ウィルキー・コリンズ『月長石』再読

6月21日(木)曇り、時々雨

 ウィルキー・コリンズ(Wilkie Collins, 1824-89)の代表作の1つである『月長石』(The Moonstone, 1868)については、2013年6月から2014年にかけて、当ブログで紹介したことがあるが、今年はこの作品が発表されて150年という節目の年なので、改めて読み直しながら、紹介し直すことにする。前回は、創元推理文庫の中村能三訳に従って紹介を進め、意味の通じにくい部分について原文を参照するというやり方をとったが、今回もそのやり方を踏襲し、徹底させるつもりである。また前回は物語を最後まで紹介しなかった(ネタバレを避けた)が、今回は最後まで紹介してみようと思う。

 『月長石』は推理小説(あるいは探偵小説、あるいはミステリー)の歴史の中でどのように位置づけるかは、ミステリーの本質をどのように定義するかにかかわっていて、難しい問題である。一方でT.S.エリオットのように、探偵小説の始祖はポーではなくてコリンズであるといい、『月長石』を“the first, the longest and the best modern English detective novels" (最初の、最長で最良の近代英国探偵小説)と評価する人もいるが、捜査方法の科学性という点でこの作品には難点が見いだされるということで、このジャンルの本格的な始祖はコナン・ドイルであるという論者も少なくない。
 英文学者の書いたミステリーの歴史である廣野由美子『ミステリーの人間学――英国古典探偵小説を読む』(岩波新書)は、コリンズどころかディケンズからその記述を始めている一方で、フランス人のアンドレ・ヴァノンシニ『ミステリ文学』(André Vanoncini, Le roman policier (クセジュ文庫)はポー、ガボリオ、ドイル、ルルー、ルブランを「先駆者たち」と一括し、コリンズについてはドイルに影響を与えた作家として触れただけで済ませている。ということで、英国、フランス、米国によるミステリーの本家争いも絡んで、この問題は複雑である。
 この問題には正解というものはなく、それぞれのミステリー愛好者が自分なりのミステリーの定義と、歴史についての理解をもてばよいのであって、私の一文はその定義と理解のための一助を提供することが目的である。そんなことを言うのは、やはり『月長石』には一筋縄ではいかない魅力、推理小説としてみた場合には捜査方法が科学とは言えないとは言うものの、それを補って余りある物語の展開や人物描写の面白さがあるためである。(さらに言えば、あまりはっきりとは語られていないが、植民地支配と収奪に対する批判や、当時の英国の社会の階級的分断への言及など、ドイル以後の推理小説が捨ててしまった問題が取り上げられていることも指摘されてよかろう。)

 題名になっている「月長石」(Moonstone)は6月の誕生石となっている宝石ではなくて、巨大なダイヤモンドにつけられた名前である。なぜこの名がつけられたかは、物語の冒頭で説明されている。
 このダイヤモンドはインドのある寺院に置かれた神像のなかの月の神の像の額に飾られていたが、この寺院がイスラム教徒たちの略奪を受け、月の神の像だけがその被害を免れることができた。そしてこの神の像は3人のブラーフマンの手によってベナレスへと運ばれた。〔中村はthree Brahminsを「三人のバラモン教徒」と訳しているが、インドの四姓の中で最高階級である司祭者層=ブラーフマンを指していることは明らかである。原文通りにブラーミンと訳してしまうと、アメリカのニューイングランド地方出身の知識人というような独特の意味に受け取られてしまう可能性があるので、ブラーフマンとしておいた。〕

 ベナレスでは新しい寺院が建てられ、そこに月の神の像が安置された。寺院が完成したその夜に、ヒンズー教の世界を維持する神であるヴィシュヌが3人のブラーフマンの夢のなかに現れた。
 ヴィシュヌは月の神の額のダイヤモンドに霊気を吹きかけて、命じた。月長石は、人間たちの世代が続く限り、順番に(選ばれた)3人のブラーフマンによって、昼も夜も見守られなければならない。そしてさらに神は予言した。この神聖な宝石に手を触れるものがいれば、その神を恐れぬ者はもとより、その宝石を受け継ぐ一族のものすべてに、必ずや災いが下るであろう。ブラーフマンたちはその予言を寺院の門に、黄金の文字で書き記させた。

 その後、この宝石はかわるがわるにその任務を引き継いだ3人のブラーフマンたちによって見守られてきたが、18世紀のはじめにムガール帝国の皇帝アウランゼブがこの寺院を襲撃させ、建物と像を破壊させた。そして月長石はムガール軍のある士官によって略奪された。その後、この宝石はその持ち主を変え、18世紀の終わりにはセリンガパタムSeringapatamのスルタンであるティッポーのものとなった。ティッポーはそのダイヤモンドを短剣の柄に象嵌したが、宝石の行方を追い続けていた3人のブラーフマンたちが変装してその近くでひそかに見守っていたといわれる。
 〔原文ではAurungzebe, Emperor of the Mongulsとなっていて、中村は「蒙古皇帝オランゼブ」と訳しているが、世界史の知識に即して「ムガール帝国の皇帝アウランゼブ」とした。ムガール帝国の皇帝たちは、ティムールの子孫であり、アウランゼブの父はタジ・マハールを建てたシャー・ジャーハンである。セリングパタムは英国人たちが呼んだ名称で、南インドに実在する都市であり、現地のカンナダ語ではシェリーランガパトナというそうである。1799年の英国人とマイソール王国の最後の王ティプー・スルタンとの闘いは歴史上実際に起きた事件で、英国の侵略に対し最も勇敢に戦ったティプーの死により、英国のインド侵略はより容易になったといわれる。『月長石』ではTippoとなっているが、明らかに同一人物である。またジュール・ヴェルヌの名作『海底二万海里』と『神秘の島』に登場する(ほかの作品にも登場しているかもしれない)ネモ船長はこのティプー・スルタンをモデルにしているといわれ、作中では甥ということになっているようである。つまり、推理小説とSF小説がこんなところで出会っているのである。〕

