日記抄(2月19日~25日)

2月25日(日)曇り、肌寒し。

 2月19日から本日までの間に経験したこと、考えたことなど:
2月19日
 『朝日』朝刊の冬季オリンピック特別コラム「平昌⇒東京」は「言葉使えば世界広がる」という見出しで、「韓国の高校では第二外国語で日本語の人気が高い。今は中国語、アラビア語に押され気味らしいけれど…」と韓国の外国語教育の一端が紹介されていた。どのように学習されているかに目を向けることも重要であるが、その結果がどのようなものかも見ていく必要がある。
 日本では高校で第二外国語を履修している例は少ないが、その結果がどのようはなものかについても検討が必要である。

 NHKラジオ『まいにちスペイン語』の「スペインの街角」は地中海に面したバレンシア州の州都バレンシアを取り上げた。この地方ではオレンジをはじめとする柑橘類で有名で、パエーリャが代表的な料理の1つである。ギリシア神話のヘスぺリスの園の黄金のリンゴは、実はイベリア半島の柑橘類が誤り伝えられたものであるという説がある。英語でhesperidiumというのがミカン状果のことであるのはこのためらしい。バレンシア地方ではスペイン語よりも、カタルニャ語の方言であるバレンシア語が日常的に使われていることも忘れてはならない。

2月20日
 NHK『ラジオ英会話』の時間で、登場人物がアンティーク・カーのショーを見に出かけたところ、'58 Blackbird station wagonという車を見かけるという場面があった。1958年は私が小学校を卒業した年であるが、それよりももっと以前、まだ日本が占領下にあったころ、帰国する米兵がそこらの空き地に自分の車を置いて行ったのを見かけることがあった。そういう車の中に「ステーションワゴン」があったのを覚えている。(これは普通名詞である。) LongmanのActive Study Dictionaryによるとこれはアメリカ英語で、"a large car with extra space at the back"とある。イギリス英語ではestate carというようである。昔、自動車の運転をしていたころ、中古車センターで国産のエステート・カーを見かけて、買おうかなぁと思って迷ったが、結局、その車を買い取って乗り回すことになったのは、私の勤務先の外国人教師をしていたアメリカ人であった。

 『まいにちスペイン語』の「ラテンアメリカの街角」はキューバの首都ハバナを取り上げた。時の流れが止まったような、昔の姿がそのまま残っている街だが、アメリカとの関係が改善してきたので、これからは大きく変化するだろうという話であった。

2月21日
 『日経』の朝刊に奥山俊伸さんによる「昭和テレビの怪物たち」というエッセーが掲載されていた。テレビの黄金期に活躍した放送作家たちの群像で、「チョイ悪の前田武彦」、「勉強家の青島幸男」、「車好きの藤村俊二」とともに、体内時計に放送時間が組み込まれていたように時間に正確だった大橋巨泉の話が興味深かった。そこまではいかないが、学校の教師でも経験を積むと時計を見ないで、大体の時間進行がわかるようになるものである。

2月22日
 21日に、テレビ・映画でわき役俳優として活躍されていた大杉漣さんが亡くなられた。66歳ということは、私よりも若いので、惜しい限りである。多くの、またさまざまな映画に出演されているが、私が見たのはそのうちの『津軽百年食堂』(2011、大森一樹監督)、『百合子、ダスヴィダーニヤ』(2011、浜野佐知監督)、『ぶどうのなみだ』(2014、三島有紀子監督)、『蜜のあわれ』(2016、石井岳龍監督)の4本にとどまっているので、俳優としての業績についてとやかく言うのはおこがましいが、『百合子、ダスヴィダーニヤ』の中条(宮本)百合子の夫の役はなかなかの名演であったと思う。御冥福をお祈りする。

 NHKラジオ『まいにちフランス語』応用編は<アンスティチュ・フランセ関西>L'institut français du Japon-Kansaiを取り上げた。
Á côté de lUniversité de Kyoto se trouve un bâ timent en béton construit en 1936. C'est l'Institut français du Japon-Kansai, anciennement 《Kansai Nichifutsu Gakkan》. (京都大学のそばに、1936年に造られた鉄筋コンクリート建築があります。アンスティチュ・フランセ関西(旧関西日仏学館)です。)
 1階には藤田嗣治の大きな絵や、カミーユ・クローデルの手によるポール・クローデルの胸像が飾られているし、古い貴重な書物のコレクションも擁しているという。
 大学院時代、関西日仏学館にフランス語を習いに通ったことがあるし、ここの映画会で多くの映画作品を見たものであるが、藤田とクローデルの作品については気づかずじまいであった。慚愧。

 『まいにちスペイン語』応用編「スペイン文学を味わう」はガルドスの『フォルトゥナータとハシンタ』の5回目。フォルトゥナータはマクシと結婚して新居に落ち着くが、誰かが呼び鈴を鳴らしたり、扉の鍵を試したりするような音を聞く。マクシの兄のファン・パブロが逮捕されて大騒ぎになっているすきに、サンタ・クルスがフォルトゥナータを訪問し、彼女とよりを戻してしまう。2人の関係が再燃したことをかぎつけたマクシはサンタ・クルスを待ち伏せて襲おうとするが、逆に打ちのめされてしまう。

