田中啓文『浮世奉行と三悪人』

5月26日(金)雨のち曇り

 5月22日、田中啓文『浮世奉行と三悪人』(集英社文庫)を読み終える。文庫版の扉に「本書は「web集英社文庫」で2017年2月から5月まで連載された作品に、書き下ろしの「化け猫騒動の巻」を加えたオリジナル文庫です。」とある。ということは、文庫本ながら、この作者の最新作らしい。

 大塩平八郎の乱(1837)が起きてからまだ10年とは経っていない大坂の西横堀に近い浮世小路というまさに浮世の縮図のような一角で竹光屋という聞きなれない商売を営んでいる雀丸が物語の主人公である。もとは藤堂丸之助という武士で、先祖代々の職を継いで大阪弓矢奉行付き与力であったのが、ある事件が元で武士を辞め、器用な手先を生かして竹光作りの仕事を始めた。太平の世が続き、刀を手放したり、質入れしたりして当座の金策に充てる武士が少なくない。本物そっくりの竹光がつくれる雀丸の仕事は、繁盛とは言えないまでも、生計を立てるには十分である。父母はすでに亡く、祖母と2人暮らしであるが、この祖母というのが、豪放で傍若無人、しかもいまだに武家気質が抜けないという肥え太った老婆で、隅に置けない存在である。

 ある日、雀丸は大川端で3人の武士に取り囲まれ、脅しを受けている老人を、助ける。彼の家を探し当てた老人は大坂横町奉行の松本甲右衛門と名乗り、横町奉行の仕事を継いでくれないかと頼んでくる。まだ若いのでそんな仕事はできないという雀丸に、「機転と人望と度胸」が備わった雀丸以外に適任者はいないという。
 しかし、横町奉行とはどういう役職であるか。作者である田中さんは次のようにいう:
「本作に登場する「横町奉行」は、大坂町奉行に代わって民間の公事を即座に裁く有志の町人という設定ですが、これはもともと有明夏夫氏の「エレキ恐るべし」(『蔵屋敷の怪事件』収録)という短編に一瞬だけ登場する「裏町奉行」という存在が元になっちまう。この「裏町奉行」についていろいろ文献を調べ、大坂史の専門家の方にもおたずねしたのですが、どうしてもわかりません。有明氏の創作という可能性もあるのですが、ご本人が2002年に亡くなっておられるため現状ではこれ以上調べがつきません。そのため本作では「横町奉行」という名称にしておりますが、これは作者(田中)が勝手に名付けたものであることをお断りしておきます。」(358ページ)

 この書物の「解説」を担当している細谷正充氏が引き合いに出している田中さんの言葉によると:
「時代小説の役割の中で一番重要なのは、読者を、一時、現実を離れさせて、かつて日本に存在したある種の『空気』に浸らせてやることである。それが出来ていれば、その作品は8割方成功したといえるだろう」(363ページ)という。
 作中で松本甲右衛門lは言う:「この大坂は町人がおのれの手で作り上げ、守ってきた町や。江戸とちごうて、侍の数も少ないさかい、昔から、侍なにするものぞ、という気風がある。けど、近頃ではろくでもない侍が大坂にも増えてきた。そういう手合いが町人をいじめても、お上も見て見ぬふりや。」(40ページ) 大坂の町が本当に町人の町だったかどうかという歴史上の議論はさておいて、そんな雰囲気の中で、町人代表の「横町奉行」(浮世小路に住んでいるので「浮世奉行」と呼ばれるようになる)の活躍を、われわれは歓迎してもよいと思うのである。

 甲右衛門の頼みを辞退し続ける雀丸であるが、甲右衛門を脅していた3人の侍が藩主のものである名刀をこっそり質入れして茶屋への借金の返済に充てたのはよいが、その質が流れてしまった一件(横町奉行が質流れを当然だと裁定し、それが国許に知れて3人の侍は家禄を減らされるなどの処分を受け、何とか刀を取り返そうとする…)の顛末を描く「雀丸登場の巻」、親分の代参で住吉大社に脇差を奉納しようとやってきた江戸のやくざ者が3両という金が入った財布を拾い、落とし主に届けようとすると受け取らないというどこかで聞いたような話が贋金づくりの本拠を暴き出すという方向に発展する「三すくみ勢揃いの巻」、大坂の街の連続放火事件の犯人は化け猫だという噂に挑む「化け猫騒動の巻」の3つの事件を通じて、横町奉行の仕事を引き受けることを決心する。

