2013年の2013を目指して(6)

6月30日(日)晴れたり曇ったり

 6月は30日間、ずっと日記をつけた。また30件のブログを投稿した。新たに推理小説というカテゴリを設けた。カテゴリ別の件数は読書が9(49)、推理小説が7(22)、映画が5(37)、詩が4(33)、未分類が2(15)、日記が2(14)、外国語が1(11)ということである。

 買った本が14冊で1月からの累計は63冊、読んだ本が13冊で1月からの累計は58冊である。柳田国男『日本の祭』、南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』、堀米庸三『正統と異端――ヨーロッパ精神の底流』、児美川健一郎『キャリア教育の嘘』、エイヴリー・エイムズ『チーズ専門店③消えたカマンベールの秘密』、サックス・ローマー『骨董屋探偵の事件簿』、アレクサンドル・チャヤーノフ『農民ユートピア国旅行記』、白石良夫『古語と現代語のあいだ ミッシングリンクを紐解く』、エイヴリー・エイムズ『名探偵のキッシュをひとつ』、エイヴリー・エイムズ『チーズ専門店②チーズフォンデュと死の財宝』、橋爪大三郎『世界は宗教で動いている』、今野浩『工学部ヒラノ教授』、西村義樹・野矢茂樹『言語学の教室』を読んでいる。

 6通の郵便を受け取る。お悔やみ、研究業績の送付、展覧会の案内、学会の案内、論文送付の礼状、ハガキ通信というのがその中身である。1月からの通算は132通になる。

 6本の映画を見た。『奇跡のリンゴ』、『さよならドビュッシー』、『人生、ブラボー!』、『ローマでアモーレ』、『俺はまだ本気出してないだけ』、『とんかつ大将』の6本である。1月からの通算は32本になる。ムービルと横浜ニューテアトルに今年になって初めて出かけた。今年出かけた映画館の累計は15館である。

 フランス語の時間、イタリア語の時間、それぞれ20日分ずつ放送を聴いた。1月からの累計は120日分、119日分である。

 カルチャーラジオ「文学の時間」『落語講談に見る「親孝行」』を3回聴いた。全部で13回放送されたうちの12回を聴いた。

 サッカーの試合は1試合も見なかった。1月からの通算では9試合を観戦している。ミニトトを1回あてて、今年になってからでは2回あてている。そういえば、グリーン・ジャンボとドリーム・ジャンボの末等をそれぞれ4枚ずつ当てているが、賞金額はミニトトの方が多い。

 ノートを5冊使い切った。1月からの合計は26冊である。

 新たに東京メトロ副都心線に乗り、西早稲田駅、高田馬場駅を利用した。13路線、24駅を利用していることになる。

 酒を飲まなかったのが17日で、1月からの累計は102日である。

 広福源、聚福源という2件の中華料理店に新たに出かける。餃子を4人前、タンメン3杯、サンマー麺、麻婆麺をそれぞれ1杯ずつ食べている。

 これらの数字をどのように足して2013にするのかというのが依然として問題である。
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とんかつ大将

6月29日(土)晴れ後曇り

 神保町シアターで川島雄三監督が1952年に松竹大船で撮った『とんかつ大将』を見る。「昭和スタア列伝――上原謙、佐野周二、佐分利信 “松竹三羽烏” 華麗なる映画人生」の一部で、この作品は佐野の主演作である。上原の息子が加山雄三、佐野の息子が関口宏、そう考えると日本映画の歴史もだいぶ厚みを増していることがわかる。

 1963年6月11日に川島が死んで、今年で50年たつ。60年以上昔の川島作品を見ていて、さほどの斬新さを感じないが、一方で戦前の雰囲気を引きずり、新しい時代の訪れも感じさせている同時代の風俗をよくとらえている。古いなりに新しい感動を呼ぶ作品である。

 戦後間もない浅草。医師の荒木勇作は演歌師の吟月とともに長屋住まい。ある日、吟月に連れられて出かけた居酒屋で女将である菊枝の弟の周二がけがをしているのを近くの病院に担ぎ込む。その病院の院長佐田真弓は若い女医でこの一帯の有力者の娘である。病院には拡張計画があるが、そのために長屋の人々は立ち退かなければならない。荒木を先頭に長屋の人々は反対運動を展開する。長屋の人々の信頼を集める荒木だが、何か秘密があるようである。また彼には出征前に恋人がいたが、思いがけない形で彼女に再会する。

 荒木を中心に交錯する下町の人間模様、荒木と真弓は反目しながら惹かれあい、その一方で菊枝が荒木に思いを寄せている。菊枝には吟月が恋心を感じている。荒木は菊枝の弟周二の更生を図る。荒木の出征前の恋人多美は昔の親友と結婚して子どもをもうけている。荒木と吟月が世話になっている太平の娘お艶は目が不自由であるが、手術をすれば治りそうである。病院の拡張を実際に推進している弁護士の大岩には別の計画がある。大岩は多美の夫の丹羽に働きかける。

 荒木はとんかつが好きで(川島もとんかつがすきだった)、「とんかつ大将」とあだ名されるのだが、この時代まだとんかつ屋は一般的な存在になっていなかったようで、彼がたまにとんかつを食べるのは菊枝の店である。しかも菊枝ではなく、吟月が包丁をふるったりする。これが後の川島作品『とんかつ一代』(1963)になると、とんかつ専門店をめぐる人間模様が描かれていて、10年余りのうちに日本の食生活が急激に豊かになっていることがわかる。

 荒木を佐野周二、吟月を三井弘次、真弓を津島恵子、菊枝を角梨枝子、周二を高橋貞二、多美を幾野道子が演じている。荒木の過去が物語を複雑にしているのだが、そういう主人公の個性を佐野がよく表現している。角梨枝子という女優を見るのは初めてだが、他の作品も見てみたいと思った。川島が作った51作品中、これで3分の1に相当する17作品を見たことになる。どこまで見ることができるか分からないが、これからも1作、1作積み重ねていくつもりである。

「親孝行」と文化

6月28日(金)曇り

 昨夜(6月27日)、NHKカルチャーラジオ「文学の世界」『落語・講談に見る「親孝行」』の最終回(第13回)である「芸道は不孝か―太宰治『新釈諸国噺』」を聴く。この放送の第12回は聞き逃したが、それ以外の回は聞くことができた。江戸時代の「親孝行」という異文化に注目することによって現代人の視野が広がり、モノの見方・考え方が相対化されるというのがこの放送の眼目であろう。

 最終回では西鶴の『本朝二十不孝』の「無用の力自慢」と、太宰の『新釈諸国噺』の中の「大力」を取り上げている。後者は前者を太宰が空想を自由に交えてアレンジしたものである。親の諫めも聞かずに相撲ばかり取っていた力自慢が、最後に敗れてけがをしてしまうという筋立ては共通するが、太宰は軽妙なくすぐりを加えたり、主人公の息子の性格を分かりやすい悪人に書き換えたりする工夫をしている。西鶴と太宰の物語のどちらが優れているというものではないが、前者は親不孝を強調しながら、芸道の奥深さをも語っており、後者の場合は親不孝もさることながら、力自慢の息子の不行跡を強調することによって勧善懲悪の要素が強くなっているという。

 講師である勝又さんが指摘するのは「江戸時代では、芸事にふけるということは親不孝」であったということである。励むべきは家業であり、芸事、習い事は余技とされていた。昔、三代目の三遊亭金馬が「道楽」はいいが、「道落」は困る、私(金馬)の釣りなども「道落」に入るかもしれないというようなことを言っていたが、その「道落」である。

 学問に励むのもよいが、「名聞道(みょうもんみち)」という脇道に迷い込む危険があるともいう。学問も名誉欲をもってしまっては道を違えてしまうという。もちろん、本物の名人巨匠になれば問題はないのだが、そうならずにいたずらに財産を使い果たしてしまう例が大半であるという。これは江戸時代だけに限られる処世訓ではないように思われる。

 今日の目からすれば家業に励むことが最大の親孝行だというのは封建道徳だと片付けられそうであるが、このような「堅実な」キャリア観は現在でも根強く残っているような気がする。それ以上に江戸時代は、親孝行が人々の心を動かし、喚起した「親孝行文化」の時代だったと勝又さんは説く。江戸の「親孝行」は失われた価値観かもしれないが、「親孝行文化」の残した豊かな文化遺産は興味あるものなのである。

 この放送を通じて、多くの新しい知見を得たのに加えて六代目の三遊亭円生や三代目の金馬のような故人となった落語家の口演にあらためて接することができたのは落語好きの私にとって収穫であったし、講談についても新たに興味をもつことができた。その分、終盤における近代文学への言及は余計だったようにも思われる。明治・大正時代の落語の速記を見ていると、同時代に進行していた道徳観の変容が反映されているように思われるので、この問題についての研究成果があれば伺いたいものだと考えている。

これから

6月27日(木)晴れ

 これから

化け損ないの狐狸や
どこかがちぎれた妖怪の姿が
回り灯籠の影のように
現れ、消えた
そんな思い出は
ちぎって断片化していこう

すべての人々と
仲良くできるわけでもないことを
悲しみながら
善意を育てよう
偽善者の友情には
背を向けることにしよう
憎悪の連帯も
拒否することにしよう

嘘はつきたくないが
本当のことを言うのも
時として適切ではないことを
胸に畳んで
和顔愛語を
心がけ
実りのある行動を
少しずつでも積み重ねていこう

俺はまだ本気出してないだけ

6月26日(水)雨

 109シネマズMM横浜(Th2)で福田雄一監督・脚本『俺はまだ本気出してないだけ』を見る。

 大黒シズオ、42歳。父親、高校生の娘と3人で暮らしている。「本当の自分を探す」と勢いで会社を辞めたが、朝からゲームばかりして、父親と口論が絶えない。高校生の娘鈴子は家事をこなし、学校に通い、アルバイトをして金をためているらしい。その娘に2万円でいいからと借金をする。アルバイト先では「店長」とあだ名され(スタッフ歳年長である)るが、仕事ぶりは頼りなく、後輩からダメ出しをされる。人数合わせで出席した合コンでは当然のことながら孤独感を味わう。幼馴染の宮田修は愚痴をこぼせる仲間だが、離婚した宮田には彼の悩みがある。

 ある日突然、シズオは漫画家になると宣言し、出版社に持ち込みを始める。編集者の村上は彼を励ますが、原稿をなかなか受け取らない。自分の描くべき分野を見つけることができず、父親とけんかして家出する。宮田やアルバイト先で知り合った若い市野沢を巻き込みながら、彼の迷走は続く。アルバイトをやめた市野沢はキャバクラに勤めるが、その非人間的な環境に怒って仕事を離れ、宮田の紹介で就職活動を始める。宮田や市野沢は他人を思いやったり、自分を見つめ直したりする側面が見られるのだが、シズオにはそういうところはほとんどない。没ばかりなのは「運がないから」と占い師に相談してペンネームを変えて持ち込んだ作品が新人賞の佳作となり、1コマだけ雑誌の誌面に掲載される。次はいよいよデビューだと意気込んで仕事に取り組むのだが、彼の運命はどうなるか・・・

