エ分利満氏の優雅な生活

6月23日(土)朝のうちは降っていなかったが、午前中から雨が降り続く

 ラピュタ阿佐ヶ谷で『江分利満氏の優雅な生活』(1963、東宝、岡本喜八監督)を見る。山口瞳(1926‐1995)の同名作品の映画化。原作は1961年から翌年にかけて『婦人画報』に連載され、1963年2月に文藝春秋から単行本として刊行された。その前に第48回(1962年度下半期)の直木賞を受賞している。私の母が『婦人画報』を読んでいたので、同誌連載中から読んでいたし、単行本も親の書棚から持ち出して読んだ記憶がある。その後も文庫本で買って何度か読み返していて、忘れがたい書物の1冊といってもいい。ところが映画を見たのは映画化されて55年後というのは不思議な因縁である。今回はそういう因縁を踏まえて、この作品を取り上げてみたいと思う。

 この作品はもともと川島雄三(1918‐63)が映画化することになっていたのが、彼が急死したために、その親友であった岡本喜八(1924‐2005)にお鉢が回ってきたという。企画の段階で山口と川島とは顔を合わせて飲み歩いていたようで、山口は映画監督というのは不良少年がそのまま大人になったような人が多いのではないか、川島というのはそういう人だったと書き残し、小津安二郎もそういうタイプだったのではないかと述べた。一つ、突っ込みを入れれば、難病に苦しんでいた川島と、偉丈夫であった小津とでは不良の種類というか程度が違うのではないかという気がする。佐藤愛子さんの言い草ではないが、不良というのはそれなりに奥深く、味わいのあるものなのである。それはさておき、原作者の山口も、監督の岡本も、主人公江分利満を演じる小林桂樹(1923‐2010)も、戦中派に属する世代で、それが映画の裏付けとなる現実性を与えている。

 江分利満は大正15年(1926、山口自身と同じである)生まれのサラリーマンでサントリーの宣伝部に勤務している(原作では東西電器という架空の会社の宣伝部員である)。大正15年生まれということは、昭和の年数と年齢とが合致するということである。数え年だとそれよりも1歳年長ということになるので、戦争には招集されたが、内地で訓練を受けただけで終戦になった。実は彼には(当たり前だが)御本人には全く責任のない出生の秘密があり、そのために誕生日が遅らされた。もし、本当の誕生日が届けられていたら、自分の運命は変わって、戦死していたかもしれないと彼は何度も思う。

 彼の父(東野英治郎)は、軍事産業に関わる会社を起こしては倒産し、起こしては倒産するということを繰り返してきた事業家で、今は事業に失敗しただけでなく、病魔に侵されているが、それでもなおかつ見栄坊で嘘つきである。江分利はそんな父親から離れて、貧乏でもささやかな幸福に満ちた生活を夢見ているのだが、勤めていた会社が倒産したりしてなかなかうまくいかない。銀座でお針子をしていた夏子と結婚し、庄介という子どもも生まれる。ところが、夏子は時々発作を起こすようになり、庄介は小児喘息に苦しめられる。さらに息子夫婦とささやかな暮らしを送ることを夢見ていた母親がある年の大みそかに急死する。ところがその後、江分利は運よくサントリーに入社でき、その社宅に入居できる。ささやかな幸福に満ちた家族生活を送れる…と思っていたところに転がり込んできたのは、借金だらけで糖尿病などなんだの様々な病気を抱えた父親である。

 以上は、映画の進行とともにわかる主人公の身の上で、映画そのものは彼の勤める会社の建物の屋上で、昼休みに繰り広げられる風景、コーラスの練習をしている社員たちがいるかと思うと、バドミントンやバレーボールに興じる社員もいる。その中でポツンと浮いている感じの1人…江分利というところから始まる。会社が終わって飲みに行こうか行くまいか、今日は飲むまいと思っていても、だれもついてこなくても、なぜか足が向かう。そして「面白い?」と会う人ごとに尋ねる。(屋上の場面はともかく、会社の仕事が終わってから、飲み歩き、「面白い?」と尋ねて回るというのは原作通りである。) そして悪酔いをして、飲んだものを吐きかけると、どこからともなく表れた1組の男女が彼をもっと飲みましょうと誘いだす。