 もともと奉行の仕事を助けてきた三悪人:悪徳商人の地雷屋蟇(ひき)五郎(ガマ)、女侠客の口縄の鬼御前(ヘビ)、ナメク寺とあだ名される貧乏寺の住職であるからくり好きの生臭坊主大尊和尚(ナメクジ)(ガマ、ヘビ、ナメクジで三すくみ)というそれぞれ表向きは煮ても焼いても食えそうもないはみ出し者に加えて、嘘八百を並べて酒席を明るくすることを業とするしゃべりの夢八といった個性的な面々が雀丸を助ける。同じ江戸時代の大阪を舞台とする『鍋奉行』シリーズにくらべると、町人の生活に関心が向けられ、登場人物が少なくなっている代わりにそれぞれの個性が強く打ち出されているところに特色がある。カバーには「新シリーズ」とあり、これからも続編が刊行されるらしい。楽しみである。
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ジョン・ガスパード『秘密だらけの危険なトリック』

4月25日(火)晴れ、気温上昇

 4月22日、ジョン・ガスパード『秘密だらけの危険なトリック』(創元推理文庫)を読み終える。

 この作品のもともとの表題はBullet Catchで、銃から撃たれた弾丸を口で受け止めるというマジックである。「外套の奇術師」という名で知られたマジシャンのテリー・アレクサンダーは零落の果てにエクアドルでこのブレットキャッチを演じている時に死んだ。他殺であったか、事故であったか、謎が残っている。テリーの生涯を描く映画の製作が企画され、撮影中であるが、低予算の地味な映画で、そう簡単にヒットする可能性はない。しかし、主人公が撃たれて死ぬ場面で、それを演じていた主演俳優が本当に死んだら… テリーを演じている若手男優のジューク・ノースは誰かが本当に彼を殺そうとしているのではないかと不安を感じ、ハイスクールの同窓生であったマジシャンのイーライ・マークスに助けを求める。既に何人かのマジシャンにマジックのコーチを受けているが、イーライに同窓生のよしみでコーチをしながら、自分の身を守ってもらおうというのである。

 物語の語り手で主人公であるイーライは、ミネソタ州のミネアポリスで暮らしている(テリーの伝記映画は製作費が安くつくミネソタ州で撮影中なのである)。2年近く前に地方検事補である妻のデアドレが殺人課の刑事であるフレッドと不倫関係に陥ったために離婚、半年前には連続殺人事件の容疑者になり、担当であったフレッドに追い回された。いまは親代わりに自分を育ててくれたおじのマジックショップの3階に寝起きする生活。今のガールフレンドである”気の雑貨店”の経営者ミーガンとは”お休み期間”中。それだけでなく、目下、深刻な高所恐怖症に悩まされ、セラピーを受けている。

 ジェークに誘われてハイスクールの同窓会(厳密にいえば同期会)に出席したイーライはハイスクール時代の片思いの相手であったトリッシュに出会う。彼女は自分からイーライに近づいてきて、同じく同窓生のディラン・ラサールと結婚したという。「悪い男」に弱いとトリッシュはいうが、だとするとディランと結婚したことは、「悪い男の大当たり」を引いたことになるとイーライは思う。

 大騒ぎの翌朝、ハリーの店に出たイーライは、もとの妻の夫である殺人課の刑事フレッドの訪問を受ける。彼はディラン・ラサールが殺されたと告げる。ただの強盗事件ではない可能性があるという。
 ジェークが主演している映画の撮影現場に出かけたイーライは旅をしながら記事を書いているジャーナリストのクライヴ、スタンリー・キューブリック気取りの監督のウォルター、自分の脚本を切りさいなまれて不満たらたらの脚本家のスチュアート、以前に会ったことがあるメイク師のローレン、脚本家の元ガールフレンドで主演女優のノエル(役が付いてから、相手を次々にかえている)、プロデューサーのアーノルドらに出会う。皆一癖も二癖もある人物で、何かが起きても不思議はない雰囲気である。アーノルドは映画の結末を複数用意しているとまで言う。

 撮影現場に立ち会ううち、イーライは飛び入りだという仕事の依頼を受ける。指定された場所では予想していたようにパーティーが開かれていたわけではなくて、ハリー・ライム(映画『第三の男』でオーソン・ウェルズが演じた謎の男の名前)と名乗る男が待っていただけであった。彼はディランの事件に興味があるらしい。映画好きらしく、事件に関係する人物に彼がつけたニックネームはすべて映画がらみのものである。大抵のニックネームの由来はわかったが、ディランのことをフランシスと呼ぶのがどうもよくわからない。

