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ベーコン『ニュー・アトランティス』(11)

1月22日(水)晴れ

 フランシス・ベーコン(1561‐1626)はイングランドのエリザベスⅠ世とジェイムズⅠ世の治下で活躍した法律家、政治家であったが、今日では『ノヴム・オルガヌム(新機関)』などのその哲学的な著作によって知られている。この『ニュー・アトランティス』は北太平洋に想定された架空の島国を舞台として、科学が人々の豊かで道徳的な生活を支えているような社会を描こうとしたものだが、未完のままに終わっている。
 ペルーから太平洋を横断して中国・日本にむかおうとした語り手たちの船は、途中、強い南風に吹き流されて北太平洋の未知の島に漂着した。島の人々は彼らの上陸をいったんは拒否したが、彼らがキリスト教徒であり、海賊ではないこと、病人を抱えていることを考慮して、上陸を許可し、異人館と呼ばれる施設に入居させた。異人館の館長の説明によると、この島はかつては世界中の人々と交流してきたが、アメリカ大陸(プラトンの言うアトランティスはこの大陸のことだという)が大洪水に見舞われその文明が滅びた後に、鎖国政策に転じたのだという。しかし、「サロモンの家」と呼ばれる研究施設を作って地上のあらゆる知識を集め、生活を改善してきた。この島の人々はある奇蹟によってキリスト教を信じるようになり、家族を大事にし、一夫一妻制度を厳格に守っている。島に住むユダヤ人ジョアビンを介して、語り手たちは「サロモンの家」の長老が彼らの滞在している町を訪問する様子を見ることができた。

 いよいよその日が来て、長老が配下のものを従えて市中を行進した。彼は輿に乗って行進し、彼もまたその50人を越える部下たちも豪華な服装をしていた。〔前回も書いたが、ベーコンはその服装について事細かに描写している。〕 「彼(長老)は何も言わぬまま素手を挙げて人々を祝福しているようだった。通りの群衆は整然としていた。いかなる軍隊の隊列で汗も、これほど一糸乱れぬことはないであろう。通りに沿った家々の窓も同様に混みあってはおらず、人々は配置されたように窓辺に立っていた。」(川西訳、49‐50ページ)

 ジョアビンは長老の接待のために、語り手の一行から離れていったが、やがて戻ってきて、長老が彼ら全員と会い、そのなかの1人と詳しい話をするつもりで招待すると伝えた。その詳しい話をする相手としては、語り手が選ばれた。
 長老が彼らを迎えた部屋は豪華なもので、彼は一行に祝福を与え、語り手以外のものが退出すると、おもむろに口を開き、スペイン語で語り手に語り掛けた。彼は、「サロモンの家」の実情について、
 ①学院設立の目的
 ②学院の目的達成のために準備されている設備と器具
 ③学院の研究員に委ねられている業務と役割
 ④研究員たちが守る法令と儀礼
について語るという。

 まず「サロモンの家」の目的であるが、「諸原因(Causes)と万物の隠れたる動き(secret motions of things)に関する知識を探り、人間の君臨する領域(Human Empire)を広げ、可能なことをすべて実現させることにある。」(川西訳、51‐52ページ) つまり科学的な研究、それに基づいた技術の開発とその実地への応用ということである。ここで、ベーコンが人間が自然を支配する領域を広げるという考え方を述べているのは、いかにも近世的で、環境との共存・共生を目指すというより今日的な考え方からすれば批判も生まれるところであろうと思う。

 次に設備と器具についてであるが、最初に取り上げられているのは、彼らがあちこちに掘った洞窟である。もっとも深いものは600尋(fathoms, 1 fathomは1.83メートルなので、600尋は1.1キロほどとなる)もあり、そのほかに岡や山の下に掘られた洞窟もあって、丘の高さと洞窟とを合わせると3マイル(4.8キロ)の深さを持つことになる。このような洞窟を掘ることの目的は、太陽の光や空気から、特定の物質を遠ざけることにある。これらの洞窟を、彼らは「下層界」(the Lower Region)と呼んでいる。そして諸物体の凝固(coagulations)、硬化(indurations)、冷却(refrigerations)と保存(conservations)のために使用する。
 またこのような洞窟を天然の鉱山の坑道の代用として使い、彼らが使用する合成物と原料を長年貯蔵し、新しい人工金属を生産するのに役立てる。洞窟はまた、ある種の病気の治療のために、またこのような洞窟の中で生活することを選んだ隠者(hermits)のためにも利用される。どうもベーコンは洞窟の中に住んでいる方が寿命は延びると考えていたようである。そのような隠者は驚くほど長命であり、彼らから一般の人々は多くのことを学ぶのである。

