2013年の2013を目指して(2)

2月28日(木)晴れ、温暖

 2013年に出逢ったり、経験したりした様々な事柄を2013件集めてみようと思っていることは、1月の終わりにも書いた。2月も終わるので、その中間のまとめをしてみた。

 日記を28日分書いた。当ブログも28回書いている(ただし、日記と部分的に重なる、あるいは「日記」というサブジャンルに入っているのが2回分ある)。郵便が5通届いた(ダイレクト・メールの類は含めていない:昔の職場から、昔の同僚から、友人から、アメリカの団体から、それに画廊から展覧会の案内がそれぞれ1通ずつということである)。

 新たに東京都大田区に出かけた。JR東日本の大森駅を利用した。

 12冊の本を買い、10冊の本を読んだ。読んだ本は:中西進『日本神話の世界』、柳田国男『毎日の言葉』、酒井順子『地下旅』、原武史『沿線風景』、柳田国男『一目小僧その他』、長谷川修一『聖書考古学』、石井寛治『日本の産業革命』、藤田正勝『哲学のヒント』、泉谷閑示『反教育論』、アレクサンダー・キャンピオン『りんご酒と嘆きの休暇』である。最後の1冊だけが翻訳書で、フィクションである。

 見た映画は3本で、『駆ける少年』、『悪魔の美しさ』、『ムーンライズ・キングダム』。キネカ大森に出かけたのは生まれて初めて、シネマ・ジャックに出かけたのは今年になって初めてである。

 NHKラジオまいにちフランス語とイタリア語をそれぞれ20回ずつ聴いている。それぞれ面白いと思っているが、実力の向上にはつながっていない。

 ボールペンを6本、万年筆のカートリッジを4本、ノートを5冊使い切っている。

 たぬきそばと鍋焼きうどんをそれぞれ2杯ずつ食べている。アルコールを1滴も口にしなかったのが16日ある。

 まだ他に記録していたり、これから出てくるかもしれない数字があり、それらも含めて適宜選んだものの合計が2013になることを目指すつもりである。さて、どうなるか。
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泉谷閑示『反教育論――猿の思考から超猿の思考へ」

2月27日(水)雨後曇り

 泉谷閑示『反教育論――猿の思考から超猿の思考へ』(講談社現代新書、2013)を読み終える。著者は精神科医として開業する傍ら、音楽家としても活動中で、複数の領域にわたるその経験から挑発的な学習論を展開している。

 この書物の帯には「『好き嫌いは言わない』『秘密は持たない』『基礎は大切』『わがままはだめ』・・・・こんな『常識』にとらわれていませんか?」とある。確かにこの書物の中で、教育をめぐるこれらの「常識」は論駁されている。しかし、この書物が『反教育論』と題されているのは、外からの教育ではなくて、内からの学習こそが真に創造的な人間をつくるのだという主張のためである。

 著者は人間がコンピューター的に情報処理を行う「頭」と、野生原理で動いている「心=身体」という2つの部分からなると考え、近代における理性万能の傾向が、両者の関係を崩したことに現代の社会の問題の原因があると考えている。この考えについてはもう少し考えてみたいので賛否は保留しておくが、以下、読んでいてなるほどと思った個所を紹介しておく。

 子供に「教える」内容や方法について思案をめぐらすことよりも、まず私たちは「子供は大人たちの言うことに従うのではなく、大人たちの在りようをモデリング(模倣)する」という大前提を再認識しなければならない。(97ページ)

 思考停止に陥った「服従」的精神の人間が「教育」というものを考えた時には…良かれと思って「道徳」教育を熱心に推進したりして、その結果、逆に陰惨な「いじめ」問題を作り出してしまうという過ちを犯してしまう。しかも困ったことに、当事者はそのことに全く自覚を持っていないので、あべこべに「もっと道徳教育を強化すべきである」ということを言いだしかねないのである。(113ページ)

 「いじめ」というものも、ムラ的共同体において異分子を排除したり同化させたりする集団維持行動がその由来であり、いくら倫理的に「いじめ」を問題視して議論しても、このムラ的メンタリティを温存したままでは、根絶できようはずはない。(116ページ)

 人間は「経験」によって真に学び成長するものであり、最大の「経験」はむしろ「失敗」や「無駄」、あるいは「愚かさ」によってもたらされることの方が多いのではないか。(172ページ) [もっとも、自信をつけることが重要な場合もあるのではないかとも思う。]

 「嘘」も「秘密」も持つことができない人間は、公明正大ではあるかもしれないが、影も奥行きもない、薄っぺらで色気のない存在である。人間が人間らしく在るというのは、闇を内包して生きるということではないのか。(183ページ)

 そもそも「悪」というものは、いわば夜のようなものである。昼しか存在しない世界を想像してみれば、それは砂漠のようなところであり、とても生命など存在しえない死の世界である。(184ページ)

 著者はニーチェからの引用を多く行っているだけでなく、その思考と語り口もニーチェを思い出させるところがある。改めてニーチェとその影響下に展開された教育運動について考え直す必要を感じさせられたことをつけ加えておく。

藤田正勝『哲学のヒント』

2月26日(火)晴れ

 藤田正勝『哲学のヒント』(岩波新書)を読み終える。

 あまり語りたくない過去であるが、哲学を教えたことがある。大学の教養部で哲学の単位を落としたし、抽象的・理論的な思考は苦手なので、採用試験の面接で哲学を教えることなど無理であると言ったところ、人間としての生き方を教えればよいのだと言われた。返す言葉がないほど、学問としての哲学以上に人生に未熟だったのは返す返すも残念である。

 よりよく生きることは哲学の目的の一つである。しかし、よりよく生きることを手とり足とりというやり方で教えることはできない。おそらくヒントを与え続けることが、最善の道であろう。

 この書物は哲学とは何か―という問いをめぐり、その主要なテーマそれぞれが抱える問題を概観することで答えようとしており、「よく生きる」、「『有る私』と『無い私』」、「虚無へのまなざし」、「『もの』とこと」というふうに、青年が抱きそうな様々な疑問について、先人の思考の跡を紹介しながら、丹念な考察を試みている。だからと言ってこの書物を受け売りして哲学を教えるのは、著者の意にそわないことであろう。ここで述べられているのはあくまでヒントにすぎない。読者が暴走しても、それは読者の責任である。著者と読者の間にはかなりの距離を感じるべきであろう。

 著者は「あとがき」で田辺元の『哲学入門―哲学の根本問題』の中の「哲学は自分が汗水垂らして血涙を流して常に自分を捨てては新しくなり、新しくするというところに成立つのです」(193ページ)という言葉に感銘を受けたと述べている。この書物は、著者自身が田辺のこの言葉を内面化した試みと言えるだろう。だから、それだけの努力をしない人間がこの書物を受け売りするのは危険だと思うのである。

 ただ、もう一つ気になっているのは、この書物の中で追求されているのが、日本語に特有の哲学を構築しようということである。哲学が人類に普遍的な問いへの取り組みなのか、言語によって異なる問いや答えの形があるのかは難しい問題であるが、著者は西田哲学や日本文学の古典に依拠しながら、独自の哲学世界の探求を試みている。

 日本語とか、日本文化と言っても、この書物がさかのぼっているのは院政時代ぐらいまでであって、国学者や丸山真男のように日本思想の基層に迫ろうというのでもない様子である。思想史に興味をもつ人間として、哲学と思想史、さらには歴史的な思考の境界がどこにあるのかについても触れてほしかった。知的な伝統について触れるのであれば、これは避けて通ることのできない問題であるはずである。

 そういうこともあって、私は哲学は普遍的な知を目指す学問であると思っているので、この書物の試みには違和感を感じながら読んでいた。デカルトやカントには宇宙論があるが、この書物には宇宙論がないというのも不満である。「哲学は吾人の有限をもって宇宙の無限を抱懐せんとの企図なり」という岩元禎の定義はいまだに意味をもっているのではないかと書いておこう。

遠くの眺め

2月25日(月)晴れ

 遠くの眺め

坂道を
上がったり下ったりしながら
変わっていく景色を楽しんで
小学校に通い
中学校に通い

電車に乗って
トンネルをくぐったり
鉄橋を渡ったりしながら
遠くに何か見えるかと、
目を凝らしながら
高校に通った

通勤電車はもっと
長い道のり
遠くに見えていた海が
ますます遠のいたかと思ったら
見えなくなり、
冬だけ見える
遠くの白い山も
年月とともに
遠ざかっていった。

幼稚園にも入っていなかった
子ども時代の想い出のように
遠くの眺めはかすんでいった。

石井寛治『日本の産業革命 日清・日露戦争から考える』

2月24日(日)晴れ

 石井寛治『日本の産業革命
 日清・日露戦争から考える』(講談社学術文庫)を読み終える。1997年に朝日新聞社から単行本として出版されたものの文庫化である。

 明治時代の日本がどのようにして欧米の機械制大工業を移植して、市場経済化を図り、自らの産業革命を行ったのか、そこにはどのような問題が生じていたのかを検討する書物である。さらに「産業革命を、単なる個別産業部門の近代化や生活様式の変容の問題として捉えるのではなく、日本国家と日本社会全体の変容と関連させ、近隣アジア諸国とのかかわりにおいて把握するためには、戦争と侵略の問題を抜きにすることはできないはずである」(20ページ)として、戦争につながる政治の動向についての政治史的な研究の成果を取り上げようとしている。個々の企業、産業の発展や政策の推移についてたどり、要するに、日本の産業革命を全体的に把握しようとする試みがなされていると理解しておきたい。

 19世紀末から20世紀初めにかけてのアジアでは、日本だけが産業革命を達成した国であったが、国民生活の全面にわたって近代化が成し遂げられたわけではなかった。この点をめぐり、著者は国民の生活の具体相や意識について、回想記や文学作品も引用しながら、興味深い分析を展開している。近代日本は軍事大国化には成功したが、「国民経済の全体的規模や生活水準は先進諸国に大きく劣っており、産業革命を行ったとはいえ経済大国にはなれなかった」(314ページ)というのが著者の考えである。経済学、経済史的な領域は苦手なので、書いてあることをごもっともと承って済ませるしかなさそうであるが、現在の日本は押しも押されぬ経済大国なので、明治から戦前に至る日本経済の特色が現在の日本経済にどの程度残っているのか、あるいはまったく克服されているかについて論及する補足があってもよいような気がする。

