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梅棹忠夫『東南アジア紀行(上)」(10)

5月18日(土)晴れ、気温上昇

〔これまでの概要〕
第1章 バンコクの目ざめ
第2章 チュラーロンコーン大学
第3章 太平洋学術会議
第4章 アンコール・ワットの死と生
第5章 熱帯のクリスマス

 1957年11月から1958年3月(帰国は4月)にかけて、梅棹忠夫(1920‐2010)は大阪市立大学の学術調査隊の隊長として5人の隊員とともに、東南アジアのタイ、カンボジア、ベトナム、ラオスの4カ国を訪問し、熱帯における動植物の生態と、人々の生活についての調査を行った。この書物は、その調査旅行の私的な記録である。
 一行は、タイのバンコクに集合した後、チュラーロンコーン大学のクルーム教授の協力を得て、調査の準備を進める。また、第9回太平洋学術会議に出席して、日本における研究の報告を行い、その後、自動車の運転の演習を兼ねてカンボジアのアンコール・ワットを訪問、またタイに戻ってこの後の調査に備える。その一方で、バンコクでタイ語を学習し、人々の暮らしぶりを観察する。

第5章 熱帯のクリスマス(続き)
 宝くじとパチンコ
 タイの食堂で食事をしていると、数字ばかりが並んでいる新聞を熱心に読みふけっている太ったおじさんを見かけた。何を読んでいるのかと思っていると、同行している葉山君(チュラーロンコーン大学に留学中)が宝くじの当選番号の発表だという。タイの宝くじ熱は高く、売り場がたくさんあるし、食堂で食事をしていても、宝くじ売りがやって来て、売りつけようとする。〔これは昔の話で、私がタイに行ったのは2003年のことでもう16年も前のことであるが、その時は宝くじのことなど気づかなかった。むしろ英国のほうが宝くじが盛んだという印象がある。そういえば、梅棹も、タイでは宝くじのことを「ロッタリー」と英語で呼ぶと書いている。〕
 ある隊員が、日本のパチンコをタイに輸入すれば、流行するに違いないという感想を述べるが、「葉山君によるとこの名案は全然だめだそうだ。この国の為政者は、日本のことをよくしらべているから、パチンコのことなどはとっくに知っている。知っておればこそ、これはタイに有害と見たのであろう。パチンコは輸入禁止だそうだ。宝くじの売れゆきに影響すると見たのかもしれない。宝くじ公社の利権の行方は、タイの政局を決定する最大の要素だという説もある。
 さて、むこうのテーブルのおじさんは、当りくじではなかったようだ。新聞をたたんで、めしを食べだした。」(119‐120ページ)

 バナナを買いなさい
 同じ食堂で食事をしている2人のタイ人女性は食べ残した分を容器に入れて持ち帰っている。梅棹一行もそのまねをすることにした。タイ人は概して楽天的ではあるが、浪費家ではないと梅棹は思う。
 タイはゆったりとしたところがある。誰かが、タイは泥棒と乞食の多い国だといったが、とんでもない話である。乞食は非常に少ないという。
 ゆったりしている理由として梅棹は、コメが大量にとれることをあげる。そしてその米を輸出して、日本などからいろいろな工業製品を輸入しているのだが、最近は(1957年当時は)日本も豊作続きでコメがたくさんとれるようになって、タイから輸入しなくなった。これはタイの側からすると、重大なことである。
 梅棹が出会ったあるタイの知識人は、日本ではバナナがとれないということを知ると〔最近では南九州や沖縄で、シマバナナというバナナが栽培されているほか、バナナの栽培の試みが行われている〕、では、バナナを輸入すればいいと言い出した。「この恵み豊かな南国の人々にとっては、バナ ナもないなどという国は、救いがたいほどあわれな国に見えるのだ」⦅(122ページ)と梅棹は観察する。〔気になって調べてみたのだが、日本で消費されるバナナの大部分はフィリピン産である。また、世界第一のバナナ産出国はインドで、年間2910万トン、次が中国の1330万トン、以下インドネシア、ブラジル、エクアドル、フィリピンと続くのだそうである。この中でブラジルには出かけたことがあるが、バナナを食べたという記憶はあまりない。予備知識をもっていないと、気がつかないことはいくらでもあるのである。〕