 彼らはまた、さまざまな土質のところに穴を掘って埋蔵所を設けている。中国人が磁器を埋蔵しているように、様々な種類のセメントを埋めている。ここで、川西訳は「陶器」と訳しているが、原文のporcelainは「磁器」と訳すべきである。川西さんは、訳注の18でベーコンの「中国の磁器は地中に埋蔵されている沈積物で、時間の長い経過によって凝固し光沢を帯びてあのような精妙な物質と化す」(90ページ、これはもちろん、誤聞である)という文章を引用しており、本文で「陶器」と書いているのは一貫しない。
 セメントは磁器よりは種類も多く、上質のものもある。土地を肥沃にするための肥料、堆肥の類も豊富である。

 また高い塔も設けられている。「最も高いものは高さ約半マイル、高い山頂に建てられた塔もあり、山の高さを加えれば、最高3マイル以上の高さに達する。」(川西訳、53ページ) 半マイルは約800メートル。スカイツリーよりも高い。3マイルの高さということになると、アルプスの最高峰モンブランの高さに匹敵することになる。このような高所を彼らは「上層界」(the Upper Region)と呼んでおり、高地と低地の間の空間を「中層界」(a Middle Region)と呼ぶ。塔は、それぞれの高さと設置場所に応じて、日光乾燥、冷却、貯蔵のため、また風、雨、雪、雹(ひょう)、それに流星など気象・天文現象を観察するために用いられる。いくつかの塔にはこれまた隠者が住み、「サロモンの家」の人々はときどき彼らを訪ねて、何を観察すべきかの指示を与える。

 いよいよ「サロモンの家」がどのようなものであるか、その目的や活動の概要が語られ始める。ベーコンは社会の仕組みを語ることよりも、科学とその応用について語ることの方に関心があることが分かる。洞窟の深さとか塔の高さなど、彼の時代の技術では到底建設可能なものではないのであるが、ベーコンの想像の翼もなかなかのものであると感じさせられる。洞窟の中に新しい金属など特定の物質を保存するというのは、どうも使用済み核燃料の問題を思い出してしまう。地下の洞窟に住む隠者達は長生きを予期されているが、高い塔に住む隠者についてはその寿命について触れられていないのも注意してよいことかもしれない。「サロモンの家」についての長老の説明は続き、それを読むことで我々はベーコンが考えた学問の大革新の現実への応用の構想がどのようなものだったかを知ることができるのだが、それはまた次回以降に。
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ベーコン『ニュー・アトランティス』(10)

1月15日(水)朝のうちは雨が残っていたが、その後、晴れ間が広がる。

 おそらくは17世紀の初め(日本では江戸時代のはじめ、中国では明末)に、語り手の乗った船はペルーを出帆して中国か日本のどちらかに向かって航海していたが、強い南風のために北太平洋のみちの海域にある島に漂着した。語り手の一行は最初、入国を拒否されるが、彼らがキリスト教徒であり、海賊行為を働くものではないことが理解されて、上陸を許可され、漂流者を収容する施設である「異人館」(The Strangers' House)に居住することになった。
 「ベンサレムの島」と自称しているこの島の人々は、アトランティス大陸(アメリカ大陸のことだという)を襲った大洪水の後、一種の鎖国政策をとるようになったが、その一方で秘密裏に外部の事情を調査して、高い文明を築き、維持している。彼らは家族の結びつきを重視し、厳格な一夫一妻制度をとっているようである。

 この島に住む数少ないユダヤ人の1人であるジョアビンは、学識豊かで思慮深い人物であったが、ベンサレムの島の人々の貞潔さを賞賛した後、しばらく沈黙していた。語り手は、彼に話を続けてほしかったが、何も言わないのは失礼だと思い、ベンサレムの正義はヨーロッパの正義よりも上であると認めないわけにはいかないという意見を述べた。
 するとジョアビンは「この国には結婚に関する優れた理にかなった法律がたくさんあります。一夫多妻(polygamy)は許されません。また初対面後1ヵ月を経ないと結婚も婚約もできません。両親の同意なしの結婚は無効とはされませんが、相続人にその罰が科せられています。そのような結婚で生まれた子供たちは、彼らの両親の遺産の3分の1以上を相続することができないのです。」(47ページ) ベーコンは法律家であったから、この相続の規定については彼なりの理論的な根拠があったはずであるが、そのことをめぐる解説は見いだされなかった。