 1799年5月4日、英国の軍隊がベアード将軍の指揮のもとにセリンガパタムを攻撃する。その部隊の中にジョン・ハーンカスル John Herncastleとその従兄弟がいた。ジョンは、襲撃の前に月長石の伝説を聞いて、同僚たちがそれをおとぎ話扱いにしているのに腹を立て、その宝石を必ず自分のものにしてみせると大見えを切る。2人は、征服の後の略奪と混乱を防ぐために将軍の命令で派遣された一隊に加わっていたが、この任務に最も不適任な人物であるジョンは、兵器庫に入り込んで短剣を奪った〔らしい〕。彼に倒された瀕死のインド人は土地の言葉で「月長石は、将来、お前とお前の家族のものに、必ず復讐するであろう」(中村訳、13ページ)と言って息絶える。駆け付けた従兄弟は兵器庫にいたインド人がなぜ死んだのか、彼がジョンの手にしている短剣を見ながら言った最後の言葉は何を意味しているのと問い詰める。すでに落ち着きを取り戻していたジョンは「あのインド人は、たぶん重傷を負わされて死んだんだろうな。それから、あの男が言った最後の言葉の意味は、君と同様、ぼくにもわからんよ」(14ページ)という。〔「重傷」というのはa mortal woundの訳語としては不適切で、「致命傷」のほうが適切であろう。〕 その答えに納得しなかった従兄弟は、彼と縁を切ることにする。ジョンは、「君と同様、ぼくにもわからんよ」と言っているが、従兄弟のほうは、呪いの言葉を書き留めている――ということは従兄弟のほうはインド人がカンナダ語で言ったことは聞き取っていて、その意味を訊ねているのだが、ジョンはカンナダ語はわからない、君だってわからないだろうと答えている。これでは、従兄弟のほうが腹を立てるのも無理はない。

 ジョンが短剣に象嵌されていた宝石を英国に持ち帰ったことにより、この小説の中で描かれる事件が起きる。一部始終を記録した従兄弟はその手記を次のように締めくくっている:
「私はこの宝石にまつわる幻想的なインドの伝説を信じているわけではないが、この事件において、私自身もある迷信にとらえられていることを、ペンを擱くに際して、認めざるを得ない。それが信念であるか、幻想にすぎないか、いずれにせよ、罪は因縁を伴うものである。私は、ハーンカスルが罪を犯したと信じているだけでなく、これはあまりにも想像にすぎるかもしれないが、ダイヤモンドを手元に置く限り、いつか後悔するにちがいないとも思っている。そして、彼がダイヤモンドを手放すようなことがあったら、それを受けついだ他の人々にも、やがて後悔するときがくるであろうことも。」(16ページ)
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樋口有介『海泡』

6月14日(木)曇り

 6月11日、樋口有介『海泡』(創元推理文庫)を読み終える。2001年、中央公論新社から単行本で刊行され、04年に中公文庫に収録された作品を、大幅に改稿したものである。作者自身が「創元推理文庫版あとがき」で書いているところによると、この作品は作者が作家になって初めて(そして多分最後の)取材旅行をさせてもらって書いたもので、気負いもあったし、自分の文体を変えようとしていた最中だったので、がちがちの状態での執筆となり、何とか三人称で書き上げたものを、同行した編集者の助言を得て一人称に書き直してやっと完成させたという経緯がある。2001年に発表した作品では三人称を一人称に書き直した無理があちこちに出ており、今回、加筆修正したリニューアル版として刊行するというのである。

 「雲は発泡スチロールのように白く、空気には太陽が匂っている。」(7ページ)
 物語はこのように書き出されている。語り手の「ぼく」は父親の住む、彼が中学・高校時代を過ごした小笠原(の父島)に戻ってくる。東京の大学で学ぶ学生である「ぼく」(=木村洋介)にとって、これは2年ぶりの帰省である。
 港では、高校の同級生で実家の民宿の客を出迎えに来ている棚橋旬子に出会い、軽く雑談をする。父親の家へと歩いて帰る途中で、彼と同じく東京の大学に進学している一宮和希の姿を見かける。彼女は洋介の呼びかけにこたえようとしない。
 画家である洋介の父親(木村輪一)のところには、新しいモデルが来ている。海と女をモチーフにした絵を描き続けている父親の絵には号100万という値がついていて、東京の画廊から2点の作品を描くことを条件に、モデルを送り込んできたのである。そのモデルは干川雪江という名の、パチンコとマリファナにしか興味がない女である。「女の気配には親父への親しみがない。その理由が単に女の性格なのか、親父との間にトラブルでもあるのか、少し気にかかる。」(17ページ)

