暦の余白に

12月31日(月)
 暦の余白に

昔の貴族が
例年の行事の際に
いかに振る舞うかを
暦の余白に記したのが、
日記の起こりだというが、
人の振る舞いは、
時に応じて変わってもよいはずだ。

ただのメモではなくて、
自分を確かめ、
信頼し直すために、
新しい言葉と行いを
呼びかけるために、
暦の余白に
何か表現してもよい。

風景や
肖像や
ペットを描いた
カレンダーの
どこかに
詩を書きつけてもよいはずだ。

あなたは、どう思いますか?

 
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里中哲彦『英文法の魅力』

12月30日(日)

 里中哲彦『英文法の魅力』(中公新書)を読み終える。10月5日に買って読み終えるまで3カ月近くかかったのは、一問一答式というこの本のスタイルのためもあるが、途中で本がどこかに紛れ込んで見つからなかったためで、著者よりも読者である私の責任によるところが大きい。

 『英文法の魅力』という表題であるが、むしろ英語に接するうえでぶつかるいろいろな問題について具体的に説明する内容になっている。「あとがき」で著者が書いているように、文法についての質問が多かったのでこの題名になったというのは本当のことであろう。

 したがって体系的に文法を概観した本ではないから、どこから読んでもよいし、何度も読み返す方がよい本である。「ベースボールは『タッグ・アウト』▹▹▹野球は『タッチアウト』」とか、「パンの耳」とか雑学として楽しい内容も少なくない。繰り返し読んでいるうちに、身に着くことも多いはずである。「はじめに」で、著者は英語教育における過度の会話重視を批判しているように見えるが、実際のところ会話にも役立つ書物である(問題は使ってみる勇気があるかどうかということではなかろうか)。「紳士服コーナーを英語で」などは、実際に英語圏で買い物をする際に役立つはずである。

2012年に見た映画から

12月29日(土) 

 2012年に見た映画は日本映画が29本、外国映画が29本(短編1本を含む)、アッバス・キアロスタミ監督が日本で作った『ライク・サムワン・イン・ラブ』を加えて59本(短編1本が含まれる)であった。

 2012年に公開された作品のなかでトップ3を選ぶと日本映画では①『かぞくのくに』、②『しあわせのパン』、③『恋に至る病』ということで、3作とも女性の監督の作品ということになった。

 外国映画では①『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』、②『ぼくたちのムッシュ・ラザール』、③『危険なメソッド』ということになる。この他、『別離』も印象に残った。『ル・ア―ヴルの靴みがき』、『最強のふたり』、『少年と自転車』とみていくと、フランス映画も(『少年』はベルギー人監督の映画であるが)変わったなあという感じがする。クロード・シャブロルの『刑事ベラミー』がそのなかではむしろ古い作り方の映画になってしまった。

 古い(と言っても2011年度以前ということであるが)作品についてみると、日本映画では①『とんかつ一代』、②『グラマ島の誘惑』、③『イチかバチか』と川島雄三の作品が並ぶ。作品の完成度の点で2位においたが、『グラマ島』はキューブリックの『博士の奇妙な愛情』やカコヤニスの『魚が出てきた日』と合わせて論じるべき内容をもつ作品ではないか。篠田正浩の『異聞猿飛佐助』と中川信夫の『夏目漱石の三四郎』も掘り出し物であった。

 外国映画は①『オフサイド・ガールズ』、②『人生、ここにあり!』、③『真昼の決闘』という順で、作品の完成度よりも、印象の強い作品を上位に置いた。それでも『真昼の決闘』が3位に入っているのがこの作品の凄いところである。

 今年一番多く通った映画館は横浜のシネマ・ジャック&ベティで13回出かけて14本(短編1本を含む)の映画を見ている。シネマヴェーラ渋谷が5回-10本で続いている。神保町シアターの他、今年はラピュタ阿佐ヶ谷まで足を運んだ。来年はポレポレ東中野にも出かけてみようと思っている。企画ではジャック&ベティの『日活映画100年の青春【横浜編】』、神保町シアターの『追悼企画 女優・山田五十鈴アンコール』、シネマヴェーラの『川島雄三「イキ筋」十八選』、それにラピュタ阿佐ヶ谷の『夢工房 東京映画 七色の日々』が特によかった。

 劇映画はよく見たが、ドキュメンタリーは僅か、アニメーションはほとんど見ていないのが問題である。とはいうものの、自分の好みは大事にしていきたいし、このあたりのバランスをどのようにとっていくかが来年の課題になるだろう。

霧笛が俺を呼んでいる

12月28日(金)

 シネマ・ジャックで「日活映画100年の青春【横浜編】」から山崎徳次郎監督の1960年作品『霧笛が俺を呼んでいる』を見る。熊井啓による脚本はキャロル・リードの『第三の男』を下敷きにしているように思われる。船の故障で予定より長く横浜に寄港することになった船員が、親友の機関士が自殺したと知り、彼の恋人や妹に出逢ってその死因に疑問を抱くうちに、様々な奇怪な事件が起きる。分かってきたのは、彼がまだ生きていて、麻薬取引にかかわっているということである。
 『第三の男』で言えば、ジョセフ・コットンにあたる船員を赤木圭一郎、オーソン・ウェルズの機関士を葉山良二、アリダ・ヴァッリの役どころを芦川いづみ、この作品独自の役どころである機関士の妹を吉永小百合が演じている(クレジットに「新人」と記されていた)。
 主人公はあくまで友情を大事にしようとするのだが、麻薬の弊害を告発する資料を刑事から渡されて気持ちを変える。社会正義に目覚める主人公ではあるが、最後まで友情は残る。
 同じ年に作られただけでなく、横浜でロケを行い、麻薬取引が扱われているという点が共通する石井輝男の『黒線地帯』(新東宝)も今年見た映画であるが、石井のセミ・ドキュメンタリー風の構成やクローズ・アップを多用する画面、どぎつい風俗を追いかける描写に比べると、こちらは映像面についてみると伝統的な作り方をしている。『黒線地帯』が報道に従事する2人の男の友情と競争を描いているのに対し、こちらはもっと複雑な友情を取り上げていることも注目してよい。
 赤木圭一郎が歌っている主題歌の作詞が水木かおる、作曲が藤原秀行という西田佐知子さんの『アカシアの雨のやむ時』を初めとする多くのヒット曲を生みだしたコンビであるのが何となくうれしかった。音楽とラスト・シーンの違いがこの作品に独立した価値を生み出しているように思う。