2月23日
 『まいにちフランス語』は「アンスティチュ・フランセ関西」のその2.この施設は「詩人大使」と呼ばれたポール・クローデルと大阪商工会議所の会頭で親仏家であった稲畑勝太郎の出会いにより、関西に日仏交流の拠点を作ろうという意図から設立されたことが語られた。もともと九条山にあったが、交通の便が悪かったので1936年に現在の場所に移転したという。
Aujourd'hui, il vit au rythme de ses cours, de ses diverses manifestations culturelles. (現在、フランス語講座のほか、さまざまな文化イベントも活発に行われています。)
 日仏学館の南隣に京都大学人文科学研究所の分館があって、これはもとドイツ文化研究所として建てられたものだという(村野藤吾設計)。さらにその南の道路から西に入ったところに、ゲーテ・インスティチュートがあり、もう少し南の東一条通に面したところに日伊学館があった(今はどうなっているかは知らない)。このあたり、戦前からの土地と建物の所有関係はどうなっているのか他人事ながら気になるところである。

 『まいにちスペイン語』は『フォルトゥナータとハシンタ』の6回目。いろいろな事実が明らかになり、フォルトゥナータはマクシの家を出ていく。彼女がフアン・サンタ・クルスとよりを戻したことを聞きつけたハシンタは夫を問い詰め、フアンは何とか言いくるめたものの、フォルトゥナータの面倒を見続けるつもりもなく、彼女に別れを告げる。フォルトゥナータは顔見知りの退役軍人ドン・エバリスト・フェイホーに声をかけられ、彼の世話になることになる。
 フェイホーとガルドス自身には一致点があり、ガルドスが自分自身を作中人物に投影させたというよりも、自分自身を作中人物に似せていったようなところがあるという話が興味深かった。

2月24日
 横浜駅西口ムービル5で、インド映画『バーフバリ 王の凱旋』を見る。支配欲の強い兄と、民衆に愛情を注ぐ弟の2人の王子のどちらを国王にするかということで、いったんは弟に決まりかかるが、2人の結婚をめぐるトラブルから、兄のほうが王位に就く。国を追われた弟には赤ん坊が生まれ…その子どもが親を知らずに成人し、やがて自分の真の身の上を知って、邪悪なおじを滅ぼして王位に就くという大筋の話を部分的に取り上げて、歌や踊りを盛り込んで構成した作品である。兄が自分の黄金の像を作らせるというところで、サダム・フセインや北朝鮮の支配者のことを思い出した。最後の方で金の像のかけらが川の下流に流されていく場面があったが、金は重いからそんなに簡単に水面に浮かばないだろうと思った。

2月25日
 主として喜劇でわき役として存在感を発揮されていた左とん平さんが心不全のため都内の病院で亡くなられたことが報じられた。調べてみたところ、出演映画作品の中では『喜劇 大風呂敷』(1967、日活、中平康監督)、『喜劇 あゝ軍歌』(1970、松竹、前田陽一監督)、『喜劇 右向けェ左』(1970、東宝、前田陽一監督)、『銭ゲバ』(1970、東宝)、『ずべ公番長 東京流れ者』(1971、東映)、『喜劇 三億円大作戦』(1971、東宝)、『女番長ブルース 牝蜂の逆襲」(1971、東映)、『起きて転んでまた起きて』(1971、東宝、前田陽一監督)、『喜劇 誘惑旅行』(1972、松竹、瀬川昌治監督)、『吾輩は猫である』(1975、東宝、市川崑監督、多々良三平役)を見ているのではないかと確認できたところである。むしろ、栗原小巻さんと共演した魔法瓶のCMのほうが印象に残っているような気もする。ご冥福をお祈りする。

 ニッパツ三ツ沢球技場でJ2第1節、横浜FC対松本山雅の対戦を観戦する。両チームともに得点機はあったが、無得点のまま引き分けた。昨年の開幕戦も同じ相手との対戦で、勝利を飾っていたことを考えると、前途多難に思える。

 平昌冬季オリンピック終わる。過去最高の13個のメダルを獲得した選手たちの活躍は見事であったが、これは大会を目指しての関係者の準備や努力の賜物であろう。選手たちの活躍を胸に刻んで、私は私の分野で頑張ることにしようと思う。
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日記抄(2月13日~18日)

2月18日(日)晴れ

 このブログを始めて以来、読者の皆様から頂いた拍手の合計が28,000を超えました。あつくお礼申し上げるとともに、今後ともよろしくご愛読をお願いいたします。

 2月13日から本日までの間に経験したこと、考えたこと、前回以前の記事の補遺・訂正など:

2月6日
 NHKラジオの「名曲スケッチ」の時間に、ビートルズの「ペニー・レーン」を流していたので、昔、リヴァプールに滞在していたころに、B&Bの前の道路をペニー・レーン行きという表示をしたバスが通っていたことを思い出した。