 酔っぱらった後の記憶を全くなくしている江分利であったが、翌日、前夜の男女の訪問を受ける。彼らはある婦人雑誌の記者であり、彼に小説の執筆を依頼し、承諾を得たというのである。渋っていた江分利ではあったが、説得に負けて、創作に取り組むことになる(ここで山田だか満寿屋だか、どこかわからないが、一流どころらしい文具店の原稿用紙に、鉛筆で原稿を書きはじめるというところが、おもしろい。つまり、口で言っているのと裏腹に、結構やる気はあるらしいのである)。

 こうして物語が本格的に始まる。江分利の日常生活と彼の個人史が次第次第に明らかになる。昭和30年代も後半となり、家にはテレビが2台(1台は父親用)、ステレオも置かれているし、冷蔵庫もあり、内風呂も備わっている。豊かな生活の恩恵が及んでいる一方で、着るものはひどく貧弱だというようなアンバランスがみられる(このあたり、原作は細かく書き込んでいるが、それを映画では視覚的にうまく表現している)。それに、家計を苦しくしているのは、父親の病気に加えて、江分利が大酒を飲むということである。

 江分利が書く小説とも随筆ともつかない文章は、予想以上に反響を巻き起こし、直木賞候補に挙げられる。このあたり、原作よりも、原作者山口瞳のプライヴァシーに近くなってきている。そして・・・

 この映画ではある家系の3世代の男性の生き方が、主として主人公とその父親の関係に焦点を当てて描き出されているといってもよい。3世代といっても、まだ江分利の息子の庄介は子どもとしてしか描かれていないからである。さらに視野を広げてみると、原作についても、映画についても共通する気分は、戦中派の世代が自分たちよりも上、あるいは下の世代に感じる、そして世の中の動きに感じる違和感である。戦争中、江分利は平和にあこがれるが、その一方で、彼が享受していた豊かな生活は、戦争のおかげで得られたものであった。江分利は不器用で、何事にも一生懸命取り組もうとするのだが、なかなかうまくいかず、周囲から笑われたりする。笑わせようとしているわけでもないのに、笑いをとってしまうのはご本人にとっては困ったことである。

 川島雄三がこの作品の映画化を引き受けたとき、江分利の住む社宅から一歩も出ない作品をとろうと考えていたという。戦中派よりもほんの少し上の世代といえる川島なりに、違和感の表現を工夫しようとしたのであろう。それがどんな効果を生み出しえたのかは謎であるとはいうものの…。その点では、舞台を限定していない岡本による映画化は実験性に欠けるが、わかりやすい。山口が住んでいたサントリーの社宅は東急東横線元住吉駅の近くにあったが、その元住吉駅が高架化される以前の姿がとらえられていたりして、この沿線育ちの私には懐かしいところがある。映画化では省かれてしまっているが、関東の人間である江分利←山口が関西系の企業に就職して感じた違和感、東西の文化の違いというのは、おそらくは『東京マダムと大阪夫人』などという作品も残している川島雄三だったら、描き出していただろうという気持ちがする。この点は残念である。

 その一方で、山口の小説が描き、岡本の映画が再現しようとした江分利満は、山口瞳そのものではないことも心得ておく必要があるだろう。山口は、草野球の名選手・名監督であり、将棋は素人としては一流、そしてサントリー入社以前に様々な出版社を転々として腕を磨いた有能な編集者であった。サントリーに入社した経緯も、伝説的なPR誌である『洋酒天国』の編集部員募集の記事を見て、編集長の開高健(1930‐89、つまり山口よりも年少で、「焼け跡闇市」世代である)に連絡を取ったところ、冗談半分に記事を出した開高が本気になって彼の採用を上層部に働きかけたという経緯がある。原作・映画の中で展開されている江分利の小言幸兵衛的なこだわりは、山口瞳という不器用な半身と、達人・通人というもう一方の半身をもった人物ならではのものであり、映画を額面通りに見ているだけではわからないものではないかと思われる。そうはいっても、原作・映画ともに、山口瞳の生活と意見よりも、戦中派がその前後の世代の生活と意見に対して抱く違和感のほうに強調点があると理解すべきであろう。今や、この作品では子どもとして描かれている江分利の息子・庄介が70歳近くになっている(はずである)。世の中を動かすのが、もっと若い世代になっている現在、」戦中派の人生観を再点検・再評価する責任を負うのは、どのような世代なのであろうか。