 ディランの殺人事件の捜査と映画の撮影が進行する一方で、第2、第3の殺人事件が起きる。どれがどう関連しているのかもわかりにくい展開の中で、トリッシュのためにイーライは高所恐怖症にもかかわらず事件の真相に迫ろうとする。ディランの死亡している現場写真を見たイーライはあることに気付く。・・・ 殺人事件、あるいは未遂事件が絡み合って、誰がどのような動機で事件を起こしたのか、まったくわからない。警察と検事局よりも、「ハリー・ライム」の方が事件の核心をつかんでいるように見えるところが不気味である。これまでの経緯があるからイーライは警察が信頼できない。(そのため、余計な危険にさらされることになったりする。) 

 本当に銃から撃たれた弾丸を口で受け止めることができるわけがないのはわかり切ったことで、それを本当らしく見せるトリックが仕掛けられているのだが、それはマジシャンのみが知ることで、読者は仕掛けについて想像することしか許されない。ハリー・ライムがなぜディランを「フランシス」と呼ぶか、イーライが気付いたあることとはなにかは読んでのお楽しみ(ただ、『第三の男』のハリー・ライムが引き合いに出されることで、察しがつく方もいらっしゃるだろう)。事件の真相に迫っていく過程もさることながら、映画とマジックの話題満載で、マジックについての知識があまりないのを残念に思うほどであった。なお、解説によれば、作者ジョン・ガスパードには低予算映画の製作についての著書があるそうだから、ここで映画製作の様子が詳しく描き出されているのも当然であろう。これがシリーズ第2作だそうで、すでに刊行されている第1作『マジシャンは騙りを破る』(創元推理文庫)も探して読んでみたくなった。 

ロビン・スティーヴンス『お嬢さま学校にはふさわしくない死体』

4月11日(火)雨

 ロビン・スティーヴンス『英国少女探偵の事件簿① お嬢さま学校にはふさわしくない死体』(コージーブックス)を読み終える。1月に読み終えたジュリー・ベリー『聖エセルドレだ女学院の殺人』(創元推理文庫)と読み比べると余計に面白くなりそうな本である。

 1934年のイングランド。ディープディーン女子寄宿学校という学校が舞台。この学校に前年、香港から2年生として編入してきたヘイゼル・ウォンが物語の語り手である。英国かぶれの中国人家庭に育った彼女は、英国の学校に転校してきて、寒さと、生徒たちが意地悪なのに驚く。しかし、その中で貴族の令嬢であるデイジー・ウェルズと仲良くなり、いくつかクラブを作っては失敗した後、3年生になって2人で<ウェルズ&ウォン探偵俱楽部>を秘密裏に結成する。頭がよく、推理小説を何冊も読んでいるデイジーがホームズ=会長であり、相棒のヘイぜルはワトソン=記録係ということである。

 学校にはいくつか幽霊の話が伝わっていて、ヘイゼルが転校してくる前に室内運動場のバルコニーから飛び降り地厚をしたヴェリティ・エイブラハムという生徒の話がとくに有名である。新しい学年を迎え、これまでの校長代理が引退したので、次の校長代理にだれがなるかが話題になる。また引退した先生の代わりに新しくやってきた男性教師が生徒たちどころか、教師たちの人気を集める。そんな時に、ヘイゼルは室内運動場で科学のベル先生の血まみれの死体を見つける。ところが、デイジーや上級生を呼びに行ってから運動場に戻ると、死体はない。上級生からはうそつき呼ばわりされ、夕食抜きという罰を受けることになる。しかし、デイジーはヘイゼルを信じ、探偵倶楽部の名にかけて真相を明らかにしようと、捜査に乗り出す。死体が見つからなければ警察も動かないだろう、それまでは自分たちで何とかしようというのである。
 彼女たちが探り出したところでは、ベル先生の辞職願が校長の机の上に置いてあったという。もし先生が殺されているのであれば、誰かが彼女の筆跡をまねて辞職願を書いたということになる。さらに校長室に忍び込んで机に辞職願をおけるのだから、犯人は先生たちの中のだれかである…。デイジーはヘイゼルに事件簿を作らせ、それぞれの先生に考えられる殺人の動機と事件の時間におけるアリバイを洗い出すことになる。2人が捜査を続けていくうちに、英語のテニソン先生が不審な死を遂げる…。

