田中啓文『俳諧でぼろ儲け 浮世奉行と三悪人』

12月17日(日)晴れ

 12月16日、田中啓文『俳諧でぼろ儲け 浮世奉行と三悪人』(集英社文庫)を読む。16日といっても、実際は17日の午前3時ごろまでかかって読み終えたのである。おかげで、翌朝は起きるのがつらかった。

 幕末の大坂の町、高麗橋筋と今橋筋の間にある「浮世小路」に住んで竹光屋(真剣そっくりの竹光をこしらえて売る商売)を営んでいる雀丸は、もとは奉行所の与力であったが、父母の死後、故あって武士を廃業、この仕事を始め、「蟹のご隠居」などとあだ名されている元気な祖母と二人暮らしを続けている。ところが、ある日、武士たちに取り囲まれて困っていた老人を助けたことから、その老人の仕事である横町奉行を引き継ぐことになってしまった。横町奉行というのは奉行所にお願いしていたら時間がかかって仕方がないような庶民のもめごとを民間の知恵で解決しようと私設された役職(?)である。普通は経験豊かな老人が引き受けているのだが、幕末の諸事多難なおり、若い雀丸の方が適任ではないかという先代のたっての要望での就任である。

 雀丸の仕事を助けるのが、表向き悪徳商人(裏もやはり、かなり悪徳商人)の豪商・地雷屋蟇(ひき)五郎、四天王寺に近い口縄坂に一家を構え、子方たちを従えて侠客の看板をあげている女伊達の鬼御前、「葷酒山門に入るを許す なんぼでも赦す」という石柱を山門の横に立てて臨済宗の本山から縁切りをされた、酒好き、からくり好きの生臭坊主大尊和尚。いわゆる三悪人。この3人は先代からの引き継いだ顔ぶれであるが、このほかに、奇妙な格好で街をうろつきながら、おもしろい嘘で酒席を盛り上げる「嘘つき」の芸人の夢八が雀丸に貴重な情報を提供してくれる。さらに雀丸の猫友である東町奉行所同心皐月親兵衛の娘・園も情報源となることがある。

 ということで、雀丸が横町奉行の仕事を引き受けるに至るまでに起きた様々な事件を描く短編(というよりも中編に近い)小説集が前作(シリーズ第1作)『浮世奉行と三悪人』の概略である(雀丸が浮世小路に住んでいることから、世人は横町奉行とも浮世奉行ともいったという)。今回は、いよいよ横町奉行としての仕事ぶりが本格的に描かれる。と、思いきや、彼の元に持ち込まれたのは近所に住む浮世絵師の長谷川貞飯の家の夫婦げんかで、理由はというと、美人画はだめだが名所絵ならばなんとかなるという貞飯に絵の買い手がついて、懐が豊かになってきているのを、貞飯の妻が浮気と思っているということである。絵の注文主は三悪人の一人である地雷屋蟇五郎だという。そのうち、貞飯が所在不明になる。地雷屋と連絡をとろうとすると、彼は奉行所から抜け荷(密貿易)の罪で捕らえられたという。まさか、地雷屋にかぎってそのようなことをするわけがないと、雀丸たちは事件を調べ始める・・・というのが「抜け雀の巻」。落語の「抜け雀」は5代目の古今亭志ん生が得意にした話のひとつで(志ん生の息子が9代目金原亭馬生、古今亭志ん朝と2人も落語家になっていたから余計におかしかった)、上方では「雀旅籠(はたご)」ということはこの小説を読んで初めて知った。この噺が、最後の方で行方不明になっていた貞飯救出の鍵になるのでそれはお楽しみに…。