 彼はさらに次のように続ける:「私はあなた方のお国の人が、架空の共和国(a Feigned Commonwealth)について書かれた本の中で、結婚する男女(the married couple)が、婚約する(contract)前にお互いの裸の姿を見るのを許されるという話を読んだことがありますが、この国の人々はそれを良いとは思いません。それほど親しく相手を知った後で断るのは相手に対する侮辱と考えるからです。男女の肉体のさまざまな隠れた欠陥についてはもっと礼儀にかなったやり方があります。あらゆる町の近くに二つの池(a couple of pools)(アダムとエヴァの池と呼んでいます)があり、結婚したい男の友人と女の友人がそれぞれ別々に二人が裸で水浴びしているのを見るのが許されるのです。」(47‐48ページ)

 ここでジョアビンが読んだと言っているのは、トマス・モアの『ユートピア』であることは明らかであるが、ユートピアについて"a Feigned Commonwealth"といっているのが気になるところである。というのは、モアはユートピアが王国であるとも、共和国であるとも、どうもはっきりとは述べていないのである。だから、ベーコンがこと更にcommonwealthという言い方をしているのが気になるのである。辞書によると、commonwealthは「国家」という意味であって、「共和国」を指す場合が多いが、「共和国」に限って使われる言葉ではない(これはrepublicも同じで、「国家」とも訳されるし、「共和国」とも訳される)。ただ、実際にはベーコンの死後まもなく1649年から1660年まで続いたthe Commonwealth of Englandは共和国であった。

 それからおさらいのために『ユートピア』の本文を探してみると、「さて、配偶者を選ぶにあたって、彼らは、きわめてばかげた、おかしな〔われわれにはそう見えたのです〕習慣を、まじめかつ厳格に守っています。つまり処女であれ未亡人であれ、女性は、品位あり名望ある貴婦人の手で裸にさせられ相手に見せられますし、同様に求婚者も有徳の士の手で裸にされて女性の前に連れ出されるのです。」(澤田訳、191ページ) 澤田さんは、これはプラトンの『法律』に示唆されたものであると注記しているが、Oxford World ClassicsのSusan Bruce (ed.,) Three Early Modern Utopiasの当該箇所の注では、ホラーティウス、セネカ、プラトンの発言を引用していて、それらを見た限りで、モアの意見はセネカに倣ったものだといえる。つまり、セネカは人々は馬を買うときにはバグや鞍をはずして、隠されていた場所に傷などがないかを確かめるのに、奴隷についてはそういうことをしないと発言している(『道徳書簡』)が、これはモアの議論とよくかさなるものである(ただし、奴隷が妻に対応しているというのが問題ではある)。澤田さんはこの習慣をそのまままねろとか、とりいれろとか言うのではなくて「配偶者の選択に十分注意せよ」という教訓を与えるものと解釈していて、それはそれでもっともだと思うが、その反面でやはり風刺的な意味が込められているという解釈も捨てがたい。
 それにしても、同じ部屋の中で裸で見合いをするというのと、それぞれが別のプールに裸で入って、お互いを見るというのと、あまり違いはないように思うが、ベーコンはそうは考えていないようである。

 それからプラトンについてはまだどのようなことを言っているのか確認していないが、『国家』などの著作から推測できることは、彼が優れた子どもができるような優生学的な配慮をすべきだと考えていたということである(この点はカンパネッラがその影響を受けている)。プラトンはアテナイの人であるが、それと対立するポリスであったスパルタの制度を作ったとされるリュクルゴスという伝説的な人物の伝記を、プルタルコス(プルターク)が書いていてその要約・解説がベルネリの『ユートピア思想史』に掲載されている。問題は、リュクル ゴスはプラトンよりも前の時代の人だといわれているのに対し、プルタルコスは、プラトンよりもかなり後の時代の人だということであり、彼が定めたというスパルタの制度は、プルタルコスの時代にはすでに廃れていたと、プルタルコスが書いていることである。とにかく、プラトンおよびプルタルコスが書いている(らしい)、少年たちの前で少女たちが裸で踊ってというのは、その魅力を見せつけるためであって、セネカやモアの欠点を知るために裸の姿から確認するというのとはかなり違う話ではないかと思うのである。

