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ポール・アダム『ヴァイオリン職人の探求と推理』

12月6日(金)曇り

 12月3日、ポール・アダム『ヴァイオリン職人の探求と推理』(創元推理文庫)を読み終え、12月4日に同じ著者の『ヴァイオリン職人と天才演奏家の秘密』(創元推理文庫)を買って、12月5日に読み終えた。引き続き、シリーズ第3作である『ヴァイオリン職人と消えた北欧楽器』(創元推理文庫)を読んでやろうと思っているところである。

 イタリア北部ロンバルディア州のクレモナはローマ時代からの歴史を持つ都市であるが、近世にグァルネリ、アマティ、ストラディヴァリといった弦楽器製作の名匠が現れ(その多くが、一族で製作に携わった)、現在もその伝統を伝えている。
 語り手であり、主人公でもあるジョヴァンニ(ジャンニ)・カスティリョーネはクレモナで生まれ育ち、子どものころにヴァイオリン演奏を習ったが、自分の限界を知って、弦楽器職人のバルトロメーオ・ルフィーノの徒弟になり、彼のもとで9年間修業して独立した。弦楽器を製作する傍ら、古い楽器の修理に取り組み、むしろ修理の方で名声をえるようになった。妻に先立たれ、子どもたちとは別居して、クレモナ郊外の工房で仕事に励む彼の楽しみは、月に一度、仲間たち、同じ弦楽器職人で元はオーケストラのひらのヴァイオリン団員だったトマソ・ライナルディ(第一ヴァイオリン)、アリーギ神父(ヴィオラ)、クレモナ署の刑事である(ジャンニの息子の友だちでもある)アントニオ・グァスタフェステ(チェロ)と弦楽四重奏を楽しむことである。

 4人で演奏と、ワインと、おしゃべりを楽しみ、トマソとアリーギ神父が帰った後、残る2人は会話を続けていたが、そこへトマソの妻のクラーラから、トマソがいつまでたっても帰ってこないという電話がかかってくる。2人(ジャンニとアントニオ)は心当たりを探し、さらにトマソの工房を覗いてみるが、そこで見つけたのはトマソの死体であった。なぜ、彼は帰宅せずに工房に戻り、しかも死体で発見されることになったのか…。

 どうやら、この事件には、トマソがその前から”メシアの姉妹”と呼ばれる幻のヴァイオリンを探していたことと関係がありそうである。「メシア」あるいはフランス語の「ル・メシー」はストラディヴァリがその絶頂期にあった1716年に製作したヴァイオリンで、何人かの収集家の手を経て、オックスフォードのアシュモリアン美術館に収蔵されている。ほとんど演奏されたことはないが、ヨーゼフ・ヨアヒムが1891年に少しだけ弾いたという。それと同じ価値のある、完ぺきで手を加えられていないストラディヴァリのヴァイオリンがあれば、とほうもない値がつけられるだろう。

 事件の性格から見て、ヴァイオリンについての専門的な知識が必要なので、アントニオの仕事をジャンニが手伝うことになる。トマソは、そのヴァイオリンについての何らかの情報を手に入れ、探し出そうとしていた。そして殺される2日前に、ヴェネツィアに住んでいる有名なヴァイオリン収集家のエンリーコ・フォルラーニという人物と接触していたことが分かり、ジャンニとアントニオは、フォルラーニに会いに出かける。フォルラーニはヴァイオリンの収集以外にはほとんど金を使おうとしない奇人であった。2人がもう一度フォルラーニに会おうと彼の家に出かけると、彼は殺されていて、彼が収集したヴァイオリンの中から”蛇の頭のマッジーニ”と呼ばれるヴァイオリンが盗まれていた。他の(もっと高価なものもあるのに)ヴァイオリンが手をつけられた様子がないのも不思議であった。これら2件の殺人事件の犯人は何者なのか。そして幻の名器は見つかるのか・・・?

