2013年の2013を目指して(3)

3月31日(日)曇り、本日も肌寒い

 温かくなったり、寒くなったりの繰り返しの中で、こちらの血圧も落ち着いたり、高くなったりしている。このところ、花粉症はよくなってきたが、腰痛に苦しんでいる。2013年の2013を目指すと言っても、病気やけがを数えたくはない。

 3月の31日間、欠かさず日記をつけ、ブログも毎日書き続けた。ブログのうち、日記と関連するものが3日分ある。

 買った本が12冊、今年初めて紀伊国屋渋谷店で本を買った。そのうち読んだ本が11冊である。読んだ本は11冊。安藤幸代『ニューヨーク料理修行!』、益田ミリ『銀座缶詰』、柳田国男『小さき者の声 柳田国男傑作選』、益田ミリ『47都道府県 女ひとりで行ってみよう』、ロバート・ファン・ヒューリック『観月の宴』、西垣通『集合知とは何か』、安丸良夫『現代日本思想論―歴史意識とイデオロギー』、4 flowers『ボールペンでかんたんイラスト帳』、小菅桂子『カレーライスの誕生』、白井恭弘『ことばの力学―応用言語学への招待』、中山智香子『経済ジェノサイド フリードマンと世界経済の半世紀』である。1か月のうちに読み終える書物の数が増えているだけでなく、専門的な内容の書物も含んで比較的多様な読書となっていると思う。

 見た映画は5本。角川シネマ有楽町に生まれて初めて出かけた。見た映画は『世界にひとつのプレイブック』、『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』、『張込み』、『影なき声』、『シュガーマン 奇跡に愛された男』である。

 サッカーはJ2の2試合を観戦した。横浜FCと徳島ヴォルティス、ファジアーノ岡山との対戦であった。第614回のミニトトBが当たったらしい。賞金額はあまり期待できそうもない。

 NHKまいにちフランス語、イタリア語の時間を21回ずつ聴いた。フランス語の時間のテキストの昨年11月号のクイズを当てて図書券をもらった。

 今年になって初めて東京都中央区に出かけ、横浜市営地下鉄(ブルー・ライン)を利用した。また東京メトロの銀座線、東急の大井町線、JR東日本の横浜線、虎ノ門、新橋、白金台、表参道、新横浜、御成門、有楽町の各駅を今年になって初めて利用している。

 受け取った郵便は6通、遅れてきた年賀状!が1通、友人から1通、元職場から4通である。研究会のために青山学院大学に、墓参りで芝の青松寺に出かけ、すずらん通りの檜画廊で丸木位里・俊展を見ている。

 ボールペンを5本、万年筆のカートリッジを3本、ノートを3冊、修正液を1本使い切った。

 宝くじ(グリーン・ジャンボ)の7等を4枚あてている。たぬきそばを2杯、焼きそばを1皿食べている。

 アルコールを口にしなかった日が18日あった。

 4月からは新しい試みも加えて、2013を目指すつもりであるが、さてどうなるか。
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アガサ・クリスティ『七つのダイヤル』(5)

3月30日(土)曇り、肌寒い。

 このところ、腰痛に苦しめられていたのが、本日は少しよくなった。本日は、終日屋内で過ごす。

 さて、『七つのダイヤル』について。前回は、バンドルが女同士で話していると、ジミーがやってきて彼女を連れだすところまで書いた。

 ジミーとバンドル、それにビルの3人がこれからどうするかを相談する。エベルハルトのもっている重要書類を誰かが狙っているらしい。この書類に関する責任者である航空相は翌日出発する予定なので、何か事件が起きるとするとこの夜しか考えられない。そこでジミーとビルが交代で監視を続けることにする。まずジミーがその任に当たり、寝ずの番を続ける。彼はこの仕事に備えて拳銃を用意している。何かが起きかけている。そして2時。

 一方監視役から外されたものの大人しく引き下がったバンドルは、そうしたのは見せかけだけで、夜屋敷の壁に絡まっている蔦を伝って庭に下りるが、バトル警視に見つかって部屋に戻るように言われる。そして2時。バンドルはビルの部屋に出かけたつもりで間違えて、ラッキー伯爵夫人の部屋に入るが、彼女は部屋にいない。格闘している声が聞こえ、2発の銃声が響く。

 アベイに出かけないことになっていたロレインは、夜中に起きだして、屋敷に近づく。屋敷から投げ出された書類を拾い、格闘する声が聞こえたので慌てて逃げ出し、バトル警視と出会う。

 銃声を聞いた人々が駆け付けると、読書室の敷居の上にジミー・セシガーが右手を撃たれて横たわっていた。

 少しあとでわかるがラッキー伯爵夫人はジミーが格闘して打たれた現場のすぐ近くにいて気を失っていた。物語はこの後、思いがけない展開となるが、それは読んでのお楽しみとしておこう。

 登場人物が多く、しかもその登場人物間の愛憎・好悪の感情が入り混じる賑やかな展開が最後まで続く。この点では『チムニーズ荘の秘密』と共通するが、登場人物の立ち位置の違い、評価の違いを検討していくと作者の巧妙な仕掛けに気づいていく、一種の遠近法的な構成がとられている。特にケイタラム侯爵とバンドルという父親と娘、クート夫妻がそれぞれの登場人物について下す評価の違いに注目する必要がある。作者はジミーやバンドルの目に近いところで話を進めて行くが、それはそれとして、サー・オズワルドとその秘書のポンゴの役割を無視しないで読み進むことが重要である。

 一連の殺人は、またエベルハルトの書類は、さらにセヴン・ダイヤルズはそれぞれどのように関連し合っているのか。ジミーは誰と格闘していたのか。

 その一方でジミー、ビル、ポンゴ、オルークの男性陣と(コダーズまで割り込んでくる)、バンドル、ロレイン、ラッキー伯爵夫人の女性陣の恋愛模様も要注意である。

 物語の展開はさておいても、登場人物の性格描写が行き届いているのが特徴的である。エゴイストだが貴族的な趣味の持ち主であるケイタラム侯爵を初めとする主要登場人物については、これまでも書いてきたとおりだが、何かというと「調子がいい」というソックスという娘や、ジミーの従僕のスティーヴンズなど端役にまで神経の行き届いた描き方がされていて、読んでいて楽しい部分が少なくない。

 バトル警視はこの後、『ひらいたトランプ』(Cards on the Table, 1936)でエルキュール・ポアロ、アリアドニ・オリヴァ、レイス大佐とともに事件の解明にあたり、『殺人は容易だ』(Murder Is Easy, 1939)の最後の方で登場した後、『ゼロ時間へ』(Towards Zero, 1944)で名推理を見せる。バンドルが登場する作品はこれで終わりだが、彼女に似た性格の持ち主はその後もクリスティ作品に登場し続ける。
 
 

白井恭弘『言葉の力学―応用言語学への招待』

3月29日(金)晴れ後曇り

 応用言語学は、従来外国語教育をその主要な対象としてきたが、最近では現実社会の問題解決に直接貢献することを目的とするようになってきている。この書物は、応用言語学が対象とするさまざまな問題を紹介し、その具体的な事例を通して全体像を示そうとするものである。その中で特に言語と権力の関係に焦点が当てられ、書物の題名にもそのことが示されている。

 第Ⅰ部は「多言語状況」として、言語と言語の間の力関係から来る、様々な問題を取り上げている。まず取り上げられるのは「標準語」と「方言」の関係である。ここでは、①言語と方言の区別は厳密にはつけにくい。②すべての言語(変種)は平等である。③言語・方言に与えられる価値は、言語以外の、政治、経済、文化などの理由で決まる。④どの方言、変種を使うかは、状況によって変化する。⑤人間は無意識のうちに言語、またその言語を話す人に対して、肯定的、否定的などの印象をもつ。(22ページ) 以上5つのポイントが示されている。言語によって「標準語」と「方言」の力関係は違うということで、この書物では日本と、アメリカの例がいくつか紹介されている。著者はイギリスについても言及しているが、そもそも英語のdialectと日本語の「方言」は意味の違いがあり、前者が社会階層や学歴による言語の違いについても含んでいる(著者は『マイ・フェア・レディ』について触れているからこのことを知っているはずである)のに対して、後者ではそうでもないことを説明しておいてほしかった。157ページにビートルズとリヴァプール方言の話が出てくるが、リヴァプール方言(Scouse)は単に地域的なものではなくて、社会階級や歴史的な背景をもつものであることが重要である。ついでに言えば、リヴァプールの本屋に入ると、The Last Tram to Lime Street Station(だったかな)というような方言で書かれた地方読者向けの本が売られていて、こういうことは日本ではない(こちらが知らないだけのことかもしれない)と思ったのを覚えている。要するにイギリス英語の場合、Dialectの力が強いと思うのである。もっとも日本でも方言による放送があったりするようであるから、私の観察も独断的なのかもしれない。

 また国家と言語をめぐっては、言語政策の重要性、日本におけるモノリンガル主義の根強さが指摘され、言語政策には言語習得の理論が必要であると説かれている。これと対になるのが、バイリンガルの問題で、日本では英語以外の言語とのバイリンガルが軽視される傾向について述べるだけでなく、モノリンガルにこだわることの不当性が説明されている。この問題については教えられる点が多かった。

 外国語教育をめぐっては外国語教育がその言語を話す人々に対する好意的な反応をもたらすことが指摘されているが、そうなると英語の場合、いろいろな人が英語を話していること、色々な英語があることの教育がますます必要になっているはずである(この点についても触れられている)。手話についてはあまりしっかりした知識がなかったので、教えられる点が多かった。

 第Ⅱ部は「社会の中の言語」として、言語と文化、無意識への働きかけ、法と言語、言語障害、言語情報処理はどこまで来たかなどの問題について論じられている。

 多くの問題が日本とアメリカの大学で教えてきた著者の経験を踏まえて取り組まれており、その限りで分かりやすく説得力に富むが、それぞれの問題を個別に詳しく見て行くと問題がないわけではなさそうである。日本語と英語が主に取り上げられていて、読者の言語についての知識を考えると当然のことではあるが、世の中にはもっと多様な例があることにも目を向けさせる工夫も必要であろう。あとがきで、「本書についても鵜呑みにせず、批判的に読んでもらえればと思います」(197ページ)と書いているが、この発言には敬意を払いたいと思う。

春の足どり

3月28日(木)晴れ

 昨日もそうだったが、終日家の中で暮らした。こういう生活を続けていると、季節をあまり感じなくなる。それでもTVの画面で一面に咲いている菜の花を見て、ノートからこの詩を見つけてきた。

 春の足どり

レールの両側の 草のみどりが
明るくなればなるほど
電車の足どりは
軽くなるようだ

たんぽぽと
菜の花が
競争しながら
電車の行く手に
黄色い花を 咲かせている

その競争に あおられて
電車は元気を 出しすぎたかもしれない
もっと もっと 暑い季節が
やってくるのだから
その時のために
汗はとっておくべきだ

今はわざとでも
ゆっくり ゆっくりとした
あしどりで
春を楽しめばよいのだ

語学放浪記

3月27日(水)曇り、時々雨

 これまで勉強したことがある外国語は、数え方によって違うが10前後ある。勉強したというだけで、不自由しない程度にできると思う言語は1つもない。

 小学校4年生の時に、私立小学校に通っていたのであるが、英語を始めた。その後、ずっと英語の勉強を続けてきた。しかし特に大学進学後は読む一方で、書いたり話したりするのは時たま経験するだけであった(現在でもそれほど変わっていない)。それでも他の外国語よりは勉強してきた量や、実際にその言葉が主に話されている国で生活した時間が多いので、読み、書き、話す能力はかなり勝っている。