 なお、この映画中で、江分利の父親の家に下宿しているアメリカ人の記者を演じているジェリー伊藤は山口瞳の義弟である。小林桂樹が山口瞳に似ていることにくわえ、岡本はこの作品中にまだまだ話の種を仕込んでいるかもしれない。
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ドイツ映画の黄金時代

11月24日(金)晴れ

 NHKラジオ『まいにちドイツ語』応用編「ベルリン 変転する都市」は11月23日に”Filmstadt Berlin"(映画都市ベルリン)、11月24日に”Goldene Zeit des deutschen Films"(ドイツ映画の黄金時代)と映画に関係する話題を取り上げた。

 「映画都市ベルリン」では
Dass Berlin neben Paris die Stadt ist, die die Anfänge der Filmgeschichte markiert, ist relativ unbekannt. (ベルリンがパリと並んで映画史の始まりとなった都市であることは、比較的知られていない。)
として、1895年に映画の有料上映を行ったマックスとエーミールのスクラダノフスキー兄弟の業績から、戦間期におけるドイツ映画の隆盛ぶりについて紹介した。スクラダノフスキー兄弟の開発したビオスコープというシステムは、フランスのリュミエール兄弟のシネマトグラフに対抗できなかったが、それでもドイツにおける映画産業発展の出発点となった。
Die Universum Film AG (Ufa), die 1917 in Zusammenarbeit von Militär und Industrie gegründet worden war, avancierte schnell zu einem der größten Filmunternehmen in Europa. (ユニバーサル映画株式会社(ウーファー)は1917年、軍と産業界の協力で設立されたが、すぐにヨーロッパ最大の映画会社の1つにまで成長した。)
1919 gab es in ganz Deutschland ca. 3.000 Lichtspielhäuser und eine Million Menschen besuchten täglich die Kinos. (1919年にはドイツ全土におよそ3,000の映画館が存在し、毎日100万人もの人々が映画館に出かけていた。)

 番組パートナーの鎌田タベアさんはスクラダノフスキー兄弟と同じくベルリンのPankow地区の出身だそうで、1895年に兄弟はBerliner Straße 27で試験的に映画の上映を行ったが、それを記念してその場所にTivoliという名前の映画館が建ち、彼女が子どものころはまだ存続していたが、その後、そばに大きな映画館が出来て、残念ながらなくなってしまったとのことである。
Es gibt übrigens auch einen Film über die Brüder Skladonwsky vom Regisseur Wim Wenders. (ヴィム・ヴェンダース監督によるスクラダノフスキー兄弟についての映画もある。) 本題とは関係がないが、タベアさんの日本語が上手なのには感服する。

 11月24日放送分では、
In seiner Geschchte erlebte der deutsche Film zweimal seine Blützeit. Die erste hatte er in den zwanziger Jahren, während man die zweite in der Periode des ,,New German Cinema" von den sp äten 1960er bis zu den frühen 1980er Jahren sieht. (ドイツ映画はその歴史において2度の全盛期を経験した。第1の全盛期は20年代にあった。一方2度目の全盛期は1960年代末から1980年初頭にかけての「ニュー・ジャーマン・シネマ」時代にあると考えられている。) として、1920年代のドイツ映画が話題となった。エルンスト・ルービッチ、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ、フリッツ・ラングといった監督たちの代表作がこの時代につくられ、今日でも傑作とされ、その後の映画に大きな影響を与えた。

 この第一次黄金期につくられた映画の特徴は、怪奇映画が多かったことである(そのほか、山岳映画やフリードリヒ大王物などがヒットしたこともドイツ映画の特徴らしい)。それは不安定な時代の社会心理を反映したものと考えられる(この時代のドイツ映画の分析として、ジークフリート・クラカウアーの『カリガリからヒトラーへ』という有名な研究がある。ただし、クラカウアーの分析視角は、怪奇映画が多いということよりも、映画の中の<専制君主>像に向けられている)。