 「俺はまだ本気出してないだけ」と言っても、出したからどうなるというものではない。本気出して失敗することもある。本気の先にもっと本気があり、もっと本気の先にもっともっと本気がある。もっともっと本気の先にはもっともっともっと本気があるというのが人生である。とにかく本気になったつもりで自信満々の主人公であるが、宮田が会社を辞めたと聞いた宮田の子どもがお父さんがシズオのようになるのは嫌だと毎晩泣くので、宮田の別れた妻がよりを戻す決心をしたという終わり近くのエピソードのように、身内だけでなく他人の彼を見る目はかなり厳しい。娘の鈴子があまり文句を言わないのは既に彼を見離しているからだ(実はもっと複雑な理由かららしい)という父親の言葉もある。宮田に連れられてシズオ(さらには市野沢)が出かける飲み屋のおやじを演じているのが実は本職のマンガ家である蛭子能収でシズオには才能がないとさりげなく、しかし厳しく指摘する場面もある。

 才能がなくても努力によって補うことはできる。特に一流の地位を得なくても、好きな仕事なら我慢できるということもある。その一方で自分の非力を認めて好きなことは趣味の域にとどめておくという生き方もある。その点の加減が難しい。映画はその結論を出しているわけではないし、結論を出して済むという問題でもないだろう。主人公の夢枕に頼りない神様が登場する場面がある一方で、彼が交通事故に遭って、頭がい骨が異常に丈夫なので助かったという彼の描く漫画よりも(おそらくは)面白いエピソードも出てくる。現実離れがしているようで、主人公のような人物を身近に感じてしまうところがある。その意味で捨てがたい味わいのある映画である。青野春秋作の同名のマンガが原作だということも気にとめておいた方がよかろう。

エイヴリー・エイムズ『消えたカマンベールの秘密』

6月25日(火)曇り後雨

 テレビ東京の昼の海外ドラマの時間で、昨日まで『ロー・アンド・オーダー LA』を放送していたのが、本日から『CSI』に替わった。ということで、これらのドラマについての言及がしきりになされるエイヴリー・エイムズの『チーズ専門店』シリーズの第3作『消えたカマンベールの秘密』の話題を取り上げた方がいいだろうと思う。

 語り手でもある主人公のシャーロットがチーズ&ワインの店を経営しているオハイオ州のプロヴィデンスの町に、前2作で何度も言及されてはいたが、登場することはなかった“食えないシェフ“=元婚約者のチップが姿を現す。彼女を捨ててフランスに行ってしまった彼はクライズデール・エンターブライズのオーナーであるケイトリン・クライズデールに雇われてこの町に戻って来たのである。プロヴィデンスの出身であるケイトリンはシャーロットの両親とも付き合いがあったようである。シャーロットの助手であるレベッカは、彼女の恋人イポの経営する養蜂場をケイトリンが買い取るという話で敵意を隠さない。シャーロットのいとこで共同経営者のマシューは、前作に引き続きシャーロットの親友のメレディスとの交際を深めているが、別れた妻のシルヴィとの間に儲けた双子の養育をめぐる紛争は完全に収まってはいない。

 そうこうするうちにケイトリンが死体で発見され、その現場はレベッカの自宅、イポに容疑がかけられる。そうなるとおとなしくしていられないのがシャーロットであるが、彼女の動きを町の警察署長であるアーソがこれも例によって封じ込めようとする。シャーロットがチーズ製造業者のジョーダンと付き合っているにもかかわらず、チップは自信満々で彼女とのよりを戻そうとする。古くからの住民が多く、その間での交流が密な地方都市が舞台であるためか、登場人物がやたらと多く、それぞれの人間関係を整理するのにエネルギーを使ってしまう。そのためなかなか事件の骨格がつかめないのだが、それもこのシリーズを読み続けて行けば特色として慣れてしまうかもしれない。これまでお気に入りのテレビ番組から得た知識でシャーロットに助言するのはレベッカの役回りだったが、シルヴィのヘンな影響で双子までがドラマの影響を受けはじめた・・・

 本文に加えてチーズ料理のレシピが絵入りで紹介されているが、これは翻訳者である赤尾秀子さんの発案によるサーヴィスだそうである。実際に役立てる機会は(私には)なさそうだが、名前を覚えるだけでもよいかもしれない。原書房のコージー・ブックスから刊行されているのはこの作品までだが、巻末の解説によると間もなく第4作の翻訳が出版されるようである。これまでジョーダンの前歴には不明な部分が少なくないが、第4作でどこまで明らかにされるか、推理以外の部分にも好奇心がわく。 

エイヴリー・エイムズ『チーズフォンデュと死の財宝』

6月24日(月)晴れたり曇ったり

 6月23日、『名探偵のキッシュをひとつ』に続くエイヴリー・エイムズの『チーズ専門店』シリーズの第2作『チーズフォンデュと死の財宝』(Lost and Fondue)を読み終える。

 語り手であるシャーロット・バセットはオハイオ州のプロヴィデンスという町でチーズ&ワイン専門店を経営している。この町にも大学が必要だと考える人々が、設置運動を展開している。シャーロットの親友であるメレディスは町の財産であるジーグラ―・ワイナリーを大学施設に改造してはどうかと提案している。

 ジーグラ―・ワイナリーは19世紀の末にプロヴィデンスの初代の町長ザカライア・ジーグラ―が建てたもので、広大な敷地に壮麗な建物がそびえていたが、ジーグラ―家に忌まわしい事件が起き、ザカライアの娘が土地と建物を町に譲渡してニューヨークに去り、町はこの施設を放置したまま過ごしてきた。この施設を改造して大学のために利用しようと考えたメレディスは資金集めのために、この小説の題名になっているLost and Fondueという催しを計画する。ジーグラ―は死ぬ間際にワイナリーのどこかに財宝を隠したと告白したという。Lost and Found(お忘れ物取扱所)をもじったこの行事のアトラクションの1つとしてこのうずもれた財宝に引っかけた、がらくた集め競争を行おうというのである。シャーロットはこの行事のためにフォンデュを提供するように頼まれる。

 ところがこの行事の最中に町を訪問していた美術学生であるハーカーが殺されるという事件が起き、学生たちを引率していたメレディスの兄のフレディの娘(メレディスの姪)のクインが容疑者になってしまう。親友のためにシャーロットはクインの無実を証明し、真犯人を見つけたいと思うが、『名探偵のキッシュをひとつ』事件で無茶な素人調査をしまくったために、古くからの友人である警察署長のアーソから捜査に首を突っ込むなときつく言い渡されている。とはいえ・・・

 読み終えた感想を少しだけ言うと、クリスティの『親指のうずき』(By the Pricking of My Thumbs, 1968)を思い出させるところがある。トミーとタペンスのコンビが活躍するシリーズの最後から2作目であるこの作品で、タペンスはトミーの死んだ叔母の遺品である風景画を見て奇妙な胸騒ぎを覚える。その絵がきっかけで夫婦は怪事件に巻き込まれてゆく。

 両作品に共通するのは、事件の展開に絵画作品が絡んでいること、また町の過去の有力者の子孫がそれと分からない形で事件にかかわっていることである。前作同様に主人公の昔からの顔なじみである古くからの町の住民と、新しくこの町にやって来た人々とが複雑に交流し合い、シャーロットやメレディスたち、登場人物それぞれの家族の事情がからんで物語をさらに混とんとしたものにしている。大学の設置をめぐっては賛成派と反対派の対立がある。観光客が押し掛けたり、事件があると取材のためにマスコミが押し寄せたりする。小さい町であるが、住民たちは一枚岩とは言えない。そういうアメリカの地方都市の雰囲気がこの小説の奥行きとなっている。主人公の推理は快刀乱麻とは言い難いのだが、殺人事件と関係があるような、ないようなさまざまな出来事のもつれが、どのように解決されていくのか、その興味で最後まで読んでしまう。それだけの魅力のある書物である。 

堀米庸三『正統と異端――ヨーロッパ精神の底流』

6月23日(日)晴れたり曇ったり

 堀米庸三『正統と異端――ヨーロッパ精神の底流』は1964年に中公新書の1冊として刊行され、1970年代の半ば過ぎにヨーロッパ中世史に興味をもったことにより購入、その後何度か読みなおした書物である。今回、中公文庫の1冊として再発行されたので、また読み直してみることにした。5月7日に購入、読み終えたのが6月7日であるから読み終えるのに1カ月かかったことになる。さらにそれからこの書物をこのブログで取り上げるまでに半月以上の時間がかかっている。なかなかうまくこの書物の内容を紹介できないし、それについての自分の意見もまとめられない。しかしなんとかやってみよう。

 著者である堀米庸三(1913-75)はヨーロッパ中世史の研究家として、この時代の宗教と政治の深刻な対立、複雑な葛藤に絶えず関心を抱いてきたと述べる。「およそ宗教と政治ほどに、その理想とそれにいたる道が相互に異なりながら、しかし現実においては相互に結びあわざるをえない関係にあるものはない」(1ページ)という。さらに「キリスト教の歴史にたえずついてまわる『正統と異端』の争いも、教義上の問題であるまえに・・・、宗教と政治との不可避的な相反と結合の関係から生まれたものである」(2ページ)とも説く。

 宗教と政治のこの悲劇的な関係は、ヨーロッパの中世において最も顕著であったと著者は論じる。その理由としてキリスト教が一神教であること、また「ヨーロッパがその歴史的形成の最初から、法王と皇帝というに権力を中心とする楕円的統一体であり、最後までそのどちらもが他方を圧倒し吸収することのできる緊張関係をつづけたという歴史的事実にあった」(2-3ページ)ことのためである。キリスト教が一神教であるというのはそれほど大きな理由ではないかもしれない。イスラームの側から見ると、キリスト教は多神教であるというし、確かにキリスト教には多神教的な要素があるように思われるからである。

 宗教と政治の緊張関係を背景として展開された、ヨーロッパ中世における正統と異端の抗争は、他に類例がないものとなったというが、イスラーム教におけるスンニ派とシーア派の抗争のような例と比べてどうかということが述べられていないので、もう一つ説得力に乏しいと思う。ヨーロッパ人の精神的形成の底流として、正統と異端の問題が大きな影を落としているというのはその通りであろう。それはキリスト教の中だけでなく、マルクス主義のようなキリスト教外の思想においても繰り返される抗争なのである。

 堀米はヨーロッパ中世についての研究を展開する中で「正統と異端」の問題が、カトリック教会史上の画期であったグレゴリウス改革(1049-1122)における秘蹟(サクラメント)に関する客観主義的な解釈と主観主義的なそれとの対立が大問題であったことに行きついたと述べる。

 しかしながら、そのときの認識はまだグレゴリウス改革における目的と手段との矛盾に気づくものではなかったという。グレゴリウス改革は当時の教会の腐敗を一掃しようとして、腐敗聖職者の追放の身によりその目的を達成しようとし、その結果腐敗した聖職者が行った秘蹟は無効であるというカトリック教会の正統と相反する主観主義的な議論を持ち出し、改革が成功した後に同じような秘蹟論を根底とする12-3世紀の異端運動のきっかけを作ってしまったというところで議論は止まってしまい、一方でグレゴリウス改革の目的と手段の矛盾の深さや、この深い矛盾によってかきたてられた社会人心の動揺も十分に理解してはいなかったと自省の言葉を連ねている。他方この動揺の中から生まれた教会伝承への根本的批判や、その産物である原始キリスト教精神への復帰を目指す「使徒的生活」の追求を本質とする12世紀の宗教運動への理解の重要性や、そのような「使徒的生活」の運動のもっていた正統と異端の枠組みでとらえきれないようなエネルギーについても十分に認識していなかったことを認めている。