 大学で第二外国語として選んだのはドイツ語であったが、あまり相性はよくなく、単位を落として留年する原因になったりした。その後、大学院に進学するために勉強したり、就職のために必要だと言われたりして勉強したりしたが、とにかく辞書を引いて読むというレヴェルに達しないまま、ある時点でやめてしまった。本を読んだことはないが、ドイツ人(オーストリア人だったこともある)と話すときに、英語の中にドイツ語の単語を混ぜて話したりしたことは何度かある。そういうことで役には立ったと思う。

 ドイツ語を落とした理由の一つは、大学の2年目になってよせばいいのに中国語を始めたためである。中国語の方に興味が移ってドイツ語がお留守になった。中国語は発音が難しく、そのため本を読むことはできても会話の方はなかなか上達しない。現在は中国よりも欧米に関心があるので、中国語の勉強は中断させている。

 2年生をくり返すことになってとらなければならない授業が減ったこともあり、ロシア語を勉強した。中国語の先生の研究室にいたら、ロシア語の先生が何かの用事で入ってこられて、その後授業の時に君は中国語も勉強しているのですか、いいことですねと褒められたことを思い出す。本当のことを言えば、どちらか1つに絞って集中的に勉強したほうがよいのだが、褒めておいた方が本人のやる気が増すはずだと判断されたのであろう。初級に続けて中級の授業を取ろうと思ったがうまくいかず、それで伸び悩むうちに勉強を断念してしまった。機会があればまた勉強してみようと思うが、その機会があるだろうか。

 大学院に入ってから日仏学館に通ってフランス語を勉強したが、途中でやめてしまった。その後、ラジオで何度かフランス語の時間を聴き、現在も勉強中である。勉強量をもう少し増やさないと、上達はおぼつかないのではないかと思っている。

 大学時代に一度、ラテン語の授業を受けたことがあるが、担当の先生の迫力に圧倒されて断念してしまった。その先生というのが2月2日の「小林標『ラテン語の世界』」に書いた水野有庸という伝説的な先生である。その後、何度か自分で本を読んで勉強した。だから先生の情熱の一端はやっぱり伝わったということかもしれない。何とか初歩の文献を読めるように、4月から勉強を再開するつもりである。

 就職してから長くスペイン(カスティーリャ)語を勉強していた。今は中断しているが、ラジオのフランス語の時間の前にスペイン語の時間をやっているのを聞くと、結構記憶に残っているという気がする。

 イタリア語を勉強しはじめた経緯は1月11日の「イタリアの作曲家ガルッピ」に書いた。ラジオの番組の内容は覚えているのだが、イタリア語そのものはあまり上達していないように思う。

 オランダ語と古典ギリシア語は英語で書かれた入門書を半分くらいまで読んだので、その程度の知識と理解はもっている。

 過ぎ去ったことを後悔しても仕方がないが、どちらかというとロマンス語の方に興味があるのにドイツ語を第二外国語に選択したこと、英語の教員免許をとらなかったことは失敗だったと思う。あまり興味の持てないことに無理に手を出す必要はないし、その一方で相対的に有利な可能性は利用すべきだと思うからである。いろいろな言語に手を出すよりも、いくつかに絞ってもっと徹底的に勉強した方がよかったと思う一方で、失敗は少なくなかったもののこれだけ手を広げたことによってそれぞれの言語にそれぞれの特徴があり、それぞれの難しさが身にしみてわかったのは悪いことではないと居直ることにしている。

花見のころ

3月26日(火)曇り、時々晴れ間が覗いた

 年少の友人のハガキ通信より:「ここ4,5年年を重ねるごとに知らないことが多くなっていることを実感している。」 知と無知との関係は円と円周の関係だと言った人がいる。円をさらに大きくしようとする努力は人間を人間として完成に向かわせるものである。私は――というと、知らないことを追求するのをあきらめ始めている。そのことに、自分の老いを感じている。

 首都圏の花の見ごろは、今日で終わりらしい。24日に三ツ沢公園に出かけたが、花を見ている時間がなかったのが残念である。

 花見のころ

コンクリートに固められて
自由の利かなくなった
流れだけれど
暴れずにいてやろうと

どぶ川が機嫌よさそうなのは
天気が良いからか、
花びらが水面を
飾り立てているためか、

ちょっと酔っ払った流れを
適当におだてながら
そよ風が吹いているためだろうか

それとも青空が
自分自身のように思われて
何となく 我を忘れているのか

花見客が
騒いでいる
傍らで
どぶ川が おだやかに
流れている。
 

ヴァン・ルーン『人間の歴史の物語』(1)

3月25日(月)曇り、時々小雨

 体調、というよりもいろいろなことについての判断が悪くなっている。医者に診てもらったが、診てもらい方が適切ではないような気もする。

 最近、ヴァン・ルーンの『人間の歴史の物語』(Hendrik Willem Van Loon, Story of Mankind)を英語の勉強を兼ねて読んでいる。昨年は読まなかったが、1~2年に1度ずつのペースで読み返している。この本は以前、岩波少年文庫に入っていて、中学校に入るか入らないかくらいの時から何度も読んだ。その後、大学院に入ってしばらくのことだと思うが、大阪梅田の紀伊国屋書店でポケット・ブックスというペーパー・バックスに入っている改訂版を見つけて、何度か読み返してきた。今でも手元にあるこの本はもうボロボロになっているが、私の愛読書の1つである。

 この書物は、子ども向けの世界史の本として英語世界を中心に広く読まれてきた。同じく英語で書かれた世界史の書物としてこれも長らく読まれてきたH.G.ウェルズの世界史とともにリベラルで、ある歴史観を押し付けるというよりも、歴史への興味を植え付け、読者が自分の頭で歴史について考えるように促そうとしている書物である。個別的な学習プランであるドルトン・プランを考案したアメリカの教育家パーカーストが子どもたちの自習の手引きとしてこの書物を挙げたことはまことに当を得たことだと思われる。

 ルーンはオランダ生まれで、アメリカにわたってアメリカの大学で学位を得て、後にアメリカの市民権を得たが、毎年、英語の勉強のためにサッカリーの『ヘンリー・エズモンド』という歴史小説を1度は読んだという(この小説、サッカリーの作品の中では『虚栄の市』に続く名声をもっているようであるが、日本では久しく翻訳が出ていない。誰か訳してください)。

 ヴァン・ルーンの書いたものの特徴は彼自身が挿絵も担当していることである(これはサッカリーと同じである。ただし、絵の勉強をしたサッカリーに比べて、彼の絵はあまりうまくない。ジェイムズ・サーバーよりも「丁寧に=上手いというわけではない」描いているという程度である)。しかし、この絵が書物全体にやわらぎを与えている。私もできるだけ絵をノートに模写しながら読み進めている。

 書物のまえがきは彼が少年時代に、ロッテルダムの聖ローレンス教会の塔に上った経験について書きしるしたものである。塔の上から町を眺めることによって、彼は町の中でその様子を見ているのと違ったものの見方を得るようになる。ロッテルダムはオランダ独立の立役者の1人である沈黙公ウィルレム1世が住んだ町であり、遠くに見えるデルフトはグローティウスの故郷である(ついでに言えば、フェルメールもこの町の人である)。またゴウダ(チーズで有名)はエラスムスが成長した町である。彼は塔からの眺めによってオランダの、世界の歴史を学んでいったことを懐かしげに回想する。

 History is the mighty Tower of Experience, which Time has built amidst the endless fields of bygone is the mighty Tower of Experience, which Time has built amidst the endless fields of bygone ages.(歴史は時が過ぎ去った年月という果てもしれない野原の中に建てた巨大な経験の塔である)と彼は書く。この古くからの建造物の頂上に登って全体を眺め渡すことによって利益を得ることは容易なことではないが、若者には可能であり、やりがいのある作業であると読者を励ますことで、彼はこのまえがきを終えようとする。Here I give you the key that will open the door. 私は君に塔の扉を開く鍵をあげる。塔に登って広い世界を眺め、そこから学ぶのは君自身の仕事なのだという。

 本文の最初のページに、彼は巨大な岩と小さな鳥を描き、次のような物語を添える。はるか北方の土地に巨大な岩があり、1000年に1度、その岩で小鳥がくちばしを研ぐ。そうしてこの岩がすり減ってなくなった時、永遠のただの1日が終わるのであるという。これは永遠なもの、人間をしのぐ力のあるものに対して、人間は謙虚であるべきだという自戒であろう。

 それから彼はその歴史を、We live under the shadow of a gigantic question mark. (我々は巨大な疑問符の影の下に生きている)と書きはじめる。「我々は、何者なのか? われわれはどこから来たのか?われわれはどこへ行こうとしているのか?」 それらの問いに答えることは難しいが、人間はたゆみない勇気を持ってこれらの問いに答え、ある程度の正確さをもって答えを推測できるようになってきたとして、地球と生物、人類の誕生についての記述を展開する。さらに先史時代の人類についても記述する。これらについては現在ではさらに詳しく研究されているので紹介しないことにする(というよりも読み飛ばしたのである)。次回は、エジプトの文明についてルーンがどのように書いているかを取り上げてみたい。

アガサ・クリスティ『七つのダイヤル』(4)

3月24日(日)晴れ後曇り

 ニッパツ三ツ沢球技場でJ2第5節横浜FC対ファジアーノ岡山の試合を観戦する。横浜が何度も得点機を作りながら生かせぬまま、後半のロスタイムに1点を失って敗れる。第3節、ガンバと引き分けたあたりまでは期待が持てたのだが、前節に続く連敗で見通しが暗くなった。

 さて、『七つのダイヤル』について。金曜日の午後からワイヴァ―ン・アベイで外務次官のジョージ・ロマックス(コダーズ)が開くパーティにバンドルが出かける。快楽の追求に明け暮れていた貴族の令嬢であるバンドルが政治や社会の問題に関心を寄せるようになったと聞いたロマックスはバンドルを温かく迎える。既に述べたように彼女には別の思惑があり、セヴン・ダイヤルズの秘密を探るために、政治に関心がある金もちの若者という資格でこのパーティにジミー・セシガーが参加するように工作していたのであるが、それだけでなく自分も出かけることにしたのである。ジミーは今回の企てについて、ビルに話したという。バンドルは、ビルの人間をよく知っているので、あまり賛成しない。美人にうつつを抜かしてへまを演じるのを恐れている(と言いながら、バンドルはビルを自分のものにしたい気持ちがあって、それにはっきりとは気づいていないのである)。

 パーティには航空相のサー・スタンレイ・ディグビイとその秘書のオルーク(彼も美人には弱いタイプの男性として描かれている)、ケイタラム侯爵のチムニーズ荘を借りていたサー・オズワルドとクート夫人(バンドルが2人に会うのは実は初めてである)、サー・オズワルドの秘書のベイトマン(既に登場している、ジミーと同じ学校を卒業したまじめ人間)、ハンガリーの社会運動家だというラッキー伯爵夫人が出席している。バンドルは伯爵夫人についてこんな美しい女性を見たことがないと思う。