 大坂の二つ井戸に住んでいる風狂庵現青という俳諧の宗匠が芭蕉の真筆の辞世の句を見付けたと言い出し、その句碑建立のための発句のコンテストを開催する。優勝者には百両という賞金が出るというので、雀丸の祖母の加似江、鬼御前などまで応募しようと躍起になる。当時大坂でしのぎを削っていた2人の宗匠、前川露封と滔々庵梨考はともに面目にかけても負けられない戦いとなる。一方、雀丸の身近には河野四郎兵衛という怪しげな浪人者が出没し、小林八茶という飲兵衛の俳諧師らしい老人が居候として転がり込む。さて、誰の句が優勝するのか、いや、そもそも「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」以外に芭蕉の辞世の句はあるのか…というのが「俳諧でぼろ儲けの巻」。

 大坂の町で子どもがさらわれるという事件が頻発する。さらわれた子どもが金持ちの子とは限らないこと、したがって奉行所に届けるとろくなことがないぞという脅し文句とともに要求される身代金が多くはないこと、身代金を払っても子どもは返ってこない(一軒だけ帰ってきたという家がある)ことなど、不思議な共通点が多い事件である。そういえば、さらわれたのは男の子だけだったのが、これも一軒だけ女の子がさらわれたという家がある。事件は奉行所の知るところとなり、皐月親兵衛が解決を命じられる。その一方で雀丸もこの事件を知り、ひそかに事情を探っていくと、さらわれた子どもたちには共通の身体的な特徴があることがわかる…というのが「あの子はだあれの巻」。

 実際に起きた事件や実在の地名・人名を巧みに織り込んで、虚構の事件が展開していくのが、田中啓文の作品の特徴である。この作品の時代は「幕末」であると書いたが、雀丸が武士をやめ、河野が浪人をする遠因となったのが大塩平八郎の乱(天保8年、1837)で、同じ年にアメリカ船モリソン号が浦賀に来航するというモリソン号事件が起きているから、「抜け雀」の抜け荷の一件にはそれなりのリアリティーがある。

 もう一つの特徴は落語がしばしば引き合いに出されるところからも想像できる、作者一流のユーモアで、「俳諧でぼろ儲けの巻」のクライマックス大坂天満宮での句合わせの際に「くいな」という題を出されて、雀丸が詠む「まんじゅうを腹いっぱいに食いなはれ」は、3代目三遊亭金馬が得意にしていた「雑排」(近年では春風亭柳昇の口演が面白かった)の中で八五郎が詠む「(春雨)舟底をガリガリかじる春の鮫」とか「(百日紅)狩人に追っかけられて猿滑り」とか「(山梔子)口無しや鼻から下はすぐに顎」などという迷句を思い出させたのであった。

 謎解きと笑いがお互いを適当に引き立たせながら、物語を進行させていくのはこの作者ならではの筆さばきであり、安心して読み進んだのである。
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七河迦南『アルバトロスは羽ばたかない』

12月5日(火)晴れ

 12月4日、七河迦南『アルバトロスは羽ばたかない』(創元推理文庫)を読み終える。2008年に発表された著者のデビュー作『七つの海を照らす星』の続編として、2010年に刊行された長編小説の文庫化である。

 海に面した街のはずれ、隣の県と境を接する辺りに位置している児童養護施設・七海学園に勤めている保育士の北沢春菜は、子どもたちと向き合って忙しい毎日を過ごしながら、この学園の日常生活の中で起きているささやかではあるが不可思議な事件の解明に取り組んできたというのが前作『七つの海を照らす星』の内容で、短編小説集とも、長編小説ともとれる施設内の出来事の描写の流れの中で、彼女の親友である野中佳音が実はこの施設にかかわる謎と深い関係のある人物であったことがわかって行く。そんな中で春菜の探索を助ける児童相談所の児童福祉司である海王さんが名探偵ぶりを見せていた。

 この『アルバトロスは羽ばたかない』では、学園のなかでも成績のぱっとしない子どもたちが通っていることが多い県立七海西高校にも舞台が広がる。春菜は3年目の勤務に入り、佳音はボランティアとして学園の子どもたちの勉強をみている。七海西高校で11月23日、文化祭が開かれている最中に校舎屋上からの転落事件が起きる。警察は自殺の疑いの濃い事故と考えるが、不審を抱いた語り手は独自に捜索を進める。今回は、海王さんや学園の古参職員たちは後方に退いている。