 語り手がジョアビンといろいろと話をしているところに、使いと思しき人物が現われて、彼に用件を告げる。彼は、呼び出しを受けたので、これで失礼するといって去っていくが、翌朝、またやってきて、「サロモンの家」の長老の1人が、その日、当地にやって来るので、その到着の様子がよく見えるように手配しようという。〔どうでもいいけれども、そういう仕事は、「異人館」の館長の仕事ではないかと思う。〕
 ベルネリも指摘しているが、他のユートピアの住人たちが質素な衣食住で生活しているのに対し、ベンサレムの島の高官たちの見せびらかすような豪華な衣装の描写は、書き手の俗物性の反映であろうが、あまり感心しないものである。
 こうして、語り手は、「サロモンの家」の長老の姿を見、やがて彼と会見して、「サロモンの家」の事業について詳しく知ることになるが、それはまた次回に。

ルーカーヌス『内乱――パルサリア――(上)』(10)

1月11日(土)晴れ

 ローマの詩人ルーカーヌス(39‐65)のこの作品は、紀元前1世紀の半ばに起きた内乱を題材とする叙事詩である。
 紀元前60年に成立したポンペイウス、クラッスス、カエサルの3者による第1回3頭政治は、混乱の絶えなかった共和政末期のローマに一時的な安定をもたらしたが、紀元前53年に3人のうちの1人クラッススがパルティアで戦死すると、残る2者の対立が激しくなる。ポンペイウスは元老院と結んで、ガリア総督であったカエサルの任務を解き、軍隊を手放すように命じるが、カエサルはガリアとイタリアとの境界とされていたルビコン川を渡り、アリミヌムに侵攻する。そこへ護民官の職を解かれて、ローマを追放されたクリオが合流して内乱をそそのかす。自分の率いる軍隊が支持しているのを見極めたカエサルは、ポンペイウス派の一掃を決意する。そしてガリア各地に展開していた軍隊を呼び寄せる。
 カエサルが大軍をひきいて迫ってくるという知らせを聞いたローマは混乱に陥り、民衆だけでなく、当のポンペイウスやその他の高官たちも続々とローマから脱出する。年長の人々は、閥族派のスッラと民衆派のマリウスの血なまぐさい戦を思い出し、その再現を恐れる。混乱の中でも平静を失わなかった小カトーは、共和政を守るためにポンペイウスとともに戦うべきだと、義理の息子であるブルートゥスを諭す。
 ポンペイウスはカプアを拠点とするが、ポンペイウス派の軍隊は各地でカエサルの軍隊に敗れ、コルフィニウムに拠ったドミティウスも撃破される。ポンペイウスはブルンディシウムへの退却を余儀なくされ、息子グナエウスと2人の執政官に、地中海沿岸の各地から援軍を集めるように指示する。
 追撃してきたカエサルは、ブルンディシウムにせまり、港の封鎖を試みるが、ポンペイウスの艦隊は軽微な損害を蒙っただけでこれを突破し、戦線を国外に散らそうと、ギリシアのエペイロス(最西部の地方)を目指して脱出する。〔以上第2巻までのあらすじ〕

 さて、第3巻に入り、詩人はまず、ギリシアのエペイロスを目指して船を走らせるポンペイウスと、その麾下の兵士たちを描く。
 艦隊が、吹き寄せる南風(アウステル)の吹くままに、
風はらむ帆に運ばれて、船々が大海原のただ中を進むころ、
水兵らは皆、彼方のイオニア海を眺めやっていた。
(第3巻、1-3行、117ページ) 一方、ポンペイウスは、おそらくは二度とその地を踏むことがないであろうへスペリア(西の方の地、ここではイタリア)を眺めていた。しかし、疲れに襲われて、眠ろうとした彼の目の前に、彼の前の妻であり、カエサルの娘であるユリアの亡霊があらわれる。彼女はポンペイウスの妻になったが、紀元前54年に産後の肥立ちが悪く死去、そのこともポンペイウスとカエサルの離反の原因となっていた。

 亡霊は、彼女が死者の世界で見た光景を語り、これから起きるであろう兵火によって多くの人命が失われることを予言する。
「内乱が生じてのち、浄福の野、敬虔な人々の霊の住む原を
逐(お)われて」亡霊はそう言った、「わたしはステュクスの闇、
罪人らの霊のもとに引かれ行く。復讐女神(エウメニデス)が、あなたたちの
兵火を煽ろうと、手にする松明を打ち振るのをこの目で見ました。
(川岸の)焼け焦げたアケロンの渡し守は無数の舟を
用意している。タルタロスは数知れぬ罪人を罰する場所を
広々と空けている。
(第3歌、11‐18行、118ページ) 彼女の言葉はさらに続くが、内乱による死者の多くが来世で罰を受けるであろうという。運命の女神が人々の運命の糸を断つ作業に疲れているというとぞっとさせるようなことを告げる。