 交通事故
 バンコクの交通量は多い〔これはいまでも多いはずである〕が、交通ルールはよく守られている。
 しかし、それでも交通事故は非常に多いようだと梅棹は観察する。その理由として、彼はタイ人の運転技術が日本に比べて「格段にへただ」(122ページ)ということを挙げている。梅棹自身がどのようにして自動車の運転免許を取ったかという話がこの後出てくるから、それを読んでから、この発言の当否を判断すべきであるかもしれない。〔タイの人が、「梅棹さんには言われたくない」というかもしれないという話である。〕
 交通事故の後の処理も物静かに終わる。少なくとも、梅棹が遭遇した事故の場合はそうだった。
 タイの人々はおとなしくて行儀がいい。豪傑笑いなどをすると、軽蔑されるだけである。「微笑みの国」である。

藍緑旅社
 梅棹の大阪市大における同僚である文化人類学者の岩田慶治(1922‐2013)がバンコクに帰ってきた。彼は民族学協会が派遣した稲作民族調査団の一員として調査研究をしていたのだが、一段落したのでもどってきたのである。まだ、研究調査を続けるつもりなので、費用節約のため、Hotel Nares(タイ語式に発音すると「ホテン・ナレーッ』)、中国名を「藍緑旅社」という中国人経営の安宿に泊まっている。梅棹一行がバンコク初日に泊まった安宿よりも、もう少し落ちるかもしれないという旅館である。
 岩田がこの宿に居ついているのは、主人の中国人が好人物であり、筆談で意思の疎通ができるということもある。宿の主人から「岩田先生」は絶大な信用を博しているようである。

 この話から、梅棹はバンコクの旅館や食堂はほとんど中国人の経営であるという話をする。バンコクの人口は、川向こうのトンブリー地区も合わせると150万人くらいだが、そのうち半数あまりは中国人であるという話もあるという。
 もともとタイ人と中国人とはあまり見わけがつかないし、中国人はタイの生活になじんで、タイ人と結婚する例も多いので、うまく溶け込んでいるように見える。

 そのほかに、インド人もいる(インド人とパキスタン人がいるはずだが、わからないという)。数は問題にならないくらい少ないが、目立つ存在である。階層的には低いのが多いようだと梅棹は観察している。

 第5章は学術調査とはあまり関係のない、バンコクの日常生活をめぐる記述が多く、中国人、インド人と来たので、次は日本人ということになるが、それはまた次回に回すことにする。近年では、日本の工場がタイに進出するなど、日本とタイとの経済的な関係は一段と進展しているように思われるが、タイの社会や日本とタイの関係などはあまり変わっていないような気もする。特に、タイの少なくとも支配層は日本の政治や社会についてよく研究して、知っているが、日本のほうではタイについてはあまり知らないという情報の非対称性は、この時代からあまり変わっていないように思われる。
 
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梅棹忠夫『東南アジア紀行(上)』(9)

5月11日(土)晴れ、気温上昇

〔これまでの要約〕
第1章 バンコクの目ざめ
第2章 チュラーロンコーン大学
第3章 太平洋学術会議
第4章 アンコール・ワットの死と生
第5章 熱帯のクリスマス
 1957年から58年にかけて、著者である梅棹忠夫(1920‐2010)は大阪市立大学の学術調査隊の隊長として、東南アジアのタイ、カンボジア、ベトナム、ラオスで熱帯の生態系とそこでの人々の生活にかかわる調査を行った。この書物は、その際に彼が経験したこと、考えたことの私的なまとめである。6人からなるこの調査隊はタイに到着後、第9回太平洋学術会議に参加し、その後、アンコール・ワットを見物、バンコクに戻って、北タイにおける本格的な調査に備えての準備に取り掛かる。