 サー・オズワルドとクート夫人はケイタラム侯爵がバンドルに語った通りの人物であり、バンドルは父親の描写力に感嘆する。サー・オズワルドと話しているうちに、バンドルはわけのわからない怒りを感じてしまう。「結局、ケイタラム卿とサー・オズワルドをくらべてみて、そのどちらが敗北者になるかはあきらかだった。サー・オズワルドは、彼に接する者すべての影を薄くする強い個性の持主だった。ケイタラム卿が行ったように、人間の姿をした蒸気ローラーだった。しかし、サー・オズワルドがいろいろの点で、愚かな人間であることもたしかだった。その専門的な知識と恐ろしい迫力は別とすれば、おそらく、非常に鞭であろう。ケイタラム卿が味わうことのできた、そして味わったことのある、もろもろの微妙な人生の味は、サー・オズワルドにとっては、神秘な謎にひとしいのだ」(中村訳、175-6ページ)。

 英国の近・現代史は貴族が資本家に圧倒される過程であるが、その一方で貴族が資本家を吸収して生き延びようとする過程でもある。しかし、その中で確実に変わっていく価値観や趣味もある。クリスティは荒唐無稽な物語を、現実のこの変化の中で展開させることによって効果を上げようとしている。

 出席を予定していたドイツの発明家であるエベルハルト氏は到着したが、頭痛のために寝ているとオルーク氏が伝えに来る。オルーク氏はバンドルの傍を動こうとしない(彼は若い女性が好みのようである)。着替えを済ませたバンドルは従僕の変装をしたバトル警視を見つけて驚く。なぜ彼はたやすく見破られるような変装をしているのか。それは何かを企んでいる連中に警戒感を与えるためだと彼は答える。

 バンドルはさらに国会議員のマカッタ夫人は子どもがおたふく風邪になったため出席できなくなったと知らされる。バンドルがエベルハルト、さらにオルークと一緒に話していると、ビルがやってくる。ビルとともにベイトマン(ポンゴ)も伯爵夫人に夢中になった様子である。ジミーはそれを可笑しそうに眺めるが、バンドルには笑いごととは思えない。

 アベイの暖房は不十分なので、晩餐の後、バンドルとクート夫人、伯爵夫人は僅かな暖をとるために集まる。クート夫人はマカッタ夫人の子どもがおたふく風邪にかかったのが奇妙だと言い、伯爵夫人はおたふく風邪が何であるかを知らない様子である。それが奇妙だというクート夫人に対し、伯爵夫人はハンガリーのスラムの子どもたちの状況についての説明をする。クート夫人はすっかり心を動かされる(が、バンドルがこの説明をどう思ったかは書かれていない)。クート夫人はチムニーズ荘を借りていたころに、使用人に[精神的に]いじめられていたのだが、バンドルが彼らを苦も無く動かしているという話を聞いてこれにも感心する。バンドルが使用人たちに超然とした態度をとるのは貴族としての生まれつきであるが、それをどのように受け止めるかは読者個人個人の自由な解釈に委ねられるべきであろう。

 そこへ、ジミーがやってきてバンドルを連れ出す。アベイではここから大きく事態が動きはじめる。

 物語を最後まで追いかけるつもりはないが、これでいいというところまでなかなか到達しない。クリスティによる人物描写や語り口の面白さを少しでも感じていただければありがたいと思う。もう少し我慢してください。

ロバート・ファン・ヒューリック『観月の宴』

3月23日(土)晴れ後曇り

 3月12日(火)に読み終えたのだが、読後評を書かないまま10日以上がたってしまった。1月8日の当ブログで紹介した『紅楼の悪夢』と同じくオランダの中国研究家にして外交官であったロバート・ファン・ヒューリックによる判事ディー・シリーズの長編ミステリ。ディー(狄)判事がその第3の任地である蒲陽県の知事であった時代の出来事として設定されているが、事件の舞台は蒲陽県の隣、あまりよい友人とは言えない同僚の羅寛充が知事を務める金華県である。羅知事は『紅楼の悪夢』でも自分の管轄下で起きた事件の処理を狄に任せて出かけてしまった「前科」がある。

 金華県にやって来た州の長官が管轄下の県知事を集めて会議を開くことになった。その夜、羅知事は詩人として名高い邵範文博士、張攔博郎中、禅僧の魯導師を呼んで晩餐会を、さらに翌晩には仲秋の月見の宴を開くことを計画、その席に狄判事も呼ぶ。詩には全く縁のない狄判事が呼ばれているのはなぜか?

 羅知事に半ば強引に誘われた狄判事は金華県で地元資料を調べようと滞在していた宋挙人が何者かに殺害されたという事件の報告を受ける。羅知事は予想以上に手際良く事件の処理にあたっているが、宋の遺品の中に珍しい笛の楽譜が見つかる。事情聴取を受けた女中の1人は宋には女がいて、その正体は狐であったという。狐媚(狐の妖術)は中国の古い迷信である。

 宿舎に戻った狄判事に羅知事は晩餐会と観月の宴にはもう1人、閨秀詩人として名高く、下女を鞭で打ち殺したとして告発を受け、都に護送されている幽蘭が加わるという。彼は彼女が無実であると信じ、狄に援助を求めているのである。

 笛の楽譜について詳しく知ろうとした狄は名人の家で、晩餐会で踊ることになっている小鳳に出逢う。彼女の話から、土地の古い曲である<玄胡行>が事件の鍵となると考えた狄はいつもこの歌を歌っているという鬱金という娘を訪ねる。彼女の素性には謎があるらしい。

 波乱含みで進行した晩餐会は、狐にまつわる古民話と関連する<玄胡行>を小鳳が踊ることでクライマックスを迎える予定だったが、彼女が何者かに殺されることで思いがけない終わり方をする。そして関連していないと思われた事件の関連が浮かび上がり、事態は急激に進展していく。

 著者があとがきで触れているように幽蘭は唐代の女流詩人魚玄機(843-868)をモデルにしている。この詩人については森鴎外の「魚玄機」という短編小説があることは、訳者(和邇桃子)があとがきで書いている。魚玄機は狄仁傑よりも後の時代の人であるが、狄の時代にはやはり女流詩人の上官婉児が生きていたことを思い出すのも一興であろう。詩、笛、狐媚の伝説などを小道具に使って中国趣味を盛り上げながら、ミステリを組み立てて行くヒューリックの語り口はなかなかのものである。『紅楼の悪夢』同様、狄判事の部下たちの活躍が見られないのが残念。 

シュガーマン 奇跡に愛された男

3月22日(金)晴れ

 墓参りに出かける。その後で渋谷に出て『横道世之介』を見に行くつもりだったのが、時間がなくなったので、角川シネマ有楽町で『シュガーマン 奇跡に愛された男』を見る。予期していた以上に感動的な映画であった。

 デトロイトの場末のバーで歌っているところを有力な音楽プロデューサーに見出されたシクスト・ロドリゲスは、1970年代の初めに2枚のアルバムを発表したが、商業的に失敗し、音楽シーンから姿を消した。しかし彼の音楽は南アフリカで、アパルトヘイト(アパータイトと聞こえる)体制の抑圧に苦しみ、反抗の足がかりを見つけようとしていた若者たちに表現手段を与えるものと受け取られ、多くの支持者を得た。

 世界から孤立していた南アフリカでは海外の音楽シーンについて、ロドリゲスについての情報を得ることはできず、彼の存在は謎のままであった。彼はコンサート会場で自殺したというような噂さえ飛び交っていた。南アフリカで、この謎のミュージシャンについての探索が始まり、驚くべき事実が明らかになる。

 大物プロデューサーたちが期待したにもかかわらず、ロドリゲスの音楽がアメリカでヒットしなかったのは、歌詞に表現された内容が著しく反体制的であったことと、ロドリゲスという名前が明らかにヒスパニックス系であったことで主流の白人文化から排斥されたことによるものであると説明される。しかし南アフリカでその音楽を支持したのが主として白人であったことに謎も残るのではないか。

 1990年代に行われた探索の結果、次第に明らかになる、その後のロドリゲスの姿。彼は自分の音楽が認められなくても、自分の考えを変えようとはしなかった。その生き方は音楽以上に感動的であるとさえいえる。建設関係の職場で働きながら、職場と地域の生活向上のために努力し続けている。彼の生活はつつましいものであるが、常に前向きである。容貌も性格も違っている彼の3人の娘たちが、父親を尊敬している様子が窺われるのが印象的である。

 ロドリゲスの歌の歌詞は、中西部の下積みの労働者たちの生活経験と実感を反映したものであり、彼の思想の表現であった。そのありのままの言葉と音楽のスタイルがなぜか新しい表現を求めていた南アフリカの若者たちによって発見され、支持されたのである。アメリカ合衆国中西部と南アフリカのケープ・タウン。デトロイトの労働者の生活と、南アフリカのコンサート。対照的な映像を編集しながら、この映画はすぐれたミュージシャンというよりも、尊敬すべき一人の人間の姿を描き出しているのである。


花の駅

3月21日(木)晴れ

 今年は桜の花の開花が例年よりも早い一方で、風の強い日が多く、せっかく咲いた花がすぐに散ってしまうかもしれないとのことである。本日紹介するのは、20年ほど前に新潟県を走る弥彦線の弥彦駅を見て書いた詩である。南関東は花見の季節に突入しているが、弥彦の花見はまだ先のことになりそうである。今年は3月24日(日)にニッパツ三ツ沢球技場でサッカーの試合を観戦するつもりだが、三ツ沢公園の桜はどの程度の咲きかたになっているだろうか。

 花の駅

線路の両側に
並んだ桜の木が
花のトンネルを
作っているよ。

木々の足元では
タンポポの花が
春はいいねえと
顔をほころばせているよ。

線路の終わりに
駅があって
明るい季節を迎えて
笑顔でいっぱいだよ。

そしてその笑顔が
別の笑顔に
駅から次々と
リレーされているよ。

映画批評と女優

3月20日(水、祝日)晴(これからの天候の変化が予報されている)

 持物を整理していて、現在の半分くらいの年齢であった頃使っていたパイロットのシステム手帳を見つけた。その中に映画批評と女優について書いた文章があって、当時と今とであまり関心が変わっていないことに気付いた。それでどんな議論であるか、その前半部分を紹介してみる。少し文章を直しているが、論旨は変えていないつもりである。

 女優と言っても1人の女性であることに違いはないが、映画批評家にとってただの女性であっていいわけはない。というよりもあってはならないのである。

 グレタ・ガルボについてアメリカの映画批評家であるJ・H・ロースンとハンガリーの文学者で映画についての理論的な研究家でもあったべラ・バラ―ジュが書いた2つの文章は、そのことをよく示している。たぐいまれな美しさと神秘的なまでに豊かな可能性をもったガルボは、ハリウッドの商業主義の下でその個性を十分に開花させることができなかったとロースンは書いた。主題がガルボではなくて、ハリウッドの商業主義にあることは明らかである。これに対しバラ―ジュはもっとガルボの中の<永遠に女性的なもの>に迫ろうとしている。ガルボの美しさは高貴な悲しみ、抑圧に耐える者の美しさであるとバラ―ジュは言う。しかし彼はガルボの美しさをたたえているわけではない。資本主義との無意識的な戦いすら女性を美しくすると言っているのである。もっと正確に言えば、資本主義の下で無意識的にせよ戦い続けている人々に、同じ境遇の下にある人々が美しく見えるのだと言っているのである。ガルボは確かにそういう人々の代表であろう。バラ―ジュはガルボに憧れ、慕っているわけではない。それだけのことならばファンレターを書けば十分である。彼は人々に資本主義と闘うことの重要性を説こうとしているのである。ガルボの美しさはそのひとつの例証なのである。そこに批評の立脚点がある。あらゆるものが例証の材料となっている。