 一休みした洋介は、中学からの友だちというよりも「初恋の人」である丸山翔子を訪ねる。「中学生だった翔子の、島の悪ガキ連中をパニックに陥れた美しさが記憶を苦しくする。翔子が1年遅れて東京から転校してきた日、ぼくも山屋浩司も藤井智之も、みんな混乱し、無口になって、弁当も咽を通らなかった。」(25ページ) 洋介は中学1年生の時に転校してきたのだが、明治時代から続く財閥の娘である翔子は喘息の治療のために、中学2年生の時に小笠原の別荘から彼らの学校に通うことになる。しかし、その1年後に白血病におかされ、何度か東京で治療を受けたのだが、その都度小笠原に戻ってきていた。翔子と出会ったことで洋介は彼女に高校の勉強を教えるという作業を通じて、勉強が好きになって東京の大学に進学できた。しかし、次第に治療の手段もなくなって衰えていく彼女の姿を見るのがいやで、彼は帰省をためらってきたのである。

 山屋浩司は、『トムズハウス』という店に入り浸っている。そのマスターは安西つとむという人物で、そこで働いている女性(坂戸可保里)に熱をあげているという。中学までずっと秀才で通し、本土の高校に進学した藤井は医学部の受験に失敗して浪人中であったが、医学部を志望したのは、翔子の白血病がきっかけだったというのは同級生のだれもが知っていることである。翔子は、藤井が島に戻ってきているらしいといい、彼の気持ちは知っていたが、やはり洋介が好きだという。洋介は『トムズハウス』に出かけるといって、翔子と別れる。

 『トムズハウス』に向かう途中の道で、洋介は藤井智之に出逢う。彼は一宮和希が東京でストーカーに狙われて島へ逃げてきた。ところがそのストーカーが島まで追ってきたので困っていると告げる。彼自身は白血病の治療薬を発明して、そのためにCIAに狙われている、棚橋や山屋など彼の周囲の人間にもCIAの手が伸びているという。「変化やドラマとは無縁なはずの小笠原で丸山翔子は死へ向かい、翔子の病気が藤井の心を傷つける。」(37ページ)

 『トムズハウス』で洋介は山屋浩司に出会う。浩司は旬子が彼のうわさを広める一方で、自分自身の見合いの話には口をつぐんでいるという。もともと無人島であった小笠原には最初に欧米系の住民が住みつき(在来島民)明治以降、八丈島から多くの住民が移住し(旧島民)た。一宮の家は在来島民であり、棚橋、山屋、藤井は旧島民であり、洋介やマスターのような住民は新島民と呼ばれている。
 浩司は藤井が4月ごろ島に帰ってきたが、その言動がどうもおかしいといい、洋介が言ったことを否定しない。マスターから坂戸可保里を紹介され、4人で話が弾むが、その近くにいるサーファーらしい4人連れの中の女性は洋介が自宅近くで出会った派手な茶髪の少女であり、浩司は彼女が一宮和希の妹の夏希で高校2年生であるという。一宮家は在来島民の中でも旧家の家柄で、小笠原の本土復帰後は父島最大の地主として土建業を営んでおり、前村長でもあった。娘の和希には新島民や観光客との交際を許さず、東京での和希も管理の厳しい女子大生マンションに入っている。「姉さんはストーカーに狙われて妹はバカギャルだもんなあ。」(53ページ)と浩司は言う。

 洋介と浩司が飲み明かした夜から数日が立ち、フェリーの出港日なので、港以外は静かだが、水上飛行機が3機も飛来し、ヘリコプターも飛んでいる様子である。買い物に出かけた洋介は、民宿の客を送った帰りの旬子に出会う。彼女によると、一宮和希が家出をしたらしく、彼女の家に、和希の父親から電話があったという。「問題は…昨夜から姿を消している和希とヘリコプターの関係だ。」(63ページ) 洋介は街に出て様子を探り、警察署の近くで藤井に逢って、和希が崖から落ちて死んだらしいということを知る。疑われるのは当然、ストーカーだといわれていた真崎という男である。

 『トムズハウス』で洋介、浩司、旬子が集まって一宮和希のことを話していると、夏希がやってきて、ビールを飲ませろと言い、口論になる。和希の遺体は検死のため東京に運ばれていて、葬儀はまだ行われない。家では、みんなめそめそ泣いているだけでつまらないという。「和希は自分だけいい子になろうとしたから罰があたったの。親父もこれで目が醒めるよ」(74ページ)と夏樹は憎まれ口を言う。話を続けていると、突然、一宮の父親が現れて夏希を叱りつけ、連れ帰ろうとする。親子が去った後、藤井が現れて、真崎が釈放されたと告げる。そしてそのまま立ち去る。「あっという間にスコールが押し寄せる。/藤井はどこまで帰ったかなと、雨を見ながらぼくは考える。だれの責任でもないだろうに藤井はスコールの雨に打たれ、和希は死んで、翔子は死に向かう。」(85ページ)

 洋介が翔子を訪問すると、車椅子に乗った彼女は、和希の死を知っているどころか、彼女が妊娠していたという検死結果まで耳にしていた。彼女の従兄弟が法務省に勤めていて、これからも情報が入るように手配しておいたという。そして洋介に車椅子を押してもらい、家の外に出かけようとする。和希の死は自殺だろうという洋介に対し、彼女は言う。「お腹に赤ちゃんのいる女は自殺なんかしないの。本能が命の愛しさを感じるの。自分は死んでも、赤ちゃんだけは助けたいと思うものなの」(92ページ) 反論を試みる洋介に対して、彼女は追い打ちをかける。「木村くんは忘れている。私も女だということを」(93ページ)
 話題を変えて洋介は、彼が東京で和希とデートしたことがあると打ち明ける。実際には3度会っているのだが、一度だけだといい、3度目にはキスしたことも黙っている。しかし、翔子は彼の嘘を見透かしているようである。「木村くんが念をおすのは気持ちに疚(やま)しさがあるからよ」(94ページ)
 翔子は事件を調べてみるという。「探偵小説のファンだもの。一宮さんが…亡くなったと聞いたときから、この事件は不審(おか)しい気がした。薄情な木村くんなんか当てにしない。躰は動かないけれど電話はかけられる。情報の収集手段もあるし、人も動かせる。あなたより私の方が有利なの」(97ページ)
 二人の様子をうかがっている人影があったような気がする。藤井智之かもしれない。あるいは洋介の錯覚であっただろうか。