 これほど内容の紹介が難しいミステリーというのも珍しい。11月12日の当ブログで『七つの海を照らす星』を取り上げた際に、この物語の語り手は春菜になっているが、実は佳音かもしれないことを仄めかす箇所があることに触れていた。今回の『アルバトロスは羽ばたかない』は、読み進むうちにわかることだが、春菜が書いた部分と佳音が書いた部分から構成されている。一方が転落事件の捜索の過程であり、もう一方がその伏線となる学園内の出来事である(と書いてしまうと、物語の工夫のかなりの部分を暴露したことになるかもしれない)。そして、転落したのが誰かということが慎重に伏せられているのが特徴である。むしろ容疑の焦点となる人物の方がはっきりしている。被害者と探偵がはっきりせず、容疑者の方がはっきりしているというところに著者なりの工夫があると思われるので、それを壊すわけにはいかないから困るのである。

 ただ一つ言えることは、『七つの海』に比べて『アルバトロス』では子どもたちの中に潜む邪悪な部分が浮かび上がっていることではないか。さらに死への興味とか、「あこがれ」(?)のようなもの、女子高校生の売春などの問題も点滅する。学園と高校の両方に編入してきた鷺宮瞭という少女に加え、彼女と高校で仲良くしている西野香澄美という生徒、その香澄美が瞭の前に仲良くしていたという織裳莉央という自殺した少女、全体として不穏な雰囲気が漂っている。

 織裳莉央(おりも・りお)という名前はかな書きにすると回文になる。この著者の七河迦南(Nanakawa Kanan)という筆名(?)もローマ字による回文であり、主要登場人物の野中佳音というのもローマ字による回文である。作品全体にこの種の言葉遊びがあふれているが、遊びというよりも「悪戯」に近いのかもしれない。学園に入園する際に元の学校の旧友が書いてくれたという寄せ書きをめぐる樹里亜とエリカの喧嘩は、寄せ書きの中に隠されたメッセージを一方が読み取っていたことによるものであった。そして莉央が残したCDをめぐってもこの種の言葉の謎解きが絡まる(ローマ字とキリル文字を取り違えるというのは、クリスティーの『オリエント急行殺人事件』を思い出させる)。

 春菜は佳音について「たおやかで優しくて…、結構芯は強い反面、意外と抜けたところもあってなかなか面白い人である」(24ページ)と観察し、佳音は自分自身について「わたしは生活の中で時々、気がつくとぼーっとしていることがある。・・・それはもしかしたらいくらか解離状態に入っているのかもしれない。辛かった子ども時代の記憶があまりにもわたしを苦しめる時に、働く防衛機制ではないかと思う。」(411ページ)と分析している。そして、春菜は薄々そのことに気づいているが、わざと黙っているのではないかとも付け加えている。平凡だが幸福な環境で育った春菜と、不幸な環境で育った佳音にはまだお互いに理解を深める余地があることが感じとれるのである。

 ということで、『七つの海を照らす星』が社会的な性格が強いミステリーであったとすれば、『アルバトロスは羽ばたかない』は心理的な性格が強くなっているように思われる。
 瞭は一度だけ、莉央に逢っている。その時に、莉央はアルバトロス(アホウドリ)は自力では飛べないが、崖から身を投げて、気流を翼がとらえて舞い上がるという。
 「アルバトロスは羽ばたかない」というその言葉を忘れない瞭に対し、春菜はアルバトロスについて調べて、「あの重い身体を宙に浮かせて飛び立つためには凄い助走と浮く力が必要だから、地上や、水面では、ばたばたやって走ってるの、もう格好悪いくらい必死で走って、羽を動かして、それでやっとのことで飛び立てるの。…アルバトロスだって羽ばたくのよ。」と言い聞かせようとする。その言葉を聞いて、瞭はそんなことを調べて意味があるのかと反論し続けようとする…。

