2013年の2013を目指して(10)

10月31日(水)晴れ後曇り

 10月は31日分の日記を記し、ブログも今回を含めて31回分になる。内訳は日記が2、推理小説が5、読書が15、外国語と、映画がそれぞれ4、詩が1ということである。1月から304日分の日記を記し、ブログは309回分を書いているということになる。10月を通じてブログに対していただいた拍手は105である。

 買った本は14冊で、読んだ本は12冊である。読んだのは、リオフランク・ホルフォード・ストレヴンズ『暦と時間の歴史』、ロバート・ファン・ヒューリック『南海の金鈴』、椎名誠『ごっくん青空ビール雲』、東海林さだお『ホルモン焼きの丸かじり』、中野美代子『なぜ孫悟空のあたまには輪っかがあるのか?』川合康三『桃源郷 中国の楽園思想』、保立道久『物語の中世 神話・説話・民話の歴史学』、南條竹則『中華料理秘話 泥鰌地獄と龍香鳳』、溝田悟士『「福音書」解読 「復活」物語の言語学』、ダン・アリエリー『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』、椎名誠『さらば新宿赤マント』、伊藤和行『ガリレオ―望遠鏡が発見した宇宙』である。もう少し社会科学関係の本を読む必要があるのではないかと思う。1月からの通算は101通となった。

 受け取った郵便は5通で、小学校時代の友人から1通、研究仲間から2通、映画関係の友人から1通、出身校の同窓会報が1通ということである。1月からの合計は153通である。

 見た映画は6本で『探偵物語 くたばれ悪党ども』、『パリの恋人』、『ポルトガル ここに誕生す』、『麗しのサブリナ』、『ケサル大王』、『グッモーエビアン』を見た。1月からの通算は64本となった。今年は日本映画、外国映画ともにベスト・テンが選べそうである。東京国際映画祭に出かけられなかったのは残念である。新しい映画館を開拓するということはなかった。

 NHKまいにちフランス語、イタリア語はそれぞれ19回分を聴いており、1月からの通算は199回分、196回分となっている。この他にぼちぼちとラテン語の勉強も続けている。またカルチャーラジオも4回分を聴いた。こちらは1月からの通算は20回である。

 ノートを2冊、万年筆のカートリッジ(パイロット)を4本、(ウォーターマン)を3本使い切った。ボールペンよりも万年筆を使うようになっているという変化はあるが、勉強量が減っているような気がする。

 ミニトトを2回あてて、これまであてた回数は9回となった。宝くじはジャンボだけ買っているが、オータム・ジャンボで4等が当たったのを含めて、17枚が当たった。11月はくじだけでなく、実際にサッカーの試合を見に行こうと思っている。

 アルコール類を口にしなかったのア14日で1月からの通算では159日である。老酒をコップ26杯、紹興酒を2升とグラス1杯、その他多少、ワインをグラス1杯、インド・ビールを小瓶で1本飲んでいる。依然として狩猟が少なくなっていないのが問題である。

 餃子を7人前、焼きそばを4皿、チャーシューワンタン麺とチャーシュー麺、タンメンをそれぞれ2杯ずつ、サンマー麺を1杯食べている。

 2013年の2013をこれらの数字の中からどのように選ぶか、ますます微妙になってきているようである。
 
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語学放浪記(18)

10月30日(水)晴れ後曇り

 本日の毎日新聞朝刊「万能川柳」の秀逸に選ばれていた横浜市在住のワトルさんの句:
 原爆は化学兵器じゃないのかね
 うーん、原爆は化学じゃなくて物理兵器というべきではなかろうか。化学兵器よりも物理兵器の方がよほどたちが悪い。
 それは高校時代に化学よりも物理の成績が悪かったから言っているんじゃないだろうね。

 さて、本題に入って今朝のNHKまいにちイタリア語の時間は、10月23日放送分の再放送であったが、その終わり頃に番組パートナーのヴァレンティーナ・ポンピーりさんがRoma non fu fatta in un giorno. と口にしたのが聞き取れた。

 「ローマは一日にしてならず」と訳されるこのことわざ、中世フランスで言いだされたものが、その後その他の言語圏にも広がったものだそうである。現代フランス語ではRome ne s'est pas faite en un jour.というようである。ヨーロッパの言語にはローマにかかわることわざが多い。やはり「永遠の都」だからであろうか。Tutte le strade portano a Roma. は「すべての道はローマに通ず」。フランス語では、Tous les chemins mènent à Rome. 同じくフランス語でÀ Rome il faut vivre comme à Rome.は「郷に入っては郷に従え」である。イタリア語についてはそういう言い方を見つけられなかった。あるいはそうは言わないのだろうか。

 以前にその一部を紹介したことがある『ほんの話』(現代教養文庫、1980)の著者白上謙一はローマの遺跡を見て「イタリーはまだ戦災から立ち直っておらんのー」といった日本の代議士の話を書きとめ、おそらくフィクションであろうと注記している。そのあとに書かれていることが大事である。「しかし、同じ廃墟に立って、いつの日か巨大なローマ帝国が亡びていったあとの歴史を書こうと決心した」(252ページ)ギボンの決意がシュリーマンの決意と並んで称えられているからである。ローマについてのいくつかのことわざが欧米人の教養の一部を支えているに違いないと推測することもできる。

 さて、ある言語をどの程度勉強し、なじんできたかを知る目印として、ことわざをその言語でいくつ言えるかというのはかなり有効ではないかと思っている。ただし、他の勉強をそっちのけにしてことわざだけを記憶する場合もあるから、万能とは言い難い。特にラテン語のような古典語の場合、その言語の勉強をしなくても、他の勉強のついでにラテン語のことわざを覚える(デカルトに関連してCogito ergo sum.とかホッブズに関連してBellum omnium contra omnes.とか)から、実力以上にことわざを知っていることは起こりうる。

 そういえば、まだ10代のころに渡辺紳一郎の『西洋古典語典』という雑学書を父親の書架から持ち出して読んでいた。これはことわざというよりも名文句を集めた本で、今でもこの本の中に出てくる語句のかなりの部分を思い出すことができる。その結果として語学の実力以上に名文句を知っているということはあるかもしれない。なお、この本には「すべての道はローマに通ず」はセルバンテスの『ドン・キホーテ』の中に出てくる言葉であると書かれていたと記憶するが、なかなか確認することができないままでいる。

 夜、寝つかれないときなど英語のことわざを20思い出そうとしてみることにしている。20思い出す前に眠ってしまうことが多いが、20思い出しても眠れないときは、ラテン語のことわざを思い出す。実は英語の次に多くことわざを思い出せるのはラテン語なのである。それでも20のことわざを思い出すことはできないから、20というのは目印としてはかなり有効なのだろうと思う。フランス語のことわざで思い出すことができるのはほんの少し、ドイツ語は皆無。困ったことである。

 フランス語のことわざについては旺文社の『プチ・ロワイヤル仏和辞典』、イタリア語のことわざについては白水社の『プリーモ伊和辞典』と張あさ子『イタリア語で手帳をつけてみる』(ベレ出版、2010)を参考にした。張さんの本にはRoma non è stata fatta in un giorno.と少し変わった形が示されている。英語のRome was not built in a day.についてもwasn't とかin one dayとするいい方もあり、どれが正しいというものでもないだろう。ただし、ここでの表記に誤りがあればこちらの責任である。

椎名誠『さらば新宿赤マント』

10月29日(火)雨後曇り

 椎名誠『さらば新宿赤マント』(文藝春秋)を読み終える。『週刊文春』に連載されてきたエッセイをまとめたシリーズの最終冊、1990年から続いてきた『赤マント』シリーズ、この3月に終止符を打った。このところ椎名さんの本は文庫本になってから買うようにしてきたのだが、これはシリーズ最終冊だというので特別に購入したのである。シリーズの前作『ガス燈酒場によろしく』はまだ文庫本になっていないので、購入しておらず、1作追いぬいて読み終えたことになる。

 最後だからというわけではないのだろうが、短いエッセイをまとめた本としてはかなりの厚さである。もう少し連載を延ばして2冊にした方がよかったのではないかと思わないでもない。その方が長くシリーズを楽しむことができたはずである・・・。それはさておき、1つ1つのエッセイについていちいち感想を書いていくと、きりがなくなりそうなので、特に印象に残ったことを選んで書いておく。

 「大腸探検隊」は椎名さん夫妻が人間ドックを受けた次第を書いたもの。白金の北里研究所病院というのは広尾の方にある病院らしい。宝くじで10万円くらい当たったら、少し豪華な人間ドックを受けてみようと思っていて、そういうことが実現したらこの病院で人間ドックを受診するのも悪くなさそうである。

 「話は転々三遊間」で出版者系週刊誌がセ・リーグ、新聞社系週刊誌がパ・リーグと書いているのは面白い比喩だが、歴史的にみれば新聞社系週刊誌のほうが古い。『週刊サンケイ』が『SPA!』になったことに触れているが、昔、東京新聞が『週刊東京』という週刊誌を出していたのを椎名さんはご存知ないようである。わたし歯椎名さんよりも1歳年下のはずだが、椎名さんが記憶していないというのは、この雑誌よほど売れていなかったということであろうか。

 「距離の暴虐」はオーストラリアの歴史を語る時によく使われる言葉であるが、椎名さんにはオーストラリアが似合うところがある。若者が海外旅行に出かけなくなったことを嘆く口ぶりが練達の旅行者らしい実感に満ちている。「目的を持てば旅立てる国にいるのにこれはもったいない話である」(121ページ)。まだまだ日本は相対的に豊かであることをどう受け止めるかという問いであろう。

 電気製品の取扱説明書の難解さについて語っている「リモコンの秘密主義に負けた」には同感(「問題なトリセツ」でも同じテーマが繰り返されている)。「馬耳東風」では『東京スポーツ』に「けんかえれじい」という連載を書いていることが紹介されているが、鈴木隆原作の小説、この小説の鈴木清順監督による映画化の両方を知っているので、同じ題名を掲げることには抵抗を感じる。体力の衰えについて記した「店じまいの準備」には同感の部分が少なくなかった。しかし、戦線を縮小するのはなかなか大変だ。「中国のヘンな底力」は実際に出かけた人でないと感じられない印象が語られている。

 最終回「地球の平和を守るため」は半分くらいは照れながらの幕引きではないかと思うが、椎名さんの人生の幕が下ろされた訳ではない。衰えを実感しているのはよくわかるが、まだまだ余力があることも感じられるので、これまでの20年を超える連載にご苦労さまと言いながらも、これからのまた新しい仕事への期待も託しておきたい。

ダン・アリエリー『予想どおりに不合理』

10月28日(月)晴れ

 10月27日、ダン・アリエリー『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』(ハヤカワ文庫ノンフィクション)を読み終える。9月下旬に買ってから、約1カ月をかけたことになる。不勉強で行動経済学という学問領域があることすらこれまで知らずにきたが、経済行動について心理学的な実験を通じて分析を行うという領域らしい。分析の結果は従来の常識を覆すような結論を導くことが少なくないというが、その一方で、言われてみると確かにそうかもしれないと思うような発見に満ちている。

 伝統的な経済学では、人々は非常に合理的で、完全な情報と計算能力をもって常に自分の満足度を最大にするように行動すると考えられてきた。ところが現実の人間は、情報を十分に利用しなかったり、冷静な計算ができなかったりして、合理的ではなく直感的な意思決定をすることが多い。また、一度決めたことを先延ばししたり、誘惑に負けてしまったりしがちである。行動経済学とは、こうした現実の人間の行動特性を前提とした経済学である。著者はこの書物の目標は「わたしたちがみんなどんなふうに不合理かを追求しようというのがこの本の目的だ」(20ページ)と述べている。では、実際にどのように不合理な行動を起こしているのか。

 1章「相対性の真相」では、「相対性」が「(相対的に)理解しやすい」ものであるが、「相対的には、絶えず私たちの足をすくう要素が一つある」(36ページ)と説き起こす。「わたしたちは物事を何でも比べたがるが、それだけでなく、比べやすいものだけを一所懸命に比べて、比べにくいものは無視する傾向がある」(同上)という。そこで自分の持ち物を他人のそれと比べて欲求を膨らませることをくり返す。「人は持てば持つほどいっそうほしくなる。唯一の解決策は、相対性の連鎖を断つことだ」(53ページ)というのがこの章の忠告である。

 2章「需要と供給の誤謬」は物価がさしたる根拠もなく決められていると論じている。「恣意の一貫性」としてもともと恣意的に決められた価格がそのまま永続するだけでなく、関連する品物にも影響を及ぼすことになるという。さらに他人が前にとった行動をもとに物事の良しあしを判断してそれにならって行動することをハーディングというが、自分がしたことについてもそれをくり返すことが少なくない。これを「自己ハーディング」という。物価は需要と供給の力の平衡によって決められるというが、①消費者はさまざまな品物や経験に対する選好や支払意志額を自分の思い通りには制御できていない。②(供給と需要の力は)実際には…互いに依存している(87ページ)という問題がある。確かに「人間が本当に合理的なら、需要と供給にもとづいた昌つのない自由市場は理想だ。とはいえ、わたしたちは合理的でなく非合理的なのだから、政策もこの重要な要素を考慮すべきではないだろうか」(91ページ)と示唆する。

 3章「ゼロコストのコスト」ではゼロコストはきわめて魅力的だが、そのために厄介なことになることもあると論じられる。「実験」を通して「無料」の意味を調べていく行動経済学的な探求により、タダより安いものを差し置いても、被験者たちはただの品物を買おうとする傾向があることを明らかにする。そして人間は失うことを本質的に恐れているのではないか、たとえ交換が無料であっても、交換よりも何かもらうことを選んでい舞うのではないかとして、アマゾンの無料配達サービスで起きた不合理な判断の事例を引き合いに出している。逆に言うと、何かを無料にして売り上げを増し、さらに社会政策を推進することができるのではないかともほのめかしている。

 わたしたちは、金のためではなく、人の役に立つことが楽しいから何かをするということも多いし、人から尊敬されたいとか、馬鹿にされたくないという動機で行動することも多い。そのようなさまざまな動機は全く独立に存在するのかといえば、そうではないことが4章「社会規範のコスト」と5章「無料のクッキーの力」で気づかされる。金銭的なインセンティブが社会的なインセンティブを押しのけてしまう可能性があることを念頭に置くべきであると説く。さらに6章「性的興奮の影響」では人間が性的興奮状態にあるときに合理的な判断ができないことを実験結果に即して論じている。7章「先延ばしの問題と自制心」では、人間が「いま」の楽しみを重視しすぎるという「現在バイアス」にとらわれて、以前に決めた合理的な計画を実行できないことが多いと論じ、その対策についても示唆している。

 8章「高価な所有意識」では人間が自分のもっているものを手放したくないという気持ちがどれだけの経済的な損失をもたらすかを冷静に計算する癖をもつ必要性について訴えている。9章「扉をあけておく」では「現在バイアス」をめぐる問題を論じている。10章「予測の効果」では人間の味覚でさえちょっとした情報に大きく影響されることを指摘し、11章「価格の力」では、プラセポ効果や高いものがよい品質だと思いこみやすい特性を示している。「プラセボ」は暗示の力で効果を発揮する医療行為についていう言葉だそうである。12章「不信の輪」、13章「わたしたちの品性について その1」、14章「わたしたちの品性について その2」では信用を構築することの難しさや不正行為の特性がさまざまな実験を通じて明らかにされている。15章「ビールと無料のランチ」はあらためて行動経済学のがどのように人間の本性を明らかにしてきたかをあらためて実験例を通じて確認している。

 人間が必ずしも常に合理的に行動するとは限らないことを前提として、新たに経済政策を構築し直すべきであるという著者の主張には同意できる。現在の我が国の経済政策とその効果について考えるためにも役立つように思われるが、その一方では理想主義的で人間性を美化する言辞の方が大衆受けはするだろうなぁという別の心理学的な心配も起きるのである。

グッモーエビアン!