2月12日
 NHKラジオ『まいにちスペイン語』の「スペインの街角」のコーナーでカナリア諸島の州都であるラス・パルマス・デ・グラン・カナリア(Las Palmas de Gran Canaria)を取り上げたことはすでに書いたが、地中海のマジョリカ島にあるパルマ(Palma)のほうが有名かもしれない。スタンダールの小説の舞台でもあり、パルメザン・チーズで有名なイタリアのエミリオ・ロマーニャ州の都市はパルマ(Parma)なので、気を付ける必要がある。

 川地民夫さんが亡くなられた。俳優として日活、その後は東映などで活躍された。一度、私の友人が開いた個展の後のパーティーにゲストとしてこられたことがあった。ご冥福をお祈りします。

2月13日
 『朝日』の朝刊にイスラム教国であるパキスタンで、禁止令が出たにもかかわらず、バレンタイン・デーを祝う人々が少なくないという記事が出ていた。しかし、バレンタイン・デーというのはキリスト教の行事というよりも民間の習俗という性格が強いので、目くじらを立てるような問題ではないと思う。

 『まいにちスペイン語』の「ラテンアメリカの街角」のコーナーではアメリカの自治領であるプエルトリコの中心都市サン・フアン(San Juan)を取り上げた。あらためて地図でプエルトリコがどこにあるのかを探して、アメリカ合衆国からかなり離れたところにあることを発見し、驚いているところである。

2月14日
 『朝日』の朝刊にカンボジアの鉄道事情についての記事が出ていた。主要3路線のうち2路線が内戦の影響で操業しておらず、首都プノンペンから南に向かう路線のみが営業しているという話である。東南アジア諸国では鉄道の発展が遅れ、その間に航空網や高速道路網が整備されていったので、いよいよ鉄道が取り残されているという例が少なくないようである。

2月15日
 『まいにちスペイン語』応用編「スペイン文学を味わう」はベニート・ペレス=ガルドスの『フォルトゥナータとハシンタ』の3回目。小説の第2部に入り、新しい家族、人物が登場する。ルビン家の三男で薬剤師を目指すマクシミリアーノ(マクシ)という青年が美しいフォルトゥナータを見初めて結婚したいと思い、有り金をはたいて彼女と同棲する。フォルトゥナータは請われるままに彼女の過去について語る。彼女はマクシが好きになれないが、娼婦のような生活を捨てて、まっとうな暮らしに入りたいという思いで結婚に同意する。

2月16日
 どうやら、自宅のパソコンでこのブログの編集ができるようになった。

 『フォルトゥナータとハシンタ』の4回目。マクシとフォルトゥナータの結婚にルビン家の人々は反対するが、マクシの決心が固いので、彼の兄で司祭であるニコラスが彼女を修道院で数か月を過ごさせてから結婚させることにする。二人はやっと結婚式を挙げるが、フォルトゥナータは昔の愛人であるファニート・サンタ・クルスがまたよりを戻そうとして近づいてくるのではないかと不安でならない。
 そういえば、角川シネマ有楽町で開かれている「華麗なるフランス映画」特集上映で、ガルドスの原作によるルイス・ブニュエル監督の映画『哀しみのトリスターナ』が上映されているので、まだご覧になっていらっしゃらない方は、この機会にどうぞ。

 ボオマルシェエ『フィガロの結婚』(岩波文庫)を読み終える。この戯曲については、また機会を改めて論じるつもりである。

2月17日
 『日経』の朝刊に春節で来日する中国人観光客の関心がモノからコト、買い物よりも体験に移ってきているという記事が出ていた。すでに訪日したことのある人から情報を得たり、自分の経験を頼ったりして、行きたい場所を自分で自由に選ぶ傾向が出てきているという。NHKラジオ『実践ビジネス英語』の「小売業の危機」(Retail Crisis)というヴィニェット(2月7日~17日放送)で、アメリカにおける小売業の衰退について、インターネットの普及によるオンライン・ショッピングの拡大のほかに、大不況の結果
It made people put a greater value on experiences, as opposed to material posessions. (大不況によって、人々は、物の所有ではなく体験をもっと重要視するようになりました。)というのと、中国人観光客の好みの変化がどのように関連するのか、あるいはしないのかは今のところ分からないが、興味深い傾向ではないかと思う。

 『朝日』の朝刊に93歳を迎えたが、5月に来日して公演を行う予定だというシャルル・アズナヴールさんのインタビュー記事が出ていた。

 東京・神田神保町(すずらん通り)の檜画廊で丸木位里・俊展を見る。この画廊の例年恒例の企画で、本日が最終日である。画廊内での会話を聞いていると、今年が初めてだという人もいるようで、まだまだこの2人の画家の業績が広く知られるように努力する必要があると思った。

 神保町シアターで『夫婦』(1953、東宝、成瀬己喜男監督)を見る。東京に転勤してきた結婚6年目の夫婦(上原謙、杉葉子)は、妻の実家であるうなぎ屋の二階を借りていたが、実家の長男(小林桂樹)が結婚することになり、やむなく妻を亡くして一人暮らしの同僚(三國連太郎)の家に転がり込むが…。自分勝手な上原と、とぼけた感じで人好きのする三國という個性の対比が面白く、小林桂樹と杉葉子のそのまた妹の役を岡田茉莉子が演じていたりして見どころが少なくない。この作品では住宅問題が前面に出ているが、同じ成瀬の『驟雨』では会社の人員整理が問題になっているので、両方を見比べてみたら面白いかもしれないと思った。