 千街晶之さんは「解説」で「登場人物たちが「希望」を手放さない」(421ページ)とこの作品の特徴を要約しているが、そういえるかどうかは、瞭が春菜のこの言葉をどのように受け止めたかにかかっているようである。
 余計なことを書きすぎて著者の工夫と読者の興味をそいでしまったかもしれないが、これでも書きたかったことのかなりの部分を切り捨てたつもりである。その位、いろいろなものが詰まった作品である。
 と、書いてもう一つだけ書き足しておくと、物語の中でカルメン・マキ&OZの音楽が役割を果たしているのが懐かしかった。そういえば、映画『探偵はBARにいる』のシリーズ第1作に、カルメン・マキが登場していたな、第3作も見に行こうかなどと思っているところである。

A・E・W・メースン『矢の家』

11月28日(火)曇り

 11月27日、A・E・W・メースン『矢の家』(創元推理文庫)を読み終える。Alfred Edward Woodley Mason (1924), The House of the Arrowの福永武彦(1918-79)による翻訳である。

 ロンドンのフロビッシャー≂ハズリット法律事務所は、フランス方面の仕事を得意としてきたが、この事務所の依頼人でディジョンに住むハーロウ夫人という病身の老女の財産をめぐり、その義弟だというボリス・ワベルスキーという男から間もなく相続するはずの遺産の一部を前もって送ってほしいという依頼の手紙が届く。ハーロウ夫人は相当な資産家であるが、その資産は彼女の姪で幼女であるベティ・ハーロウに譲られることになっていることを知っているハズリット弁護士は、この依頼を無視するが、やがて、ワベルスキーがベティを、ハーロウ夫人毒殺の容疑で警察に告発したという知らせが届く。事務所の共同経営者である若い弁護士のジム・フロビッシャーが、事態を収拾し、依頼人(の相続人)の身を護るために、フランスに赴く。そして、事件を担当するパリ警視庁の名探偵アノーと接触してからディジョンに向かう。アノーは、ワベルスキーが告発した事件は大したものではなくて、実はディジョンの町で続いている匿名の中傷の手紙の事件を解決することが、彼がこの地方都市に出かける本当の理由なのだという。

 ディジョンで彼を出迎えたのは、ハズリットが「小娘」といったベティと、その友人だというアン・アプコットという2人の、20歳を超えたばかりの若い女性であった。ベティは「背の高さからいえばけっして小さくはないが、小娘という形容詞がぴったりあてはまるほど、ほっそりしたかぼそい少女だった。光線の具合でかすかに赤みを帯びた、暗褐色の髪を片方で分けて小さな頭のまわりに格好よく結いあげていた。広い額と卵形の顔は、青白く冴え、唇の鮮やかな紅を引き立たせていた。灰色の大きな瞳は、ものにつかれたような悩ましげな風情を添えている。…ジムには、彼女が微妙な炎でつくられた生物と見え、また美しい陶器のようにこわれやすい品物かと思われた。」(56ページ) 一方、アンの姿を見たジムは、彼女を依然に見かけたことを思い出した。「このひととなら、前に隣り合わせにすわったことがあったし、話しかけたことだってあった。・・・/ジムは身近に、きらきら光る黄色い髪、サファイアのような二つの眼、微妙な色つやをした、小生意気なほど可愛らしい顔を、意識した。」(84ページ)

 ディジョンにやってきたアノーはこの事件は簡単な事件だという。しかし、ロンドンでハズリットが言っていたのと同様に、事件の背後に隠れた事情があるという。ハーロウ夫人の検屍解剖が行われ、毒殺の証拠はないと結論される。しかし・・・ これ以上書くと本を読む楽しみがなくなってしまうから書かないが、これまでの物語の展開ではなぜこの小説が『矢の家』と題されているかわからないはずで、この後から、問題の「矢」が物語の進行に重要な役割を果たしはじめる。それから、2人の若い女性が、ジムの好意をえようと競い合うことになる。アノーが言っていた中傷の手紙の事件は、ハーロウ夫人の事件とどのようにかかわっているのであろうか。