 クリスティーの『なぜエヴァンズに頼まなかったか』をはじめとして、男女のカップルがある事件の真相を突き止めようと協力し合ううちに恋が深まっていくというミステリーは少なくない。しかし、この作品はそれとはかなり違った展開をとる。
 「『一宮さんには気の毒だけれど、私、今、ちょっと嬉しいの・・・今度の事件が終わるまで、私があなたを一人占めできる。私の性格、怖いでしょう?』/中学生のころからぼくの心は、ずっと翔子に一人占めされている。そんなことは翔子もぼくも知っているが、翔子もぼくも、それを言葉にする時間がないことを知らなかった。」(99ページ)
 自分の死が刻々と近づいてきているにもかかわらず、翔子は事件の真相を突き止めようという努力をやめず、それに引きずられるように洋介も事件の真相に迫っていく。

 和希の死は自殺ということで決着する。容疑者であった真崎が釈放されたかと思うと、その後、彼も死体で発見される。そのため、いったんは収まったかに見えた騒ぎがさらに大きくなる。翔子の体調はさらに衰えていき、その一方で洋介の父の輪一は、人もあろうに夏希と交渉をもったり、新しいモデルを勝手に見つけたりたりする。登場人物の思いがけない背景が明らかになっていく。どうも乱調である。心を翔子に一人占めされている洋介でさえ、体はそうではないらしく、他の女と交渉をもったりする。ギリシア神話の美と愛の女神アフロディテは、地中海の海の泡から生まれるのだが、そのことよりも、その泡がどのようにして作られたかという話をこの小説の展開は思い出させる。輪一は海と女をモチーフにした絵を描き続けているが、制作作業はアトリエでしている。物語のいたるところに矛盾と混乱が描き出されている。だが、それが現実である以上受け入れざるを得ない。

 物語の舞台として、小笠原という他からかなり隔立った距離におかれ、狭いが内部に対立を抱えた社会を舞台に選んだことの効果は十分にあったと思われる。作者が取材旅行を組んだだけのことはあったのである。狭い社会であるだけに、登場人物はかなり早い人生の決断を迫られるところがある。洋介とその同級生たちは20歳(誕生日が来れば21歳になるということであろう)に設定されている。いっぽうで中学生時代の想い出はまだ間近であり、その一方で旬子の見合いの話に見られるように大人としての生活設計も間近に迫っている。そしてそれぞれが、多少なりとも不条理の含まれた現実を受け入れざるを得ない。事件の真相は一応明らかにされるが、それよりも登場人物がどのように現実を受け入れていくかが物語の眼目ではないかと思う。そこにこのミステリーの異色性を見るべきではないだろうか。

紅玉いづき『現代詩人探偵』

6月7日(木)晴れ、気温上昇

 たぶん、雪国に属するらしい地方の小都市。SNSのコミュニティである『現代詩人卵の会』のオフ会が開かれた。語り手がパソコンに残している日記によれば2004年6月6日のことである。〔この小説についての記事を昨日投稿すればよかった‼〕 会場は駅の隣のファミレス。集まったのは櫻木遊侠先生、近藤奇人さん、治田(はつた)ビオコさん、舵(かじ)ヨウスケさん、小木屋(おぎや)さん、夏炭(かすみ)さん、明日田(あすた)さん、遠野昼夜(とおのちゅうや)さん、そして中学生で最年少の「僕」である。
 「僕」は「蒼ざめた馬」というハンドル・ネームを使っていたのだけれども、集まっていたみなは、「僕」のことを「探偵くん」と呼んだ。それは「僕」が≪探偵≫という詩を投稿していたからである。その詩は
生きているうちに、見つけてみせる。
真実などはなく、
犯人などはいなくとも、
僕を殺した、僕の生きた意味を。
(11ページ)と結ばれていた。
 コミュニティは「将来的に、詩を書いて生きていきたい人」を対象とするものであった。「ずっと詩は捨てずにいきたいけれど、詩を書いて生きる、ということがわからなかった僕にとって、一筋の光明が見えたような気がした。/最後に僕らは、次回オフ会の話をした。次回といっても、定期的に開こうというわけではなく、志をもちそれぞれが詩作に励み、そしていつか詩人として再会しよう、という約束めいたことだった。」(19ページ)

 それから10年がたつうちに、語り手は高校受験があって『卵の会』から離れてしまった。さらに大学卒業後、就職活動に失敗して、インターネットとは縁のない境遇に身を置くようになった。「僕は、何も理解していないし何も得ていない。詩人になれていない。詩は、書いている。一か月に一編書ければいいぐらいの遅筆だけれど。コンビニの深夜のアルバイトの合間に詩作にふけり、川辺を散歩し、図書館まで歩き、本屋に行っては詩の雑誌を読み、そしてそのどこにも自分の名前がないことに絶望する。」(26ページ) その彼が、「来週の金曜日」が「6月6日」であることに気づく。
 「十年の月日が経って。
 生きている詩人はまだ存在しているのだろうか。」(26ページ、念のために調べてみたのだが、2014年6月6日は金曜日で間違いなかった。)