 さらにこの研究をまとめて行くうえで特に重要であったのは、中世ローマ法王権の最盛期に現れた2つの托鉢修道会:フランシスコ会とドメニコ会の出現の意味の理解であったという。中世ローマ教会の最盛期になぜこの2つの修道会が生まれたのか、さらにこの最盛期が他方で異端運動の最盛期でもあったことの解決は、一方で12世紀の在家宗教運動の一環として聖フランシスコの運動をとらえるトレルチの考えに加えて、正統と異端との対立の中で、これをあえて教会内に吸収しようとした法王イノセントⅢ世の政策との連関において理解することによって可能になると考えている。このようにしてヨーロッパ中世におけるグレゴリウス改革からイノセントⅢ世に至るローマ教会の直面した問題とその解決が可能になるというのが著者の見通しである。

 実はここまで紹介したのは、この書物の「まえがき」の部分であって、本文にはまだ行きついていない。以上の見通しに基づいてこの書物は構成されている。これからその内容について出来るだけ簡明に紹介していきたい。(つづく)
 

エイヴリー・エイムズ『名探偵のキッシュをひとつ』

6月22日(土)曇り

 原書房から刊行されているコージーブックスの1冊。文庫の帯には「『居心地がいい(cozy)』という意味のコージーミステリは、ほのぼのとした雰囲気の推理小説。謎解きはもちろん、事件の合間に登場する料理やレシピ、豆知識も読みどころのひとつ。『コージーブックス』は、ティータイムにぴったりのコージーミステリをお届けする文庫レーベルです。」と記されている。この文庫の本は既に何冊か読んでいるが、このブログで取り上げるのはこれが初めてである。既にシリーズ第3作の『チーズ専門店③ 消えたカマンベールの秘密』を読んでいるが、第1作から順を追う方が理にかなっていると思い、この作品から紹介していく次第である。

 この小説の題名:The Long Quiche Goodbyeはレイモンド・チャンドラーの名作のもじりらしい。他にも有名な小説や映画、TVドラマの話題が盛り込まれていて、どのくらいわかるかというのもこの作品を読む際の楽しみの一つであろう。キッシュ(quiche)はquiche lorraineの略で、『リーダーズ英和辞典』によると「パイ皮にチーズ、ベーコン、玉ねぎなどを入れ甘味のないカスタードをかけて焼いたもの」だそうである。ヒロインはチーズ&ワイン専門店を営業しているが、それ以外にキッシュを焼くのが得意であるという設定がされている。

 アメリカ合衆国のおそらくは中西部(と言ってもかなり東寄りの)オハイオ州の田舎町、プロヴィデンス。30代の独身女性のシャーロット・ベセットは祖父から譲り受けたチーズ専門店にいとこであるマシュー・ベセットの助けを借りてワインを扱う別棟を加え、事業を拡張しようとしている。マシューは店の共同経営者であり、元ソムリエ、別れた妻との間に双子の姉妹をもうけている。チーズ製造業者のジョーダン・ペイスが事業を助ける一人であるが、彼は謎の多い人物である。父母は既になくなり(その謎はシリーズのあとの方の作品で追求される)、フランスからの移住者である(この小説のグルメ趣味の設定にとっては必要な布石であろう)祖父母は健在、祖母はプロヴィデンスの町長をしているが、この町の有力者で不動産業者のエド・ウッドハウスが不審死を遂げ、その死体の近くで血まみれのナイフを持った祖母が発見されたので、当然嫌疑は彼女にかかる。町の警察署長ウンベルト・アーソはシャーロットのハイスクールの同級生であるが、石頭で犯行についての他の可能性を考えない。エドの妻、クリスティーンは町長選挙に立候補していて、これ幸いと派手な選挙戦を繰り広げる。

 シャーロットの助手のレベッカはアーミッシュのコミュニティーから抜け出してきた経歴の持ち主で、新しい世界で出逢ったTV番組の『ロー&オーダー』や『ジェシカおばさんの事件簿』、『CSI』などTV番組で得た知識を動員して、シャーロットを助けようとする。『ロー&オーダー』は現在TV東京で放映されているので、どういう番組かわかる。この小説の世界と『ロー&オーダー』はかなり違う。その違いが、理解できるとこの作品の特色もよくわかるはずである。

 ポーがデュパン探偵を発明して以来の、推理小説の主な骨格の1つは素人探偵と警察、自由な市民と官僚機構の対立である。TVの『ロー&オーダー』や『CSI』に出てくるのは、専門家、官僚機構の捜査技術の優秀さと、それにもかかわらずそれらの機関が抱えているさまざまな問題点であり、番組では大都会の人種問題や、その他の社会問題が取り上げられ、専門家の意見が素人の意見によって覆されたりする現実が生々しく描かれている。これに対して、この小説の世界は地方のほとんどが白人からなる社会の出来事であり、素人が専門家の意見を覆していくという推理小説の古典的な型が守られているところが特色である。もう一つ大都市と地方の犯罪捜査技術のギャップも視野に入れる必要がある。

 ヒロインのシャーロットは猪突猛進型で、祖母の無罪を確信するのあまりいくつもの勇み足をする。彼女が捜査の過程で味わうもどかしさもこの作品の味付けの一つである。そうはいっても、専門家に対する素人の勝利というこの小説の展開は、推理小説の定石を守っているというよりも、小さな政府を声高に主張する昨今の傾向との結びつきを感じさせるところがある。登場人物は皆白人のようであり、社会問題は物語の展開からできるだけ遠ざけられているようである。その点も含めて保守的なミステリであると言えそうであるが、それはこの作品の面白さとはあまり関係がないように思われる。あるいは私がワインとチーズがすきだからこの作品に対して甘い評価をしているのかもしれない。

児美川孝一郎『キャリア教育のウソ』

6月21日(金)雨

 母の死に伴う生活の変化のため各種金融機関を回る。大いに疲れた。親が死ぬというのは予想したくない未来である。だからと言って、それに備えない訳にはいかない。備えていなかったので、大いに苦労している。老後というのもキャリアの一部である。キャリア教育は基本的には若者の未来への準備である。とはいうものの、未来が明るいもの、楽しいものであるとは限らないことを忘れてはならない。

 児美川孝一郎『キャリア教育のウソ』(ちくまプリマー新書)を6月8日に買って、9日に読み終えた。とはいうもののなかなか批評が書けないままであった。その理由の一つはこの書物が挑発的な書物であるためである。教育の現場(少なくとも小中高)で「キャリア教育」は政策の目玉商品の一つとして推進されてきた。卒業しても就職できないと言われては、入学者が確保できなくなっている大学ではキャリア教育は生き残り戦略の1つである。その一方で若者の就職をめぐる状況は改善されてきたとは言い難い。若者が使い捨てにされているという状況を指摘する声さえある。政策の側の意気込みと、現場の取り組みの間にギャップがある。どちらの側に立ってこの問題を論じるかによって批評の書き方が変わってくるが、立場を選ぶことが容易ではない。

 キャリア教育は、そもそも若年労働者の雇用をめぐる困難な状況を若者の心の中の問題として捉えるところから出発していると著者は指摘する。「将来の目標が立てられない、目標実現のための実行力が不足する若年者が増加」(37ページ)したことが問題ととらえられているという。就職が困難だったり、就職してもすぐやめたりする状況があるのには別の問題もあることは容易に考えられる。不況や、労働環境の変化がそれらの問題の中に含まれる。変化の激しい社会では、将来の目標など無意味に近い。実際問題として、死んだ私の父親は大学の卒業後、当時の日本の一流企業に就職できたのだが、その企業が産業構造の変化で別の分野に取り組むようになって苦労したという経緯がある。これも故人になった私の伯父の一人は満鉄に就職したので、戦後、職場を転々として苦労することになった。一流大学を出て、一流企業に就職しても、その生涯は順風満帆とは言い難い。

 だから自分の好きなこと、自分が向いていること、社会のためになることに取り組むべきだという言説がある。「キャリア教育」を支えている、推進しているのはこの種の議論であるという。これは説得力のある議論に思われるが、何をやらしてもダメ、特に好きなこともないという若者が少なくないというのも別の現実であろう。これは現在の教育(学校教育だけでなく、家庭や塾の教育を含めて)全体の問題ともかかわっている。それから社会のためになるというのも、社会の方向性によって大きく影響される事柄である。社会と個人の利害が大きく違う時代と、かなり方向性の一致を見出せる時代とがあるのは歴史が物語ることである。

 もう一つ、キャリアという概念は必ずしも職歴に限定されるものではない。高齢化が進む社会では退職後の生活設計も重要であるし、職歴を考える際にも、転職や方向転換を視野に入れることが必要である。そうなると現在の学校現場で推進されている「キャリア教育」には問題があるというのが著者の意見である。

 2月26日付の当ブログで書いたことだが、ある学校で「倫理・哲学」という科目を教えたことがあって、そのときに「生き方」を教えればよいのだと校長に言われたことを思い出す。「こうすれば人生に成功する」などと教えても、人生に成功できない学生は必ず出てくるのである。どうにもできない現実を抱えた部分のある人生とどう向き合うかということが「キャリア教育」の課題として浮かび上がってくるはずだが、そうなると著者のいうように、キャリア教育は教育の一部ではなく、全体で取り組むべき課題となってくることになる。著者ほど若くない私が批評するとどうも暗くなってしまうのだが、著者の論調は努めて明るくまとめられていることを最後に書いておきたい。 

見知らない道を

6月20日(木)雨が降ったりやんだり

 本日は終日、屋内で過ごす。旅に出かけることを考えて、ノートの中からこの詩を選び出す。

 見知らない道を

読みさしの本と
ポケットウィスキーを
鞄に入れて
駅の売店で
焼売を買って
鉄道の旅に出かけよう

本を読み終えたら
また新しいのを買えばいい
ウィスキーの瓶が空いたら
また1本買えばいいし
ペットボトルの緑茶を
合間に飲むのもいいものだ

何度も通ったことのある路線の
まだ降りたことがない駅で降りて
まだ乗ったことのない路線に乗り換えて
誰か降りる人のいる駅で降りる
見知らない人の声を聞きながら
見知らない道を歩く
新しい風に出逢いながら
さらに新しい出会いを探す

リンゴとナシの雑学(2)

6月19日(水)雨が降ったりやんだり

 6月10日(月)に横浜駅西口ムービル(1)で中村義洋監督の『奇跡のリンゴ』を見たことは既に書いた。リンゴの無農薬での栽培に成功した木村秋則さんの実話に基づいて製作されたこの映画の最初の方で青森県でリンゴ作りが盛んになった経緯が説明されているのだが、気になることがいくつかあった。4月4日の当ブログで「リンゴとナシの雑学」の一端を書いたのだが、面白いから書き進めろという意見に出逢わなかったので、次回を書くのをためらっていた。それでも、この映画を見たことで書いておこうということがいくつか出てきた。