 パリ警視庁の名探偵アノーの活躍を描くシリーズの1編として発表された作品だが、独立の作品として読むことができる。杉江松恋の「解説」によると、作者のメースンはミステリ専業の作家というわけではなく、G・K・チェスタトンやA・A・ミルンらと同じく「越境組」(ミステリ以外の文学領域で活躍し、ミステリも書いた作家)だという。アノーとジムの関係が、シャーロック・ホームズとワトスンの関係だというのだが、少し違うような気もする。違うからこそ、この作品、あるいは作家の特色が生まれるのである。

 シャーロック・ホームズはスコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)の外にいる「アマチュア」探偵である。それに対して、アノーはパリの警察組織の中にいる(英語のdetectiveには探偵と刑事の両方の意味があるが、フランス語では両者は区別されているはずである。その点が、原作でどのように理解されていたのかは分からない)。ホームズの面白さのひとつは、アマチュアがプロを上回る犯罪捜査能力を見せるところにあるのだが、この作品はやはりプロはプロだけのことがあるというところを見せているのである。
 その一方で、捜査の過程で芝居がかった尊大さを見せる探偵アノーの造形は、アガサ・クリスティーの名探偵ポワロの姿に影響を及ぼしているという指摘もあるようである。モンブランに5回登ったことがあるというジムのスポーツマンぶりが、作品の中では空振りに終わっているのも、(自身スポーツマンであったという)コナン・ドイルのような先行作家への皮肉なのかもしれない。さらにベティとアンという2人の若い女性の性格の描き分けも読者を引き込むものである。

 最後に、この作品の翻訳者は文学者として名声があり、またミステリの分野にも踏み込んだ(越境者の1人である)福永武彦であるが、全体として分かりやすい翻訳だとはいうものの、固有名詞を中心に翻訳上の問題が幾つかあることを指摘しておきたい。特に、英国の司法制度についての説明、弁護士には法廷弁護士(barrister) と事務弁護士(solicitor)があって、フロビッシャー≂ハズリット法律事務所は、事務弁護士事務所である。だからジム・フロビッシャーは弁護士であっても刑事事件についてはまったく経験がないということが起きる。この点は制度の違う、日本の読者に向けての説明が必要である(実はフランスの制度についても説明が必要であろうが、私はフランスの制度はまったく知らないのである)。この時代、事務弁護士は法廷弁護士に比べて低くみられがちであった(現在はそういうことはないそうである)とはいうものの、事務所の創設者の子孫でおそらくは代々の事務弁護士であったらしいジム・フロビッシャーはお坊ちゃんらしいところがあるのであろう。
 また、事務所があるのは「ラッセル広場の東側」ということであるが、これは「ラッセル・スクエアの東側」とすべきであろう。ラッセル・スクエアはその名の通り四角形の公園状の広場であり、その周囲の地名でもある。西側にロンドン大学の本部があるほかに、東側は今はホテルが並んでいるが、昔は事務弁護士の事務所が軒を連ねていたらしい。そういえば、アガサ・クリスティーのトミーとタペンスが探偵事務所を構えたのもラッセル・スクエアであった。それからこれは、訂正してほしいのが、ハーロウ家の持っているブドウ園が「黄金海岸」にあるという箇所で、これはフランスのブルゴーニュ地方にあるコート・ドール県をcôte=海岸と早とちりした結果らしい。地図で見ればわかるが、実際は内陸部である。この場合のcôteは坂とか、斜面とかいう意味だろう。他にも探すとおかしい箇所があるかもしれない。福永の翻訳をできるだけ尊重するにしても、誰かが手を入れなおす必要があるのではないかと思う次第である。