 駅前のファミレスに出かけた語り手を迎えたのは、櫻木遊侠先生、治田ビオコさん、近藤奇人さん、舵ヨウスケさんの4人であった。10年前に集まった9人のうち4人がこの世を去っていたという。9人のうち誰かが誰かを知っていた。しかし全員の近況を知る者はいなかったので、集まって初めてこのことに気づいたという。「詩を書いて生きていく」と約束したはずなのに、彼らはなぜ死んだのか。語り手はそれを調べてみたいと思い、舵さんは君が本当に探偵ならば調べてみろとけしかける。しかし、櫻木先生は「調べたところで死者がよみがえるものではない」といい、近藤さんは調べることで死者に引きずられて自分も死を選ぶ結果を招くかもしれないといって反対する。それでも調べたいというのであれば、その結果を我々に知らせてほしいという条件付きで、4人は語り手による死者の死因の調査を認めることにする。

 「僕」こと、探偵くんは小木屋さん、遠野さん、夏炭さん、明日田さん、それぞれのメンバーの遺族や、恋人(だったと称する女性)を訪ね歩く。小木屋さんは何冊かの死のノートを残していたが、最後まで手放さなかったノートには「イタイ、タスケテ」という農薬を飲んだ時の苦しみのことばしか記されていなかった。つもタロットカードとスケッチブックを持ち歩いていた遠野さんは子どもができたとき、子どもが大きくなる前に教科書に詩を載せたかったといって悔しがったという。彼の残された妻は、探偵くんとの会話を拒否する。夏炭さんは男だと思われていたが、実は同性愛者の女性であった。残るは、大学の非常勤講師をしながら詩を書いていたという明日田さん、本名は金田さんだ…。報告を聞いてきたコミュニティの生き残っているメンバーたちはもうやめろという。明日田さんの死は事故だと警察も認定したというのである。ところが、会が終わった後で、舵さんがとんでもない情報、それを聴いてしまったら、捜査続行を断念できないような情報を伝えてくれる…。

 小説中に登場人物の精神状態を説明するために詩が登場するのは、『チップス先生さようなら』や『失われた地平線』の作者であるジェームズ・ヒルトンが書いた唯一といっていい長編推理小説の『学校の殺人』であるが、この作品は、もう少し上手に詩がはめ込まれているように思う。ヒルトンを引き合いに出したが、語り手を自分の操り人形としながら、<作者の特権>を巧みに行使して物語を進めていくところは、クリスティーを思い出させるところがある。語りの妙という意味では、なかなかよくできた推理小説なのだが、文句がないわけではない。

 この作品全体を通じて、詩を書くことと、生きることの意味が登場人物、特に語り手によって執拗に追及される。詩を書くことの意味も、生きることの意味も、ただ一つのあり方に固定されるものではありえないが、そのような多様性を前提としても、詩と探偵小説とは身近なところがありそうである。『荒地』の田村隆一、鮎川信夫、加島祥造は詩人であるとともに、推理小説の翻訳者として知られていたし、『マチネ・ポエティック』の福原武彦は詩と小説、推理小説を書き、中村真一郎は推理小説は書かなかったが、翻訳はしていた。「僕」が大学時代に研究した中原中也の友人である大岡昇平は戦後の日本を代表する作家の1人であるが、推理小説の愛読者で書き手でもあった。こういう因縁があるから、この小説の語り手、「僕」が探偵役として、コミュニティの死んでしまったメンバーのことを調べようというのも筋が通っている。
 そうはいっても、詩人であるよりも小説家であるほうが推理小説は書きやすいはずである。実際に、(若死にしたということはあるだろうが)中原中也は推理小説を書かなかったが、大岡昇平は『事件』を書いている。だから、詩と推理小説とは、近くて遠き仲とでも表現すべきであろうか。

 ところで、田村隆一は、この小説で言及され、登場人物に畏敬の念を持って語られている萩原朔太郎が明治の講師をしていた時の学生であるが、萩原なんて言うのは前世紀の遺物だと見下して、授業に一度しか出なかったそうである。萩原の娘の葉子の父親の思い出を読んでいると、この時代、萩原はしょっちゅう飲み歩いていたようで、田村も、詩のことは棚に上げて、先生、先生とおだてて飲みにつれてもらって置けば、それはそれで貴重な経験になったはずである。そうはいっても詩というのは本来、反権威主義的なものだから、田村のこの態度は特に反抗的なものとは言えない。その点で、この作品に登場する遠野さんが自分の詩を教科書に載せたいと願っていたというのは、俗臭を感じさせる。推理小説としての骨格というよりも、そこでの詩の取り上げ方に教科書的な古さとか、権威主義的な俗臭とかいうものが若干なりとも感じられてしまうのがこの作品の欠点である。

円居挽『京都なぞとき四季報 町を歩いて不思議なバーへ』

4月28日(土)晴れ

 4月7日に円居挽『京都なぞとき四季報 町を歩いて不思議なバーへ』(角川文庫)を読み終えた後、このブログで取り上げるまでだいぶ時間がたってしまった。その主な理由は、私の仕事部屋の整頓状態が悪く、この本を読み終えた後、どこかに紛れ込んでしまったために、探し当てるのに時間がかかったということで、書物の内容に関連したものではない。

