリンダー家の令嬢レイチェルの誕生祝いに贈られたインド起源のダイヤモンドが、彼女の誕生日の翌朝に行方不明になる。地元警察の捜索に不信をもったレイチェルの従兄で求婚者のフランクリンはダイヤモンドを運んだ人物でもあるが、ロンドンから敏腕で知られるカッフ部長刑事を招く。彼は邸の下働きの女中で前科のあるロザンナ・スピアマンが邸の誰かの指示を受けて事件を起こしたのではないかと推理する。その一方でロザンナはフランクリンに思いを寄せているらしい。捜査のなかでロザンナが行方不明になり、行方を追った結果自殺した疑いが強くなる。カッフの捜索に全く協力しないままレイチェルは邸を去って伯母のもとに赴き、ヴェリンダー夫人はカッフを解雇しようとする。

 いったんは激しい言葉を口にして、カッフを解雇するといったヴェリンダー夫人であるが、落ち着きを取り戻して(物語の第1の語り手である執事のベタレッジを同席させて)カッフと再び話し合う。ヴェリンダー夫人が前言を詫びたことを受けて、カッフはロザンナ・スピアマンが自殺したことは彼の捜査とは関係がないという(フランクリンから冷たいことばをかけられたためであるというのである)。しかし、彼女はダイヤモンドについて何かを知っており、おそらくはレイチェルのためにダイヤモンドを盗み出したのだという彼の推理を述べる。

 「ここ二十年間というもの、わたしは主として家庭の内輪問題に、秘密調査係として働いていまいりました。今わたしが手がけています事件と、何らかの類似点をもった事件に立ち入った調査をしてただ一つわかりましたことは、・・・上流階級の若いご婦人方は、ときには、親しい親戚や友人にも打ち明けたくない、内密の借財があるものだということです。・・・」(中村能三訳、271ページ) それだけでなく宝石紛失後のレイチェルの興奮した態度は彼女への疑いを抱かせるものであるという。ダイヤモンドの紛失は、レイチェルが秘密の借財を返すためにどこかに質入れされたのではないかと彼は述べる。ヴェリンダー夫人はそんなことはないとはねつける。しかしレイチェルが捜査への協力を拒んでいるのは自分の推理の何よりの証拠であるとカッフは続ける。

 カッフはロザンナ・スピアマンの挙動に不審を抱いたこと、彼女が更生する以前に際立って腕のいい泥棒であり、「ロンドンでも数少ない人間の一人(金貸しを業としている)関係があったはずです」(278-9ページ)という。そして自分の推理を裏付けるために①レイチェルを監視すること、②ロザンナの代わりに内偵役の使用人を邸に入れること、③ロザンナと関係のあった金貸しのところにカッフの同僚を派遣することを提案するが、ヴェリンダー夫人に拒否される。それで彼はレイチェルにロザンナが死んだことを不意を突いて告げれば、彼女の性格から考えて本当のことを言うのではないかと提案し、ヴェリンダー夫人は承諾する。そして自分でレイチェルにあって話をすると言って、辞去しようとするカッフに屋敷に留まっているように言い、娘のもとに馬車を走らせる。

 ここまでの経緯で注目すべきなのは、カッフがレイチェルの性格を嘘つきだと判断しているのに対して、ベタレッジは嘘をつかない性格だと考えていることである。この点についてベタレッジがヴェリンダー夫人の発言を支持するようなことを言わず、他にもあまり発言していないのは、彼が執事としての職分をわきまえているからだと自分では語っているが、話してもいいことがあったはずである。このブログでは書き落としてしまったが、レイチェルの誕生日の前の6月16日にフランクリンのもとに外国なまりの英語を話す来客があったことをベタレッジはカッフに話をしていない。借金を抱えているということからいうと、レイチェルよりもフランクリンの方を疑ってよいのではないかとも思われるが、この点でベタレッジは沈黙を守っている。レイチェルがフランクリンに対する態度を変えたこと、捜査に非協力的なことは、彼女が何かを隠していることを示すが、その何かはわからないままである。