円居挽『その絆は対角線』

11月17日(金)晴れ

 昨日取り上げた、同じ著者による『日曜は憧れの国』の続編である。

 カトリックの女子校である倉瓜学園に通う暮志田千鶴、公立中学校に通う先崎桃、誠山学園大学付属に通う神原真紀、進学校の娘心館に通う三方公子の4人は、みな中学2年生で、四谷のカルチャーセンターのトライアル5コースのチケットを手に入れて、その特別料理教室で知り合った仲である。学校はもちろんのこと、境遇も性格もまったく違う4人ではあるが、その後4枚のチケットを使って様々な教室に出席する中で、彼女たちの身の回りに起きた不思議な出来事をそれぞれの力を出し合って解決していく。

 4人はそれぞれの学校で2学期を迎えるが、カルチャーセンターには引き続き通うことにした。しかし、話し合いの結果、今度は、それぞれ今の自分に必要だと思う講座を受けることにした。千鶴は「中学・高校では教えない経済学」を申し込み、早々とその第1回の授業を受けた。有名人が担当する講座ばかり申し込んでいる真紀は、抽選に落ち続けて、まだ何をとるかも決まっていない。
 「千鶴、桃、真紀、公子を四角形で表すなら、間違いなく千鶴と真紀は対角線で結ばれる位置関係にあった。
 桃と公子は容姿も性格も全然似ていないが、いずれも生来の賢さと裏表のなさを併せ持つタイプで、千鶴はそんな2人を尊敬していた。だからこそ2人には積極的に声をかけることができたし、それが楽しかった。しかし相手が真紀となると途端に声をかけ辛くなる。裏表のない2人に比べて、何を考えているのか解らないところがあるからだ。一方で、真紀は真紀で千鶴のことをそう思っている節があって、出会ってから約半年がたっても、その仲が大きく進展することはなかった。」(14ページ)
 作家志望の公子はトライアル5コースでも受講した作家・奥石衣の創作講座を本格的に受講する。一方、大手メーカーに勤める父親がいつリストラされるかを気にしている桃は、センターに通うのをやめようかと思っている。千鶴は、何とか桃を復帰させようと思っているが、真紀はそんなことは余計なお世話であるという…というのが第1話「その絆は対角線」の発端である。

 第2話「愛しき中にも礼儀あり」では、どうやら復帰した桃が受講しているジュニア向けのマナー講座で2人の高校生が講師の怒りを買って、「もう来なくて結構です」と言われてしまうというのが発端である。「人にマナーを教えるような方が、マナーを破ってまで怒るってよほどのことですよ」(71ページ) 講師の糸数先生とこの2人の高校生の間にこれまでも気まずいものがあったことは確からしい。なんでもスマホで検索する癖のある真紀が調べたところでは、高校生の1人がSNSでこの件を話題にしているらしい。2人のうちの1人が、千鶴と同じ学校の先輩であることから、千鶴が事情を聴いてみると、オフ会でのマナーを教えてほしいという質問をしたことがきっかけらしい。それどころか、講座そのものも取りやめになってしまったという…。

 第3話「胎土の時期を過ぎても」では真紀がようやく抽選に当たって受講することになった「日常の中の芸術」講座の周辺で起きた事件の謎を探るものである。最近亡くなった骨董コレクターのコレクションを講師である羽生の父親が鑑定したところ、約6億という値がつき、故人がなみなみならない鑑識眼の持ち主であったことが分かった。ところが、彼はその死に際して自分の命の次に大事にしていたはずの銀漢天目茶碗を意の間際に割ってしまうという謎の行動をとっていた。なんでそんなことをしたのか…。