 この作家の作品を当ブログで取り上げるのは、昨年11月16日に『日曜はあこがれの国』(創元推理文庫)、17日に『この絆は対角線』(創元推理文庫)と2日連続で登場させて以来である。この2作品は、東京の四谷にあるカルチャーセンターで知り合った、4人の全く異なる境遇の、別々の学校に通っている中学生たちの経験する様々な事件を扱ったものであるが、あまり現実的ではない設定と事件を、まあ何とか信じられるように語っていく著者の物語の巧みさとともに、著者が「京都大学推理小説研究会出身」というところにも興味をもった。だとすれば京都を舞台にした推理小説も書いているだろうし、かなりの読みごたえがある作品になっているだろうと期待をもったのである。

 実は後で気づいたのだが、この作家のデビュー作らしい『丸太町ルヴォワール』を買って途中まで読んでいた。望月麻衣さんの『寺町三条のホームズ』というシリーズについてもいえることだが、京都のなじみのある地名が書名の一部になっていると、どうしても食指を動かしてしまうのである。ところが買って読み始めたという記憶はあるのだが、作家名と作品名が結びつかないまま、もちろん、著者についての情報も身につけようとせずに、途中で投げ出してしまったというのが、最初の出会いの真相である。

 一浪して京都大学法学部に入学した遠近倫人(とおちか・りんと)は同じ東京の中高一貫制の学校で6年間一緒であり、現役で工学部の電気電子工学科に入学したため、今は先輩になっている東横進に誘われて京都街歩きのサークルである賀茂川乱歩に入部する。新入生歓迎イベントで京都市中の桜の名所を歩くうちに、案内役をしている会長で医学部二回生の大溝耕平は、四つ葉のマークの付いたヤサカタクシーに乗って不思議な経験をしたと語る。タクシーから降りると、大学闘争時代の学生と機動隊とがもみ合う百万遍一帯の様子が目の前に広がっていたという。
 街歩きはいったん解散して、遠近は新歓コンパの際に行うビンゴの賞品を買いそろえるために、同じ新入生でひそかに思いを寄せている理学部1回生の青河幸と2人で買い物をすることになる(そうなったのは遠近の想いを見抜いた東横の差し金なのである)。最後の買い物に出かけた青河をこれまで買った景品を遠近が抱えて一人で待っていると、に新入女子学生の中で一番の美人だと評判の経済学部一回生の灰原花蓮が誰かから逃げるような足取りで店に入ってきて、棚の陰に隠れる。そして彼女を追ってきた男子学生に、遠近が嘘の方向を教えて彼女を助けたことにお礼を言って、戻ってきた青河と遠近の2人の目の前で四つ葉のマークが描かれたヤサカタクシーに乗り込む。
 さて、買い物を終えた青河と遠近は、新歓コンパの会場に移動すべく普通のタクシーに乗って、待ち合わせ場所に着いた。それから5分すると、灰原が乗ったはずの四つ葉のマークのタクシーが到着する。しかし、そこから降りてきたのは着物の京美人、賀茂川乱歩サークルの副会長の千宮寺麗子だった・・・。そしてコンパの席に灰原は現れなかった。・・・

 遠近と青河は四つ葉のクローバーのタクシーに乗ったのは灰原なのに、なぜ千宮寺が下りてきたのかという謎を解くべく、いろいろと調べて回るが、なぞは解けない。そのうち、青河が、大学でささやかれている一種の都市伝説を思い出す。
 京都大学の国内では、時間や場所を問わず、いつの間にか営業している「三号館」という不思議なバーがあるという。そこは、どこにあるのかわからないが、なぞをもつ人であればたどり着くことができる。店の女性マスターはどんな悩みや謎もすっきり解決してくれるという。
 遠近は、「三号館」を探して大学構内を歩き回る・・・

 こうして、賀茂川乱歩で1年を過ごすうちに、四葉のクローバータクシー、鴨川の川床、京都水族館、祇園祭…遠近の身近では様々な謎めいた事件が起き、そのたびに「三号館」のマスターの助けを借りて、謎を解いていく。だが、そもそも「三号館」とは何であり、マスターの正体はなにものであるのか・・・。大学に入ってから約1年間の大学生の歩みをたどる小説というと、主人公が新しい経験に遭遇して自分を変える、あるいは新しい課題を見つけるというような教養小説的展開、あるいは様々な事件に出会うが一向に変化しないというピカレスク小説的展開など、様々なパターンがありうるが、この小説を読む限り、主人公遠近の学生としての成長は遅々として遅く、青河との間柄もなかなか縮まらない。「三号館」のマスターは、このバーのこれまでの客と同様に、どこかで、遠近にもこの店から離れなければならない日がやってくるというのだが、その日は訪れるのであろうか…

 表題は『京都なぞとき四季報』であり、主人公をはじめ登場人物たちは京都のあちこちを歩き回っているとは言うものの、「三号館」は京都大学の構内にしか現れないという設定であり、京都大学を舞台にした小説とみることもできる。私が在学していた頃とはだいぶ様子が違い、学生生活はかなり豊かになり、学生の興味も変化したらしいことは、サークル賀茂川乱歩の描写を通じて想像することができる。そして私が(ふつうは2年で済むところを3年もかけてしまった)教養部というものがなくなるなど、大学そのものの構成も、したがって学内の建築物やその配置も変わっている。しかし、ああ、読んでいて、このあたりのことだな、と見当がつくの場所も少なくない。だから変わらないものもあるのである。