 ナチスの台頭とともに、ユダヤ系や進歩的な傾向を持つ映画人たちは亡命し、多くがアメリカに渡った。
Nicht wenige von diesen Regisseuren und Schauspielern wurden nach Hollywood eingeladen und kamen nach der Macht übernahme durch die Nationalsozialisten nie wieder nach Duetschland zurück. (これらの監督や俳優のうちの少なからぬ人々がハリウッドへ招待され、ナチス党が権力を掌握した後、二度と再びドイツへ戻らなかった。)

 ここでは、フリッツ・ラングやマレーネ・ディートリヒがハリウッドに去った映画人の例として挙げられ、ラングが亡命直前に作った映画『M』と、この映画に出演したペーター(ピーター)・ローレ(その後、『マルタの鷹』、『カサブランカ』等に出演)のことが語られ、ビリー・ワイルダーについても言及されたが、オットー・プレミンジャーもオーストリアからアメリカに渡った一人である。さらに、グレタ・ガルボやイングリッド・バーグマンのようにドイツを経由して、スウェーデンからハリウッドに渡った俳優がいるが、この場合血統や思想はおそらく関係がないだろうと思われる。いずれにしても、1930年代から40年代にかけてドイツをはじめヨーロッパ大陸各地から集まってきた人材がハリウッド映画の全盛期を現出するのに、大きな貢献をしたことは否定できないだろう。

 2回の放送で言及された映画のかなりの部分:『カリガリ博士』、『ノスフェラトゥ』、『メトロポリス』、『M』を見ているが、『M』を除くと、サイレント映画であり、ドイツ映画はトーキーの時代になるとやや衰退したのではないかという気がする。(『M』 は後に、アメリカでジョセフ・ロージー監督により再映画化されているが、これは見ていない。フリッツ・ラングはジャン=リュック・ゴダールの『軽蔑』に出演していたのを記憶されている方もいるだろうと思う。) 私は、怪奇映画があまり好きではないので、1920年代のドイツ映画は勉強のつもりで見ることは見たが、どうも違和感があるというか、しっくりこないものがあって、ドイツ語が大学時代の第二外国語だったにもかかわらず、苦手意識をもっているのと、どこかで関連しているのかもしれない。それから第2期黄金時代の「ニュー・ジャーマン・シネマ」の作品は、すでに就職して映画を見る余裕がなくなった時代に公開された作品が多かったので、部分的にしか見ていないのは残念なことである。
 

『深夜の市長』、『醜聞』

9月20日(水)曇り

 9月19日、渋谷ヴェーラ渋谷で『名脇役列伝Ⅱ 安部徹生誕百年記念 悪い奴ら』の特集上映から『深夜の市長』(1947、松竹、川島雄三監督)と『醜聞(スキャンダル)』(1950、松竹、黒澤明監督)の2本を見た。この特集上映は安部徹の出演作品の他に、小沢栄太郎(1909-88)と河津清三郎(1908-83)の出演作品も取り上げており、彼らが悪役だけでなく、主役や印象深いわき役として出演した作品も含まれていて、興味深い内容となっている。今回の、安部が正義の主役を務めている『深夜の市長』は川島雄三の比較的初期の作品として、小沢が悪役を憎々しく演じる『醜聞』は黒澤流の重喜劇(だと思う)として、それぞれ注目すべき作品であり、あえて紹介する次第である。