 以下、1970年代後半の日本の状況についての議論が出てくるがこれは省略する。当時もそうだったし、今でもそうだが、ロースンよりバラ―ジュの方が好きである。女優は個性であるとともに、時代の記号でもありうるなどと現在では考えている。マルクス主義から記号論へと次第に思考の軸足は変わってきた(同じことを別の表現を選んで考えているというだけのことかもしれない)が、女優さんが映画を見る際の主たる関心である(他に風景とか、生活の細部とかも関心ではあるが)のは、一向に変化していないことに気づくのである。


 

寒山に倣う

3月19日(火)晴れ、温暖というよりも暑いくらいになる

 寒山に倣う

ゆっくりと流れる
黄河の水
その濁った流れが
澄むのは千年に一度
短い寿命のうちに
見ることはかなうまい。
仙人になって自由に空を飛びたいと思うのは
ただの夢。
幸いにまだ人生は残っているのだから
その分努力を続けよう。

 その2
寒山こそは
安心立命の場所
風が松を揺らす音を
聞きながら過ごす 日々
白髪が多くなってきた 老人が
黄老の書を訥々と読んでいる。
もう十年、故郷には戻っていない。
帰る道も忘れてしまった。

安丸良夫『現代日本思想論――歴史意識とイデオロギー』

3月18日(月)晴れ後曇り(今のところ、これからさらに悪くなるという予報である)。強風

 昨年の12月23日に購入した安丸良夫『現代日本思想論――歴史意識とイデオロギー』を本日やっと読み終える。著者は日本思想史の研究家であるが、同時代の社会の動きと思想状況にも関心を払い、その時々の状況についての論文を書き続けてきた。この書物は、様々な機会に書かれた現代の日本の思想状況にかかわる論文を集めたものである。

 「思想論」という題名を掲げているが、著者は「思想」と合わせて「精神史」という言葉も使っており、私の個人的な思いからはこの視角の方が好きである。つまり特定の思想家の著書の主張を検討するというよりも、市井の人々がどのように感じ、行動したかを煮詰めることによって得られたその時代の考え方の姿の方に興味がある。著者が第1章「現代日本の思想状況」を「『会社』主義の構想力」から始めているのは、その点から大いに評価できる。この章では1970年代から90年代にかけてのさまざまな日本社会における精神的な動きの様相が取り上げられているが、様々な問題に直面して「どの解答からも何か思想の要石を欠いているという印象を受ける」(58ページ)と指摘する。第2章「戦後思想史の中の『民衆』と『大衆』」、第3章「天皇制批判の展開――講座派・丸山真男・戦後歴史学」は対象の重大さに対して、考察が簡単すぎ、なくもがな。別の機会にさらなる考察を望みたいところである。

 第4章「表象と意味の歴史学」は歴史学の方法論を取り上げる。この章についてはさらに読み返して自分なりの考えをまとめて行くことが大事だと思っている。第5章「丸山思想史学と思惟様式論」はこの書物中最も力の入っている部分。著者は「わたしにとって思想史研究とは、人々の経験に到るための一つの手だてである。・・・思想史研究は、人間の経験をその人間にとっての『意味の相互連関』の中でとらえるところに、固有の存在意義を見出すものである」(219ページ)と論じているが、丸山と彼の時代・社会へのかかわりだけでなく、著者自身と丸山のかかわりが問いなおされているところが特徴的に思える。だから、「丸山におけるマンハイム→マルクス的なものを、丸山の自己規定を越えて取り戻すことで、多元的に構成されたいっそうダイナミックな思想史像を構想してゆくことができるだろう」(221ページ)というこの章の結びが限りなく温かく感じられる。

 第6章「20世紀日本をどうとらえるか」では「通俗道徳」への言及がわたしの興味と重なって興味を惹いた。さらに「あとがき」における2003年3月のイラク開戦当時の著者の行動をめぐる記録も、デモに行くつもりでタイ旅行の準備に追われて、結局いけなかった当時の自分の経験と重ね合わせて読んでいた。

 日本思想史家の著書ではあるが、欧米の学者の言説にも目が配られていてその視野の広さには感心させられる。ただ、この書物が書かれてから10年がたっているので、時代の変化によって訂正(あるいは補記)の必要を認めないわけにはいかない個所もみられる。折を見て、また読み直してみようと思う。 

別れることも

3月17日(日)晴れ

 詩のノートを読み返していて、1993年3月25日という日付の入った詩に出逢った。もう20年前に書いたことになる詩を紹介する。3月は別れの季節である。だが、別れの意味は人生のどの段階にあるかによって違ってくる。

 別れることも

お母さんと電車に乗り込んできた
青いジャンパーの女の子
駅と道路を仕切る金網につかまって
見送っている赤いオーバーの女の子。

電車が発車するより早く
見送る方が駆けだす
どっちが速いかな?
ごとんと電車が動き出す。

まだ、小学校には入っていない二人
一緒にいた時は 遊んだり、けんかしたり
仲直りしてまた遊んだり、いろいろあったんだろう。

でも、うらやましいな、別れることも
遊びにしてしまうんだから。
楽しい 遊びにしてしまうんだから。

世界にひとつのプレイブック

3月16日(土)晴れ

 この映画は3月11日(月)に見た。3月11日・12日に見た4本の映画の中で批評を書くのが一番遅くなった。見ごたえはあるが、批評を書くのは難しい映画、楽しむというよりも、感動を覚える作品である。前半少し重い気分にさせられるが、後半はおおいに盛り上がる。

 原題はSilver Lining Playbook、辞書によるとsilver liningは「雲の明るいへり;《不幸中などでの》明るい希望、≪前途の≫光明」という意味、playbookは「脚本」という意味もあるが、アメリカン・フットボールで「チームのすべてのプレーと作戦・戦術をファイルした極秘資料ブック」という意味もある。

 妻の浮気現場を発見して大暴れしたために精神病院で暮らすことになったパットは母親のドロレスにより病院を退院させられることになる。病院で仲良くなった黒人のダニーが一緒に退院しようとするが、許可が出たというのが彼の嘘だとわかる。その後も何度かダニーは姿を現しては病院に戻される。

 夫婦で住んでいた家がなくなったので、パットは父母の住む家で暮らすことになる。パットの父親のパット・シニアはブックメーカーをしている。アメ・フトや野球の試合の賭けを引き受けて、配当金を払う仕事である。映画の字幕ではノミやとなっているが、ノミやは非合法、ブックメーカーは合法である。息子と一緒にTVを見るとツキが出るのだと言ってパットをひきとめたがるが、これは兄に比べて出来の悪いパットのことを構いつけてこなかったのを悔んでのことだとあとの方になって分かる。

 パットは薬を飲みたがらず、カウンセリングを受けることも嫌がっている。妻が自分をまだ愛していると信じ込んで、何とか連絡を取ろうとする。当然のことながら周囲の彼を見る目は厳しい。そんな中、友人の家で、妻の友人でもあるその妻の妹のティファニーに出逢う。ティファニーはあった瞬間からパットに好意を抱くが、パットは妻への思いを断ち切れない。ティファニーは夫が事故死したショックで、職場の男性11人、それに女性とも関係をもったという型破りな女性である。ティファニーはダンス・コンテストにパットとともに出場することを決める。

 前半の感じが重いのは、パットに対するセラピーがなかなかうまくいかないからである。ところが彼の医者とアメ・フトのスタジアム前で一緒になったり、ダニーがようやく退院できたりで少しずつ事態が前進しはじめる。そしてパットはティファニーと組んでダンス・コンテストに出場する。

 物語の進行に連れてパットとティファニーの仲が(曲折はあるが)深まり、その一方でパットの家族が連帯感を取り戻すだけでなく、なぜか拡大していく。本来縁もゆかりもないダニーがいつの間にか家族に入り込んでいる。登場人物の多くが困難を抱えながら、事態から逃げずに前向きに生きようとしている。社会の病理は深いが、それと向き合うことで解決も可能だとこの物語は示唆しているように思われる。

 この作品の演技でアカデミー賞を含む各種の主演女優賞をとったジェニファー・ローレンスの魅力が光っている。あまりに魅力的なので、パットが妻に未練を持ち続けるのが見ていて不思議でならないほどである。その一方で女優としての彼女についての将来については、この若さで頂点に立ったことに不安も感じてしまう。出演作や役柄が限定される恐れなしとしない。オスカーの授賞式で転んだという話を聞いたのでなおのことである。その他の出演者も好演。娯楽性よりも芸術性が勝った、どちらかというとあまり大きくない劇場で見るのに適した映画である。
 

アガサ・クリスティー『七つのダイヤル』(3)

3月15日(金)晴れ

 税務署に確定申告に出かける。毎年、今年こそ早めに済ませようと思うのだが、ずるずると準備が遅れ、結局最終日に滑り込むことになる。同じような人が多いらしく、税務署は込み合っていた。書類を書きあげる作業そのものはそれほど難しくない(というよりもあなた任せになる部分が多い)が、待ち時間が長い。周囲の話を聞くともなく聞きながら、複雑な事情を抱えている人が多いなあと思うのは例年通り。

 さて、クリスティーの『七つのダイヤル』について。2月19日に第2回を書いてから1カ月近くが経過してしまった。チムニーズ荘では4年ぶりに怪事件が起きる。屋敷に招かれていた青年たちの1人であるジェリー・ウェイドの朝寝坊ぶりを何とかしようと、仲間たちが8個の目覚まし時計を仕掛けるという悪戯を思いつく。ところが翌朝、ウェイドは目を覚ますどころか睡眠薬を飲んで死んでおり、マントルピースの上には7個の目覚ましが時を刻んでいた。青年たちの1人が7つの時計に異常に反応する(気をつけて読んで下さい)。

 事件の後、屋敷のもともとの持ち主であるケイタラム侯爵の娘レディー・アイリーン、通称バンドルが事件に興味を持ち、それどころか、ロンドンに向かう途中で瀕死の青年に出逢い、彼から「セヴン・ダイヤルズ、…ジミー・セシガー」という言葉を聞く。屋敷(事件当時は鉄鋼王クート卿に貸されていた屋敷は、ケイタラム侯爵に戻されている)に戻ったバンドルは、父親からセヴン・ダイヤルズについてきき、彼らの知り合いである外務次官のジョージ・ロマックス(コダーズとあだ名される)のところにセヴン・ダイヤルズから脅迫状を受け取ったというニュースを聞く。再びロンドンに向かう。(書き落としがあるかもしれないが、ここまでは前2回で書いた――つもりである)。