 すずらん通りの東方書店で、店頭に尾崎雄二郎『中國語音韻史の研究・拾遺』(2015、臨川書店)が並んでいたので購入する。2006年に先生が亡くなられたのちに、まだ書物としてまとめられずに残っていた論文を門下生が編集したものである。私は中国語研究者ではなく、中国研究者ですらないが、尾崎先生には京都大学の教養部で2年間中国語を教えていただいた恩義がある(というよりも、門外漢ながら尾崎先生の中国語音韻に対する考察の面白さにひかれているところがある)。
 帰宅して、最初の論文「圓仁 『在唐記』の梵音解説とサ行頭音」に目を通していて、びっくりした。この論文では古代の日本語で「サ」の音がどのように発音されていたかが考察されている。そのかなりの部分が有坂秀世(1908‐52)の所説の検討に費やされていて、これは当然の手続きかもしれないが、実は有坂の実兄である有坂磐雄先生に私は教わったことがあるので、驚いたのである。兄弟は他人の始まりと言ってしまえばそれまでだが、尾崎先生とは何度も話をする機会があったので、有坂秀世のことも話題にしてよかったのかもしれないと今更ながら後悔しているところである。有坂秀世は病気のため早く世を去ったが、いろいろなところで重要な論考を残しているので、どこでどんな人がその業績について論じているのか予想がつかないところがある。学問の世界は狭いところでは狭いと改めて思い知らされた。
 有坂磐雄先生は海軍の技術将校であったために、戦後公職追放にあい、ひっそりと(しかし、結構楽しく)暮らされていたのだが、子ども好きということもあって、私の学校で教えられていた。先生には海の家で水泳を習い、テープレコーダーを使っての逆さ歌を聞かされ、部活動では実験物理の手ほどきを受け、その他いろいろなことを教えられたはずだが、何一つ身についていない。知っているのは、先生の父上が弥生式土器の発見者の1人である有坂鉊蔵であること、実弟が音楽評論家の有坂愛彦と、言語学者の有坂秀世であるということくらいである。多方面に造詣をもたれていた先生にいろいろなことを教えていただく機会があったのだが、実にもったいないことをした。教育においては、学習者のほうにそれだけの素質が備わっていなければ、どんなにいい先生に指導されてもものにならないという好例であると居直ることにしている。

2月18日
 中島文雄『日本語の構造』(岩波新書)を読み終える。英語学の大家による日本語論で、2つの言語の違いについていろいろなことを教えられ、それ以上に考えさせられる。 

日記抄(2月9日~2月12日)

2月12日(月)晴れ

 2月9日から本日までの間に経験したこと、考えたこと、前回の補遺等:
1月30日
 NHK『ラジオ英会話』は“First Laughs of the New Year"として犬を主題にしたriddles(なぞかけ)と、talking-dog jokes(言葉を話す犬のジョーク)の一例とを取り上げた。そのジョークをかいつまんで紹介していくと:
 ある男が言葉を話す犬を飼っていて、その犬を芸能エージェントのところに連れてゆき、この犬は英語が話せますという。そして
”What's on the top of a house?"
と聞くと、犬は”Roof"と答えた。エージェントが、おいおい犬は皆roofというよというと、男は
”What is a stormy ocean like?
とたずねる。犬は”Rough!"と答える。エージェントは男をにらみつける。そこで男は
”In your opinion, who was the greatest baseball player of all time?"
と質問する。犬は”Ruth!"と答える。エージェントは1人と1匹を追い出す。犬は男に
”Maybe I should have said DiMaggio?”という。
 ジョー・ディマジオは1940年代から50年代に掛けてNYヤンキーズで活躍した強打者で、56試合(だったかな)連続安打を記録したことで知られ、その背番号5は欠番になっている。というようなことよりも、一時期マリリン・モンローと結婚していて、彼女と共に来日したことがあるというほうが有名かもしれない。

2月6日
 『朝日』の朝刊に京大の南北の食堂の対決という記事が出ていた。私が在学していた頃は、時計台下の食堂、西部食堂、北白川の北食堂、教養部の吉田食堂という生協食堂のほかに、私営の南食堂があり、医学部の構内にも食堂があった筈だが、そちらの方角にはあまり縁がなかった。学生時代は西部食堂によく出かけ、大学院時代になると生協食堂はあまり利用しなくなったが、それでも朝は(近くに住んでいたので)吉田食堂で食べていた。

2月9日
 平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック始まる。

 『日刊スポーツ』でゴルフのイ・ボミ選手と卓球の福原愛選手とが日本語で対談しているのが面白かった。競技の話、結婚や出産の話はさておき、どのようにしてイ・ボミ選手が日本語を、福原選手が中国語を習得したかというところが参考になる人も少なくないのではないかと思う。
 福原選手は電話が出来ることと、けんかが出来るということが、その言葉を身につけたかどうかの目印になるという。ボミ選手は優勝インタビューをマネージャーに通訳してもらっていたのが、ある時から自分で話すようになったそうだ。ボミ選手が話しているのを聴いたわけではないが、次のやり取りが彼女の日本語への慣れを示している:
愛:韓国の男性のほうがロマンチックでしょ。
ボミ:それはドラマ。
 福原選手の「ロマンチック」という外来語に対応していること、「それはドラマの中のことで現実とは違います」というのを会話の中の流れで省略形で答えているところに日本語への適応度の高さが分かる。