 リンゴは中央アジア原産であり、欧米を経由して近代になって日本にやってきたというのはだいたいにおいて映画の中の説明の通りである。ただ、江戸時代以前から日本の一部ではリンゴが作られており、和リンゴと呼ばれる。物語の筋を理解するうえでは必要がないことだが、リンゴの歴史を語る際には見落とすべきではない。

 そうはいっても、リンゴが外来の果物であることは、リンゴについての英語のことわざがいくつもあるのに、日本語のことわざが見つからないことでもわかる。その1、目下読み進めているエイヴリー・エイムズの『名探偵のキッシュをひとつ』(The Long Quiche Goodbye,2010)の中に、「リンゴは元の木から離れて落ちることはない」(コージーブックス版、115ページ)=「子は親に似る」ということわざが出てきたので、気になって英和辞典で調べてみた。The tree never falls far from the tree. (リンゴは決まって木の近くに落ちる=家系の目立つ特徴というのは遺伝するものだ)というのがそれらしい。

 その2 An apple a day keeps the doctor away. (一日1個のリンゴを食えば医者は要らない。) 英国のパブリック・スクールの教育を紹介した池田潔『自由と規律』(岩波新書、1949)のなかに池田に英語を指導してくれた先生の想い出を書いた個所があり、その先生が「戸口に立って棚から林檎を手にとると、『一日一個のリンゴは医者を追払う』、必ずあれを独言いいながら、上衣でゴシゴシ擦ってよく艶を出してからこっちに投げてくれる』(125ページ)とある。私が英国に初めて出かけたのは池田の滞在した時期から70年ほど後のことであるが、英国のリンゴは日本のリンゴに比べて小さいし、甘みも乏しいと思った。日本のリンゴは外国のリンゴに比べると工夫も手間も、農薬も多くかかっている。『奇跡のリンゴ』という映画を理解するためにはこの点が重要である。

 他に、The apples on the other side of the wall are the sweatest. (塀の向こうのリンゴが一番うまい=人のものはよく見える。) The rotten apple injures its neighbor. (腐ったリンゴは隣を腐らす=よくない人物・因子は周りに悪影響を与える。)というのもある。(以上、『リーダーズ英和中辞典』第1版第2刷、2002を参照。)

 ニューヨークの別名はBig Appleであり、アップルというIT大手企業があるのはご存知の通り。もっともアメリカのフロンティアにリンゴの種子や苗木を配って歩いたと言われるジョニー・アップルシードJohnny Appleseed (本名John Cahpman)は1774年に生まれ、1845年に亡くなった人で、アメリカ人とリンゴの関係が強まったのはそれほど古いことではなさそうだ。それでもアメリカの文化の中にリンゴは深く根をおろしているように思われる。日本でもリンゴが今後さらに文化の中に深く根を張るようになるだろうと思われる。

ローマでアモーレ

6月18日(火)晴れ後曇り

 昨日見た映画2本のうちの1本、ウディー・アレンが出演・監督している『ローマでアモーレ』について。「永遠の都」ローマは旅行者、一時滞在者、住民がさまざまに交流し、ドラマを作り出す都市であり、多くの映画の舞台となって来た。映画観客のローマに対するさまざまな既視感を利用しながら、アレンはいくつかの悲喜劇を組み合わせて映画を作り出している。

 ローマの町角で出逢ったアメリカ人観光客のヘイリーは、地元の弁護士であるミケランジェロに出逢い、恋に落ちる。彼女の父親で引退した音楽プロデューサーのジェリーと母親で精神分析家のフィリスがミケランジェロと彼の両親に会うためにやってくる。ジェリーは葬儀社を営むミケランジェロの父ジャンカルロがシャワーを浴びながら歌う歌を聴いて、彼がオペラ歌手としての才能を持っていると確信する。しかし、ジャンカルロはシャワーを浴びているときでないと、うまく歌えないという問題がある。

 新婚のアントニオとミリ―の夫婦は、上流階級に属するアントニオの親戚の縁故を生かして有利な職に就こうとローマにやってくる。僅かな時間のうちにミリーは身なりを整えようと美容院に出かけるが、ホテルの美容室は予約でふさがっていて、外の美容院を探すうち彼女は道に迷ってしまう。残されたアントニオのところに、なにかの手違いで高級娼婦のアンナが飛び込んでくる。突然やって来たアントニオの親戚たちはアンナをアントニオの妻だと思いこむ。一方ミリーは町を迷い歩くうちに映画の撮影現場にぶつかり、自分がファンである俳優のルカ・サルタに出逢い、彼のホテルの部屋に招きいれられる。

 ある会社の平凡な事務員であるレオポルドはある日突然、TVの朝の番組に出演させられ、有名人としてパパラッツィに追いかけまわされる。ところが数日がたって、これまた突然に彼はメディアから忘れられてしまう。

 アメリカ人の建築家ジョンは妻とともにローマにやってくる。彼は30年以前に学生としてローマですごしたことがある。想い出に促されて町を歩くうち、彼が住んでいた街区に住む建築専攻の学生であるジャックに出逢う。ジャックは彼の住まいにジョンを招く。ジャックはガールフレンドのサリーと暮らしているが、彼女のところに親友で女優のモニカがやってくる。ジャックは次第にモニカの魅力に惹かれて行くが、そういうジャックに対してジョンは警告し続ける。

 夢を抱いているが、その夢を実現するには欠点が多すぎるか、大きすぎるような登場人物たちの運命が交錯する悲喜劇。カメオ・スター風にジュリアーノ・ジェンマが出てきたりするので油断せずにスクリーンを見ている必要がある。そうでなくても、冒頭で書いたように既に何かの映画で見たような風景に必ずであるはずである。傑作とは言えないが、見て損はない、楽しく見ることのできる映画である。

 ジェリーが製作し、ジャンカルロが主演する珍妙極まりない『パリアッチ』の中で、主人公の道化師が「コロンビーナをアルレッキーノにとられても」というようなことを歌う個所があり、現在聴いているラジオの「まいにちイタリア語」の「アルレッキーノと旅に出よう」を思い出したりした。ほとんどの会話は英語で行われているが、イタリア語の初心者としても興味深く見ることができた。
 

人生、ブラボー!

6月17日(月)晴れ後曇り

 横浜・伊勢佐木町のニュー・テアトルで『人生、ブラボー!』、その後109シネマズMM横浜で『ローマでアモーレ』を見る。

 『人生、ブラボー!』はカナダ(ケベック)の映画であることに気付かず、会話がフランス語なのに、使われている貨幣の単位がドルなので、しばらく考えこんでいた(この場合、カナダ・ドルである)。そういえば、昨年見た『ぼくたちのムッシュ・ラザール』(1月18日の当ブログ「アルジェリアにかかわる映画」で取り上げている)もケベックで作られた映画であった。

 42歳で精肉店に勤めるダヴィッドの仕事ぶりはお世辞にも立派なものではなく、借金に苦しむ生活であるが、恋人が妊娠して結婚する、しないというところまで来ている。ところが彼が<スターバック>という変名で行った693回に及ぶ精子提供を通じて533人の子どもの父親となっており、そのうち142人の子どもから身元開示の訴訟を起こされていることを知る。身元を明かすことに応じるつもりはないダヴィッドではあったが、142人の1人が有名サッカー選手であることから、他の子どもたちにも興味を持ち始め、身元を隠して接触しはじめる。子どもたちの中には薬物依存からの脱出に苦しむ女性や、重い障害を抱えた男の子もいて、彼は子どもたちのそれぞれの人生に向き合うことになる。

 果たしてこういうことが実際に起きるかどうかがわからないので、批評に苦しむのだが、映画を見ている限りでは奇想天外な展開を通じて、人生のさまざまな側面とその可能性が示されている。主人公は借金だらけで、その解決のために大麻を栽培しようと考えたりするダメ男であるが、どこか憎めないところがある。そういう人間の誠意を掘り起こそうというストーリーの展開には心温まるものを感じる。あまり興行的に成功していない様子であるのが残念である。
 

アガサ・クリスティ『ねじれた家』

6月16日(日)午前中雨、その後次第に晴れ間が広がる

 久しぶりにアガサ・クリスティの作品を取り上げてみたい。この『ねじれた家』(Crooked House)は彼女が1949年に発表した作品で、1947年ごろの第二次世界大戦の戦火の余燼がくすぶるロンドン郊外の、大家族が住む「ねじれた家」で起きた殺人事件を描いている。

 語り手である外交官のチャールズ・ヘイワードは戦争中滞在していたカイロで美しく聡明な女性ソフィア・レオニデスと知り合い、結婚を申し込む。先に帰国することになる彼女は、チャールズが任務を終えて英国に戻ったときに、気が変わっていなければ結婚しようという。そして自分が「ねじれた家」に住んでいるという。

 帰国したチャールズは、新聞を読んでいてソフィアの祖父の死亡記事に出逢う。一代で巨万の富を築いたギリシア系移民のこの老人は莫大な財産を残したが、その死因は、持病の薬とすり替えられた毒薬であり、状況から考えると、内部の者の犯行らしい。事件が解明されなければ、チャールズとソフィアが結婚することは不可能である(解明されても、不可能かもしれない・・・)。チャールズの父はスコットランド・ヤードの副総監であり、彼は父の了解を得て、ソフィアの家族の中に入り込んで捜査を行うことになる。

 この小説の題名は、篇中にも引用されているナーサリー・ライムに基づくものである:
  ねじれた男がいて、ねじれた道を歩いていった
  ねじれた垣根で、ねじれた銀貨を拾った
  男はねじれた鼠をつかまえるねじれた猫を持っていた
  そしてみんな一緒に小さなねじれた家に住んでたよ(田村隆一訳、ハヤカワ・ミステリ文庫版、31ページ)

 「ねじれた」と訳されている英語の形容詞crookedには「曲がっている、屈曲した」という意味と、「こころの曲がった、不正直な」という意味とがある。老人の(そしてソフィアの)家に出かけたチャールズはこの家が「ねじれ」ているという印象を受ける。家には老人とその後妻、子どものいない長男夫婦、3人の子ども(その長女がソフィア)がいる次男夫婦の3つの家族がそれぞれかなり独立した状態で住み、その他に前妻の姉が同居している。次男夫婦の年少の子ども2人は学校に行かずに住み込みの家庭教師(チューター)に教育を受けている。後妻はこの家庭教師ととかくの噂があり、長男は父から譲られた事業に失敗したらしい。老人の遺言書についても謎がある。優れた頭脳と意思を持っていたが、金もうけのためには手段を選ばなかった老人にはどこか「ねじれた」ところがあり、家族にそれが遺伝しているようにも思われる。

 そして第二の殺人事件、殺人未遂事件が起きる。犯人探しとともに、チャールズとソフィアが結婚できるかも物語の興味の1つとなる。ソフィアの妹のジョセフィンは探偵気取りで、チャールズに付きまとうだけでなく、ノートを持って事件についての記録を取っている。子どもの探偵が登場するクリスティ作品としては、他にマープルものの『書斎の死体』(Body in the Library, 1942)とポアロものの『鳩のなかの猫』(Cat among the Pigeons, 1959)があり、この作品が書かれたのは両作品の中間ということになる。ジョセフィンが姉、兄と比べるとかなり容姿が違っていて、母親から「とりかえっ子」と呼ばれていた(田村訳、215ページ)ことにも気をつけておいた方がよいかもしれない。犠牲者、その家族、彼らが住む家、それぞれが何らかの意味で「ねじれ」ているだけでなく、物語も「ねじれ」ている。クリスティはどこかで『ねじれた家』を自分の好きな作品の中に挙げているそうだが、物語の組み立てに満足していたからであろうか。