 ロンドンで友人のビル・エヴァズレイ(外務省の装飾的な役人で、コダーズの部下、チムニーズ荘で事件に遭遇した1人である。第2の犠牲者であったロニ―・デヴァルウも外務省の役人で事件に遭遇した1人であった。ジミーとともにウェイドの義妹であるロレインにウェイドの死を知らせに行った後のロニ―の行動が詳しく描かれていないことも要注意)からジミーの住所を聞いたバンドルは、ジミーを訪問し、先客であったロレインと知り合い、ジミーと3人でセヴン・ダイヤルズの謎の解明に乗り出す。バンドルのつかんだ、コダーズが開くパーティーにセヴン・ダイヤルズが関係しているという情報に反応したジミーは彼がそのパーティーに参加することを思いつく。とりあえず3人の相談はそこで終わるが、話はそれで終わらない。

 ジミーの家を出たバンドルはスコットランド・ヤードを訪問し、4年前の事件を担当したバトル警視に面会する。警視からバンドルは、セヴン・ダイヤルズについて知りたければビル・エヴァズレイから聞けばよいと言われる。翌日の夕方、バンドルはビルと夕食を共にする。

 若い2人の男女が怪事件を探るうちに2人の中も発展していくというストーリーは『秘密機関』、『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか』などクリスティーが得意とする展開の1つであるが、この作品のバンドルとビルは協力するというよりもむしろすれ違いを繰り返しながら、事件も恋も発展していく。ビルはしきりにバンドルを誘い、バンドルも悪い気はしないのだが、美人というとすぐにのぼせ上がるビルの悪い癖に半ばあきれ、半ば嫉妬している。

 バンドルはビルからパーティーの参加者について聞きだし、バトル警視がセヴン・ダイヤルズについて知りたければビルに聞けと言われたことを告げる。ビルはそれはクラブの名前だという。バンドルはそのクラブに連れてゆけと渋るビルにせがみ、出かけることになる。クラブで、彼女はチムニーズ荘の副従僕であったアルフレッドに出逢う。バンドルはクラブについても、アルフレッドが転職した経緯にも疑いを持つ。

 いったんチムニーズ荘に戻ったバンドルは、またロンドンに出かけて父親の義理の姉である故ケイタラム卿夫人にコダーズのパーティーに出席できるように口添えを頼む。快楽の追求に明け暮れた生活態度を改めて、社会や政治に関心を持つようになった――ふりをしたのである(このあたりの会話と人物の性格の描写が面白い)。

 さらにバンドルは女中の服を着こんでセヴン・ダイヤルズ・クラブを訪れ、アルフレッドを脅して会議室の棚の中に潜み、この部屋で行われた秘密結社セヴン・ダイヤルズの会議を盗み聞きする。驚くべきことに出席者は時計の文字盤をかたどった丸い仮面をかぶっており、それぞれの文字盤の針が示す時刻によりお互いを呼び合っていた。会議ではコダーズのパーティーが話題になっていた。会議の参加者のリストが読み上げられ、ジミー・セシガーがどのような人物かが質問される。「この男のことは心配することありませんよ。ごく平凡で間抜けな青年ですから」(中村訳、157ページ)。

 チムニーズ荘に戻ったバンドルは、ロニ―・デヴァルウの検死審問に参加しようとするが、同じく参加するというジミーに彼女がセヴン・ダイヤルズ・クラブで経験したことを語る。コダーズのパーティーに参加するドイツの発明家エベルハルトが持っている製法書(formula、中村能三は「化学式」と訳しているがそれでは意味が通じない)が問題らしい。

 さて、パーティーの当日。(続く)

 

クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言う

3月14日(木)朝のうち雨、その後晴れたり曇ったり

 西垣通『集合知とは何か』(中公新書、2013)を読み終える。読んで理解できた限りでは面白い。暗黙知の重要性については自分でも考えてみる必要があると思った。しかし理解できない部分もかなりあり、また読み直してみよう。

 ただ、気になったのは次の個所である。
 「自己言及パラドックスというのは、たとえば聖書に出てくるクレタ人のエピソードのようなものだ。クレタ島生まれの預言者エピメニデスが『クレタ人はいつも嘘をつく』と言ったという。『クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言う』という命題は、論理的には確かにおかしい。クレタ人が嘘つきでも正直ものでも、ともに矛盾となる」/しかし、エピメニデスの言葉を聴いた人々は、はたして混乱に陥っただろうか――タブに名である」(147ページ)。

 中村秀吉『パラドックス』(講談社学術文庫、2012)によると、「エピメニデスは紀元前6世紀初頭の人であったが、実はこのパラドックスをはっきり述べたのは彼ではなく、紀元前4世紀のミレトスの哲学者エウブリデスといわれている。このパラドックスの表現法もいろいろあるが、クレタ人の逸話になって現れたのは、パウロ書簡『テトスへの書』第1章12が最初のようである」(中村、41ページ)。「しかし、パウロはこの言明のパラドックス性に気づいていない」(同上)とも記されている。パラドックスとして有名になるのはこの後のことのようである。

 新共同訳ではこの書簡は『テトスへの手紙』と訳されている。使徒パウロはクレタ島で宣教した後、自分の仕事を受け継ぐ人物としてテトスを残し、彼に信者たちを指導する長老を任命するように指示し、その際、信頼すべき人物を選ぶようにと念を押す。「実は、不従順な者、無益な話をする者、人を惑わす者が多いのです。特に割礼を受けている人たちの中に、そういうものがいます。/その者たちを沈黙させねばなりません。彼らは恥ずべき利益を得るために、教えてはならないことを教え、数々の家庭を覆しています」(1.10-11)。

 「割礼を受けている人たち」というのはユダヤ教からの改宗者と考えられる。初期のキリスト教徒たちはユダヤ教からの改宗者がほとんどで、ユダヤ教イエス派と言ったほうがよかったという学者さえいる。パウロ自身もユダヤ教からの改宗者であったのはご存じのとおりである。パウロが言っているのは、指導者を選ぶにあたって、その人の前歴や血統などを考えずに、人物だけを見て選べということのように思われる。ユダヤ教からの改宗者の独善を戒めているようにも受け取れる。

 問題の言葉はその次に出てくる。
 「彼らのうちの一人、預言者自身が次のように言いました。/『クレタ人はいつもうそつき、/悪い獣、怠惰な大食漢だ。』/この言葉は当たっています。だから、彼らを厳しく戒めて、信仰を健全に保たせ、/ユダヤ人の作り話や、真理に背を向けている者の掟に心を奪われないようにさせなさい」(1.12-14)。

 本人が言っているのだから間違いないという口調である。パウロにとって大事なのは論理ではなくて、目の前の教団の現実であった。教団が抱えている内部の危機であった。論理的な矛盾というようなことをここから読みとりはじめたのは、古代末期のストア派やメガラ派の論理学者たちであったそうである(中村、前掲、41ページ)。

 特に聖書の専門家の意見を聞いた訳ではないから、パウロの手紙へのわたしの読み方には問題があるかもしれないが、書いてあることをそのまま受け止めればこうなるということである。それにしても、ヨーロッパ(以外の世界でもおそらく)における物の考え方の流れはなかなか複雑で安易な解釈を許さないところがある。誤解や脱線もあるかもしれないが、それが新しい知の始まりになる可能性も否定できない。

『張込み』と『影なき声』

3月13日(水)晴れ

 昨日(3月12日)、このブログでも何度か触れたNHKラジオまいにちフランス語応用編「映画の話をしよう」の講師を務めていた梅本洋一さんが亡くなられた。わたしよりも若い年齢で亡くなられたので驚いている。謹んでご冥福をお祈りしたい。

 さて、この日、研究会のため出かけたついでに、会が始まる前の時間、神保町シアターで「松本清張と美しき女優たち」の中から、野村芳太郎監督(1919-2005)の『張込み』と鈴木清順監督(1923-)の『影なき声』を見た。前者は松竹、後者は日活の1958年作品、両方に芦田伸介が出演している。『張込み』では警察側、『影なき声』では犯人側の配役である(と書いてしまってよいのかな・・・)。ついでに言うと、この日、ロバート・ファン・ヒューリック『観月の宴』を読んだ。この小説についてもいずれ書くことにしよう。

 『張込み』の脚本を担当したのは橋本忍。執筆に当たっては清張とも話し合い、清張の尽力で警視庁の協力を取り付けたという。逃走した犯人を追って張り込みを続ける刑事たちの姿を描きながら、その監視の対象となる平凡な主婦の平凡に見える日常、そして刑事たちの生活にも目を向けて物語が展開する。

 1958年の横浜駅、若い柚木ともうすぐ勤続20年を迎える下岡の2人の刑事が九州に向かう夜行急行に飛び乗る。満員で座る場所がなく、通路で夜を明かす。京都、大阪までたどり着いてようやく席を見つけることができる。2人は都内で起きた質屋の強盗殺人事件の共犯者を追い、彼の昔の恋人さだ子が住んでいる佐賀に向かっているのである。彼は山口県が本籍地なので、同じ列車には東京から山口に向かう2人組も乗っている。まだ蒸気機関車が主流だった時代。夏であるが、列車内には冷房がなく、男性客はランニング姿である。

 佐賀に到着した2人は地元の警察に連絡し、さだ子が後妻として嫁いでいる銀行員の家の向かい側にある安宿に泊まって張込みを続けることになる。約1週間、彼女は毎日、判で押したような生活を送っている。夫が財布のひもを握っていて、毎日100円ずつ生活費をわたし、これでやりくりしろという。上の子ども2人は学校に行き、帰り、下の子どもは家で過ごしたり、友達と遊んだりしている。決まった時間にミシンを踏み、洗濯物を干し、午後になると買い物に出かける。柚木は見守り続けるうちに彼女に同情し、自分の恋人である弓子のことを思い出す。弓子との結婚に踏み切れぬまま、ある銭湯の経営者の婿養子の件を持ちかけられて答えを引き延ばしているのである。年配の下岡は息子と海水浴に出かける約束が果たせない。そうして時間を過ごすうちに、宿の女中が2人の挙動を怪しんで警察に通報するという一幕がある。祭が始まり、人々の往来が激しくなって、事件が動き出す。

 柚木を大木実、下岡を宮口精二、彼らが追う男を田村高広、さだ子を高峰秀子、弓子を高千穂ひづるが演じている。映画は刑事の視線で描かれていることが多く、近くから姿を写しだす場面はあまりないのだが、規則正しいが生気のない日常と、昔の恋人の出現で急に変わる姿を見せる高峰の演技は見事というよりほかはない。冒頭の列車のシーケンスの長さがかえって緊迫感を盛り上げる。張込みの単調さ、動くかと見えて動かない事件。時々織り込まれる回想場面。クレーン撮影やヘリコプター撮影を使ったらしい画面の展開。事件を解決していく過程で、捜査に当たる刑事たちが追いかけている人物や周囲の人物を観察しながら自分の生活を振り返り、(特に柚木刑事の場合)自分自身を変えて行こうとする。犯人の1人が共犯者をかばう姿勢にも彼なりの人間性が感じられる。清張・野村の人間を信頼する姿勢が映画の中ににじみ出ている。力作であり、その努力が十分に報われている作品である。それ以上に丹念に映し出されている昭和30年代の暮らしが郷愁を感じさせる。

 この作品、野村の愛弟子である山田洋次が参加しているのだが、まだセカンド助監督以下であったらしくクレジットには出てこない。脇役を含め、クレジットを読んでいるだけでも退屈しない。