 本筋と離れて、大いに関心をもったことがある。それは1901年から1907年にかけて旧薩摩藩主の島津公爵の子息の教育のために来日していたミス・ハワードの回顧録についてである。彼女は公爵家の生活が英国の貴族の生活に比べると質素であることから「人格は日常生活における質素と克己によってのみ陶冶される」(242ページ)とする島津家の伝統に感心している反面で、子息らが「単なる自己中心的な人生観」(同)しかもっていないことに驚き、彼らの教育に悩みながらも、「克己心」と「同情心」を植え付けていったという(243ページ)。noblesse oblige(位高ければ徳高かるべし)という理念は日本の華族制度の中では自発的には形成されなかったようである。このあたりのことをハワードがどのように感じ取っていたのか知りたいところである。

 英国におけるガヴァネスと呼ばれる女性の家庭教師については英文学者である川本静子の包括的な研究があり(中公新書、1994⇒みすず書房、2007)、そこではタイの王室に招かれて王子(後のラーマ5世 チュラロンコン王)の教育にあたったアンナ・リーノウェンズについても触れられている(2007年版において書きくわえられた部分である)。ハワードとリーノウェンズとでは活動の時代が違うが、外国で活動したガヴァネスということで両者には共通するものが見いだせるかもしれない。

 その他にもいくつか知的刺激を受け取った個所があり、それらのことについては、また触れる機会があるだろうと思う。 

長谷川修一『聖書考古学』

2月23日(土)晴れ

 昨日(2月22日)、長谷川修一『聖書考古学』(中公新書)を買って読んだ。

 中学・高校時代をキリスト教の学校で過ごし、時々、聖書に書かれていることが考古学的にどのように裏付けられるかというスライドを見たり、話を聞いたりした。そこで展開されていたのはいわば護教的な立場からの聖書考古学であったが、オリエントの考古学に興味をもっていたことも手伝って、信仰とは別の興味をもったものである。そういう、聖書の内容を考古学的に実証しようとする本はかなり多く出回っているが、この書物は宗教的には「中立的な立場から」(まえがき)、つまり考古学研究に照らして聖書の内容を批判的に見ようとする立場から書かれたものである。そのような実証的な研究と、信仰は別の次元の問題であると著者は説いている。客観的な態度を取ろうとしているだけ、訴える力が抑えられている印象がないでもないが、これまでの学説の展開を踏まえながらも新しい研究成果を取り入れている分、読み応えがある。

 この書物では旧約聖書の「律法」(モーセ五書)の一部と、「前の預言者」(「ヨシュア記」、「士師記」、「サムエル記」、「列王記」)を中心として、そこに書かれていることを考古学的な研究成果から検証している。族長時代、土地取得時代、イスラエル王国時代、エルサレム帰還以後の時代に分けて記述がなされているが、イスラエル王国時代が一番面白い。聖書の記述が歴史的な詳しさを増し、考古学的な研究による検証がそれだけ重要性を増す時代だからであろう。ダビデやソロモンなどの統一王国時代の国王の実在はまだ確認されていない(「イスラエルに黄金期はあったか」、147~150ページ;「ダビデは実在したか」、150~155ページ)というのは初めて聞く話ではないが、「ダビデとゴリアトとの対決」(140~146ページ)をめぐり一騎打ちは西アジアにおいては行われず、ギリシア世界には古くからあったものだという指摘は興味深い。ホメーロスにおける西アジア的なものについて指摘する研究を読んだことがあり、お互いさまの部分もあるような気がする。著者はダビデ実在説に傾いているようであるが、まだまだ慎重な書きかたをしている。

 王国が南北に分かれてからの時代については、考古学的な資料によって確認できる内容が多くなっているが、「列王記」における国王の政治の評価とは一致しないものもあるようである。このあたり、「列王記」本文と読み比べてみると面白そうである。特にヨシヤ王の死をめぐる著者の意見(180~183ページ)は独自のもので、他の論者の意見も調べ直してみたいと思った。

 さらに新しく、「ヘロデによる神殿建築とその崩壊」(200~204ページ)、「死海文書とクムラン教団」(204~209ページ)も読みごたえがある。キリスト教的な理解ではヘロデは悪い王様であるが、ユダヤ教の立場から見れば、ローマに対してユダヤ人の政治的な独立を確保し、30年以上の平和を実現したすぐれた政治家であったという評価もできる。またクムラン教団を「エッセネ派」と結び付ける考えに対して、著者が懐疑的な立場をとっていることも注目される。

 この書物では「サムエル記」「列王記」を取り上げて、「歴代誌」を取り上げていないが、その理由を説明してもよかったのではないか。さらに言えば、日本の古代における歴史編纂事業への言及などは最低限に切り詰めて、著者の留学体験についてもっと多くのことを語ったほうが内容が豊かになったのではないかという気がする。

映画日記風に

2月22日(金)晴れ

 2月19日にドナルド・リチイ(Donald Richie)さんが亡くなられた。少し遅れたが、謹んでご冥福をお祈りしたい。リチイさんの著書『映画芸術の革命』は、映画史に残る名作を紹介しながら映画の歴史をたどった書物で、本屋でよく立ち読みしながら映画の勉強をしたものである。さらに映画サークルでリチイさんの集めた古い映画コレクションの中からの無声映画の上映を見たし、リチイさんの実験映画『アタミ・ブルース』なども見るきかいがあった。コレクターとして、作家として、批評家として、私に映画について多くのことを教えてくれた方であった。

 一昨日(2月20日)の『毎日新聞』で第63回ベルリン国際映画祭(2月7日~17日)の様子を勝田友巳さんが報じていた。ルーマニアのカリン・ピーター・ネッツァー監督の『チャイルズ・ポーズ』が最優秀作品にあたる金熊賞、イランのジャファル・パナヒ監督の『閉じられたカーテン』が脚本賞、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのダニス・タノヴィッチ監督の『鉄くず拾いの物語』が審査員大賞(と男優賞)など、東欧、イランの作品が高い評価を得ている。これらの作品に日本ではいつお目にかかれるだろうか。「社会性と芸術性。ベルリンで重視されたのは、今の日本映画界で厄介者扱いされる側面だった」と記事が結ばれているので余計に気になる。

 本日(2月22日)のNHKラジオまいにちフランス語応用編は、昨日に続きジャン=フランソワ・ロジェのインタビュー。シネマテークで日本映画を上映する際に、どのような観点から選んでいるのかという梅本さんの質問に対し、「必ずしもすべての作品に価値があるとは言わずに、あらゆる次元で日本映画を発見してもらうという、ちょっと綱渡り芸人みたいな作業」をしていると答えていた。映画の好みは観客1人1人によって違うから、出来るだけ多くの多様な作品を上映してくれる方が有難い、観客としてはその中で気に入った作品に出会うように努力をすべきなのである。

 以上、3つの記事を書くつもりでいたら、光本幸子さんの訃報を聞いて驚いているところである。新派を中心に舞台で活躍された女優さんであるが、『男はつらいよ』をはじめ、1960年代の終わりから70年代にかけて少なからぬ映画に出演されていた。同世代性というか、仲間意識というか、そういう気持ちをもってきた方なので、亡くなられたのは本当にさびしい。ご冥福を切にお祈りする次第である。

成瀬巳喜男について

2月21日(木)晴れ

 NHKラジオまいにちフランス語の応用編は昨年10月から梅本洋一さんを講師とする「映画の話をしよう!」を放送している。私にとっては難しすぎる感じのフランス語よりも映画の勉強になる番組である。

 本日はシネマテーク・フランセーズのプログラム・ディレクターであり、『ル・モンド』紙の映画欄で映画評を書いているジャン=フランソワ・ロジェさんへのフランスにおける日本映画の受容をめぐるインタビューの5回目で、成瀬巳喜男(1905-1969)について取り上げていた。これまでは溝口、黒澤、小津について取り上げてきたのである。ロジェさんはこれらの映画作家の中では溝口を最も高く評価している。

 彼は成瀬を溝口に次いで高く評価しているようで、その作品の非純粋さimpurite(eにはアクサン・テギュがつく)が大好きだという。映画は映像という要素だけでは成立しないもので、音楽も演劇的な要素も伴う(その他の要素もある)。その意味で純粋なものではない――それは人生が純粋なものではないのと同じだという。

 ロジェさんの意見を肯定するも、否定するも、成瀬の映画は『浮雲』しか見ていないのだから、何も言いようがない。フランス語題名をNuages flottantsというこの作品、番組のパートナーであるエレオノール・マムディアンさんは日本で成瀬の映画についての学位論文を執筆中とのことであるが、『浮雲』を初めて見た時にあまり好きになれなかったが、何回か回を重ねてみるうちに好きになってきて、今では大好きな作品の1つであるという。私の場合はどうなるだろうか。

柳田国男『一目小僧その他』

2月20日(水)晴れ

 柳田国男『一目小僧その他』(角川文庫)を読み終える。セレンデピティ(Serendipity)という言葉がある。何か探し物をしていて、それとは別の価値あるものを見つける能力・才能を言うのだが、柳田の著作を読むときに、この能力・才能が特に必要とされるような気がする。

 柳田が1917(大正6)年から1932(昭和7)年にかけて行った一連の講演のうち、伝説を取り上げて、そこから古代から続く日本人の心に迫ろうとしたものを集めてまとめたのがこの書物である。非体系的な論述の仕方がされているが、柳田の豊かな文学的想像力と広い読書の跡が窺われる。