サックス・ローマー『骨董屋探偵の事件簿』

6月15日(土)晴れ

 6月11日にサックス・ローマー『骨董屋探偵の事件簿』(創元推理文庫)を読み終える。サックス・ローマーSax Rohmer(1883-1959)は英国の作家(両親はアイルランド人)で、義和団事件の巻き添えで欧米の軍隊に妻子を殺された復讐のために白人社会に災いを成す怪人フー・マンチュー博士を創造した作家として知られるが、他にも多くの作品を残しており、この短編集もその1つである。

 語り手であるサールズは友人マーティン・コラムが館長を務める博物館で起こった怪事件の際にモリス・クロウを知りあった。ロンドンのイースト・エンドの1区画ウォッピングに店を構え骨董を商うクロウは、現場で眠れば犯罪の決定的な場面を脳内に再現できると述べ、犯罪は周期的に起こるとの持論を展開する。サールズは彼の言動に魅せられ、調査に同行して彼が携わった事件の詳細を書きとめるようになった。サールズだけでなく、スコットランド・ヤードのグリムズビー警部補も奇怪な事件が起きるとクロウを当てにするようになる。

 クロウの店には「古い家具特有の匂いとともに、鳥類と爬虫類と齧歯類の混ざりあったなんとも言えない臭気」(74-5ページ)がたちこめ、サールズとグリムズビーの来訪に対して、耳障りなキーキー声でオウムが「モリス・クロウ! モリス・クロウ! 悪魔ガアナタヲ迎エニ来タヨ」(75ページ)と告げる。クロウの「肌は汚れた羊皮紙めいた色合いで、頭髪ともじゃもじゃの眉とまばらな口髭はすっかり色が抜けて、元の色がわからない。古めかしい茶色の山高帽をかぶり、金縁の洒落た鼻眼鏡をかけて、黒い絹のスカーフを巻いている」(19ページ)。この不思議な素人探偵には不似合いにも美しい、「クレオパトラもかくやと思わせるしなやかな立ち居振る舞いと妖しい魅力を備えた」(77ページ)娘イシスがいる。この豊かな美的センスをもつ女性は、父親を尊敬してやまない。{彼女の髪を第1話では「黒髪」(23ページ)、第3話では「ブルネット」(77ページ)としているのは作者の記憶の誤りであろう。}

 骨董屋探偵らしく、収録されている10編の短編の多くがさまざまな来歴をもつ骨董の名品にまつわる事件とその解決を描いている。既に述べたことからも明らかなように怪奇的な要素が強く、事件の解決に至る捜査の手法も必ずしも科学的なものとは言えない。ローマーはオカルトの信奉者だったというが、スピリチュアリズムにのめり込んでいただけでなく、怪奇的な作品も多く残していたコナン・ドイルがホームズものに限ってはそのような要素をできるだけ排除している(とはいえ、怪奇色は残っている)のとは対照的に思われる。それから怪奇色に加えてオリエンタリズムの要素が強いのも指摘されてよい点であろう。その一方で、ホームズの活動範囲がロンドンだと西の方を主な舞台としているのに対し、クロウはイースト・エンドに本拠を置いているというのが独学で執筆活動に入ったローマーの履歴と合わせ興味深い。ドイルはパブリック・スクール(ストーニーハースト校)を出て、エディンバラ大学を卒業しているだけでなく、ホームズの住まいはベーカー・ストリートであって、全体として紳士探偵の雰囲気を保っているのに対し、クロウは階級から超然とした態度を見せているように思われる。

 個人的な感想としてはモリス・クロウ物は作品の仕掛けや雰囲気を楽しむ小説という印象をもつのであるが、別の感想もあるかもしれない。 

さよなら ドビュッシー

6月14日(金)雨後曇り

 6月10日(月)、横浜駅西口ムービルで『奇跡のリンゴ』、本日(6月14日)、若葉町のシネマ・ベティで『さよなら ドビュッシー』を見る。映画としてのできからいうと、興行的にはあまり成功していない『さよなら ドビュッシー』の方が勝っていると思うので、こちらをまず取り上げることにする。

 愛知県のどこか、ワインの会社を経営する老人とその息子夫婦、孫、居候として寄生する二男という一家に、娘の夫婦がやってくる。アフリカでの危険な仕事に従事するため、娘を日本に残すというのである。長男の娘である香月遥、長女の娘である片桐ルシア、この2人は同年輩で仲が良い。アフリカに立った長女夫婦が行方不明になり、ルシアは祖父の下で育てられることになる。

 やがて二人は高校生となり、ともに同じ学校で学びながらピアニストを目指している。或る夜、ルシアと祖父の源太郎が暮らす離れで火災が起き、泊まりに出かけていた遥は全身に大やけどを負いながらも、一人生き残る。

 祖父は24億円という遺産を残している。その半分は長男と二男に、残りの半分は孫に分けられるというが、孫として生き残ったのは遥1人、遺産贈与については彼女がピアニストになるという条件が付けられている。指が自由に動かず、練習のできない空白期間があるという不利な条件の中で、若いピアニストの岬洋介が彼女の指導を引き受け、その指導のもとで彼女は次第に腕をあげ、コンテストへの出場へとこぎつけるが、その身辺で奇怪な出来事が繰り返し起きる。誰かが遥の命を狙っている。しかし、実は遥自身にも秘密があった。

 中山七里の同名小説に基づき、牧野圭祐、利重剛が脚本を書いて、利重が監督している。双子のように育ってきた従姉妹の生い立ちを描く前半部分がかなり長いのだが、後半への伏線となっている部分もあるので、切り捨てるわけにはいかなかったのだろう。従姉妹同士がドビュッシーの「月の光」について語る場面が、映画の中で大きな意味をもっている。音楽映画として見た場合、岬(本職のピアニストである清塚信也が演じている)がかなり技術的な話をする所に注目すべきであろう。彼の言いつけを守って遥が演奏の前に必ず自分の座席の高さを調節しているところなど、演出はかなり細かい。

 ヒロインを取り巻く家族関係は欧米のミステリを思わせるような複雑さなのだが、そのあたりが十分に生かされた展開とは言い難い。「月の光」という曲の長さに、遥の指の回復が追いつくかというのが物語の最大の焦点になる。遥の火傷を直した主治医(吉沢悠)と岬という2人の「魔法」が彼女を立ち直らせていくのだが、主治医がいやに自信たっぷりなのも気になるところではある。複雑な展開の中でヒロインを演じている橋本愛の個性が生きている。

 ドビュッシーという作曲家の名前はそれほどなじみのあるものではないので、それだけでしり込みする人が少なくないかもしれないが、物語の展開の中で素直に音楽に耳を傾けるのが最もよい接し方であろう。

6月13日(木)雨

 傘

雨降りの中
街に出かけようと
黒い、大きな
傘を選んだ

ある人と
待ち合わせて
突然 雨に降られ
約束の時間に遅れないようにと
買った傘だ

彼女とは別れてしまったが
傘の重みを 分け合った
記憶は残る
一人ではもったいない
傘の大きさと重さとを
支えながら歩く。

雨は間断なく降り注ぎ
大きな傘が ますます重くなる
過去よりも
現在の
雨の激しさが
足どりを邪魔する。

雨の中を傘をさして
歩く
大きな傘も
役に立たないほど激しくなってきた
雨の中を
街を目指して
歩く。

ウィルキー・コリンズ『月長石』(2)

6月12日(水)雨が降ったりやんだり

 第1回で述べたように、この小説は事件に関係したさまざまな人物の証言を集めたという構成をとっている。ただし、登場人物のすべてが証言しているわけではないことも注目される。そのことは事件の真相と無関係ではないはずである。

 「プロローグ」として収録されているのが、「ある家の記録よりの抜粋」(Extracted from a Family Paper)との副題をもつ「セリンガパタムの襲撃」(1799年)という文章である。この文章を誰が書いたかはあきらかにされていないが、書いた人物が事件の首謀者であるジョン・ハーンカスルの従弟であり、事件をきっかけとして彼と絶交するにいたったことが記されている。

 インドのセリンガパタムにある宮殿の主人であるスルタンはその短剣の柄に巨大なダイヤモンドを象嵌していたが、そのダイヤモンドは本来ヒンズー教徒の聖なる宝物であり、3人のブラーミンによって代々守られてきたものであった。この聖なる石に手を触れるものがあれば、それは神を恐れぬ仕業とされて、その宝石を受け継ぐ一族の者たちすべての上に必ず災いが下るであろうと言われていた。

 1799年5月のこと、セリンガパタムを攻撃しようとしていた英軍の将兵たちはこの言い伝えを知っていたが、ハーンカスルを除いてそれをまともに受け取るものはなかった。セリンガパタムが攻略された後の略奪と混乱を防ぐために派遣された部隊に語り手とハーンカスルは加わっていたが、本来興奮しやすい性格のハーンカスルはその任務に全く不適任な人物であり、略奪を止めるどころか月長石をちりばめた短剣を奪うという暴挙を行った。その際に瀕死のインド人が「月長石は、将来、お前とお前の家族のものに、必ず復讐するであろう」と言い残したが、彼は気にかけることはなかった。語り手はハーンカスルがインド人を殺害する現場を目撃した訳ではないが、おそらく彼が宝石を強奪したと言い、それ以後ハーンカスルと絶縁したと記す。彼が「ダイヤモンドを手もとに置く限り、いつか後悔するにちがいないとも思っている。そして彼がダイヤモンドを手放すようなことがあったら、それを受け継いだ他の人々にも、やがて後悔する時が来るであろうことも。」(中村能三訳、創元推理文庫版、16ページ)

 ここで問題になっているのは「月長石」(Moonstone)という名前をもつ黄色いダイヤモンドであるが、文中に触れられているように、ギリシア、ローマでは別の石が「月長石」と呼ばれてきた。現在、我々が月長石と呼んでいるのはこちらの方なので注意を要する。ついでに言うと、ダイヤモンドは4月の誕生石であるが、月長石は6月の誕生石とされる。次回に詳しく述べるが、問題の宝石をめぐる事件は1848年の6月に起きたことになっている。最近、出版されたサックス・ローマー『骨董屋探偵の事件簿』(創元推理文庫)の中で主人公の素人探偵モリス・クロウは「ブルー・ラージャ」と呼ばれるインドのダイヤモンドをめぐって、4月に事件が何度も繰り返されてきたことを指摘している。その中でダイヤモンドが4月の誕生石であることが強調されている。

 ダイヤモンドというと、現在では南アフリカが主な産出地であるが、19世紀の英国の小説を読んでいると、インドが産出地とされる宝石が多い。『月長石』ではインドにおけるヒンズー教徒とイスラーム教徒との対立が織り込まれていて、コリンズがインドの宗教事情についてある程度の知識をもっていたことがわかる。コリンズの影響を受けたコナン・ドイルの『四つの署名』におけるシーク教徒の記述が不正確であるとしばしば指摘されることとは対照的である。