思いで

 思いで

うまくいきそうもない
用事を抱えて
悩みながら
歩き
広い神社の境内に
迷い込んだことがあった

流れる小川沿いに
出口を見つけようと
道端の木々の
さらにその向こうばかりを
見ながら 歩いた

料理店の看板を見つけ
空腹に
気付いたが
自分には縁のない
高級な店であった

悩み、
迷い、
空腹を抱え、
しかし 憧れと
希望は人一倍もっていた
時代のことであった

月曜日のユカ

12月26日(水)

 横浜・若葉町のシネマ・ジャックで、「日活映画100年の青春」の『横浜編』として上映された中平康監督の1964年の作品『月曜日のユカ』を見た。中平が多彩な手法を用いながら、<小悪魔>として当時人気を集めていた加賀まりこの魅力を引き出そうとした作品。ヒロインの周囲の価値観から独立した一種奔放な生き方が、彼女を取り巻く男たちの人生を狂わせていくという物語。軽快な映像と、あまり愉快ではないストーリーがかみ合っていないが、そこにスタッフの計算を読みとるべきであろう。
 倉本聦とともにこの作品の脚本を担当しているのが、その後監督として成功する斎藤耕一であり、ヒロインであるユカの性格に、斎藤の監督第1作『囁きのジョー』の主人公を重ね合わせることができる。
 遊び心さえ見せるカメラワークや加賀まりこの表情など、フランスのヌーヴェル・ヴァーグの作品の影響が感じられるが、どうも表面的なものに思われる。映画のなかの喜劇的な部分を膨らませるような工夫ができたのではないかという気分もわだかまっていて、単純には認めることのできない作品である。

ベツレヘムの星(2)

12月25日(火)

ベツレヘムの星(2)

 昨日の記事はどうも尻切れトンボで終わってしまったような気がするので、少し補足のようなことを書いておく。

 その1は、ただ何かを見つけるだけでは発見にならない。そこに意味を見つけないといけないということである。他の人がただの恒星だと思っていた星が、新しい惑星であるというのがつまり意味である。

 その2は、発見というのはある条件が整わないとなかなかできないものであるということ。ハーシェルは本来音楽家で、アマチュアの天文学者であったが、巨大な望遠鏡を自作していた。このような望遠鏡は当時グリニッジ天文台にもなかったという。このため天王星がはっきり球体で見えたことが発見の手がかりになっている。このような技術的な条件の他に、社会的な条件も影響する場合がある。

 例えば、コロンブスがアメリカを「発見」したというが、それ以前にもヴァイキングやその他の航海者が漁師がアメリカ大陸、少なくともその近くまで出かけていたという例は多く記録されているし、それよりも何よりも、新しく「発見」された土地には先住民が住んでいた。それでもなおかつ、それが「発見」であるのはそれがヨーロッパに、また新大陸に変化をもたらした、「大航海時代」と植民地化を進めたという歴史的な事情のためである。

ベツレヘムの星

12月24日(月) 

ベツレヘムの星

 12月20日に食事中、左手のしびれがひどくなり、自由に動かなくなったので、翌日医者に出かけたところ、検査の結果脳梗塞の恐れはなくて末梢神経が圧迫されたことによるものだとの診断であった。

 私は右利きであるが、それでも左手の自由が利かないとパソコンの入力もなかなか思い通りにならないという状態であった。ということを断ったうえで、本日の主題について。

 「マタイによる福音書」に、イエスがベツレヘムで生まれた時に、占星術の学者たちがその誕生を知らせる星を見てユダヤ人たちの王が生まれたと知り、やってきたという話が出てくる。「ルカによる福音書」ではこれとは対照的に、イエスの誕生を祝福にやってくるのは羊飼いであり、共通するのはベツレヘムで生まれたという点だけである。占星術の学者たちの来訪のきっかけとなった星を単なる伝説として片付ける人もいるが、何らかの天体現象がこの記事に反映されているのではないかと考える学者も少なくない。

 一番有力なのは木星と土星の合がこのころ、頻繁に起きたことによるという説であるが、この他にも巨大彗星が現れたとする説、超新星が現れたという説などがある。可能性としては低いが、興味深い説としてこの時期天王星が肉眼でも見えたのではないかという説がある。天王星は1781年にウィリアム・ハーシェルによって「発見」されたのであるが、最大等級が+5.6等という明るさであるため、ハーシェル以前に、肉眼で見たという例を含めて20回以上、観測されていた。1690年に有名な天文学者であるフラムスティードが観測したのがその最初の例であるが、彼はこれが新しい惑星であるとは気付かず、恒星だと思っていたという。この頃の空気は今よりもきれいだったし、人々の視力はよかったし、メソポタミアの天文学の水準は高かったから、新しい惑星がこの時に発見されていた――と考えることはまったく無理ではないのである。「マタイによる福音書」を読みなおしてみると、この星がどのような星だったとは一言も書かれていない。なんとなく明るい星だというイメージをもってしまっているが、明るいという形容詞は使われていないということも考えるべきではあろう。