 さて神奈川県の名の起こりとなったのは、現在のJR東神奈川、京急仲木戸駅の近くを流れていた神奈川(金川とも書く)という川である。川の名前が宿場町の名前となり、県の名前にまでなった。この川には片目の泥鰌(あるいはほかの魚だったかもしれない)が棲んでいたという伝説を聞いたという記憶がある。そこでこのことについて柳田が触れているかどうかを知りたいと思ったのである。
 
 それで私が予想したように、「そんな[一目の]魚の住むという池川は全国や二か所や三か所ではない」(37ページ)として様々な事例が挙げられているが、神奈川についてはついに取り上げられず、その代わりに「武州橘樹郡芝生村の洪福寺に[鎌倉権五郎]景政の守り本尊、聖徳太子の御作という薬師坐像を、目洗い薬師と名づけて崇敬した」(91ページ)という記述に出会った。洪福寺は私の住まいから遠くないところにあるので、一度出かけてみようと思う。

 さらに京都・岡崎の俊寛が住んでいた法勝寺の跡にある満願寺(166ページ)というのは私の学生時代の友人・知人が多く下宿していた寺で、その時代のことを思い出して複雑な気分になった。

 これらのこととは別に特に印象に残ったのは、柳田が説話の比較研究において「要点の比較だけによって、無造作に説話の一致を説く」(245ページ)の弊害を戒めていることである。柳田は方法論的なことについては断片的にしか触れていないが、そこからくみ取ることのできることは少なくないはずである。

 神奈川は現在では暗渠となってしまい、そういう川があったということさえ知る人は少なくなってしまっている。柳田が過去の痕跡を探った時代と現代とではわれわれの周囲の景観は大きく違ってしまっているし、その頃から同じ場所に住み続けている人もまたきわめてすくなっているけれども、だからなおさら、その中で生き続けている記憶に耳を傾ける必要もあると思うのである。

 肝心の神奈川をめぐる伝説については、解説で小松和彦さんが紹介している「片目の神」を「たたら師」と結び付けて解釈する谷川健一さんの説(355ページ)の方が参考になりそうである。さらに調べてみたい。

アガサ・クリスティー『七つのダイヤル』(2)

2月19日(火)雪が降る。

 前回(2月15日)、ロンドンのセヴン・ダイヤルズをロータリーと書いたが、これは間違いで道路の交差点(junction)であり、柱が立っていて、その周囲に6個(7個ではない)の日時計(sundials)が置かれているという。セヴン・ダイヤルズは交差点一帯の俗称でもある。

 ジェリー・ウェイドの死を確認した一同は彼の義妹であるロレイン・ウェイドにそのことを知らせようとする。ロニ―・デヴァルウとジミー・セシガーがその役割を引き受ける。

 少し時間がたって、チムニーズ荘は元の持ち主であるケイタラム侯爵の手に戻されている。無気力でわがままなケイタラムには美しく元気のいい、行動的な、他人のことにすぐ関心を持ちたがる令嬢アイリーンがいる。自分ではバンドル(Bundle)というあだ名で呼ばれることを好んでいる。2人はともに『チムニーズ荘の秘密』に登場したが、『七つのダイヤル」では、この対照的な性格の父と娘の掛け合いがこの小説を面白くしている。だいたいはバンドルにやりこめられている侯爵は、ジェリーが死んだのはバンドルのベッドの上だという事実をばらして、敵を討ったつもりになる。夜、バンドルは机に向かっていて、ジェリーが途中まで書いた手紙を発見する。手紙にはセヴン・ダイヤルズという場所が記されていた。

 バンドルは手紙をロレインに送り、愛車ヒスパーノでロンドンに向かう。『チムニーズ荘』に描かれたのと同様に、バンドルは技術と度胸があって優れた、要するにスピードを出さないと気が済まないドライバーである。ところが、前方に男が現れてふらふらと道を横切ろうとする。ハンドルを切って避けられたと思ったのだが、男は路上に倒れている。自分が轢いたのかと思ったバンドルは駆けよるが、彼は「セヴン・ダイヤルズ…ジミー・セシガー」とだけ言って死ぬ。バンドルは彼の死体を医者のところに運ぶ。医者の言うところでは、彼は轢かれたのではなく、銃で撃たれたのである。そして彼の名前はロバート・デヴァルウであった。

 バンドルは「セヴン・ダイヤルズ」が何度も出てくることに不審を抱き、父親に尋ねる。
「お父さま、セヴン・ダイヤルズって、どこにあるの?」
「イースト・エンドのどこかだろう? そこ行きのバスをよく見かけたよ――いや、あれはセヴン・シスターズだったかな?」(71ページ、中村能三訳では、「セブン」と表記されているが、個人的な趣味で「セヴン」に書き改めている。)
 セヴン・ダイヤルズ同様、セヴン・シスターズも実在の地名。ロンドンの北の方にある。面白いのは、侯爵が「イースト・エンド」と言っているところ。現在ではセヴン・ダイヤルズはウエスト・エンドに属すると思われているようである。

 鈴木博之『ロンドン――地主と都市デザイン』(ちくま新書、1996)は、ロンドンのウエスト・エンドとイースト・エンドを分けているのはリージェント・ストリートであるという。「リージェント・ストリートを境にして、ウエスト・エンドの高級住宅地の名残りとイースト・エンドの下町の風情とが、両側に広がっているのだ。ここにリージェント・ストリートの都市的使命があった。/リージェント・ストリートは、ロンドンのまさしく分水嶺、西と東を分ける装置として引かれた道なのだ」(78ページ)。ところが、現在では一般にリージェント・ストリートよりも東の地域、ブルームズベリーやコヴェント・ガーデン、ホルボーン、レスター・スクエアなどウエスト・エンドと考えられている。そうでなければウエスト・エンドの劇場などという言い方はできないだろう。そうはいっても、アガサ・クリスティーの頭の中では、コヴェント・ガーデンはイースト・エンドであったようである。これは都市としてのロンドンの開発が次第に東の方に広がっていって、ウエスト・エンドとイースト・エンドの境界も東の方に移ったためであると考えてよいだろうが、そのような変化の認識は個人によって違うことも確かである。そして、ロンドンを舞台にするクリスティーの作品の事件は、ほとんどウエスト・エンド(あるいはもっと西の方)で起きていることに注目すべきである。クリスティーがセヴン・ダイヤルズをイースト・エンドだと思っていたというのは、その意味では面白い。とにかくコヴェント・ガーデンの雰囲気はTVの『イースト・エンダーズ』の雰囲気とはだいぶ違うことは確かである。

 侯爵はバンドルに(これも『チムニーズ荘』に登場した)「コッダーズ」(タラ)とあだ名される外務次官のジョージ・ロマックスがアベイで開くパーティーをめぐりセヴン・ダイヤルズから警告の手紙を受け取ったという話をする。バンドルは事件の真相を突き止めようと、再びロンドンに向かう。

 物語を詳しく紹介しすぎると、実際に読む楽しみを奪うことになってしまう危険性も大きくなるので、次回くらいで打ち切ることにしたいが、バンドルの積極的な行動が事件をますます奇怪なものにしていく。その一方で、彼女と対照的な性格の持ち主、侯爵とクート夫人の言動が物語の進行の中で独特の持ち味を発揮することになる。だいたいは的外れの意見や感想を述べている人でも、時々、鋭い観察をすることがあるので、読者としては油断できない。これは現実の世界でも、同じことである。(続く) 
 

原武史『沿線風景』

2月18日(月)曇り、これから雨になると予報されている。今日は二十四節季の雨水である。

 毎日新聞の地方欄に紅葉坂の県立音楽堂が還暦を迎えるという記事が出ていた。まだできて間もない頃であった、私が小学生の時に、音楽会で大勢の中の1人としてピアノを弾いたことがある。その過去は現在の自分とほとんど関係がない。人間の自己決定は早い場合と遅い場合があり、遅い場合は子ども時代の経験がその後の人生に持つ意味はきわめて多様なものとなる。中には無駄なものも出てくることは否定できない。そのことを考えても年長者が年少者に対して一律の自己決定を強いるような教育制度は適切なものではあるまい。

 原武史さんは日本近・現代の政治思想史学者として活躍する一方で、鉄道ファンとしても知られ、多くの鉄道エッセーを書いている。この書物を読んでいると分かるが、慶応義塾普通部(中学)、高校、早稲田大学、日本経済新聞社、東京大学大学院(中退)とかなり出入りのある経歴の持ち主であり、その経歴を通してであろうか、「Fくんは私と同様、普通部出身ながら、慶應特有の一貫教育に対して冷めた眼をもっている。教師よりも生徒のほうが、よほど学校教育の問題点を見抜いているのがわかる。私も一教員として自戒しなければと思う」(241ページ)という教育観を述べている。多感な時代の原さんにも、一貫教育の予定されたレールへの不満があったのであろう。政治思想史研究、鉄道、麺類に対する嗜好を中心とする駅(近)グルメというこの引き出しの多いエッセー集を読んでいると、原さんの歩みには曲折と苦労が多かったが、その過程の中で豊かな知的財産を蓄積してきたことが推察される。

 まえがきにも書かれているように、この書物の大半は編集者とともに行った東京近郊の鉄道旅行についてのものであるが、関東以外に足を延ばしたり、大学のゼミ合宿で近畿地方の天皇陵を回ったり、ポーランドのワルシャワ大学で集中講義を行った際のポーランドの鉄道についての記述も含まれていて、なかなか多彩である。本来「書評」の性格をもった連載を書物にしたものであったようであるが、書評を離れて愉しんで読むこともできるし、様々な発見にであう。もちろん、言及されている書物に興味をもつことができる。麺類と書いたが、そば、うどん、ラーメンとわけへだなく食べているようで、その雑食性には共鳴できるが、その一方で「関西ではそばを食べないのが私の主義である」(199ページ)というこだわりには疑問がある。関西にも優れたそば店があるので、これはもったいないと私は思う。)

 特に注目される個所を以下に列挙する:
第3話 「昭和天皇とラーメンの記憶」で取り上げられている神武寺。寺の名前に興味があったのだが、京急逗子線の同名の駅よりも、JR横須賀線の東逗子駅の方からの方が近いこと、この寺の境内が変形菌(粘菌)の宝庫であり、昭和天皇が3度も訪問されたことなどを初めて知った。