 さて、一方に「月長石」の神聖さを信じるヒンズー教徒たちがいる。彼らは古い言い伝えに従って、3人を選んで宝石を守護する役に当たらせている。その一方で全く神聖さを信じずに単なる財宝と考える者もいる。ハーンカスルはその1人である。多くの人間は特に言い伝えを信じているわけではないが、何となく気味悪く思っているか、言い伝えを迷信と考えてはいても、現地の人々の考えはそれなりに尊重すべきであると考えるかであろう。しかし、宝石が英国に持ち込まれると事態は思いがけない展開を見せることになる。

 我々は迷信にとらわれない、合理的な人間だと思っている場合が多いが、我々の日常生活を規定している事柄の中には、合理的な根拠に基づかないことが意外に多いのである。実際、私も「誕生石」などという考え方を使ったが、これも合理的な根拠のないものである。ということで、次回に続く。

南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』(4)

6月11日(火)雨が降ったりやんだり

 この『新・ローマ帝国衰亡史』について1回で紹介するつもりで書きはじめたのが、とうとう4回目を迎えることになってしまった。それだけ読み応えのある本であるということである。

 終章「ローマ帝国の衰亡とはなんであったか」で南川さんは西ローマ帝国が僅か30年で崩壊したという。378年のアドリアノープルの戦いにおける帝国軍の敗北から409年の諸部族のガリアからイベリア半島までの侵攻とブリテン島の支配権喪失まで約30年、ローマ帝国はこのごくわずかな期間のうちに帝国西半の支配圏を失ってしまった。「政治史から見た場合、ローマ帝国の黄昏は短く、夜の闇は一瞬に訪れたかのごとくである。」(201ページ)

 この時期、ローマ帝国は軍事的に敗退しただけでなく、国家の意義をも失ったのである。ローマ帝国は「ローマ人」の築いた国家であり、ローマ帝国に統合を与えていたのは、「ローマ人である」というアイデンティティであると著者は考えている。異なった文化や歴史的背景をもった、全く見ず知らずの人々が「ローマ人である」という感覚を共有していた。「ローマ人である」ことは軍隊や生活様式など具体的な要素を内実としていたが、実際には国家を統合するイデオロギーとして作用した。それはより良い状況を約束するものであったから、帝国の周囲の人々、特に有力者たちの利害に合致するものであり、ローマ帝国の魅力と威信を確保したのである。

 ところが4世紀の後半、諸部族の移動や攻勢の前に「ローマ人」のアイデンティティは危機に瀕し、ついに変質した。そして、新たに登場した「ローマ」を高く掲げる思潮は、外国人嫌いを伴う、排斥の思想だった。つまり国家の「統合」ではなく「差別」と「排除」のイデオロギーである。この「排他的ローマ主義」に帝国政治の担い手がのっかって動くとき、世界を見渡す力は国家から失われてしまったと著者は論じる。

 370年代の諸部族の移動の影響を最初に受けたのは帝国の東半分であった。しかし在地の有力者の力が強かった西半に比べて帝国東半では皇帝政府の権力が強く、政治の担い手にも「第三の新しいローマ人」が少なくなかった。4世紀から6世紀にかけての社会のあらゆる面での激動の時代に、東は対応できたのに対し、西は世界情勢を見ない排他的な政治思潮が有力になったために対応できなかったのである。西ローマの壊滅は「ローマ人である」というアイデンティティの喪失に起因する、いわば自壊であるという。

 死んだ父があるとき山本七平の講演を聴く機会があり、そのあとの質問の時間にある聴講者がローマはなぜ滅亡したのですか?と質問したと話していた。山本は苦笑して「ギボンの『ローマ帝国衰亡史』を読まれるといいでしょう」と答えたそうである。ローマの歴史は山本の専門外であるからこの質問は的外れなのだが、ギボンがローマ帝国の滅亡の原因としてキリスト教の影響を挙げていることを考えるとこの答えは記憶に値する。その後、父の死後のことであるが、中野好夫によるギボンの翻訳が刊行され始めたので途中、ユリアヌスのあたりまでは読んだ記憶がある。ギボンの反キリスト教的な記述に、びっくりして、彼が啓蒙思想の一翼を担う思想家であることを改めて実感したことを思い出す。

 南川さんによるこの書物はローマの多元性を許容するアイデンティティを掘り起こし、それを否定する排他的な考えが台頭したことによる、アイデンティティの喪失に帝国の「衰亡」の原因を求めている。一定の能力を示した人間に市民権を与えるローマと、血統をあくまで優先する日本とではアイデンティティのありようが違うことを考えに入れても、この書物から我々が得る教訓は小さいものではないように思われる。

南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』(3)

6月10日(月)晴れ後曇り

 4世紀の後半にローマ帝国では大きな変化が起きていた。東方からのフン族の侵入によって引き起こされたゴート族の移動はローマ帝国の特に西の部分に強い影響を及ぼした。今回は、第6章「瓦解する帝国――「西」の最後――」について取り上げる。

 379年に皇帝になり、帝国の東半分を統治することになったテオドシウスはゴート族と戦う一方で、382年には彼らの国内移住を認める条約を締結した。ここで重要なのは国内に定住した人々がそのまま兵役と農耕に従事し、ローマ帝国構成員として暮らしたのではなく、その後しばらくしてまた移動しはじめたということである。その一方で帝国の西では混乱が続き、テオドシウスによって収拾されるが、その最前線で戦い、多くの死傷者を出すことになったゴート族の間ではローマ帝国への不信感が募る。395年にテオドシウス帝が死去し、帝国は彼の2人の息子の間で二分されるが、いずれも若年で補佐役がいなければ統治は不可能であった。しかもテオドシウスの死をきっかけとしてゴート族の不満が爆発した。

 第5章で述べられたように、4世紀を通じて、フランク族、アラマンニ族、ゴート族、ヴァンダル族などの外部部族出身者たちが皇帝に認められて重用され、大きな権力をもつようになっていた。しかし、ローマ軍が外部部族に大敗北した4世紀後半以降、国家を守る軍隊で外部部族出身者からなる部隊が重視され、国家を動かす司令官・重臣も外部部族出身者が多くなった中で、こうした状況を危惧し、批判する思潮が出てきた。さらには露骨な排斥論すら登場することになる。この「第三の新しいローマ人」の台頭には、皇帝が主導して登用し昇進させてきた結果であるという特徴があった。このため皇帝の権威や指導力が弱まれば、彼らに対する反発が噴き出すことになる。

 一方外部部族の側にも変化が生じていた。外部部族は従来、帝国領内で暮らすようになると、「ローマ人」となることに努め、ローマ風の生活様式を取り入れるようになっていた。しかしこの時期、外部諸部族は、衣装や髪型、武器、装飾品そして出自神話などを核として、自分たちのエスニシティを形成していく時期を迎えていた。

 「4世紀後半の外部諸部族を『ゲルマン人』として一括りにし敵視する他者認識は、一方で『ローマ人である』ことを高く掲げる動きでもあった。しかし…『ローマ人』なるものは非常に曖昧な存在である。また、それゆえに、ローマは巨大な帝国を築き統治することができた。『ローマ人』を『ゲルマン人』に対比してその優秀さを説く言説は、ローマ帝国形成の歴史をその深部で理解してはいない、偏狭な保守的思潮に過ぎず、当時帝国が直面していた問題を何ら解決するものではなかった。」(186ページ)

 外部世界の人々を「ゲルマン人」として差別化する、排他的な姿勢は、ちょうど同じ時期に進んだキリスト教の国教化にも通じるものであったと著者は主張する。本来寛容を重視するキリスト教は帝国内部で変質し、著しく不寛容な宗教体制が完成する。しかし、国家維持、特に軍事の面でローマ帝国には外部部族出身者や同盟部族軍の協力なしにはやっていけない現実があった。排他的ローマ主義はそのような現実を無視するものであった。

 帝国の東西の皇帝の補佐役の間に生じた亀裂を察知したゴート族の指導者アラリックは、帝国への不信を募らせていた人々を率いて395年以上、再度移動を始めた。彼の軍隊は401年には北イタリアに入り、西ローマの実権を握っていたスティリコはブリテン島やガリアから軍を集めた。この措置は長年ローマ帝国が維持していた帝国西半のフロンティアの統御を犠牲にするものであった。フロンティアの住民たちは自分たちで自分たちを守らなければならなくなり、自立できるようになっていった。著者は第1章で、担い手も境界も曖昧なローマ帝国を実質化している要素として、軍隊、特に「ローマ人である」自己認識をもつ兵士たちの存在と、「ローマ人である」に相応しい生活の実践、そして支配をともにする有力者の存在を挙げたが、405年から生じた一連の出来事によって、これらが帝国西半から消え去ってしまったのである。

 こうして西ローマ帝国は広大な属州の実質的な支配権を失い、イタリアの地方政権となったが、この状況を理解しない稚拙な外交を重ね、さらに深刻な危機に瀕することになる。

 「ローマ帝国の衰亡」は、帝国を支えてきた柔軟で多元的な統治が変質し、偏狭な排外主義が支配的な世論となって政治を動かしたため、現実との矛盾が大きくなり急激に進んだというのが著者の説であると思われる。この点とその他の点をめぐり、「終章」について取り上げながら、次回に論じてみたい。 

南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』(つづき)

6月9日(日)晴れ

 南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』は、ローマ帝国の「衰亡」を新たな角度からとらえ直そうとする試みである。昨日は、第4章まで取り上げたが、本日は第5章について詳しく紹介する。

 第5章「動き出す大地――ウァレンティニアヌス朝の試練――」はウァレンティニアヌスが皇帝に選ばれた364年から、テオドシウスが皇帝に選ばれた379年までの期間について論じている。ウァレンティニアヌスは弟のウァレンスを自分と同格の共治帝として帝国の東半分を担当させただけでなく、宮廷の人員や財政までもはっきりと二分した。しかしこの段階では兄と弟の連携はある程度維持されていた。帝国の西半分を担当するウァレンティニアヌス帝はその治世の間、フロンティアの安定のために奔走する。まずアラマンニ族が反乱をおこし、次にブリテン島のローマ属州が諸部族の集団に襲われて被害を出した。属州を攻撃した部族はアイルランドから来たスコティ族、スコットランド東部から来たピクト族、ブリテン島の北部からやって来たアッタコッティ族である。さらにほぼ同じ時期にサクソン族とフランク族がガリアの海岸部を攻撃した。

 ローマ人は外の世界にいる「蛮族」たちを互いに争わせ、同盟を作らせないことが安全の秘訣と考えていた。このため、いくつもの部族からの攻撃を同時に受けることは、その同時性が「共謀」によるというよりも、おそらくは偶然のことであったにもかかわらず大きな衝撃であった。しかもこのような危機の中でウァレンティニアヌス帝が死に、後継者をめぐって混乱が生じた。このような状況の中で、帝国の内部では軍事の要職に「第三の新しいローマ人」が就くことが増えてきた。「こうした『第三の新しいローマ人」の台頭は、「民族」に関するローマ帝国の融通無碍な性格によるものだった。現代的観点からすれば、特定の民族にこだわらない寛大な措置と見えるかもしれないが、そもそもローマ人は『民族』という考え方を19世紀以降のような特殊な意味で理解していなかった。皇帝たちは彼らの実力を認め、重用した。『特別の事情』でもない限り、彼らを退ける理由はなかったのである。」(156ページ)

