アリ・ブランドン『書店猫 ハムレットの休日』

3月15日(水)曇り

 3月14日、アリ・ブランドン『書店猫ハムレットの休日』(創元推理文庫)を読み終える。『書店猫ハムレットの跳躍』、『書店猫ハムレットのお散歩』に続くシリーズ第3作である。
 ダ―ラ・ペティストーンは大叔母の死後、彼女が経営していたニューヨークのブルックリンにある<ぺティストーンズ・ファイン・ブックス>という書店を譲られる。この書店には大学の教授だったジェイムズ・T・ジェイムズという店長のほかに、標準よりも少し大きな黒猫のハムレットがついていた。ダーラが店を引き継いでから、この1人と1匹にロバートという若い店員が加わって、店をやりくりしている。ハムレットは顧客に対しては気難しく、冗談半分に「猛猫注意」の張り紙を店に貼り出さるほどであるが、人間の言葉と考えていることがわかるかのように、これまでいくつかの事件で、ヒントになるような行動をしてきた。
 『書店猫ハムレットの跳躍』で起きた事件のために、元気をなくしていたハムレットであるが、『書店猫ハムレットのお散歩』ではダーラが出場した空手大会にいつの間にか紛れ込み、彼女の演武中にその動きをまねる動作をし、その映像がネットで拡散して一躍人気猫となった。

 今回はその人気のために、ハムレットは全米・キャット・ショーに特別ゲストとして招かれることになり、飼い主であるダーラ、その親友の私立探偵であるジャクリーン・”ジェイク”・マルテッリとともにショーが開かれるフロリダに赴くことになる。ちょうど、<ぺティストーンズ・ファイン・ブックス>は書店内にカフェ・スペースを設ける工事に取り掛かるところであり、旅行に出かければハムレットはその工事の音に神経をとがらせなくてもよくなる。さらにフロリダにはジェイクの母親であるナタリア・”ナッティ”・マルテッリが住んでいるというのも好都合である。とはいうものの寒いニューヨークから、温暖なフロリダへの道中、キャリー・ケースに押し込められたハムレットは不機嫌そのものであった。

 南フロリダのフォート・ローダーデールの空港に到着した2人と1匹は、迎えに来るはずのナッティを待つうちに、ヒスパニック(キューバ系らしい)のタクシー運転手ティノに出会う。彼のタクシーに車をぶつけかけた運転手がナッティであった。キャット・ショーの会場に隣接するホテルに到着すると、ほっとしたダーラがウトウトしたすきをついて、ハムレットは彼女がネコ用に指定したバスルームから脱走して、バルコニーの手すりの上を優雅に散歩する。前途多難である。

 ショーの参加者が多く泊まっているホテルのロビーでは来場者から注目されるのにまんざらでもない様子のハムレットにダーラはほっとしたのだが、ハムレットと一緒に食事をしていると、マーティニを飲んでいた年配の女性と、若い物乞いらしい女性との間にひと騒動が起きる。一方、母親と一緒にいたジェイクは、母親の住むマンションの管理組合でトラブルが起きているという。しかも管理組合の理事長であるビリー・ポープという人物はナッティの友人であるだけでなく、キャット・ショーの運営者でもあるという。住人の大半がビリーを疑う中で、ナッティーは彼が無実であると信じている。

 翌朝、ショーの会場であるコンベンション・センターに向かったダーラたちは猫の愛護を訴えるデモ隊に遭遇したりする。会場では猫の世話をするボランティアのミルドレッドに会う。特別ゲストのハムレットのためには小さな書店のような特別のスペースが設けられていた。この配慮に感心していると、近くで猫が逃げたという騒ぎが起きるが、すぐに逃げた猫は見つかる。ダーラはショーの運営委員会委員長で、ポープの娘だというアリシア・ティンプソンに紹介されたが、彼女こそ、レストランでのトラブルの当事者であったマーティ二・レディーであった。