スカイツリー

12月19日(水)
 スカイツリー

東京に向かう電車の窓から
スカイツリーが見える
東京から去っていく電車の窓からも
スカイツリーが見える。

こちらの窓から
スカイツリーが見え、
あちらの窓からは
富士山が見える。

冷たい乾いた風のなかを
走る電車
着ぶくれした乗客が
押し合いへしあいしているが

もっと冷たい風のなか
すっくと立っている
遠くの姿が
押し合いへしあいしている日常から
我々を連れ出す

昔なじみの風景と
新しい風景が
大きな夢への
合図となっている。

ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪

12月18日(火)

 今野晴貴『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』を読む。

 「ブラック企業」とは、「違法な労働条件で若者を働かせる企業」(11ページ)である。若年労働問題は、特定の職種を嫌ったり、就職しても厳しい労働条件に耐えられずに定着しない若者の「自分勝手」な意識の問題としてとらえられる傾向があるが、それだけではなく「経営の合理性」を求めて若者を使いつぶす企業が増えてきたという企業の側の問題として考える必要があるという。若者に理不尽ともいえる教育を行ったり、サービス残業を強要したりして、うつ状態に追い込み、「効率的に」退職させることで効果を上げているという。このような企業は、消費者の安全を脅かすだけでなく、被雇用者である若者の精神を蝕み、その治療を社会に押し付けることによって国家の財政破たんの要因ともなりうるという。この書物は、具体的な実例を挙げながら、そのような企業の実態を描き出している。

 個人的には、政府の「ワークルール」が、子どもに「権利を教えることではなく、企業の『厳しさ』を教えること」(224ページ)に向かっているようであるという指摘を含む、「キャリア教育」への批判が寄せられていることに関心がある。最近は学校でも非正規雇用の先生が増えていると聞く。学校自体が自らを教材として雇用の問題を考えるべき時代になっているのかもしれない。

 今のところお世話にはなっていないが、老人介護関係の仕事にこの種の企業が進出してくると、私たちの老後はきわめて暗いものとなる恐れがある。その意味で若者だけでなく、老人にも読まれてよい書物である。

 

鈴木翔『教室内カースト』

12月17日(月)
 鈴木翔『教室内カースト』(光文社新書、2012)を読み終える。学校内における生徒間の序列を「教室内(スクール)」「カースト」と名付けることについて、言葉の厳密な意味を考えると、適切かどうかは議論の分かれるところであろうが、ここで記述されている内容の重大さには異論を挟む余地がない。

 学校でどのようなグループに所属するか、その中でどのような地位を占めるかが学校内の人間関係の重要な部分を占めている。一番問題になるのは、生徒の側では発言力が強く、自分の意見を通す生徒が「権力」をもっていると認識されているのに対し、教師の側ではそれを生徒の「能力」として認識しているということ。この認識のずれが、教室内の序列を温存することになっているという。

 最近の教育の傾向として、「生きる力」とか、「社会的なスキル」というようなことが強調されているが、実はそれを一面的に強調することが教室内での生徒の人間関係に否定的な影響を及ぼす可能性があるのではなかろうかなどと思いながら読んでいた。
 

橘木俊詔/斎藤隆志『スポーツの世界は学歴社会』

12月17日(月) 
 橘木俊詔/斎藤隆志『スポーツの世界は学歴社会』(PHP新書、2012)を読む。一応は面白いが、問題点が少なくない書物である。

 この書物が問題にしているのは、スポーツ、特にプロスポーツの選手に高学歴化傾向が目立つことであり、その現実を踏まえて、単にスポーツ選手の育成だけでなく、選手の生涯の生活設計を踏まえた指導が必要だということである。これは筋の通った議論であるが、教育社会学あるいは教育政策の領域で問題にされている「学歴社会」論とは別の問題ではないかと思う。ここでは「スポーツの世界の高学歴化」が主題であって、学歴社会論の文脈で大学スポーツを問題にしているわけではない。そこが誤解を招く恐れがあるということである。もっとも、この書物が一つのきっかけになって学歴社会論の見直しが始まる可能性もないとは言えないことも視野に入れておく必要はあるだろう。

径<こみち>

 径<こみち>

いくら広くても、
自動車が無遠慮に
スピードを競う道は
いやだ
歩いて渡るのが
命がけになるような
道だから

考える道筋を
道路にたとえれば、
高速道路や
幹線道路ではなくて、
径を選びたい。

子どもが三輪車を走らせ、
ネコが緩急自在に走り回るような
そんな小さな道を
歩くように物事を考えたい。

清岡智比古『エキゾチック・パリ案内』

12月14日(金) 清岡智比古『エキゾチック・パリ案内』(平凡社新書、2012)を読む。

 著者である清岡さんはラジオ・テレビのフランス語の時間の講師として知られている。レナ・ジュンタさんとのコンビで放送されていたラジオの「まいにちフランス語」の時間は、お二人のおしゃべりが楽しすぎて、肝心の勉強がおろそかになるほどであった(これは困るね)。