 さらに、帝国の西側では、このような新しい人材の供給源であったフロンティアの社会では、地方の有力者たちが次第に独立性を強めるようになってきた。370年代に入ってフロンティアの有力な集団であったゴート族が、東から遊牧民のフン族の来襲を受ける。このためにゴート族の移動が始まる(「民族の大移動」)。悪化する事態の中で東西の皇帝は連携して対処しようとするが、齟齬が生じ、378年のアドリアノープルの戦いでローマ帝国軍はウァレンス帝が死んだのをはじめ、決定的な敗北を喫する。歴史家のアンミアヌスはこれを「後悔が止むことのない破滅」(169ページ)と記している。帝国の東半分の秩序と支配を回復するために皇帝に指名されたのはテオドシウスであった。

 この章では、ローマが依然として社会の変化に対応してその政治・軍事組織を変化させていく力をもちつづけていたこと、その一方でそのような対応にもかかわらず、食い止めることのできないより大きな変化が生じ始めていたこと、さらに社会の変化とともに、皇帝のような支配者の性格(たとえばウァレンス帝の小心さ)が大きな影響をもったことなどが注目される。本日で、この書物の紹介を終えるつもりだったが、もう1回続けることにする。(つづく) 

南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』

6月8日(土)曇り後晴れ

 6月6日、南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』(岩波新書)を読み終える。ギボン(Edward Gibbon, 1737-94)の有名な『ローマ帝国衰亡史』(The History of the Decline and Fall of the Roman Empire, 1776-88)をはじめとするローマ帝国「衰亡」にかかわる多くの書物を念頭に置きながら、「歴史の見方、描き方、解釈が、語られる時代の産物」(1ページ)であるとして、「21世紀にふさわしいローマ帝国衰亡史はいかにかかれるべきなのだろうか」(同上)との問いから書き起こされている。

 広い領土を獲得しただけでなく、その領土内に高度の統治と文明を達成し、歴史上例を見ないような「帝国」の成功例となったローマであるが、3世紀に入ると全般的な危機に見舞われるようになる。政治的混乱と経済活動の衰退、帝国の外に住む諸部族の攻撃と領内における分裂が帝国の危機をもたらし、この危機に対応するために皇帝の権力が強化され、宗教的にはキリスト教が国教とされるようになった。ゲルマン民族の大移動は、一時安定していた帝国に混乱をもたらし、395年に帝国は東西に分裂、476年に西ローマ帝国最後の皇帝がゲルマン人の傭兵隊長に廃位されて、帝国はついに消滅したというのが、通説である。ローマ帝国の衰亡がすなわち古代の終わりと考えられ、さまざまな議論の前提となって来た。しかし、1970年代に入って別の考え方が広がってきたと著者は説く。

 新しい研究はローマ帝国の「衰亡」や、西ローマ帝国の「滅亡」を重視していない。「変化」よりも「継続」が、政治よりも社会や宗教が重視されるようになり、「ローマ帝国の衰亡」ではなく「ローマ世界の変容」が問題とされるようになった。そして2世紀から8世紀にいたる「古代末期」が提唱されるようになり、ギリシア・ローマ文明を高く評価する伝統的な姿勢は希薄化し、政治・軍事よりも宗教生活やその時代を生きた人々の心性に研究の重心が置かれるようになった。そのため、ローマ帝国の衰亡は歴史研究の表舞台から引きずりおろされることになった。さらにゲルマン民族の大移動の破壊的な性格を低く見積もり、移動した人々の「順応」を強調する学説が提唱され、ギリシア人、ローマ人以外の古代世界住民の歴史と文化をより重視しようとする動きも見られた。このような研究の傾向は多文化主義的な傾向や欧州統合、ポスト植民地主義などの動きを反映したものであるという。

 しかしながら著者は、このような学界の傾向とは別の、「ローマ帝国という政治的な枠組みの意義を重視する」(5ページ)という。21世紀に入って、欧米の学会で「ローマ帝国の衰亡」を再び重視する動きが出てきていることを視野に入れながらも、この書物ではローマ帝国の最盛期を研究してきた成果を踏まえて、「独自の考え」で衰亡史を書いてみたいと抱負を述べる。その中で、特に著者が重視しようとするのはローマを中心ではなく、周辺から捕えることである。ローマ帝国は「地中海帝国」だとみなされがちであるが、最盛期以降の歴史を見る場合には、イタリアや地中海周辺地域だけでなく、アルプス以北を念頭に置く必要があるという。

 第1章「大河と森のローマ帝国――辺境から見た世界帝国の実像」ではユリウス・カエサルまでさかのぼってアルプス以北への領土の拡大の経緯が語られている。その一方でローマ帝国は「限りない帝国」(Imperium sine fine)であり、「国境線なき帝国」でもあった。著者はイギリスの学者ホイタッカーの研究を援用しながら、ローマ帝国の属州の外でもローマの商人たちが活動しており、経済活動は盛んであった、ローマ軍の軍隊駐屯線の両側に帝国から外の世界へと移行する「ゾーン」が形成されていたと論じる。さらにローマは市民権とその授与の点で、居住者の出自などに区別を設けなかった。「ローマ国家の約束事に従い、その伝統と習慣を尊敬する者ならだれであろうと「ローマ人」になれたのだ。」(33ページ) そしてその新しいローマ人たちが国家の重要なポストに就くことも珍しいことではなかった。「帝国の『境』は、地理的にも社会構成的にも明確でなかったのである。」(37ページ)

 では、ローマ帝国には実体がなかったのかというと、そうではない。まず軍隊があった。より正確に言えば、「ローマ帝国を実質化していたのは、軍隊そのものではなく、『ローマ人である』という兵士たちの自己認識である。」(同上) 第2に重要な帝国実質化の要素は「ローマ人」としての生き方、生活様式である。さらにローマはフロンティアの在地の有力者をとりこんで、彼らとの共犯関係を作り出すことに成功していた。それで、「ローマ帝国とは、広大な地域に住む、それぞれ固有の背景をもつ人々を、『ローマ人である』という単一のアイデンティティの下にまとめ上げた国家であった。」(43ページ) その一方で帝国の「外」の住民たちも、実は多様な人々であって、それを「ゲルマン民族」などとひとまとめに考えることは慎むべきだとも論じている。ローマ帝国の基本的な性格=「ローマ人である」というアイデンティティによる国家統合が帝国を実質化する要素として重要であることが、衰亡について本格的に論じる際まで記憶されるべきであるという。

 第2章「衰退の『影』――コンスタンティヌス大帝の改革―」は、コンスタンティヌス大帝の業績をたどっているが、その意義についての性格付けははっきりしていないように思われる。第3章「後継者たちの争い――コンスタンティウスⅡ世の道程――」、第4章「ガリアで生まれた皇帝――『背教者』ユリアヌスの挑戦――」についても同じような印象があるが、第4章ではユリアヌスの副帝としてのガリア統治にかなりの紙面を割いて記述し、その意義を強調している点が注目される。

 ここまでで相当な量になってしまったので、残りの第5章、第6章、終章については、また機会を改めて書くことにしたい。(つづく)
 

蒙以養正

6月7日(金)曇り後晴れ

 5月28日の当ブログで柳沼重剛『語学者の散歩道』について触れたが、この語学エッセー集の最後に「河野與一先生のこと」と題して、こんな話が出てくる。

 河野與一(1896-1984)は東北大学の先生をやめて岩波書店の顧問になってその出版事業を助けただけでなく、岩波文庫のために自ら『プルターク英雄伝』や『アミエルの日記』を翻訳した、博識かつ語学の達人として知られる。

 柳沼さんはこの碩学の晩年に面識を得たのだが、河野との交流の中で忘れがたい逸話があるという。河野があるとき一橋大学の教授で西洋中世史学者の上原専禄(1899-1975)を訪問した。上原の居宅の玄関には木の板にLUDUS LITTERARUM ET ARTIUMと書かれた木の板が掲げてあった。強いて訳すと「学芸闘技場」ということになるだろうか。「その文字がもううすれかかっているのは、この看板が昨日や今日出されたものではないことを語っているわけで、もう長いこと自分の家を『学芸闘技場』と称している」(研究社出版版、267ページ)主人の心意気に感心しながら、さて、座敷に通されて上原を待つ間、ふと扁額に目がいく。

「『蒙以養正』とある。これは『易経』だったなと河野先生は思う。そしてこの4文字の意味をいろいろに考え、・・・『人間ほどほどに馬鹿な方が本当だよ。』 うん、これはいいじゃないかと面白がって、ふと気がついて全部音読みで通して読んだら、『モウイイヨセ』だとさ、というのだ」。(同上) 著者も書いているように、これほど見事な学問の遊びはめったにあるものではない。和漢洋の学問に通じた河野與一が一本取られた形だが、逆に言うと彼だから一本取られたと思ったわけで、それほど学識のない人には何のことか全く分からないだろう。

 『語学者の散歩道』はこのエピソードを紹介して終わっているのだが、私はまだまだこのブログを続けるつもりである。河野與一にも、上原専禄にも、柳沼重剛にも遠く及ばぬものの、なんとか「ほどほどに馬鹿」だというところまで漕ぎつけたいものである。

孤島で読む1冊の本

6月6日(木)晴れ後曇り、夜になって雨が降るという予報であるが、まだ降っていない

 白上謙一(1913-74)は山梨医専、山梨大学、京都大学で教え、発生細胞学という領域を開拓した動物学者であるが、その一方で西部劇、呪術史、甲州バクエキ史、推理小説など多方面にわたる興味を持ち続けた読書家であった。1976年に昭和出版から『現代の青春に送る挑発的読書論』として出版され、その後1980年に社会思想社の現代教養文庫の1冊として『ほんの話――青春に送る挑発的読書論』と改題して(内容の修正がある)刊行された。そのほとんどの部分が1962年から1971年にかけて断続的に『山梨大学学生新聞』に掲載された学生を相手に読書の面白さを説いたエッセーを集めたものである。1964年に大学に入学し、1975年まで大学院に在籍した私にとって見ると、自分の経験に重なるものの多い書物と言える。昭和出版から発行されたとき、新聞の書評欄でこの本についての紹介を読んで、当時の勤務先の校費で購入、その後転勤したために文庫に収録された際に、今度は私費で購入し、以来30年以上思いだしては読み返している。

 Prologueと題された前口上の中で、著者は「学生時代からの私の思索のうちでたえず合理的なものに対立して現われてくるのは“魔術的〟とも呼ばれうる人間の心性であった。魔術そのものがいかにナンセンスであろうとも、それを生みだす『無知』とも『狂気』ともことなった現実的なある力がある。それを笑い飛ばすことは容易であろう。しかしこれは、厳として存在するものを無視するという『観念論的な誤り』におちいることを意味する」(19-20ページ)と書いている。これは戦争と戦後の諸改革と変動を経験した学者の無視できない意義をもつ意見である。