『深夜の市長』
 1942年(昭和17年)に起きた銀行強盗事件で、社会主義者として活動していた男が犯人として挙げられ、処刑された。そのころ、戦地に赴いていた彼の弟(安部)は友人の新聞記者(山内明)から事件について聞き、不審を抱き、復員後、タクシーの運転手をしながら事件の真相を探り始める。と、”深夜の市長”(月形龍之介)と呼ばれる謎の男が現われ、危機に陥りかけた彼を助ける一方で、事件に深入りしないようにと助言する。しかし、彼は事件の真相を突き止めようとさらに調査を進める…。
 事件の真相の発覚を恐れる犯人たちの動きが映画の初めの方からずっと描き出されていて、真相はある程度まで観客に明らかにされており、犯人グループと捜索を進める側の両方に接触する”深夜の市長”は事件の輪郭をつかんでいることもわかる(むしろわからないのは、なぜ彼が”深夜の市長”と呼ばれているかである)。謎解きの要素は比較的少ないが、アメリカのギャング映画を見るような登場人物の服装やアクション、その一方で戦後間もない東京の下町の風俗の描写のミスマッチ感が何とも言えない。”深夜の市長”の正体と、彼が主人公を助ける理由の方がむしろ物語の中心となっていると考えていいのかもしれない。戦争中に映画監督としてデビューした川島の、自分の作風を模索する手探りの様子が感じられる。勝鬨橋をはじめ、隅田川の河口近くの風景が背景として多用されているが、これはその後の彼の映画にもみられるのも興味深い。

『醜聞(スキャンダル)』
 オートバイで雲取山の麓に絵画の製作に出かけた画家(三船敏郎)が、バスに乗り遅れたという声楽家(山口淑子)に出会い、彼女をオートバイに乗せて温泉場にまで同行する。湯上りに、彼女の部屋で歓談しているところを、彼らを見かけたカメラマンに盗撮される。写真にとられた場面だけをみれば、彼らは親密な関係にあるように見える。
 写真を持ち込まれたカストリ雑誌『アムール』(『シネマヴェーラ通信』186号の解説には、週刊誌とあるが、この時期、まだ週刊で発行されていた雑誌は『週刊朝日』『サンデー毎日』などごくわずかであった)の編集長(小沢栄、小沢栄太郎はこの時期、この芸名を使っていた)は、2人のロマンスをでっちあげて、スキャンダルとして大々的に売り出す。
 この記事を読んで怒った三船が、出版社に乗り込んで編集を殴るという事件がさらに起きて、騒ぎはますます大きくなる。名誉棄損による告訴を考えているという三船のもとに弁護士と称する男(志村喬)が訪れてくる。見るからに怪しげで、事務所はビルの屋上のあばらやで、机の上には競馬新聞が散乱している。しかし、結核でずっと寝たきりの彼の娘(桂木洋子)の心の美しさに討たれた三船は、この弁護士を信用することにする。とはいえ、この弁護士は見てわかるとおりの食わせ物で、原告、被告の両者から金を巻き上げようと暗躍する。競輪場で、ギャンブル好きの弁護士を編集長が次々に金を渡して篭絡する場面など面白い。
 なぜ、こんなことにことさら触れるかというと、森繁久彌について小津安二郎が「あの人は同じ芝居が二度できない」と文句を言ったのに対し、森繁が小津のロー・アングルでは「競輪の場面は撮れないだろう」といったという話を読んだことがあるからで(両者ともに、冗談めかしてはいるが、相当厳しいところをついている)、このやり取りは、この『醜聞』という映画が出来てから10年ほど過ぎてからの話ではあるが、この作品で黒澤は競輪の場面を楽々と映画の中に取り込んでいて、その映画作りの特徴を理解するのに役立ちそうだと思うのである。 
 両方から金を受け取っている弁護士は、編集長から連名の告訴でないと勝ち目はないからと行って来いといわれて、画家のところに出かけると、声楽家も居合わせて、連名での告訴に踏み切ることにしたといわれ、進退窮まってしまう。
 裁判が始まると、有能な弁護士を雇った被告・編集長側に対して、原告代理人の志村はしどろもどろの対応ぶりで裁判は被告側に圧倒的に有利に展開する…。

 三船は自分がヴラマンクの真似をしているといわれるが、そういうことを言っているような奴に限って、外国の絵の真似しかしていないというようなことを言い、これはおそらく絵の勉強をしたことのある黒澤の本心が覗いている部分であろう。裁判を通じて、三船と山口が次第に近づいているようにも見えるが、物語の焦点はそういうところにはない。単純に正義を振りかざす三船よりも、むしろ弁護士・志村喬の内面の葛藤と、それが表に出た娘の桂木洋子とのやり取りに目をむけるべきであろう。映画としての見どころは、志村の熱演である。熱演が熱演を通り越して、怪演としか言いようがなくなると、もっと喜劇性が増すのだが、それを望むことを悪趣味にしているのが娘とのやり取りであり、全体としては勧善懲悪の人間ドラマとしてのまとまりの中に納まっている。
 
