思い出は 遠近法を無視した絵のように

5月3日

思い出は 遠近法を無視した絵のように

思い出は
遠近法を無視した絵のように
昔々の出来事も
つい最近の出来事も
同じように並べる

小学校の林間学校で追いかけたトンボの羽
大学前でビラを配っていた姿に驚いていた同級の女性の顔
高校に通学する電車の中でいつも一緒の車両にいた他校の女子生徒の白い顔
幼稚園時代に住んでいた家と、幼稚園へのみち
そして幼稚園へのみち、小学校へのみちに咲いていたホタルブクロの花

思い出は
和声法を無視した
音楽のように
心を騒がせ
心に迫る

毎年、毎年、大学を見下ろす丘の上で咲き、散っていった桜の花
一度だけ 唇を交わした 秘密の出会い
大学の中の年代物の建物の中で見た映画『去年マリエンバートで』
何も知らずにその前を通って行った藤田嗣治の絵

暗闇の暗さ
漆黒の黒
雪国の雪の白さ
そして
白いことと透明であることは違うこと
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気になるあの人

3月20日(火)雨のち曇り

気になるあの人

時は 春
花が つぼみを膨らませ
鳥たちが 囀り始める
しかし 彼女は
春の光の照らすところでは
沈黙している
あるいは させられているのか

週刊誌は 軟禁状態だと 報じている
そのわりには あちこちから
各種の言動が 伝わってくる
内輪の席では
はしゃいだ言動もあるようだ
いいたいことがあるのならば
出るべきところに出て
はっきり言った方がいい
うわさは 人格を殺す

昔の疑獄事件で
はしゃぎすぎだと 非難された 法務大臣は
半分はその非を認めるように
法務大臣が時の人になっちゃおしまいだといった
本来責任を追及されるべき人が
春の光の届かない 内輪の席で
はしゃいでいるのを見たら、彼はどういうだろうか

気になるあの人
本人は注目の的になりたいが
周囲がそうさせない
あの人
普通のおばさんになりたい
などと言い出しそうもない人
普通のおばさんになったら
どんなにかつまらないだろうと思っている人

醜婦とは言うまい
(今の時代、女性はすべて美しいのだからね…)
悪妻とは言うまい
(おそらくすべての夫は悪夫だからね…)
長い孤独な独り暮らしの
ちょっと手前で
不安を振り切ろうと
あがいている人
普通のおばさんの日常の苦労
喜びと悲しみ
そしてそれゆえの生きがいを
決して理解できない人

書庫の見張り

2月15日(木)晴れ

書庫の見張り

ねずみは
本が大好きで
大好きで
大好きだといっても
本をかじるのが大好きで、
書庫の人間が気付かない
穴の奥から
機会をうかがっている

書庫の持ち主にとって
本は読むためのものだから
かじり取られては困る
本をチーズかジャガイモのように
かじり散らされては困る

そこで投入するのが
ねこ2匹
ねこには猫のカンがあり
ねずみの気配を嗅ぎ付けては
勇み立っている

本といえば
枕にして寝るだけだった
ねこたちが
大役に就く
それが大役だと思っていないのが
いいところ
ねずみが出ないように見張っていればいいのだからね――と
キャット・フードの袋をあける・・・

年賀状

1月1日(月)晴れ、夕方、バスの車窓から富士山のシルエットが見えた。

年賀状

新しい年の
年賀状が届く
退職してだいぶたつのに
それでもかなりの年賀状が届く
元気で過ごしました――元気ですか?
相変わらずの暮らしです、暮らしに変化がありました、変化を求めています…
たいていは、年賀状だけで済ませる近況報告が続く

小学校以来の友人の年賀状がある
(本当だと幼稚園以来の友人からも来るはずなのだが
昨年末に身内に不幸があったと知らせがあった)
中学校時代の友人からも
大学時代の友人からも
年賀状が届く
不思議なことに
今の顔よりも
親しく付き合っていた時代の顔の方が浮かぶ

大学で教えていたころの
教え子からの年賀状もある
かろうじて年賀状だけで
師弟がつながっている
思い出すのは
学生だった頃の顔だ
彼らも校長になったり教頭になったりしているが
どんな年賀状をもらっているのだろうか
そして自分の教え子たちのどんな顔を思い浮かべているのだろうか

少しずつ数は減っているが
まだまだ御存命の先生からのお便りもあるし
先輩からの年賀状もある
親友も腐れ縁の仲間も
まだまだ年賀状をよこす
誰についても彼についても
昔の顔を思い出す
仲良く付き合っていたころだけでなく
反目したり悪口を言いあったりしたころの
顔も思い出す
それでも切れていない
縁の強さ、太さをかみしめる

これからどうなるか

12月26日(火)晴れ、かなりの部分が雲で隠れてはいたが、富士山がバスの窓から見えた。

これからどうなるか

十五、十六、十七と
私の人生、暗かった――という
藤圭子さんの歌が流れていた頃、
二十五、二十六、二十七と
私の人生、やはり暗かったと
サラリーマン漫画の主人公の
ショージ君は自嘲していた
その頃の気分は圭子さんよりも
ショージ君に近かった

三十五、三十六、三十七と
働き盛りであったはずだが
自分の得意も不得意も
好きも嫌いもお構い無しに
押し付けられた仕事を
こなすだけだった 
四十五、四十六、四十七と
やはり仕事に振り回されて
年をとってきた

そして五十五、五十六、五十七と
仕事を勤め上げて 退職し
六十五、六十六、六十七と
年金生活を続けてきた
藤圭子さんのように生き急がずに
ショージ君のように細く長く生きてきた
でも、それもどこまで続くか分からない

来年は数え年で七十四だ
ということは、
七十五、七十六、七十七が
これまで同様に続くのだろうか
それも分からない
不透明な未来の不透明さを
不自由に思いながら
また年を越すことになりそうだ

【付記:本日は小川剛生『兼好法師』の第4回を掲載するつもりでしたが、自宅のパソコンの調子が悪く、詩のほうが入力に時間がかからないので、こんな詩を載せてみました。そんなこんなで、こちらから訪問できるブログの数がいつもより減るかもしれませんが、あしからずご了承ください。】

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