 そして、ポンペイウスが彼女の死後、彼女の恋敵であるコルネリアと結婚したことを恨む。コルネリアはローマの名門スキピオ家の直系メテッルス・ピウス・スキピオの娘で、はじめはクラッススの息子に嫁いだが、その死後、ポンペイウスと結婚したのである。そのスキピオであるが、第2巻で、精鋭を率いながらヌケリアの要塞を捨てて逃亡した将として描かれているのは前回に述べたとおりである。
 彼女はポンペイウスにどこまでも付きまとって、彼を悩ませると告げる。「昼は父のカエサルに、/夜は娘の私に」(第3巻、29‐30行、119ページ) そして、それは運命によって支持された行為なのだという。
忘却の川(レテ)の岸辺の忘却が、夫よ、あなたのことを忘れさせることもなく、
物言わぬ死霊を支配する王たちも、あなたのあとを追い続けるのを
私に許してくれました。あなたが戦をする時は、必ずや、戦列の真中に、
私は立ちましょう。
(第3巻、31‐34行、119ページ)

 マグヌス(ポンペイウス)は、神々と死霊が彼の将来における数々の禍を用意していることを知るが、「災厄を覚悟して、むしろ/兵戟に突き進む決意をなおさら固め」(第3巻、40‐41行、119ページ)、次のように言った。
「実のない幻を見たからとて、何を恐れることがあろう。
死後の魂には、感覚は一切残されておらぬか、死は無か、
いずれに過ぎぬ。」
(第3巻、42‐44行、120ページ)
 夜は更けてゆき、航海は順調に進行し、船団はギリシアの海岸に近づいて、船の帆を下ろし、櫂を漕いで接岸しようとしていた。

 一方、カエサルはポンペイウスを取り逃がしたことを悔しく思いながら、イタリア半島とローマを確保するために、「もっぱら平和に意を用いて、/いかにして移り気な民衆の好意を掻き立てるかに腐心した。」(第3巻、55‐56行、120ページ)
 そしてクリオをシキリア(シチリア島)に派遣して穀物を調達し、ローマに送るように命じた。さらに穀物の確保のためにサルディニア(サルデーニャ島)にも兵を送った。

 さて、いよいよカエサルはローマに入城することになるが、その後の展開はどうなるかというのはまた次回に。
 第3巻は、イタリア半島を離れる船団の中で、兵士たちが行く手を、将であるポンペイウスが別れを告げてきた土地を見ているという描写で始まるが、未来を向く水兵たちと、過去を振り返るポンペイウスの対比が示唆的である。そして未来にもそれほど希望が持てないことが、ポンペイウスの前の妻ユリアの亡霊の出現で語られる。
 この連載の第1回でも書いたが、ダンテは『神曲』の中にルーカーヌスを登場させ、ホメーロス、ウェルギリウス、ホラーティウス、オウィディウスとならぶ大詩人に加えている。彼がウェルギリウスとともに、ルーカーヌスからも多くのものを学んでいるのは、今回取り上げた個所の中での「アケロンの渡し守」とか、「忘却の川」の取り上げ方を見ればわかることである。

ベーコン『ニュー・アトランティス』(9)

1月8日(水)午前中は雨が降っていたが、午後になって晴れ間が広がった。

 『ニュー・アトランティス』は北太平洋に想定された架空の島で、住民たちは「ベンサレムの島」と自称している。かつては世界中の国々と通交していたが、アトランティス大陸(この物語では南北アメリカ大陸のことであったとされている)が大洪水に襲われて、その文明が滅んだ後に、ソラモナ王という改革者が現れ、鎖国政策をとるようになった。その一方で王は「サロモンの家」という学府を設けて世界中の事物と現象を研究することにした。そしてこの学府の会員を秘密裏に海外に派遣してその事情を探らせているという。さらにその後、奇跡的な出来事が起きて、島の住民たちはキリスト教を信じるようになった。
 語り手の一行はペルーから中国あるいは日本をめざす航海の途中で、強い南風に流されてこの島に漂着する。彼らがキリスト教徒であり、海賊ではなく、また病人を出して困っていることが分かり、島に漂着した人々を受け入れる異人館に受け入れられる。この施設の館長から、島の歴史や法律の説明を受けた一行は、この島の人々のもつ文明と道徳性の高さに感激する。特に一行のうち2人が招待されて参加した「家族の宴」の荘厳な様子は大いに感銘を与えた。