 「職人仕事の世界はとくに神話づくりをしがちであり、とりわけそれをうながすところである。皮肉な人間なら、そうすれば値段を吊り上げておけるからだと言うだろう。美術品ディーラーは失われたラファエロが、ファン・ゴッホが、どこかの変わり者の老貴婦人の屋根裏部屋からほこりにまみれてあらわれた話をする。音楽学者は未知のシューベルトの交響曲が、長く紛失していたモーツァルトの楽譜が、とある無名のコレクターの書斎から劇的な経緯で見つかった話をする。そしてヴァイオリン職人は”ル・メシー”、すなわち、完璧な、誰も弾くことのない、値段のつけられないストラディヴァリの物語を語るのだ。」(47ページ) つまり、この作品は殺人事件の犯人探しとともに、宝探しの物語でもある。そういう二重の面白さがある(いやそれ以上かもしれない)。
 この二重の捜査のために、ジャンニとアントニオは走りまわる。名前を付けられ、その存在について特定されてきた有名なヴァイオリンが、いつ、だれの手にあり、誰の手に渡されたかを記す古文書を探し、探し当てるとそれを手掛かりとして、また別の文書を探すというような現在と過去の往復が続けられる。これがこの作品(シリーズ)の特色の一つである。歴史的な事実がもとになっているが、適当に虚構が織り込まれている。両者が適当に混ざり合っているところに、この作品の面白さがある。

 作者のポール・アダムは英国人で、イタリアを舞台とした推理小説を書くというのはかなりの知識を必要とするはずだが、イタリアについて、あるいは音楽について、特にヴァイオリンについての知識はなかなかのものである(本当に詳しい人が読んだら、どんな感想を持つか、聞いてみたいところがある)。二重の捜査と書いたが、あるいは三重かもしれず、語り手が徒弟として弦楽器造りを習ったルフィーノという職人は、実は名器の贋作づくりという裏の顔を持っており、そのことがこの作品にもう一つのスリルを与えているところがある。謎が謎を生んで展開していく読み応え十分なミステリーである。
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田中啓文『貧乏神あんど福の神』

10月17日(木)曇り、今にも雨が降りだしそうな空模様である。と、思っていたら、夕方になって雨が降り出した。しかし、それほどの雨にもならないようだ。

 10月15日、田中啓文『貧乏神あんど福の神』(徳間文庫)を読み終える。
 ミステリー、ホラー、伝奇とさまざまな領域の作品を発表してきた著者による、徳間文庫書下ろしで、大坂西町奉行大邊久右衛門とその配下の同心村越勇太郎が活躍する『鍋奉行犯科帳』シリーズ(集英社文庫)、幕末の大坂・浮世小路で竹光づくりの傍ら、民間のもめ事を解結る雀丸の活躍を描く『浮世奉行と三悪人』シリーズ(集英社文庫)に続く、大坂を舞台とした時代物の小説である。これまでの2つのシリーズも伝奇性は強かったが、今回は、普段絵の中にいるが、折を見ては抜け出す疫病神キチボウシなどという奇怪な存在が登場し、もはや推理小説の範疇に入れるのは無理かもしれないが、これまでの行きがかりで、推理小説として取り上げていく。

 大坂の福島羅漢まえにある「日暮らし長屋」に逼塞する葛(かつ)幸助は、もとはさる大名のお抱え絵師だったのが、絵の修業をなおざりにして剣術に打ち込んだ結果、藩主に命じられて描いた肖像画の出来があまりに悪くてその怒りを買って浪人、大坂に出たものの絵の注文はほとんどなく、やむなく筆作りの内職で糊口をしのいでいる。幸い、こちらの方は評判がいいが、さほどの収入になるわけではなく、手間賃はすぐさま大家に家賃の滞納分を埋め合わせるために没収されてしまう。もっともこの大家さん、絵の腕前は定かではないが、剣術は達人級の幸助の人物を見込んで、昼となく夜となく、自宅で食事をさせているのだから、因業とは言えない。

