『深夜の市長』、『醜聞』

9月20日(水)曇り

 9月19日、渋谷ヴェーラ渋谷で『名脇役列伝Ⅱ 安部徹生誕百年記念 悪い奴ら』の特集上映から『深夜の市長』(1947、松竹、川島雄三監督)と『醜聞(スキャンダル)』(1950、松竹、黒澤明監督)の2本を見た。この特集上映は安部徹の出演作品の他に、小沢栄太郎(1909-88)と河津清三郎(1908-83)の出演作品も取り上げており、彼らが悪役だけでなく、主役や印象深いわき役として出演した作品も含まれていて、興味深い内容となっている。今回の、安部が正義の主役を務めている『深夜の市長』は川島雄三の比較的初期の作品として、小沢が悪役を憎々しく演じる『醜聞』は黒澤流の重喜劇(だと思う)として、それぞれ注目すべき作品であり、あえて紹介する次第である。

『深夜の市長』
 1942年(昭和17年)に起きた銀行強盗事件で、社会主義者として活動していた男が犯人として挙げられ、処刑された。そのころ、戦地に赴いていた彼の弟(安部)は友人の新聞記者(山内明)から事件について聞き、不審を抱き、復員後、タクシーの運転手をしながら事件の真相を探り始める。と、”深夜の市長”(月形龍之介)と呼ばれる謎の男が現われ、危機に陥りかけた彼を助ける一方で、事件に深入りしないようにと助言する。しかし、彼は事件の真相を突き止めようとさらに調査を進める…。
 事件の真相の発覚を恐れる犯人たちの動きが映画の初めの方からずっと描き出されていて、真相はある程度まで観客に明らかにされており、犯人グループと捜索を進める側の両方に接触する”深夜の市長”は事件の輪郭をつかんでいることもわかる(むしろわからないのは、なぜ彼が”深夜の市長”と呼ばれているかである)。謎解きの要素は比較的少ないが、アメリカのギャング映画を見るような登場人物の服装やアクション、その一方で戦後間もない東京の下町の風俗の描写のミスマッチ感が何とも言えない。”深夜の市長”の正体と、彼が主人公を助ける理由の方がむしろ物語の中心となっていると考えていいのかもしれない。戦争中に映画監督としてデビューした川島の、自分の作風を模索する手探りの様子が感じられる。勝鬨橋をはじめ、隅田川の河口近くの風景が背景として多用されているが、これはその後の彼の映画にもみられるのも興味深い。

『醜聞(スキャンダル)』
 オートバイで雲取山の麓に絵画の製作に出かけた画家(三船敏郎)が、バスに乗り遅れたという声楽家(山口淑子)に出会い、彼女をオートバイに乗せて温泉場にまで同行する。湯上りに、彼女の部屋で歓談しているところを、彼らを見かけたカメラマンに盗撮される。写真にとられた場面だけをみれば、彼らは親密な関係にあるように見える。
 写真を持ち込まれたカストリ雑誌『アムール』(『シネマヴェーラ通信』186号の解説には、週刊誌とあるが、この時期、まだ週刊で発行されていた雑誌は『週刊朝日』『サンデー毎日』などごくわずかであった)の編集長(小沢栄、小沢栄太郎はこの時期、この芸名を使っていた)は、2人のロマンスをでっちあげて、スキャンダルとして大々的に売り出す。
 この記事を読んで怒った三船が、出版社に乗り込んで編集を殴るという事件がさらに起きて、騒ぎはますます大きくなる。名誉棄損による告訴を考えているという三船のもとに弁護士と称する男(志村喬)が訪れてくる。見るからに怪しげで、事務所はビルの屋上のあばらやで、机の上には競馬新聞が散乱している。しかし、結核でずっと寝たきりの彼の娘(桂木洋子)の心の美しさに討たれた三船は、この弁護士を信用することにする。とはいえ、この弁護士は見てわかるとおりの食わせ物で、原告、被告の両者から金を巻き上げようと暗躍する。競輪場で、ギャンブル好きの弁護士を編集長が次々に金を渡して篭絡する場面など面白い。
 なぜ、こんなことにことさら触れるかというと、森繁久彌について小津安二郎が「あの人は同じ芝居が二度できない」と文句を言ったのに対し、森繁が小津のロー・アングルでは「競輪の場面は撮れないだろう」といったという話を読んだことがあるからで(両者ともに、冗談めかしてはいるが、相当厳しいところをついている)、このやり取りは、この『醜聞』という映画が出来てから10年ほど過ぎてからの話ではあるが、この作品で黒澤は競輪の場面を楽々と映画の中に取り込んでいて、その映画作りの特徴を理解するのに役立ちそうだと思うのである。 
 両方から金を受け取っている弁護士は、編集長から連名の告訴でないと勝ち目はないからと行って来いといわれて、画家のところに出かけると、声楽家も居合わせて、連名での告訴に踏み切ることにしたといわれ、進退窮まってしまう。
 裁判が始まると、有能な弁護士を雇った被告・編集長側に対して、原告代理人の志村はしどろもどろの対応ぶりで裁判は被告側に圧倒的に有利に展開する…。