 そのフランス語の時間でも強調されていたのが、フランスの内外で多様な文化と歴史をもつ人々の間のコミュニケーションの言語として使われているフランス語の役割。フランス語は生きた、変わりつつある言語であるということ。

 この書物は一般のガイドブックでは取り上げられないパリの側面を
  Ⅰ 歴史の痕跡に耳を澄ます――ユダヤ人街…
  Ⅱ イスラーム文化を味わう――アラブ人街…
  Ⅲ 混沌の街を歩く――アフリカ人街…
  Ⅳ アジアから遠く離れて――アジア人街・インド人街
 の順に探索している。
 多文化のフランスについて歴史的に考える場合に(フランスに限らないが)、ユダヤ人問題は避けて通ることができない。フランス革命がユダヤ人たちに市民権をあたえ、東欧における迫害を逃れたユダヤ人たちをフランスが迎え入れたという歴史が一方にあり、ドレフュス事件やナチス占領下でユダヤ人たちが収容所に送られた歴史がもう一方にある。ユダヤ教の信者たちがいる一方で、信じていないユダヤ人もいる。最近では北アフリカから移住してきたユダヤ人が増えているという事実もある。清岡さんの記述は努めて客観的で映画作品を引き合いに出して、読者が視覚的に問題を理解できるように工夫を凝らしている。
 北アフリカからはもちろんアラブ人たちもやってきている。ここでも清岡さんは映画の細部にこだわったりして読者の問題への理解を促している。戸塚真弓さんの『パリの学生街』で触れられているセーヌ河岸のアラブ世界研究所も登場する。未来は「ある混沌、混成のうちにしか存在し得ない・・・過去と向き合う…姿勢こそが来るべき混沌を豊かにする」(88ページ)という指摘は示唆に富む。
 アフリカ人街について触れる中で、清岡さんはパリのハイチ人たちの問題も取り上げている。ハイチはカリブ海に浮かぶイスパニョ―ラ島にあるが、その住民はもとはと言えばアフリカから連れてこられた人々の子孫である。「帰路の切符をもたぬ旅だけが/家族、血縁、/狭い愛郷心からぼくらを救うことができる。…」(ハイチ系モントリオール人ダニー・レフェリエールの『帰還の謎』の一部/小倉和子訳、136ページ)都市の空気は「自由」にするという中世の格言が現代では別の意味をもっていることがわかる。フランスとアフリカをめぐる歴史的な問題とともに、音楽や料理の話題も盛り込まれて別の興味も誘っている。
 アジアと言っても、中国文化圏とインド文化圏では大きく異なるし、その間に位置する東南アジアのインドシナはフランスの旧植民地であった。そして中国もインドもフランス語は古く長い結びつきをもっている。英国の中華街についての想い出をもっている私にとって中華街の記述が特に興味深かった。
 文献だけでなく、映画や音楽、料理にも目を配りながら一般のガイドブックには出ていないパリの姿を興味深く描き出している。

貸間あり

 多くの文芸作品の映画化を手掛けた川島が、もっとも傾倒していた作家である井伏鱒二の原作に基づき、藤本義一と共同で脚本も書いている。大阪の高台にある武家屋敷風の共同住宅が主な舞台であるが、冒頭に有名な古書店である天牛が出てくる。東京や京都の古書店は大学との結びつきが強いが、大阪はそうでもない。この映画の主要登場人物である与田五郎(フランキー堺)は書物の代作から関東炊きの製法指南までよろず引き受けを生業としていて、この古書店に宣伝のビラを貼っている。市井に隠れた町人学者を心がけているのか、それとも単なる擬態なのかは最後まで分からない。その札を見て模擬試験の代理受験を頼もうという予備校生(小沢昭一)が現れ、五郎と同じ住宅に住む怪しげな男(藤木悠)とともに彼を訪ねる。その一方で、陶芸を手掛ける三十娘(淡島千景)が五郎に作品解説のパンフレット作製依頼に訪れ、そのまま住宅に1間残っていた部屋を借りることになる。
 映画は共同住宅の住人たちの人間模様と相互の関係を描くが、それぞれが一癖も二癖もあり、他人の言い分を素直に聞き分けるわけでもなく、物語は奇妙奇天烈な方向に展開する。ほんわかしたユーモアと残酷な悲劇が隣り合わせになっているのが井伏文学の特徴であるが、ここではそのほんわかした部分がむき出しの欲望に取って代わられているように思われる。井伏がこの作品を「下品だ」と評したと伝えられるのはこのためであろう。原作を読んでいないので偉そうなことは言えないが、重要人物の1人であるお千代さん(乙羽信子)の描きかたなど、原作と映画を比較してみたいものである。お千代さんの送別会で関東炊き屋(桂小金治)が読む送別の辞の結び、「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」(井伏の『厄除け詩集』からの引用)は、川島の人生観を要約する言葉として、映画の文脈とは独立に有名になってしまった感じがある。サヨナラは離別の言葉であるが、その一方で再会への期待も込められている。実際、姿を消して遺書を送って来たお千代さんに似た女性(乙羽信子一人二役)が最後に姿を現して、関東炊き屋がせっかく書いた「貸間あり」の札を無駄にしてしまう。
 川島が井伏を誤読して、片思い的にこの作品を作っているとしても、作品としての価値が損なわれるわけではないが、川島の井伏に対する片思いが、淡島千景のフランキー堺への恋心とそこからフランキーが逃げようとする片思いに投影しているとするのは考えすぎであろうか。予備校生に騙された五郎が旧州の大学を受験に出かけて、随分年をとった受験生だと新聞記者の取材を受ける場面を見ていて、フランキーと小沢昭一は旧制中学の同期生なのに、フランキーだけが問題にされるのはおかしいと思ったりした。
 藤本義一さん、淡島千景さん、そして小沢昭一さんまで亡くなられたという記憶の中でお三方を追悼するつもりで見たのだが、どうもプリントの状態が悪いのが気になった。