日記抄

11月5日(火)晴れ

 ここ3日間の見聞の一部と感想:

11月3日(日)

 等々力総合競技場に全国高校サッカー選手権第92回大会神奈川県大会の準決勝2試合を見に出かける。等々力に足を運ぶのは昨年のこの大会の準決勝以来、つまり1年ぶりである。現在ホームスタンドの改修中で勝手が違ってうろうろする。バックスタンドの2階で観戦。第1試合桐光学園と平塚学園は、前半平塚が積極的に攻めていたが得点に至らず、前半終了間際に桐光が1点を入れてリード、後半になると平塚の動きが悪くなり、反撃も及ばなかった。第2試合の日大と座間も一進一退の攻防の続く好試合となったが、後半も最後の最後になって座間が得点をあげて決勝に進出した。座間のFW背番号11の三木選手が1メートル53と小柄なのが注目を集めた。今後どんな進路を進むのだろうか。決勝は私立の桐光学園と公立(県立)の座間という興味深い対戦となる。

 全国高校サッカー選手権といえば、わたしの母校が今回久しぶりに二次予選トーナメントに進出していた。二次予選トーナメントに進出すると、プログラムに写真入りでメンバーが紹介される。初戦で敗退したとはいうものの、一次予選を勝ち抜いたのは久しぶりのことで喜んでいる。そういえば、前日に行われた高校駅伝では80校が参加した中で40位代でゴールしており、これもまずまずの成績ではないかと思う。わたしの在学中はチームを組んで出場していたのだろうか。記憶がない。

 競技場の隣に釣堀があり、何人かの方がたが釣り糸を垂らしていた。一方で勝負の一喜一憂があり、もう一方で全く別の心の動きがある・・・ということを考えさせられる。

 11月4日(月)
 フランス語の時間に携帯電話のことをle telephone portableということが出てきた。10月23日のイタリア語の時間でも携帯電話のことが話題になり、こちらではcellulareあるいは telefoninoという話であった。それぞれもっと別のいい方もあるかもしれない。

 この日、ニッパツ三ツ沢球技場で三浦淳宏選手の引退試合が行われたことを、あとで知った。このところ横浜FCの調子が悪いので、三ツ沢がよいをやめていたので知らなかったのである。[勝っても負けても○○にある人気」という川柳があるが、負けたからと言って応援をやめるようではいけないとあらためて思った次第。

 三浦アツ選手というと思いだすのは神戸在籍中に横浜FC戦でフリーキックを決めて同点にされた場面である。横浜FCがJ2で優勝したこの年のこの試合、神戸まで観戦に出かけたのである。ご本人は横浜フリューゲルスでの最終戦、1999年の元日の天皇杯決勝戦で優勝を決めた試合が一番思い出に残ると語っていたそうである。それはそうだろう。

 11月5日(火)
 毎日新聞のコラム「火論」で玉木研二さんが「霧の記憶」という文章を書いている。以前、イギリス出張から帰ってきて乗ったタクシーの運転手さんがどこからお帰りですかと聞くから、ロンドンだと答えたら、霧のロンドンですかといわれたことがあった。ロンドンで売っている絵葉書には一面灰色に塗られていて、これが霧のロンドンですと説明がされているのがあった。実際のところ、現在ではロンドンで霧にであうことはあまりない。玉木さんは工場や家庭の排出する煙による煙霧を中心に文章を書いているが、川や運河、湿地の水蒸気による霧もある。ロンドンで霧にであうことが少なくなったのは、一方では煙対策が進んだこともあるが、その一方でこれまで以上に地面がおおわれて水蒸気が以前ほど蒸発しなくなったこともあるのである。

 有毒な煙霧は困りものだが、自然の霧には詩情をかきたてるところがある。エディンバラの古城を包む霧や、ダービーシャーからヨークシャーに進む途中で出会った霧など、イギリスへの旅で出逢った霧を懐かしく思い出す。