2月10日
 新聞の朝刊に掲載されていた『文芸春秋』3月特別号の広告を眺めていたら、「総力特集 日本の教育を建て直せ」というのが目に付いた。(一流)大学への進学熱をあおることをよしとするような記事があるかと思うと、藤原正彦氏の「小学生に英語教えて国滅ぶ」とか、橘玲氏の「教育無償化は税金のムダ使いだ」というような検討に値する議論も掲載されているようである。前川喜平氏と寺脇研氏の『これからの日本、これからの教育』という対談でも語られているが、前川氏が麻布、寺脇氏が鹿児島ラ・サールと言うように、文部科学省のキャリア官僚のかなりの部分が有名進学校出身であること、更に言えば、文芸春秋の社員にも同じような傾向があること・・・がどの程度自覚されて、この編集がなされているかも問題である。

2月11日
 『朝日』朝刊の書評欄の齋藤美奈子さんによる小川遊佳『百年泥』(新潮社)の書評が面白く、読みながらげらげら笑ってしまった。インドの南部で日本語教師をする語り手が直面する奇怪な日本語:「私のちちは村(ビレッジ)でくまとすもうをとりました。」 はい? 熊と相撲をとるって、あんた!/渾沌(カオス)とはこういう状態かと、あなたも絶対、実感できる。
 熊と相撲をとるというと、(少なくともある年齢以上の)日本人だったら、おとぎ話の金太郎を思い出すだろう。但し、インドの熊はマレーグマの一種だろうから、日本本土のツキノワグマよりも小型のはずである。

 司馬遼太郎『街道をゆく8 熊野・古座街道、種子島みちほか』(朝日文庫)を読み終える。
 「熊野・古座街道」では、かつて日本に各地に存在した若衆組・宿についての関心が展開されていて、この問題には私も関心が在るので読み応えがある。
 「豊後・日田街道」では江戸時代に天領であった土地について、広瀬淡窓の咸宜園が地元の文化に及ぼした影響について、徳川家康が、九鬼氏のような水軍を率いていた武将を山間部に封じて水軍というものをなくしてしまったという指摘などがきょうみふかかった。
 「大和丹生川(西吉野)街道」はごく簡単に通り抜けているようである。
 「種子島みち」では種子島と紀州の根来の結びつき、領主であった種子島氏の子孫が島に在住しているという出会いの記事などが面白かった。

 小川遊佳『百年泥』を読む。書評で感じたのとは別の感想をもつ。それについてはまた後日。

2月12日 
 『朝日』朝刊一面のコラム「折々のことば」で鷲田清一さんが森毅の「問題が難しければ、シメタこれは他の連中にできないぞと考え、問題が易しければ、シメタこれはオレにもできるぞと思うことだ」ということばを紹介している。
 森さんは長く京大の教養部で数学を教えられていた。ご本人は東大の卒業生である。私は理学部の友人に連れられて、森さんの話を聞きに行ったことはあったが、授業を履修したことはない。ただし、森さんの数学史の著書は何度も読み返している。鷲田さんは私とそれほど年が離れていないはずで、ということは、森さんの授業を聴講しているかもしれない。
 一刀斎と号すも白墨を持てるさま 剣豪より作家に似たる師を思い出し

 NHKラジオ『まいにちスペイン語』の「スペインの街角」のコーナーでは、カナリア諸島のラス・パルマス・デ・グラン・カナリア(Las Palmas de la Gran Canaria)を取り上げた。気候温暖、風光明媚でいいところらしい。応用編で読んでいる『フォルトゥナータとハシンタ』の作者ガリードの生地でもあるが、そのことに触れていなかったのはやむをえないことかもしれない。

日記抄(2月5日~2月8日)

2月11日(日)晴れ

 2月5日から8日までの間に経験したこと、考えたこと、前回の補遺:
1月29日
 NHKラジオ『まいにちスペイン語』の「スペインの街角」のコーナーでは、フィゲラス(Figueras)を取り上げた。画家のダリが生まれた町だというが、私は彼の作品があまり好きではない。

1月30日
 『まいにちスペイン語』の「ラテンアメリカの街角」のコーナーでは、パナマ・シティー(Ciudad de Panamá)を取り上げた。パナマというと運河が有名だが、サッカーが盛んなラテンアメリカでは珍しく野球が盛んな国であるという。