 『影なき声』は清張の短編「声」の映画化。原作を読んだことはないが、何度かドラマ化されたのを見ている。秋元隆太と佐治乾の脚色は、原作を大きく変更しているようである。新聞社の電話交換手をしていた朝子はある晩、偶然に殺人犯人の声を聞いてしまう。しかし事件は迷宮入りして、3年がたつ。失業して、やっと仕事を見つけた夫とともにアパート暮らしの主婦になっているが、夫の仕事というのがどうも怪しい。毎晩、同じ仲間で賭けマージャンをくり返す。ある晩、仲間の1人で会社の社長である浜崎に電話した際に聞いた声があの時の犯人の声であった。彼女は夫に浜崎と別れるように言うが、なかなか聞き入れてもらえない。やっと、別れる決心をして出て行った夜遅く、夫は汚れた、血だらけの姿で戻ってきたが、この夜に浜崎が殺され、彼は容疑者として逮捕される。

 朝子と同じ会社に勤めて顔見知りであった記者の石川は、浜崎があの時の犯人であったという朝子の話を信じ、事件の真相は別のところにあると考えて取材を始めるが、朝子の夫の仲間たちのアリバイは固い。容疑を固めたと思うと、新たな事実が出てくる。その一方で朝子の夫の自白を裏付ける有力な物証も限られている。どうやら質屋の事件は単独犯ではなかったらしい。では事件を陰で動かしているのはだれか・・・。

 『張込み』がもっぱら逮捕に向けての時間の緊迫を問題にしているのに対し、こちらはアリバイ崩しが中心になっている。『張込み』が罪を憎んで人を憎まずという刑事たちの人情味を描き出しているのに対し、『影なき声』は組織の冷徹さが前面に出ている。わたしの場合について言うと、実は、本当の犯人はかなり早い段階で分かったのだが、理由と方法がわからないまま結末まで引きずられてしまった。他の方々はどのように見ていたのだろうか。ほぼ満員だった『張込み』に比べて観客は少なかったのだが、推理映画としての見ごたえのある映画であった。出演者では朝子を演じている南田洋子がいい。もう少し彼女の映画を見てみようと思った。

すーちゃん まいちゃん さわ子さん

3月12日(火)晴れ

 昨日(3月11日)見た映画の中の1本。

 すーちゃん、まいちゃん、さわ子さんは、3人とも30代で独身。20年以上前に同じ職場でアルバイトをして以来の仲良しである。一緒に森に出かけたり、鍋を囲んだりして3人で過ごす機会を設けている。

 すーちゃんは本名森本好子。フロイラインというカフェで働いている。料理が好きで、得意である。店の表に出されているメニューを記す黒板にお客さんへのメッセージを書き添える。「さみしさはひとりでなんとかしなくては」など。その一方で、職場の些細なトラブルの処理を仲間から押し付けられたりする。マネージャーに淡い恋心を抱くが、いつも嫌な仕事を押し付けてくる同僚にとられてしまう。シングル・マザーであるオーナーに仕事ぶりを気に入られて、店長に抜擢される。次第にその仕事にも慣れるが、将来のことを考えると漠然と不安を感じることもある。故郷の母親から時々小包が届く。

 まいちゃんの本名は岡村まい子。OA機器メーカーの営業として働いている。美人で仕事もできるが、男運が悪い。上司や取引先からはセクハラまがいのからかいを受け、年下の同僚から同情めいた冷やかしを浴びる。自分の営業成績も気になる。不倫相手は煮え切らず、肌荒れが気になる。がんばりすぎをどのように軌道修正していくか。結婚相談所に登録する・・・。

 さわ子さんは林さわ子。在宅のWEBデザイナー。母親とともに寝たきりの祖母の介護中。結婚願望はあるが、家族のことを考えると自由になれそうもない。好きな時に表に出かけられる猫のミーちゃんを羨んでみたりする。しかしそのミーちゃんも祖母の温かみを恋しがっているようである。出前を取っているそば屋を継ぐことになって実家に戻った元同級生との中が急速に進展するが・・・。

 益田ミリさんの漫画は個人個人の心理の微妙な体温差の食い違いから生じる様々な問題を微苦笑にくるんでいるところに魅力があるらしい。ある人にとって大事なことが他の人にとってはどうでもない。ある人にとって楽しいことが、他の人にとっては苦痛である。ある人が楽にこなせる仕事が、他の人にはそうではない。それを理解しようとする人と、しない人とがいる。そこから心の渦が生まれる。

 40年以上前に東海林さだおさんが描いていたマンガの題材がしがないサラリーマンの心理の渦であった。そういう渦は誰に起こりうるもので、30代の独身女性の心の渦を描いた漫画が人気を呼ぶというところに時代の変化が反映されているのだろうか。

 『銀座缶詰』の書評で紹介したように、益田さんはすーちゃんに深い愛情を抱いているが、益田さん=すーちゃんというわけではない。益田さんのメッセージの一部であるすーちゃんの人生哲学を通じて何を感じ取るかは、読者・観客の自由である。

 映画は独白を使用するなどして、そういう心理の渦を表現しようとしている。映画の方が漫画に比べて生活の細部に立ち入ることが多く、そこに変化が見られる。どこか見覚えのある商店街の描写など、観客に安心感を与える。3月1日付の毎日新聞の批評はきれいごとになっているというものだが、3人がずっと仲良しのままで、彼女たちの間ではあまり心理的な葛藤が生じない展開に物足りなさを感じたのであろうか。しかし映画には観客に夢を与えるという部分があることも忘れてはならないのである。

日記

3月11日(月)晴れ

 病院に出かける。電車の中では、2年前に地震が起きた時刻に防災の演習をするとのアナウンスが流れた。地下鉄の中で隣に座っていた若い女性が自分が書いた履歴書を鞄から出したり、しまったりしている姿がなぜか心に残る。10:40に予約していたのだが、その前に金を下ろそうとし、郵便局に10:20ごろたどり着く。キャッシュ・カードを作っていないので、窓口で手続きをしないといけないのである。ところが自分の前に手続きをしている顧客の一人ひとりに局員が丁寧に対応してるので時間がかかり、金を受け取って病院に飛び込むのが予約時間ぎりぎりになった。局員はそれなりに誠実に対応していたので、文句を言うわけにもいかない。こちらも、その間、金を振り込みたいのだが、やり方がわからないという外国人にやり方を教えていたりして余計に時間がかかった。病院に飛び込むや否や診察を受け、その時間よりも会計の時間の方が長くかかった。地震の記憶の一方で日常は慌ただしく、どこかでは杓子定規に、どこかではいい加減に仕事が進められている。

 花粉症のため、マスクをしているのだが、昼食をとった店にマスクを忘れ、予備のマスクを使うことになった。やることがどこか、間が抜けている。

 その後、109シネマズMM横浜で『世界にひとつのプレイブック』と『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』を見る。この2本の映画についてはまたの機会に書くことにしようと思う。

地下鉄の中で
リクルート・スーツの
若い 女性が
鞄から 履歴書を
取り出しては 眺め、
しまってはまた、取り出して
眺めていた。

長い、遠い未来と
長いように思われても、
過ぎ去ってしまえば短い、

ここを走り抜ければ、
あとは安心――というわけでもないのだが・・・

今日は3月11日
2年前には 多くの若者が
未来への夢を
果たさないままに
命を失った日だ。

彼らのためにも、
よりよい未来に向けて
進んでいくのが
遺されたものの すべきこと。

就職のために
どんな自分を売り込むかは
君の自由だが
失われた命と希望を忘れず
不安を通りぬけて、
未来を切り開く
君であることを願う。

招かれざる客

3月10日(日)晴れ後曇り

 このブログを始めてからこれが100番目の記事である。ささやかな記念として、3月8日にNHKBSプレミアムで見た『招かれざる客』について考えたことを書いておきたい。

 最近は大画面になったとはいっても、TVの画面で映画を見るのはあまり好きではない。途中から見るのも嫌である。映画は最初から最後まできちんと見たい。『招かれざる客』(Guess Who's Coming to Dinner, 1967)はTVで途中から見たのだが、それでも批評を書いておこうと思った。そのくらい自分の中で重要に思われる作品である。映画が公開されたときに大学生だった私は劇場ではなく試写会で見たという記憶があるが、その後、繰り返してみる機会がなかった。繰り返し見ることで自分の考えが膨らんでいくという性格の映画だけに、返す返すもそのことが残念である。

 スタンリー・クレーマー(Stanley Kramer, 1913-2001)はアメリカを代表する映画製作者、監督の1人であり、製作者として『真昼の決闘』(フレッド・ジンネマン監督)、監督として『手錠のままの脱獄』(1958)、『渚にて』(1959)、『ニュールンベルク裁判』(1961)、『おかしな、おかしな、おかしな世界』(1963)、『愚か者の船』(1965)、『サンタ・ビットリアの秘密』(1969)などの作品を手掛けている。他の映画作家が避けるようなテーマを扱う問題作が多く、人々の良心に訴えかけ続けた作家として知られる。このような一連の作品の中で、『招かれざる客』はクレーマーの作家としての活動の頂点に位置する作品ではないかと思う。

 サンフランシスコで新聞社を経営するマット・ドレイトンとその妻クリスティーナの娘ジョアンナ(ジョーイ)が結婚すると言いだす。その相手は国際的に活躍する黒人医師のジョン・プレンティスで、最初の結婚相手と子どもを交通事故で失ったという過去を持つ。最初は当惑したクリスティーナであるが、ジョーイのひたむきな態度に結婚に賛成するようになる。これまで人種差別に反対する論陣を張って来たドレイトンであるが、娘とジョンの将来に待ち受ける困難を考えると結婚には賛成できない気持ちになる。一家と信仰があるライアン司教はジョンとジョーイの結婚を祝福し、ドレイトンを説得しようとする。結婚の報告を受けたジョンの父母もロサンジェルスからやってきて、息子の相手が白人だと知って驚く。二組の家族の中で葛藤が生じる。夜には飛行機で外国に旅立つというジョンにジョーイも同行すると言いだす。夕食(ディナー)の席に着く人間が、ジョン、ジョンの両親、それにライアン司教と次第に多くなっていくが、その一方で時間は切迫している。その中の人間模様がウィリアム・ローズの脚本の中で巧みに描き出されている。

 ベトナム戦争と公民権運動が盛んな時代、古いものと新しいものとがぶつかりあって、社会が変化しはじめていた。この映画ではそのような大きな流れは話題として出てくるだけで、家庭の問題が前面に出ている。ドレイトンが安全剃刀でひげをそっている場面や、登場する男性がきちんとスーツを着ていることなど、古いアメリカの具体的な細部を感じる。ジョーイの友人の女性が同棲生活を経てやっと結婚したことを話題にするなど、白人同士、黒人同士の男女関係は変わりはじめていたのだが、それが白人と黒人の結婚ということになると話は別であった。アメリカ社会における人種問題を描いた作品はクレーマー自身の『手錠のままの脱獄』を含めてそれ以前からも作られていたが、問題を家庭の中に持ち込み、一般的な主張が自分自身の生活と矛盾しないか深く掘り下げている(ジョージ・スティーヴンスの『ジャイアンツ』では主人公の息子がメキシコ人女性と結婚しているが、登場人物の内面にそれほど深く入り込んでいるようには思えない)点が画期的である。