10月27日(日)晴れ

 午前中、空いた時間を使って109シネマズMM横浜で『グッモーエビアン!』を見た。昨年度公開された作品であるが、何とか音楽祭の一環として特別に上映するということらしい。しかし、「ロック」によって結びついているらしい「家族」を描いたこの作品が音楽祭の趣旨にふさわしいかどうかは疑問である。さらに「グッモーエビアン」という題名も耳慣れないところがある。(Good morning, everyone!をOz(オーストラリア風の)英語で言うと、こういうふうに聞こえるらしい。)

 そうはいっても、なかなか面白い映画であった。中学生のハツキはシングル・マザーのアキと二人暮らし。実はアキにはヤグ(矢口の省略形らしい)というパートナーがいるのだが、自転車事故で入った思いがけない保険金を資金として海外旅行中なのである。ある日、そのヤグから「グッモーエビアン」と書きなぐった絵葉書が届く。オーストラリアを出て、アジアへと向かうという。十代でハツキを妊娠したアキは、ハツキの父親ではないが、まだ中学を卒業したばかりだったヤグから求婚される。ヤグはまだ法律的に結婚できる年齢になっていなかったので、そのまま3人で暮らしてきたのである。ヤグがヴォーカル、アキがギターを担当するバンドを組んで一時期は活動していたのだが、今は解散してアキは忙しく働いている。

 ハツキにはトモちゃんという親友がいる。風変わりな結びつきの「家族」をもつハツキを理解するただ一人の級友であるが、ハツキは経済的に豊かで夫婦円満に思われるトモちゃんを羨ましく思っている。産休に入った先生に代わって若い小川先生が彼女たちのクラスの担任となる。Good morning, everyone! あっ、そうか。

 1年半の不在の後、ヤグが戻ってくる。アパートにたどりつく前に路上で腹を減らして行き倒れになり、ハツキを見つけて追いかける途中でまた、自分は腹を減らしていたことに気づくという相変わらずのデタラメぶりである。そういうヤグをアキは寛大に迎えるが、そういう2人がハツキには気に入らない。3年生になったハツキは進路をめぐる三者面談を迎えているが、アキは自分のことは自分で決めろと言って出かけようとしない。ハツキは次第に不満を募らせ、1人で先生と面談した後、自分に対して何か言いたいことがあるのに言い出せないらしいトモちゃんのヤグが自分の父親ならいいという言葉に腹を立ててけんか別れしてしまう。

 善意から出た言葉に傷つくこともある。青年前期という激しい変化のさなかにあればなおのことそういういことは起こりやすい。自分が傷ついたことをあからさまに打ち明けることで、他人を傷つけてしまうこともありうる。他人の気持ちを理解することは難しいというエピソードが連続する物語の中で、家族には決まった形があるわけではなく、いろいろな形があってよいのだが、それに気づくのは難しいという主張が展開される。風変わりに見えるが自分の生き方を貫くアキとヤグと接する中で、ハツキが次第に成長していく。「家族」を音楽を結び付けているという設定に無理が感じられるのだが、主張そのものはよくわかる作品であった。

 アキを麻生久美子、ヤグを大泉洋、ハツキを三吉彩花が演じている。映画の後半でヤグがハツキを乗せて自転車を飛ばしていくうちにトラックと衝突する場面がある。『俺はまだ本気出してないだけ』にも同じような場面があった(ただし後ろに誰かを乗せていた訳ではない)と思うが、そのあとの展開は違う。『俺は』で主人公の娘を演じていたのが橋本愛であったが、この作品でハツキの親友のトモちゃんを演じているのが能年玲奈である。能年さんは『あまちゃん』を演じる前には、中学生の役を演じていたのかなどと、映画そのものを離れた楽しみ方もできる。

南條竹則『中華料理秘話 泥鰌地獄と龍虎鳳』

10月26日(土)雨が降っていたが、午後になってやむ

 著者はもともと英文学者であるが、その一方で中華料理をはじめとする美食の世界にも詳しく、酒豪でもあるらしい。その身辺で活躍している酒飲みたちの言動を素材としていくつかの小説も発表してきた。いくつかの領域で執筆活動を続けているというよりも、一つのことをしているだけのだが、その一つのことが多くの世界にまたがっているということかもしれない。そういう意味では吉田健一を連想させるところがある。この書物の中にも吉田健一の名が登場するから、著者自身がかなりの親近感を寄せているのかもしれない。

 この書物は、著者がさまざまな場所に書いたエッセーを集めたもので、食をめぐる奇怪な噂話を和漢洋の書籍からの引用と著者自身の経験を織り込みながら語っている。表題となっている「泥鰌地獄」は鍋に水を入れ、生きた泥鰌と豆腐を一緒に火をかける。水がだんだん熱くなると、泥鰌は苦しいので、冷たい豆腐の中に潜り込む。そのまま煮てしまうと出来る泥鰌入り豆腐を言う。これは作ろうとしてもできないというのが定説である。しかし、この料理をめぐる話題は尽きないのはなぜか・・・ということから日本と中国のさまざまな文献を参照し、自分自身が試みた実験まで紹介しながら結論を引き出す。『あくび猫』をはじめとする南條さんの小説にしばしば登場していたばあやさんが若い頃に林芙美子と田辺茂一と3人で新宿の屋台で飲んだことがあるという経験が紹介されているのが印象に残った。

 もう一つ表題になっている「龍虎鳳」も「幻の料理」であるが、食べられないわけではなさそうである。ただ、食べたいとは思わない人が多いと思うし、私も食べたくはない。なぜかというのは龍と虎と鳳が何を意味しているかを知ればわかってくる。

 物を泥に包んで焼くという料理法の東西比較を試みた「叫化鶏」、魚と羊を組み合わせた料理について述べる「魚と羊」、幽霊が出そうな時間に営業する屋台の話から北京の「鬼街」(ゆうれいまち)の屋台の話題に及ぶ「ゆうれい飯」、「唐墨」についての思い出をまとめた一編、国産アニメーション映画第1作『白蛇伝』の思い出から、そのヒロインの妹分が青魚の精であるという話を経て、青魚をめぐる料理に及ぶ「青魚」、魚の浮き袋の乾燥品である「魚吐」をめぐるエッセーがさらに収められている。それぞれ、南條さんの日中にわたる食の経験が緩急織り交ぜた語り口で展開される。

 「泥鰌ばなし」は主として南條さんの経験をもとに、日本の泥鰌をめぐるさまざまな逸話を紹介しているが、岡本かの子、尾崎紅葉、三島由紀夫、泉鏡花の作品が引用されているのがその読書量を物語っていて読者を圧倒する。吉田健一の長編小説『金沢』の中にも泥鰌のかば焼きの話が出てくるという。わたしもこの小説を読んだことはあるが、南條さんと同じで泥鰌のかば焼きのくだりは読み落としていた。今度また読み直してみよう。

 「チョウザメ」はこの魚が清朝と満州族にとって特別な意味をもっていたことを中心に、さまざまな料理を紹介しているが、幸田露伴からの引用が見られる。本の中で見つけて気になって仕方がない食べ物を探して西安まで出かけた顛末を描いた「甑糕」(ツォンガオと中国語読みがされている)では、お目当ての小吃の他、イスラム料理店の話やモスクを訪れた話など興味深く、「ここには生きた信仰の空気がある。私は嬉しいような、羨ましいような気持ちでモスクを出た」(190ページ)という著者の普段とは違った表情に接したりする。

 スープだけの宴席の経験を描く「洛陽水席」は体験記に近く、「上海万博食べ物日記」は完全に体験記であるが、万博会場の雰囲気を通じて、日本で感じるのとは別の世界の空気が窺われる。

 食べ物の本としてはあまり役に立たないが、食べ物を通した文化論、文学史の本として興味深く読むことができる。それでも、読み終えた後で食べてみたい、食べに行きたいと思う料理がいくつか出てくるのは著者の筆鋒の見事さを示すものであろう。言及されている作家の多くに耽美的、幻想的な作風が見られることも注目しておいてよい。

宇治拾遺物語(4)

10月25日(金)雨が降ったりやんだり、依然として台風のゆくえが心配である。

 NHKカルチャーラジオ「文学の世界」『むかしがたりの楽しみ 宇治拾遺物語を繙く』(講師:伊東玉美白百合学園大学教授)の第4回「序文の謎」を、24日(木)の夜の放送で聴き、本日(25日)また聴きなおした。これまでの放送分に比べると格段に面白かった。野球で言うと4番打者登場というところであろうか。

 『宇治拾遺物語』は今日、手書きの写本と主として江戸時代に刊行された版本とによって伝えられている。ところが、両者の序文を比べてみると、写本の序文には空白の部分が多いことがわかる。版本の場合は、空白があったのでは体裁が悪いので編集者が適宜空白部分を補っていると考えられる。空白は虫食いなどの影響によるものではなくて、何か意図的に設けられているようにも思われる。

 序文はその内容をめぐっても謎が多い。宇治大納言と呼ばれた源隆国がその別荘に人々を呼び寄せてさまざまな昔話を集め『宇治大納言物語』という書物を編纂した。それが面白いので、広く伝わったが、もとの本は侍従の俊貞のところにあった。本がひろまるとともに後の人がいろいろと書き加えをしたが、中には隆国の死後のことまで書いたものも出てきた。

 そんな中、現代(鎌倉時代の初め)にまた、宇治大納言物語に物語を書きいれたものが出来上がった。宇治大納言物語に漏れたのを拾い集め、高国没後の物語をかき集めたものだ。名を宇治拾遺物語という。

 ここで読者は納得するはずだが、序文の書き手はさらに不思議な文言をつけ加えている。宇治拾遺物語に入っていないものを拾った、という意味でつけた書名だろうか。また、侍従の唐名を拾遺というので、侍従大納言がいるのにならって(  )というのかわからない。(  )なのだろうか、はっきりしない。

 つまり、物語の題名の由来ははっきりしないと言っているのである。結局、物語の題名の由来も、序文を誰が書いたかもはっきりとしない。ところが、この末尾と違って、序文の前半は、本当らしい内容に満ちていることも否定できない。宇治大納言物語という書物は実在したと考えられるし、源隆国の系譜も正しく、彼の行動も時代の習俗に合致している。隆国が人々の話を聴いて書きとめたというのは『古事談』の中の小野宮殿が自分の邸の板塀の一部に穴をあけ、果物などを置いて京童たちにそれを食べさせながら、町中で話題になっていることを聴いた。その中には立派な意見もあったという逸話が引き合いに出される。序文の前半には本当らしい内容が満ちている。また隆国の玄孫には「侍従俊貞」と思われる人物=俊定が実在した。

 序文は『宇治大納言物語』にはインドのこともあり、中国のこともあり、日本のこともある。その中には、尊いことも、おもしろいことも、怖いことも、しみじみすることも、汚いこともある。少しは作り話や当意即妙のやりとりだけの話もある。まさにいろいろさまざまだったと記している。この内容は『宇治拾遺物語』にそのままあてはまる。またその昔物語の中には「少々は、空物語もあり、利口なることもあり」と書かれていることが重要で、ここに本来説話は、作り話(空物語)ではないし、当意即妙な答えだけの、地口落ちや言語遊戯(利口)だけがポイントの話でもないという考えが現れている。説話は本来、何らかの事実を語り伝えるものであるというのである。

 説話集のあいだには類似した内容をもつものが多く存在し、その類似の程度によって分類がされていることは既にふれた。『宇治拾遺物語』が『古本説話集』『世継物語』『今昔物語集』『打聞集』などと多くの同文的同話をもつことから、これらの説話集の共通典拠が散逸した『宇治大納言物語』ではなかったのかという推定もなされてきた。現在では、もっと複雑な成立事情が背景にあると考えられているようである。

 いずれにしても、序文の虚実のあいだを巧みに遊泳する茶目っ気は、本文の内容とも共通する性格であると伊東さんは指摘している。高校までの国語(古文)の知識では、『宇治大納言物語』と『宇治拾遺物語』の関係についての序文の語りについてここまで深くはよみとれなかった。この物語について読む際の有力な手掛かりを得た気分である。

 伊東さんは小野宮殿について説明しなかったが、藤原実頼(ふじわらのさねより、900-970)のことである。有職故実に詳しく日記『水心記』を書いたが、現存しない。彼の孫実資(さねすけ、957-1046)は日記『小右記』や「小野宮年中行事」を遺した。伊東さんは、放送の最後で四納言について触れたが、その1人である『和漢朗詠集』の作者藤原公任(ふじわらのきんとう、966-1041)も実頼の孫の1人である。

 説話は歴史や民俗と比較・対照して考察することによりさらに新しい事実の世界を切り開く可能性をもっているとあらためて思っているところである。

ウィルキー・コリンズ『月長石』(13)

10月24日(木)曇り、時々雨。台風27号と28号が日本列島に接近中でいろいろと不安である。

 10月21日(月)、横浜駅西口有隣堂で月長石の標本を購入する。既に2点もっているのだが、店頭に並べられているのを見るとほしくなってしまう。困ったことだ。

 ウィルキー・コリンズのこの小説の中心となっている月長石は黄色いダイアモンドであって、今回私が買ったのは、別の種類の石である。月長石(Moonstone)というのは月の満ち欠けによってその輝きが変わると信じられ、インドの寺院で月の神の像の額に飾られていた。その後、イスラム教徒の手に落ちたが、3人のヒンズー教徒の僧が常にこの宝石のゆくえを見まもってきたと語られている。なお、コリンズは別の種類の石について「月の影響を受けると考えられるが、宝石としては品格の劣る半透明の石」(semi-transparent stone of the inferior order of gems, supposed to be affected by the lunar influence)(中村能三訳、創元推理文庫、9ページ、Penguin Popular Classics, p.11)と述べている。

 インドの宮殿から強奪者であるハーンカッスル大佐の手で英国に持ち込まれた月長石は、彼の死後姪にあたるヴェリンダー家の令嬢レイチェルの18歳の誕生祝いとして贈られるが、誕生祝いの翌朝、その行方が分からなくなる。難航する捜査を解決するために、ロンドンからカッフ部長刑事が招かれる。彼の捜索の中でこの邸の下働きの女中で前科のあるロザンナ・スピアマンの挙動がおかしいことが明らかになる。カッフ部長刑事は彼女が邸の中の誰かの意を受けて動いているのではないかと推理する。そして推理の裏付けのために近くの町であるフリジングホールに出かける。留守中、レイチェルの従兄で彼女への求婚者、月長石を邸に持ち込んだフランクリンに、ロザンナが何か話しかけようとするが、フランクリンは(彼女が自分に関心を抱いていたとしても)彼女に関心はないと聞えよがしにいうという一幕がある。

 月長石が紛失した経緯を語っているのはこの邸の執事であるベタレッジであるが、戻ってきたカッフは彼に向ってフリジングホールでの調査結果を語る。フランクリンが宝石を邸に持ち込む前後から邸の近辺をうろうろしていた3人のインド人は逮捕されていたが、今回の事件とは無関係であることが分かり、間もなく釈放されることになる。しかし、彼らは宝石を取り戻すために、その行方を捜し続けるだろうとカッフは予言する。彼の調べたところではロザンナは町でナイトガウン用の生地を買い求めた。おそらく汚れのついた自分のガウンと取り換えるつもりなのだろうが、だとするともとのガウンを焼き捨てずにどこかに隠したという行動の説明がつかない。いずれにしても、彼女が何かを隠した「ふるえる砂」のありかを突き止めなければならない。

