ぼくはひとり、きみは大ぜい

8月6日(日)晴れ、暑し

ぼくはひとり、きみは大ぜい

ぼくはひとり、きみは大ぜい。
でもそれはぼくから見ての話で
きみから見たら、
きみはひとり、ぼくは、大ぜいの中の一人かもしれない。

ぼくの言葉はきみがいなければどこへも届かない。
誰か取り次いでくれる人がいなければ、
どこかでむなしく消えてしまう。
そしてきみは、
さまざまな言葉の大海の中に
きみの言葉を漂わせている。

きみの言葉も同じことだ。
きみの側から見れば、
ぼくは言葉の大海の中に漂う
ただの一人。しかし
きみの言葉がぼくの心に届けば、
ぼくは最大限の努力で、別のきみにその言葉を届けるだろう。
でも、心に届かないときだってあることを
分ってほしい。

きみも
ぼくも
同じ言葉を話しているはずで
大ぜいが
同じ言葉を話していると
思いながら
その言葉の意味を
しっかりととらえているわけではない。

それで大ぜいの人間が
勝手なことを言い散らかして
いろいろな噂が大きな顔をしてひしめき合っている
その中を通り抜けて
きみの言葉の
いちばんの意味と、いちばんの技巧とは伝わらないかもしれない。
きみの言葉は
大まかにしか伝わらないかもしれないし
間違って伝えられる恐れだって
十分にある。

言葉はもろくはかない。
だからいやだという人と、
だからこそ愛着がわくという人がいるだろう。
きみがどちらの人間であってもいい。
どちらの人間であってもぼくはきみが
そのもろくはかない言葉を大事にしようとするかぎり、
きみの友だちであり続けるだろう。
友達であることが、もろくはかない言葉を通じて
表現できる、それ以上のものであることを
改めて実感し続けるだろう。
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風は吹き続ける――ジャンヌ・モローの訃報に接して――

7月31日(月)晴れ

生きたいように生きる
奔放で、自由な風が
スクリーンを
映画青年たちの
心のなかを
吹き抜けた
そんな時代があった

夕暮れ時に
ともる 街灯の 光が
心のなかに
眠っているなにかを
呼び起こすように
彼女の出演する
映画は
新しい風を吹き込んだ

女の美しさとか
魅力とかを心に響かせた
女優はいくらでもいるが
その醜さまでもあからさまにして
しかも魅力的だったのは
彼女だけだ
天国で逢っても
地獄で逢っても
同じように愛せるような気がする
女優だった

風はやんだわけではない
まだ吹き続けている
フランス映画は
そして世界の映画は
美しく(時に醜く)自由な女の生き方を
発信し続けている
しかし、その風は昔の風ではない

ジャンヌ・モローの
訃報を聞いて
時代の終わりを感じた
自分が青年だったころのことを
客観的に見直すことができる
そういう時代さえも終わろうとしていることを
知った

それでも
風は吹き続ける
奔放に吹き抜けて
自由な心を
励まし続ける
時代が変わっても
新しい自由を呼び寄せようと
風は吹き続ける

腕時計

7月25日(月)晴れたり曇ったり

 暑中お見舞い申し上げます。

 まだまだこれからも暑い日々が続くと思いますが、ご健康と御健筆をお祈りします。
 昨日(7月24日)は、病院に出かけたついでに、神保町シアターで「神保町シアター総選挙2017」の中から、「特集「一周忌追悼企画 伝説の女優・原節子」より」のうちの3本:『女であること』、『河内山宗俊』、『東京の恋人』を見ていたので、皆様のブログを訪問する時間が無くなってしまい、失礼いたしました。

腕時計

料理を運んできた
年配の女店員の腕の
男物の時計を見て
ちょっとびっくりした

今でも面影は残っているが
若いころはもっときれいだったはずの
彼女の
履歴を想像してしまう

彼女の身近で
時を刻んでいるのが
別れた昔の恋人から
貰った男物の時計だとすれば

思い出が 心の底に
ずっと 錨を下しているということだろう

繋がれた小舟のように

6月23日(金)晴れ、気温上昇

繋がれた小舟のように
 元好問「内郷の県斎にて事を書す」による

夜更けに、一人 役所に残る
仕事の残りを片付けるというよりも
物思いにふける
さまざまな思いが
煙のように心のなかに燻る

役所全体 仕事は滞り
住民の暮らしは苦しいままだ
政府は国防というが
補給すべき食糧も調達できない

住み着いている鼠さえ
腹を減らした様子で
こちらの様子をうかがうありさまだ
何に驚いたのだろうか
夜だというのに
烏の鳴き声が聞こえる

わがご先祖は
わたし同様に
地方の役人だったそうだが
こんな暮らしに見切りをつけて
小舟でどこへともなく去っていったという

他人の期待に応えることもできず
自分の思いのままに生きることもできず
わたしの小舟はまだ繋がれたままだ

ジュゲム

6月13日(火)朝のうち曇り、昼前から雨が降り出す

ジュゲム

Je t'aimeじゃない
寿限無
ジュゲムジュゲムゴコウノスウリキレ…
まだまだ続く
落語に出てくる 長い名前

ジュゲムは寿限無
ゴコウは五劫
劫というのは訳が分からないほど長い時間で
それが五つだからもっともっと長い時間
スウリキレは擦り切れだとも、数理きれずという意味だともいう

新しく生まれた赤ん坊に
名前を付けようと
父親が和尚さんに相談する
和尚さんは寺にあるお経やそのほかの本を探して
いろいろな名前を提案する
子どもが長生きするように
縁起のいい名前を全部つけてしまいましょう
そうして子どもは長い名前をもつようになった

寿限無が少し大きくなって
喧嘩をしては相手の子どもを殴って
こぶができる
子どもが寿限無に殴られたと文句を言っているうちに
名前が長くてこぶが消えてしまったという
お噺

親の子どもへの愛情は
時々暴走する
江戸時代は子どもも多かったが
その一方で子どもの多くが短命だった
長い名前に長生きの願いを託したことを
笑うわけにはいかない

子どもの数が減ってきただけでなく
その少なくなったなかで
将来は暗いと思っている子どもが多いという
改めて寿限無を思い出し
笑いをとりもどして
将来のことを考えよう
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