 その一方で、ドレイトンの家庭にもティリーという黒人のメイドがいて、彼女がジョンを全く信用しないことも物語の中で重要な要素の1つになっている。『招かれざる客』と同じ年に作られ、同じくシドニー・ポアチエが出演しているダニエル・マン監督の『愛は心に深く』が黒人のメイドが辞めると言いだして困惑する家庭を描いていたことを忘れてはならない。昨年公開された『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』は公民権運動を背景に、白人の女性の社会と黒人のメイドの世界とを対比的に描きながら、問題をより深く掘り下げ、アメリカの映画づくりの進化を感じさせていた。

 だから『招かれざる客』という映画を全面的に賛美する気は起きないのだけれども、人種問題に取り組み続けるアメリカの映画人の取り組みが、着実に成果を上げていること、その中でこの映画が大きな地位を占めていることを強調しておきたいのである。

 出演者ではドレイトン夫妻を演じているスペンサー・トレーシーとキャサリン・ヘップバーンの演技が素晴らしい。これが遺作となったスペンサー・トレーシーには心なしか衰えが見えるようにも思われるが、主人公の心理的な葛藤をよく表現しているし、キャサリン・ヘップバーンがこの作品でアカデミー主演女優賞をとったのは当然のことであろうと思う。またライアン司教を演じたセシル・ケラウェイもアカデミー助演男優賞にノミネートされた。これもなかなかの名演である。『野のユリ』でアカデミー主演男優賞を受賞し、この年はこの作品以外にも『愛は心に深く』、『夜の大捜査線』と話題作に出演が続いたシドニー・ポアチエであるが、スペンサー・トレーシーとキャサリン・ヘップバーンに比べると貫禄不足という感じは否定できない。

 『招かれざる客』という映画を見たことで、大学時代から現在に至るまでの社会の変化と自分の生活の変化についていろいろと考えなおすことができた。そのすべてをここに書いた訳ではないが、考えさせられたという点に意義があると思う。書き残したことについては、また機会を見て書いていくことにしよう。  

益田ミリ『47都道府県 女ひとりで行ってみよう』

3月9日(土)晴れ

 3月7日(木)、紀伊国屋書店渋谷店で購入、同日読了。同じ著者の『銀座缶詰』(3月3日に取り上げた)を読んで、もう少しこの著者の書いたものを読みたくなったのである。「日本には47都道府県もあるのに、全部行かないのはもったいないなぁ」と思って、2002年の12月から1月1都道府県というペースで続けた旅行の印象記。1都道府県ずつ丹念に旅行し、感じたことを記し、大雑把な費用の一覧と4コマ漫画がそれぞれの終わりに付け加えられている。都道府県の順序はまったくバラバラ、青森県から始まって、著者が現在住んでいる東京都で終わっている。日帰り旅行もあり、一泊旅行、あるいはもっと時間をかけた旅行もある。

 女性の1人旅ということで宿の確保が難しかったり、見知らぬ人と話すのが苦手らしい著者の性格も手伝ったりして、旅はいつも楽しいというわけではない。最初の青森県では「わたしの中では、太宰治と宮沢賢治は、絶対にごちゃごちゃになっている気がする」(13ページ)と正直に記す。予習十分というわけではない、かなり行き当たりばったりのところがある。それでも福井県の永平寺で修行僧の厳しい修行の様子を見た後で、「修行が済んだあとはどうするんだろう。このまま永平寺で修行をつづける修行僧もいるのかもしれないし、裕福な実家のお寺が待っている修行僧もいるのかも」(72ページ)という疑問を抱く。高知では横山隆一を知らずに、横山隆一記念まんが館に入るが、「漫画っていいもんなんだよ、たくさん読みなさい。/という雰囲気にびっくりしてしまった。ゆとりある高知市民なのである」(112ページ)と思い、自分のマンガもここで読んでもらいたいと書く(本当に作品を送ったのだろうか?) 和歌山県の旅では那智の滝を見てすっきりした気分になり、「嫌いな人からは遠ざかるのが身のためだ、ということを、ようやく学習した。人生には、別に嫌いな人間がいてもいいのだとも思う。嫌いな人の良いところを探して、騙し騙しやっていくより、嫌いは嫌いでいいやと思うと、大分軽くなる」(262ページ)という人生訓を引き出している。最後の東京では、東京大学の学生食堂で食事をして、国会議事堂を見学し、帝国ホテルでお茶を飲んでいる。その間はタクシーで移動。この選択が面白い。あとがきにかえて、帝国ホテルで一泊した経験が漫画にまとめられている。著者は酒を嗜まないようなので、帝国ホテルでお茶を飲むことを選ぶのだろうか。

 はじめは決心したものの旅をするのが心細い様子であったのが、次第に旅を楽しむようになっていくことが読み取れて興味深い。全体として、文章と漫画のメドレー・リレーというには漫画が少ない、文章を書くのに疲れるとちょっと漫画を描いてみるという感じだろうか。それも悪くないと思う。
 
 

映画批評の役割

3月8日(金)晴れ

 今日は「まいにちフランス語」の時間だけでなく、イタリア語の時間でも映画音楽作曲家として知られるニーノ・ロータについて取り上げたので、ずっと映画につきあい続けることになった。外国語の勉強よりも、映画…ということである。

 さて、「まいにちフランス語」の本日のテーマはPour les lecteurs en general, a quoi ça sert vraiment la critique de cinema? (普通の読者にとって、映画の批評は何の役に立つのでしょうか? general, cinemaのe にはアクサン・テギュ)というものであった。

 これに対し、ジャン=フランソワ・ロジェは批評は個人、個人に向けられたもので一般大衆を相手にするものではない。その批評を読んだ個人からまた別の個人へと伝わっていくという性格があるとしながら、批評をめぐってはいろいろな見解があるという。批評と映画の興行的な成功にはあまり関係がない。だからla critique n'a aucun role dans l'economie du cinema. (批評は映画産業に何ら寄与していない、roleのoにアクサン・シルコンフレックス、economieの最初のeとcinemaのeにアクサン・テギュ)などとさえいわれている。

 しかし、Certains films ont beneficie de soutiens critiques. (ある種の映画は批評の支持によって恩恵を受ける、beneficieのすべてのeにアクサン・テギュ)。好意的な批評を受けたことで、少しの間、ある種の歴史の中に刻印される作品があるともいう(慎重な言い方)。だから映画批評と映画の経済機構が全く切り離されているわけではない。
 
 読者の立場からすると、批評には知識を与える力があると言える。他人の批評に接したことで、映画の中で自分が見落としてしまったものに気づくかもしれない。Les meilleures critiques sont celles qui m'ont fait honte. (最良の批評とは、それを読むことで恥ずかしい思いをさせられる批評のことだ)そしてもう一度その映画を見ようという気を起こさせる批評がよいのだと言っている。この個所を聞いていて、私は福沢諭吉が『福翁自伝』の中でその師緒方洪庵にオランダ語の本を訳読してもらって自分が全く無知になったような気がしたと述べている個所を思い出した。

 映画批評家が褒めて、興行成績もいいという作品が一番いいのだろうが、そういう例は少ないようである。アカデミー賞にノミネートされたり、映画祭で受賞したりしても、興行成績に結びつくとは言えない。それでも、ロジェが言うように、どこかで記憶に残るということはあるだろう。その記憶がどこまで残っていくかも問題ではあるが・・・。

 ある程度映画を見て、映画批評を読んでいると、どの批評家の目が自分に一番近いかがわかるようになるものである。それでその人が褒めた作品を見るということが映画を見る際の手がかりになる。今は映画雑誌を読まないので、批評家の意見というのはほとんど分からない。また、あまり知りたくもなくなってきている。それでインターネット上でなんとなく空気を察知するようにしているのだが、自分自身の考え方と空気の関係が今ひとつつかみ切れていないという気がする。映画の興行成績は土曜日、日曜日の観客動員が目安になっているのだが、こちらは土曜日、日曜日に映画を見ることはほとんどない。その点がこのことと関連しているのではないか・・・とも思う。

 フランス語のアクサンをいちいち断っているのは、見苦しく思われるかもしれないが、自分の勉強のためにしていることなので、しばらく我慢して付き合ってくださると幸いである。

映画について話すことと映画批評

3月7日(木)晴れ

 3月のNHKラジオ・まいにちフランス語応用編「映画の話をしよう!」は「映画批評って何だろう」という問題を取り上げている。本日はその第1回:講師である梅本さんがシネマテーク・フランセーズで上映する映画を選ぶ一方で『ル・モンド』紙に映画評を書いているジャン=フランソワ・ロジェと、文化雑誌『レ・ザンロキュップティーブル』誌の編集長であるジャン=マルク・ラランヌという2人のフランス人の映画批評家と行ったシンポジウムからの抜粋。梅本さんが一時期『カイエ・デュ・シネマ』誌の編集長であったセルジュ・ダネー(1944-1992)のPour ecrire une critique, il faut voir et parler et ecrire. (批評を書くためには、見て、話して、書くことが必要だ。なおecrireの初めのeにはアクサン・テギュがつく)という言葉を取り上げて、2人の意見を聞く。

 ラランスはダネーの友人であり『リベラリシオン』紙などで活躍する批評家であるとともに映画作家でもあるルイ・スコレッキのIl n'y a rien de plus vulgaire que de parler de cinema. (映画について語るほど下品なことはない。cinemaのeにはアクサン・テギュがつく)という言葉がboutade(皮肉)であると言いながらも「話す」ことを省く必要を感じているという。映画を観終わった後すぐに意見を言う人たちと話したくないというのである。これに対しロジェは話すかどうかよりも、話す相手がだれかのほうが問題であるという。

 わたし個人についてみると、話したい気分のときもあるし、黙って映画の感想をかみしめたいときもある。同じ人間の中でもどちらが正しいというものではない。映画の話ができる相手がいる方がいいというとも思うし、嫌な相手と話したくないとも思う。しかし同じ相手でも、時と場合によって印象が違うかもしれない。

 年間に3桁の映画を見ていたころ、そのどの作品にも批評を書こうとしていたし、事実書けたのだけれども、ろくでもない批評が少なくなかった。無理して映画を見る必要もないし、批評を書く必要もないと今になって思う。もう少し考え、話し合うことが必要であった。それでも映画を通じて、また映画について書き散らす中での友人は少なくなかったし、今でも友人であり続けている人もいる。試写会のあと、電車の中でずっと映画の話をして、相手が電車を降りて、それ以来会っていないという友人以前の存在もいた。数日後にアメリカに留学するということであった。

 映画について語ることの意味の一つは、映画の細部を忘れないということである。これは読書でも、スポーツ観戦でも同じことではないかと思う。先日、NHKBSで『パットン大戦車軍団』を見ていて、この映画をスクリーンで複数回見ているにもかかわらず、映画の細部をほとんど忘れていたことに気付いた。そういう映画は少なくないのである。『パットン』について、私はこの映画がかなり好きなのだが、この映画が好きだという友人・知人には恵まれなかった。繰り返し語りあうことで細部についての記憶が強められる。

 もちろん、細部を忘れないだけでなく、映画についての全く別の観点を学ぶという意義もある。ただ、これも程度問題である。一時期、映画の心理的な分析に凝っていた時期があり、ルネ・クレマンの『パリは霧に濡れて』について自分なりに分析した結果を話そうと思っていたら、相手の女性に「フェイ・ダナウェーがよかった」というような話をされて腰を折られ、理論を展開できずに終わった記憶がある。