 紙屑屋から二束三文で買い入れた安倍晴明と付喪神の絵の中に描かれた瘟鬼(おんき=疫病神)がネズミのような動物に姿を変えて、絵から抜け出しては、酒とスルメをせびるようになり、さまざまな凶事を呼び込み始めた。落雷で燃え上がった木の破片が飛び込んできたり、刃物を持ったごろつきが走り込んできたり、酔っぱらった相撲取りが暴れこんできたり、馬が走り込んできたりする…。そんなこんなで天井は焼け焦げ、竃には相撲取りの手形がついているという住まい、身なりはというと夏も冬も垢じみたぼろぼろの着流し一枚、顔が貧相で貧乏くさいということで、陰で…どころか面と向かって貧乏神と呼ばれている。(筆屋「弘法堂」の職人まわりの丁稚が鶴吉から亀吉に代わったとたんに、面と向かって『貧乏神』扱いされることになったのである。)
 妙徳寺は、現在は東大阪市額田町にあるが、昭和2年(1927年)までは大阪市福島区にあった黄檗宗の寺であり、江戸時代に五百羅漢を安置したので、羅漢寺とも俗称されたそうである。そういえば、東京の目黒区にも五百羅漢寺があって、もともとは黄檗宗の寺であったが、現在は浄土宗系だそうである。あまり私事は語りたくないが、実は私、大阪市福島区でも東京都目黒区でも働いたことがあって、不思議な因縁を感じるのである。

  ある晩、幸助がやっと飯にありついて寝ようとしていると、隣に住むおとらばあさんが近所の青土稲荷の森で殺人事件があったのを目撃したと駆け込んでくる。ばったり会ったらしい2人の人物の一方がもう一方を殺したのだが、「狐が狸のむじなになっている」という会話が聞こえたのだという。確かめに行ってくれというので出かけてみると、確かに死体を見かける。それだけでなく大坂西町奉行所の古畑という同心と鉢合わせをする。
 翌日、幸助の長屋を瓦版屋の生五郎が訪れ、紀州屋という瀬戸物屋に賊が入り、主人一家が皆殺しにされたという。この事件の様子を絵にしてくれという頼みである。幸助は本職の絵は下手だが、こういう絵はうまいのである。奉行所はこの紀州屋の事件にかかりきりで、青土稲荷の事件など後回しだというが、どうも2つの事件は関係しているのではないかと幸助はにらむ。
 そこへ筆作りの材料を持って現れたのが亀吉。なぜか筆の材料はどんな獣の毛を使い、どこから仕入れるのかなどと、幸助は訊きただす。
 朝から絵を描き、筆作りの下準備をして、よく働いた(当たり前だ!)と幸助が寝ようとすると、また生五郎がやって来て、絵入りの瓦版がよく売れたと、いくばくかの銭を幸助に渡す。さらに、青土稲荷の森で殺されたのは、ゲジゲジのガン太という小悪党であったという情報ももたらす。
 金が入ったので、酒を買おうかと表に出た幸助だが、ふと、気がかわって北の新地へと足を向ける。あるお茶屋の二階から小判が降ってくる。かくれ遊びだと称して小判をばらまいているどこかの若旦那が、小判をばらまいたその一枚がこぼれてきたらしい。福の神などと呼ばれるこの若旦那、一晩に千両をばらまいたこともあるという。そういうことが気に入らない幸助は、一両を返しに行き、福の神あるいはお福旦那と呼ばれる謎の男に会おうとするが、会ってみるとなぜか意気投合する。二人とも、ムジナと呼ばれる幇間を探している。そして、その男が現れる。幸助は、それを潮に引き上げるが、両名ともに、相手が敵か味方かはわからないが、タヌキとムジナ、あるいは青土稲荷の事件と紀州屋の事件とに繋がりがあると考えているようである。
 ということで第一話「貧乏神参上」は、貧乏神と福の神の出会いにより物語が大きく動き出す。この後は、読んでのお楽しみ。

 第二話に移る前に、第一話にも登場する筆屋・弘法堂の丁稚・亀吉が引き起こす珍騒動を描いた「素丁稚捕物帳 妖怪大豆男」という幕間劇が語られる。
 そして第二話は「天狗の鼻を折ってやれ」。幸助の部屋で首をつって死のうとしたが、梁が折れて助かったという男から、首つりにいたった一部始終を聞くうちに、鞍馬山の天狗に絡んだ、語りの一件が明らかになっていくという話。ここでも貧乏神と福の神の共同作業が展開する…。