 キャット・ショーでハムレットは自分の出番をきちんと終えるのか、ショーは成功するのか、デモ隊はショーにどんな攻撃を加えるのか、さらに、マンションの管理組合をめぐる疑惑は解明されるのか…、偶然に出会った運転手のティムの親戚があちこちにいたりして、ストーリーの展開には三題噺的なに強引なこじつけもみられるが、ショーの進行の中で次々に起きる”怪”事件にダーラとジェイクは次第次第に引き込まれ、例によってハムレットが手近な本の1冊を落としては、手掛かりになりそうな情報を示唆する。それよりも何よりも、ショーの描写の中で語られる猫の品種とその性質についての情報がなかなか面白い:
 「ロシアンブルーは数ある猫の品種の中でもかなり頭のいい猫なんですよ。ショーに出るのが嫌だったら、審査員の前で暴れれば早くケージに戻してもらえるとすぐに気がつく。ロシアンブルーのブリーダーに関して昔からよく言われることがあるんです。バカに育てなきゃならないってね。賢いのは、ショーに出すのがむずかしいですから」(135ページ)。昔、あるペットショップで売れ残っていたロシアン・ブルーを飼おうかどうかと家人と相談しているうちに、売れてしまったことを思い出す。

 もう一つ、この作品の魅力になっているのは、キューバ料理の描写である。例えば「付け合わせにブラックビーンズとライスがついたキューバン・サンドイッチ」は「ハムとローストポーク、スイスチーズ、ピクルス、マスタードをキューバン・ブレッドで挟み、押しつぶして焼いたこの伝統的なサンドイッチはパニーニを思い出させる」(276ページ)。作者であるアリ・ブランドンは現在、フロリダに住んでいるとのことで、フロリダはキューバからの移民が多いということもあるかもしれないが、そうした特色のプラスの面を大いに作品の魅力として生かしている。
 人生も残り少なくなってきて、フロリダに出かける機会はまずないだろうが、この本を読んでいると、合衆国の他のどこよりも、フロリダに出かけたくなるような気持ちにさせられる。この作品の世界を体験するだけでなく、1930年代にヘミングウェイが住んでいたキー・ウェストの小さな島にある家と、彼が飼っていた猫の子孫を訪問してみたいとも思うのである。
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松尾由美『ニャン氏の事件簿』

2月21日(火)晴れ

 2月20日、松尾由美『ニャン氏の事件簿』(創元推理文庫)を読み終える。名探偵ニャン氏が活躍する短編連作集。すぐにわかるように、ニャン氏は猫である。

 大学を休学してアルバイト派遣会社から言いつかる様々な仕事を掛け持ちして糊口をしのいでいる佐多俊英君は、ある暑い夏の日、家電配送会社の仕事に出かける。その会社の社員の岡崎とのコンビで、あるお屋敷でシャンデリアを取り付け、その家に住む老婦人から不思議な話を聞く。この家には彼女の叔父が住んでいたのだが、不思議な死に方をしたのだという。そこへ、自動車が故障して、炎天下で修理の終わるまで待つわけにもいかないから、涼ませてほしいという来客がある。考えようによっては(というより、考えなくても)厚かましいお願いをしてきたこの客は、猫であった。

 彼=実業家のアロイシャス・ニャン氏は、もともとさる資産家の飼い猫であったが、その人の死後、遺言で財産を継承したのだという。ニャン氏の運転手兼秘書(兼通訳)である丸山の紹介によると「それまでのんびりと晴耕雨読、いや、晴れた日には日向ぼっこ、雨が降れば鼠のおもちゃを追いかけるといった、気ままな暮らしをなさっていましたが、責任ある身となってからはめきめきと才覚を発揮し、貿易・金融・缶詰製造などいくつかの事業において、投資ばかりでなく経営に参画。若年ながら経済界にしっかりと爪痕を残し、さらに余暇には『ミーミ・ニャン吉』のペンネームで童話を執筆するなど、多方面で活躍なさっている方です」(25ページ)。

 この屋敷の元主人の怪死事件をめぐり、居合わせた人々が様々な推理をめぐらす中、ニャン氏はさらにその上を行く頭脳の働きを見せて、真相を解明する…。というのが第一話である「ニャン氏登場」で、その後、佐多君が岡崎さんと組んで出かけた猫目院家で起きた事件(「猫目の猫目院家」)、友人のピンチ・ヒッターで引き受けた高原のホテルでのアルバイトで、宿泊客から聞いた不思議な昔話(「山荘の魔術師」)、再び岡崎とのコンビで出かけたCMの撮影現場で出会った掛け軸の盗難事件(「ネコと和解せよ」)、佐多君の元彼女の現婚約者が巻き込まれている指導教授の絵葉書紛失事件(「海からの贈り物」)など、なぜか、突然現れたニャン氏がニャーニャー言うのを、丸山が通訳して解決していく。