 レイチェルは伯母であるエーブルホワイト夫人のもとに旅立とうとする。カッフは引き止めるが彼女の決意は固い。そこで、彼女の馬車に見張り役を乗せることにする。彼はまた地元の警官のジョイスにロザンナを見はるように言いつけていたのだが、ジョイスは彼女を見失っていた。そこでカッフはヴェリンダー家の召使たちを集めて、ロザンナを最後に見かけたのがだれであるかを調べる。台所女中のナンシーが、ロザンナが海岸の漁村であるコブズホールに手紙を出そうとしていたのを見かけたのが最後の目撃例であることがわかる。カッフは手紙の中にロザンナがどこに何を隠したかの謎を解くカギが書かれているかもしれないという。

 ロザンナが行方不明になった噂は召使たちのあいだでも話題になっていて、彼らは彼らなりに行方を調べて、近所に住むある少年がロザンナが海岸指して走っていたのにすれ違ったという情報を得ていた。カッフはロザンナの靴を寄越してくれというメッセージを伝えるが、ベタレッジはあとで自分がもっていくと答えて、その通りカッフのあとを追う。カッフはロザンナの足跡を見つけていたが、彼女は何かを隠したふるえる砂の場所にたどりつく前に不慮の事故に遭った様子で、姿を消していた。ベタレッジはロザンナが自ら命を絶ったと思い、近くにいた漁師も彼の発言を支持する。カッフとともに屋敷の前まで戻ってきたベタレッジは使いに出てきた馬丁からロザンナの書置きを渡されて泣き出す。

 邸の中はすっかり混乱していて、ヴェリンダー夫人はカッフに向かってこの騒ぎの責任は彼にある、解任すると言い放つ。カッフはベタレッジとその娘でレイチェルの小間使いのペネロープを呼んであらためてロザンナの事件についての意見を聞く。30分がたって、ベタレッジがヴェリンダー夫人のもとに向かおうとすると、邸を出るつもりになっているフランクリンにであう。カッフはヴェリンダー夫人とお互いに落ち着いて話し合うことを提案する。はたして2人は何を語りあうことになるのだろうか。

 レイチェルには従兄であるゴドフリー・エーブルホワイトと、同じくフランクリン・ブレークの2人が求婚している。レイチェルはフランクリンと部屋のペンキを塗ったりして睦まじく過ごし、いったんゴドフリーからの申し出を拒絶したのだが、宝石の紛失を境にして、フランクリンには冷たい視線を向けるようになる。そして、ロンドンのエーブルホワイト家に向かった。宝石とともにレイチェルの結婚相手がだれになるかも物語の焦点の1つとなっている。

大学の始まり

10月23日(水)曇り

 大学の始まり

小窓から差し込む光に
それまでの思索が中断し、
新しい考えが浮かぶ。

書架に並ぶ
手書きの写本の中に眠っている
人々の権利と幸福のための知恵を
多くの人々の知識としなければならない。
誰かが知恵について語らなければ、
知恵が人々に届くことはない。

彼は、
あるいは彼らは、
語りだし、
彼の、
あるいは彼らの
まわりに聴き手が集まり、
新しい知恵を見出し、
新しい知恵を語り出した。

中世のヨーロッパと
同じはずの太陽の下にそびえる、
建物の廊下を歩きながら、
自分が何を語っているかを自問する。
自分のことばが
さらに強力なことばに成長し、
知恵を生み出しているか、自問する。
大学は、初心を保っているだろうか。

語学放浪記(17)

10月22日(火)曇り

 学生としての経験からも、教師としての経験からも、大学の語学教育には問題が多いと思う。大学の授業で何コマかの外国語の時間を履修したからと言って語学力がどこまで上昇するかは疑問である。外国語が専門ではない学生の場合、これは仕方がないことであるとはいうものの、入学時の語学力をベンチマークとして、そこからどのように伸ばしていくかという目標の設定が求められるのではないか。もっともその目標の設定は個々の学生が自分ですればよいと言ってしまえばそれまでである。語学力を上昇させるためには語学専門の学校に通ったり、ラジオ・テレビの放送講座を聴いたり、補助教材を使ったり、授業以外の手段を利用する必要があるだろう。そうなると単にある言語を教えるというだけでなく、その言語の学習に取り組むための意欲をかきたてたり、学習機会を拡大・調整するためのヒントを与えるというようなことが大学での語学の授業の担当者に求められるのではないかと思う。また単に会話力を求めるのではなく、内容の充実した会話を展開する力を身につけさせるためには語学を他の授業の内容と関連付けて教えていく工夫も必要である。

 外国語の勉強について考えていることの1つは辞書の問題である。辞書というのは比較的高価な書籍であるので、特別な買い物になる。大学院時代の友人の1人がある高校の非常勤講師をしていて、教えていた生徒の1人がスポーツ選手の推薦枠を使って東京6大学の1つに進学が決まった。それで、「先生、ドイツ語の辞書はどれを使ったらいいのですか?」と質問してきたそうである。その友人はわたしと違ってドイツ語はよく勉強していて、何冊も本を読みこんでいたから、適切な回答をしたと思うが、この質問には大いに考えさせるような事柄が含まれている。現在では第2外国語=ドイツ語というようなことはなくなっているが、大学で第2外国語を履修しなければならないということ、さらに第2外国語学習の目標がはっきりしないことは問題ではないかと思う。もし1年間形式的に第2外国語を勉強するだけということであれば、むしろ辞書を使わせないような教え方をする方が好ましい。一生使いもしない辞書を買わせるのはどうかと思う。もしその言語を本格的に勉強したいと学生が思ったら、その時点で辞書を買って勉強すればよいのである。履修を決めた時点で辞書を買わせるというのは、語学関係の出版業者を儲けさせるだけのことになりかねない。

 現在のわたしの場合で見ると、英語とそれ以外の言語とでは辞書の利用頻度がかなり違っている。英和辞典は2種類以上、英英辞典も2種類以上、和英辞典も1種類持っていて、特に英和はほぼ毎日使っている。英和辞典との付き合いは中学生時代のコンサイス英和辞典から始まり、研究社のポケット英和辞典を経て、同じくリーダーズ英和辞典を使うようになり、紙のを3冊か4冊使いつぶし、電子辞典も使っていた時期がある。英英辞典になると1週間に1度くらいだろうか、和英になると最近はご無沙汰している。英文のメールを書くというような用事がないのである。辞書を使うのは、知らない単語や熟語が出てきた場合、知っている単語でも適切な訳語が決められない場合などであるが、だいたいの見当はついても念のために引いてみるという場合もあるので、辞書を使いつぶすことになるのである。

 英語以外の言語ということになると、辞書はほとんど使わない。仏和辞典は3種類持っているが、机の上、あるいは本棚に置きっぱなしになっている。机の上の辞典を週に1度開くか、開かないかという程度で、むしろ伊和辞典の方がよく使うくらいである。入門段階の言語の場合、自分で単語帳をつくって単語を覚えていく方が上達の助けになるのではないか。それなりに語学力が上達しないと、辞書は使いこなせない。中国語は学生時代に使っていた辞書をいまだに使っている。

 そういえば羅和辞典と和羅辞典をもっているが、これもほとんど使わない。羅英辞典の方がいざというときの役に立つような気もするが、ラテン語の場合まだ単語帳で済むレヴェルに留まっていると考えた方がよい。どうも嬉しがって使いもしない辞書を買ってしまうことが多かったように思う。そういうことはやめようと思いながらも、今、探しているのは英語の記事を読んでいるときに出てくる中国の固有名詞がわからないことがあるので、それがわかるようになるような中英辞典である。

保立道久『物語の中世 神話・説話・民話の歴史学』(3)

10月21日(月)晴れたり曇ったり

 保立道久『物語の中世 神話・説話・民話の歴史学』の第3部は「中世民話の世界」と題され、「御伽草子」の中から「桃太郎」「寝太郎」「はちかづき姫」の3人を主人公とする物語を取り上げて、それぞれの世界を解明しようとしている。(ただし、「桃太郎」は『御伽草子』には含まれていない。この論考ではそれに似たものとして「一寸法師」が取り上げられている。)

 第8章「腰袋と『桃太郎』」は絵画資料に現れる男の小物入れ=「腰袋」の画像を検討し、その仕組みや内容物を推定し、次いで、それを前提にして桃太郎の「お腰につけたキビダンゴ」の暗喩の説明、そして桃太郎伝説一般の解明を目指している。

 桃太郎はおばあさんに作ってもらったキビダンゴを腰につけて旅立った。絵本などでは桃太郎の腰に袋が描かれ、キビダンゴはそこに入っていることになっている。このような袋は「腰袋」と呼ばれ、桃太郎の民話を再検討する場合にもっとも着実なよりどころになるものであるという。中世末に日本を訪れた宣教師ルイス・フロイスは『ヨーロッパ文化と日本文化』の中で「袋はヨーロッパでは金銭を携行するのに使われる。日本では貴族や兵士のそれは香料や薬品、火打石を入れるのに使われる」(263ページ)と書いている。この中で最も重要なのは火打石であって、そのために腰袋は「火打袋」とも呼ばれていた。日本の腰袋は主として小物入れの役割を演じていたが、その中に貨幣を入れることがないわけではなかったという。ただ、多額の貨幣を入れることはその大きさから無理であった。「彼我の相違は、ヨーロッパの貴金属貨幣文化と日本の卑金属貨幣文化の相違全体の問題として、今後よりいっそう広い視野からとらえていかねばならないだろう」(302ページ)と著者は書いているが、卑金属貨幣文化は「日本の」というよりも「中国文化圏」のものではないか。

 さて、中世の腰袋・火打ち袋は一般に腰刀につけられるようになっている。腰刀は中世の成人男子の「身分標識」とも言えるような性格をもっている。だいたい南北朝時代ごろまでの腰刀は万能小刀、万能ナイフとして民衆の腰のあり方を特徴づけるものであった。これとは別に武士の場合は太刀を腰に帯び、その太刀に弦巻をつける。武士が腰袋をつけるのは隠居した場合である。しかしこのような習俗は中世後期になると変化していくという。

 桃太郎は腰袋の中にキビダンゴを入れているが、キビダンゴは民話の「猿蟹合戦」にも登場して、助太刀を頼む際の交換条件となっている。このことに着目して「猿蟹合戦」や「桃太郎」は「交換」ということの面白さを中心につくられた民話だと喝破したのは柳田国男であった。その一方で、桃太郎が腰袋の中に火打石も銭も入れていないことに桃太郎の卑賤で疎外された姿が描き出されていると保立さんは指摘している。その一方で桃太郎が太刀をもち、鬼ヶ島の征伐に出かけるところに、中世的な価値観の動揺の反映が見られるとも論じられ、さらにこの民話が桃の呪力についての民俗的な意識も反映していることが述べられている。さらに御伽草子の「一寸法師」との比較考察が展開されている。 

 第9章「『ものぐさ太郎』から『三年寝太郎』へ」は、この民話の原像には「嗜眠症」「癲癇」の病を負った独身の下人の境涯があったことを論じている。民話の「三年寝太郎」を紹介した後に、基本的に同じ話としてお伽草子の「ものぐさ太郎」を取り上げ、太郎が「ものくさ」から「まめ」に変身する謎に迫ろうとする。その中でこの民話には中世の下人たちの境遇をめぐる深刻な問題が秘められていると論じている。

 第10章「秘面の女と『鉢かづき』のテーマ」は「被衣」(かづき=マント)による中世女性の秘面の風習について、文学・絵画を主な史料として論じたものである。そして女性の「秘面・露面」の観点から、中世の女性に固有の身分意識・身分制度のあり方を鳥瞰する。次にそれを前提として『御伽草子』の「鉢かづき」のテーマの解明を試みている。

 ところで保立さんが授業の中で「鉢かづき」について知っているかどうかを学生にたずねたところ、ほとんどの学生が知らなかったそうである。「現代の『子ども文化」は、『御伽草子』の世界を全く捨て去ろうとしている。・・・現代の児童文学が・・・『御伽草子』の世界の忘却と結びついているかのような状況は、やはり問題が多い」(419ページ)という意見には同感である。第1回で、歴史を物語として教えようとする傾向について触れたが、それよりも、われわれが先祖から語り継いできた民話を忘れないことの方が歴史に対する誠実さではないかと思っているところである。

保立正久『物語の中世 神話・説話・民話の歴史学](2)

10月20日(日)雨

 昨日に続いて保立正久さんの『物語の中世 神話・説話・民話の歴史学](講談社学術文庫)を取り上げる。前回は「神話」について論じた第1部を取り上げたが、今回は「説話」について論じている第2部について紹介していこうと思う。第2部「中世説話の世界」は4つの章から構成されている。この書物は歴史学の側から書かれた書物であって、説話(説話文学全般ではなくて、説話集やその他の書物の中で語られている個々の説話)は史料として用いられていることは、前回にも述べたとおりである。

 第4章「内裏清涼殿と宮廷説話」は平安京内裏殿舎のうち、天皇の日常の居所である清涼殿の殿上間(てんじょうのま)に置かれた椅子(殿上の御倚子=てんじょうのおんいし)と、そのそばに開かれている「小蔀(こじとみ)」という窓について、これらにまつわる説話を分析することにより、宮廷と天皇の日常の政務と生活を探ろうという試みである。保立さんは説話文学の淵源として「宮廷説話」と呼ぶべきものがあったとも論じていて、これは興味のある諸説である。

 殿上間は清涼殿に付属した「事務室兼社交場」(170ページ)であり、御倚子は儀式などの折に天皇が座るためのものである。しかし、殿上間やそこでの会議に天皇がしばしば顔を出すということはありえない。部屋にいすが置かれているという事実が、この部屋に出入りする貴族たちに天皇の存在を感じさせていたであろうと論じられている。

 感じていただけではない。現実に清涼殿は天皇の居所であり、殿上間と上戸を隔てたすぐ向こうに天皇の生活空間があった。上戸には天皇が殿上間を覗く窓―小蔀が設けられていた。実際に天皇が小蔀を通して殿上間の貴族たちの様子を覗いた例が説話として書きとめられている。例えば一条天皇が藤原実方と藤原行成の口論と、その際の行成の落ち着いた様子を見て、実方を陸奥の守に左遷し、行成を蔵人頭に抜擢した(この話にはまだ続きがあるが・・・)ことは『古事談』や『十訓抄』に見えるそうである。

 第5章「説話『芋粥』と荘園制支配――贈与と客人歓待」は芥川龍之介の翻案小説で有名になった『今昔物語集』の中の「芋粥」の説話を取り上げている。この説話は一般には都市下級貴族の貧窮と対比して地方の「武士領主」の勃興を語ったものと理解されているが、むしろこの説話集に多く見られる都市住人の致富説話ではないか、永年まじめにその仕事に励み、五位に叙せられた者には思いがけない致富の道が開かれてくるという夢物語ではないかと論じている。

 第6章「虎・鬼ヶ島と日本海海域史」は、第5章で取り上げた「芋粥」の説話の中で五位の侍を招いて歓待した藤原利仁の本拠である越前敦賀に視座を置き、そこからユーラシア大陸や韓半島の諸国と日本との関係を考えようとしている。特に中世の絵巻物に描かれている「虎皮」に着目し、それが一方で中世的な武勇の象徴であり、他方では征伐の対象としての異国の象徴となっていたと論じている。

 第7章「領主本宅と煙出・釜殿」は中世の絵画資料に描かれた領主の住宅から上がっている煙に着目し、それが竈と囲炉裏の火の煙であろうと論じ、さらに寝殿造りの建物における釜殿の役割と、それが地方の豪族の邸宅にも設けられていたこと、釜殿が邸の中で重要な場所と認識されていたこと、竈の神をめぐる信仰、煙が地上と天上を連絡するものと考えられていたことなどが指摘されている。