第12話「秩父で輿論と世論を考えた」は佐藤卓巳『輿論と世論』(新潮選書、2008)の書評として書かれたものであり、秩父旅行もその意図で行われたのだろうが、「埼玉県の県庁所在地から遠く、群馬県や山梨県に近い秩父地方は、麺文化から見てもマージナルなところだ。一方では群馬県の『おっきりこみ』が、他方では山梨県の『ほうとう』が、それぞれ古くからこの地方に進出している」(151ページ)などという本題とは関係がなさそうだが面白い観察が展開されている。秩父神社の祭神や秩父宮についての記述も興味深い。

第20話「軽井沢に残ったのはおぎのやの『駅そば』だった」は新幹線開通以前に3年間ほど信越本線を利用することが多い時期のあった私には懐かしい内容である。原さんは1971年に父親と行った旅行について書いていて、私は1978年から1981年の間に信越線に乗ることが多かったので、少し時代は違うのだが、既に成人していたこともあり、横川の駅で釜めしとそばの両方を手に入れて食べていたりしたことを思い出す。現天皇と辻井喬(堤清二)と不破哲三が三題噺的に登場するのがこの著者らしい語り口である。さらに浅間山荘を見た遠山啓が「千早城みたいだ」とその日記に記した(246ページ)という記述など、引用は縦横無尽である。

 おまけを書いておけば、原さんが「あとがき」で触れている滋賀県彦根市は私が生まれた町である。

 というわけで、いろいろな知的な示唆(その大部分についてここでは触れていない)をこの書物から受け取ることができるが、一番考えさせられたのは、学校教育がどのように人間の自己決定とかかわるかということである。自己決定が早い方がある領域の専門家としての能力は増すかもしれないが、遅い方が人間としての引き出しが多くなり奥行きは深まるのではないか(決定の遅れが怠惰によるというのではお話にならないが・・・)。原さんは後者の一つの例ではないか(もちろん専門についても立派な研究者であることは間違いない)と思うのである。
 

酒井順子『地下旅!』

2月17日(日)晴れ

 このところ、読みたいと思う本がなく、以前読んだ本を読み返すだけだったのが、2月16日に酒井順子『地下旅!』(ちかたび)(文春文庫)、本日、原武史『沿線風景』(講談社文庫)を読んだ。ともに鉄道関係のエッセーをまとめたものであり、両者ともに車内での読書が好きだと言い、沿線の食べ物にも無関心ではない。さらに原さんの著書の中には酒井さんの『女流阿房列車』についての言及がある(269ページ)。

 本日は酒井さんの本について。東京都内を走る地下鉄(東京メトロ、都営)に乗って駅の近くに広がる目立った場所を探訪しながら、その周囲の人間模様を描く内容が主となり、それに札幌、仙台、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、福岡(酒井さんは博多と書いている。それもいいねえ)と香港での地下鉄についてのエッセーが付け加えられている。路線も駅も気分に任せて取り上げられており、こちらも自分の経験に即して自由に読書を楽しめばよいのである。その重なるような、重ならないような感じがよい。

 特に印象に残るのは、Up to dateとは言えないが、有楽町線の護国寺駅で降りて鳩山会館を訪問するくだり、スタンプを押してみると「友愛」の二文字。原さんの著書の第22話に千葉県館山市にある元鳩山一郎の別邸で現在は旅館になっている鳩山荘松庵には「なぜか鳩山由紀夫ではなく鳩山邦夫の揮毫『友愛』が飾られている」(267ページ)という記述と読みあわせると余計に面白い。酒井さんは、「・・・鳩山一族をメインキャラクターとしたテーマパークと言うこともできる。・・・子供がミッキーのぬいぐるみを買う感覚で、私も鳩山会館絵葉書を購入いたしました」(71ページ)と冷やかし半分の様子である。

 その一方で都営浅草線の西馬込駅近辺ゆかりの文学者たちについての記述など、下調べが行き届いていることを感じさせる。宇野千代、尾崎士郎、稲垣足穂、川端康成、三島由紀夫。三島の自宅が今も「三島由紀夫」の表札を掲げているのを見た後に、「三島邸から去る道も、坂また坂が続きます。作家たちは、多くの坂が織りなす陰影があるからこそ、この地に住んだのかもしれません。常人よりも強い光と陰を自分の中に同居させているのが、作家という人々。馬込にあるたくさんの坂道は、そんな作家たちの心象をあらわしているような気が、するのです」(120ページ)という結びが生きている。

 実は私も地下鉄はわりに好きで(そうでなければこの本を読む訳がない!)、ここに出てくる中では仙台と香港以外は、部分的にではあるが全部乗っている。さらに言えば、ロンドンとソウルで地下鉄に乗っている(おそらく酒井さんも乗っているが、省いたのであろうと思う。「ダブリン大学の有名な図書館」(31ページ)などとさりげなく書いているのだから(どうせなら、「ダブリン大学」ではなく、「トリニティ・カレッジ」と書いてほしかった)。ニューヨークやパリを含め、おっとモスクワも忘れずに海外編も書いてほしいと要望しておく。

行け、想いよ、黄金の翼に乗って

2月16日(土)晴れ

 昨日(2月15日)のNHKラジオ『まいにちイタリア語』の「イタリア音楽への招待」は「作曲家ヴェルディが残した最高の“Opera"=人生の恩返し」として、彼がミラノに建てたCasa di Riposo per Musicisti (音楽家の憩いの家)について取り上げた。世界で最初で、唯一の音楽家たちのための老後の施設であるという。

 1月11日の「イタリアの作曲家ガルッピ」で述べたように、2009年に放送された番組の再再放送なので、特に言及はされていないが、今年2013年はヴェルディと彼の好敵手であったワーグナーが生まれてから200年にあたる。この2人は歌劇の改革者であったとともに、彼らの作品が一方はイタリア、他方はドイツの国家統一事業の中で国民の中に浸透していったという性格をもつことでも共通する。

 さて、番組の中で取り上げられていたことであるが、妻子を失って失意に沈み、創作意欲をなくしていたヴェルディを再起させた作品が彼の出世作となった『ナブッコ』(1842初演)である。その中で歌われるのが「行け、想いよ、黄金の翼に乗って」(Va, pensiero, sull'ali dorare)という歌。ミラノ・スカラ座の支配人であったメリッリからオペラの台本を渡された時は気乗りがしなかったヴェルディが、偶然この1行にであってやる気を出したという。それどころかオペラが上演されると、観客はこの歌に熱狂した。作者ばかりか観客もこの言葉に力づけられたのである。

 『ナブッコ』は旧約聖書に出てくる捕囚時代のユダヤ人たちを支配したバビュロンの王ナブコドノゾール(ネブカドネツァル)を題材にした作品。当時のミラノは外国の支配下にあったので、観客たちはユダヤ人たちの身の上を自らに重ね合わせて作品を受容したのだと言われる。

 音楽の歴史に名を残す数多くの作曲家が1809年から1813年の間に生まれているのは注目すべきことである。すなわち、メンデルスゾーン(1809-47)、シューマン(1810-56)、ショパン(1810-49)、リスト(1811-86)、ワグナー(1813-83)、そしてヴェルディ(1813-1901)、この中でヴェルディは特に長生きであり、『りゴレット』(1851)、『イル・トロヴァトーレ』(1852)、『椿姫』(1853)、『アイーダ』(1871)など彼の代表作が作られたのは、同年輩の作曲家たちの代表作に比べてかなり後のことであった。ワグナーもその主要な作品が書かれたのは1850年代に入ってからであるからこの点でも共通する。しかし、ヴェルディはこの好敵手よりもさらに20年近く活動を続けたのである。

 番組の最後に流れたのはヴェルディが文豪マンゾーニ(1785-1873)の葬儀のために作曲したレクイエムで、モーツァルト、フォーレの曲と並んで3大レクイエムと呼ばれているという。作曲者、葬送される人物ともに、イタリアの国家統一というよりも、国民の精神の形成に貢献した人物であるだけに、曲の魅力とともにこの曲にこめられている両者の結びつきの重みを感じさせられる。

アガサ・クリスティー『七つのダイヤル』

2月15日(金)曇り後雨

 岩波ホール総支配人の高野悦子さんが9日に亡くなられたとの報道に接した。地方に住んでいる時代から、機会を見つけて岩波ホールに通ってきたことを思い出す。高野さんが多くのすぐれた海外作品を日本に紹介された功績をたたえ、追悼の意をこめて合掌。しかし岩波ホールの入場料はもう少し安くならないかなぁ。

 クリスティー『七つのダイヤル』(Seven Dials Mystery,1929)について、何回かに分けて書いてみたい。

 サー・アーサー・コナン・ドイルの子息であるエイドリアン・コナン・ドイルとジョン・ディクスン・カーが2人で書いた『シャーロック・ホームズの功績』(The Exploits of Sherlock Holmes,1952)は、著者が著者だけにホームズのかなり本格的なパスティーシュである。この短編集の最初の作品が「七つの時計の事件」(The Adventure of the Seven Clocks)であることから、クリスティーの『七つのダイヤル』を思い出した。クリスティーの9篇目の長編ミステリーであり(もっとも冒険小説の要素が強いと言われる)、5作目である『チムニーズ荘の秘密』の続編となっている。

 創元推理文庫版で中村能三は『七つのダイヤル』と訳しているが、ハヤカワ書房版の深町真理子は『七つの時計』としている。dialは「時計」ではなくて、「文字盤」を指すが、文字盤という言葉は日常会話の中では使わない。また原題にこだわって「ダイヤル」と訳してしまうと文字盤よりも(今ではほとんど廃れてしまっているとはいうものの)電話のダイヤルの方が連想しやすい。『七つの時計』の方がなじみやすい邦題である。また、このように翻訳した理由は読み進むうちに分かる。