 三船は自分がヴラマンクの真似をしているといわれるが、そういうことを言っているような奴に限って、外国の絵の真似しかしていないというようなことを言い、これはおそらく絵の勉強をしたことのある黒澤の本心が覗いている部分であろう。裁判を通じて、三船と山口が次第に近づいているようにも見えるが、物語の焦点はそういうところにはない。単純に正義を振りかざす三船よりも、むしろ弁護士・志村喬の内面の葛藤と、それが表に出た娘の桂木洋子とのやり取りに目をむけるべきであろう。映画としての見どころは、志村の熱演である。熱演が熱演を通り越して、怪演としか言いようがなくなると、もっと喜劇性が増すのだが、それを望むことを悪趣味にしているのが娘とのやり取りであり、全体としては勧善懲悪の人間ドラマとしてのまとまりの中に納まっている。
 
 『深夜の市長』の上映は私が見た回で終わってしまったが、『醜聞』は9月22日も、『悪魔の接吻』(1959、東宝、丸山誠治監督、河津清三郎出演)と抱き合わせで上映されるので、ご関心の向きはご覧ください。
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私たちの結婚

9月11日(月)晴れのち曇り

 9月10日、神保町シアターで「女優 倍賞千恵子」の特集上映から、『私たちの結婚』(1962、松竹大船、篠田正浩監督)を見る。篠田監督が倍賞千恵子を主演に据えて撮った映画であること、製作当時の川崎の漁港や工場地帯の様子と人々の暮らしがとらえられていること、主人公である姉妹の結婚観の対立と家族の解体の過程がしっかり描かれていることなど、見どころの多い作品である。この特集上映では、少し、毛色の変わった作品のようにも思われるが、女優・倍賞千恵子の性格が出来上がっていくうえでも無視できない作品なので、ぜひ鑑賞してほしいと思い、あまり旧作を取り上げることはしたくないのだが、あえて論評してみる。

 川崎の海の近くに両親(東野英治郎、沢村貞子)とともに暮らしている姉妹(牧紀子、倍賞千恵子)は、姉が事務員、妹が工員として工場で働いている。漁師をしている父親、海苔の養殖に携わる母親の稼ぎは少なく、父親の借金はかさむ一方で、母親が姉に金の融通を頼む場面が少なくない。
 ある時、妹の同僚である工員の駒倉(三上真一郎)が給料の計算が間違っていると姉のところに文句を言いに来たことから、2人が知り合う。妹は、二人を何とか結び付けようとする。一方、一家のところに昔よくやってきた闇屋の松本(木村功)が、その後転職して衣料会社の係長になっているのだが、昔のことを懐かしがってやってくる。そしてほんの子どもだった姉妹が、美しく成長していることを知り、特に姉のほうに関心を抱く。