 田中さんの作品は真実性というよりも虚構性の面白さ、時代と場所の設定を手掛かりにどのように奇想天外な物語を展開していくかというところに特色があり、貧乏神の幸助(亀吉の言うように、幸助ではなく、不幸助の方が似合っているかもしれない)と福の神のお福旦那というありそうもないコンビの設定が今後どのような物語を呼び込んでいくのかというシリーズ化への期待を抱かせる。これまでのところ、あまり活躍を見せない疫病神が、今後どのようにその姿を変えていくかも楽しみである。

 思ったよりもまとめるのに骨を折りまして、皆様のブログを訪問するための時間が無くなってしまいました。今晩はこれにて失礼させていただきます。

 

ポール・ギャリコ『幽霊が多すぎる』

10月2日(水)晴れ、気温上昇、暑い日が続くが、風邪は完治しない。

 9月30日、ポール・ギャリコ『幽霊が多すぎる』(創元推理文庫)を読み終える。
 この『幽霊が多すぎる』(Too Many Ghosts, 1959)は『スノーグース』(The Snow Goose, 1941)、『雪のひとひら』(Snowflake, 1952)、『七つの人形の恋物語』(Love of Seven Dolls, 1954)、『猫語の教科書』(The Silent Miaow,1964)、『ほんものの魔法使』(The Man Who Was Magic: A Tale of Innocence, 1966)、映画『ポセイドン・アドベンチャー』の原作である『ポセイドン』(The Poseidon Adventure, 1969)など様々な作品を書きつづけたポール・ギャリコ(Paul Gallico, 1897-1976)の唯一の長編推理小説である。

 ギャリコはニューヨーク生まれの移民二世の作家であるが、この作品は1950年代のイングランド東部ノーフォークの16世紀に建てられたパラダイン館という貴族の城館が舞台となっている。第二次世界大戦後の英国では、福祉国家政策がとられた結果、相続税が厳しくとりたてられるようになり、貴族・上流階級の没落が顕著な現象になったというのは、アガサ・クリスティの作品などでおなじみの社会的な状況である。
 当主の死によって莫大な相続税を支払わなければならず、財政的に危機に陥ったパラダイン家は城館の東翼をカントリー・クラブとして開放し、当座の収入を確保することにした。しかし、その東翼でポルターガイストが悪戯を始めた。同じころに修道衣をまとい、フードを被って薄暗い廊下を音もなく歩きまわるという、この城館に古くから伝えられている尼僧の幽霊が、1世紀半ぶりに姿を現した。さらにこの城館の音楽室で、深夜ハープがひとりでに音楽を奏で始めるという怪異も経験された。そしてポルターガイストが東翼だけでなく、西翼にも出没するようになっただけでなく、ある晩餐の席で、この幽霊騒ぎにはおぞましい、危険な、命にかかわりかねない何かが潜んでいると思わせるような事件が起きたために、神霊研究家、私立探偵、悪霊祓い師、そして家屋除霊師という肩書を持つアレグザンダー・ヒーローを解決のために呼び寄せることになった。

 城館に住むパラダイン家の人々は当主のジョン・パラダイン卿(男爵)、その妻であるイーニッド、息子のマーク、娘のエリザベス(ベス)、パラダイン卿の妹のオナラブル・イザベル、故人となった弟の子であるフレデリック(フレディ)であり、そのほかに、彼らの客として隣人であるリチャード・ロッケリー卿(准男爵)と、ベスがロンドンで友だちになったというアメリカの外交官の娘で驚くほど美しいスーザン・マーシャルである。
 東翼のカントリー・ハウスの客というのは、下院議員のホレース・スペンドレー=カーターとその妻のシルビア、娘のノーリーン、隠居した服地商であるアルフレッド・ジェリコット、原子物理学者のエベラード・ポールスン、陸軍少佐のハワード・ウィルスンとその妻ヴィヴィアン、寡婦のジェラルディン・テイラー、水力発電技師のディーン・エリスンである。
 このほかにポルターガイストが大暴れした晩餐には、教区牧師のハリー・ウィザースプーンと医師のサミュエル・ウィンターズが招かれていた。
 探偵役のアレグザンダー・ヒーローは、英国に亡命してきたユグノー(フランスのプロテスタント)の子孫で、好奇心いっぱいで出しゃばりの通いの家政婦ハリス夫人(ギャリコの別のシリーズの女主人公でこの作品には「カメオ出演」している)の干渉をよそに、義理の妹であるレディ・マーガレット・カランダー(メグ)の助言を得ながら、捜査に当たる。後になって、メグもパラダイン邸に乗り込むことになる。