イチかバチか

12月13日(木)
 シネマヴェーラ渋谷の「川島雄三『イキ筋』十八選」の上映の中から彼の最後の作品である『イチかバチか』と、『貸間あり』を見た。
 『イチかバチか』(1963)は城山三郎の同名小説の映画化。伴淳三郎扮する老実業家が自分の預金を引き出し、札束の山を眺める場面から始まる。鉄鋼不況の中、全財産を投じて自分の経営する鉄鋼会社の工場を集約した大工場を建設するというイチかバチかの大勝負をしようというのである。
 そのために彼は自分の戦死した息子の友人であった高島忠夫ふんする青年を他の会社から引き抜く。青年は彼によい印象を持っているとは言えないのだが、仕事の面白さと、社長の秘書をしている団令子の魅力にひかれて仕事を引き受ける。社長の家に出かけたところ、彼の妻が死んだばかりであることを知る。このことを彼は誰にも知らせていなかったのだが、東三市という地方都市の市長が聞きつけて花を送ってくる。この市長をハナ肇が演じている。この時期、脂が乗りかかっていた彼の演技がこの作品の見ものの1つである。
 青年は東三市に調査に出かけるが、微行のはずが市長に察知され、歓待を受ける。しかし市長の評判は必ずしもよいとはいえず、反対派の市会議員も多いようである。市長には水野久美扮する謎めいた秘書がいる。一方、会社の方も社長の独断専行のやり方に組合ばかりか管理職まで不満をもちはじめる。さて、どうなるか。秘書2人にそれぞれの謎があり、それも事態の進展にかかわってくる。
 川島はこの前年、箱根観光をめぐる2大企業グループの対立を取り上げた『箱根山』(1962)を撮っているが、『箱根山』では後半、加山雄三と星由里子のロマンスの方に比重が移ってしまっていた。こちらは、企業誘致をめぐる攻防が最後まで展開され、様々なアングルから撮影された画面が物語の緊迫感を盛り上げているとはいうものの、関心は社長と市長の個性のぶつかり合いに向けられているように思われる。社長の吝嗇ぶりの描写など喜劇的な場面に事欠かないが、そのような喜劇性がかえって物語のスケールを小さくしているようにも思われる。企業間の競争の非情さが浮き彫りにされた梶山季之の原作を増村保造が映画化した『黒の試走車』(1962)には劣る。しかしこれはこれで見ごたえのある作品である。

但馬一の宮、出石神社

12月12日(水)

 12年前のこの日、但馬一の宮である出石神社に出かけた。諸国一の宮巡りの第一歩をこの神社から始めようと思ったのである。それが平成12年12月12日という12尽くしの日になったのは偶然とはいえ興味深いことである。
 66か国、2島の一の宮の中で、なぜこの神社を選んだかというと、この神社が外国から来た神様を主神とする唯一の一の宮だからである。『古事記』によれば、新羅の王子であった天の日矛(あめのひぼこ、矛を槍とも書く)がもち伝えた8種類の宝物がこの神社に祭られている。天の日矛は逃げた妻を追って日本の難波の地に渡って来たのだが、妻に拒絶され、各地を放浪した末にこの地にたどりついて定住することになったという。川村二郎さんの『日本廻国記 一宮巡歴』(河出書房新社、1987)には「遠い異国に渡りながら妻にはめぐり会えず、難波よりはるかに北の地に住みつくよりほかなかった王子の悲哀が、メルヘンめいた雰囲気の底に沈みこんでいたのだろうか」(161ページ)とまとめている。12月に入って既に周辺の山は雪を被っていて、それが風景をひなびた中にも荘厳なものとしていたと記憶する。天の日矛については、この地を開拓した祖神としての彼の性格も忘れてはなるまい。この点については谷川健一さんが感動的な文章を書いているという記憶があるのだが、あいにく手元にその本がない。

詩を書いていた老人

12月11日(火)
 詩を書いていた老人

昔、暮らしていた
外国の町のことだ。

坂道を登ったところに
雑貨屋があり、
店を取り仕切っていた老人は
暇を見ては手帳に
謎めいた美しい文字で、
何かを書きつけていた。
一行が終わらないうちに、
次の行に移っていたので、
詩を書いているのだろうと、
推測していた。

老人はムスリムらしかったが、
誰にでも親切だった。
アフリカ人の女性が
母国に電話をかけるのを手伝い、
シーク教徒の老人に
敬意をもって接していた。
そして私がコピー機を使うのを
黙って見守っていてくれた。

店にはいろいろな人々が訪れ、
さまざまな空気をもちこんでいた。
その中で老人は
詩を書き続けていた。
そして詩を書くことが、
どんな生き方とつながるかを
教えてくれた。
私も、そんな老人になれるだろうか。

小沢昭一さんをしのんで

12月10日(月) 
 小沢昭一さんが亡くなった。思いだすのはラジオの「小沢昭一的こころ」の語りであり、川島雄三や今村昌平が監督した映画での演技であり、あまり注目を浴びない伝承芸や人々の生き方を掘り起こした著書である。本業は新劇の俳優であったが、舞台での演技を見た記憶はない。
 映画での主役もあったが、むしろ脇役あるいは端役で強い印象を残す人であった。自分が演技する人である一方で、他人の演技にも関心を持ち、その記録を心がける人であった。
 芸は一瞬、輝き、次の一瞬には消える。記録することで次の芸の可能性が開ける。
 あの世で、さらに多様な芸に、人生に出逢い、小沢さんの活躍範囲は広がるだろう。いずれ、その成果に接することを楽しみに思いながら、しばらくはこの世の愉しみを探して生きていきたい。
 小沢さん、ご苦労さんでした。ありがとう。