 つまり「話す」と言ってもいろいろな質の会話があるので、その質を問題にすることが必要であろう。

巡礼

3月6日(水)晴れ、温暖

 巡礼

職場への
往き還り
鞄の中に
巡礼の本を
一冊は 入れていた。

四国八十八か所の
お遍路
あるいは
西国三十三カ所
あるいは
坂東三十三カ所
あるいは
秩父三十四カ所の
観音霊場
諸国一の宮
サンティアゴ・デ・コンポステラへの
巡礼

案内書
旅行記
写真集
小説

いつか、
旅立つつもりで、
まいにち
まいにち
家と
職場を往復しながら

一ページ
一ページ
一冊
また一冊と
暇を見つけて
本を読んでいた。
それも一つの
巡礼であった。

とはいうものの
職場への
往復をやめても
まだ旅立つつもりで
ときどき本棚を
眺めて
本当に道を
歩いている
自分を想像する。

柳田国男『小さき者の声 柳田国男傑作選』

3月5日(火)晴れ/啓蟄

 昨日(3月4日)、柳田国男『小さき者の声 柳田国男傑作選』(角川ソフィア文庫)を読み終えた。何度も読み返したい書物である。実際に、この書物に収められた文章の中には、既に目にしたものもある。伝統的な子どもの習俗・文化をめぐる論稿を集めた書物であると要約してしまうと、この書物の魅力は半減する。訳知り顔な要約を許さない魅力が柳田の文章にはあるからである。

 「小さき者の声」は子どもの言語、特に語彙についての考察。探究を通じて子どもだけではない、日本人の心の深層に迫ろうとしている。その一方で「遊戯」についての鋭い考察も見られる。

 「こども風土記」は、子どもの間の遊びや行事を取り上げた考察。アメリカの学者からの日本にも「鹿、鹿、角、何本」という遊びがないかという問い合わせの手紙に対する回答を求め、この遊びが固有のものか、伝来したのか、どのように分布しているのかなどの問題が論じられる。その一方で、「かごめ・かごめ」のような類似する遊びについての考察が展開され、さらに子どもの間の行事や、こども組、女児のままごとなどにも説き及んでいる。こども組については小学校時代の社会科で学んだ記憶が残っている。「こども組の最もよく発達しているのは、信州北部から越後へかけてであるが、他にもとびとびにこれが見られる土地は多い」(103ページ)とあり、これが固有のものか、青年団のような大人の制度の影響で生じたものかと問われている。短期間ではあったが、この地方で暮らした時期があって、それ以前にこの論考を読んでいたらよかったと思われる。なお、この論稿が1941年に発表されていることも注目しておいてよい。

 「母の手毬歌」は伝統的な木綿糸の手毬についての説明から、各地に伝わる手毬歌について取り上げ、柳田の母が歌っていた手毬歌の「鎌倉の椿」という文言が、従来の収集から漏れていると書く。しかし柳田が調べた範囲では東京の周囲ではこの文言が保存されている手毬歌があった。ではなぜ鎌倉なのかということを含めて論じた後に、柳田は「皆さんもこれから注意深く、段々と見たり聞いたりしたことを積み貯えて行かれるならば、国の昔の交通の跡を明らかにし、昔の人の心持ちをよく理解し、またそれを一生涯、覚えていることも楽なのである」(171ページ)と結ぶ。

 「野草雑記」は野草の名前をめぐる考察(の一部)。「野鳥雑記」は野鳥をめぐるさまざまな伝承を紹介している(考察の一部)。

 「木綿以前の事」も同名の著書からの抄出。芭蕉の七部集の連句から木綿が日本人の生活をどのように変えたかを説き起こし、新しい技術やその成果がどのように人々の生活や考え方を変えるかに思いをはせている。よくなった部分と、悪くなった部分に目を向ける必要があることを論じて、「次の時代の幸福なる新風潮のためには、やはり国民の心理に基づいて、別に新しい考え方をしてみねばならぬ。もっとわれわれに相応した生活のしかたが、まだ発見せられずに残っているように、思っている者は私たちばかりであろうか」(224ページ)という結んでいる。この言葉から柳田が単純な伝統擁護論者でなかったことが感じられる。

 大正から昭和戦前・戦中(学童疎開への言及がある)に書かれた文章を集めたものであり、この書物で描き出された日本の暮らしや考え方から、現代の都市の生活は相当に遠ざかっていることが実感される。改めて自分の周辺を見渡し、また子どもたちの世界に注目しながら、この書物の意義を考えてみたいものである。

春は消しゴムのように

3月4日(月)曇り後晴れ、今のところ天気予報がいい方に外れたようである。

 春は消しゴムのように

春は
消しゴムのように
冬を消しながら
やってくる

空の青さが
あいまいに薄められ
遠くの 雪の山の
雪も山も いつの間にか姿を消し
雲も だんだん
ぼやけてみえるようになると

消しゴムで 消された 字の上に
ていねいに 色鉛筆で 書いた字のように
ちょっと はにかみながら
春が 始まる。

益田ミリ『銀座缶詰』

3月3日(日)晴れ

 昨日(3月2日)、益田ミリ『銀座缶詰』(幻冬舎文庫)を読み終えた。少し前に書店で立ち読みして、面白そうだと思ったので、著者については全く予備知識がないまま買ったのである。読み終えた日が、この著者の4コマ漫画を原作とする映画『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』の公開日と同じ日になったのは偶然の一致である。『朝日新聞』とWebマガジン幻冬舎に書いたエッセーをまとめたものであるが、2月10日に文庫の初版が出て、私の手元にあるのは25日に出た2版である。

 『銀座缶詰』という書名は本の中ほどに収められている「2泊の銀座缶詰」という文章に由来するようである。缶詰といっても編集者に押し込められたのではなくて、急いではいないが自分が仕上げたいと思っている仕事を仕上げるための自発的な缶詰である。だから銀座を選んだということらしい。窓の外の景色を眺めたり、体操したり、英語の勉強をしたり、食事のために外出したり・・・。別のエッセーの題名である「不マジメ適当人間」ぶりを披露しながら、しかしきちんとやることはやっている。易しい文章でそういう緩急をつけた生活ぶりとその中での感想が綴られている。「家事も、余暇も、仕事も、生きていくうえでそれぞれが大切ともって暮らしたい」(20ページ)と考え、だいたいその通りに暮らしているように見受けられる。

 こちらは老境にある男性なので、40代の女性である著者の生活と意見に共感できる部分が少ないことは否定できないが、いろいろなことに興味をもち(もちたくないことからはできるだけ逃げ)、いろいろなことをして(したくないことはせずに)、毎日を生きていこうという気持ちは変わらない。

 映画『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』について、その初号試写に出かけた時のことも書かれているが、この文章が書かれてから、活字になり、その一方で映画が試写を重ねて封切られるのにそれほどの時間がかかっていないわけだから、著者の周りの時間はかなり速く動いているのではないかという気がする。その中で余暇を楽しむのはかなりの凄技である。なお、著者のヒット漫画だという映画の原作『すーちゃん』のヒロインの名は、キャンディーズのスーちゃんこと田中好子さんからとったことに触れながら、田中さんの早すぎる死を悼んだ文章も収められている。

 ただの読者ではなく、自分でも文章を書こう(あるいは他の表現をしよう)と思っている人にとってもっともためになるくだりは、「漫画とわたしは一心同体のではないのだった。/そもそも、登場人物と一心同体では漫画は描けない。同じ気持ちを共有する瞬間はたくさんあるけれど、描く側は漫画のすべてをもっと遠いところから見ているのである」(「インタビューをめぐるあれこれ」、189ページ)であろう。もう既にそう思っていても、確認できるのは悪い気持のものではない。

 映画『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』は見に行く予定に入れていなかったのだけれども、このエッセー集を読んだら、見に出かけてもよいかなと思いはじめた。さて、どうなるか。
 

安藤幸代『ニューヨーク料理修行!』

3月2日(土)晴れ

 昨日、安藤幸代『ニューヨーク料理修行!』(幻冬舎文庫)を読んだ。サラダボウルに譬えられるアメリカの中で、多文化・多民族の性格が際立っているニューヨークの「ビーガン・べジタリアン」専門の料理学校に通い、卒業するまでの日々が記されている。(ビーガンveganは完全菜食主義、べジタテリアンvegetarianは菜食主義ということらしい。)

 アナウンサーとして宮里藍選手のアメリカ女子ゴルフツアーを密着取材を行い、日米を往復する生活を5年間送った安藤さんは、一念発起、「三十路ニューヨーク留学」を決行することになる。

 ニューヨークに到着、語学学校に入学、講師にバイリンガルになるのは無理だが、バイカルチュアルbiculturalにはなれると言われる(24ページ)。このことの意味を考えるうちに、語学学校から料理学校に進路変更を思いつく。そして見つけたのが上記の学校である。それもパブリッククラスではなく、シェフズ・トレーニングのコースを選ぶ。一般のレストランへの就職を目指す人、ビーガン&ベジタリアン・レストランに就職しようという人、プライベートシェフを目指す人など、経歴も方向も多様な人々が集まってくる。他の料理学校と違って圧倒的に女性が多い環境も気に入る。

 英語での意思疎通に苦労しながら授業に出席する。その一方でアパート探しに奔走する。英語だけでなく、メートル法ではなくヤード・ポンド法が使われることに戸惑ったりする。学校の外で経験するニューヨークの生活が部分的ながら具体的に描かれる。料理学校の課程を終えてインターンとして働いたフレンチベーカリーの従業員はフランス人とメキシコ人ばかり。「このベーカリーを見てもわかるように、“アメリカの飲食業界〟を支えているのは、外国人。特に、メキシコ人がとにかく多いのです。ニューヨークで有名な日本蕎麦屋さんでは、蕎麦打ち職人だってメキシコ人。しかもそれが、とっても美味しくて評判なのです。・・・メキシコ人は『とても真面目で器用』とレストラン業界で働く日本人の方がおっしゃっていましたが、私のインターン先に勤めるメキシカンも、まさにその通り」(230-213ページ)。

 料理学校の様子も、そこで学んでいった料理のレシピを添えて詳しく記されている。「それにしても、アメリカ人はつくづく“褒め上手な人達〟だと痛感します。/グループで一緒に課題の料理を仕上げると、だれかが必ず「We did great job!(私たち頑張ったわね!)」と、皆をねぎらうのです。材料の準備が速かった、掃除が早く終わった・・・・・・それがどんな小さなことであっても、です。」(129ページ)

 そして経験から引き出されたいくつかの教訓、例えば:「人生、頑張ることは大事。でも、時には、甘えることも大事。それこそが大事なコミュニケーションなのだと、ようやく気付くことができました。それからというもの、クラスメイトと学校帰りにお茶をしたり、一杯飲みに行ったりして、日米ガールズトークをするようになりました。そしてそれが、何よりの私の元気の源。/しかし世界のどの場所に行ってもガールズトークは万国共通。特に恋愛話はね。そして、その内容までもが本当に同じだってこと、よーく分かりました(笑)。」(117~118ページ)[「世界のどの場所」というのは結論が早すぎるかもしれない。]

 アナウンサーらしく、口語の魅力が生かされた語り口で、明るく、軽く、ニューヨークでの経験を再現している。ニューヨークの魅力を知りたくなる、この都市についてもっと別の本を読みたくなる書物である。
 
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Author:tangmianlaoren
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