 もともと十代向けに書かれた小説なので、学校生活の描写などかなり詳しく描かれているし、事件と推理の過程がヘイゼルの事件簿をたどりながら、丁寧に示されている。そういう意味で若い年代の読者に対する推理小説入門としてはよくできている。これにくらべると『聖エセルドレダ女学院』の方が話としては荒唐無稽である(その分、面白いことは面白い)。なお、『エセルドレダ』がヴィクトリア時代の終わり(シャーロック・ホームズの時代)に年代を設定しているのに対し、こちらは1930年代に物語の年代が設定されていることも注目してよい。作品中にデイジーが『失楽園』のページの間に、ドロシー・セイヤーズの『誰の死体?』を隠して読んでいる場面とか、終りの方で警部が2人組の活躍をたたえて「ミス・マープル」という場面とか、クリスティ、セイヤーズ、アリンガム、マーシュの女流推理作家<カルテット>が活躍した時代の雰囲気を醸し出そうとしているのが面白い。
 なお、英国の推理小説で学校が舞台になったものとしては、このブログでも取り上げたヒルトンの『学校の殺人』(1931)が古く、グラディス・ミッチェルの『オペラにおける死(Death at the Opera)』(1934)がこれに続く作品だという。クリスティの『鳩の中のネコ』は1959年の作品だから、この物語の作者は当然読んでいるだろうが、時代的な隔たりがある。

 『エセルドレダ女学院』がフィニッシング・スクール(日本に当てはめて考えれば各種学校の花嫁学校)であるのに対し、こちらのディープディーンは正規の独立学校(日本に当てはめれば学校教育法上の学校である私立学校)らしい。そのことが生徒間の関係や学校生活の描写とも関係しているように思われる。この『お嬢さま学校にはふさわしくない死体』では、学校の建物や行事、授業など学校内のことが詳しく書かれている代わりに、学校がイングランドのどのあたりにあるのかがわからないというのが、『エセルドレダ』が学校の地理的な位置をかなりはっきり書いているのに、学校の中の様子については少しぼんやりとさせているのとは対照的である。どっちかというと、オカルト色の強い『エセルドレダ』の方がコージー・ブックス向きで、『お嬢さま学校』の方が本格的な感じがして創元推理文庫向きだと思うのだが、これは私の偏見かもしれない。いずれにしても、このシリーズがどのように続いていくかというのも興味のあるところで、続刊を待ちたい。

 学校の「幽霊」は事件の解決に結びつくので気を付けてほしい。英国には幽霊の出るという噂の古い建物がたくさんあって、そういう話を集めた本が何冊も出ているほどである。私もデヴォン州のエクセターで泊まったホテルでこのホテルのこのあたりには幽霊が出ることがありますというガイドを読んだことがある。そんなことも頭に入れて読むと興味が増すかもしれない。

アリ・ブランドン『書店猫 ハムレットの休日』

3月15日(水)曇り

 3月14日、アリ・ブランドン『書店猫ハムレットの休日』(創元推理文庫)を読み終える。『書店猫ハムレットの跳躍』、『書店猫ハムレットのお散歩』に続くシリーズ第3作である。
 ダ―ラ・ペティストーンは大叔母の死後、彼女が経営していたニューヨークのブルックリンにある<ぺティストーンズ・ファイン・ブックス>という書店を譲られる。この書店には大学の教授だったジェイムズ・T・ジェイムズという店長のほかに、標準よりも少し大きな黒猫のハムレットがついていた。ダーラが店を引き継いでから、この1人と1匹にロバートという若い店員が加わって、店をやりくりしている。ハムレットは顧客に対しては気難しく、冗談半分に「猛猫注意」の張り紙を店に貼り出さるほどであるが、人間の言葉と考えていることがわかるかのように、これまでいくつかの事件で、ヒントになるような行動をしてきた。
 『書店猫ハムレットの跳躍』で起きた事件のために、元気をなくしていたハムレットであるが、『書店猫ハムレットのお散歩』ではダーラが出場した空手大会にいつの間にか紛れ込み、彼女の演武中にその動きをまねる動作をし、その映像がネットで拡散して一躍人気猫となった。