 実は、佐多君には、大企業の創業者=会長の祖父がいるが、両者の関係は必ずしも良好ではないという事情があって、それが彼の休学=アルバイト生活の原因にもなっている。一方、丸山からは自分はもう年齢的に引退したいので、佐多君に跡を継いでほしいという申し出をされている。ニャン氏はどうも佐多君が気に入っているようなのである。最終話「真鱈の日」はその祖父の周辺で起きた事件について話を聞いていると、ニャン氏が現われる・・・。

 「真鱈の日」には、読み始めからコナン・ドイルの「まだらの紐」の話が出てくるのだが、「まだら」ということだともう一つ思い出してもいいかもしれないことがある。この連作集での佐多君とニャン氏のいつも不思議な出会い方から連想されるのは、クリスティのクイン氏ものにおけるサタースウェイトとクイン氏の出会いである。クインという主人公の名前がHarlequin(ハーレクイン、フランス語Arlequin アルルカン、イタリア語のArlecchino アルレッキーノ)の後半部分からとったとられていることはご承知かもしれないが、イタリアの即興喜劇に登場する道化役の下男であるアルレッキーノは菱形の多色のまだらの入った衣装と黒い仮面をつけているのがお決まりである。

 ニャン氏にクイン氏を重ねるのは、私の独りよがりの深読みかもしれないが、クリスティのクイン氏に探偵としての相貌のほかに道化役の面影が残っているのと同様、ニャン氏も名探偵である一方で、「かわいいような、図々しいような、何も考えていないような、賢いような、まあどこにでもいる普通の猫」(188ページ)という面も持ち合わせていて、そこがこの作品の魅力にもなっている。「ミーミ・ニャン吉」というペンネームなどに著者の遊び心が覗かれて読んでいて楽しい。「真鱈の日」でこの連作は完結という形をとっているようであるが、何かの形で続編の執筆を期待したい気持ちが残る。

ジュリー・ベリー『聖エセルドレダ女学院の殺人』

1月18日(水)晴れ、雲が多かったが、比較的温暖。

 ジュリー・ベリー『聖エセルドレダ女学院の殺人』(創元推理文庫)を読み終える。

 1890年のある日曜日、イングランド東部ケンブリッジシャーの都市イーリー。この市の郊外にある女生徒たちを対象とした小規模な寄宿学校である聖エセルドレダ女学院では、いつもと同じように校長のコンスタンス・プラケットが弟のアルドス・ゴッディングをもてなすディナーの席に、彼女の学校の7人の女生徒たちを招いていた。厳しいしつけと厳格な道徳指導を売り物にするこの学校らしく、校長とその弟は子牛の肉を口にしたが、その肉を料理した女生徒たちはバター付きパンと煮豆で我慢することによって、将来の結婚生活に備えるのであった。
 ところが、その食事の席で校長とその弟が相次いで倒れて、息絶える。それぞれ家庭の事情で、この学校に送られてきた女生徒たちは、学校が廃止になれば、親元に戻され、おそらくはまた別の学校に送られることになるだろう。不本意ながらこの学校に在籍することになった7人ではあるが、一人っ子であったり、男の兄弟しかいなかったということもあって、姉妹のようなまとまりをもつようになっていた。

 家族のもとに返されることを恐れた彼女たちは、死体を埋め、事実を隠して学校生活を続けることにする。「『わたしたちはみんな、なりたい自分になれる。偏屈で気難し屋のプラケットきょうだいが押し込もうとした型になんてはまらずに』興奮が巻き起こる。『姉妹たちに…助け合っていきましょう。何があっても』」(31ページ)。
 リーダーシップをとるのは決断力と行動力に富む<機転のキティ>。彼女たちの近くに出現する若い男性たちに言うことを聞かせる特技を発揮する美人の<奔放すぎるメリー・ジェーン>。長身で頭の回転は鈍いが、優しくて親切で、同情心に溢れた<愛すべきロバータ>。音楽の才能のある<ぼんやりマーサ>は気が弱くて騙されやすいが、時に周囲をびっくりさせるような衝動的行動に出る。体系が似ているからとプラケット校長の影武者を押し付けられた<たくましいアリス>は驚くべき演技力を見せる。年少だが科学的な知識が豊かな<あばたのルイーズ>は校長とその弟殺しの犯人を捜す探偵役を託される。死や死体に魅力を感じるという<陰気なエリナ>は、アリスをプラケット校長に似せるためのメークアップで思いがけない能力を発揮する。