 姉妹の身近には貧乏を苦にせずに日々を過ごしているオート三輪の運転手の夫婦がいるかと思うと、姉の学校友達の1人(春川ますみ)はもっぱら外国人相手に遊び歩いている。姉の結婚に本人以上に夢中になっている妹は、オート三輪の運転手の妻から家計のやりくりについて聞いたりする。姉は駒倉から結婚を申し込まれるが、なかなか決断できない。そして友人に誘われて出かけたクラブで商談を終えたばかりの松本に出会い、彼が彼女の母親に手紙を書いて、彼女と結婚したいと申し出たこと、子どもだった姉娘から「闇屋!」と言われて芋をぶつけられたことが生涯の転機になったことを聞く。彼が自分と同じように貧しさからの脱出・上昇志向を持っていること、自分が彼の生涯で意味を持つ存在だったことを知って、彼女の気持ちは大きく松本に傾く。

 姉の結婚問題を巡り、両親、姉、妹の間で騒動が起きる。特に、貧乏から抜け出したいという姉と、貧乏でも愛があればという妹葉対立する。この作品の脚本は『名もなく貧しく美しく』などで知られる松山善三と、監督の篠田正浩が共同執筆しており、このあたり、両者がいろいろ議論をして書き上げたのだろうなあと(松山が高峰秀子の夫であり、篠田が、この後、岩下志麻と結婚するというもう一つの『私たちの結婚』も含めて)想像できる。
 オート三輪の運転手の夫婦はせっかく妊娠したのに中絶を余儀なくされるし、姉の友人の「ボーイ・ハント」も結局はうまくいかない。映画の終わり近く、妹娘は、あなたは姉さんの結婚を考えているつもりで、本当はあなたのほうが駒倉さんを好きだったのよと言われ、自分のことを考え直す機会を得る。この作品は姉の牧紀子の結婚を描いているようでいて、その結婚に絡む妹の倍賞千恵子の気持ちのほうに焦点があてられている。だから『私たちの結婚』なのである。

 環境の変化とともに、両親は年を取り、子どもは成長し、家族は解体していく。そういう世代交代の繰り返しは、小津安二郎が好んで描いた題材であるが、それが東京の山手や鎌倉を舞台にしているのではなく、古くからの漁村が解体し、工場が進出している(今はその工場がどんどん閉鎖されているのであるが)川崎を舞台にして展開されているところにこの作品の新しさがあった。終わり近く、漁場でたたずむ東野英治郎、家にぽつんとひとり座っている沢村貞子、列車で郷里である岡山に向かう木村功と彼に随う牧紀子、そして出勤していく三上真一郎と、彼とは離れてやはり出勤している倍賞千恵子の姿に、古い家族の解体と、新しい家族の創出が要約されている。

 1時間07分という小品であり、主題曲として「漕げよ、マイケル」が繰り返し使われているなど、やや安易に思われるところもあるが、出勤風景を手持ちカメラでとらえたり、漁船やノリ養殖、工場、羽田空港の様子などを大胆なアングルで写す篠田の映画作り葉、そっくりそのままとは言えないまでも、その後の篠田の映画作りにつながるものを多く含んでいる。
 姉と妹のどちらの結婚観が正しいとか、姉の結婚が成功するかどうかなど、脚本も監督も特に結論を出していない。それは観客が自分たちで議論すべき事柄であろう。
 篠田に倍賞を主演とする映画をもう少し撮ってほしかったということと、監督はだれでもいいし、脚本に修正を加えてもいいから、倍賞千恵子、美津子姉妹でこの映画をリメイクしてほしかったという感想が残る。東野英治郎の父親役には盤石の既視感がある。長門裕之から吉永小百合までの父親を演じているのだから大したものである。美貌の持ち主だが、いまひとつ個性に見合った役柄に恵まれなかった牧紀子はこの作品が代表作といえるのではないか。その他の出演者もそれぞれ持ち味を生かしている。そういう意味でも見ごたえのある作品である。 