 1週間ほどたって語り手である「私」は、街の商人であるジョアビンというユダヤ人と親しくなった。この島にはわずかではあるが、島が外界と交流していたころの名残として、ユダヤ人が住んでいるのである。彼はユダヤ人のしきたり通り、割礼を受けていた。この島のユダヤ人は自分たちの信仰としきたりを守ることが認められていたが、それも彼らがこの島の宗教や制度の良さをしっかりと認識していたからである。
 なぜここでユダヤ人が登場するのか、島の住民の誰かと親しくなる方が話の運びとしてわかりやすいのではないかと思わないでもないが、ユダヤ人は英国の社会にも住んでいたので、英国人と島の住民の橋渡し役として想定されたのだと考えるべきなのであろう(江戸時代の談義本である『異国奇談 和荘兵衛』で、不老不死の国に漂着した和荘兵衛にこの国のことを説明するのが、秦の始皇帝の命令で不老不死の薬を求めにやってきた徐福だというのとよく似た発想ではないか)。ユダヤ人はキリスト教徒と衝突したり、迫害を受けたりしていたが、ここではそういうことがないという描き方も注目しておいてよい。とにかく、ベンサレムの島のユダヤ人たちは、彼らなりのやり方で島の宗教(キリスト教)を理解し、尊重していた。それはさておき、「ジョアビンは賢い、学識豊かな思慮深い男で、この国の法律と風習に精通していた」(川西進訳、43ページ)。

 そこで語り手は、ジョアビンに自分たちの一行のものが「家族の宴」に招かれて大いに感動したという話をして、「あれほど自然の情にかなった儀式」(川西訳、44ページ)はないが、それではこの島では結婚についてどんな法律と習慣があるのだろうとたずねた。家族の増加は結婚による男女の結びつきによるからである。この国は人口の増加を望んでいるように思われ、普通人口の増加を望むようなところでは男性が複数の妻を持つことが許されているのだが、ここでは一夫一妻制度が守られているのだろうかともたずねた。〔異邦人の館の館長、あるいは「家族の宴」の参加者にではなく、ユダヤ人にこの質問をするというのは、多少奇妙であるが、聞きにくいことを聞いているという質問者の意識、あるいは客観的な評価が知りたいという気持ちがあったのかもしれない。〕

 これに対し、ジョアビンは語り手が「家族の宴」について賛美するのはもっともなことで、実際にこの儀式を行った家族はその後、さらに繁栄している例がいくらでもあると述べ、この国の人々はきわめて貞潔な(chaste)生活を送っていると強調する。「人間世界の中で、この国民の純潔な精神ほど美しく、誉むべきものはないからです。」(川西訳、同上、原文はFor there is nothing amongst mortal men more fair and admirable, than the chaste minds of this people. Susan Bruce (ed.) , Three Early Modern Utopias, p.173.)

 「ですからここには特殊浴場とか売春宿とか娼婦とかその類のものは一切ありません。」(川西訳、45ページ、原文はKnow therefore, that with them there are no stews, no dissolute houses, no courtesans, nor anything of that kind. stewは「シチュー」という意味に加えて、「蒸し風呂」という意味があった。そのほかに、「売春宿」という意味もあり、stewsというと「売春地帯」という意味になるそうである。)ところが、ヨーロッパの国々ではこのようなものが存在して、そのために結婚が意味のないものになってしまっている。もともと結婚は不倫な欲望(unlawful concupiscence)を癒すものであり、自然な欲望が結婚を促すと考えられてきた。ところが欲望を満たす手段が身近にあると、結婚よりも放縦な独身生活を送ろうとするものが多くなってくる。結婚するにしても、かなり年を取って自然な活力が失われてから、姻戚関係とか持参金とか名声のために結婚するという例が少なからずあり、その場合は子どもを残すということは二の次になってしまう。〔ベーコン自身が、かなりの年齢になってから自分の娘といってもいいくらい年の離れた女性と結婚して、多額の持参金を手にしたものの、子どもを儲けることはなかったことも多少このあたりに反映されているかもしれない。〕 しかも、結婚したからといって、それまで放縦な生活を送っていた人物の身持ちが改まるというものでもないのだという。