 今回はその人気のために、ハムレットは全米・キャット・ショーに特別ゲストとして招かれることになり、飼い主であるダーラ、その親友の私立探偵であるジャクリーン・”ジェイク”・マルテッリとともにショーが開かれるフロリダに赴くことになる。ちょうど、<ぺティストーンズ・ファイン・ブックス>は書店内にカフェ・スペースを設ける工事に取り掛かるところであり、旅行に出かければハムレットはその工事の音に神経をとがらせなくてもよくなる。さらにフロリダにはジェイクの母親であるナタリア・”ナッティ”・マルテッリが住んでいるというのも好都合である。とはいうものの寒いニューヨークから、温暖なフロリダへの道中、キャリー・ケースに押し込められたハムレットは不機嫌そのものであった。

 南フロリダのフォート・ローダーデールの空港に到着した2人と1匹は、迎えに来るはずのナッティを待つうちに、ヒスパニック(キューバ系らしい)のタクシー運転手ティノに出会う。彼のタクシーに車をぶつけかけた運転手がナッティであった。キャット・ショーの会場に隣接するホテルに到着すると、ほっとしたダーラがウトウトしたすきをついて、ハムレットは彼女がネコ用に指定したバスルームから脱走して、バルコニーの手すりの上を優雅に散歩する。前途多難である。

 ショーの参加者が多く泊まっているホテルのロビーでは来場者から注目されるのにまんざらでもない様子のハムレットにダーラはほっとしたのだが、ハムレットと一緒に食事をしていると、マーティニを飲んでいた年配の女性と、若い物乞いらしい女性との間にひと騒動が起きる。一方、母親と一緒にいたジェイクは、母親の住むマンションの管理組合でトラブルが起きているという。しかも管理組合の理事長であるビリー・ポープという人物はナッティの友人であるだけでなく、キャット・ショーの運営者でもあるという。住人の大半がビリーを疑う中で、ナッティーは彼が無実であると信じている。

 翌朝、ショーの会場であるコンベンション・センターに向かったダーラたちは猫の愛護を訴えるデモ隊に遭遇したりする。会場では猫の世話をするボランティアのミルドレッドに会う。特別ゲストのハムレットのためには小さな書店のような特別のスペースが設けられていた。この配慮に感心していると、近くで猫が逃げたという騒ぎが起きるが、すぐに逃げた猫は見つかる。ダーラはショーの運営委員会委員長で、ポープの娘だというアリシア・ティンプソンに紹介されたが、彼女こそ、レストランでのトラブルの当事者であったマーティ二・レディーであった。

 キャット・ショーでハムレットは自分の出番をきちんと終えるのか、ショーは成功するのか、デモ隊はショーにどんな攻撃を加えるのか、さらに、マンションの管理組合をめぐる疑惑は解明されるのか…、偶然に出会った運転手のティムの親戚があちこちにいたりして、ストーリーの展開には三題噺的なに強引なこじつけもみられるが、ショーの進行の中で次々に起きる”怪”事件にダーラとジェイクは次第次第に引き込まれ、例によってハムレットが手近な本の1冊を落としては、手掛かりになりそうな情報を示唆する。それよりも何よりも、ショーの描写の中で語られる猫の品種とその性質についての情報がなかなか面白い:
 「ロシアンブルーは数ある猫の品種の中でもかなり頭のいい猫なんですよ。ショーに出るのが嫌だったら、審査員の前で暴れれば早くケージに戻してもらえるとすぐに気がつく。ロシアンブルーのブリーダーに関して昔からよく言われることがあるんです。バカに育てなきゃならないってね。賢いのは、ショーに出すのがむずかしいですから」(135ページ)。昔、あるペットショップで売れ残っていたロシアン・ブルーを飼おうかどうかと家人と相談しているうちに、売れてしまったことを思い出す。

 もう一つ、この作品の魅力になっているのは、キューバ料理の描写である。例えば「付け合わせにブラックビーンズとライスがついたキューバン・サンドイッチ」は「ハムとローストポーク、スイスチーズ、ピクルス、マスタードをキューバン・ブレッドで挟み、押しつぶして焼いたこの伝統的なサンドイッチはパニーニを思い出させる」(276ページ)。作者であるアリ・ブランドンは現在、フロリダに住んでいるとのことで、フロリダはキューバからの移民が多いということもあるかもしれないが、そうした特色のプラスの面を大いに作品の魅力として生かしている。
 人生も残り少なくなってきて、フロリダに出かける機会はまずないだろうが、この本を読んでいると、合衆国の他のどこよりも、フロリダに出かけたくなるような気持ちにさせられる。この作品の世界を体験するだけでなく、1930年代にヘミングウェイが住んでいたキー・ウェストの小さな島にある家と、彼が飼っていた猫の子孫を訪問してみたいとも思うのである。