 ギャリコの名作といえる『本物の魔法使』は、ひと目を欺く<魔術師>たちのなかに、本物の魔法使いが紛れ込んできたために起きる騒ぎを描いているが、パラディン城館で起きる怪奇現象は本当に幽霊が起こしているものか、それともだれか現実の人間がそのように見せかけているのか。ヒーローが見抜いたように、「幽霊が多すぎる」。パラディン館を取り巻く様々な怪奇現象は、どうも複数の人物が関係して起きているもののようであり、彼らを取り巻く事情は複雑に入り組んでいる。
 そして、マークとリチャード(ディック)、さらには探偵役のはずのアレグザンダー・ヒーローまでスーザンの魅力に取りつかれるし⦅「いとこのフレディ」も忘れてはいけない⦆、ベスはディックを愛しているらしい、ディックの息子のジュリアンはベスの方を母親にしたがっている。ディックに思いを寄せる女性はほかにもいるかもしれず…。さらに、メグが継兄を見つめる視線には何やら異様なものがあると観察した人間もいる…。

 これは1950年代の終わりに書かれた、ほぼ同時代の状況を反映した小説であり、21世紀の今日になってみると、幽霊が出るというのはスキャンダルであるよりも、宣伝材料である。現実に、私も幽霊が出るということを案内に堂々と書いているホテルに泊まったことがある。そういう時代の変化を考えると、この作品で魅力的に思われるのは、さまざまな怪奇現象が果たして本物なのか、それとも誰かが仕組んだものなのかというなぞときよりも、入り組んだ人間関係やそのなかでの人々の思いの描写ではないかと思う。パラディン卿はカントリー・ハウスの経営を結構楽しんでおり、オナラブル・イザベルはカントリー・ハウスを不快に思っている。兄妹でも価値観が違う。そうしたことも、案外身近なことがらかも知れず、一見、浮世離れしたこの作品に現実性を与えているようにも思われる。そしてそういう現実性が、この作品のミステリーとしての骨格を支えているのである。

愛川晶『高座のホームズみたび――昭和稲荷町らくご探偵』

9月27日(金)曇りのち晴れ

 愛川晶『高座のホームズみたび――昭和稲荷町らくご探偵』(中公文庫)を読み終える。

 西伊豆の禅寺で仏像の写真を撮っていたカメラマンの鈴木さやかは、老住職との会話から、この住職が昔、落語家であったことを知る。落語家が僧侶に転身した理由とは…それは8代目の林家正蔵(彦六)が得意にしていた「一眼国」という噺と関係があるのだという。
 
 昭和54(1979)年のこと、新宿区神楽坂にある寄席・神楽坂倶楽部では正蔵が「一眼国」を演じていた。この日、トリを務める佃家傳蔵の弟子である佃家梅蔵と花蔵は下手の袖でその話を聴きながら感心しきりであったが、そろそろ自分の師匠が楽屋入りをする時間だと思って楽屋に戻ろうとする。師匠との相性が悪く、真打にはなったものの一門の由緒のある名前を継がせてもらえなかった梅蔵と、対照的に、異例の速さで真打に昇進することが決まっている花蔵であるが、2人の仲は良い。その花蔵が過日、師匠からけいこをつけてもらった「一眼国」を演じたところ、好評だったというが、本人としては気になっていることがあるという。それは一部の地方でいわれている男の子と女の子の双子は、心中の生まれ変わりだという迷信で、実は花蔵自身がその双子の片割れなのだという。