野中惠子『ゲセル王物語――モンゴルの英雄譚』

11月4日(月)雨が降ったりやんだり

 昨夜、野中惠子『ゲセル王物語――モンゴルの英雄譚』(彩流社)を読み終えた。10月17日に横浜シネマ・ベティで大谷寿一監督のドキュメンタリー映画『チベット 天空の英雄 ケサル大王』を見た際に、館内の売店で購入していたのである。

 チベットではケサル、モンゴルではゲセルと呼ばれ英雄を歌った叙事詩は、現在でも140名あまりのケサル吟唱詩人たち(チベット、モンゴル・・・)によって(それぞれによる新たな創作を加えられながら)歌い継がれている叙事詩であり、こういう例は現代では他であまり見られないものであるという。

 京都で過ごした学生時代、中国語をかじっていたことは以前にも書いたことがあるが、その勢いで当時荒神口近くの河原町通りに面して店を構えていた極東書店(東方書店と分離する前で、中国書籍も扱っていた)だったか、川端通りに面した大安によく出かけては中国の本を眺めていた。その中に『格薩尓』(薩の字は簡体字である)という背文字の本があり、何の本かよくわからなかったが、挿絵を見ると面白そうなので、興味をもった。懐が豊かではなかったし、2から4までで、1がなかったので買わずにいたが、これが何の本であるのかずっと興味を持ち続けていた。後に、石田英一郎の『河童駒引考』を読んでいて、<ガッサール汗物語≫についての言及に出会い、ああ、この物語の中国語訳なのかと気づいた。それから20年ほどして、筑摩書房から君島久子さんの手で『ケサル大王物語――幻のチベット英雄伝』が発行され、やっとこの物語の概要に接することができた。君島さんが岩波少年文庫のためにまとめた『西遊記』は開高健が激賞しており、この『ケサル』もおそらくは中国語からの重訳であろうが、読みやすかった。その後、若松寛さんにより平凡社の東洋文庫から『ゲセル・ハーン物語――モンゴル英雄叙事詩』が翻訳・刊行された。この書物は手に入れたが、あまり読みやすくなかったので書架におかれたままになっている。

 なぜこんなことを書いたかというと、野中さんの「あとがき」はかなり詳しく書かれているが、日本でのこの英雄叙事詩の紹介・翻訳については遺漏があると思われたからである。その点には不満があるのだが、野中さんのこの書物は読みやすく、トゥルブラム・サンダグドルジさんによるモンゴル切り絵も物語の雰囲気を伝えるのに効果的であると書いておきたい。

 神々の父であるコルマツダ神がシュメール山から、仏陀のもとに降りてくると、仏陀はこれから500年は平和な時代が続くので愉快に遊び暮らしてよいが、そのあとで悪い時代がやってきて、地上に争いが絶えなくなる。そのときがきたら、自分の3人の息子のうちの1人を地上に遣わし、人間の姿に身を変えて各地の悪を退治させ、人々の心に喜びを取り戻すようにせよと命じる。ところが、コルマツダ神は500年どころか700年にわたり遊び暮らしてしまったので、異変に出会い、やっと仏陀の命令を思い出す。そこで3人の息子に仏陀の命令を伝えると、彼らは辞退し合うが、結局最も武勇に秀でた3男のタグスが地上に降りることになり、父であるコルマツダ神にさまざまな配慮を約束させたうえで、天をあとにする。

 そのころチベットにはトゥッサの王で善良なサングラン、リク族の王でよこしまなチョトゥンの2人の優者がいた。2人は隣国バヤンを攻略し、チョトゥンは山分けにすると約束した家畜や土地を全部自分のものにしてしまったが、サングランは美しい娘アミルタシーラを引き取ることになった。その美しさをねたんだチョトゥンは2人を追放してしまう。2人からジョルと呼ばれる異形の息子が生まれる。このジョルがタグスの生まれ変わりである。彼は父母に豊かな富をもたらし、やがてチベットの隣国の王女ロクモへの求婚をめぐり大活躍の末、その本当の姿を現し、ゲセルと名乗る。彼は中国の皇帝の気の病を治し、その王女を第二の妃とするが、この王女にチョトゥンが想いを寄せ、悪だくみを巡らす。物語はさらなる波乱を語ることになる。