松尾由美『ニャン氏の事件簿』

2月21日(火)晴れ

 2月20日、松尾由美『ニャン氏の事件簿』(創元推理文庫)を読み終える。名探偵ニャン氏が活躍する短編連作集。すぐにわかるように、ニャン氏は猫である。

 大学を休学してアルバイト派遣会社から言いつかる様々な仕事を掛け持ちして糊口をしのいでいる佐多俊英君は、ある暑い夏の日、家電配送会社の仕事に出かける。その会社の社員の岡崎とのコンビで、あるお屋敷でシャンデリアを取り付け、その家に住む老婦人から不思議な話を聞く。この家には彼女の叔父が住んでいたのだが、不思議な死に方をしたのだという。そこへ、自動車が故障して、炎天下で修理の終わるまで待つわけにもいかないから、涼ませてほしいという来客がある。考えようによっては(というより、考えなくても)厚かましいお願いをしてきたこの客は、猫であった。

 彼=実業家のアロイシャス・ニャン氏は、もともとさる資産家の飼い猫であったが、その人の死後、遺言で財産を継承したのだという。ニャン氏の運転手兼秘書(兼通訳)である丸山の紹介によると「それまでのんびりと晴耕雨読、いや、晴れた日には日向ぼっこ、雨が降れば鼠のおもちゃを追いかけるといった、気ままな暮らしをなさっていましたが、責任ある身となってからはめきめきと才覚を発揮し、貿易・金融・缶詰製造などいくつかの事業において、投資ばかりでなく経営に参画。若年ながら経済界にしっかりと爪痕を残し、さらに余暇には『ミーミ・ニャン吉』のペンネームで童話を執筆するなど、多方面で活躍なさっている方です」(25ページ)。

 この屋敷の元主人の怪死事件をめぐり、居合わせた人々が様々な推理をめぐらす中、ニャン氏はさらにその上を行く頭脳の働きを見せて、真相を解明する…。というのが第一話である「ニャン氏登場」で、その後、佐多君が岡崎さんと組んで出かけた猫目院家で起きた事件(「猫目の猫目院家」)、友人のピンチ・ヒッターで引き受けた高原のホテルでのアルバイトで、宿泊客から聞いた不思議な昔話(「山荘の魔術師」)、再び岡崎とのコンビで出かけたCMの撮影現場で出会った掛け軸の盗難事件(「ネコと和解せよ」)、佐多君の元彼女の現婚約者が巻き込まれている指導教授の絵葉書紛失事件(「海からの贈り物」)など、なぜか、突然現れたニャン氏がニャーニャー言うのを、丸山が通訳して解決していく。

 実は、佐多君には、大企業の創業者=会長の祖父がいるが、両者の関係は必ずしも良好ではないという事情があって、それが彼の休学=アルバイト生活の原因にもなっている。一方、丸山からは自分はもう年齢的に引退したいので、佐多君に跡を継いでほしいという申し出をされている。ニャン氏はどうも佐多君が気に入っているようなのである。最終話「真鱈の日」はその祖父の周辺で起きた事件について話を聞いていると、ニャン氏が現われる・・・。

 「真鱈の日」には、読み始めからコナン・ドイルの「まだらの紐」の話が出てくるのだが、「まだら」ということだともう一つ思い出してもいいかもしれないことがある。この連作集での佐多君とニャン氏のいつも不思議な出会い方から連想されるのは、クリスティのクイン氏ものにおけるサタースウェイトとクイン氏の出会いである。クインという主人公の名前がHarlequin(ハーレクイン、フランス語Arlequin アルルカン、イタリア語のArlecchino アルレッキーノ)の後半部分からとったとられていることはご承知かもしれないが、イタリアの即興喜劇に登場する道化役の下男であるアルレッキーノは菱形の多色のまだらの入った衣装と黒い仮面をつけているのがお決まりである。

 ニャン氏にクイン氏を重ねるのは、私の独りよがりの深読みかもしれないが、クリスティのクイン氏に探偵としての相貌のほかに道化役の面影が残っているのと同様、ニャン氏も名探偵である一方で、「かわいいような、図々しいような、何も考えていないような、賢いような、まあどこにでもいる普通の猫」(188ページ)という面も持ち合わせていて、そこがこの作品の魅力にもなっている。「ミーミ・ニャン吉」というペンネームなどに著者の遊び心が覗かれて読んでいて楽しい。「真鱈の日」でこの連作は完結という形をとっているようであるが、何かの形で続編の執筆を期待したい気持ちが残る。
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