 さて、この後、傳蔵一門をさまざまな事件が襲う。その事件に取り組むのが、一日だけ8代目の正蔵に入門し、署長に強く慰留されて思いとどまることになったという平林貞吉(さだよし、落語との関係でみんなが「サダキチ」と呼んでいるという尾ひれがつく)巡査部長である。さらに、実は、たいへんな名探偵だという稲荷町の師匠が推理を働かせる…。

 というわけで、シリーズ3作目のこの作品、それなりに面白いのだが、実は、ここで取り上げたのは、どうも惜しいミスが目立つからである。それを列挙するつもりで、昨夜、原稿を書きかけたところで眠ってしまい、皆様に失礼をしたしだい。名誉挽回にはならないが、一つ一つ書いていくと:
 16ページ、「一眼国」で香具師が六部に珍しい話はないかと聞く際に、六部について説明している個所の「法華経を六十六回書写して、六十六か所の霊場に一部ずつ納めて歩く巡礼者」というのは、訂正を要する。そもそも、作者は66という数字が何を意味するのかが分かっていない。これは66国2島という日本の昔の地方行政制度によるもので、それぞれの国(と島)には一宮が置かれている。その一宮に般若心経(法華経ではない)を治めて歩いたのが六十六部、略して六部である。一宮というのは、国司がその国に赴任して最初にお参りをする神社のことで、次が二宮、三宮と続くのだが、面倒なので、そういう格式の高い神社をまとめて総社というのを建立するようになった。例えば越前の国の一宮は気比神社であるが、国府は越前市(武生)にあり、総社は越前市に作られた(そんな手間をかけるくらいなら、京都から越前市に移動する途中で敦賀にある気比神社にお参りすればいいと思うのだが…)。

 話が横道にそれた。41ページに、梅蔵の父親は昭和17年に大学の教育学部を卒業して、翌年3月に召集を受け、二等兵として大陸に渡ったというが、これははっきり誤り。そもそも昭和17年に大学の教育学部というのは存在しない。教育学部が発足したのは戦後の昭和22年であり、しかもそれは一部の大学においてであり、その他の国立大学で学校の先生の養成課程として設けられたのは学芸学部であった。昭和17年の時点で小学校の先生の養成機関であったのは師範学校である。師範学校を卒業して、二等兵として大陸に渡るというのも、あまりありそうな話ではない。なぜなら、師範学校卒業までに軍事教練を受けているから、下士官として召集を受けているのではないかと思う。

 57ページの「大安売り」口演の終わり近くで、力士が突き飛ばした「行事」は「行司」の誤り。たぶん、編集者の見落としであろう。かなりひどいミスである。

 95ページ、「ちりとてちん」は江戸落語「酢豆腐」の上方版と書いているのは明確な誤り。上方落語の「ちりとてちん」が東京に輸入されて「酢豆腐」になったのであり、東京の落語でも柳派の落語家例えば、5代目の柳家小さんなどは「ちりとてちん」として演じていた。多くの落語は、もともと上方のものだったのを、誰かが東京に移したという来歴を持つものが多く、その逆はあまり見られない。「酢豆腐」を得意とした8代目桂文楽の高座、その8代目にかわいがられた5代目小さんの「ちりとてちん」のちがいに注意を払わないのはともかくとして、この噺の上方起源(朝ドラにもなったではないか)に気づいていないのは、それこそ「酢豆腐」の謗りを免れない。

 というようなことで、それなりに面白いミステリーではあるのだが、つや消しな部分が多かったということを書きたかったのである。
 

東川篤哉『かがやき荘西荻探偵局』

7月25日(木)晴れ、暑し。

6月26日、東川篤哉『かがやき荘西荻探偵局』(新潮文庫)を読み終える。
 
 商事会社で経理を担当していたミステリ・マニアの推理オタク小野寺葵、31歳;家電量販店の販売部につとめていた茶髪ショート・ヘア、方言女子の占部美緒、30歳;銀行に勤めていた黒髪・ツインテールでいまだに高校の制服を着る趣味がある関礼菜、29歳。3人のアラサー女子は、それぞれに趣味が高じて職場にいづらくなり(あるいは追い出され)、就職先の寮やアパートも追い出され、アルバイトを掛け持ちして食つなぐ(というよりも、趣味をあきらめていないので、出費が多いのである)日々、最終的に西荻窪のかがやき荘という一軒家をシェアハウスして生活している。