2月4日
 安倍首相は渋谷シネパレスで映画『嘘八百』を鑑賞したそうである。映画鑑賞はなかなかのハイペースで、こちらとしても負けてはいられない。

2月5日
 少し離れたところのクリニックに出かけ、診察を受けた帰りに江ノ電バスに乗った。この会社のバスに乗るのは初めてである。

 『まいにちスペイン語』の「スペインの街角」のコーナーでは、へレス・デ・ラ・フロンテーラ(Jerez de la Frontera)を取り上げた。スペイン南部のアンダルシア州のそのまた南のほうの都市で、シェリー酒の産地として有名(どうも最近、シェリー酒を見かけなくなった)であり、フラメンコの本場、王立アンダルシア馬術学校の所在地として馬、そしてオートバイのレースでも知られているという。

2月6日
 『朝日』朝刊の連載インタビュー「語る――人生の贈り物」は椎名誠さんが、広告看板から『アド・バード』というSF作品の着想を得たという話が出ていた。この連載は、どうも新しい情報を引き出すという点で不満が残るところがあり、この話も椎名さんが何度か書いてきたものではないかと思う。

 『まいにちスペイン語』の「ラテンアメリカの街角」のコーナーでは、メキシコのメリダ(Mérida)を取り上げた。ユカタン半島の北部に位置し、保養地として知られるカンクンに近く、また付近にマヤ文明の遺跡が多く存在することでも知られているという。

 門井慶喜『この世にひとつの本』(創元推理文庫)を読み終える。
 「ユーレイが消えた!」――著名な書家の幽嶺が宇治の山奥に営んでいた庵から忽然と姿を消した。この書家を講演していた大塔印刷では、社長の出来の悪い三男で会社の平社員である三郎に捜査を任せることになる。その一方、この会社の工場でも相次いで病死者が出るという異常事態が発生していた。2つの事件は何か関係があるのか、それとも無関係なのか。どうも頼りなげな三郎は、社長の秘書であり愛人の南知子と、その記憶力と知識ゆえに嘱望されながら史上最速で窓際に追いやられた社史編纂室の建彦の助けを借り、事件を探り始める。一見つながりがなさそうな失踪事件と連続病死とは、世界に一冊しかないある書物へとつながっていく…。登場人物の個性の描き分けに妙があり、特に事件を解決していく過程で、頼りなさそうだった三郎が次第にしゃきっとしていくのが面白い。
 この作家の別の作品を読んでみようと思って探していく過程でやっと、この人が今回の直木賞受賞作家であることを知った。我ながら浮世離れがしている…。推理小説からほかのジャンルへと創作活動を広げていく例はまれではないが、どちらかというと、この作家については、推理小説一本で活動してほしいという気もする。

2月7日
 『朝日』朝刊の椎名誠さんへの連載インタビューでは、ヴェルヌの『十五少年漂流記』を子どものころから愛読し、ついに娘さんと共同で翻訳を発表するに至ったことが語られていた。ヴェルヌの『二年間の休暇』という小説を、明治時代に森田思軒が『十五少年』という題名で翻訳(英訳からの重訳)して以来、日本では『十五少年漂流記』という題名が定着している。というよりも、この作品が多くの読者から愛読されているのは日本だけだ(あるいは日本の影響の強いアジアの国でも愛読されているかもしれない)ということのほうに、私は興味がある。

 同じ『朝日』に中国からの侵略と戦って国の独立を回復したベトナムの英雄レ・ロイが神から授かった剣を返したという還剣(ホアン・キエム)湖を<白鳥の湖>にするという計画をめぐる賛否の記事が出ていた。

 『日経』に英国の『タイムズ高等教育版』がまとめて発表した「アジアの大学ランキング」が掲載されていて、東大が8位、京大が11位と日本の大学の評価が必ずしも高くはないことが繰り返し報じられている。1970年代以降の<新構想大学>をはじめとする我が国の高等教育政策の計画の失敗の原因究明と責任追及を怠り続けていると、高等教育の危機はますます深刻なものとなるだろう。とりあえず、文部科学省を解体して、教育省と、高等教育科学技術省にするという改革を断行すべきではなかろうか。

2月8日
 病院に心臓の検査に出かける。苦しかった。

 NHKラジオ『まいにちフランス語』は日本で最初の仏和辞書とされる『佛郎察辞範草稿』を紹介した。1810年代に長崎のオランダ通詞だった本木庄左衛門らが、オランダ語で書かれたフランス語の教本をもとに、出島の商館長ヘンドリック・ドゥーフに教わりながら編纂したもので、出版はされていない。
 詳しい経緯は調べないとわからないのだが、『福翁自伝』で福沢諭吉が回想しているところによると、彼が大坂の適塾で蘭学を学んでいるときに、ヅーフの辞書を利用したはずである。つまり、同じ人物が日本におけるオランダ語学習と、フランス語学習の両方に貢献したのではないか・・・と思う。

 『まいにちスペイン語』応用編「スペイン文学を味わう」は、今回から「セルバンテスに次ぐ作家」といわれるベニート・ペレス・ガルドス(Benito Pérez Galdós ,1843-1920)の長編小説「フォルトゥナータとハシンタ」(Fortunata y Jacinta, 1887) を取り上げることになる。首都マドリードを舞台に、ブルジョアの放蕩息子ファニート(ファン)・サンタ・クルスに振り回される2人の女性(フォルトゥナータとハシンタ)の運命を描いている。ガルドスはカナリア諸島のラス・パルマスの生まれで(この都市は12日の「スペインの街角」で紹介される予定である)、1892年に書いた『トゥリスターナ』は、以前、ルイス・ブニュエル監督によってカトリーヌ・ドヌーヴ主演で映画化された(日本での公開題名は『哀しみのトリスターナ』。フランコ・ネロとフェルナンド・レイが共演していた)。この映画は見たことがある。確かトレドだったかと思うが、スペインの街の様子を広角でとらえた映像に感心した記憶がある。そういえば、昨年末から今年にかけて渋谷のイメージフォーラムでブニュエルの特集をやっていた。