 読み進むうちに分かる―と書いたついでに、これも読み進めばわかることだとはいうものの、ロンドンにはセヴン・ダイヤルズSeven Dialsという地名があることをあらかじめ断っておく。セヴン・ダイヤルズは地名であり(「以前はトテナム・コート・ロードあたりのスラム街だったが、今ではすっかりこわされて、きれいになっているよ」、中村訳、121ページに出てくるビル・エヴァズレイの言葉、ビルは『チムニーズ荘』の主要登場人物の1人である)、その地名から名前をとったクラブの名前であり(「ただ、セブン・ダイヤルズ・クラブだけが、昔の雰囲気を保っているんだ」。同上)、そのクラブを本部にする秘密結社の名前なのである。

 セヴン・ダイヤルズは1度か2度は通ったことがあるはずだが、その時はクリスティーのこの小説を読んでいなかったために、特に気づかずにいたのは返す返すも残念である。地下鉄の駅ではピカデリー線のコヴェント・ガーデンが一番近い。ニール・ストリートを進み、ショーツ・ガーデンズに出逢ったら左折してすぐ、ショーツ・ガーデンズに加えてアールシャム・ストリート、モンマス・ストリート、マーサー・ストリートの3本の道路が交差するロータリーに行き着く。ロータリーを軸として7つの腕が手を伸ばすような形である。クリスティーに限らず、ミステリーに出てくる地名は実在するものと架空のものの両方が使われており、それがどちらかを確かめるのも読む際の愉しみである。

 『チムニーズ荘の秘密』事件から4年がたち、チムニーズ荘の持ち主であるケータラム侯爵(『チムニーズ荘』に登場)は屋敷を実業家のサー・オズワルド・クートに貸している。屋敷には外務省の若い役人ジェリー・ウェイド、ロニ―・デヴァルウ、ビルの3人、金持ちののら息子のジミー・セシガーと、ヘレン、ナンシー、それにソックスと呼ばれている娘の3人の若い女性が滞在している。サー・オズワルドの有能な秘書であるベイトマンはなぜかポンゴ(オランウータン)とあだ名されているが、ジミーと同窓である。

 若者たちは寝坊で、サー・オズワルドの早起きで勤勉な生活に慣れてきたクート夫人を悩ませる。特にひどいのがジェリーで、残るみんなは彼を早起きさせるためのいたずらを思いつき、8個の目覚まし時計を購入して、それを彼の寝室に仕掛け、驚かせようとする。ところが翌朝、昼過ぎになってもウェイドは起きてこない。もちろん目覚ましは鳴っていた。ウェイドは睡眠薬を飲んで死んでいたのである。そして寝室のマントルピースの上には7個の目覚まし時計が置かれていた。なぜ7個の目覚まし時計なのか。(続く)

 

ムーンライズ・キングダム

2月14日(木)曇り後晴れ

 昨日見た映画『ムーンライズ・キングダム』について。

 1965年の9月、アメリカの東北部ニューイングランド地方のとある島でボーイ・スカウトのキャンプから1人の少年が姿を消す。その少年、サムは孤児で里親に育てられていたが、養父母になじめず、キャンプの仲間とも打ち解けないまま脱退届を出したのである。彼は以前に知り合って文通を続けていた島に住む本好きの少女スージーと合流し、ボーイ・スカウトで覚えた知識や技能を生かしながら、先住民の記憶が残る島の奥深くへの探索を始める。風変りなスージーは両親から問題児扱いをされてきたのである。

 ボーイ・スカウトの隊長のウォードは少年たちに追跡を命じ、島の警察のシャープ警部以下のスタッフ、スージーの両親も捜索を始める。2人は島の海岸部の誰もたどり着かないはずの場所にキャンプを張り、そこ「ムーンライズ・キングダム」と命名して2人で仲良く過ごすが、追跡隊に見つかってしまう。スージーは家に戻され、サムは児童施設に送られることになり、彼を担当する児童福祉局の女性職員がも島に向かおうとする。福祉局の職員の官僚的な対応に接するうちにシャープとウォードは何とかしなければならないと思いはじめる。彼らは2人の逃避行で見せたサムの頭の良さに次第に敬意を払うようになっているのである。

 スカウトの他の隊員たちもそれまで理解していなかったサムに同情すべき点があると思うようになって、2人を島から逃がそうとする。おりしも猛烈な暴風雨が島を襲い、物語は急展開を見せ、少年たちも大人たちもそれまでとは見違えるような活躍を見せるようになる。

 型にはまったことばかりしているよりも、非常事態に接して日常性の枠組みを越えて行動する時、思いがけない能力が引き出されるというのはこれまで繰り返されてきた主題には違いない。ただそれが子どもと大人の関係に即して描かれているのが注目される。普通と変わっている子どもへの評価を改めたことがきっかけとなって、シャープ警部もウォード隊長も終盤はスーパーマン的な行動をするのである。40年ほど昔の英国映画『小さな恋のメロディー』と同じく少年少女の恋の展開を描いているが、こちらは大人と子どもの対立ではなくて、子どもの引き起こした事件をめぐり周囲の子どもたちと大人たちがともに変わっていく姿を描いているのが特徴的である。『メロディー』がイージー・リスニングの音楽を背景にしていたのに対し、こちらはブリテンの『青少年のための管弦楽入門』が使われているのが両者の性格の対比を際立たせている。大人たちも変わっていくと書いたが、その一方でいっこうに態度を変えない福祉局の職員が悪役として描かれているのはアメリカらしいと言えばアメリカらしい。なるほど小さな政府が叫ばれているわけである。

 不倫をしたり、未成年にビールを飲ませたりするシャープ警部を演じているブルース・ウィリスが好演というよりも役にはまっている。1965年の9月のアメリカにはこういうシーンもあったのかと、この頃の自分がどうしていたかを振り返った。その頃自分が気付かなかった、知りえなかった世界は多かったし、今でもそれはそんなに変わらない、だからこそ映画を見ることに意味があるのである。

悪魔の美しさ

2月13日(水)晴れ

 キネカ大森で『悪魔の美しさ』、その後横浜ブルク13(シアター4)で『ムーンライズ・キングダム」を見る。まず、『悪魔の美しさ』について書くことにする。

 無声映画時代からフランスを代表する映画監督であったルネ・クレール(1898-1981)は第二次世界大戦中英国、その後アメリカで活動していたが、戦後フランスに戻って無声映画時代の映画製作の現場を描いた喜劇『沈黙は金』を作り、続いてこの『悪魔の美しさ』をフランス・イタリア合作で演出した。主としてイタリアで撮影されたそうである。

 ヨーロッパのさる公国。大学教授(学部長)であるファウストは長年研究一筋に禁欲的な生活を続け、同僚から尊敬を集めているが、研究がもう一歩のところで完成しないこと、自分の体力が衰えていることに悩みを感じている。人々を幸福にするために自分の研究を完成させたい、そのためには…と悩む彼に悪魔メフィストフェレスの声が忍び寄る。

 ルネ・クレールは劇作家であるアルマン・サルクルウの協力を得て素材であるファウスト伝説から自由に想像の翼を羽ばたかせる。メフィストフェレスの力で若返ってアンリ青年となったファウストは美しいジプシー娘マルゲリットと恋に落ちるが、ファウスト殺人の容疑で逮捕され、裁判にかけられる。危ういところを今度はファウストの姿になったメフィストフェレスによって救われる。しかし、自由の身にはなったものの生活は苦しく、その一方で一目見た公妃に恋してしまう。その夫である公爵は(字幕では王子になっていたが、この場合のプランスは公爵である)国家の財政を豊かにするためにファウスト(実はメフィストである)に錬金術を依頼する。メフィストはアンリ青年を抱き込んで錬金術に成功し、アンリ青年の公妃への愛を利用して彼の魂を売る契約書の署名を得ることに成功する。

 科学の力が人々を幸福にすると信じてファウスト→アンリは研究を進めたのだが、錬金術による繁栄は砂上の楼閣を築くものであるかもしれず、彼の発明する大量破壊兵器は平和を実現するどころか街並みを廃墟にしてしまうことが予言される。アンリ青年は悪魔のたくらみから逃れようとし、公妃ではなくて、自分が本当に愛しているのはマルゲリットであることに気付く。マルゲリットも彼の愛を信じるのだが、悪魔は着々と罠を張りめぐらす。

 きわめて丁寧な作り方をされている映画であり、明暗の対照や特殊撮影により効果を上げている。出演者の演技が演劇的で、古典的な風格を感じる半面、新鮮味に乏しいのは製作の背景を考慮すれば当然かもしれない。アンリが発明する兵器のデザインが現代の最新兵器よりもジュール・ヴェルヌの世界に近いのはご愛嬌であろうが、科学技術の発展に対するクレールの懐疑は戦前の『自由を我らに』よりも強くなっているように思われる。戦後のクレールの作品にはノスタルジックな傾向が強くなっているとは、しばしば指摘される点であるが、第二次世界大戦を経ての彼の文明観の変化がそうさせているのであろう。その一方で郷愁の対象となる時代も場所も特定されない胡散臭さにも気づかされる。

 ファウスト伝説を素材とする作品は多いが、マーローの『フォースタス博士』は悲劇であり、ゲーテの『ファウスト』はあの世で決着がつくのに対し、この作品ではこの世で決着がつく。多少の文句を言うことはできるとはいえ、クレールが人間性に対して寄せた信頼感を物語の展開から読みとるべきであろう。ミシェル・シモンのどこか間が抜けた悪魔ぶりがおかしい。 

秋梨惟喬『天空の少年探偵団』

2月12日(火)曇り

 このところなかなか新しく本を読み終えることがないので、読書ノートを繰り直して、昨年読んだ本について書いてみることにした。秋梨惟喬『天空の少年探偵団』(創元推理文庫、2012)は同じ著者の短編集『憧れの少年探偵団』に続くシリーズ第2作、長編としては第1作である。