 ルイーズの分析で、二人は毒殺されたことがわかる。7人はそれぞれの得意分野を生かして、校長は生きており、弟は甥の看病のためにインドへ旅立ったと表面を取り繕って局面を乗り切ろうとするが、見知らぬ人物が続々と登場し、また次々に新しい事実が判明していく…。

 本文124ページに出てくるように、このエセルドレダ女学院は「フィニッシング・スクール」である。翻訳者の神林美和さんは解説の中で、「若い女性がよき家庭人になるため、あるいは社交界デビューに備えて、教養とマナーを学ぶ学校」(390ページ)と解説し、『リーダーズ英和中辞典』によれば、「教養学校〔学院〕《若い女性が社交界に出る準備をする私立学校》」である。アガサ・クリスティーの『魔術の殺人』では、ミス・マープルがフィニッシング・スクールで一緒だった女性の危機を救おうと活躍する。なお、私立学校というのはprivate schoolの訳語で、日本の私立学校のように学校法人によって経営され、正規の学校と認められている学校ではなくて、任意に設置され、維持されている非正規の学校である。この種の学校にも一種の格差があって、貴族や金持の令嬢はスイスやイタリアの学校に行くが、国内の学校に送られている彼女らは経済的に多少遅れを取っている家庭の出身らしい。この作品中でもエセルドレダの生徒たちは、クイーンズ・スクールという学校の生徒たちに敵意を燃やしているが、こちらは、日本の私立学校と同じく正規の学校のようである。なお、先年、没したスコットランド出身の作家ミュリエル・スパークの晩年の作品『フィニッシング・スクール』が描いている学校は、現代の話で、寄宿制ではあるが、男女共学で、まったく別の種類の教育を行っている。読みながら、私も金があれば、こういう学校を経営してみたいと思った記憶があり、もし関心があれば、ご一読ください。

 事件との取り組みを通じて、女生徒たちの世界は広がり、人間に対する見方も変わっていく。高等教育や専門職への就職が視野に入ってくる。それに十代という年頃の女性であるから、彼女の周辺に出現する農場主の息子や警官、事務弁護士の助手、神学生などの若い男性たちとのロマンスが芽生え始める。現代のアメリカ人の作家が、1890年ごろ(シャーロック・ホームズの時代)の出来事を想像で描いているので、歴史的な事実とは多少食い違うところがあってもしかたがないし、素人探偵の推理だからなかなか真相解明が進まないところもあるが、ユーモアも適当に織り込まれて、楽しく読める作品である。

 なお、最後の方で登場人物が<クロケット>を始めるという箇所があるが、スティックでボールを打って逆U字型の鉄門をくぐらせるというこのゲームは、<クローケイ>と発音されるし、伝統的に<クローケー>と言い慣わされてきたのではなかろうか。(『若草物語』など、このゲームが登場する作品は少なくない。)

シャーロット・マクラウド『浮かんだ男』

9月25日(日)曇り、時々晴れ

 シャーロット・マクラウド『浮かんだ男』(創元推理文庫)を読み終える。原題はThe Balloon Man (熱気球の男)で、物語の中で、双子の男女が熱気球に乗って降りて来ることとは符合しない。何かほかに作者が意図していることがあるのだろうかという不審の念が残る。1979年に発表された『納骨堂の奥に』(The Family Vault、家族の地下納骨所)から始まるセーラ・ケリング・シリーズの最終作品。作者であるシャーロット・マクレオド(Charlotte MacLeod、1922-2005)は1978年に刊行した『にぎやかな眠り』に始まるシャンディ教授シリーズで名声を得た作家で、セーラ・ケリング・シリーズはシャンディ教授ものほどのユーモアはないが、ボストンの名門家庭に生まれ育ったセーラ・ケリングが、様々な事件に遭遇し、それを解決する中で、自分の背後にある血縁関係や一族の文化の桎梏を乗り越えて、新しい自分を見つけていくというところに特徴がある。