寄席坂

12月9日(日)strong>晴れ

 寄席坂

六本木に
寄席坂という
坂がある。

大正三年まで
ここに
寄席があったと
標識が
知らせている。

もう三十三回忌が済んだ
親父の生まれる一年前が
大正三年だ。

どんな噺家が
客を笑わせ、
どんな芸人が
客を驚かせ、
楽しませていたか。

関東大震災も
東京大空襲も
この坂の名前を消すことはできなかった。
寄席の記憶を、
笑いと芸の記憶を
消すことはできなかった。

坂を通り、
名前に興味をもつ人がいる限り、
この記憶は消えない。
想像の中で、
笑いが、芸が、
よみがえり続ける。

庶民の日記の文語体

12月8日(土)晴れ
 本日の『毎日新聞』に「庶民の日記が伝える太平洋戦争」という記事が出ていた(吉永磨美記者による、25ページ)。内容以上に印象に残ったのが、そのすべてが文語文で書かれていたことである。明治時代に言文一致の運動が展開されたという知識からすると、これは全く意外なことである。
 口語体による日記が一般的になるのは、いつ頃のことであったのか調べてみる必要があるだろうが、どうやって調べて、結論を導くのかも問題であろう。

12月7日(金)

12月7日(金)晴れ
 7時頃目を覚ます。NHKラジオ『まいにちフランス語』応用編。フランソワ・トリュフォーへのインタビューは映画撮影におけるモノクロとカラーについて。トリュフォーは『黒衣の花嫁』をカラーで撮ったが、モノクロで撮った方がよかったと後悔している、アイリッシュの小説にはmystere(不可思議さ)があるが、この映画はカラーで撮ったために「見えすぎる」ものとなってしまったという。講師をしている梅本洋一さんは『恋のエチュード』を何回も見たと言っていたが、私は試写会で1度見たきりである。
 イタリア語の時間を聴く。新聞記事の整理。午後、外出。横浜発13:28の京浜急行の金沢文庫行きの各駅に乗り、黄金町。歩いてシネマ・ベティで『スケッチ・オブ・ミャ-ク』を見る。日本人のスピリチュアリティと音楽の結びつきを、古い神事の伝統と、それに結びついた音楽とが残されている宮古島に出かけて探ろうとする試み。その伝承者たちが老齢を迎えているので、1曲1曲の音楽が貴重である。音楽と宮古島の風景は素晴らしいが、資料映像の整理など不十分で映画としてのまとまりが欠けるように思う。伊勢佐木町通りを歩いてニュー・テアトル。15:55ごろ到着し、本来16:10開場のところ、外は寒いからというのですぐに入場させてくれる。『これは映画ではない』を見る。反政府活動により「20年間の映画製作禁止」となったイランのジャファール・パナヒ監督がこれは映画ではないと言いながら撮影した作品。計算していたのか、いないのか、アパートの他の住人(正確にはその飼い犬)や管理人の家族の青年が登場する。映画としてまとめるには無理がある、映画以前の映像という印象が強い。17:18頃地震があり、映写が中断するが、映画館の人が地震の震源地や周辺の状況を丁寧に説明してくれたので落ち着いていられた。上映終了後、地下にある映画館から地上に出てみると、伊勢佐木町は平静を保っていた。日ノ出町17:49頃の羽田空港行きの各駅で横浜に戻る。ヨドバシカメラでファイル3枚とフィラーノート1冊を購入、18:50頃帰宅する。インターネット情報の検索。

今津孝次郎『教師が育つ条件』

12月6日(木)
 今津孝次郎『教師が育つ条件』を読み終える。
 まず<教員>ではなく<教師>といういい方を選んでいること。<教師>では教える専門的職業とか授業場面での指導者という側面に、<教員>では学校組織の一員という側面に力点が置かれていると言う。また<教師>は理念的で価値的なニュアンスで使われることが多いのに対して、<教員>は現実の実態を指して使われる。(はじめにⅺ~ⅻページ)

 また、<育つ>という言葉を使って、教師の問題を形成的にとらえようとしていること。教師が子どもを育てる(手伝いをする)だけではなくて、教師も周囲の人々によって育てられる、自分の仕事への取り組みによって成長するのであるという視点が示されている。

 教師のさまざまな声を受け止めながら、この書物は教師の質や教員政策の仕組みと方向性などの問題に取り組もうとしている。主な論点は以下のようなものではないかと思う。

 一方で教師の仕事が忙しくなり、他方で保護者の教師への信頼が薄らぎ、教育への不満が累積している。免許制度を中心に教師をめぐる制度の改革が推進されてきたが、十分に実態を反映し、現状の改革に役立つものではない。