 東京都の西部にある桃霞(とうか)市で活動している桃霞少年探偵団はメンバー5人、補欠が1人から構成され、その全員が同じ小学校の6年生である。夏休みの終わり近く、市の一部である山奥に建築家の西大寺さんが建てたお屋敷である天空館に招かれた。少年探偵団の活動に興味を抱く西大寺夫妻の仲間の老人たちも駆けつけ、みんなで騒がしくも楽しい夕食の時間を過ごす。翌朝、車いすに乗っていた老人仲間の1人下津井さんが亡くなっていた! 事故でも自殺でもない、紛れもない殺人と考えられるが、100キロを超える巨体を移動させられそうな人はいない。しかも屋敷は厳重にロックされていて、外部からの侵入者の犯行とは考えられない。少年探偵団のエースである月岡君は<殺人事件NG>で頭脳がフリーズした状態になっている。残りのメンバーはヘリコプターで駈けつけた喜多川刑事とともに事件を推理するが・・・

 乱歩の少年探偵団を中心としたおたく趣味の雑知識の開陳でページ数を稼ぎながら、死んだふり(眠ったふりの方が適当か)をしながら推理を巡らせている名探偵の動きをそれとなく示唆して物語は進む。外れているように見える推理が実は正しい――かもしれない。月岡君以外のメンバーの推理は的外れに見えて、どこかで真相に迫っている。トリックがどのように解明されるかもさることながら、篇中に大人と子どもの関係をめぐる鋭い洞察がちりばめられている点が見逃せない。

「“子供の世界〟なんて大人の勝手な思い込みよ」
 姫こと頚城さんが突っ込む。キャラ的には未菜美に似ている。
「そんなものはどこにもないのよ。大人も子供も同じ世界を生きてるんだもの。大人の世界にいないものは子どもの世界にもいない」
「夢がないねえ」
「何でも“夢〟だと言って逃げるのはろくなやつじゃないわ、UFOでも超能力でも」
 テレビ超能力なんか単なる手品だとか、UFOなんかたいてい星だって言うと、夢がないなあ、っていうやつはクラスにもいる。そんなの夢でも何でもないと思うけど。単なる思考停止だって司馬君は言うし、僕もそう思う。(79ページ)

 「そのへんは子供の方がまともだし、ちゃんと地に足をつけてるわよ。子供がふわふわしてると思っているのは大人だけ。大人はそう思いたいのよ」(80ページ)

 話を全然聞かずに暴走する大人が多い気がする。(104ページ)

 確かに、友達って作ろうと思ってできるもんじゃないと思うな。たまにこの子と友達になりたいと思って努力することもあるけど、そういう友達って疲れる気がする。(138ページ)

 本筋とは別のところでも楽しめる本であり、求めていないのに教訓が得られる書物であるというのは、意地悪な評価であろうか。

ピーナツ

2月11日(月)晴れ

 ピーナツ

サザエさんが
TVの前に座って
南京豆をつまみながら
番組を見ている

サザエさんにとっては
TVの友だが、
私にとっては、
ビールの友で、南京豆というより
ピーナツという方が、好ましい。

デフレが続いて、
入るはずのものが、
なかなか入るようにならなくなって
ビールを飲む機会が減り、
ピーナツとも縁がなくなっているが、
思いは断ち切れていない。

皮つきのまま ほろ苦さとともにかじり、
皮をむいて 素直に口に入れる
変化を楽しみながら
ビールを飲む
ちょっと心弾む時間に
また出会いたいものだ。

会話の難しさ

2月10日(日)晴れ

 2月7日にクリスティーの『シタフォードの謎(秘密)』について取り上げた際に、デヴォンのエクセターに行ったことがあると書いた。クリスティーの『死者のあやまち』もこのあたりが舞台で、篇中に出てくる大聖堂に出かけたことを思い出す。

 さて、この町の本屋で街の地図を買った時のこと、中国系らしい店員に「ハリー・ポッターの新しい本を読んだか?」と聞かれたので、「まだ、読んでいない」と答えてそのまま店を出たのだが、これはまずかったと思っている。英国の別の地方都市で暮らしていた頃、よく中国人と間違えられた。中国系の人からも中国人と間違えられたことさえがある。それで彼女が私を中国人と間違えた可能性もあるが、いずれにしても、ハリー・ポッターは主眼ではなくて、何でもいいからしばらく世間話をしたかったのであろう。それを読みとれなかったのは、こちらの会話力も大したことがなかった。会話というのは、(好意があれば)誤解や行き違いからでも発展する可能性をもっているからである。

 昨年見た映画『最強のふたり』のなかで金もちの白人の介護をやめた黒人青年が仕事を探すうちに、面接で美術の話になり、相手が画家のゴヤについて持ち出すと、歌手のシャンタル・ゴヤのことだと間違えてとうとうと話し出すという場面があった。場面はそこで終っていたが、そこから会話が発展した可能性が示唆されているように見受けられた。私が担当者ならばシャンタル・ゴヤが出演したゴダールの『男性・女性』に話を展開するところである。

 外国語教育で文法よりも会話を重視すべきであるという主張がなされて久しいが、会話は形式と内容がそろって実質化しうるものである。そして、形式は学校教育を通じて身につけることができるが、内容は個々人が自分たちの職業や趣味に合わせて開発していくべきものであろう。それに生活習慣の問題もある。自分たちの間で丁々発止の会話を楽しんでいない人が果たして外国語による形式的な会話教育を受けただけで堂々と自己の主張を展開する国際人になりうるのだろうか。会話重視を説く前に、自分たちの母語による会話経験を豊かにする必要がある。

あの頃

2月9日(土)晴れ後曇り

 あの頃

スマートフォンはもちろんのこと
携帯電話も夢物語だった。
電話をひくことも考えずに
下宿で暮らしていた。

電話を借りて、
彼女を呼び出し、
彼女からかかってくる
電話を待ち受けた。

言葉は聞こえるが、
心は見えない。
彼女の気持ちを確かめようと、
一生懸命だったが、
不安も大きかった。

彼女が今、
どこで何をしているかは知らない。
知りたくもない。
そういう自分を
あの頃は想像できなかった。

今の恋人たちは
たやすく連絡し合うことができるが
声を聞くことはできても、
心が見えないのは同じ・・・
確かめたい心を
探し求めるのも同じ・・・
彼らを待ち受ける
未来が想像できないのも同じ・・・

恋愛は試行錯誤だ。
不安の中で、それでも
彼らは愛を信じているのだろう。
信じたいから信じているだけかもしれないが
誰もそれを嗤うことはできない。
誰もそれを咎めることはできない。
 

柳田国男『毎日の言葉』

2月8日(金)曇り後晴れ

 柳田国男『毎日の言葉』(角川文庫)を読み終える。1年365日にゆかりのある名言をまとめた書物かと思ったのだが、そうではなく、我々が日常に使う言葉について、民俗学というよりも方言学(というほどの体系性がないと言えばそれまでであるが)的な知見を踏まえて書いた書物である。朝、起きてから、夜、寝るまでに経験する生活上の様々な謎に答える学問を民俗学というか、人類学というか、まあそれはどうでもよい。それを知的な探求の対象とするところが重要である。さらに注目すべきは日常の言葉を見直し、それを大事にする、日常の生活の中で適切に使っていくことが新しい社会の建設のために重要であると柳田が考えていることである。そのような努力を特に女性相手に呼び掛けているところも注目される。

 書中では「ありがとう」、「すみません」、「もしもし」というような言葉にどのような意味と背景があるかが独特の考察を踏まえて、独特の文章で綴られている。のんびり読んでいると、「ありがとう」というべきところを「今に東京でも『どうも』だけで片付けるようにならぬとも限りません」(14ページ)という予見に出会ったりする。この予見が戦後すぐに時期になされたものであることを考えると柳田の洞察の鋭さに驚く。

 その一方で「ボク」という言葉をめぐり「人が自分のことをボクという日本の言葉は、今にきっと使う人がなくなるであろう。私はそれを予言することができる。・・・その代わりにどんな言葉が生まれてくるだろうか」(148ページ)と自信満々に述べていたのは正しい見通しであったのだろうか。まあ、確かに私は文章でも会話でもボクとは言わないが、これは柳田に引きずられた部分があることも否定しない。

 柳田の知的な業績をどのように評価し、継承するかをめぐり注目してよいのは、この書物に2つの解説が掲載されていることであろう。1964年の時点で鎌田久子はこの書物の啓発的な性格を強調しながら新しい日本の社会の建設のために「思うことが言える、意志を強く述べることができる人になる」(167ページ)ことが大事だという柳田の意思を継承することの重要性を訴え、今回の新版に際して赤坂憲雄はこの書物の学問的な孤立性を指摘しながら、「柳田国男という知の孤立はしたたかに深いのである」(173ページ)と新たな謎を投げかけている。この2つの解説の落差からあらためて彼の志を孤立させてきた我々の知のありようを問い直してみるべきではなかろうか。

アガサ・クリスティー『シタフォードの謎』

2月7日(木)朝のうちはまだ曇っていたが、晴れ間が広がる。温暖。

 アガサ・クリスティーの『シタフォードの謎』(The Sittaford Mystery)は1931年に発表された、彼女の11冊目の長編小説で、短編集を含めると14冊目となる。それまで彼女が書いたのはポアロの活躍を描く作品が5篇(と短編集1冊)、トミー&タペンス1篇(と短編集1冊)、マープルが1篇、短編集『クイン氏の事件簿』、ノン・シリーズ3篇(うち2篇はバトル警視が登場する)であった。(この他にウェストマコット名義での長編小説が1篇ある)。この作品はノン・シリーズということになる。

 海軍大佐ジョン・トレヴェリアンは退役した時にイングランド南西部のダートムーアのシタフォードという小さな集落に土地を買い、自分の住まいを建てるとともに小さな別荘を立てた。そのうち1軒は昔からの親友であるジョン・バーナビイ少佐の住まいとし、他の別荘も順に売れて、おそらくは世の中を離れて暮らしたいと思っている人々が住みつくようになっていた。トレヴェリアン自身の山荘をウィレット夫人という一人娘のある未亡人が借りたいと言ってきたので、彼自身は近くのエグザンプトンという町に小さな家を借りて移り住み、山荘にはウィレット夫人が住むことになった。ウィレット夫人は客好きで、ある雪の夜、別荘に住む人々を招待し、そこで交霊術のゲームをしていたが、突然殺人発生という不気味な占いが現れた。被害者はトレヴェリアンで、凶行時刻は占いが出た時刻に符合するものであった。大雪のなか、彼の安否を気遣ったバーナビイがエグザンプトンに向かう。果たして、トレヴェリアンは何者かに殺害されていた。