 さて、「絶海の孤島に携える『たった1冊の本』」と題された最初のエッセーは、「もしも絶海の孤島に
漂着する場合、ただ1冊の本をたずさえることが許されるとしたら、あなたは何をもって行きますか」(21ページ)と書き出されている。そう書いておいて、「思うにこれは手のつけようのに愚問である」(同上)という冷めたコメントを付け加える。ヨーロッパの多くの人たちには、ロビンソン・クルーソー同様に聖書というお茶の濁し方があった。G・K・チェスタトンは「造船術の本」と答えている。J・ヴェルヌは「百科事典」をおくっている(『神秘島物語』、余計な脱線になるから白上は書いていないが、誰がその「事典」を贈ったかが面白いので、読んでみてください)。

 白上はそれから自分自身が中国の戦場に持っていった書物についての想い出を語るのだが、それは自分で読んでみてください。本を読むことによっていかに自分の精神を制御し、自分の死と向き合うか、そういう場面に立ち会わない方がよいのだが、立ち会わなければならないこともある。そんなことが書かれている。

 以下、ぼちぼちとこの書物について紹介していくつもりである。話は変わるが、現代教養文庫をはじめ、アテネ文庫、旺文社文庫など、現在は発行されていない多くの文庫があり、それらの想い出についても触れる機会を設けたいと考えている。
 

語学放浪記(4)

6月5日(水)晴れ

 語学を勉強する際にいい先生に出逢うことがかなり重要だと書いた記憶があるが、どういう先生がいい先生であるかは、学習者がどんな素質・性向をもち、何を勉強したいと思っているかによってかなり違ってくるので一概には言えない。近年、特に英語の場合、native speakerに習うことが強調される傾向があるが、自分がそれほど苦労せずに言語を身につけた人が、学習者の苦労を理解して教えられるかどうかは疑問である。

 大学の2年生(関西の大学では2回生という言い方をする)になったとき、中国語を勉強しようと思った。なぜ、中国語を勉強しようと思ったのかという理由は今になってみると思いだせない。ただ、大学の近くに中国関係の本屋が何軒かあって、興味をもったということにしておこう。

 中国語を教えていただいたのは、教養部の助教授(当時)であった(後に人文研の教授・所長になられた)尾崎雄二郎先生と神戸大学から来られていた非常勤講師の一海知義先生で、尾崎先生の授業が文法(と読本)、一海先生の授業が読本という組み合わせであった。必修の単位ではないという履修者が多かったためであろうか、だんだん履修者が減って来た。1年間勉強して、少し中国語が読めるような気になったので、中国思想史の本を買って読んだりしていたら、同じ学年のM君という文学部の学生に声をかけられて、顔見知りになった。尾崎先生が使用された読本には文字改革についての周恩来の演説や魯迅の「故郷」が含まれていて、その程度の中国語が読めるようにはなっていたのである(もっとも先生に指導していただいて読むのと、自分ひとりで読むのとでは理解がだいぶ違うことも確かである)。

 中国思想史の本を読んだ背景には、1年生の時に西田太一郎先生の東洋社会思想史という授業に出て、これが中国の学者の書いた英語の本を教科書にした授業で、康有為の思想などを取り上げた授業で大変に面白く聴講したことがあったと思う。それで、西田先生のことを忘れないようにと、今でも漢和辞典は先生が編纂者の1人である角川の『新字源』を使っている。

 さて、期末試験である。尾崎先生が中国語で何か質問をして、それに対する回答を答案に書くのだが、全くわからない。先生が私の答案を覗きこんで、さっぱりいけませんなあというようなことを言われたと記憶する。うしろの方でM君が全問正解したと喜んでいる。あとで知ったのだが、彼は前年も履修していて、先生の熱烈な支持者になってしまい、授業を再履修しているのであった。(つづく)

岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』

6月4日(火)晴れ

 5月29日(水)に大野芳『吉田兼好とは誰だったのか 徒然草の謎』(幻冬舎新書)、30日(木)に岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』(新潮新書)、小玉重夫『学力幻想』(ちくま新書)、6月2日(日)に柳田国男『日本の祭』(角川ソフィア文庫)を読み終えた。それぞれ紹介にするだけの価値がある書物だと思うのだが、まずこの本から始めようと思うのは、挑発的な題名であるにもかかわらず、著者が受刑者の更生の支援にかかわって得た経験に基づいて説得力に富んだ主張を展開していることに注目したからである。

 著者が言いたいのは、何か問題行動を起こした青年に対して、無理に反省を促し、反省文を書かせ、模範的な反省文を書けばそれでよしとするような働きかけは、かえって表面だけ取り繕えば問題行動を深く追及されずに済むという考えを植え付け、さらに反社会的な傾向を増大させることになるということである。「模範的」な反省文を書いても、本当のところ全く反省していないだけでなく、陰で舌を出していることが起こるという。

 さらに事件の加害者に対し被害者の心情を理解することを求める働きかけにも問題があり、もっと加害者の心情に寄り添うことが必要であるという。まえがきで著者は「問題を抱えた人は、幼少期のころから親に自分の言い分を聞いてもらえず、言いたいことを言おうものなら、すぐさま親から『甘えるな』『口答えするな』と反省させられ、否定的な感情を心の中に深く抑圧していることです」(9ページ)という。このことから、受容や共感がもっと重視されるべきであると主張されている。

 幾つか注文を書いておくと、親やその他の近親者と教師とでは青年に対する接し方が違ってきてよいのではないか、その点についてどう考えるのか、両者の関係が「連携」であるべきなのか、「分担」でよいのかというようなことについての考えを書いてほしかった。もう一つは、ここで取り上げられている事例は架空のものであり、著者が接したさまざまな事例から「本人と特定できないように大幅に修正し」た(14ページ)結果として、掲載されている文章に現実感があまりないことである。実際には誤字脱字や、文法的な間違いがあったり、言葉の混乱があったりするのではないか。また建前と本音が一つの文章の中に入り混じっているということもありそうである。そういう生々しさが欠けている点を不満に思うのは、第三者的に過ぎる感想であろうか。 

ウィルキー・コリンズ『月長石』(1)

6月3日(月)晴れ

 T.S.エリオットが「最大にして最上のミステリ」と評した19世紀英国の長編小説。作者ウィルキー・コリンズ(Wilkie Collins, 1824-89)は同時代における人気作家であったが、現在ではこの『月長石』(The Moonstone,1868)と『白衣の女』(The Woman in White, 1860)の2作品だけで知られていると言ってよい。

 インドから渡来した「月長石」と呼ばれる巨大な黄色いダイヤモンドがヴェリンダー家の令嬢レイチェルの誕生祝いとして贈られるが、誕生祝いのパーティーの夜に消失する。この宝石の行くところ常に不気味なインド人の影が付きまとっていた。スコットランド・ヤードの捜索も空しく、宝石のゆくえは知れないままである・・・

 物語は事件が解決した後に、事件の中心人物の1人であるフランクリン・ブレークの要請を受けて、関係者たちが書いた手記や、その他の記録を集めたものという体裁でまとめられている。それぞれの文章が書き手の性格や事件に対する態度・解釈を描き出している。複雑な構成のために事件の全貌がなかなか分かりにくい一方で、登場人物の相互の描写と批評がそれぞれの人間性を浮かび上がらせて興味を倍加させる。が、さらにその背後にはいわば編集者であるフランクリンの目があり、そのさらに奥には作者の目があることを忘れてはなるまい。そのうえで、さらに我々は物語を読んで自由に解釈を加えることができる。

 インドの財宝にまつわる犯罪ということになると、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズもの第2作『四つの署名』(The Sign of Four, 1890)が思い出されるが、ドイルはこの他に、「クルンバーの謎」、「ジェレミー伯父の家」(Uncle Jeremy's Household,1887)というインド亜大陸の人間が登場する短編小説を書いていることも見落とすべきではない。

 作品としての完成度という点からいえば、『月長石』は『四つの署名』をしのぐが、その構成の複雑さと長さのためにあまり読まれていないのが残念である。これからの紹介によって、この作品の読者が増えることを期待したい。

六月の海

6月2日(日)晴れ

 書こうと思っていることはいくつかあるが、考えがまとまらないので、以前に書いた詩を紹介させていただく。いつ、梅雨入りするかによって6月の海は様子が違うのだが、こういう姿を見せる海もあるということである。

 六月の海

海の色がずいぶん濃くなって
海底が深いことを教える一方で
波がキラキラと太陽を照り返しているのは
船の上の我々を励ますようだ

六月の海に
まだ成長途上らしいクラゲが
群れを作って
ゆらり ゆらり

ますます沖合に出た
船から見た 海の色を
絵描きの先生は
喜んで眺めているが
船の揺れも激しくなって
筆が自在に動きそうもない

波が気まぐれに 反射する
太陽の黄金の贈り物を
再現できれば ご喝采

2013年の2013を目指して(5)

6月1日(土)晴れ後曇り

 5月の末に母が死に、葬儀を終えた。外の世界との交流を避ける生活をしていたし、私も他の兄弟も既に退職しているか、就職していないかなので、身内だけで済ませた。これからしばらくは大変だろうと思うが何とか頑張っていこう。 

 5月は31日間日記を書き続けた。1月からの通算では151日分ということになる。

 ブログは33件(読書8件、映画、詩各7件、未分類6件、外国語3件、日記2件)書き、1月からの通算は153件(読書55件、映画32件、詩29件、未分類13件、日記12件、外国語10件、その他2件)である。ブログについて5つ拍手を頂いた、1月からの通算では32になる。

 買った本は8冊で1月からの通算は49冊、読んだ本は7冊で1月からの通算は45冊である。読んだ本を列挙するとロバート・ファン・ヒューリック『北雪の釘』、平山昇『鉄道が変えた社寺参詣 初詣は鉄道とともに生まれ育った』、中川正之『漢語からみえる世界と世間――日本語と中国語はどこでずれるか――』、石黒圭『日本語は「空気」が決める 社会言語学入門』、大野芳『吉田兼好とは誰だったのか 徒然草の謎』、岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』、小玉重夫『学力幻想』である。丸善ジュンク堂で本を買い、hontoカードの会員になる。

 郵便を9通受け取り、合計は126通となった。届いた郵便のうち友人のハガキ通信が1通、展覧会の案内が1通、残りは研究所・学会関係の報告書や書類の送付である。

 新たに東京都新宿区に足を踏み入れ、出かけた市区町村は9となる。中央線に乗り、利用した路線は12となり、馬車道、永田町、四谷、東銀座の4駅を利用して、利用した駅は22駅となった。

 銀座シネスイッチで『ブルーノのしあわせガイド』、渋谷シネマヴェーラで『絶海の裸女』、『風の武士』、シネマ・ジャック&ベティで『ひばりのお嬢さん社長』、『愛、アムール』を、109シネマズMM横浜で『探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点』を見た。6本の映画を見て、1月からの通算は26本ということになる。新たに2つの映画館に出かけ、1月からの通算では13館で映画を見たことになる。

 サッカーの試合を1試合見た。1月からの通算は7試合である。

 NHKラジオまいにちフランス語を20回、イタリア語を20回聴いている。1月からの通算はフランス語が100回、イタリア語が99回である。

 カルチャー・ラジオ「文学の世界」『落語・講談に見る「親孝行」』を5回聴き、合計は9回となった。

 ノートを5冊使い切った、1月からの通算は21冊である。

 どういう計算をするかにもよるが、2013年の2013の達成は依然として微妙である。

 
 
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