第5章 熱帯のクリスマス(続き)
 河の河
 タイは列強がアジアをその植民地にした時代にも独立を保ったことで、民族意識が高く、道路標識などもすべてタイ文字で書かれているために、外国人にとってはわかりにくい。しかも市民はほとんど英語がわからない。
 梅棹は、バンコクの大きな繁華街であるニュー・ロードという英語名を、タクシーの運転手が知らないことに驚く、タイ語では別の呼び方をするというのである。
 もっと驚いたのは首都であるバンコクというのが本来のタイ語の名称ではないことだという。タイ語ではクルン・テープという似ても似つかぬ呼び方をしている。バンコクはメナム(チャオプラヤー)川沿いの小さな村の名で、外国船の船員が上陸して、ここはどういう名の村かとたずねたところ、村人は自分の村の名を答えたのが、船員の方は町全体の名だと誤解したことが原因である。そういえば、メナム川というのも誤解で、この川の本来の名は「メーナム・チャオプラヤー」で「メーナム」の方が川という意味であるのを取り違えて、この名が定着してしまったのだと書いている(現在ではチャオプラヤー河という名称が多く使われていると思う)。

 発音練習
 一時期にせよ植民地だったことがある国とは違って、ずっと独立を保ってきた国を訪問する外国人は、その国の言語を学び、使って旅行するのが礼儀というものであると考えて、梅棹たちは「礼儀に従ってタイ語を学び、タイ文字を覚えることになった。まったく、たいへんな志を立てたものだ。」(113ページ)
 タイ語には声調が5つある。梅棹は声調が4つある北京官話をかつて学んだことがあるが、5つというのは初めてである。「それから、長短合わせて14種類の母音。それに子音における有気音と無気音の区別。だいぶん頭のいたいことになってきた」(同上、北京官話にも有気音と無気音の区別はある)。

 タイ文字研究
 一行は、英語で書かれたタイ語会話の本と、富田竹二郎『タイ語入門』を使ってタイ語の勉強を始めた。富田の本は大阪外国語大学(当時、現在は大阪大学外国語学部)のタイ語科の教科書として書かれたものなので、かなり難しい。タイ文字は音標文字であるが、その数が多く、読み方もなかなか複雑である。
 「タイ族はもともと雲南方面に国をつくっていたのだが、そのころは漢字を使っていただろうといわれる。その後、メナム平原におりてきて、13世紀末にスコータイ王朝のラーマカムヘン〔ラームカムヘーンと呼ぶ方が多いようである〕王の命令で、当時の先進国カンボジアのクメール文字を改変して、タイ文字をつくった。漢字をすてて表音文字を採用したのだから、大いにやさしくなったはずだが、おかげでわたしたちは苦労しなければならない。まったく、針金細工みたいなタイ文字の行列をながめていると、頭がくらくらッとしてくる。」(115ページ)

 しかも、現代のタイ語の中には、仏教と縁の深いパーリ語やサンスクリット語からの借用語がおびただしく入り込んでいる。それをもとの綴りのとおりにタイ文字で綴るのだが、発音はいまのタイ語の発音でするので、綴りと発音とがとんでもなく離れてしまうことになる。カンボジア旅行の際に一行が宿泊した国境の町アランヤ・プラテートはAranya Pradhesaと書くが、耳にはアランパテと聞こえる。さらにNagara Svargaをナコーン・サワンと読むというのには、ただ驚くばかりだという。だから、地名をローマ字表記してもあまり役に立たないだろう。一行がお世話になったチュラーロンコーン大学のクルーム教授の名前はKloom Bajropalaとローマ字表記されるが、Bjropalaは「パッチャラポン」と読むのだという。「とうてい信じがたい読み方である。」(116ページ)