 日本におけるミステリーではなくて、SF小説の開祖の1人である小松左京は京大の先輩であり、かつ私が一時期働いていた会社の重役でもあったが、京都は貧乏学生の街だというのが口癖であった。その代わり、その貧乏学生を大事にして、「出世払い」で遊ばせてくれるのも京都だというのである。そういう人情はなくなってしまっているし、大学を出たから「出世」できるという時代ではまったくなくなってしまってはいるが、それでも、やはり学生たちは自分たちの学生生活を楽しもうとしている。
 私の時代には推理小説研究会などというサークルはなかったか、あってもだれもが気付くような存在ではなかった。私たちの世代は、純文学の同人雑誌をどのようにして出そうかというようなことが主な関心事であったのだが、その後、幾星霜か隔てて、推理小説に興味を持つ学生が増えただけでなく、推理小説研究会は円居以外にも何人かの作家を輩出して、今やすでに一つの伝統を作り出すに至っている。自分が貢献できなかった伝統に対して、どのような態度をとればいいのかというのは難しい問題だが、本来、純文学の作家であったにもかかわらず、推理小説が好きで、自身推理小説を書いている、京大出身の作家大岡昇平(彼も東京の人で、好き好んで京都大学に入学した人である)だったらどう答えるだろうか。もしあの世で、大岡に会う機会があれば、ぜひ聞いてみたい問題である。

ロビン・スティーヴンス『英国少女探偵の事件簿③ オリエント急行はお嬢様の出番』

3月10日(土)曇りのち晴れ

 ロビン・スティーヴンス『英国少女探偵の事件簿③ オリエント急行はお嬢様の出番』(コージーブックス)を読み終える。
 英国にある女子寄宿生学校の生徒で貴族の令嬢であるデイジー・ウェルズと、香港からこの学校にやってきてデイジーと同じ部屋に寄宿しているヘイゼル・ウォンは2人だけの少女探偵団である<ウェルズ&ウォン探偵倶楽部>を結成し、これまで学校内で起きた事件、そしてデイジーの邸で起きた事件の2件の殺人事件を解決してきた。しかし、自分の娘の身辺で連続して殺人事件が起きているのを心配して香港からわざわざやってきたヘイゼルの父親が2人を夏休みにオリエント急行の旅につれ出す。自分と一緒にいれば、事件に巻き込まれることはないだろうというのである。

 時は1935年。アガサ・クリスティーの『オリエント急行殺人事件』が刊行された1年後である(51ページにデイジーがカバンからこの本を取り出す、145ページに彼女がヘイゼルに向かって、この本を読めと勧める箇所がある)。カレー=イスタンブール間を結ぶオリエント急行の機関車に続く先頭車両の一等車に乗り込んできたのは、ヘイゼルとその父親のヴィンセント・ウォン、デイジー、ヴィンセント・ウォンの助手のジョン・マックスウェル、デイジーの実家のメイドであるヘティの5人に加えて、ドーント痩身薬会社の経営者であるウィリアム・ドーント氏、その妻で巨額の遺産の相続人であるジョージアナ(ジョージ―)・ドーント、ドーント夫人付きのメイドであるサラ・スウィートの3人、本人は偶然乗り込んできたというが、ジョージ―の弟で母親の遺産をすべて姉が相続したことをうらんでいるらしい犯罪小説家のロバート・ストレンジ、ジョージ―の信頼する霊媒師のマダム・メリンダ・フォックス、亡命ロシア貴族のデモドフスコイ伯爵夫人と、その孫でアメリカで育ったが英国の寄宿学校に入っているアレクサンダー・アーケディ、脱出マジックの第一人者といわれるイル・ミステリオーソ(どうでもいいけど、イタリア語の発音としてはミステリオーゾが正しいのではないか⁉)、以上かと思うと、発車間際に大物銅商人の妻だというヘレン・ヴァイテリアスという女性が乗り込んでくる。ヘイゼルとデイジーには彼女が、デイジーの邸で起きた事件にかかわったスコットランド・ヤードの覆面捜査官ミス・ライヴドンだとすぐに分かった。彼女が乗り込んでくるということは、この車両で何らかの事件が起きると予測されるのか、あるいは乗客の誰かが外国のスパイなのか。最後に、この一等車には専属のジョセリン・ブーリという車掌が乗務している。

 オリエント急行への乗車の際に強引に割り込んできたドーント氏は乱暴で尊大な人物であるが、結婚1周年のプレゼントとして高価な首飾りを妻に贈るなど、愛妻家ぶりも見せる。その夫人は何となくぼんやりとした、気弱な感じの女性であり、メイドである小柄でかわいい女性のサラは、女主人に対し失礼な態度をとり続けている。ドーント夫人は自分の死んだ母が忘れられず、メリンダ・フォックスにその魂を呼び出してもらって話をしたいというのだが、ドーント氏はそんな妻を叱り、メリンダの高齢術がいかさまだと口汚くののしる。食堂車でドーント夫人がしている首飾りを見たデモドフスコイ伯爵夫人は、伯爵家の伝来のもので、革命のときに手放したものだから、自分が取り戻す権利があるという。伯爵夫人の孫のアレクサンダーはヘイゼルやデイジーと同年配で、2人のこれまでの「功績」をおそらくは知らずに、探偵に興味があるという。そんな彼を2人の少女は無視しようとする。イル・ミステリオーソは以前どこかでメリンダにあったことがあるというが、メリンダは動揺を隠しながらそれを否定する。ミス・ライヴドン(→ヴァイテリアス夫人)が乗り込んでくるということは、この列車の乗客の中にスパイが潜んでいるのだと思った2人の少女は、それがだれかを突き止めようとする。