小津安二郎と溝口健二(2)

9月5日(火)曇り(時々小雨)

 8月20日のこのブログで書いたのは、私にとって小津の方が溝口よりも身近であるということであった。今回は、現在の日本の映画観客の好みが溝口よりも小津の方に傾いているのではないかと思われることについて、またその理由として考えられることについて書いてみたいと思う。

 7月から8月にかけて神保町シアターでは観客のアンケートに基づいた「神保町シアター総選挙」として、投票で上位票を獲得した8企画の中から4作品ずつを選び出した33作品と、過去最も多くの入場者を動員した成瀬巳喜男監督作品の『流れる』の合計34作品を上映した。その8企画というのは、①女優・高峰秀子、②恋する女優 芦川いづみ 、③一周忌追悼企画 伝説の女優・原節子、④没後40年 成瀬巳喜男の世界 ⑤生誕110年・没後50年記念 映画監督 小津安二郎、⑥男優・森雅之、⑦女優・岡田茉莉子、⑧女優・山田五十鈴ということである。なお、8×4=32であるが、小津安二郎の特集だけ5作品を取り上げたので、33作品になった。

 この結果を見ると、女優を取り上げた企画5つ、監督を取り上げた企画2つ、男優を取り上げた企画1つが選ばれていて、少なくとも神保町シアターの観客についてみると、映画は監督よりも俳優で選んで観る傾向があるといえよう。しかし監督を取り上げた企画が2つ選ばれていることと、ロビーでの観客の話を聞いて窺い知ったことから判断して、監督(と脚本・原作)についても軽視はしていないと判断できる。その中で、小津を取り上げた企画が5位に入っていて、彼の作品が5本上映されたのに対し、溝口の作品は1本しか上映されなかった。34本の映画を監督別にみると、
 成瀬巳喜男 8本(『流れる』、『あらくれ』、『放浪記』、『晩菊』、『驟雨』、『妻の心』、『女が階段を上る時』、『浮雲』)
 小津安二郎 5本(『学生ロマンス 若き日』、『淑女は何を忘れたか』、『麦秋』、『お茶漬けの味』、『早春』)
 中平康、千葉泰樹、川島雄三、大庭秀雄各2本
 阿部豊、稲垣浩、山崎徳次郎、滝沢英輔、山中貞雄、佐分利信、吉村公三郎、黒澤明、市川崑、青柳信雄、吉田喜重、溝口健二、渋谷実各1本
ということになる。主演女優の人気のおかげで作品が上映された凡庸な監督がいる一方で、この映画館では人気がないらしい巨匠・名匠が少なくないことが分かる。高峰秀子と成瀬巳喜男に寄せられた人気は神保町シアターという映画館に集まってくる客層の特色をよく示しているし、高峰と同じく小津の作品にも溝口の作品にも縁がなかった芦川いづみの人気もこの映画館の観客の好みの一面を示すものであろう。しかし、それらは本題とは外れる。

 企画が上映された5人の女優のうち2人が小津とも溝口とも関係がなく、山田五十鈴は両者の作品にともに出演している。小津映画の中で重要な役割を演じてきた原節子、初期の小津組で重要な役割を演じた岡田時彦の娘で小津が大事に育てようとした岡田茉莉子の特集企画が上映されている一方で、溝口の作品の中で重要な役割を演じた田中絹代(小津の映画にも出演している)の特集企画は選に漏れている。この点をみても、当世の好みは小津に傾いているように思われる。(もちろん、小津や溝口よりも成瀬だという観客、さらに、古い映画には興味がないという観客、さらにさらに映画には興味がないという人間の存在を無視するわけにはいかない。) ただ1人男優として選ばれた森雅之は、有島武郎の子息で叔父である里見弴と小津は親しかったという因縁があるにもかかわらず、型にはめる小津の演出を嫌ったのか、その作品には出演していない。