日記抄(1月29日~2月4日)

2月4日(日)晴れ

 1月29日から本日までの間に経験したこと、考えたことなど:
1月29日
 東映で時代劇を中心に多くの映画を監督された沢島忠さんが亡くなられた。私は時代劇はあまり好きではないので、その作品に接したことがほとんどないのが残念である。ご冥福をお祈りする。
 【2月1日の『日経』に沢島さんの作品を「ヌーベルバーグ時代劇」と評価する記事が出ていたが、ヌーヴェル・ヴァーグという言葉を安易に使うことには賛成できない。ただ、1950年代の終わりから1960年代にかけて、日本映画の多くの監督・脚本家たちが新しい傾向の作品を生み出そうと努力していたことは記憶しておいてよいのではないかと思う。】
 『朝日』朝刊の「語る――人生の贈りもの」は椎名誠さんの談話を連載しているが、今回は高校時代に柔道部に属していたことをめぐる思い出が語られていた。
 『日経』の草笛光子さんによる『私の履歴書』は第28回で、日々の暮らしの信条として「元気が一番、楽するな」ということと、母堂と草笛さんをつなぐ「赤い絹糸」の思い出などが勝たれていた。

1月30日
 『日経』が「外国人材と拓く」という日本の経済的な競争力を高めるために外国人材の活用を推進しようとする連載記事を始めた。財界にはこのままだと「いずれ誰も来ない国に」なるという危機感が募っているようである。
 『朝日』の椎名誠さんの連続インタビューは、青年時代のアパートでの共同生活の思い出が語られていた。その時代から権力を笠に着た押しつけが嫌いであったという。椎名さんは私より1年年長だが、大学時代の私の周辺では下宿文化を大いに楽しんでいる仲間が多かったことを思い出す。
 『日経』の草笛光子さんの『私の履歴書』は、舞台に出演し続けるために体作りが大事だと、週1回は2時間トレーニングをしてきたという話であった。
 同じく『日経』のコラム「文化往来」に松本清張の膨大な作品に登場する鉄道や地図を克明にたどった、赤塚隆二『清張鉄道1万3500キロ』(文芸春秋)が紹介されていた。

1月31日
 家に帰るのが少し遅くなって、皆既月食進行中の月を少しだけ見ることができた。

 「外国人材と拓く」の2回目。日本語の普及が国益を増進するという主張。日本企業側は外国人労働者に高い語学力を求めがちであるが、ハードルをもっと下げてもいいのではないかという。
 これは実は、日本人の外国語学習にも言えることで、日本人のすべてが日本語と英語のバイリンガルになるなどという目標が政策として掲げられているのは問題である。もっと現実的な目標を設定する必要がある。
 「国の思いが見えてこない」というが、政策形成者の中での意思統一がとれていないのではないか。

 『日経』の文化欄に「「広辞苑の父」平凡が身上」という記事を、新村出の孫である新村恭さんが書いていた。東大で上田万年(円地文子の父でもある)に学び、言語分野で広い業績を上げた一方で、高峰秀子の大ファンであったという。そういえば、高峰さんは「広辞苑」を愛用していたことで知られる。両者が会う場面はあったのだろうか、などと考えてしまう。
 神保町シアターで根強い人気を示している高峰秀子であるが、私の場合、彼女の若いころのはつらつとした印象を残す作品をあまり見ていないのが残念である。
 椎名誠さんの連続インタビューは息子さんと、息子さんを取り上げた小説の話題。書かれたご本人の反応など。
 草笛光子さんの『私の履歴書』は最終回、これからも舞台に挑戦していきたいという意気込みをもって締めくくられていた。

2月1日
 『日経』の「外国人材をひらく」は回目で、「世界が職場」というのはいまや「当たり前」であるという。さらに指揮者に様々な提言を求めているが、「優秀な実習生 定住認めよ」という毛受敏治さんの意見が一番現実的に思われた。
 椎名誠さんの「語る――人生の贈り物」は第9回。私小説は嘘を書けない両刃の剣であるという話。椎名さんの書いたものが伝統的な私小説の流れに沿ったものだとは思われないのだが・・・。
 NHKラジオ『実践ビジネス英語』の”Quote...Unquote"のコーナーで紹介された言葉:
One soweth and another reapth is a verity that applies to evil as well as good.
        ―― George Elliot
(1人が種を蒔き、別の人が刈り取るというのは、悪にも善にも当てはまる真理である。)
 これはOne must reap what one has sown.とかYou reap what you sow. とかいうことわざを変形させたもので、もとのことわざが物事の原因を作った人がその責任も負うべきだといっているのに対して、原因と結果が別の人間に及ぶということがありがちだと述べているわけである。エリオットはsoweth, reapethとわざと古びた言い方をしているが、何か意味が込められているのであろうか。
 ジョージ・エリオットは19世紀の前半に活躍した英国の女流作家で、男性の名前で作品を発表した。野上弥生子が夏目漱石に小説を書きたいのだが、どんな勉強をすればよいのかと質問したところ、漱石がエリオットとジェーン・オースティンとシャーロット・ブロンテの小説を読むように言ったという話があるが、オースティンもブロンテもやはり男性の名前で作品を発表したのである。ただ、現在では後の2人は仮の名前は忘れられている。