 シナ食堂にて
 「勉強のかいあって、隊員たちのタイ語は目覚ましい進歩をとげた、と言いたいところだが、じっさいは必要にせまられて最小限のことばを覚えただけ、というのが真相である」(116ページ)。
 最小限という言葉が一番あてはまるのは、植物学者の小川で、彼の語彙は食べ物関係と数字だけに限られている。「つまり、食堂でめしを食い、支払いをすませるための必要最小限の語学である。/かれのタイ語は、ずいぶん強引な発音だが、気合いで通じる。」(同上)
 隊員たちは、なかば自炊生活を送っているが、シナめし屋で夕食を食べることがしばしばあったという。ピンからキリまである店の、ピンの方は招待以外あまり行ったことはないが、かなりキリに近い方には時々行ったようである。
 ときどき、大きな食卓を囲んで宴会をやっているタイ人たちの姿を見ることがあるが、その様子が日本人に似ていると梅棹は観察している。「日本人とタイ人となら、いっしょに飲んでもきっと調子があうだろう。」(117ページ)
 ただ、違うのはタイの場合は芸者が出てこないことだという。〔日本だって、芸者の出てくる宴会は今や例外的なものになっているが、この時代はまだそうでもなかったということであろうか。戦前に旧制高校を出た先輩の話を聞くと、旧制高校の宴会には芸者がやって来たそうであるが、戦後の新制大学のコンパに芸者が来たという話は聞いたことがない。〕
 タイの場合、宴会の後の二次会で、女性のいるキャバレーのようなところに出かけるのだというが、今は日本でも同じことをしているのではないかと思う。
 調査隊の隊員はこの種の遊興に興味のあるものはおらず、せいぜい、ときどき酒を飲むだけである。それも吉川蔵相が首をたてに振る時だけで、横に振ればあきらめざるを得ない。ビールはタイ製の「トラー・シン」というのを飲むだけで、日本製は高くて手が出ないが、タイ製で十分であるという。〔中国料理店という言い方をしないで、シナ食堂とかシナめし屋というところに、梅棹が戦前に大学を出た人間だということが示されているように思われる。わたしの先生方でも、そういう言い方をされる方が多かったと思う。〕

 タイ語の学習の話から、タイでの生活ぶりの話に話題が移り始めたところで、今回の紹介を終えることにする。その後、梅棹が1992年に書いた『実戦・世界言語紀行』(岩波新書)という本に、この調査旅行とタイ語(その他の東南アジア言語)のことも触れられているので、今日のある方はぜひ探してみてください。この書物の中で、梅棹は現代の中国語は「アルタイ化されたタイ語である」(同書、108ページ)という橋本萬太郎の説を紹介している。「タイ語と現代中国語の普通話とのあいだには本質的な差はないのである」(同上)ともいう。そう言い切っていいのかどうか、私にはわからないが、中国語についても、タイ語についても、私よりは知ることの多い梅棹がそういうのだから、そういうことを言う人がいるということくらいは記憶してよいのかもしれない。 

出井康博『移民クライシス』(3)

5月8日(水)晴れ

 今回は、この書物の結論部分である第9章「政財界の利権と移民クライシス」を取り上げるが、その前に、第1章~第8章の内容を簡単に紹介しておく。

第1章 『朝日新聞』が隠すベトナム人留学生の違法就労
 『朝日新聞』をはじめとする日本の主要新聞の大部分が配達員として海外からの留学生を使用しており、配達のために要する時間が法律で定められた週28時間を超える例が多い。
第2章 「便利で安価な暮らし」をさせる彼らの素顔
第3章 「日本語学校」を覆う深い闇
第4章 「日本語教師」というブラック労働
第5章 「留学生で町おこし」という幻想
第6章 ベトナム「留学ブーム」の正体
第7章 「幸せの国」からやって来た不幸な若者たち
第8章 誰がブータン人留学生を殺したのか

第9章 政官財の利権と移民クライシス
 実習制度は「ブラック企業」問題ではない
 2018年12月8日に改正入国管理・難民認定法(改正入管法)が成立した。改正入管法は2019年4月から施行されるが、新たに「特定技能」という在留資格を設け、外国人労働者の受け入れ拡大を目指すものである。
 新しい在留資格である「特定技能」には「1号」と「2号」とがある。1号は介護や建設、外食、飲食料品製造など14業種での外国人の就労を可能にするものである。日本で働ける期間は最長5年で、当初の5年間で最大34万5千人を受け入れる。2号は「熟練した技能」を持った外国人を対象とし、就労期間に制限がなく、5業種を見込んでいるが、受入数や実施時期は未定である。1号の場合には、実習生から資格を移行すれば最長10年の就労、2号では永住が認められる。外国からの単純労働者にも「移民」となる道が開かれる。
 改正入管法をめぐる国会審議の中で、野党の追及の中心になったのは「実習生制度」特に、その失踪問題であった。また報道の側も、この追及と歩調を合わせるかのように「ブラック企業が実習生を搾取している」という指摘を続けた。にもかかわらず、実習制度は見直されず、むしろ拡充された。問題の追及と報道は表面的なものにとどまり、実習制度は批判されながらも存続しているのである。