 教師の資質・能力には多様な側面があるが、多様性を生かしながら、個々の教師のソーシャル・スキルを高めていくような配慮が必要である。

 教師の形成は生涯を通じての過程であり、生涯学習の観点が必要である。そのために開かれた学校環境づくりが欠かせない。

 生徒が育ち、保護者が育ち、教師が育つという循環の中で教師が育つ仕組みを作っていくことが必要である。

 教員に対する査定ではなく、教師を育てる評価の視点が重要である。

 教師を一人称でとらえる(つまり自分自身が教師だと思っている)か、二人称でとらえるか(学校の生徒であったり、教師教育に携わっていたりする)か、三人称で他者としてとらえるかという分類をすれば、この書物は二人称の、しかも学校の先生に対してきわめて共感的な立場から書かれた書物だということができる。多くの点で納得のいく観察や意見が示されているが、それをどのように具体化し、現実化するか、そのためにも多くの読者によって読まれるべき書物である。

戸塚真弓『パリの学生街――歩いて楽しむカルチェ・ラタン』

12月5日(水)
 戸塚真弓『パリの学生街――歩いて楽しむカルチェ・ラタン』(中公文庫)を読み終える。
 パリに出かけたのは1度きりで、それも3泊4日、国際会議に出席するためだったので町なかを歩くことはほとんどなかった。それで、この書物の細部についてあれこれ論じるほどの知識も経験もないが、少しだけ感想を交えて中身を紹介してみたい。
 東京の山の手と下町、ロンドンのウェスト・エンドとイースト・エンド、それぞれ優劣というよりも個性の対比がある。パリの右岸と左岸もその個性の対比が際立っていると言えそうである。「右岸はブルジョワ風の豪奢と都会風のエレガンスに満ち、伝統を大切にする保守的なイメージが強い。左岸は知的で、自由で、進取の気風に富んでいると言われるが、なんにつけ質実で簡素だ。前衛的なものを好み、革新的なイメージがある」(10ページ)と著者はその特徴を要約する。
 カルチェ・ラタン(ラテン街)は左岸にある。ここにはソルボンヌ学寮があり、ヨーロッパ中から学生が集まってきた。彼らの共通語はラテン語であったので、一帯にこのような名がついたのだと言う。学生と先生だけでなく、商人もいるし、外国からの移住者や観光客も行き交う慌ただしい街ではあるが、古い時代の面影も残っている。そんなこの地区の暮らしを著者は愛着をこめて描いている。
 公平を期して書いておきたいこともある。NHKラジオ「まいにちフランス語・応用篇」は梅本洋一さんがフランソワ・トリュフォーと行ったインタビューを中心に構成されているが、11月8日の放送では生まれも育ちもパリであったトリュフォーが映画の中のパリについて語っていた。彼は当然この都市を舞台とする多くの作品を作ったが、主な舞台は右岸におかれていた。トリュフォーやゴダールを中心とするヌーヴェル・ヴァーグは右岸で展開されていた映画運動であったのである。梅本さんとパートナーのエレオノールさんは右岸の方が大衆的であると述べていたが、そういう見方もある。
 この書物で一番印象に残ったのはフランス人がブルジョワと中流階級を区別していることである。英国のように貴族階級が残っている国では、ブルジョワこそが中流階級なのである。階級というのは案外、普遍的な枠組みではないのかもしれないと思った次第である。
 硬い内容になってしまったが、この本の魅力は「ユシェット通りのギリシャ風サンドイッチ」のように町の様子を詳しく描写した記事にある。街角から漂う魅力的なにおい、嫌なにおいが行間から伝わってくる。パリに長く住む著者のようにはいきそうもないが、この街の雑踏の中を歩いてみたいと思う。

暖簾

「追悼 女優・山田五十鈴アンコール」の中での上映であるが、むしろメガフォンを取る川島雄三についての興味から見た。川島が日活から東京映画に移籍して2作目であるが、東京映画ではなく、宝塚映画で製作している。山崎豊子が自分の生家をモデルにして書いた長編小説の映画化。明治末期に淡路島から出てきた主人公が同郷のよしみで昆布屋の主人に拾われ、丁稚、手代、番頭を経て暖簾分けにより独立、台風による被害や戦災、息子の戦死などの不幸を乗り越えて店を拡大していく過程を、後半はあまり期待していなかった二男の活躍に焦点を当てながら描いている。本来ならば2部作くらいにすべき内容であるが、そうなるとどこで区切るかが難しかったのかもしれない。
 主人公とその二男を森繁が一人二役で演じ、丁稚時代からずっと仲がよかった女中のお松を乙羽信子が演じている。暖簾分けにより独立してお松と夫婦になる心づもりであったのが、主人の姪にあたるお千代と結婚するように言われる。このお千代を演じているのが山田五十鈴である。勝気で頭の良いお千代との夫婦は結果的に成功であったと言いたいようである。その他、配役で面白かったのがお松の娘を扇千景が演じていたことで、主人役の中村鴈治郎の嫁になる直前の出演だったはずだから、映画と現実が皮肉な関係をもっているわけである。
 同時代の風俗を映像に残し続けた川島はその結果として自分で考えていた以上の仕事を遺したように思われる。大阪については多くを語るほど知っているわけではないが、この時期、まだ戦前の大阪の名残りをとどめる場所は残っていたのであろう。前半にはそういう懐かしさが感じられる(別にその時代を知っているわけではない)。それよりも、この映画の中で新しい動きを代表する場所として描かれている大阪駅周辺の風景がさらに一変していることに気づく。現代の映画はどのように大阪を描こうとするのであろうか。