 中世といいながら、実はここで取り上げられている説話のかなりの部分が古代の出来事である。藤原利仁は平安初期の武人であり、その説話が中世にまとめられた書物の中に収められているという関係になる。これは第1章の多くの論稿と共通する特色であるように思われる。また各章がある程度の関連はあるものの、それぞれの独立した論旨をもっているというところが説話集の雰囲気に似ている。当たり前のことながら、「説話」を題目に掲げてはいても議論の進め方は歴史学者らしいものである。
 

保立道久『物語の中世 神話・説話・民話の歴史学』

10月19日(土)曇り

 保立道久『物語の中世 神話・説話・民話の歴史学』(講談社学術文庫、2013)を読み終える。1998年に東京大学出版会から刊行された原本に基づいているが、著者がそれまでの20年ほどにわたって書きためてきた論稿をまとめたものであり、歴史学・中世史学の立場から、日本の神話・説話・民話を分析している。ここで「神話」「説話」「民話」というのは「宗教」「文芸」「民衆的生活意識」という3つの意識の領域に対応して、それらから生まれ、その中で語られたり、書き留められたものと常識的に考えて差し支えないという。著者の意図は3つのそれぞれを並列して分析することではなくて、これら3つの領域で考えられている物語を通じて中世の社会の生活や意識をあぶり出そうということである。

 著者は「はじめに」の最後でこの書物の題名が物語を歴史研究の史料として扱おうとすることによるものであり、「中世の歴史を『物語化』しよう」という意図を表明するものではないと論じる。著者の意見についてはまた詳しく述べることにして、私自身も今の学校の生徒に歴史の人気がないのは、物語として歴史を教えないからだ→物語としての歴史を教えようという議論には賛同していないことを書いておきたい。あらゆる時代のあらゆる人々の歴史に興味を抱く――という人もいるだろうが、そうでない人もいる。どんなに教え方を工夫しても歴史は面白くないという人もいるかもしれない。そういう意味で、こうすれば何とかなるという意見は疑ってかかる必要があると思うのである。(保立さんは歴史の本質にかかわってその物語との違いを論じている。)

 全体で3部、10章からなる書物であり、全体を紹介していくと長くなるので、今回は第1部「神話の世界と中世」だけを紹介する。この部分は、中世社会の中で語られている神話の世界について論じたものである。

 第1章「『竹取物語』と王権神話――五節舞姫の幻想」はこの論集の中で唯一「古代」社会における神話について考察したものであり、「かぐや姫」の原像には吉野で天武天皇が幻視したという天女の伝説があったと推定し、この天女の伝説のイメージが、平安時代の「五節舞」の場における舞姫の姿に投影されていると論じる。

 第2章「『彦火々出見尊絵巻(ひこほほでみのみことえまき)と御厨的世界――海幸・山幸神話の絵巻をめぐって」は、海幸・山幸神話を描いた平安時代末期の絵巻『彦火々出見尊絵巻」を分析したものであり、中世の人々が古代神話をどのように読んでいたかを示そうとしている。この絵巻では神話世界が中世的な世界として描かれており、中世の漁業風俗や「御厨」についてこの時代の人々がどのようにとらえていたかを知ることができるという。さらにまた古代人の「礼」がどのように中世のしぐさによって表現されているかについて考察し、この絵巻における竜宮の描き方をめぐり、平安末期の人々の他界観・異国観の中でのその位置を探ろうとしている。

 第3章「巨柱神話と天道花――日本中世の氏神祭と農事暦」は、中世の絵巻物に描かれた風景の中に「天道花」という高竿を掲げる民俗を発見し、その風俗の淵源をめぐって、そこに古代の「巨柱」「巨樹」信仰や「日神」信仰の痕跡をあとづけようとしている。著者の初期の論稿であり、民俗学の成果を中世史の中で生かそうとした試みであると開設されている。

 さらに第3章の補論として「歴史学にとっての柳田国男」というエッセー風の短文が収められている。柳田民俗学と戦後の中世史学の相互の関係についての論及が興味深い。

 「神話」といっても、より最近の研究者たちが問題にしている「中世神話」ではなく、「古代神話」の中世における受容や、民俗の中に残っている古代の信仰に焦点を当てているところがこの書物の特色ではないかと思う。この部分だけでなく、全体を通じて著者の関心によって研究対象が選択されており、問題についてのすべてを網羅した研究ではないことを念頭に置いて読む必要があるとも思った。

宇治拾遺物語(3)

10月18日(金)晴れたり曇ったり

 NHKカルチャーラジオ「文学の時間」『むかしがたりの楽しみ 宇治拾遺物語を繙く』第3回『今昔物語集と宇治拾遺物語』の再放送を聴く。

 今回は「説話文学のながれ」として、日本の説話集が仏教説話文学として始まったこと、その中で「往生伝」という分野の作品が多く作られたが、これは浄土教の流行、あるいは末法思想の神道と、天災・兵乱の続発という世相を背景とするものであったと論じられる。

 このような中で編纂されたと考えられるのが、『今昔物語集」である。その成立年や編者については分かっていない。1,000余話31巻(うち3巻は欠けている)という巨編で、天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)という当時の仏教的世界観の全世界を表す「三国」の説話を集め、それぞれの前半に仏法部、後半に世俗部が置かれている。また同じ主題の説話が集められていて、説話の事典のような構成になっており、「二話一類方式」と呼ばれる、類似する内容の説話同士を並べて、説話の連鎖を楽しむような方法も、全体に貫かれている。

 しかし、どのような事情によるものか、この作品は奈良の大寺院で死蔵されていたようで、江戸時代になって井沢蟠竜(長秀)によって再発見されたものの、広く評価されたのは、芥川龍之介の手によってその中の説話が翻案された小説が世に問われ、また彼が「今昔物語鑑賞」(1927年、新潮社発行の『日本文学講座』第6巻所収)によってその意義を論じられて以後のことであるという。「今昔物語鑑賞」の中で、芥川が特に強調したのは『今昔物語集』の遠慮会釈のないリアルで迫力ある描写への欲求と筆の冴えであった。

 『今昔物語集』と『宇治拾遺物語』には登場人物やストーリーの大枠が似ているという程度ではなく、細かな表現に至るまで非常によく似ている「同文的同話」と呼ばれるものが数多く含まれている。このような共有は、いろいろな説話集のあいだに存在するものであるという。

 平安時代後期以後の「院政期」を通じて、『宝物集』のような仏教説話集もあまれたとはいうものの、それよりも多く『宇治拾遺物語』をはじめとする仏教以外の話材をも多く含む、あるいは仏教主体ではない説話集が、多く作られるようになる。『古事談』『続古事談』『古本説話集』『今物語』『十訓抄』『古今著聞集』などが主なものである。これらの説話集は、数多くの「同文的同話」、それよりは文章に距離がある「同話」、あるいは骨子が共通する「類話」を共有し合っている。今日と違って、院政期は著作権のようなものがなく、類似したテーマをもとに腕をふるいあう、「説話集競作の時代」といってもよい時代であったという。

 講師である伊東玉美さんは『今昔物語集』と『宇治拾遺物語』の与える印象の違いとして、『今昔物語集』がHeartに訴えるのに対し、『宇治拾遺物語』はMindに訴えるところがあると論じている。そしてその例として、両者の悪行説話から、『今昔物語集』の巻29本朝
悪行の「世に隠れたる人の婿と成りたる□□語第4」を取り上げる。ここでは盗賊の片棒を担いだために異形の姿を隠さなければならなくなった人物の婿になった男の不思議な物語が語られている。奇妙で不気味な物語である。

 これに対して『宇治拾遺物語』の125話「保輔盗人たる事」では藤原保昌(958-1036)の弟である保輔が盗人の頭目で、商人を騙しては深く掘った穴に生きたまま突き落とし、ただで品物を手に入れる悪行を続けていたため、彼のもとへ物売りに行って帰ったものはいなかったという話を語るが、そのような悪行を続けていたのに、長い間逮捕されなかったという事実の方に語り手の関心は向けられている。

 なぜ、そうなったのかといえば、保輔が時の権力者である藤原道長(966-1027)の懐刀の1人であった保昌の弟であったために、何らかの政治的な力が働いていたのではないか――と当時の人々は考えたであろう。『宇治拾遺物語』の語り手は、事件の陰惨さにたじろいでいないで、むしろ政治的な事情の方により興味をもっているように思われる。さらに言えば、保輔の悪事を世の中の暗部として既に呑み込んでいるようでもある。

 このように『今昔物語集』と『宇治拾遺物語』の個性の違いの一端が、盗人をめぐる語り口の違いから解き明かされている。こうしてみると、講師の関心は『宇治拾遺物語』を中心として、説話文学全体のさまざまな興味の対象と語り口に向けられている、ひとつの作品に限定されない、より広いものであるというように推測される。はたして次回以降はどのような展開になるのだろうか。

 なお、伊東さんは『宝物集』を平康頼作とされており、物語を読むとそのように受け取られる内容になっているだけでなく、『平家物語』にも流刑から帰京した康頼が『宝物集』を書いたと記されているのではあるが、彼が実際の著者ではなくて、彼に仮託した著書であるという説もあることを書き添えておく。藤原保昌は御伽草子の酒吞童子の中で、源頼光の主従とともに大江山の鬼を退治することになっている。兄弟でずいぶん違う姿を物語の世界の中にあらわしているのである。

麗しのサブリナ

10月17日(木)晴れ後曇り

 横浜シネマ・ベティで10時から『麗しのサブリナ』、その後14:15から『ケセル大王』を観た。本日は、『麗しのサブリナ』(Sabrina)について取り上げる。ビリー・ワイルダー監督が1954年に製作・監督した作品でサミュエル・A・テイラーの舞台劇に基づいて、ワイルダー、テイラー、アーネスト・レーマンの3人が脚色した。

 10月10日の当ブログで取り上げた『パリの恋人』に続くオードリー・へプバーンの特集の中での上映。『ローマの休日』で一躍脚光を浴びて、アカデミー主演女優賞をとった直後のオードリーの出演作。日本での反応はあまりよくなかったが、アメリカでの評価は『ローマの休日』よりもよくできているというものが少なくないようである。脚本と演出は周到に組み立てられていて、物語のあちこちにその後の展開の伏線が張り巡らされている。それにハンフリー・ボガート、オードリー・へプバーン、ウィリアム・ホールデンという3人の主演者の脇を固める助演陣がなかなかの顔ぶれである。

 ロング・アイルランドに邸宅を構える富豪のララビー一族には仕事一筋のライナスと、プレイボーイのデーヴィッドの2人の兄弟がいる。邸宅には多くの召使が雇われているが、その1人である運転手のトマス・フェアチャイルドにはサブリナという娘がいて、彼女はデーヴィッドに恋をしている。もともとイギリスからやってきたトーマスは身分違いの恋には反対で、彼女をパリの料理学校に留学させようとする。デーヴィッドが自分を無視していることに腹を立てたサブリナはガレージの中の自動車全部のエンジンをかけて排気ガスで自殺を図るが、ライナスに救われる。

 失意の中、パリに旅立ったサブリナは料理学校でサン・フォントネル男爵という老人に会っていろいろなことを教えられ、見違えるようなレディーになって帰国する。ララビー一族はプラスティックの開発を進めており、その原料となるサトウキビの生産に大きなシェアをもつタイソン家の令嬢エリザベスとデーヴィッドを結婚させることを計画する。デーヴィッドは駅でサブリナを見かけて彼女を車に乗せて家まで送りつけ、そこで初めて彼女が運転手の娘であったことに気づく。そしてその夜に邸宅で開かれるパーティーに彼女を招待する。

 パーティーではエリザベスの相手をしていたデーヴィッドであるが、サブリナが登場して気もそぞろとなる。デーヴィッドとサブリナの仲は兄弟の父母の知るところとなり、反対を受けるが、デーヴィッドは意に介さず、ライナスも弟をかばう。ところがサブリナのところにシャンパンを運ぼうとして尻ポケットにグラスを隠していたことを忘れて腰かけたデーヴィッドは尻を怪我してしまう。サブリナの待つテニスコートにはライナスが向かう。

 身動きができないデーヴィッドに替わって、ライナスがサブリナをヨットに誘う。サブリナは仕事に没頭して退屈で怖い人間だと思っていたライナスが見かけによらず親切で優しい人間であると思うようになり、さらに自分の気持ちが次第にデーヴィッドから離れて、ライナスに向かっていくことに気づいて苦しむ。

 そう書いてしまうと深刻な恋愛ドラマと誤解されるかもしれないが、デーヴィッドのけがの件でもわかるとおり、かなりふざけた部分の多いロマンティック・コメディ―である。身分制度の厳しいヨーロッパとデモクラシーの国であるはずのアメリカという紋切り型の対比が、ロング・アイランドの富豪の一族の貴族的な性格を描くことで論駁される。アメリカにも階級や身分の違いはあることを指摘しておいて、さらにその壁を乗り越えて成功するロマンスを描く――というところに、オーストリア生まれで、アメリカに定住したビリー・ワイルダーなりの社会的な主張が見られる。『パリの恋人』でも触れたが、目立たなかった女の子が目を見張るような美女に変貌するというストーリーはオードリーの主演作によく見られるパターンであるが、ここではそれに加えて変貌した彼女が今度は男を見る目を変化させていくという二段構えの構成になっているのが特徴的である。

 クレジット・タイトル順に出演者を観ていくと、ハンフリー・ボガートはそういえば、この後『アフリカの女王』でキャサリン・へプバーンと共演し、両へプバーンと共演しているなぁ、この2人と共演した男優は他に誰がいるだろうかなどと、考えていた。ライナスがどこからサブリナに惹かれていくのか・・・というのが今ひとつわからないのだが、分からないのもこの作品の面白さかもしれない。まだ若かったオードリー・へプバーンがボガートと一緒にいる場面で、時として妖艶に見える表情をするのが印象的であった。そういう表情を見かけた記憶はないが、あるいは彼女の映画を見た時のわたしの年齢が若かったから見逃していたということだけかもしれない。ウィリアム・ホールデンの紋切り型にも見えるプレイボーイ演技がこの作品の雰囲気に合っている。彼がアカデミー主演男優賞を得たのがワイルダー監督の『第十七捕虜収容所』であったことからも、監督との相性の良さが感じられる。

 以下、わき役について一言、二言:エリザベスを演じているマーサ・ハイヤーは死んだという話を聞いていないので、まだ生きているはずである。終わり近くの取締役会の場面で何度もWho's Sabrina?と叫ぶのが印象的。あまり得ではない役回りながら、一時期はグレース・ケリーの後継者と目されたという美貌でオードリーを向こうに回して頑張っている。サブリナがパリで親切にされる男爵を演じているマルセロ・ダリオ(1900-85)は、実際の年齢よりもだいぶ老けた役を演じていたことになる。古くは『望郷』(1937)、『大いなる幻影』(1937)、『ゲームの規則』(1939)などに出演した俳優で、この後も『フレンチ・カンカン』(1960)、『レディL』(1965)、『おしゃれ泥棒』(1966)、『25時』(1967)、『アレクサンドリア物語』(1969)、『キャッチ22』(1970)などの作品に出演しているようである。これらの作品の多くを観ているのだが、一向に出演していることに気づかなかった。世の中、知らないこと、気づかないことは多いのである。同じく、ライナスの秘書を演じているエレン・コービー(1911-99)も『素晴らしき哉、人生』(1946)、『ママの思い出』(1948)、『若草物語』(1949)、『シェーン』(1953)、『めまい』(1958)、『ふるえて眠れ』(1964)などに出演している。これまた見たのに気付かなかったことが多い。