 同じく『まいにちスペイン語』応用編は「スペイン文学を味わう」『裁判所長夫人』(La Regenta)の第7回。
Con toda el alma había creído Ana que iba a volverse loca. (アナは自分が全くおかしくなってしまうのではないかと真剣に思いつめた。) 町の他の女たちと同じように誘惑されればそれに応じて生きようと考え始める。そしてベガリャーナ侯爵邸で、アナはアルバロ・メシーアの誘惑に堕ちる。

2月2日
 『日経』の「外国人材と拓く」は第4回(最終回)。新宿区の住民の8人に1人が外国人であるなどの現実を踏まえ、「多様性こそ活力の起爆剤」であると結んでいる。
 NHKラジオ『まいにちフランス語』で1613年に伊達政宗が送り出した支倉常長の率いる使節団が、バルセロナからローマに向かう途中、悪天候のためにフランスに立ち寄ることになったが、これが日本人がフランスに足跡を記した最初であると語られた。
Tsunenaga Hasekura, premier Japonais en France.
 『まいにちスペイン語』は『裁判所長夫人』の第8回(最終回)。アナはドン・アルバロとの密会を続けるが、夫のドン・ビクトルの知るところとなる。ドン・ビクトルはアルバロトの決闘で死に、アナは非難の的になる。・・・
 大学時代に聴講した野上素一先生の「イタリア文学史」の授業で、19世紀の後半から20世紀の初めのイタリアではよく決闘が行われたという話を聞いたことを思い出す。フローベールの『感情教育』でも(これから出てくることになるが)、フレデリックが決闘する場面がある。このあたり、国によってそれぞれ違う事情がありそうで、調べてみると面白いかもしれない。
 『日経』に広告が出ていたZAITENという雑誌の3月号によると、『週刊文春』『週刊新潮』はともに「実売5割の惨状」なのだそうだ。私も普段、広告見出しだけで満足して、銀行などにおいてあるのを読むことがあるという程度である。

2月3日
 『朝日』の『天声人語』欄で冬季オリンピックの開催地である平昌(ピョンチャン)と江原(カンウォン)道について取り上げていたのが興味深かった。この地の名物はスケトウダラだそうで、タラ鍋が好んで食べられるようである。日本のタラちりとどう違うのか気になるところではある。江原道の住民気質はカムジャバウィ』(ジャガイモ岩)に譬えられるという。「経済が急速に発展した韓国だが、北朝鮮と接する江原道は成長から取り残されてきた」ということとどのように関連するのかも気になる。
 『朝日』の地方欄に出ていた、金沢文庫で開催中の「運慶展」の記事が面白かった。

 本郷和人『壬申の乱と関ヶ原の戦い――なぜ同じ場所で戦われたのか』(祥伝社新書)を読む。人身野良(672)、関ヶ原の戦い(1600)に加え、暦応元・延元3年(1338)に西上しようとする北畠顕家軍とこれを阻もうとする幕府軍が衝突した青野ヶ原の戦いも関が原での戦闘であったと考えられる。日本の歴史を動かした3つの重要な戦いが同じ場所で起きているのはなぜか。「青野ヶ原の戦い」の後の北畠顕家の行動は『太平記』でも謎めいた箇所で、それを読み解く(実は顕家は前進を阻まれたのだ)ことができるというだけでも、読む価値のある書物である。
 また「常識的に考察するならば、関ヶ原の戦いが万人単位の戦いであれば、青野ヶ原の戦いは両軍とも一ケタずつ少ない千人単位、壬申の乱はさらに一ケタ少ない百人単位の戦いだったのではないか」(40ページ)という考察は貴重。関が原の戦いの際に家康が陣を敷いた桃配山は壬申の乱の際に天武天皇が士卒に桃を配ったことでその名があるといういわれも、なるほどと思わせるわけである。
 さらに椎名誠『単細胞にも意地がある なまこのからえばり』(集英社文庫)を読む。椎名さんが政治家にはなりたくないというのは正解であろうと思う。ある時、地元の市長に立候補を要請されて、辞退したという話を読んだことがある。市長になるには自分勝手すぎるということを自覚しているということであろう。

2月4日
 『朝日』の子ども向けの欄で平昌について「スキー場が多く、そば、牛肉で有名だよ」と紹介しているのが、前日の『天声人語』の記事と落差があると、気になった。韓国の経済発展から取り残されてきた地であるくらいの認識は子どもに伝えてもよいのではないかと思う。
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