 ところどころ『ラーマーヤナ』や『オデュッセイア』を思い出させるような挿話を含みながら、物語が展開されていくが、これらの物語よりも魔術の果たす役割が大きくなっているのが特徴的である。「魔法の矢が、矢筒から飛び出してきました。羽根を広げると、それは、いかにも心地よさそうな寝椅子になりました。ロクモはそれに座って、チャトゥン川に運ばれていきました」(153-4ページ)というような調子である。君島さんの本が伝えていた冒険はほとんど記憶していないのだが、今度また読み比べてみようと思う。

 わたしがこの英雄伝説を知ったのは中国語への翻訳を通じてであったが、現在の中国はチベット族に対する同化政策を推進し、学校でチベット族の独自の文化を教えさせようとしていないことを大谷さんの映画は伝えている。また、文化大革命時代の民族の伝統文化への破壊の激しさについても映画は触れていた。そのような文化の中心がケサルの伝説なのである。『ラーマーヤナ』がインドだけでなく、南アジア、東南アジアにも伝播してさまざまな物語を生みだしているのと同様に、この物語も中央アジアに広がってさまざまな変形を生みだし、芸術的な創造の源泉となっていることを考えると、一方でチベットやモンゴルでの民衆の文化活動と、他方で中国の少数民族の文化に対する政策のゆくえが気になるところである。

伊藤和行『ガリレオ――望遠鏡が発見した宇宙』

11月3日(日)曇り

 10月30日、伊藤和行『ガリレオ――望遠鏡が発見した宇宙』(中公新書)を読み終える。ガリレオ・ガリレイ(1564-1742)は近代科学の創始者、17世紀科学革命の中心的人物として知られ、その78年の生涯のなかで多くの業績と逸話を残したが、この書物は彼が望遠鏡を製作して天体観測を始めた1609年から、太陽黒点観測の成果を発表した1613年までの数年間に焦点を当てて、彼がどのように新しい宇宙を発見したかを論じるものである。

 第1章「望遠鏡と天体観測」は望遠鏡に出会うまでのガリレオの前半生について簡単に紹介され、もともと医師を志していたガリレオが、数学に関心を移し、1589年にピサ大学の数学の教授となる。この時期に運動論の研究を始めており、1592年にパドヴァ大学に移ると運動理論に関するさまざまな実験に取り組むようになり、また太陽中心説(地動説)を支持するようになったのもこの時期のことである。大学の授業で彼は幾何学、算術、天文学など当時の大学の一般的な学科の他に機械学についても教えていた。経済的な必要から彼は詩的な授業を行い、そこでは遠近法や機械学、築城術、軍事建築、測量なども教えていた。彼は当時の生産現場で働く職人たちとの交流からさまざまな実際的な知見を得ていた。

 この時代にガリレオは天文学の論争にもかかわっていた。1604年に射手座に現れた新星をめぐってそれが月よりも遠くにあると主張し、それを手掛かりとしたリストてレス自然学への批判を試みようとした。彼は既に1597年にドイツの天文学者ヨハンネス・ケプラー(1571-1630)に書簡を送り太陽中心説を支持すると述べていた。

 ガリレオは望遠鏡の発明者ではなくその優秀な改良者であった。実際に、1610年代後半まで10倍を超える性能のよい望遠鏡を製作できたのは彼だけであった。彼はすぐれた品質のガラスを生産するヴェネツィアの近くのパドヴァに住んでおり、自分の住まいに工房を設けて職人たちに仕事をさせていた。