 何度か引用してきたが、淀川長治は、自分は庶民だから小津のように鎌倉に住んで文化人と交流しながら映画を作る人よりも、溝口の方が好きだといったという。しかし、淀川がイメージしていた庶民の在り方そのものが過去の存在になってきている、例えば、溝口の『赤線地帯』を自分の実感に引き付けてみることのできる人がいまの日本にどれだけいるかということがまず問題となるだろう。『浪華悲歌(エレジー)』を見ていても、溝口が描き出そうとした古い日本の因襲が個人の自己実現を束縛していく姿(あるいはそこからの解放の主張)というのがどうも古臭いのである(だからと言って、無意味だというわけではない)。因襲に囚われているのも庶民であり、その殻を打ち破って新しい人生を築こうとするのも庶民である・・・とすると、庶民という言葉にはあまり意味がないということになる。

 高橋治が指摘しているように、小津も溝口ももとはというと東京の下町の出身である(小津は途中から父祖の地である三重県で育てられたという違いはある)。小津は自分の気の合った仲間と、下町を舞台にした映画を撮ってきたのが、『戸田家の兄妹』あたりから作風の変化を見せ始め、描く対象である社会階層が上昇し、下町から山手へと舞台を移し、ノン・スター・システムからスター・システムへと配役の流儀を変化させる。描かれている対象が豊かになったという変化はあるが、ある種の軽妙さというか、ユーモアのセンスには変化がないように思われる。あまり重苦しくないのが、現代の観客からも好まれる理由ではないのか。

 小津は同時代の風俗を描き続け、溝口は時代劇や異国の物語にも題材を求めた(例えば『楊貴妃』、しかしおそらくこれは、溝口ではなく、制作者である永田雅一の意図であったのではないかと思われる)。高橋治は大島渚の次のような言葉を引用している:「小津さんは自分の好みの中でしか仕事をしなかった。そのうえ、好みを自分で知りぬいていた。だから幸福だったでしょう。しかし、溝口さんは一生自分がなにをやりたいのかもわからず、ただ、むちゃくちゃに頑張った。苦しい一生だったと思います。」(高橋『絢爛たる影絵』、文春文庫版、259ページ) 私自身はというと、好みは小津の方に近いけれども、自分の好みが正確にはわからないし、自分の好みとは違う仕事を押しつけられた(溝口における『楊貴妃』もそのような例ではないかと思われる)ために、もがき続けているというのが正直なところである。だから、溝口にも一定の親近感があって、そこが難しいところなのである。 

小津安二郎と溝口健二

8月20日(日)曇り

 映画作家としての小津と溝口を比較して論じるなどという不遜な試みをしようというのではない。そもそも、両者の作品で私が見たことがあるのはごくわずかである。言いたいのは、溝口よりも小津のほうが私にとって身近だということ、たぶん現在の日本での映画にかかわる趣味は小津のほうに傾いていること、そのような傾向について自分が何をなすべきかということの3つである。

 まず、溝口よりも小津のほうが私にとって身近だということ。第一に、溝口が死んだのは昭和31年(1956)、私が小学生のころであり、小津は私が高校生の昭和38年(1963)に死んだから、小津と共有した時間のほうが長かったということがある。それから小津は主として松竹大船撮影所で活動しており、私は横浜に住んでいたから、空間的な距離も近かった。小津映画の常連の俳優であった笠智衆の息子さんは私の中学・高校の先輩であり、学校の校長自らが著書の中で、笠に頼んで、小津の『父ありき』のシナリオを手に入れた経緯を書いているくらいで、小津との距離は近かった。もう一つ付け加えれば、小津映画の音楽をよく担当していた斎藤高順は私の卒業した小学校の校歌の作曲者で、音楽の先生でもあった(私は教わったことはない)。