 セーラの夫であるマックスの甥マイクが結婚することになり、彼女がその野外結婚式の陣頭指揮を執る(マックスはユダヤ人であるが、結婚式はユダヤ人の風習を残しながら、世俗的に行われているようである)。当日は好天に恵まれ、多くの招待客が集まる。マックスはセーラの結婚の贈り物について作成中のリストと照合してほしいという指示を無視して(数が多すぎると判断したのである)贈り物を眺めていたが、その中に長年失われていたケリング家の宝石が並んでいたことで呆然とする。それだけでなく、どうもこの宝石を目当てらしい錠前破りのルーと名乗る泥棒が「死体!」に変装して登場したり、夕刻になって会場のテントの1つの上に、熱気球が着陸して、テントを壊し、気球からはこの結婚式が行われているケリング家の元別荘の隣人であったザッカリー家のアリスター(アリー)とカルプルニア(カリー)の双子の兄妹が現れる。

 翌日の朝、家から外に出たマックスは何者かが仕掛けた発煙弾に出会い、あたりが真っ暗闇になるのを経験する。その後、やっと片付けにやってきたテント設営業者たちは、気球によってつぶされたテントの下に死体を見つける。死んでいたのはジョー・マクベスという名の作業員であった。死体の様子から見て、どうも他殺体をどこからか運んできて、気球に押しつぶされたように見せかけようとしたらしい。それだけでなく、結婚式に参加していたケリング一族のジェレミー(ジェム)の車がいつの間にか盗み出されていた・・・。

 一連の不可思議な事件は、それぞれに関係があるのか、ないのか。『納骨堂の奥に』で行方不明になっていたケリング家の宝石が出現したということは、これらの事件とどう関係するのか。セーラを中心に美術品専門の探偵であるその夫のマックス、マティーニをカラフェから飲むという度し難いのん兵衛の遊び人だが、ケリング一族の歴史に詳しいジェム、その忠実で有能な執事のエグバート、セーラの従兄のブルックス、その妻で紅茶占い師だった経験から他人の心理を読み取り推理することが巧みなシオニア、セーラの又従弟で探偵見習中のジェシーというケリング一家(≒ビターソーン探偵社)のメンバーが活動を始める。セーラとマックスの一粒種であるデイヴィの動きにも目が離せない。彼は、気球から降りてきたのが火星人だと信じていて、気球に乗りたがるのである。

 ユーモア・ミステリ作家としてのマクレオドの真価は(シャンディ教授ものほど顕著ではないが)こうした一人一人の登場人物の性格や行動の描写に表れている。結婚式に招待されなかったケリング一族の一人で、セーラの従姉であるメイベルが、TVの報道で結婚式とその周辺で起きた事件について怒り心頭に発して電話をかけてくる。ジェムをはじめとする一族の何人かの悪口を言い続ける。「…セーラは本気でくすくす笑い出したくなっていた。マックスはすべての言葉をテープに録音していた。なぜならこれが最も悪意のある時のメイベルであり、もしも誰からケリング家の歴史について書く余裕ができた時には、記録として保存しておくべきだからだ。メイベルはますます怒りを煮えたぎらせており、電話代はすべてメイベルの方にかかっていることをそれとなくセーラに仄めかされなければ、一族の残りの人間についてまで話を続けそうな勢いだった。結局、セーラの仄めかしが功を奏した。メイベルは最後にやっと理解すると「まあ、なんてこと!」というなり電話を切った。」(186ページ) 強要するような笑いではないが、二重、三重に笑いの罠が仕掛けられていることがわかる箇所である。またブルックスの古い友人であり、物語の後半で重要な役割を果たすトウィーターズ・アーバスノットは、サンカノゴイのようなうるさい音を立てると表現されているが、サンカノゴイという鳥は、『バスカヴィル家の犬』で不思議な咆哮(?)を聞いたワトソンに対して、ステープルトンが、鳥の鳴き声かもしれないというその鳥である。

 物語はシリーズの締めくくりとして、もともと、WASP(=White Anglo-Saxon Protestant)であるボストンの名門に生まれ育ったセーラが、ユダヤ系のマックスと結婚することで、一族とその文化から離れ、新しい人生を築こうとしていることも読み取れる。そして、一族の受け継いできた宝石が戻り、セーラがその宝石には愛着がないと宣言することで、新しい人生への決意を示しているようである。新しい人生を歩もうとするセーラとマックスの美術探偵ぶりや、デイヴィの成長にも興味があるのだが、そこまでを描くことを作者に望むのは欲が深すぎるということだったろうか。