川合康三『桃源郷 中国の楽園』

10月16日(水)台風一過、雨は早くにやんだものの午後まで強い風が吹いた。どうやら晴れ間が広がる。伊豆大島をはじめとして、各地で被害が出る。亡くなられた方のご冥福と、被災地の1日も早い復旧を祈る。

 川合康三『桃源郷 中国の楽園』(講談社選書メチエ)を読み終える。9月14日に買ったので、1カ月以上かけて読み終えたことになる(実際のところ、漢詩の引用を読むのが面倒で、読みかけたまま放りだしていたのである)。

 不安や苦難に悩みながら生きている人間は、苦しみのないもう一つの世界を夢見て、つかの間の慰めを得る。そこで夢想されるのが楽園である。しかし苦しみに満ちた人生からの逃避の願望だけが夢想の原因ではない。人間にはもともと自分が今、身を追いている世界とは別の世界に生きてみたいという欲求がもともとあるのではないか。楽園の夢想には喜びと悲しみとが混じり合っている。

 「中国の楽園といえば、誰もがすぐ桃源郷を思い浮かべる。陶淵明の『桃花源記』が描き出した桃源郷こそ、典型的な楽園と考えられてきた。桃源郷、あるいは中国のいい方に従えば桃花源、それは楽園の代名詞となっている。
 桃花源はそれほどよく知られているのに、中国にはそれに類する話、それに続く話が意外に少ない。典型的な楽園を描いた作品は『桃花源記」がほとんど唯一のものだといってもいい」(5-6ページ)。

 現実とは違う、別の生を生きたいという願望は中国では仙人の住む世界へと向かった。この書物の第1章「仙界の夢想」では不老長生の仙人たちの住む世界である仙界と、そこにたどりつく道についてのさまざまな希求のありようについて論じている。

 しかし仙界は実在するかどうか疑問である。それに対してこの世を逃れる実現可能な方法は「隠逸」であった。第2章「隠逸の願望」では伝統的な中国社会の政治と文化の担い手であった士大夫階層の人々が仕官と隠逸という2つの生き方のあいだで揺れ動いていたことが述べられている。この書物の中で最も読み応えのある部分の1つである。特に自分に合った生き方とはいえない宮仕えをやめた陶淵明と、同じく自分らしく生きようとしながら官と隠の両立を図った白居易の生き方を対比した部分が興味深い。「大隠は朝市に住み/小隠は丘樊に入る(大隠は町の中に住み、小隠は山の中に住む)」という白居易の詩がストア派(耐えて生きよ)とエピクロス派(隠れていきよ)の対比との連想でいろいろと考えさせたのである。

 第3章「古代の楽園」では、楽園に似通う概念としての楽土の姿を古代の文献から探る。特に古代の伝説的な帝王である堯の時代の「鼓腹撃壌」の挿話とより具体的に描かれた理想国の姿である「華胥氏の国」、「建徳の国」を取り上げている。

 第4章「地上の楽園」では一方で楽園を小規模ながら個人的に実現しようとする試みでもあった庭づくりと、人々が集団で移住して作り上げた共同体の例を述べている。

 第5章「桃花源」ではいよいよ陶淵明の「桃花源記」についてそれが当時流行した志怪小説と類似した形をとっていることに着目しながら、その原文を改めて読みなおしている。さらにその後の時代に、この作品がどのように解釈されてきたかの歴史をたどっている。

 「おわりに」では現代において桃花源がもつ意味を考えている。「個としての安楽、集団としての和楽、その両者を実現する」のが桃源郷であり、それは「文学のなかで描くしかない夢想のなかの楽園」(207ページ)であるとしつつ、その実現を目指し、現実を生き抜いていくための夢であると結論している。

 ここに要約したのはこの書物の骨格に過ぎず、多くの文学作品からの引用が書物の内容をより豊かなものとしていることを述べておこう。文学と社会思想の両方から興味ある主題を取り上げた書物であり、著者は日本との対比に視野を限定しているが、欧米との対比を行うことによってさらに思考を広げる可能性があるという読後感をもった。 

中野美代子『なぜ孫悟空のあたまには輪っかがあるのか?』

10月15日(火)雨、台風26号が接近。

 中野美代子『なぜ孫悟空のあたまには輪っかがあるのか?』(岩波ジュニア新書)を読む。主として中学生を対象とするこの叢書の中で、『西遊記』研究の第一人者が『西遊記』の面白さについて語る。『西遊記』は一般に子ども向けの書物と受け取られている。そして子ども向きに書きなおされたものや、TVドラマ、マンガなどでイメージをつかんで、それでわかったつもりになっている人が多い。お経を求めて天竺へと旅をする三蔵法師とその弟子たち。その前途に現れる怪物。悟空たちの活躍で怪物を退治して、旅を続ける。また怪物が現れる・・・。そういうふうにあらすじを追っても、『西遊記』の面白さは分からない。その面白さは細部にあると中野さんは言う。では、細部の面白さをどのようにすれば楽しめるのか、この書物はそのためのガイドとして書かれたものである。

 Ⅰ「龍より強く金属に弱い孫悟空」で早速孫悟空のあたまの輪っかの問題が取り上げられる。石から生まれた孫悟空は、見かけは動物でも鉱物的な本質をもっている。その一方で金属を嫌う水怪的な性質ももっている。どうもこれはおかしい。

 Ⅱ「三蔵のお供は虎からサルへ」では『西遊記』の「西遊」とは俗っぽい「東土」から神聖な「西天」まで旅をするということだと説明され、これが玄奘のインドへの取経という歴史的な事実がもとになっていること、玄奘の死後、その事跡が伝説化していった際に、その従者として最初虎が考えられていたのが、その後サルに代わったこと、中国のサルには猿(テナガザル)と猴(アカゲザル)がいて、孫悟空はアカゲザルであるが、どちらのサルも中国人には親しい存在であったことなどが語られている。

 Ⅲ「『西遊記』ができるまで」は『西遊記』の成立史を大まかにたどっている。この物語が長い時間をかけて(王朝をまたいで)成立してきたと論じられている。

 Ⅳ「お伴の弟子たち、全員集合!」では猪八戒と沙悟浄について説明されているが、その前に『西遊記』という書物がいろいろな数の遊びを内包していることが語られている。この書物で強調されている『西遊記』の特徴の1つである。

 Ⅴ「いざ、西天取経の旅へ!」では3人の弟子がそろって三蔵とともに天竺に旅する際の冒険の主なものが取り上げられている。ここでも「第25・36・49・64回の謎」のようにこの物語に仕掛けられた数の遊びが注目されている。

 Ⅵ「脇役たちもおもしろい」では八戒、三蔵、悟浄についてのさまざまなトリヴィアが語られている。ここでも通天河で一行を亀が乗せて送る場面で魔方陣ができていることが指摘されているなど、数へのこだわりが言及されている。

 Ⅶ「苦難のかずかず、乗りこえて」も物語の進行の中で起きるさまざまな出来事の謎が解き明かされている。「孫悟空の描いたまる」をめぐり、『西遊記』の作者たちが円についての数学的な知識をもっていたらしいと推論しているところが特に興味深い。

 Ⅷ「時間と空間を自由にまたぐ」は『西遊記』の時間と空間の相対性について触れられ、この物語で9という数字がもつ意味が説かれている。

 Ⅸ「『西遊記』はなぜ数字にこだわるか」では物語の筋ではなくて、細部の面白さを追求すること、物語の展開の順序に作者の強調点があり、それが数字へのこだわりを生んだと論じている。また、物語の中で悟空が受ける懲罰を金属質と自由という独特の座標を用いて分析しながら、この物語が彼の再生の繰り返しとして展開すると論じている。

 細部にこだわった書物であるから、あまり体系的な構成にはなっていないが、著者の議論は『西遊記』が数字にとことんこだわっていること、悟空のあたまの輪っかが彼の自由を拘束する一方で彼の金属質を補強していることに集中していると言う。後者の議論がやや分かりにくいのが残念で、この書物の読者として想定されている中学生たちがどのようにこの書物を受け取るのか、彼らの感想を聞きたい気分になった。 

ウィルキー・コリンズ『月長石』(12)

10月14日(月)晴れ後曇り

 前回(10月2日)からまた間が開いてしまった。ヨークシャーのヴェリンダー家の令嬢レイチェルの誕生祝いとして贈られた月長石という巨大なダイヤモンドは、彼女の誕生祝いのパーティーの際に主役の胸で輝いたその翌朝、どこかに消え去っていた。宝石の運び役を務めた彼女の従兄(求婚者でもある)のフランクリンはその行方を探るためにロンドンから名探偵といわれるカッフ部長刑事を呼び寄せる。彼の捜査の中で、ヴェリンダー夫人が矯正施設から連れてきて、この邸で下働きの女中をしているロザンナ・スピアマンの不審な行動が浮かび上がる。ロザンナの足どりを追った後で邸に戻ってきたカッフは執事であるベタレッジに向かってレイチェルが急に邸を離れる決心をするだろうという。そのカッフにヴェリンダー夫人が使いを差し向けて会いたいと言ってよこす。彼はベタレッジに「今夜、この家で変なことがもちあがったとしても…びくびくしないでいいよ。いままで、これよりもひどい家庭内の事件に関係したことがある」(217ページ)が、それを口外したことはないと付け加える。

 カッフ部長刑事に向かってヴェリンダー夫人はレイチェルがロンドンにいる伯母のエーブルホワイト夫人(レイチェルのもう1人の求婚者である従兄のゴドフリーの母)の家に泊まりにいきたいと言っていることを告げる。そう思い立ったのは1時間ほどの前だと言う。カッフの予言が当たったのである。カッフは出発を出来るだけ遅らせてほしい、それが自分の意向から出たことであることは伏せてほしいと言う。レイチェルはずっと宝石をもったままであり、その秘密をロザンナだけに打ち明けたのだろうと言うのがカッフの推理である。ヴェリンダー夫人はカッフが彼女の部屋を立ち去った後で彼に伝えるべきことがあったことを思い出す。宝石のあとを追って出没しているように思われる3人のインド人たちが拘留されているのを釈放しなければならないので、尋問するならばできるだけ早くしてほしいというものである。伝言を受け取ったカッフはインド人たちを尋問するよりも、探検家のマースウェイトに会って話を聴くつもりであると言う。

 そこへベタレッジの娘でレイチェルの小間使いであるペネロープがやってきて、レイチェルが早く荷造りをして出発したがっていること、カッフと同じ屋根の下で寝起きするのを嫌がっていることを告げる。そしてレイチェルに呼ばれてペネロープが彼女のもとに向かったすぐ後でベタレッジは異様な様子のロザンナに出遭う。ベタレッジは近くにいた料理番にロザンナの世話をするように言いつける。この様子に気づいてカッフ部長刑事とフランクリンがやってくる。フランクリンはロザンナの取り乱した様子の原因が自分にあるようだと言い出す。彼が玉突きをしているときに、ロザンナが何か言いたいことがある様子だったのを彼が構いつけなかったことが彼女に悪い印象を与えたのではなかったのかと心配なのだと言う。ベタレッジとしてはロザンナが犯人であることを証明できなければ、レイチェルの嫌疑を晴らすことはできない(と思っている)のでフランクリンの意思に沿って何か手を打つ訳にもいかない。とりあえずロザンナの様子を探ると彼女は一人で休みたいと言って部屋に閉じこもったと言う。ベタレッジが探し回って見つけたカッフは「今日の夕方、ロザンナ・スピアマンが浜から帰った時刻と、ヴェリンダー嬢が邸を出る決心を述べられた時刻とが一致した。・・・二人は、今夜、もう既に一度こっそり連絡をとったにちがいない」(131ページ)。さらにもう一度連絡を取るかもしれないから見張りを続けるつもりだと言う。

 しかしこの夜を通じて、何も起きなかった。翌朝、カッフはフランクリンに女中の一人が彼に話しかけただろうと質問したのに対し、フランクリンは回答を拒否する。ところがこの様子をロザンナが盗み見ていた。フランクリンは「ぼくはロザンナ・スピアマンになど、ちっとも関心はもっていませんよ」(234ページ)と大声で言う。しかし、そういったすぐ後でベタレッジにロザンナに事情をうまく説明してくれと頼む。どうも自分のしていることはつじつまが合わないようだと言うのがフランクリンの感想である。

 カッフがフリジングホールへ出かけた後でフランクリンは悪天候であるにもかかわらず散歩に出かける。家計の決算作業をしながらヴェリンダー夫人はカッフが戻ってきたら話したいことがあるので、それまでは月長石のことには触れるなとベタレッジにいう。ペネロープがベタレッジに向かって、ロザンナが心配なので話しに行ってほしいと頼みに来る。ペネロープはロザンナがフランクリンに心を傷つけられ続けているという。ペネロープの言葉に動揺したベタレッジはロザンナに会いに出かけるが、ロザンナは自分の秘密はフランクリンだけに打ち明けると言う。彼女の心身の様子がひどく悪いことに気付いたベタレッジは医者を呼ぼうとするが、いつも診察を頼んでいるキャンディー医師はまだ病気から回復していない。彼が困惑しているときにカッフが戻ってくる。

 レイチェルとロザンナが共謀して月長石を隠しているというカッフの推理が正しいか、またその推理の根拠はどういうものかについては次回以降明らかになるだろう。ここまでこの小説を読みなおしていて、気づいたことをいくつか書いておく。まず、レイチェルの伯母の嫁ぎ先がエーブルホワイト(Ablewhite)家で、3人姉妹の中でこの伯母だけがミドル・クラスの金もちの家に嫁いでいることになっている(あとの2人は上流階級の家庭に嫁いでいる)。ところで、インドの宝石の盗難が物語の核心を成しているドイルの『四つの署名』は『月長石』の影響が大きいと言われているが、この作品に登場する義足の男ジョナサン・スモールが物語る半生の中で、彼がインドで雇われた農場の主人がエーブル・ホワイト(Abel White)という名前であったと語っている。ひょっとしたら、ドイルは『月長石』の中のAblewhiteという名前を思い出して、ちょっと変えて使って見たのかもしれない。

 以前にも書いたが、カッフはバラが好きで、「夏の名残りのバラの花」(The Last Rose of Summer)という歌をよく歌ったり、メロディーを口笛で吹いたりしている。かつての小学唱歌「菊」(「庭の千草」という名の方でよりよく知られている)の原曲である。「夏の名残りのバラの花」はアイルランド民謡とされることが多いが、アイルランドの詩人トマス・ムーア(Thomas Moore 1779-1852)が書いた詩に、ジョン・スティーヴンスン(John Stevenson 1761-1833)が作曲したという由来をもつ。このメロディーをもとにベートーヴェンとメンデルスゾーンが変奏曲をつくり、ドイツの作曲家フロトーが『マルタ』(1847)という歌劇の中に取り入れている。これらのことについては別の機会に書くつもりである。また、この歌はジュール・ヴェルヌの『消え去ったダイヤモンド』(日本では『南十字星』という題名でより多く知られている)の中でも引用されている。『月長石』とともに、ダイヤモンドが重要な役割を演じる物語である点が共通している。さらに言えば、ジョイスの『ユリシーズ』の中でも言及されているそうであるが、こちらは確認していない。 

椎名誠『ごっくん青空ビール雲』

10月13日(日)晴れ

 椎名誠『ごっくん青空ビール雲』(文春文庫)を読み終える。『週刊文春』の2009年2月19日号から2010年3月18日号までに掲載されたエッセーをまとめて、2011年に『ごっくん青空』として文芸春秋から発行されたものを改題し、文庫化したものである。ビールをごっくんと飲み、青空に浮かぶ雲を見上げるというのではなくて、青空を飲んで、ビール雲を見上げようということであろうか。ビール雲というのがどういう雲を言うのか、こちらの想像力が及ばないのが残念に思われる。