2日連続してタンメンを食べる

12月4日(火)曇り
 6:30頃目を覚ます。NHKラジオまいにちフランス語、イタリア語の時間を聴く。11時過ぎに外出。反町の中山菜館で紹興酒2合、タンメンと半炒飯のセット。反町発12:24の各駅で菊名。特急に乗り換えて渋谷。紀伊国屋渋谷店を覗き、13:14発の半蔵門線で九段下、イタリア書房を覗き、檜画廊で横枕敦子展を見る。静物画に見るべきものはあるが、風景画はあまり感心しなかった。さらに東京堂を覗き、神保町シアターで「追悼企画 女優・山田五十鈴アンコール」から『暖簾』と『おしどりの間』を見る。前者が整理番号18番、後者が2番であった。平松洋子『焼き餃子と名画座』(新潮文庫)で紹介されている名画座がこの神保町シアターである。友人同士連れ立ってやってきている女性客が待ち時間にこれまでの上映作品が紹介されている掲示を見ながら交わしているおしゃべりがなかなか面白い。神保町発18:17の半蔵門線の中央林間行きの急行で表参道。歩いて青山学院大学で研究会。終わってイメージフォーラムの近くの根室食堂で二次会。渋谷発22:46の東横線の急行で横浜に戻る。23:30頃帰宅する。

たんめん老人、タンメンを食べる

12月3日(月)曇り
 夕方、横浜駅西口東洋ビル地下の龍味で老酒3杯を飲み、餃子とタンメンを食べる。たんめん老人を自称している以上、締めはタンメンなのである。この店、ご飯時には行列ができるし、定食評論家の今柊二さんによっても紹介されたことがあり、すいている時間帯を狙ってもなかなか席を確保できない。それでも落ち着く場所を確保できたのは幸運であった。
 たんめん老人の由来は杉浦茂(1908-2000)のマンガ『猿飛佐助』(1954-55)に登場する中国の忍者<焼きそば老人>である。豊臣方の猿飛の活躍に徳川方の忍者は手も足も出ない。そこで本多佐渡守は中国と朝鮮から忍者を呼び寄せる。その1人がやきそば老人。中国語でチャオメン(もっと正確に言えばチャオミェンであろう)と言わずにやきそばというところが杉浦らしい。小生、やきそばよりもタンメンを食べることが多いので、かく名乗った次第。杉浦が活躍した時代、こちらは幼稚園から小学校で過ごしていたが、ラーメン25円とか35円という時代であった。タンメンが中国料理店のメニューになったのはもう少しあとの話であると記憶する。
 ちょっとした揚げ足取りをすれば、漫画に登場する本多佐渡守はかなり若く描かれているが、実際は年配であった。家康の謀臣であった本多正信(1538-1616)と、その子の正純(1565-1637)が混同されている。父は佐渡守であったが、子どもの方は上野介であった。この親子についてはまた別の機会に書くことにしよう。
 

塔について

12月2日(日)strong>晴れ後曇り
 毎日新聞の「今週の本棚」で画家の池田龍雄さんが「好きなもの」として、①天文・物理の本、②塔、③夢を挙げていたのが印象に残る。それで、ファイルの中から昔書いた詩を探して、書き直したものを紹介する。

 塔に住んで

塔に住んで
コペルニクスのように星を眺め
モンテーニュのように本を読んでは考えにふけり
イェイツのように
詩を書きたい。

現実にはアパートに住み、
頼りなく光るわずかな星を追いかけ
整理の悪い本棚から
あれやこれやの本を探して読み散らし
今のところはくすんだ詩を
書いているだけだが・・・

それでも
少しずつ理想に近づいていこう。
コペルニクスが見ることのなかった
水星をいつかはこの目で見て
モンテーニュよりも広く多様な世界の知恵に触れて
詩を書きつづけよう。

わしらは怪しい雑魚釣り隊―マグロなんかが釣れちゃった篇―

12月1日(土)晴れ
 椎名誠『わしらは怪しい雑魚釣り隊―マグロなんかが釣れちゃった篇―』{新潮文庫、2012}を読み終える。このところ椎名さんの本をあまり見かけないと思ったら(もっとも、仕事を退職して以来、文庫本でしか買わないことにしている)、年末が近づいて『アザラシのひげじまん』(文春文庫)、『新宿遊牧民』(講談社文庫)、それにこの本と立て続けである。
 私は釣りの趣味がないので、その方面からこの書物を批評しようとは思わない。エビを釣ろうとタイを釣ろうと、マグロを釣ろうと、カワハギを釣ろうと、それは私の関心外である。これまで椎名さんの本は彼が自分の周辺に結集してきた個性的な面々の銘銘伝として読んできた。この本もそうした読書の延長上で手にとった。
 「雑魚釣り隊」は「怪しい探検隊」の延長線上にあり、椎名さんが「文庫版あとがき」で書いているように「新宿の我々の昔からのアジトである数軒の居酒屋に集まってくる仲のいい連中」(313ページ)という集団であり、居酒屋―というところが、高田公理氏が『酒場の社会学』(PHP文庫、1988)で展開した酒縁社会の議論を思い出させる。そういえば、この書物の中で高田は、「酔っ払い同士の『オモロイ奴や』という相互の友好的了解は…一瞬のうちに成立する。しかもその際の迅速な判断は・・・その後のつきあいを安定的に持続する契機となる」(41ページ)と書いていた。
 様々な個性をもった仲間とのばか騒ぎの様子が、適度に粉飾されデフォルメされて再現される。ふざけて騒いでいるだけのように見えて、自然破壊や環境の汚染についての観察が折に触れて挿入される。こういうメリハリもこの著者ならではのものである。
 それでも写真を見ていると椎名さんも年をとったなあという印象をもってしまう。それでも『新宿遊牧民』に比べてこの書物は死の影のようなものが振り払われているように感じられ、それだけ安心して読むことができる。
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Author:tangmianlaoren
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