 第4話「巨人の標本」では、公子が通っている創作講座で起きた出来事である。創作講座は合評会形式で行われているが、参加者のレベルがまちまちなうえに、雰囲気を悪くするだけの参加者もいるため、高いレベルの受講者を対象にした特別講座が別に開かれている。その特別講座の参加者たちが講師である作家の奥石を待っていると、出版社の編集部員だという信楽と名乗る男性が現われて、先生は体調を崩して入院したので、講評まで担当することになったといい、参加者たちの作品を酷評しはじめる。参加者全員の作品の批評が終わったところで、『巨人の標本』という1編が残った。これまでの作品を酷評してきた信楽の表情が変わり、傑作であるという。しかし、その作者は誰なのか…。

 これまでの4つの話には、4人の他に(センターの職員である近松のような小者の登場人物は別として)「中学・高校では教えない経済学」の講師である日英ハーフの美人講師エリカ・ハウスマンが何らかの形でからんできた。千鶴は彼女に心酔し、桃は彼女に優しくされたことを忘れず、それに比べると真紀は自分を認めないエリカになじめず、公子はエリカの価値観を受け入れられない。そのエリカがマスコミへの露出が多くなってセンターを「卒業」することになり、センターの外の会場を借りて講演会が開かれることになる。ところがそこで、エリカのタブレットが盗まれ…というのが第5話「かくも長き別れ」である。

 この連作は日常の謎型のミステリーであるとともに、一種の教養小説でもある。それぞれの少女が自分なりに成長していくだけでなく、4人の間の関係も少しずつ変化していく。4人は学校が違うだけでなく、家庭環境もセンターにやってくるようになった理由もそれぞれ違う。だが、自分とは違う人間の存在を認識し、それと付き合っていくやり方を少しずつ身に着けていくのである。今回は、最後でかなり厳しい経験をすることになるが、その経験も後になってみると生きてくるはずである。

 前回も書いたが、中学生がカルチャーセンターに通うというのは、拵えたという感じの設定に思われるし、4人の少女の性格の描写もどこか一貫しない(もっとも、中学校の特に2年生くらいの段階は、不安定だから一貫しないのも当然だといえなくもない)。前作の最後で探偵の能力があると公子に言わせる真紀が一番よく書けていて、桃に対しては著者の愛情は感じられるが、どうもリアリティーが薄いように思う。公子は作家志望なので、著者自身の経験を投影している部分があるだろうし、千鶴にしてもどこか著者と重なる部分があるのかもしれない。それでも、登場する4人の少女の中では自分が本物ではないという劣等感を感じながらも、頑張っている真紀が一番魅力的ではある。(他人に才能を認められても、その才能を伸ばそうと思うかどうかは本人の問題である。)

 カルチャーセンターの前途は必ずしも明るくないのだが、4人はそれぞれの自由を尊重しながら、通い続けることを決める。続編においては、どのような展開があるのだろうか。 

円居挽『日曜は憧れの国』

11月16日(木)晴れ、雲が多くなってきた。

 11月4日、円居挽『その絆は対角線』(創元推理文庫)を、15日に同じ著者の『日曜は憧れの国』(創元推理文庫)を読む。四谷のカルチャーセンターで一緒になった4人の中学校2年生を主人公とするシリーズの第1作と第2作で、森谷明子さんの<秋葉図書館>シリーズと同様に、2作の方を1作よりも前に読んでしまった。ただし、こちらのシリーズの場合、どちらをさきに読んでも内容の理解に影響するところは少ないと思う。

 番町に住む比較的裕福な家庭の娘である暮志田千鶴はカトリックの女子校である倉瓜学園に通う中学2年の少女である。学校の成績は中ぐらい、引っ込み思案の事なかれ主義者で、この学校に通っているのも両親に従った結果である。家付き娘で自分に都合の悪いことは絶対に記憶しないという母親の姫子に何か特技を身に着けるようにと言われて、四谷文化センターの特別料理センターに出かけることになる。姫子は料理が出来ず、お手伝いさん任せにしているのに、料理の苦手な千鶴に料理を身に着けさせようとしているのは相当に勝手な思い付きである。