 相変わらず椎名さんはビールが好きであり、「あとがき」によると現在もほとんど毎日飲んでいるようである。尿酸値が高いことを警告されたが、「飲みたいビールをセーブするストレスよりもガンガンいってもし発症したら本望だい」(297ページ)と開き直っているという。それはそれで尊敬すべき態度であるが、わたしはビールはあまり飲まないようにしている。

 取材や講演、趣味と実益のための旅行の経験が多く綴られているのもこれまでと同じであるが、旅先で飲みに出かけることもなく、「コンビニのビールと焼きそばを買ってホテルの部屋で飲んでいた」(236ページ)というあたりを読むと、椎名さんも少し年をとってきたかなと思ったりする。
 
 とはいうものの椎名さんの好奇心と冒険心、そして批判精神はそれほど衰えているように思えない。楽しみが多い分、怒りも少なくない。「長崎は今日もレインだった」とか、「タフでドジな航海記」とか、「むかし椰子。今はごみの南島」といったエッセーにそういう椎名さんの個性がよくあらわれている。

 ある意味で感心しているのが、椎名さんがまだワープロを使い続けていること。わたしもかなり後までワープロを使い続けていたが、さすがに今は使っていない。それでも、外国では名品と呼ばれる道具や機械は同じ製品をつくり続けているのに、日本ではそうではない。「日本の最新機器のめまぐるしい多機能猛進、ハイテクかけのぼり思考はもう少し何とかならないのだろうか」(232ページ)というのには同感である。

 最後に、文庫版の「解説」を椎名さんの長年の友人である沢野ひとしさんが書いていて、高校時代に仲間内ではじめてビールを飲んだ経験を思い出している(そういえば、田村正和さんがむかしCMでビール歴○○年…とやっているのを観ては、「嘘つけ~」と思っていたものである)のが、『哀愁の街に霧が降るのだ』とつながる世界を感じさせて、配合の妙を見せていることを書き添えておく。 

語学放浪記(16)

10月12日(土)晴れ

 就職する前後にかなり一生懸命取り組んでいたのが、タイプライターである。はじめは友人のお下がりの手動タイプライターを使っていたのが、就職して学校の予算が使えるようになると、電動タイプライターを使うようになった。インタナショナルというのか、英語以外の言語にも使える種類のタイプライターを買って、練習を兼ねて授業用、あるいは研究会や学会発表用にいろいろなプリントを作成したものである。

 さて語学はというと、英国に留学しようという望みがあり、就職してテープレコーダーが使えるようになった利点を生かして、語学教材を買って練習したりした。勉強方法の多様化を図ったのであるが、単に語学の勉強をするというのではなくて、もっと自分が具体的に何を学びたいのかを英語で表現できるようにする努力が必要であったと今になって思う。つまり自分はこれこれのことに興味があって、その研究については○○大学の△△教授か、□□大学の◆◆博士の指導を受けたいと思っているというようなことがしっかりと説明できないとだめだということである。そういうはっきりした見通しを立てられないままに英国とアイルランドへの留学のための試験を何度か受けたが、成功しなかった。それでも何となく英語の勉強は一生続けなければならないだろうという覚悟が座りはじめた。

 英語に加えて、前回も書いたように、スペイン語の勉強を続けていた。約20年近くラジオのスペイン語講座を聴き続けた。最初のうちは、入門編と応用編の放送があり、初心者の場合入門編だけを聴いていればよいのに、応用編まで聞いて、なんだか難しいなと思っていたりした。両者の区別がつくようになり、それなりに一生懸命に勉強したはずだが、一向に上達したという実感がわかない、それはラジオの番組を聴く他に、別の努力をしなければならないからだと気づいて、参考書や辞書を買うようになったが、それでもまだ目立って上達を見せなかった。勉強法の問題もあるが、目標が不明確で、熱意が欠けていたということであろう。

 長年勉強したおかげでスペイン語が上達したとはいえないが、スペインとスペイン語圏の文化と歴史に詳しくなった。スペイン語圏の文学者の作品には親しむようになった。カミロ・ホセ・セーラの『ラ・アルカリアの旅』などは日本語訳と英語訳の両方を読んだ(スペイン語の本も購入したのだが、読んでいない)。市ヶ谷のマナンティアル書店に出かけて、店でスペイン人が話しているスペイン語がラジオの講座で話されているスペイン語とそっくり同じだったのにびっくりした(当たり前のようで当たり前ではない)ことを思い出す。

 その他にフランス語の勉強を再開した。こちらもラジオの講座を聴くことが中心であったが、文化的な面白さに引き込まれた。地道な努力に欠けるところが多かったので、あまり上達はしなかった。しなかったというよりも、しないままに現在にいたっているというのが正確であろう(現在も勉強中だからである)。

 1992年にバルセロナでオリンピックが開かれるということも手伝ったのだろうが、カタルニャ語に興味をもって参考書を何冊も買い込んだことも思い出す。現在でもカタルニャには興味があるが、勉強しようとまでは思わない。ただ、本を買って読むだけのことであればすぐにできるが、その内容を自分のものにして、新しい言語を身につけるのは別のことである。

宇治拾遺物語(2)

10月11日(金)晴れ、暑い

 NHKカルチャーラジオ「文学の世界』『むかしがたりの楽しみ 宇治拾遺物語を繙く』の第2回を聴く。昨日の放送分を聴き逃したので、その再放送を聴いたのである。講師は白百合女子大学教授である伊東玉美さんである。第2回は「病と死をめぐる説話」と題されていて、むかしものがたりに反映されている昔の人(中世人)の死生観が現在とは異なったものであることが論じられた。

 冒頭、「説話集は、これから語ることが、昔あった事実を語り継ぐ、むかしがたりの伝統に則っているのだということを、それぞれの方法で読者に表明するのが基本」(17ページ)であると述べられている。『今昔物語集』が各話の冒頭・末尾に「今は昔」「~となむ語り伝へたるとや」という定型表現を、一種の標識として置いているのがその代表的な例である。『宇治拾遺物語』の各話も、ほとんど、「今は昔」あるいは「これも今は昔」と語りはじめられている。

 このような語り口をめぐる約束事を守りながら、語られるそれぞれの物語は本当におきた不思議な出来事を取り上げている。今回は、まず『今昔物語集』巻26本朝
宿報の説話を取り上げ、ある家の召使の少女とその少女と平素から仲が悪かった隣家の犬とが、少女の病気をきっかけとして不思議な最期を遂げるといういような物語を伝え、これも両者が前世以来の敵同士だったからであろうかという編者の言葉によって締めくくられているという。どうも異様だが、だからこそ文学的な意義があるともいえる。

 その一方で、この説話の中で病気になった少女を雇い主が屋外に出そうとしていることが現代とは違う価値観を物語っていると伊東さんは説いている。この時代は健康な人、あるいは生きている人を優先する価値観が徹底していたので、治る見込みのない病人は邪魔者扱いされていたのであるという。病気や死を嫌う心理自体が、事件の核になっている説話もある。『今昔物語集』29-17話がそれで、老人の葬儀にかこつけて寺の鐘を盗むという大掛かりな詐欺のいきさつが語られている。しかし詐欺が成立するのは死穢を嫌う人々の心理があるからである。現在の葬式仏教の姿からは想像できないことであるが、当時の仏教者は基本的に神聖で高貴な存在であり、死の穢れにまみれるべきものではなかったのである。

 この忌避感覚があったからこそ、僧でありながら、あえて死穢を顧みず死者を悼む僧がいれば感嘆されたし、死者を葬る仕事に逢えて携わっていく仏教者たちも現れることになったのであるという。このような、「穢れの忌避」あるいは葬送に関する感覚を知っていると、説話の意味がより的確に理解できる場合があるとして、『宇治拾遺物語』の興福寺の僧仁戒商人の入寂をめぐる説話が最後に取り上げられている。

 中世の説話を通じて、不思議な物語にであうだけでなく、現在とは違った人々の価値観や生き方を知ることができるということを説こうとしているのかもしれないが、やや話がまだるっこしくて核心がつかめないという印象が残る。『宇治拾遺物語』を中心にすることを予告しながら、他の説話集の説話が多く引用されているのも腑に落ちない点である。とはいえ、まだ始まったばかりなので、もう少し様子を見ることにしよう。

パリの恋人

10月10日(木)晴れ

 10月8日に横浜シネマ・ベティで『パリの恋人』(Funny Face, 1957)を観た。TVで見たことはあるが、映画館のスクリーンで見るのは初めてである。明日(11日)までの上映で、明後日(12日)からは『麗しのサブリナ』(Sabrina,1954)が上映される。『パリの恋人』の上映時間は11:50~13:40と17:50~19:40、『麗しのサブリナ』の上映時間は12日から14日までは10:00~11:55と16:45から18:40、15日から18日までは10:00~11:55と16:20~18:15である。1950年代のアメリカ映画の素晴らしさ、そしてオードリー・へプバーンの魅力を感じるためにぜひ映画館に足を運んでいただきたい(川崎のチネチッタなど他の映画館でも上映がされているので、都合をつけて見に出かけてください)。

 ニューヨークに本拠を構えるファッション雑誌『クォリティー』のボスであるマギーが新しい流行のコンセプトを考え、その中心となるモデルとしてミス・クォリティーを選んで売り出すことを思いつく。ファッション写真家のディックが撮影にあたるが、なかなか気に入った写真が撮れない。グリニッジ・ヴィレッジのごく地味な書店を撮影場所に選んだ彼らはそこで気まじめな若い女店員ジョー・ストックトンにであう。哲学少女の彼女は一行が店を散らかしたことに怒るが、ディックは彼女に普通とは違った魅力があることを認め、彼女をミス・クォリティーに選んでパリに連れていくことを提案する。彼女は共感主義という哲学に熱中しており、その主唱者であるフロストル教授に逢いたがっている。ドタバタ騒ぎの末に、どうやらマギーとディック、そのスタッフはジョーを連れてパリに乗り込むことになる。

 マギーもディックも、もちろんジョーもパリがすっかり気に入るが、その気に入り方は違っている。行き違いはあるが、デザイナーのポール・デュヴァルの手でジョーは美しく変身し、パリとその郊外のあちこちで彼女の写真が撮影されるが、次第にディックとジョーは惹かれあうようになる。その一方で、ジョーはフロストル教授と会う夢をあきらめてはいない。

 1927年にジョージ・ガーシュウィンが作曲したミュージカル『ファニー・フェース』を、ミュージカル映画を得意とするスタンリー・ドーネンが映画化。この後ドーネンは『シャレード』(Charade, 1963)、『いつも2人で』(Two for the road, 1967)とオードリーの映画を合計3本監督している(彼女の映画を3本監督しているのは他にウィリアム・ワイラーだけである)。彼女の作品はロマンティック・コメディが多く、まじめな映画もないわけではないが、ドーネンは前者に傾き、ワイラーは両方の傾向の作品を取り、フレッド・ジンネマンが1本だけ監督したのが、まじめ派の代表作『尼僧物語』(The Nun's Story, 1959)であるというのがそれぞれの監督の性格を表していて面白い。

 ロマンティック・コメディと書いたが、地味に暮らしていたあまり冴えない娘が美しく変身して男(たち)を手玉に取るというのは『麗しのサブリナ』、『昼下がりの情事』(Love in the Afternoon, 1957)からこの作品を経て、『マイ・フェア・レディ』(My Fair Lady, 1964)に至るオードリーの主要な性格表現であった。そしてそれは女性の観客の心に強く訴えるものであった。『麗しのサブリナ』ではニューヨークからパリに渡ったヒロインがそこで変身して、ニューヨークに戻って物語が展開するが、この作品ではニューヨークから渡ったパリで主要な物語が進行する。『昼下がりの情事』、『パリで一緒に』(Paris When It Sizzles, 1964)、『シャレード』とオードリーにとってパリはおなじみの都市である。(変身と書いたが、もちろん、はじめから他を圧して美しいヒロインとして登場する作品もあるし、『尼僧物語』や『暗くなるまで待って』(Wait Until Dark, 1967)の熱演も見落とす訳にはいかない。)

 ストーリーとしてはやや工夫に欠けるところがあるが、当時の風俗を巧みに織り込み、タイトルバックからラスト・シーンに至るまで凝った画面の構成で観客の目を楽しませてくれる。それに、これはオードリーが歌って踊った唯一のミュージカル作品である(『マイ・フェア・レディ』の歌は吹き替え)ということでも貴重である。オードリーの相手役を務めているフレッド・アステアの歌と踊りに文句はないが、彼女と年が離れすぎているのではないかと気にならないでもない。マギーを演じているケイ・トンプソンもなかなか見事なパフォーマンスを見せている。衣装デザインはイーディス・ヘッド。古いハリウッドの確立された技術の中で、ドーネンの才気とオードリーの魅力が存分に発揮されている。

ロバート・ファン・ヒューリック『南海の金鈴』

10月9日(水)晴れ後曇り、強い南風。

 10月8日、ロバート・ファン・ヒューリック『南海の金鈴』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ―、2009)を読み終える。映画鑑賞と研究会の合間を縫っての読書であったが、集中して読みとおすことができた。

 地方の知事としての実績を重ねたディー判事(狄仁傑)は、検察と裁判をつかさどる中央官庁である大理寺の最高責任者である卿(けい)に昇進し、都でその職務に励んでいたが、ある任務を帯びて南方の広州に急行する。つき従うのは副官2人、今や近衛大佐に昇進した喬泰と大理寺秘書官長となった陶侃、運命のいたずらで山賊といかさま師に身を落としていた2人であったが、ディーのおかげで現在の地位を得た。とはいうものの、都での生活が窮屈に思われることもある。喬泰の相棒であった馬英は身を固めて都でぬくぬくと暮らしている。ディーに初めから忠実に仕えてきた洪警部が、都への栄転を前に凶刃に倒れたのは主従にとっての悲しい思い出である。

 喬泰と陶侃が珠江に臨む広州の港を眺めている物語の最初の場面には大勢の大食(タージー=アラビア人)が登場して物語の雰囲気の異国情緒を増す。この2人のことだから、そのあとで地元の飲み屋に入っていくのはお決まりのパターンである。店も客もどうも気に入らないが、酒はうまい。客の中に1人だけ話が合う人物がいる。剣の心得があるという貿易船の船長で、倪と名乗る。喬泰は翌日、彼の家を訪問することを約束する。町の様子を探るために、2人は別の道を通って都督府に向かうことにする。

 喬泰は殺人事件に遭遇し、陶侃は暴行されそうになった目の不自由な鸞麗という娘を助け、娘の家で虫籠の中の最上級の蟋蟀(こおろぎ)=金鈴の音色を聞く。

 都督府で2人を迎えたディーは今回の用務について語る。皇帝の病気が進み、朝廷は派閥争いで揺れている。その中で各派閥の均衡を保っているのはまだ若いが有能な劉御史大夫である。その彼が海路による安南(現在のヴェトナム北部)遠征に備えた予備視察のために広州を訪れ、都に戻って復命した後、再度今度は微行して広州を訪れたという。その足取りは全く分からない。彼のいない朝廷は均衡を保つことができないかもしれない。そこであらためてディーが派遣された次第である。喬泰が出逢った殺人事件の被害者は劉御史大夫の配下であった蘇進士である。御史大夫は何かのっぴきのならない事件に遭遇し、得体のしれない組織と戦っていたように思われる。(御史大夫は官吏の不法・不正を取り締まる要職と注記されている。)