 このかがやき荘の持主というのが、中央線沿線で絶大な権勢を誇る法界院財閥の会長である法界院法子、この家はもともと法界院家の別邸で彼女が女子大に通っていたころに住んでいたのを貸に出したのである。かがやき荘の3人が家賃を滞納しはじめたので、自分の遠い親戚にあたる成瀬啓介という29歳の人物を見習い秘書に登用して、家賃の取り立てに出向かせる。ところが、出かけようとするその朝、法界院邸の離れに居候していたこれまた法界院家の遠い親戚だという真柴晋作という人物が謎の死を遂げるという事件が起きる。3人組は名探偵である葵の力で事件を解決して、それで家賃と相殺してもらえればと言い出す。意外にも法子女史は3人の申し出を受け入れ、3人は捜査に取り掛かる…というのが第1話:「かがやきそうな女たちと法界院家殺人事件」である。

 ある夜、美緒が見つけて持ち帰った洗濯機が夜になると動きだして、ぞうきんを洗っているという事件が起きる。その一方で、法子夫人の家庭教師をしていた女性の住んでいるマンションの一室で、怪しげな男の死体が発見される。この殺人事件を解決したら、当月分の家賃をタダにするということになるが、実はこの2つの事件は…というのが第2話:「洗濯機は深夜に回る」である。

 法界院グループに属する広告社の女性社長の、父親が週末になると出かけていくが、母親に隠れて浮気をしているのではないかという疑惑を解明することを3人組が頼まれ、3人が尾行を開始するが・・・というのが第3話:「週末だけの秘密のミッション」である。第1話、第2話が殺人事件だったのに対して、第3話は日常の謎と言っていい話になる。この父親が自動車の中のラジオでプロ野球の交流戦のタイガースとライオンズの試合の実況を聞いていて、ライオンズが中村選手の本塁打で同点に追いついたものの、延長戦の結果惜敗したなどという細かい話が出てくる。あるいは作者はライオンズは好きではないが、(おかわり君というあだ名こそ出していないものの)中村選手が好きなのかもしれないなどと勝手な想像をかきたてられている(実は私がそうである)。

 第3話までは3人組が(時には成瀬の助けを借りて)事件を解決するのだが、今回は、事件の当事者になる。
 葵がアルバイト先のコンビニから帰る途中で、《西荻向上委員会》の活動に身を投じているという中年の紳士に声をかけられる。会の発行する雑誌の表紙を飾ってほしいというのである。「男性経験の極端に少ない」(345ページ)葵を毒牙にかけようとする結婚詐欺師のたくらみでは…と残る2人は心配して…ということで第4話:「委員会からきた男」のストーリーが展開する。これまで探偵役として活躍していた葵が今度は探偵される側にまわる。どこかで読んだような話(解説の香山二三郎さんはカトリーヌ・アルレーなんて余計なことを書いている)の展開ではあるが、これまでの3話で刷り込まれている登場人物の個性がその中にうまくはめ込まれている。

 「類稀(たぐいまれ)な探偵力と、信じがたいほどの詰めの甘さ」(217ページ)を持つ3人組の活躍は、どうもこれからも続きそうである。この作者の作品としては、瀬戸内海の島で起きた事件を女性探偵が解決する『館島』(創元推理文庫)を読んでいるが、ここではまた別の面白さが感じられた。余計なことを書いているといったが、香山さんの言うように、この短編集は順を追って読んだ方が面白いし、登場人物への理解も深まる。続編も既に出ているようなので、文庫本になったらまた読んでみるつもりであるし、この作者の代表作らしい『謎解きはディナーの後で』も読もうと思っている。

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