 こうした悪習を、もっと重大な性的な逸脱行為を防ぐためだというかもしれないが、それは本末転倒の智慧である、『創世記』に登場する、客を守るために自分の娘たちを提供しようとした(アブラハムの甥である)ロトの行為と同じであると、島の住民たちは言う〔ここは、旧約聖書を忠実に読んでいただきたい。ロトの娘たちは、ソドムの住民たちに凌辱されてはいないのである。〕 肉欲の炎はいったん消えるかもしれないが、また別のはけ口を見つけて燃え盛るかもしれない。この島の人々の自尊心はきわめて堅固なもので、それぞれのあいだにしっかりした友情を築いているので、道徳を逸脱する行為はほとんど見られないのであるという。

 ジョアビンという名のユダヤ人が語る、この島の結婚の制度と習慣についてのさらに詳しい話の続きは、また次回に。 

ルーカーヌス『内乱――パルサリア――(上)』(10)

1月3日(金)晴れ

 ローマ白銀時代(14‐180)を代表する叙事詩人であるルーカーヌス(39‐65)の唯一現存する作品であるこの『内乱』は、紀元前49年から46年までつづいた共和政末期のローマの覇権をめぐる内乱を描くものである。
 紀元前1世紀のローマは、その版図を広げていく一方で社会の不安・混乱が続き、強力な指導者が求められていた。その中で元老院議員にえらばれるような名門貴族・軍閥を中心とする閥族派と、平民の支持を得て改革を進めようとする民衆派(平民派)の対立が激しくなる。紀元前60年に閥族派の軍人であるが平民の支持も集めようとしたポンペイウス、閥族派の軍人・富豪でやはり平民の支持を得ていたクラッスス、ローマ屈指の名門の出身ではあったが民衆派の指導者であったマリウスとの縁戚関係から民衆派を自称していたカエサルの3人のあいだで第1回の三頭政治が成立し、社会は一応の安定を見る。しかし、紀元前54年にカエサルの娘でポンペイウスに嫁していたユリアが死去、さらに紀元前53年には三頭の1人クラッススがパルティアで戦死したため、ポンペイウスとカエサルの関係が悪化し、ポンペイウスは元老院と結んでカエサルの排除を企てる。紀元前49年1月7日には、元老院がガリア総督であったカエサルの軍隊の解体を命じる。1月10日にカエサルはイタリアとガリアの境界であったルビコン川を軍隊を率いたまま渡り、国境の町アリミニウム(リミニ)に迫る。そこへ護民官の職を解かれ、ローマを追われたクリオが合流し、カエサルに内乱を教唆する。カエサルは自分の率いる軍隊の兵士たちの支持を見極めてうえで、ポンペイウス追討のため、ガリアに展開していた軍を呼び集める。
 カエサル進軍の報せを受けてローマは恐怖・混乱に陥り、民衆はもとより、ポンペイウスや元老院議員たちもローマから逃げ出してしまう。それに様々な異変が続いて、人々は内乱の予感に怯えた。その中で、落ち着きを失わなかった小カトーは意見を聞くために自分を訪問した義理の息子であるブルートゥスに向かって、共和政を守るためにポンペイウスを支持して行動すると宣言する。
 ローマから逃げ出したポンペイウスは、カプアを拠点にして陣を構えるが、民衆や諸都市の支持が分かれる中で、破竹の勢いのカエサル軍は各地でポンペイウス軍を撃破し、コルフィニウムによったドミティウス(小カトーの義理の兄弟である)も抵抗を試みたものの、兵に裏切られてカエサルに引き渡された。死を覚悟したドミティウスに対し、カエサルは宥恕を与える。
 〔この内乱をめぐっては、その最中に記されたカエサルの覚書『内乱記』が現存しており、ルーカーヌスの書いているところと相違する部分が少なくない。例えば、ドミティウスは、兵に裏切られたのではなくて、兵に隠れて逃げ出す手はずを整えていて、それを察知してカエサルのもとにつき出されたと、『内乱記』には記されている。〕