 都督府で一行はこの地方の都督である翁健、広州の長官である鮑寛、富豪の梁福、豪商の姚泰開らと対面する。姚はこの地の大食人たちのかしらであるマンスールと懇意にしており、当夜も彼の邸での宴会に招かれているという。ディーは喬泰を姚に同行させる。マンスールの邸で喬泰はズームルッドという妖艶な踊り子にであう。

 これまでの作品の舞台は架空の都市であったが、今回は実在の広州が舞台であり、作品中に登場する名所旧蹟も実在するという。この作品を書き上げた翌年の1967年にヒューリックは世を去ったという意味で、判事ディー・シリーズの最後の作品であり、ディーが中央官庁の高官に出世をして、これまでのように事件の捜査にはかかわらないことを決心したという意味でも、シリーズを締めくくる作品となっている。歴史上実在の人物であるディーが虚構の世界から、歴史の世界に戻ろうとしているということであろうか。既に述べたところからも推測できると思うが、題名となっているコオロギの愛好趣味に加えて、異国趣味、エロティシズム、美食趣味と東洋学者であり、外交官であったヒューリックの趣味人ぶりがいかんなく発揮された作品である。

 この作品がシリーズの他の作品よりも早く翻訳されたのは、映画化の噂が伝わってきたからだと訳者(和璽桃子)あとがきにあるが、実際の映画は、この作品よりもさらに後の(『南海の金鈴』ではまだ皇后であった則天武后が君臨する時代)の出来事という設定のなかでのディーの活躍を描くものとなった。翻訳は全体として読みやすく、作品中のトリヴィアについての注記も行き届いている。欲を言えば『千夜一夜物語』の翻訳として大場正史訳と前嶋信次訳をあげているところ、もう少しその理由を説明してほしかった。実は、小生、『千夜一夜物語』には少々うるさいのである。

探偵事務所23 くたばれ悪党ども

10月8日(火)晴れ

 10月7日、神保町シアターで「探偵事務所23 くたばれ悪党ども』(1963)を観る。「祝卒寿 鈴木清順 日活撮影所『鈴木組』のゴヒイキ20本」特集上映のうちの1本である。大藪春彦の『探偵事務所23』を原作として、山崎巌が脚本を書いた作品。宍戸錠が主人公の探偵田島英雄を演じている。

 鈴木清順監督の作品はそれほど多くを観ているわけではないが、それぞれ面白いと思って見た。しかし、そのほとんど全部が彼の評価が高まってから見たものであり、自分なりに発見した作家といえないのは残念である。個人的な意見としては小林旭主演の『関東無宿』がもっとも気に入っており(特に伊藤雄之助と中原早苗がいい)、『カポネ大いに泣く』に不満が残っている。企業の枠の中でいろいろと工夫を凝らしてつくった娯楽作品が面白く、自主的につくった作品はあまり面白くない。そういう意味で彼が日活を解雇されたのは残念であり、解雇したバカ社長はいくら責められても仕方のないところであろう。

 米軍の武器の横流しをめぐって銃撃事件が起きて、大量の死体が発見される。警察はただ1人の逮捕者である真辺を泳がせて、事件の背後関係を探ろうとするが、探偵事務所23の田島が現れ、これは暴力団同士の抗争ではなくて、その背後に別のグループが存在するとの推理を展開し、自分が囮になって真辺の背後を探ると言い出す。警察はしぶしぶ彼の申し出を承諾し、田島の潜入捜査がはじまる。真辺を通じて彼は畑野という謎の男の率いるグループに接触するが、このグループには美しい娘千秋が加わっていて、彼女はグループから抜け出したがっているらしい。

 それほど予算をかけないプログラム・ピクチャー(ただし続編はつくられなかったようである)だが、エキストラの人数の多さなどからまだまだ日本映画には活力が残っていたことが確認できる。東京の町には都電が走っていて、終わり近く殴りこみに出かける暴力団がオート3輪のトラックに載っていたりする場面が(その当時としては何ということもなかったのだろうが)、今となってみると懐かしく、楽しくさえある。その中で白いオープンカーを走らせる宍戸錠=田島の颯爽とした活躍ぶりが見事で、彼の探偵事務所のあまり役に立たないスタッフが巧みにコミック・リリーフを務めている。千秋を演じている笹森礼子の性格表現は、その後の松原智恵子のそれを連想させる。

 20本の上映作品のうち、見逃してしまったことを残念に思うものが少なくないが、今月25日までの上映なので、まだ間に合う作品も多い。また機会を見つけて出かけようと思った次第である。

リオフランク・ホルフォード=ストレブンズ『暦と時間の歴史』

10月7日(月)朝のうちは雨が残っていたが、曇り、その後晴れ

 リオフランク・ホルフォード=ストレヴンズ『暦と時間の歴史』(丸善出版:サイエンス・パレット)を読み終える。

 1日は24時間であるとか、1年は365日であるとかいうことをわれわれは当然のことだと思いこんでいるが、人類の歴史を通じて必ずしもこれは当たり前のことではなかった。また、暦とか時間とかいうものは政治的社会的に中立的なものだと思ってしまっているが、必ずしもそうではない。暦と時間の歴史について学ぶことによって、時間についての我々の見方が唯一のものではないことに考え至るはずである。

 序章で著者はこの書物が時間とは何か、あるいは時間の進行が人間にとってどのような意味をもつのかというような哲学的な問いに答えようとするものではないと述べている。時間にかかわる単語は言語によってそれぞれ微妙に異なる意味をもつという。そうはいっても、時間についての尺度をもつことは人間が自分たちの経験を記録し、整理していくために必要である。人間は一方で自然に頼り、他方で抽象化を行って時間と取り組んできた。この書物はどのような暦が、どのようにして創られ、選ばれ、使われてきたかの経緯を述べるものである。

 第1章「日」では、時間計測のもっとも基本的な単位である「日」について述べている。しかし多くの言語で、この言葉には「日中」と地球の「自転の周期」という2つの意味が含まれている。1日がどこから始まりどこで終わるかについてもさまざまなやり方で決められてきた。時間については自然の区分と社会的な区分とが存在する。日の出や日没は自然の現象であるが、社会が巨大になり複雑になるとそれだけをあてにして生活することもできなくなる。このような話題から、最近日本でも取りざたされているサマー・タイムの問題まで、1日とその時間についてのさまざまな議論が取り上げられている。

 第2章「月と年」では、月の根拠となっているのが地球をめぐる月の公転周期、年の根拠となっているのが太陽をめぐる地球の公転周期であること、例えば1週間のようにこれらとは別の時間のまとまりである1週間(7日とするのが一般的だが、そうでない暦もある)、あるいは念よりももっと大きな単位である世紀や千年紀があることから始まり、太陰暦、太陽暦という暦法について説明されている。

 第3章「近代の暦の前史と歴史」ではローマ共和国の暦、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)による暦法の改革(ユリウス暦の成立)、ローマ教皇グレゴリウス(グレゴリオ)13世による暦の改革、その受容と拒絶の経緯がたどられている。第4章「復活祭」ではグレゴリウスの暦法改革の契機となった復活祭をめぐる時間計算の問題が取り上げられている。

 第5章「週と季節」では週と季節をめぐるさまざまな問題が取り上げられている。どちらも、それほどうまく運用できるものではないという記述に触れて安心するか、心配を深めるかは読者の問題である。

 第6章「その他の暦」ではユダヤ暦、イスラム暦、ギリシャ暦、ガリア暦、ヒンドゥー暦、イランの暦、中国暦、メソアメリカ暦について概観している。日本の伝統的な暦については「中国暦と似ていて、計算は各首都の経度でなされる暦が、韓国、日本、ヴェトナム、チベット(満月から計算)で現在、使われていたり、過去に使われたことがある」(161ページ)と簡単に触れられている。

 第7章「年を記すこと」では年代の測り方が、エポニム(名祖=なおや)、周期(十干十二支はその一例)、紀元、即位紀元、世界紀元その他について概観されている。この問題をめぐっては宗教や国家のイデオロギーが絡むので事態は複雑になるという。

 暦をめぐるさまざまな問題が手際よく概観されていて、新しい知識を得るだけでなく(マヤの暦について詳しいことを知ろうとは思わないが)、既に知っていることを整理するにも役立つだけでなく、人間と時間の付き合い方についていろいろと考えさせられる書物である。

荒井章三『ユダヤ教の誕生 「一神教」成立の謎』

10月6日(日)曇り時々晴れ

 9月30日に荒井章三『ユダヤ教の誕生 「一神教」成立の謎』(講談社学術文庫)を読んだ。『旧約聖書』の概要をたどりながら、ユダヤ教の成立過程を明らかにしようとする書物である。聖書についてはある程度の知識はあるが、ユダヤ教については知るところが少ないという人が多いのではなかろうか。私自身についてみても、子ども向けに書きなおされた『聖書』の物語を読んで以来、聖書にはかなりのなじみがあるが、ユダヤ教にはそれほどのなじみはない。神戸にあるユダヤ教のシナゴーグの前を通ったことがある、そういえばヨーロッパの都市で黒ずくめの服装でひげを生やしたユダヤ教徒の姿を見かけることがあった。

 もっとも聖書になじみがあると言っても、その全体を読んでいるわけではないし、カトリックの公共要理を途中まで受けただけであるから、理解が十分ではないのは言うまでもない。だからこの書物は、ユダヤ教についてだけでなく、旧約聖書についての知識を整理し、理解を深めるのにも役立つものである。

 「プロローグ――ユダヤ教とは何か」ではユダヤ教には一方で膨大な経典があり、その全体を簡単に把握することはできないが、その一方でその本質は、人間の行動原理を示すこと、律法の実践に求められることを述べている。

 ユダヤ教ではキリスト教の『旧約聖書』は「トーラーとネビイームとケトゥビーム」と呼ばれる。トーラー(律法)は「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」の5巻を指し、ネビイーム(預言者)は「前の預言者」と呼ばれる「ヨシュア記」「士師記」「サムエル記」(上下)「列王記」(上下)と、「後の預言者」と呼ばれる「イザヤ書」「エレミヤ書」「エゼキエル書」「十二小預言書」を、ケトゥビーム(諸書)は「詩編」「ヨブ記」など残りの書を言う。この中でトーラーはモーセがシナイ山で啓示されたものであり、特に重要な意義を認められてきた。「トーラー」は歴史を生きてきたイスラエルの「行動原理」を示す歴史的証言なのである。

 第1章「導く神―放浪の民に与えられた約束」では、アブラハムやヤコブなどイスラエルの先祖たちについて語る「創世記」の伝承に光を当てながら、彼ら族長たちに現れた神が「導く神」であることを明らかにしている。定住しない小家畜飼育者の神であったから、場所とは結びつかず、飼育者たちを守護し、導く神であった。第2章「解放する神―エジプト・奴隷生活からの脱出」では、モーセにはじめて「ヤハウェ」という名をあらわにした神が、エジプトで奴隷であったイスラエルの民を解放することにより、族長たちの「家族共同体」を超えた民族共同体の神となったことを「出エジプト記」を中心に述べている。第3章「戦う神―「聖戦」と約束の土地カナンの征服」では、イスラエルの民のカナン定着についてのいくつかの学説を参照しながら、彼らが「ヘブル」と呼ばれるに至った経緯に迫る。今日のパレスチナ問題を考えると、あらためて旧約の当該個所とともに読み返す必要がある個所である。第4章「農耕の神―農業王国としてのイスラエル」では、本来半遊牧の小家畜飼育者の神であった「族長の神」が、農耕の神に変身せざるをえなかった理由を、王国体制の中に求めている。イスラエルの民の社会は、彼らが農耕にかかわることによって王国を成立させたが、その一方で貧富の差の大きな社会が出現することになる。本来小家畜飼育者の神であったヤハウェがカナンの農耕の神であるバァルと同化するようになるが、このような動きがソロモン王国の支配者によって支持される一方で、預言者たちの批判を受けることになるという。

 第5章「審きの神―王国の発展と選民思想の強化」では、預言者による「選民思想」あるいは「王国」批判を取り上げ、メシア思想の淵源についても言及している。第6章「隠れたる神―ユダ王国滅亡の衝撃」では、新バビロニア帝国によるエルサレム破壊とユダヤ王国の崩壊によるバビロン捕囚の時期に活動した預言者エゼキエルの思想を中心にして、「一神教」成立の前段階を考察する。第7章「唯一なる神―世界の歴史を導く神へ」では、エゼキエルよりやや遅れてバビロンで活動した「第二イザヤ」の説く「創造神・唯一神」と「苦難の僕」の両面性について触れる。キリスト教とと違ってユダヤの民は依然としてメシアを待望し続けていることが述べられる。第8章「律法の神―ユダヤ教の成立]では、祖国を失った民が、その拠り所を「律法」と「メシア待望」に求めるが、この2つは決して異質なものではなくて、律法をまもることも、メシア待望も救済の待望につながっていることを述べる。

 エピローグではイスラエルの民の歴史が「周辺から中心へ」と「中心から周辺へ」という相反する動きの繰り返しであるとはいうものの、「周辺性」が本質的なものであるという。ただし、それは現実的な場所を意味しているのではないとも断っている。そして最後に「強者の論理を捨て、弱者の立場に立たなければならない。そうして初めて、強者も弱者もない社会が生じる」(269ページ)という。それが歴史の枠を超えた真の意味での「ユダヤ」であるというのだが、著者が下している結論はあくまで理念的なものであって、現実のユダヤ人の生き方や、「イスラエル」国家とはあまり関係がない(安易に結びつけるのは危険でさえある)ように思われるのは困ったことである。

 ユダヤ教の本質である「行動原理」は多少形を変えてキリスト教に継承され、さらに欧米の思想の根底を成す精神の一つになっている。その「行動原理」の性格についてあらためて考えさせられた書物であった。

アガサ・クリスティー『動く指』

10月5日(土)雨が降ったりやんだり

 『動く指』(The Moving Finger)は第2次世界大戦中の1942年7月にアメリカで、翌43年の6月に英国でその初版が売り出された。ミス・マープルが活躍する作品としては『牧師館の殺人』(Murder at the Vicarage, 1929) 9月18日の当ブログで取り上げた『書斎の死体』(The Body in the Library, 1942)に続く第3作である。ただし、この作品ではマープルは物語の終盤になって登場し、そのすぐれた推理力によって事件を解決に導くという役割であり、事件に遭遇してその経緯の語り手となるジェリー・バートンが実質的な主人公である。

 詳しい事情は明らかにされていないが、飛行機の墜落事故で負傷した軍人のジェリーは医師から地方での静養を勧められる。「家を借りて、地方の政治や村の世間話やスキャンダルに興味を持って暮すことですよ。隣り近所のことを詮索したり関心を持ったりしてね。ま、欲を言えば、近くに友達のいない所へ行くのが理想的でしょう」(高橋豊訳、8ページ)。彼は妹のジョアナとともにリムストックという町のリトル・ファーズ邸を借りることになる。そこにはバートン家という未婚の女性ばかりの家族が住んでいたのだが、一人一人世を去って一番年下のエミリーだけが生き残っているだけであった。

 彼らが屋敷を借りて住むようになってから間もなく、エミリーが「しかつめらしい顔つきでやってきて名刺を置いていった。それから彼女につづいて、弁護士の妻のシミントン夫人、医者の妹のミス・グリフィス、牧師の妻のカルスロップ夫人、修道院長の末裔のパイ氏などがやってきて同じように名刺を置いていった」(12ページ)。こうして彼らは町の生活の中に組み込まれていった。(ところで修道院長の末裔というのがどういうことか、意味がわからない。原文が手元にないので、確認しようがない。) 兄妹は医者のグリフィスと親しくなるが、活動的なその妹とはどうも打ち解けられない。シミントン夫人は再婚で、先夫との間に儲けたミーガンという20歳になった娘がいるが、彼女は家のものから除け者にされている。シミントン家にはエルジー・ホランドという美しい家庭教師が働いている。ジェリーはエルジーの美しさに驚くが、やがて彼女の親切ではあるが、気の利かない性格に気づく。