 『深夜の市長』の上映は私が見た回で終わってしまったが、『醜聞』は9月22日も、『悪魔の接吻』(1959、東宝、丸山誠治監督、河津清三郎出演)と抱き合わせで上映されるので、ご関心の向きはご覧ください。

私たちの結婚

9月11日(月)晴れのち曇り

 9月10日、神保町シアターで「女優 倍賞千恵子」の特集上映から、『私たちの結婚』(1962、松竹大船、篠田正浩監督)を見る。篠田監督が倍賞千恵子を主演に据えて撮った映画であること、製作当時の川崎の漁港や工場地帯の様子と人々の暮らしがとらえられていること、主人公である姉妹の結婚観の対立と家族の解体の過程がしっかり描かれていることなど、見どころの多い作品である。この特集上映では、少し、毛色の変わった作品のようにも思われるが、女優・倍賞千恵子の性格が出来上がっていくうえでも無視できない作品なので、ぜひ鑑賞してほしいと思い、あまり旧作を取り上げることはしたくないのだが、あえて論評してみる。

 川崎の海の近くに両親(東野英治郎、沢村貞子)とともに暮らしている姉妹(牧紀子、倍賞千恵子)は、姉が事務員、妹が工員として工場で働いている。漁師をしている父親、海苔の養殖に携わる母親の稼ぎは少なく、父親の借金はかさむ一方で、母親が姉に金の融通を頼む場面が少なくない。
 ある時、妹の同僚である工員の駒倉(三上真一郎)が給料の計算が間違っていると姉のところに文句を言いに来たことから、2人が知り合う。妹は、二人を何とか結び付けようとする。一方、一家のところに昔よくやってきた闇屋の松本(木村功)が、その後転職して衣料会社の係長になっているのだが、昔のことを懐かしがってやってくる。そしてほんの子どもだった姉妹が、美しく成長していることを知り、特に姉のほうに関心を抱く。

 姉妹の身近には貧乏を苦にせずに日々を過ごしているオート三輪の運転手の夫婦がいるかと思うと、姉の学校友達の1人(春川ますみ)はもっぱら外国人相手に遊び歩いている。姉の結婚に本人以上に夢中になっている妹は、オート三輪の運転手の妻から家計のやりくりについて聞いたりする。姉は駒倉から結婚を申し込まれるが、なかなか決断できない。そして友人に誘われて出かけたクラブで商談を終えたばかりの松本に出会い、彼が彼女の母親に手紙を書いて、彼女と結婚したいと申し出たこと、子どもだった姉娘から「闇屋!」と言われて芋をぶつけられたことが生涯の転機になったことを聞く。彼が自分と同じように貧しさからの脱出・上昇志向を持っていること、自分が彼の生涯で意味を持つ存在だったことを知って、彼女の気持ちは大きく松本に傾く。

 姉の結婚問題を巡り、両親、姉、妹の間で騒動が起きる。特に、貧乏から抜け出したいという姉と、貧乏でも愛があればという妹葉対立する。この作品の脚本は『名もなく貧しく美しく』などで知られる松山善三と、監督の篠田正浩が共同執筆しており、このあたり、両者がいろいろ議論をして書き上げたのだろうなあと(松山が高峰秀子の夫であり、篠田が、この後、岩下志麻と結婚するというもう一つの『私たちの結婚』も含めて)想像できる。
 オート三輪の運転手の夫婦はせっかく妊娠したのに中絶を余儀なくされるし、姉の友人の「ボーイ・ハント」も結局はうまくいかない。映画の終わり近く、妹娘は、あなたは姉さんの結婚を考えているつもりで、本当はあなたのほうが駒倉さんを好きだったのよと言われ、自分のことを考え直す機会を得る。この作品は姉の牧紀子の結婚を描いているようでいて、その結婚に絡む妹の倍賞千恵子の気持ちのほうに焦点があてられている。だから『私たちの結婚』なのである。