 四谷文化センターではトライアル5コースといって、5枚つづりのチケットを使って1回ずつ希望する教室に出席できる制度があり、その1枚分を使って特別料理教室に参加することになる。そこで、遅れてやってきた先崎桃という同じ中2の生徒に出会う。彼女は近所の公立中学校に通っているといい、明るく子どもっぽい感じである。教室に入ると、広いおでこと赤いフレームのメガネが印象的な、お調子者っぽい雰囲気の神原真紀という女の子に出会う。彼女も中2で(後でわかることだが)誠山学園大学付属中等部に通っている。4人1班のもう一人は背が高くてスタイルがよく、千鶴が憧れていた進学校の娘心館の制服を着ている。他の3人が高校生と間違えた彼女は、三方公子と言い、やはり中2で、宝塚の男役のような口の利き方をする。学年が同じというだけで、学校は違い、それと微妙に対応して家庭環境も違うらしい4人ではあるが、講師から課題を与えられ、不思議なやり方でカレーライスをつくりながら、次第に打ち解けていく。
 ところが、料理が完成して、試食という段階で教室内で盗難事件が発生し、講師の先生が被害者をなだめて一件落着したように見えたが、4人はどうも納得がいかない。それぞれが意見を出し合って、真相を推理する…。というのが第1話、「レフトオーバーズ」。(leftoverには「残り物」という意味がある。)

 意気投合というわけではないが、なぜか離れられない気持ちになった4人は、残る4枚のチケットを使ってみんなで同じコースに出席することにした。2枚目は真紀の希望で将棋教室に出席するために使うことにする。ここで、講師の先生の孫だという小学校5年生の少女と、4人は多面指しで対局することになるが、桃が思いがけない行動に出る…というのが第2話「一歩千金、二歩厳禁」である。
 第3話「維新伝心」では、舞の希望で江戸幕府がなぜ崩壊したかを考える歴史教室に参加していた4人であるが、話の途中で講師が倒れる。この教室への参加を呼び掛けるポスターと、講師の話の内容の違いに納得がいかなかった4人は、2組に分かれて情報を集め、そして、カルチャーセンターの内部の事情を覗くことになる…。
 第4話「幾たびもリグレット」は、公子の希望で人気作家・奥石衣の小説講座に参加することになる。この講座では、ある物語が示され、これに結末を与えろという課題が出されるのだが、ほかの3人はどうやら結末を考えたのに、公子はこれはという回答を与えることができない…。
 第5話「いきなりは描けない」は、残る1枚のチケットのしようが問題になるが、それを考えている4人の手元に、不思議な絵画が迷い込む。誰が、いったい…。

 一応、「日常の謎」を解いていくミステリーという形式をとるが、カルチャーセンターに学校も家庭環境も違う4人の女子中学生が通い、知り合うという設定は相当に作為的である。そして、その多少奇妙でぎくしゃくした設定の中で、4人がそれぞれを理解し、自分を理解して、少しずつ成長していく姿を描くというのが物語の真の狙いであろう。作家志望の公子は別にして、ほかの3人はまだ自分の進路をはっきりとは決めていない。進学塾で優秀な成績を上げていたのに、家庭に負担をかけたくないとやめてしまったことで家族を失望させた舞の過去の決断の話、好きで選んだ道を歩いているつもりで袋小路に向かっているような人生を送りたくないという真紀の悩みなど、5枚のチケットを使ってもまだ、4人が一緒になって考えるべき問題は残っているようである。

 円居挽というのは筆名であろうが、作者は1983年生まれで京都大学の卒業生だそうで、私の40年(まではいかないが)ほど後輩にあたる。なぜ、こんなことを書いたのかというと、京都大学の近く、百万遍の西南角の辺りに、円居(初めは梵凡といったはずである)というグリルと称していたが、レストランと洋食屋の間のような店があって、よく昼食や夕食に出かけたことを思い出す。あるいは、作者の時代にもこの店は残っていた、さらに、現在でも残っているのであろうか、機会があれば確かめてみたいものである。
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