 こうする間にも、マグヌス(ポンペイウス)は、指揮官(ドミティウス)が虜囚の辱めを受けたとも知らず、
新たな兵力を加えて自派を固めようと、戦備を整えるのに余念がなかった。
(第2巻、534‐535行、100ページ)
 そして、自軍に向かって兵を鼓舞激励する演説を行う。緒戦でカエサルが勝利したとはいうものの、戦いの大義は自軍の方にあローマの2人の執政官もポンペイウスの陣営に加わっている。さらにポンペイウスには歴戦に勝利を重ねてきた経験と実績とがある。このように語るが、兵士たちは歓呼してそれにこたえることはない。彼は、まだ見ぬカエサルにすでに敗れている兵らの怯えに気づかされる。そこで、決戦を挑むのではなく、態勢の挽回をはかって、ブルンディシウムの安全な要塞まで退却することにした。
 ブルンディシウムは現在のプーリア州ブルンディジであり、イタリア半島の東海岸、アドリア海に面した港町で、アッピア街道の終点として知られる。ローマの大詩人ウェルギリウスが没した町でもある。スエズ運河が開通すると、マルセイユなどと並び、ヨーロッパとアジアを結ぶ航海の重要な発着点の一つとなった。森鴎外の『舞姫』は、主人公が「ブリンヂイシイ」の港から出航して日本に帰る旅の途中で書いた回想録という形になっている。さらに、ジュール・ヴェルヌの『80日間世界一周』のフォッグ氏とパスパルトーはここからインドへと航行する船に乗り込む。また同じヴェルヌの『アドリア海の復讐』(デュマの『モンテ・クリスト伯』のヴェルヌ版)にもブリンディジが登場するそうである(この小説は読んだけれども、そんなことは忘れてしまった)。

 ブルンディジは天然の良港であり、地中海における要衝として知られてきた。そこに逃れてきたものの、ポンペイウスは自分が去った後のイタリアやガリアの情勢が把握できないまま、長男であるグナエウスにエジプト・メソポタミア地方に向かうように指令する。「息子よ、東方の/ことごとくの地にわが戦を携えて行け。わたしが征服した全世界の/都という都を煽って蜂起させろ。わが陣営に再び連れ戻すのだ、/私が凱旋の勝利を収めたすべての民を」(第2巻 653‐656行、108ページ)。また彼に同行していた2人の執政官にギリシア・マケドニア地方に向かい、そこで援軍を組織してほしいと指令する。〔共和政期の政務官のなかでもっとも重要な役職であったのが、執政官で、これは1年任期で2人が選ばれた。だから、ポンペイウスに2人の執政官が同行しているのは、彼の行動を正当化するのに役立ったのである。なお、緊急の場合には、執政官の上に、独裁官が設置されることがあった。〕

 しかし、カエサルはポンペイウス軍に急迫してきた。ふつうの軍人であれば、すでに収めた戦果で満足するはずであったが、彼は「なすべきことが/一つでも残されていれば、何一つなしていない」(第2巻、669‐670行、109ページ)と信じ、獰猛にポンペイウス軍に肉薄した。ほぼイタリア全土を手中にしながら、わずかな土地にしがみついているポンペイウスを容赦しようとしなかった。また、彼が船団を率いてこの港を出ていくことも望まなかった。そこで、大きな岩を海中に投げ込み、堤を築いて航海を妨害しようとしたが、海が深いためにうまくいかなかった。そこで森の木々を切り出し、鎖で結び合わせて筏を造り、長大な堤を築こうとした。〔カエサルの『内乱記』によるとはじめから筏を組んで堤を築き、敵の船の航行を妨害しようとしたが、ポンペイウス側も応戦したという。〕

 このようにカエサルが海上に堤を出現させて航行を邪魔しようとするのを見て取ったポンペイウスは、隠密裏に艦隊を出動させ、首尾よくブリンディジからの脱出に成功する。わずかに後尾の2艘の船が拿捕されたが、他の船は逃れ去ったのである。
すでに、マグヌス、汝は大海の上にあった。だが、
四海の海原で海賊らを追っていたころのあの盛運は
もはや携えてはいなかった。
(第2巻、737‐739行、114ページ) それでも、ポンペイウスは戦線を国外に散らそうと、ギリシアのエペイロスを目指して船を走らせるのである。

 こうしてポンペイウスがイタリア半島を離れるところで第2巻は終わる。ルーカーヌスはポンペイウス(マグヌス)に同情的であるが、カエサルの『内乱』によると、ポンペイウスの軍隊の乱暴に悩まされていたブルンディシウムの市民たちは、カエサルの方に気持ちを寄せ、ポンペイウスが船出しようとしているのを何とか、カエサル側に知らせようとしたという。ポンペイウスがほとんどの船を使って脱出したために、カエサルはそれを追撃することができなかった。
 それでも、イタリア全土を制圧したカエサルは、ローマに向かう。さて、そこで何が起きるかはまた次回に。
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