 澄んだ空気と静かな生活。のんびり暮らせるかと思ったのもつかの間、いまわしい事件の影が外来の彼ら2人をも巻き込んで、村全体を覆いはじめる。悪意と中傷に満ちた匿名の手紙が村の住民にあてて無差別に届けられ始めたのである。その中で中傷の手紙を受け取ったシミントン夫人が毒を飲んで自殺するという事件が起きる。地元の警察のナッシュ警視に加えて、スコットランド・ヤードからグレイヴズ警部が応援にやってきて、ジェリー、グリフィス医師、シミントンが協力しながら手紙の書き手を探す。多くのことがわかるが、決定的なことは分からない。その一方でジェリーはミーガンに、ジョアナはグリフィス医師に次第に好意以上のものを感じはじめる。

 この作品はクリスティー自身がかなりの愛着をもっていたものだという。地方の地域社会のゴシップを集めて分析し、それを犯罪捜査の手がかりにするということになればマープルの出番である。登場する場面が少ない分、その活躍ぶりは鮮やかな印象を残す。彼女を呼び寄せるカルスロップ夫人が、その後のノン・シリーズもの『蒼ざめた馬』にも登場することも思いだされてよい。匿名の手紙を誰が書いたかという推理に加えて、何組かの恋愛模様が展開するのもクリスティーらしい物語の運びである。またちょっと視点を変えれば、ミーガンという若い女性のシンデレラ物語として読むこともできる。いろいろな魅力と可能性を秘めていて、『予告殺人』(The Murder Is Announced, 1950)以後のマープルの大活躍を予見させる作品である。

 なお、この作品とほぼ同じ時期にフランスの映画監督アンリ=ジョルジュ・クルーゾー(Henri-Georges Clouzot, 1907-1977)が『密告』(Le Corbeau,1943、『からす』とも訳されている)という映画を監督していて、ある村で村人たちに匿名の手紙が届けられることによって広がる波紋が描かれている。両作品とも空襲など戦争をにおわせる出来事は描き込まれていないのだが、戦時下における社会心理が国境を超えた共通性をもっている例として想起されるべきなのであろうか。 

宇治拾遺物語

10月4日(金)曇り

 10月3日からNHKカルチャーラジオの「文学の世界」では伊藤玉美さんによる『むかしがたりの楽しみ 宇治拾遺物語を繙く』がはじまった。「中世」の説話文学の中で、『宇治拾遺物語』は代表的なものと考えられている。私自身も、確か高校時代に教科書でこの中の説話を習っただけでなく、受験参考書として編集された抜粋と、岩波文庫版とを読んでいる。のびやかで読みやすい文章で書かれており、量もそれほど多くないので、古典といわれる作品の中では比較的読みやすい部類に入ると思われる。伊藤さんも「説話文学は一話一話が短く、また比較的平易な表現が用いられているので、古文の初学者でも、一読すればだいたいの意味を取ることができます」(3ページ)と述べている。そのような説話文学の中でも読みやすいものである。

 逆に言えば、この説話集について新しい視角を提示することは難しいのではなかろうか。常識的な理解が行き渡ってしまっていると、新しい見解を示すのには勇気がいる。放送の初めに伊藤さんは『宇治拾遺』というとどんな説話を思い浮かべるか?と聴取者に語りかけていたが、これは聴取者がある程度の予備知識をもっていることが前提となっている問いかけである。伊藤さんがあげた3つの説話のうち、2つは確かに私も記憶している。桜の花が散っているのを見て泣いた稚児の話、タヌキ寝入りを決め込んで失敗した稚児の話である。しかし、伊藤さんがあげた話よりもわたしの記憶に残っているのは、こぶとり爺さんの話で、この他にも「藁しべ長者」や「雀のお宿」と関連する説話が収められていることも思いだした。説話は一方で近世以降の文学に影響を及ぼし、もう一方で民話や話芸の世界とも関連している。

 伊藤さんは読みやすい説話文学も「横に違う資料を置くと、見える世界ががらりと変わります」(3ページ)と続けている。「中世」は、説話文学以外にも、軍記物語や歴史物語など、独自の文学ジャンルが栄えた時代である。物語は「昔あった『事実』を物語ろう」とするものであり、「それらの事実は繰り返し思い出され、語り継がれる価値があり、だから記し残さねばならないのだ」(3ページ)として書きとめられたものである。だとすれば、他の説話集だけでなく、他のジャンルに収められた同種の話との比較を通じて、『宇治拾遺』を読み進む楽しみが増してくるはずであるというのであろう。

 そこでこの番組の本論は、『宇治拾遺』ではなく、『古事談』の中から『鳥獣戯画』の作者に擬せられてきた鳥羽僧正覚猷の臨終の際の説話から始められている。生前の奇行で知られる覚猷の遺言は「遺産相続は腕力で行うように」と遺言して亡くなったという。どうも僧侶らしからぬふるまいである。

 次に伊藤さんは『宇治拾遺』の中の頭の上に熟柿が落ちたのを、矢で射られて血が出たと錯覚して仲間に首をはねてもらったという法師の話を取り上げる。臆病ものが奇妙なところで大胆な行動に出るというこの物語の説く不思議とは別に、現代人の目から見ると「僧侶姿の者が、武装する仕事に就いている」(11ページ)ということに違和感がわく。ところが、説話集の編者はそのことに何の不自然も感じていない様子である。

 法師の武装ということに関連して、伊藤さんは晩年の落魄した清少納言をめぐる『古事談』の中の2つの説話を取り上げて、「法師」姿だと戦闘員だと思われて殺されそうになるという点に光を当て、「法師と武力の縁の深さ」(13ページ)を改めて強調している。平安時代後期から鎌倉時代の中期にかけての「院政期」は世の中の価値観が大きく変わり、それまでは表立って評価されなかった〈実力〉が新しい「実力」として評価されるようになった時代でもあった。その中で「実力」の持ち主として台頭してきたのが武士団と、とりわけその棟梁であり、僧兵と大寺社であったという。そして『古事談』の中から、比叡山の僧兵たちが三井寺を襲った際に比叡山の首脳部が手ぬるいと言って再度の襲撃を命じ、その中で三井寺側にいた源頼義の弟が命を捨てておもだった聖教類を救いだした逸話が取り上げられる。これも時代相の一つであった。

 という風に講義の概要を紹介してきて、いろいろと気付かされた点は多いし、院政時代のさまざまな個性の描写の面白さを改めて味わうことができた、とはいうものの、伊藤さんがこの講義を通じて何を論じようとしているのかが今ひとつ明らかになってこないという印象をもった。説話文学はある種の好奇心の産物であるとわたしは思っているのだが、この講義にはそのような編著者の視線についての目配りが不足しているように思われるのである。

 それでもどうやら、この時代、本来武力とは関係がないはずの僧侶たちがやたら力に訴える行動をする(現代人から見れば)矛盾と、それを当然のこととして眺めている同時代人たちの価値観が伊藤さんにとっては最大の問題らしい。そして「説話の中に時代が切り取られていたり、時代の中に説話が含みこまれていたりする場合があります」(16ページ)と説話文学の面白さについて指摘して一応の締めくくりとしている。まだ納得のいかない部分もあるのだが、次回以降でどのような説話が紹介され、解釈されて、その中でわたしのもやもやとした気分がどのように解消されるのか、説話の魅力がどのように語られていくのか、楽しみに待つとしよう。

語学放浪記(15)

10月3日(木)曇り後晴れ、暑さが戻った

 大学の学部時代から大学院時代にかけて少しずつ手を出していた言語がスペイン語とラテン語である。当時の日本の大学ではスペイン語はあまり重視されておらず、教養部(当時)で開設されていた語学の授業は英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、中国語だけであった。この他にラテン語、ギリシア語、イタリア語、オランダ語などの授業が文学部で開設されていた。

 その一方でNHKのテレビ、ラジオの外国語講座ではドイツ語、フランス語、ロシア語、中国語とともにスペイン語が開設されていたのはやはり実用的な需要が大きかったのであろう。韓国語(おそらくは政治的な配慮から「ハングル」という名称になった)、イタリア語、ポルトガル語、アラビア語の時間が開設されるようになったのはもっと後になってからである。中国語については北京放送、ロシア語についてはモスクワ放送にそれぞれの学習のための時間が設けられていた。

 大学の授業で語学を学ぶだけでなく、大学の外の機関で語学を学ぶ、あるいはテレビ、ラジオでの講座を利用する、その他の自習教材を利用するというふうにいくつかの学習手段を組み合わせて学ぶことが望ましいにもかかわらず、あまり組織的に学習手段を組み合わせて外国語を学ばなかったことについては悔いが残る。

 スペイン語については就職する前後からラジオの放送を聴きはじめた。自分の研究の都合からいうと英語をもっと勉強しなければならず、就職した学校の都合でドイツ語を教えることになったから、ドイツ語を勉強しなければならず、それだけで十分に時間を取らなければならないのだが、どうも落ち着かなかった。

 ラテン語のことわざでDum docent discunt. (彼らは教える間、学んでいる)というのがあって、セネカの言葉だそうであるが、いろいろな意味にとれる。勉強しながら教えることが効果的なのだ、とも言えるし、教育者は教育をしながら学ぶことができるとも受け取れる。周囲としてはわたしがドイツ語ができないのは承知の上で、教えながら少しずつでも力をつけてほしいと思っていたのだろうが、実力もやる気もなさすぎるというのが内情であった。せっかくだからとドイツ語の専門書を買って読みはじめても、全く歯が立たない状態が続いて、ドイツ語を実際の役に立てることはあきらめざるをえなかったのだから、教師としてドイツ語を教えることには忸怩たる思いが付きまとっていた。悔しさをばねにして頑張るのはそれなりのやる気がある場合であって、もともとやる気がない場合にはばねが作用しない。いずれにせよ、どうもドイツ語には身が入らず、その分が他の言語に向かい、周囲の期待からは大きく背くという結果になった。

 それでスペイン語については、最初の職場を去ってからもずっと勉強し続けたが、一向に実力の向上は見られなかった。ラジオの番組を聴くだけのことをくり返しても、上達は難しいと気付いたのはかなり後になってからのことである。実用に役立てるというよりも『ドン・キホーテ』を読んでやろうというかなり遠大な目標があり、それが縁だいすぎることに焦りを感じをしたりもしていた。

 ラテン語の方は『わたしの読書法』で加藤周一が戦争中電車の中で読んでいたと書いていた『マクミラン・ショーター・ラテン・コース』の第1巻を大学院の博士課程のころだったと思うが京都の丸善で買ってきてかなり熱心に独習した。その後、一時的に勉強したり、またやめたりを繰り返した。こちらは確たる目標は設定されていなかったのである。

ウィルキー・コリンズ『月長石』(11)

10月2日(水)台風22号の影響による雨、午後になってやむ

 ヴェリンダー家の令嬢レイチェルの誕生祝いに贈られた月長石という名前のダイヤモンドが、誕生日のパーティーの夜が明けると紛失していた。事件の解明が進まぬ中、レイチェルの従兄で宝石をもちこんだフランクリンは、ロンドンの警察のカッフ部長刑事に捜索を依頼する。カッフはレイチェルの部屋に塗られたペンキが手掛かりになるのではないかと考える。ヴェリンダー夫人との会見を終え、洗濯物の帳簿を調べたカッフは帳簿をもってきた召使のロザンナ・スピアマンの顔に見覚えがあるという。カッフは執事のベタレッジと庭で話をするが、その様子をロザンナが盗み見ている。カッフは背中のリューマチの痛みが出たと言って彼女の関心をそらそうとする(後にシャーロック・ホームズが使うことになる術策である)。

 カッフは召使たちを集め、1人ずつベタレッジの部屋に招き入れて、知っていることを聴こうとする。1人1人と話した時間は違い、部屋から出てきた彼らの様子も違っている。彼らはカッフについてそれぞれの勝手な感想を述べたりするが、一番時間をかけて聴取されたロザンナは無言である。取り調べが終わった後でカッフはベタレッジに「ロザンナ・スピアマンが外出させてくれと言ったら、行かせたまえ・・・しかしまずわたしにしらせてくれ」(190ページ)という。

 ロザンナ以外で最も長い間話を聞かれたのは、「奥さま付きの女中」(my lady's own maid)と「一番女中」(the first housemaid)の2人であった。この2人は日ごろからロザンナのことをよく思わず、いじめていたたのである。ロザンナに同情的なベタレッジは2人とお茶を飲んでカッフが彼女たちから何を聞き出したのかを確かめる。2人はロザンナの病気を本気にしていずに、彼女の様子をうかがっていたのである。2人はロザンナが部屋で何かを燃やしていたらしいという。

 平静を装って2人と別れたベタレッジはロザンナに同情的な気持ちと不安から植え込みのほうに歩いていくと、フランクリンにであう。フランクリンはヴェリンダー夫人と話をした後で、かなり気がめいっている様子であった。「ねえ、ベタレッジ。いま、ぼくたちが渦中に巻き込まれている謎や疑惑の空気に、おまえは馴じめるのかい? ぼくが月長石を持ってここへはじめて来た日の朝のことおぼえているだろう。あのとき、月長石を流砂の中に投げすてておけばよかったよ!」(193ページ)と弱気な感想を漏らす。

 ベタレッジからこれまでの経緯を聴いたフランクリンはロザンナが犯人にちがいないと言って、それをヴェリンダー夫人に知らせようとする。しかし、カッフが現れてそれを制止する。カッフはフランクリンと言い合いになるが、それぞれが表だって口に出しては言わないが、レイチェルの問題が絡んでいるらしいこと、しかも言い合いながらお互いの腹のうちは理解し合っていることをベタレッジは感じ取る。カッフはベタレッジが探偵のまねをして事件を探ろうとしたことを非難する。それでも、これからは自分の仕事を手伝うことに専念してほしいという。海岸を案内してほしいというのである。

 海岸を歩きながら、カッフはロザンナは犯人ではないという彼の推理の一端を述べる。ロザンナはヴェリンダー夫人からリンネルの服をもらったのだが、それをペンキで汚してしまった。そこで町でリンネルの生地を買って新しい服を仕立て、アイロンをかけた(2人の女中は何かを燃やしたと推測した)。ペンキのついた服をどうやって隠すかを考えているところであろうという。

 砂丘にはロザンナの足跡が記されているが、彼女の姿が見えないので、カッフは近くのコブズホールの漁村に向かおうとする。この村のヨーランドという漁師の家の娘とロザンナは仲よくしているのである。娘はいあわせなかったが、漁師のおかみさんとカッフはいろいろな世間話をする(これもシャーロック・ホームズの例えば『四つの署名』の中の川船の持ち主モーディケアイ・スミスのおかみさんとのやりとりを思い出させる)。彼女はロザンナがヴェリンダー家をやめるつもりでいたこと、彼女のなけなしの蓄えをはたいて錫で出来た箱を買いとったことなどを語る。その箱の中に彼女は何かを隠そうとしていたらしい。

 ヴェリンダー邸に戻ると既にロザンナは帰宅しているとの話である。その一方でレイチェルは邸を離れるつもりであるらしい。ヴェリンダー夫人はカッフが帰るのを待ち受けていたという。

 事件はこれで一気に解決しそうな雰囲気であるが、実はまだ半分にも達していない。解決が長引くことになるのはどのような事情からであろうか。それは次回以後のお楽しみにしておこう。(つづく)
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