 溝口の生涯を追った新藤兼人の『ある映画監督の生涯』(1975、近代映協)を見て大変に感動した覚えがある。それに比べると、小津の生涯を追った『生きてはみたけれど』は平板である。ただ、その後、(小津の『東京物語』の助監督をしたことがあり、監督を経て作家になった)高橋治の『絢爛たる影絵 小津安二郎』を読んで、その内容のかなりの部分が『生きてはみたけれど』に使われていることに気付いた。高橋のこの本の方は読みごたえのある本である。つまり、溝口の生涯は映画によって、小津の生涯は本によってたどるほうがいいということになるのかもしれない。もちろん、映画を見なければ話は始まらないのだけれども、小津について書かれた本は高橋の著書だけではないので、これからも探しては読んでいこうと思う。

 さて、映画としてはあまり面白くない『生きてはみたけれど』で一つだけ記憶に残る場面がある。それは小津と親交のあった漫画家の横山隆一が登場する場面である。「小津さんは何にしても一流好みの人でしたからねぇ、飲みに行こうという誘いの使者に佐田啓二をよこすんですよ。一流のスターをですよ。」
 横山は「一流好み」のなせる技と発言しているが、むしろ、小津の「気配り」を読み取るべきであろう。横山の家は大家族である。若い(若くない)女性も少なくない。佐田啓二が玄関をくぐれば、喜ぶ人も必ずいるはずである。横山の奥さんだって夫を喜んで送り出したくなるのではないか。
 もちろん、横山は小津の人間的な温かさは知りぬいたうえで、その「一流好み」だけを強調したのであろう。彼が当時『毎日』に連載していた漫画『フクちゃん』の中で小津を追悼して見せたのは、単に彼と親しかったというだけのことからではあるまい。

 これが小津の一面である。しかし人間はだれしも多面的な存在である。小津や溝口のように個性の際立ったすぐれた人物となれば、その多面性も複雑できらびやかである。だからその一面だけを取り出して評価してしまうととんでもないことになる。高橋の書物を読めば(あるいは新藤の『ある映画監督の生涯』を見れば)、小津の(溝口の)多面性や、時に矛盾した部分をいやというほど知ることになるはずである。

 小津と溝口について3つのことを書くといって書き始めたが、今はどちらかというと小津の評価が高い時代であるということに取り掛かろうとして、その前に、小津と溝口の作家としての個性の違いについて考えていることを書きはじめたのだが、パソコンの調子が悪く、なかなか入力が進まない。どこがどのように違うのかということを、高橋の考えや、彼が大島渚から聞いた意見などを紹介しながら、書いてみたいのだが、それはまた次の機会に譲ろう。

 
 

放浪記

7月9日(日)晴れ、暑し

 神保町シアターの開館10周年特別企画「神保町シアター総選挙2017」の中の特集「女優・高峰秀子」より『放浪記』(1962、宝塚映画、成瀬巳喜男監督)と『細雪』(1950、新東宝、阿部豊監督)の2作を見る。このところ、映画批評を書いていないので、『放浪記』を取り上げることにする。この「総選挙」で上映される34作品のうち、成瀬巳喜男の監督作は『流れる』、『あらくれ』、『放浪記』、『晩菊』、『驟雨」、『妻の心』、『女が階段を上る時』、『浮雲』と8本、高峰秀子の出演作は『流れる』、『細雪』、『あらくれ』、『無法松の一生』、『放浪記』、『妻の心』、『女が階段を上る時』、『浮雲』と8本、このうち6本が重なっている。神保町シアターには成瀬巳喜男監督、高峰秀子出演の映画がよく似合うといってもいいのではないかと思う。『放浪記』を取り上げる理由の1つは、成瀬=高峰コンビに対する興味であるが、それ以上に私は詩人としての林芙美子(1903-1951)が好きだし、小説作品として『放浪記』もよく読んできたということがある。(『放浪記』のほかに『浮雲』も芙美子の原作に基づいているのはご承知だと思うが、『晩菊』も芙美子の短編を原作とする映画、このほかの上映作品で千葉泰樹監督の『下町(ダウンタウン)』も芙美子の原作の映画化である。)

