ジェームズ・ヒルトン『学校の殺人』(2)

5月3日(金)晴れ

 4月11日のこのブログでヒルトンの『学校の殺人』について触れている。その際、読者がこの作品を読んでいないことを前提として書いた(つもりである)。今回は、読んだことを前提として(あくまでも結末は伏せて)この作品の面白さについて書いてみたい。

 この作品を特徴づけているのは、もちろん学校が舞台になっているということである。学校を舞台にした推理小説としては、古くはホームズものの短編「プライオリ・スクール」があり、第二次世界大戦後ではクリスティーの『鳩の中の猫』が代表的なものであろう(この作品については機会を見て触れるつもりである)。本格的な長編小説として『学校の殺人』は最初のものとされている。学校は事件が起きてくれては困る場所であって、そこで事件が展開するというのだから、かなりの工夫が必要である。

 さらにその学校というのがイングランドの教育制度の「定義的な教育施設」(Defining institution)と言われるパブリック・スクールであることも特徴的である。現代ではだいぶ様子が違っているが、この時代のパブリック・スクールは全寮制が一般的で、第一次世界大戦後の経済的な困窮期であったことも手伝って学寮生活は厳しいものであり、事故が起きても不思議ではなかったという側面と、国家社会の指導者を養成するはずの学校で事件が起きるというスキャンダラスな側面とが事件の展開から読みとれる。なお、「プライオリ・スクール」はパブリック・スクールに子どもたちを送りこむ準備のための学校であるプレパラトリー・スクールが、『鳩の中の猫』は女子のための全寮制の私立学校が舞台になっている。したがってこれらの小説の舞台が社会のごく限られた上層の子どもたちの教育機関を舞台にしていることは、イングランドの推理小説の性格を考える上で注目すべきことであろう。

 ヒルトンは、この作品の2年後に書いた『チップス先生さようなら』でパブリック・スクールを舞台にした小説を書いており、その主人公のチップス(チップスというのはあだ名で本名はチッピングである)は古典の教師であるが、推理小説が好きという設定になっている。『学校の殺人』における学校の描きかたが愛憎入り混じっているのに対し、『チップス』の方はノスタルジックな雰囲気が強くなっている。

 もう一つ考えてよいのは、イングランドの推理小説の犯罪捜査におけるアマチュア紳士探偵の系譜の中での位置づけである。推理小説には警察組織の内部の刑事=探偵(どちらも英語ではdetective)が活躍する作品と、警察組織の外部の素人が活躍する作品とがあり、イングランドの推理小説の場合シャーロック・ホームズはもちろんのこと、それに先立つ『月長石』のフランクリン・ブレーク、ドロシー・L・セイヤーズの作品中で活躍するピーター・ウィムジー卿、クリスティーのミス・マープル(とトミー&タペンス)など、警察外の人物である。エルキュール・ポアロはベルギーの警察官であったが、イングランドでは部外者という微妙な地位にある。彼らはだいたいにおいて社会の上層、マープルのように生活が楽ではなさそうな場合もあるが、少なくとも暇はある存在である。

 『学校の殺人』のコリン・レヴェルも経済的にはかなり厳しいが、オックスフォード大学を出ており、在学中にある事件を解決したことから学校内の事件の捜査を依頼される。したがって素人であり、紳士である。物語の進行につれて、第2の探偵である警察内の人物が登場し、両者が協力しあったり、反目したりしながら捜査を進めるという展開になる。登場人物についての両者の評価が違ってくるところが事件を解くカギとなる。そして物語は素人の方の目を通して描かれているが、実は専門家の方が正しい洞察をしているし、その洞察に基づいて戦略を立て、その中で素人探偵を利用しているという経緯が明らかになってくる。
これは素人探偵の方が有能であるというホームズ的な筋立てを裏切っている。その一方で犯人の意外性という定石は守られている。

 実はさらに第3の、そして最後の探偵が登場することになるのだが、この点については個人的な意見がある。学校では3人兄弟の末弟が寄宿舎で謎の死を遂げ、次兄がプールで死亡する。長兄は第一次世界大戦で死んでいて、兄弟のいとこに遺産が渡るという筋になるのだが、長兄が実は生きていて、第3の探偵になったという展開の方が勧善懲悪的になるし、面白そうである。ただ、卒業生だから顔を覚えられているはずなので、戦争で大けがをしたというような設定が必要であろう。

五月

5月2日(木)曇り

 5月を迎えたが、「風薫る季節」などという紋切り型が通用しない肌寒い気候が続いている。官庁は「クール・ビズ」を前倒しで実施したというが、結果としてはお役所仕事の硬直性を改めて見せつける次第となったように思われる。

 詩のノートの中から、「五月」について書いた作品を見つけたが、やはり紋切り型であることは否定できない。プレヴェールの「ロバと王様と私・・・」という詩は凄い切れ味だと改めて思う。(この詩はポール・グリモ―のアニメーション映画『やぶにらみの暴君』→『王と鳥』の中で使われている。)

 五月

鯉のぼりが空を泳いでいる
町の中
風を起こしながら
電車が走る

クリーニングしたてのシャツを着た
黒人の青年が
陸橋を自転車で
渡っていく

雲の色は少しずつ
白さを増してきた
街に元気な
声が聞かれる

勢いを整えて
夏に向かう 季節

日記

5月1日(水)晴れたり曇ったり

 寒暖というよりも冷温という方が適切だろうが、気候の変化が激しいためだろうか、よく眠れる夜と眠れない夜があり、血圧も一定しない。腰痛はだいぶ良くなったが、体調全般は良好とはいえない。

 4月は11冊の本を読んだが、昨年の4月は10冊だった。1月からの累計は38冊で、昨年の同じ時期は36冊だった。4月1日の日記でまだ読み終えていないと列挙した書物のうち、『海上の道』と『予約の取れない三ツ星レストラン』を読み終えた。『フリント船長』を読み進んでいる。量はそこそこにして、内容のある読書を心がけて行きたいと思っている。それに蔵書の整理を少しでも進めるつもりである。

 4月に見るつもりにしていた映画は1本も見なかった。見そびれたままになっているが、『舟を編む』は見ておこうと思う。三浦しをんさんの作品の映画化であること、辞書の編集作業を題材にしていることに興味がある。『風が強く吹いている』もそうだったが、映画を見てから原作を読むつもりである。神保町シアターで川端康成作品の映画化特集を組むということで、川端は趣味ではないが、川島雄三がメガフォンをとった『女であること』が上映されるので見に行こうかと思っている。そのほか、出演者の顔触れで見に行く気になる作品が出てくるかもしれない。『愛 アムール』は好みの作品ではないので、見に出かける方がいいかどうか、迷っている。

 読書と映画鑑賞がほぼ予定通りのペースで進んでいるのに対して、サッカーの試合の観戦は予定を下回っている。天気が悪いのと、横浜FCの成績不振が影響している。

 フランス語とイタリア語の勉強はぼちぼち続けて行くつもりである。ラジオの番組を聞いていると眠くなってくるのが一番の問題である。
 
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