 拡大した官僚利権
 改正入管法成立の1年前の2017年12月に「外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律」(技能実習法)が施行され、実習生の受け入れが拡大した。それまで最長3年だった実習生の就労期間は5年にのび、「介護」分野での受け入れも可能になった。ここでは、「技能実習の適正な実施」や「実習生の保護」が謳われているが、制度の枠を広げるのが主な内容であり、新法施行後も実習生の失踪はさらに増えて、既にみたように改正入管法をめぐる国会審議の中でも問題になった。

 実習制度には途上国のための「人材育成」や「技能移転」という目的が掲げられているが、実習生の受け入れが認められる約80の職種は例外なく、人出不足に陥っていて、しかもたいした技能を必要としないものばかりである。母国での仕事と同じ仕事を日本でして、帰国後は復職するという規定も形骸化している。特に、新たに認められた「介護」の仕事など、実習生の母国では普及していないのである。

 その一方で、技能実習法により、監督機関として「外国人技能実習機構」が作られた。しかし、実習制度をめぐってはすでに、公益財団法人「国際研修協力機構」(JITCO)が存在するのであるから、屋上屋を重ねるというよりも、官僚機構にとって新しい天下り先を設けたというだけのことに過ぎないようである。

 誰が「ピンハネ」しているのか → ”オール・ジャパン〟の団体が享受する「甘い蜜」
 実習生の派遣をめぐり、営利目的の仲介は禁止されているが、それは建前に過ぎず、送り出し側にとっても、受け入れ側の監理団体にとっても高収入のビジネスになっているというのが実態である。しかも、報道などでは農協や商工会が監理団体になっているような誤解が見られるが、法律の規定は形骸化していて、監理団体は実習生の斡旋に特化した団体が多く、事実上、人材派遣会社と変わりない存在になっているという。
 なぜ、送り出し側と受け入れ側(監理団体とそのまた監視を行う機関)のピンハネがなくならないかというと、もともとこの制度自体がピンハネを目的として作られたものだからであると、著者はその経緯の詳細に触れながら論じている。」

   選挙に落選したり、政界を引退した政治家が(与野党を問わず)監理団体の運営に関わる事例も増えている。特に実習生を送り出している国とのつながりがある政治家がかかわっている例が目立つ。政官財の利権が絡んで、実習生への中間搾取がなくならないのだが、この問題はほとんど報道されない。

 「移民」受け入れの本丸「留学生の就職条件緩和策」 → <優秀な外国人材確保>という欺瞞と経済界の力
 「留学生の就職条件緩和」は、改正入管法の問題ほど話題にならなかったが、こちらの方が移民の受け入れに直結する「本丸」なのだと著者は主張する。
 留学生の就職条件の緩和は、安倍政権の主要政策の1つであると著者は評価する。2016年に現政権が打ち出した「日本再興戦略」(成長戦略)では留学生の就職率を「5割」へと引き上げる目標を打ち出している。同じく成長戦略として推進する「留学生30万人計画」で留学生を増やし、就職率も上げようというのである。
 特にこの問題について協力に発言をしてきたのは菅義偉官房長官である。菅氏は2018年8月に留学生の就職条件緩和が優秀な外国人材の確保に不可欠だと発言し、法務省がこれを受けて、就職条件緩和の方向性を打ち出し、マスコミの論調もおおむねこれを支持してきた。
 日本で就職する留学生には就労ビザが与えられる可能性が格段に大きくなる。安倍政権の後押しによって、留学生の就職率は上昇したが、まだ50%には達していない。そこで、さらなる方策が講じられた。
 日本で就職する留学生の9割は「技術・人文知識・国際業務」(技人国ビザ)を得る。このビザを獲得して日本に滞在する外国人は政策の後押しもあって急増し、2018年6月時点で21万2403人となっている。技人国ビザの更新は容易なので、事実上の永住権核といってもよい。このビザの取得者の急増は、日本が「移民国家」への歩みを進めている証であると著者は言う。
 ただし技人国ビザでは単純労働には従事できない。そこで、政府は法務大臣が独自に定める在留資格「特定活動」の範囲を拡大するのだという。そうなると単純労働への就職も可能になる。人手不足が深刻化し、外国人労働者をもっとも必要としているのは、肉体労働の現場である。留学生の就職条件の緩和は、優秀な外国人材の確保を表向きに掲げながら、実は外国人の単純労働者を確保するための手段であると著者は言う。このような政策の実施をもっとも強く望んでいるのは経済界である。
 ここで著者が、2018年に日本商工会議所(日商)が「大学等を卒業した日本人留学生」に特化した在留資格を要望していることに触れているところに注目した。この年に改正入管法が成立したときに、『日経』は経団連と経済同友会の意見を掲載していたが、日商の意見を掲載していなかった(連合のコメントも取り上げられなかった)ので、経済団体でもっとも利害関係があるのは日商だろうと思って不思議に思っていたが、やはり日商も働きかけをしていたことがわかった。