 売れない作家の(「大衆は私の作品を買おうとしない! 近頃は女性の犯罪小説家の作品が好まれているようだからね。男では太刀打ちできない。まったく!」とご本人が106ページで告白している。推理小説の「黄金期」であったこの時代は、クリスティーやセイヤーズに代表される女流作家の活躍する時代であったことが念頭に置かれている。) ストレンジ氏はペーパーナイフを携行しており、それは他の乗客たちの知るところとなる。イタリアに入国後、夕食の時間を迎え、メリンダに母親の霊を呼び出してもらうというドーント夫人と夫がけんかになり、彼女は自室に引き上げてしまう。サラは女主人の後を追わずに、食事がすんだら様子を見に行くという。ドーント氏も食事を続ける。ストレンジ氏とイル・ミステリオーソが食堂車を去り、伯爵夫人も立ち上がり、サラがやっと女主人のもとに向かい(その時にドーント氏に慣れた様子で合図を送り)、メリンダとヴァイティリアス夫人が食堂を出て行った、その時に悲鳴が聞こえた。

 「あまりにも大きくて甲高い声だったから、列車の汽笛が急に鳴ったと思った人もいたようだ。・・・/でも、あたしには悲鳴だとわかった。」(132ページ) デイジーが走り出し、それを押しのけてドーント氏が急いで、一等車に向かう。ほとんど全員が集まるが、イル・ミステリオーソだけがいない。ドーント夫人の個室にかぎがかかっていて、中に入れない。駆け付けたジョセリンが合いかぎを渡そうとするが、ドーント氏は体当たりでドアを開ける。ドーント夫人が血まみれになって倒れており、ストレンジ氏のペーパーナイフが転がっていた。(調べたところ、だれの指紋もついていなかった。) 伯爵夫人は、ドーント夫人が身につけていたはずの首飾りが亡くなっていることを不思議がる。

 ジョセリンがサンドウィッチという医師を連れてきて、死亡が確認される。かれは医師であるだけでなく、アマチュア探偵として前年に起きたサタスウェイト氏殺害事件の解決に役割を果たしたというので、国際警察の代理として事件の捜査に当たることになる。その助手として、なんとアレクサンダーが名乗りを上げる。ヘイゼルの父親、そしてヴァイテリアス夫人はヘイゼルとデイジーが事件に首を突っ込むことを何とか止めようとしているのだが、そんなことでひるむ2人ではない。監視の目や制止の手をすり抜け、振り払い、事件の真相に近づこうとする…。

 ここまでの紹介だけでもお分かりのように、アガサ・クリスティーの『オリエント急行殺人事件』(Murder on the Orient Express、1934)のパスティーシュである。そのことは、作者自身が2015年に書き上げられたこの本の「まえがき」でも書いている。クリスティーの作品を15年前に読んだ時から何度も読み返していると書いているから、作者はかなり若い。アルバート・フィニーがポアロに扮した1974年の映画化作品を作者は何度も見たというが、この映画が作られた時にはまだ生まれていなかったようである。て原題はFirst Class Murder「一等車の殺人」であるが、first-classには「一流の」という意味もあることも意識しているようである。

 『オリエント急行殺人事件』でポアロは、中東から英国に帰る旅(ポアロは飛行機が嫌いであった)の手段としてオリエント急行に乗る。東から西へと旅するのだが、この作品でデイジーとヘイゼルはカレーからイスタンブールに、つまり西から東へと移動する。事件が大きく動くのはユーゴスラヴィア(という国は今はなくなってしまった)に入ってからだというのは、両作品とも同じ。登場人物にもある程度の共通性があるように設定されている。それからクリスティーをよく読んでいる方はお気づきだと思うが、サタースウェイト殺人事件のサタースウェイトはクリスティーの短編集に登場するハーレ・クインの相棒で、ポアロ物の『三幕の殺人』にも登場する人物と同じ名前である。また、この作品でメイ探偵ぶりを発揮するサンドウィッチ医師はエディンバラ大学で学位を取ったばかりだという設定になっているが、エディンバラ大学はシャーロック・ホームズの生みの親=コナン・ドイルの母校である。

 あらすじの紹介で、できるだけ伏線を浮かび上がらせるようにしたが、なかなかそのあたりの仕掛けは巧妙である。登場する大人たちのかなりの部分が自分の素顔を見せないところがある。仮名を使っているヴァイテリアス夫人はもちろんだが、伯爵夫人は足が悪いふりをしている。他の人々も何か秘密を隠している。嘘や秘密にはやむを得ないもの(たとえば自分がユダヤ人であることを隠す)と、悪意に基づくものがあり、ひとくくりにするわけにはいかない。そういう大人たちを相手にデイジーは平気でうそをついたりしながら、推理を展開する(ヘイゼルとアレクサンダーは、わりに正直で、だからお互いに好感を持ち合っているところがある。)訳者が「あとがき」で書いているように、第2作ではデイジーの家庭と、父親が重要な役割を演じていたが、今回は、ヘイゼルの父親がデイジーの父親とは全く違う、権威主義的・家父長的な存在感を見せる。しかし、最後まで読んでいくと、意外に…というところがあるかもしれない(これは第2作とも共通する)。少女探偵が主人公とはいえ、あまり子ども向きの話ではないのだが、子どもから大人への移行期にある探偵たちの個性を描き分けていることで、大人である読者のこの時代への郷愁を掻き立てるところがある。
 

 
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