 環境の変化とともに、両親は年を取り、子どもは成長し、家族は解体していく。そういう世代交代の繰り返しは、小津安二郎が好んで描いた題材であるが、それが東京の山手や鎌倉を舞台にしているのではなく、古くからの漁村が解体し、工場が進出している(今はその工場がどんどん閉鎖されているのであるが)川崎を舞台にして展開されているところにこの作品の新しさがあった。終わり近く、漁場でたたずむ東野英治郎、家にぽつんとひとり座っている沢村貞子、列車で郷里である岡山に向かう木村功と彼に随う牧紀子、そして出勤していく三上真一郎と、彼とは離れてやはり出勤している倍賞千恵子の姿に、古い家族の解体と、新しい家族の創出が要約されている。

 1時間07分という小品であり、主題曲として「漕げよ、マイケル」が繰り返し使われているなど、やや安易に思われるところもあるが、出勤風景を手持ちカメラでとらえたり、漁船やノリ養殖、工場、羽田空港の様子などを大胆なアングルで写す篠田の映画作り葉、そっくりそのままとは言えないまでも、その後の篠田の映画作りにつながるものを多く含んでいる。
 姉と妹のどちらの結婚観が正しいとか、姉の結婚が成功するかどうかなど、脚本も監督も特に結論を出していない。それは観客が自分たちで議論すべき事柄であろう。
 篠田に倍賞を主演とする映画をもう少し撮ってほしかったということと、監督はだれでもいいし、脚本に修正を加えてもいいから、倍賞千恵子、美津子姉妹でこの映画をリメイクしてほしかったという感想が残る。東野英治郎の父親役には盤石の既視感がある。長門裕之から吉永小百合までの父親を演じているのだから大したものである。美貌の持ち主だが、いまひとつ個性に見合った役柄に恵まれなかった牧紀子はこの作品が代表作といえるのではないか。その他の出演者もそれぞれ持ち味を生かしている。そういう意味でも見ごたえのある作品である。 

小津安二郎と溝口健二(2)

9月5日(火)曇り(時々小雨)

 8月20日のこのブログで書いたのは、私にとって小津の方が溝口よりも身近であるということであった。今回は、現在の日本の映画観客の好みが溝口よりも小津の方に傾いているのではないかと思われることについて、またその理由として考えられることについて書いてみたいと思う。

 7月から8月にかけて神保町シアターでは観客のアンケートに基づいた「神保町シアター総選挙」として、投票で上位票を獲得した8企画の中から4作品ずつを選び出した33作品と、過去最も多くの入場者を動員した成瀬巳喜男監督作品の『流れる』の合計34作品を上映した。その8企画というのは、①女優・高峰秀子、②恋する女優 芦川いづみ 、③一周忌追悼企画 伝説の女優・原節子、④没後40年 成瀬巳喜男の世界 ⑤生誕110年・没後50年記念 映画監督 小津安二郎、⑥男優・森雅之、⑦女優・岡田茉莉子、⑧女優・山田五十鈴ということである。なお、8×4=32であるが、小津安二郎の特集だけ5作品を取り上げたので、33作品になった。

 この結果を見ると、女優を取り上げた企画5つ、監督を取り上げた企画2つ、男優を取り上げた企画1つが選ばれていて、少なくとも神保町シアターの観客についてみると、映画は監督よりも俳優で選んで観る傾向があるといえよう。しかし監督を取り上げた企画が2つ選ばれていることと、ロビーでの観客の話を聞いて窺い知ったことから判断して、監督(と脚本・原作)についても軽視はしていないと判断できる。その中で、小津を取り上げた企画が5位に入っていて、彼の作品が5本上映されたのに対し、溝口の作品は1本しか上映されなかった。34本の映画を監督別にみると、
 成瀬巳喜男 8本(『流れる』、『あらくれ』、『放浪記』、『晩菊』、『驟雨』、『妻の心』、『女が階段を上る時』、『浮雲』)
 小津安二郎 5本(『学生ロマンス 若き日』、『淑女は何を忘れたか』、『麦秋』、『お茶漬けの味』、『早春』)
 中平康、千葉泰樹、川島雄三、大庭秀雄各2本
 阿部豊、稲垣浩、山崎徳次郎、滝沢英輔、山中貞雄、佐分利信、吉村公三郎、黒澤明、市川崑、青柳信雄、吉田喜重、溝口健二、渋谷実各1本
ということになる。主演女優の人気のおかげで作品が上映された凡庸な監督がいる一方で、この映画館では人気がないらしい巨匠・名匠が少なくないことが分かる。高峰秀子と成瀬巳喜男に寄せられた人気は神保町シアターという映画館に集まってくる客層の特色をよく示しているし、高峰と同じく小津の作品にも溝口の作品にも縁がなかった芦川いづみの人気もこの映画館の観客の好みの一面を示すものであろう。しかし、それらは本題とは外れる。