 エクセター(デヴォンの州都)から派遣されたナラコット警部を初めとする警察の捜査により、トレヴェリアンのもとを彼の遺産の受取人の1人であるジェームズ・ピアソンが訪問していたことが分かり、彼には動機らしきものもあったので、容疑者として逮捕される。彼の婚約者であるエミリー・トレフュシスは無実を信じ、別の用件でエグザンプトンを訪れ、殺人事件に出遭った新聞記者のチャールズ・エンダービイとともに、真犯人を探そうとする。

 この作品で注目されるのは、前年に没した推理小説の大先輩であるサー・アーサー・コナン・ドイル(Sir Arthur Conan Doyle,1859-1930)についての言及があることである。エミリーに対しエンダービイが言う台詞「交霊術の会も変ですよ。僕は新聞にそのことを書いてやろうと思っているんです。…アーサー・コナン・ドイル…なんかから意見を集めましてね」(鮎川信夫訳、122-3ページ)。ドイルが心霊学の研究に没頭し、そのための著書も何冊か発表していることは周知の事実である。また内容をめぐっても舞台がデヴォンに設定されるなど、ドイルの『バスカヴィル家の犬』と共通する要素をいくつか含んでいる。両作品ともにダートムーア刑務所(実在の刑務所である)とそこからの囚人の脱走が物語の展開に絡む。『バスカヴィル』にはステープルトン、『シタフォード』にはライクロフトという博物学者が登場する。さらにウィレット夫人の一人娘の名はヴァイオレットで、シャーロック・ホームズのなかに4回登場する名前である(「ぶな屋敷」のヴァイオレット・ハンター、「孤独な自転車乗り」のヴァイオレット・スミス、「ブルース・パーティントンの設計図」のヴァイオレット・ランズベリー、「有名な依頼人」のヴァイオレット・ド・メルヴィル)。これは女性の名前のなかで一番多いはずである。なお、ヴァイオレットという名前の女性が登場するホームズ作品にはすべてThe Adventure of…という題名がついている。

 ナラコット警部という名前はドイルの晩年の冒険小説である『マラコット深海』を連想させると勘繰ってみたりもしたが、NarracottとMaracotでは綴りに相当の違いがある。ライクロフト(Rycroft)がシャーロック・ホームズの兄であるマイクロフト(Mycroft)からの連想だという方がありそうな推測である。

 別荘の住人のなかではライクロフトがエミリーに協力を申し出、ほとんど家の外に出ないカロリン・パースハースも彼女に同情を寄せる。この奇妙に鋭い老婦人はクリスティーの他の作品にも見られるタイプの人物である。エミリーはジェームズの婚約者であるが、捜査を進める過程でエンダービイも彼女に惹かれてゆく。彼女はどちらの男性を選ぶのかという興味も生まれる。ロマンスがらみの捜査ということになると、これはクリスティーの得意とするところである。さらに、トレヴェリアンのもう1人の甥であるブライアンもシタフォードにやってきていることがわかる。登場人物のアリバイが崩れたり、思いがけないところから相互の関係が明らかになったりする。

 デヴォンの州都エクセターには出かけたことがあり、作品の描写のなかに自分の見聞を通じて推測できる部分があって読んでいて面白い。デヴォンはイングランドのなかでは気候温暖な地方なので、大雪という設定は不思議だが、クリスティーはデヴォン出身なのでそれなりに経験を踏まえているところがあるのだろう。全体として登場人物が多すぎて、読者としては追い切れないところがあり、『バスカヴィル』に比べれば作品としての完成度は劣る。それでもこの作品をクリスティーのドイルへの弔辞として読むことは可能だし、実はこの作品の幕切れに、ドイルを継承しながらも独自の道を開拓しようとするクリスティーの隠された野心を読みとることもできる。(どういうことかは読んでのお楽しみということにしておこう。)

 この作品を私は鮎川信夫訳(創元推理文庫、1965初版、私の手元にあるのは1979年の30版)で読んだ。鮎川は「クリスチィ」と表記しているが、このブログでは「クリスティー」で統一することにする。他に田村隆一による『シタフォードの秘密』(早川書房)、能島武文による『ハーゼルムアの殺人』(角川書店)という翻訳もあるようである。原文は読んでいないが、鮎川訳には翻訳だけ読んでいて明らかにおかしいと思われる個所がある。鮎川訳の問題点については古賀正義『推理小説の誤訳』(日経ビジネス人文庫、2008)でいろいろ指摘されているが、問題点をめぐっては田村訳も容赦されていない。鮎川、田村ともに有名な詩人ではあるが、それとこれとは別だということのようである。翻訳以前に「プリマウス」とか、「パデングトン」とかいう地名の表記は頂けない。「プリマス」、「パディントン」とすべきである。そういうことを書きながら、依然としてホームズの翻訳についてはかなりルーズなままの記述になってしまったままであることをお詫びする。

 

駆ける少年

2月6日(金)雨、時々みぞれ
 横浜・若葉町のシネマジャックで『駆ける少年』を見る。

 イランのアミール・ナデル監督が1986年に製作した作品。1970年代初頭のペルシャ湾沿岸の港町を舞台に、父母を失い、廃船のなかで一人で生活しているアミールという11歳くらいの少年の姿を描く。名前が同じということからも推測されるように12歳までしか学校に通わなかったという監督自身の履歴が彼の生活に反映しているようである。

 少年は駆ける
 湾岸を進む
 タンカーに向かって叫ぶ
 時々、こだまが返ってくる。
 少年は小さく、
 タンカーは大きい。

 アミールは船から投げ捨てられる瓶を拾って生計を立てるが、他の少年たちから意地悪をされたりして、水売りに商売替えをする。水売りになっても仲間の少年に氷を奪われたりする。意地悪をされても、遊び仲間はやはり仲間である。

 少年は駆ける
 だれにも負けないつもりだし
 自転車で逃げる男に追い付き、
 列車や飛行機と競争する。
 少年の足は速いが、
 飛行機はもっと速い。

 アミールはひよこを飼い、電気が通じていない船の中で電球を飾りとして部屋につるしている。雑誌の飛行機の記事を集めているが、文字が読めない。彼は水売りから靴みがきに商売替えをして、読み書きをおぼえようと夜学に通う。

 最後のシーケンスでアミールは仲間の少年たちと競争してゴールに置かれた氷を手にするが、その氷を他の少年に渡す。それまで彼らは足を引っ張り合っていたのだが、ようやく連帯・協力の貴重さに気付いたのだろうかと思わせて映画は終わる。

 映画の中で少年たちが砂と石の斜面を登る場面が何度か映し出される。何度も滑り落ち、それでも登ろうとする。キューバ映画『低開発の記憶』の主人公が低開発は経験が蓄積されないことだというようなことを言っていたことを思い出す。しかし、どうもこの映画の最後では登場人物たちが経験から学んで前進しはじめているようである。連帯すること、経験から学ぶことも大事だが、教育も必要である。少年が繰り返し、夜学で習ったペルシア語に使われるアラビア文字のアルファベットを叫んでいるのはこのことを示していると思われる。

 単純な物語で、それほど高度な技術が使われているわけではないが、映像の美しさには目を見張る。ゴミだらけのはずの海がキラキラと輝いている。辛い生活の中で少年はしばしば笑顔を見せる。そして元気よく走っている。それらの映像が素晴らしい。

 映画から受ける感動にはいろいろな種類があるが、このくらい純粋な感動を与える作品は少ない。この映画は1986年の作品であるが、その後も続けてイランでは厳しい言論弾圧のなかでも、すぐれた映画が作られていることに、我々は賞賛と支援を送るべきなのである。


旅人たち

2月5日(火)曇り

 旅人たち

神話の時代から 変わっていないぞと言いたいのか
いかめしく装いをしようとしてか、
この町をとり囲む山々は
雪をかぶって こちらを見つめている。

昔に比べて
水量が減ってしまったに違いない 川が
すぐ横を走る舗装道路を
うらやましそうに見上げている。
人も物も、
この町を通り過ぎていくだけになってはいるが・・・

おおむかし外国からやって来た 旅人たちが
重いけれども足取りで、
安住の地を求めて
やって来た
それがこの土地の神話なのだ

旅人たちは 山々を故郷の山々と比べ
似ているとか、似ていないとか
もっと似ている山を探そうとか、
言葉を交わし、励まし合って

ぬかるみを踏み、草むらをかき分け
崖をよじ登り、石に躓いて
それでも歩んできた
彼らの姿も 言葉も
旅のなかで 変わってきたことに
彼らは半ば気づき、
半ば気づかなかったが、
彼らはここにたどりつき、
町をつくった。

時が経つうちに、
彼らの子孫のなかには、
旅に出かける者たちがあらわれ、
彼らにとってこの町が故郷になった。

中西進『日本神話の世界』

2月4日(月)晴れ後曇り/立春

 中西進『日本神話の世界』(ちくま学芸文庫、2013)を読み終える。「文庫版あとがき」で著者は次のように書いている。「年頭、今年の読書始めとして、神話はいかにもふさわしい。多くのみなさんがこの書物を読書第一号としてくださることを念願している」(203ページ)。残念ながら読書第一号とはならなかった、2月に入ってから最初に、それにまた立春の日に読み終えたということで、第一号とは別の記念すべき読書である―ということにしておこう。

 日本古代文化を文学作品の比較研究からつきとめようとしてきた著者がその研究の成果の一端を日本の神話に即して簡明に語っている書物であり、小著ながら多くの示唆を含んでいる。特に著者自身のさまざまな旅行の体験を踏まえて、自然にかかわっての人間の想像力の意義を強調している点が注目される。