 『放浪記』は昭和5年(1930)に発表された林芙美子の出世作で、昭和10年(1935)に、木村荘十二監督、昭和29年(1954)に久松静児監督によって映画化されたそうである。この映画は林芙美子の小説『放浪記』だけでなく、芙美子の仲間の1人であった菊田一夫(1908-1973)による舞台化をも原作としている。その後、森光子が出演記録を樹立することになった舞台劇である。それで、芙美子の伝記的な事実を付け加えた部分もあるようだし、最後の方で作家として成功を収めた後の彼女の姿も描いている。ただ、登場人物の名前は実名を変えてあり、友谷静栄が日夏京子になっているくらいだから、モデルの詮索はご無用ということであろう。その中で、南天堂という実在の書店名が出てくるのがかえってご愛嬌になっている。
 行商人の子どもとして幼いころから各地を転々と放浪した芙美子の人生、同じく丁稚奉公をしたり、苦学を続けて劇作家として成功した菊田一夫の人生、さらに子役からたたき上げて大女優になっていった高峰秀子の人生は、それぞれの子どものころからの苦労という点で、重なり合うところがあるようである。作品中には、芙美子の文章の高峰によるナレーションがしばしば挿入されていて、高峰が芙美子の生き方をどのように受け止めていたかを知るもう一つの手がかりとなっている。

 映画は芙美子(映画ではふみ子)の少女時代を描いた後、彼女が上京して母親(田中絹代)と行商をしながら生活するが、母親を義理の父親の許に帰し、セルロイド工場で働いたり、カフェの女給をしたりしながら、初めのうちは詩や童話を書き、その後は小説を書き続けて、理解者を得て、成功していく過程を、俳優兼詩人の伊達晴彦(仲谷昇)、作家志望の福池貢(宝田明)との出会いと別れ、伊達の最初の妻でその後またよりを戻すが、文学仲間の白坂五郎(伊藤雄之助)のもとに走る日夏京子(草笛光子)との、男関係と文学の両方での張り合いなどを交えて描き出す。貧乏の中で創作に励む様子が、衣食住をめぐる細かい描写に支えられている一方で、登場人物の人間関係だけが前面に出て、社会や文学の動きがいま一つ見えにくいという欠点はあるかもしれない。

 おもしろいのは1954年の映画化の出演者であった伊藤雄之助と多々良純が役柄は違うがこの映画化でも出演していること、この作品に端役(カフェの女給の1人)で出ている林美智子が1964年から1965年にかけて放映されたNHKの朝ドラ『うず潮』で林芙美子の役を演じたことである。菊田一夫が林芙美子と知り合いであったということを含めて、人間の縁のつながりということを考えさせる。

 映画の中で、芙美子が自分は赤旗系は嫌いだと言っている場面があって、実際に大正の終わりから昭和の初めにかけてのアナーキストと共産党系の文学者の対立の中で、芙美子は岡本潤、小野十三郎、高橋新吉、辻潤、壷井繁治、平林たい子といった詩人たちとともにアナーキスト系に属していた。根っからの貧乏人で、底辺で苦労を重ねた彼女が、頭の中での思索から社会主義へと向かった中野重治や中条(宮本)百合子らの文学の方向に反感をもっていたのは、なんとなくわかる。すでに指摘したことであるが、成瀬の細かい生活描写がそのような林の文学のありようの証言となっている。
 
 その一方で、原作を読めばわかるように、林芙美子は上京後、東京を離れたり、あちこちを『放浪』しているのだが、映画ではその範囲は東京の中でとどまっている。原作には、直江津にあったいかやという旅館が出てきたりして、その放浪の様が生々しく描き出されているのだが、そのような雰囲気は映画では希薄になっている。『放浪記』と言いながら、その放浪は職業を転々としたり、男性遍歴を重ねたりすることになってしまって、地理的な放浪ではなくなっていることが惜しまれる。 
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