 企画が上映された5人の女優のうち2人が小津とも溝口とも関係がなく、山田五十鈴は両者の作品にともに出演している。小津映画の中で重要な役割を演じてきた原節子、初期の小津組で重要な役割を演じた岡田時彦の娘で小津が大事に育てようとした岡田茉莉子の特集企画が上映されている一方で、溝口の作品の中で重要な役割を演じた田中絹代(小津の映画にも出演している)の特集企画は選に漏れている。この点をみても、当世の好みは小津に傾いているように思われる。(もちろん、小津や溝口よりも成瀬だという観客、さらに、古い映画には興味がないという観客、さらにさらに映画には興味がないという人間の存在を無視するわけにはいかない。) ただ1人男優として選ばれた森雅之は、有島武郎の子息で叔父である里見弴と小津は親しかったという因縁があるにもかかわらず、型にはめる小津の演出を嫌ったのか、その作品には出演していない。

 何度か引用してきたが、淀川長治は、自分は庶民だから小津のように鎌倉に住んで文化人と交流しながら映画を作る人よりも、溝口の方が好きだといったという。しかし、淀川がイメージしていた庶民の在り方そのものが過去の存在になってきている、例えば、溝口の『赤線地帯』を自分の実感に引き付けてみることのできる人がいまの日本にどれだけいるかということがまず問題となるだろう。『浪華悲歌(エレジー)』を見ていても、溝口が描き出そうとした古い日本の因襲が個人の自己実現を束縛していく姿(あるいはそこからの解放の主張)というのがどうも古臭いのである(だからと言って、無意味だというわけではない)。因襲に囚われているのも庶民であり、その殻を打ち破って新しい人生を築こうとするのも庶民である・・・とすると、庶民という言葉にはあまり意味がないということになる。

 高橋治が指摘しているように、小津も溝口ももとはというと東京の下町の出身である(小津は途中から父祖の地である三重県で育てられたという違いはある)。小津は自分の気の合った仲間と、下町を舞台にした映画を撮ってきたのが、『戸田家の兄妹』あたりから作風の変化を見せ始め、描く対象である社会階層が上昇し、下町から山手へと舞台を移し、ノン・スター・システムからスター・システムへと配役の流儀を変化させる。描かれている対象が豊かになったという変化はあるが、ある種の軽妙さというか、ユーモアのセンスには変化がないように思われる。あまり重苦しくないのが、現代の観客からも好まれる理由ではないのか。

 小津は同時代の風俗を描き続け、溝口は時代劇や異国の物語にも題材を求めた(例えば『楊貴妃』、しかしおそらくこれは、溝口ではなく、制作者である永田雅一の意図であったのではないかと思われる)。高橋治は大島渚の次のような言葉を引用している:「小津さんは自分の好みの中でしか仕事をしなかった。そのうえ、好みを自分で知りぬいていた。だから幸福だったでしょう。しかし、溝口さんは一生自分がなにをやりたいのかもわからず、ただ、むちゃくちゃに頑張った。苦しい一生だったと思います。」(高橋『絢爛たる影絵』、文春文庫版、259ページ) 私自身はというと、好みは小津の方に近いけれども、自分の好みが正確にはわからないし、自分の好みとは違う仕事を押しつけられた(溝口における『楊貴妃』もそのような例ではないかと思われる)ために、もがき続けているというのが正直なところである。だから、溝口にも一定の親近感があって、そこが難しいところなのである。 
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