 イザナギ・イザナミの二神による島生みの神話の中で淡路島が異常なほどに重視されている理由を地名にかかわる考証から、島が「太陽信仰をもち、冥界の出入り口と考えられるゆえに祖霊の鎮まる場所とも考えられた所」(24ページ)の一つであったと結論する。さらに「天の御柱」から巨樹、世界樹について考察を展開し、「神話は自然への幻視から始まる」(34ページ)とする議論も興味深い(別に賛成しているわけではない)。

 出雲にかかわる神話について述べた章の締めくくりとして、「『八雲立つ出雲』というように、出雲は雲の美しいところだ。変幻きわまりない出雲の空は、時として神秘的ですらある。それも神々の風土にふさわしいことである」(136ページ)と結んでいるのは著者の考えの特徴がよく出ている。

 著者は神話に見られる考え方が現代に生きる我々の考え方の基層となっているという考えを一方で展開し、その一方で古代人の考え方が我々とは全く違った性質をもっているとも述べている。これは健全な議論である。現代に生きる我々がそうであるように、古代人もみんながみんな同じことを考えていた訳ではなかろう。書物に書き残されなかった考えもあるだろうし、個性と普遍性とは古代にも存在したはずである。また単純に古代をよしとして、現代を堕落と考える下降的な歴史観に安易に与するわけにはいかない。この書物に書かれていることを結論として学ぶのではなく、考える手がかりとして、ここからさらに古代の文学について学んでいくべきであろう。そういう意味で示唆に富む書物である。

 

吉田神社の節分

2月3日(日)晴れ後曇り

 本日は節分で、各地で厄払いと福招きの行事が行われた。節分というと思いだすのは吉田神社の節分祭である。それがどういう祭礼であるかは、他のサイトで調べていただければ分かる。私が書きたいのは、自分が祭礼にどのようにかかわって(あるいはかかわらずに)過ごしていたということである。

 昨日も書いたが、11年にわたり京都大学で過ごした。京都大学のキャンパスは吉田神社に向かう東一条通りをはさんで広がっている。したがって京都大学と吉田神社は隣組と言ってよいのだが、京都大学の教職員と学生は必ずしも吉田神社に強い思い入れをもっているわけではない。祭だからと言って浮かれるわけでなく、それを横目で見ながら通勤・通学している人たちが大部分であろう。かく言う私も11年の間で、節分祭を経験したのは1度だけである(もちろん、節分以外の時に三高寮歌よろしく吉田山を逍遙したり、神社に参拝したことはある)。それも自発的な意思というよりも、同じ研究室の仲間に付き合ってのことであった。出かけようという仲間がいなければ一度も経験していなかったかもしれない。このことから推測するに、4年間の学生生活で一度も経験せずに卒業したという人も少なくないのではないか。

 もちろん、大学が世俗的な機関である以上、宗教的な行事(節分の場合は宗教というよりも民俗であろうが)に対しては無関心でいてもよいわけである。それに吉田神社以外にも、大学の近くには多くの宗教施設がある。吉田神社を特別扱いにする訳にはゆくまい。

 ただ、そうはいっても多くの露店が軒を並べる吉田神社の節分が心の浮き立つ行事であることは否定できない。それを横目で見ながら大学と下宿を往復していた時代の自分自身の心の貧しさを思うと忸怩たる気分になる。というのは、大学時代の終わりに高林陽一さんの『きょうと放浪記』という映画を見た中で、吉田神社の節分の場面があり、その中に多くの痩せこけて眼付の悪い学生たちの姿が映っているのを見て、もちろんその中に自分はいないのだけれども、何となく自分の姿を写しだされたような気分がして、いてもたってもいられなくなったことを記憶するからである。私が一度だけ仲間と一緒に行事を覗いたように、何かの理由で行事に参加する学生もいたのであろうが、信心はもとより、お祭りを楽しむ気分でもなく、祭の由来や意義について考えることもしなかった。大学は地域に対して超然としていたし、学生もその大学の態度を学びとっていたのである。それがよいことであったかについては再考の余地がある。最近では一方で大学の地域との連携が強調されるようになり、吉田神社の祭礼の露店のなかには国際化を反映して外国人の出店も見られるというが、学生たちはどんな気分でこの祭礼に接しているのであろうか。

小林標『ラテン語の世界』

2月2日(土)雨、午後になって晴れ間が広がる

 小林標『ラテン語の世界』を読みなおし終える。2006年に中公新書の1冊として発行された書物である。著者と私は同じ年の生まれ、おそらくは同じ時期に同じ大学で勉強している。さらにこの書物の277―278ページで紹介されている水野有庸(ありつね)のラテン語入門の授業に出たことがある。私にとってそれは、幸か不幸か、この伝説的な先生のラテン語教育への情熱の凄さに圧倒され、結局2回か3回出席しただけで受講を断念したという奇妙でもあり、もったいなくもある体験であったが、ラテン語への畏敬の念は失わずにその後の人生を過ごすことになった。そのことについては、また機会があれば書いてみたい。

 この書物はラテン語がどういう言語であるか、現代に生きる我々にとってどういう意味をもっているかを、該博な学識を背景としてさまざまな角度から概観した書物であり、特にラテン語が他の言語、特に英語を勉強するうえでどのように役立つかについて述べている点が、ラテン語を勉強しようとする人以外にも参考になるはずである。該博と書いたが、著者は別の著書の中でリチャード・レスター監督の映画『ローマで起った奇妙な出来事』がどのようにローマの喜劇とかかわっているかについて触れているのである(このあまり誰も見ていない喜劇映画を見ているというのも私と著者との共通項である)。ラテン語の単語を取り上げて、言語としてのラテン語の特徴と現代社会との関係について考察している「ラテン語の言葉あれこれ」、その中でも特に「戦争と平和bellum, pax」(206-8ページ)の項は興味深い。

 またこの書物の特徴の一つは数字が盛んに出てくることである。例えば、「前3世紀のローマ市民権保持者の数は35万人程度のとみなされる。一方最盛期アテナイの市民権保持者の数はせいぜい3万を超える程度であった」(100ページ)とか、「古典ギリシア語ラテン語の全作品を英語との対訳で出しているローブ版叢書での冊数をみると、キケロの作品は29冊ある。ラテン語作家でそれに次ぐのはセネカとプリニウスの10冊ずつにすぎない。ギリシア語作家の場合、プルタルコスの27冊が最高で、アリストテレスの23冊がそれに続く」(148-9ページ)。こういうふうに説明されると分かりやすい。

 さらに新しい動き、インターネットでのラテン語についても目配りがされていることも見逃せない。新書という制約の中で豊かな情報が盛り込まれ、読みごたえのあるものとなっている書物である。
 

日記

2月1日(金)晴れ
 1日が終わらないうちに日記を書いてしまうというのはよほど用事のない人のすることであろう――と言われそうだが、実際そうである。

 朝の血圧が129-81、このところ高めだったのでひとまず安心。1月のうちに作業を少しためてしまったので、ぼちぼち片付けていこうと思う。

 昨年の1月は10冊の本を読んだが、今年は6冊に終わった。近年にない少なさである。昨年の2月に読んだ本が8冊なので、今年は12月読んでやっと追い付くことになる。
 昨年末から今年の初めにかけて買ったけれども、読み終っていない本:
 『ジェイン・エア(下)』 学生時代に確か阿部知二の訳で読んだ(今読んでいるのは小尾芙佐の訳)ことがあり、映画化されたものを3本見ているので、物語の展開がわかってしまっている。分かっているからかえって、読み進む勇気が出ない。
 野矢茂樹『心と他者』、安丸良夫『現代日本思想論』、中村秀吉『パラドックス』 哲学・思想関係の本は一応興味があって読みはじめるのだが、読み進むペースはきわめてゆっくりしている。
 ニック・ダイべック『フリント船長がまだいい人だったころ』 『宝島』のフリント船長が実際に出てくるわけではないが、この物語のキーになっていることに違いはなさそうである。予想していたのと違って、比較的新しい時代の物語であったので、読むスピードが鈍っている。
 石井寛治『日本の産業革命』 これは時間はかかるかもしれないが、最後まで読めそうである。
 新しく読む本の計画は立てていない。1月にクリスティーのトミーとタペンスの長編ものを一通り読みなおし終えたので今度はノン・シリーズものを読み直していくつもりである。『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか』は読みなおしたから、それ以外の作品ということになる。ヒューリックの『判事ディー』シリーズを探して読んでいくことも心掛けていこうと思う(渋谷の丸善ジュンク堂が比較的そろっているが、まさかこれを読んで買占めに出かける人はいないだろうね)。

 昨年の1月は2本しか映画を見なかったのに対し、今年は8本見ている。昨年の2月には11本映画を見ているが、今年はどうなるだろうか。
 『テッド』を2月9日から109シネマズMM横浜で上映することになるらしい。興行成績がいいので上映館を拡大するようである。109シネマズの方が会員カードが利用できるので何かと便利であるが、まあ2度見るつもりはない。シネマジャック&ベティで『駈ける少年』を上映するので、見に行くつもりである。『明日の空の向こうに』は109シネマズで上映されるが時間が遅いのが問題。『映画と恋とウディ・アレン』、『恋のロンドン狂騒曲』は懐と時間しだい。「ももいろそらを」、『人生、ブラボー』は近くで上映される機会を待っているところ。

 1月28日の東京新聞は「フェアトレード 世界に愛をバレンタイン 貧困問題考えて」という見出しで、東京都目黒区のチョコレボ・インターナショナルの取り組みを報じている。1月23日に紹介した『バレンタイン一揆』のグループとは別の動きなのであろうか、この映画については触れられていなかった。

 フランス語とイタリア語は、NHKラジオの番組を聴き続けているし、これからも聴き続けるつもりである。ラテン語については小林標『ラテン語の世界』を読みなおしたり、インターネットを検索したりして興味をつないでいる。
プロフィール

Author:tangmianlaoren
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