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高適「田家春望」戯訳

5月7日(木)晴れ

田家春望   高適

出門何所見 (門を出でて何の見るところぞ)
春色満平蕪 (春色 平蕪に満つ)
可歎無知己 (歎ず可し 知己無きを)
高陵一酒徒 (高陵の一酒徒)

春の眺め   高適

春景色 なんの見どころ あるのやら
野原の雑草 元気はよいが ただそれだけで終わってる
腕と度胸は負けないつもり 誰かこの俺買わないか
今はただただ 酒を飲む

付記:
 木村茂光『平将門の乱を読み解く』と、細川重男『執権』の連載が終り、何となく気が抜けた感じで、新しく取り上げる題材を探すまでのつなぎとして、井伏鱒二の『厄除け詩集』に取り上げられている唐詩のうちから、この作品を選んで、自己流に翻訳してみた。
 盛唐の詩人高適(702‐765)がまだ世に出ず、鬱々としていたころの作品。「腕と度胸」としたところ、「手腕と野望」の方がこの詩人に相応しいかもしれないが、こうする方が分りやすいと思って、こちらを選んでみた。
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森林公園行きの電車に乗った

1月18日(土)雨が降ったりやんだり、東京ではみぞれが降っていた。

森林公園行きの電車に乗った

森林公園行きの電車に乗った
この特急電車に
始発から終点まで
元町・中華街から森林公園まで
ずっとずっと乗り続ける乗客は
たぶん いないだろう
運転士さんだって
途中で交代するのかもしれない

終点を目指しずっと走り続ける
愚直さを嘲笑してはいけない
目的に向かい、時間通りに
走り続けることを軽く見てはいけない

我々乗客は、走り続ける電車を横目で見ながら
途中で乗車し、下車し、乗り換え、乗り継ぎ、
せわしなく集まり、散り、
あわただしく職場に向かい、用談に赴き、
学校に向かい、遊びに出掛け、
病院に通い、家に帰る。

一度くらいはのんびりと
目的を持たずに始発から終点まで電車に乗り続ける
ちょっとした旅をしたいものだ。
その目的のなさを電車に嘲笑されてもいいから、
機械よりもおっとりとした
人間の生き方を試みてみたいものだ。

 本日は順番としては、ルーカーヌス『内乱――パルサリア――」を掲載する日ですが、東京の神楽坂まで別府葉子さんのシャンソン・ライヴ(ピアノは江口純子さん)を聴きに出かけたために、予定を変更して、飯田橋までの電車の中で思いついた詩を掲載します。
 今年友人から届いた年賀状の中に、もっと詩と映画の紹介・批評を多くしてくれというブログへの注文があったのですが、詩は霊感がわかないと書けないので、私としてできるのは、霊感がわきそうな経験をもっと多く設けるように努力するということです。映画のほうは、1本でも多く、できるだけ新しい映画を見て、作家や作品とのより刺激的な接点が作れるように努力したいと思っております。
 コンサートの感想については、21日付の「日記抄」に書きたいと考えております。

蘇舜欽「暑中閑詠」戯訳

8月21日(水)曇り

暑中閑詠(蘇舜欽)

嘉果浮沈酒半醺
牀頭書冊乱紛紛
北軒涼吹開疎竹
臥看青天行白雲

水に浸した果物は なかなか冷えず浮き沈み
酒を飲むにもまだ日は高い
昼寝に敷いた床まわり 本を読みかけ読み散らし
結局辺りは 本だらけ
幸い北から涼しい風が 吹き抜けてくる 吹き抜ける
何本もない竹の間を
ああ、寝っ転がって空を見よう 青い空
白い雲見て 時過ごす

 蘇舜欽(1008‐1048)は北宋の詩人。官に就いたが公金を使用して宴会を開いたと訴えるものがいて、蘇州に退き、4万銭で古い別荘を購入して、亭を建て、滄浪亭と名づけた。「滄浪」という語は、戦国時代の楚の詩人屈原の「漁夫の辞」に基づく。この建物と庭園は現存していて、江蘇州蘇州市の名所になっている。

 夏の暑い日をどのように過ごすか、この詩の描いている作者の姿は何となく私に似ているようにも思えるが、インターネットでその画像を見ることができる滄浪亭と、わが陋屋とでは隔たりがありすぎる!
 私の尊敬する詩人のひとりである加島祥造が中国の隠者というのは、日本の隠者に比べてずっと肉食系でたくましいというようなことを書いていたが、確かにそうかもしれない。美しい顔で楊貴妃豚を食い――という川柳もある。もっとも、現今では(私を含め)日本人も豚を平気で食べるようになってはいるのだが…。

 今日は少し、しのぎやすいようですが、まだまだ残暑厳しい折、御自愛ください。

6月31日

7月7日(日/七夕)雨が降ったりやんだり

 6月31日
腕時計の日付を
直し忘れていたので
6月31日という
ないはずの日を迎えることになった

すぐに直せばいいと
思うかもしれないが
「ないはずの日」を楽しむのも
悪くはない

7月のうちに
もう一つ年をとるのが
分かっているから

残り少ない
日々のうちに
「若さ」を楽しんでおきたいのだ

 7月1日に掲載したほうがよかったかもしれませんが、記事の配分の都合で本日掲載することになりました。あと1週間のうちに1歳年をとることになります。
 昨夜は、パソコンをいじっているうちに眠ってしまい、皆様のブログを訪問する時間がとれませんでした。どうも最近は、そういうことが増えてきたようで、やはり年をとったのだなぁと思います。失礼の段、ご容赦のほどを。
 それでも、皆様から頂いた拍手の数が37,000をこえました。これからも自分なりに頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

陶淵明「園田の居に帰る五首」より第三首 戯訳

5月22日(水)晴れ

種豆南山下 草盛豆苗稀
晨興理荒穢 帶月荷鋤歸
道狹草木長 夕露沾我衣
衣沾不足惜 但使願無違

豆を南山の下(ふもと)に種(う)えしが
草盛んなれば 豆の苗稀なり
晨(よあけ)に興(お)き 荒穢理(たがや)し
月を帶(つ)れ 鋤を担いて帰る
道狭く 草木長(の)び 夕露わが衣を沾(ぬ)らす
衣の沾(ぬ)るるは 惜しむに足らず
ただ願をして違(たが)うこと無からしめよ

山のふもとに 畑を作り
豆をまいたが 雑草茂る
朝早くから やせ土相手
月を仰いで 夜帰る
草木で狭い道すがら
夜露で着物が濡れかかる
着物が濡れても仕方がないが
ぜひとも成就しておくれ
畑で生きる わが願い

 5月8日に出井康裕『移民クライシス』の紹介・論評を終え、水曜日は新しい記事を掲載するつもりだったが、15日は研究会の予定があったので、陶淵明の詩の戯訳でお茶を濁すこととなった。本日こそは、新しい記事を書こうと思っていたのだが、19日の月曜日、20日の火曜日と体調を崩し、まだ本調子が戻らないので、先週に引き続き、陶淵明の作品を取り上げて日本語訳を試みた。幸い、体調も良くなってきてはいるので、来週は新しい取り組みができるだろうと思う。
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