田中啓文『鍋奉行犯科帳 猫と忍者と太閤さん』

5月28日(土)曇り時々晴れ

 5月27日、田中啓文『鍋奉行犯科帳 猫と忍者と太閤さん』(集英社文庫)を読み終える。大坂西町奉行という重職にありながら、美食と大食いの方に精力を傾けている…が、その周辺で起きる難事件・珍事件を次々に解決していく大邉久右衛門とその配下の者の活躍を描くシリーズ第7弾である。田中さんには、落語家を主人公にする「笑酔亭梅寿謎解噺」という先行するシリーズがあるが、それを追い抜く勢いで書き進められているのは、こちらの方への読者の後押しが強いからであろうか。

 『猫と忍者と太閤さん』というと落語の三題噺めくが、実際は、太平の世に用がないはずの忍者が登場し、しかも久右衛門の命を狙う、それも奉行所の糠床が目当てなのだが、さる大名家の御家騒動が絡んで奉行所の天井裏で2人の忍者が鉢合わせをする…という「忍び飯」、芸はしっかりしているが猿面ゆえになかなか目を出せない老優に『太閤記』の秀吉の役をやらせて成功するが、この役者の命を狙う一団が登場するという「太閤さんと鍋奉行」、京都のお公家さんの家庭の事情に猫が絡むという「猫をかぶった久右衛門」の3編の中編小説から構成されていて、それぞれの間に筋の関連はない。

 最初の2編は2つの一見関係のない事件がどこかで結びつくという展開、「猫をかぶった」は猫とその世話係の少年の間柄の描き方が興味深い。さらに、シリーズ常連のそれぞれの個性の描き方にまた新たな工夫がみられる。相変わらず大食漢ぶりを発揮する久右衛門であるが、「太閤さん」では食べ過ぎて腹を壊して、用人の佐々木喜内をそろそろ隠居する頃合いかと心配させたり、「猫をかぶった」では迷い込んできた猫にネコ飯を作ってやったりと、これまでにない側面を見せる。奉行の配下で、大坂市中を見回る同心の村越勇太郎、その手下で役木戸を務めながら水茶屋を経営し、戯作者も兼ねるという蛸足の千三、勇太郎の直属の上司で堅物ながら、苦労人ぶりも発揮する与力の岩亀三郎兵衛、勇太郎に思いを寄せる道場主の娘小糸、奉行所お抱えの腕のいい料理人の源治郎、勇太郎の叔父で医者の赤壁傘庵など毎回登場する人物のほかに、「隠し包丁」という忍者の仲間を抜けて料理人になろうという権六、江戸から移り住んで雑喉場(ざこば)仲買人をしながら勇太郎の手下も勤めようという繁太など、新たにレギュラー入りをしそうな顔ぶれも見られる。権六の元「上司」である名張の寸二も今後悪役として再登場の可能性がある。小糸と勇太郎を争ってきた綾音はどうも方向転換をしたらしく、ほとんど登場しないが、千三におしのという恋人?ができたという聞き捨てならない話題もでてくる・・・

 読みながらなぜか、オランダの外交官・東洋学者で駐日大使を務めたこともあるロバート・ファン・ヒューリックのディー判事(狄仁傑)シリーズを思い出していた。一方は実在の人物で、則天武后(武則天)に諫言をしたという硬骨漢、他方は架空の人物で江戸後期の一見役立たず。ディー判事が地方の知事を歴任してそれぞれの土地の怪事件を解決して行く(最後には長安に戻って政府の高官になる)のに対し、久右衛門はさまざまな役職を経て、どうも大坂西町奉行が最後のご奉公らしい。ただ、両者ともグルメで(ディー判事の場合、主人公よりも作者のほうがグルメだったという意見もある)、異能の部下たちを集めているというのが共通点であろうか。もっとも鍋奉行シリーズの場合、久右衛門の個性が強すぎて、部下の能力がかすんでしまっているようにも思われる。鍋奉行シリーズが続く中で、登場人物のどのような取捨選択が進んでいくかも、読み進む際の楽しみの一つである。
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Author:tangmianlaoren
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