 望遠鏡を用いて天体観測を行ったのはガリレオが最初ではなかったが、彼は月の表面を観測して凹凸があることを推論し、望遠鏡が天体観測に役立つことに気づいて、木星に望遠鏡を向け、これまで知られていなかった天体を発見する。彼はこの新しく見つけた星についての観測を続けているが、その観察記録が初めイタリア語で書かれていたのが、途中からラテン語に変わっている。これは木星の衛星の発見を学術的な著作として発表と私用と考えるようになったことを示すものである。

 第2章『星界の報告』は1610年に発表され、彼を有名にした著作の内容を紹介している。ここでは「望遠鏡の仕組み」、「月の表面」、「恒星と星雲、天の川」、木星の惑星(=衛星)」が取り上げられている。この書物のなかで彼は図版を活用して、彼の発見を視覚的に説明する方法を開拓している。この書物における太陽中心説の主張は控えめなものであったが、月と地球の同質性は明瞭かつ一貫して主張されていた。

 第3章「太陽中心説へ」では『星界の発見』の出版によってガリレオが木星の衛星の発見についての先取権を得たこと、トスカナ大公からの庇護と「トスカナ大公付主席数学者兼哲学者』という影響力の強い社会的な地位を獲得したことから書きだされている。『星界の報告』をめぐっては反対と支持(ケプラーの意見が含まれる)があったが、イエズス会ローマ学院のように態度を保留するという第3の立場もあった。

 『星界の発見』の出版以後もガリレオは天体観測を続けていたが、土星と金星の観測結果は彼の予測しない結果をもたらし、金星の満ち欠けの発見から、彼は太陽中心説をより強く確信するようになる。彼の業績はカトリック教会の中枢部からも高い評価を得たが、太陽中心説をめぐって神学論争に巻き込まれる危険性も既に現れていた。

 第4章『太陽黒点論』は彼の重要な業績の1つである太陽の黒点観測が弟子のカステッリの考案した投影法によってさらに進展したこと、他の研究者との論争の過程がたどられている。

 第5章「新しい自然研究へ」では彼が木星の衛星の観測を通じてその運行図を作成し、海上で経度を測定できるようにしようとしたこと、土星の観測がうまくいかなかったこと(彼の望遠鏡の限界が現れてきた)、ガリレオが彼の論争者であるシャイナーと違っていたのは、アリストテレスの権威に従い宇宙の不変を前提としてシャイなーが研究を進めていたのに対し、ガリレオは自身の観測を手掛かりとしてアリストテレスの世界像を改めようとしていたという点にあることが述べられている。彼の新しい自然研究に向かう姿勢は、境界を支えている神学と対立するものとなっていった。

 終章「宮廷科学者ガリレオ」では彼の業績が当時の社会のなかでの彼の位置と関連させてまとめられている。彼の研究方法や、新しい観測装置と研究の先取権、懸賞の問題などには現代の科学者の活動と共通する側面があるが、まだこの時代「科学者」という言葉は使われていなかった。彼がおかれた環境は今日とは大きく違うものであり、彼の活動はルネサンス的な「宮廷人」としてのものであった。その才能によって多くの芸術家が宮廷に迎えられ、活躍していたが、ガリレオは彼らから遅れて登場した「宮廷科学者」と呼ぶことができるかもしれないと著者は結んでいる。

 科学史に興味があるとはいうものの、数学や物理学については十分な理解がないので、この書物の論旨をどこまで理解できたかは疑問であるが、彼が時代の制約のなかで新しい科学に向かって努力を続けていたことは読みとることができた。彼の研究が当時のイタリアの社会の商工業の発展と接点をもつものであったこと、一方で大学、他方で宮廷、さらにその上位にあるものしての教会という学問への影響力のバランスの問題など、いくつかのことを考えさせられた。個人的な興味からいえば、彼のラテン語とイタリア語に対する態度に、彼が自分の研究を社会に対してどのように発表しようと考えているかが反映しているようで興味深かった。木星の衛星とガリレオが発見しそこなった土星の環を高校生時代に望遠鏡で覗いたことを思い出す。科学技術の発展の過程をあらためて考え直すきっかけとなるような書物である。 
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