 とにかく、留学生は数年間にわたり日本語学校と大学の学費さえ払えば、日本で就職できることになる。母国の10倍近い賃金が得られるのだから、偽装留学生の希望者はますます増えるのに違いないと著者は予測する。そして、彼らが移民となる可能性は大きいという。
 事実上、「移民」と呼べる永住者は2018年6月時点で75万9139人を数え、この10年間で約27万人増加した。今回の法改正で、ますます増加するのではないかという。留学生→永住者が増えることに反対ではないが、彼らの職場と働き方が問題だと著者は論じるのである。

 偽装留学生の日本への引き留め策
 すでに述べたように2016年に安倍政権は留学生30万人計画を打ち出し、2020年に達成する予定だったのが、2018年の時点で留学生は32万人と目標を超過達成してしまった。ところが問題はその中身で、「出稼ぎ目的で、留学費用を借金に頼って来日する偽装留学生が大量に受け入れられた結果である」(286ページ)。
 留学生の64%が日本での就職を希望しているが、半数近くが就職先が見つからない、優秀な外国人材の就職を拡大しようというのが、就職緩和策導入の根拠となっているが、優秀な外国人材という時の根拠は学歴だけで、日本語能力は問われていない。就職緩和策をとっても、肝心の留学生が就職活動をするのに十分な日本語力を身に着けているとは言えない場合が多いのである。留学生や実習生だけでなく、外国人の就活生の周囲にもブローカーが介在することになる・・・というよりもすでに介在している。留学生にホワイトカラーの仕事をあっせんするように見せかけ、実際には単純労働の現場に送り込むような「偽装就職」が横行しているという。

 政府の本音は外国人を底辺労働に固定すること
 優秀な外国人材が向かうはずのホワイトカラーの仕事では人手不足は起きていない。本当に優秀な外国人材がやってくれば、日本人の職が奪われることにもなりかねない。政府が優秀な外国人材という時、そんなことを予期しているわけはない。
 多くの企業にとっては低賃金・重労働に耐えてくれる労働者が必要なのであって、日本語の能力はむしろ低い方がいい。
 しかし、そういう労働者が労働市場の底辺に固定すれば、日本人の労働者の賃金も抑えられる可能性がある(歴史は繰り返す)。それから、人手不足が緩和したときに、外国人労働者がまっさきに整理の対象になる可能性も大きい。2008年のリーマン・ショック後、日系ブラジル人労働者の失業問題が起きた記憶はまだ残っているはずである。同じことが、現在の留学生たちの身に起きないとは言えない。

 政府は「移民政策はとらない」と言いながら、その陰で実質的な移民は増え続けている。このようになし崩しの受け入れを続けていくことによって社会の分裂が進んで、修復がきわめて困難になった欧州諸国の轍を踏むことにならないだろうか。経済界には経済界の都合があって、外国人労働者の雇用を推進しようとするのは当然のことかもしれないが、それに追随して経済界以外の国民の利害との調整をはからないというのでは政府はその仕事をしているとは言えない。抜け道を増やすだけの緩和策がどのような結果を生むか、政府には長期的な見通しが必要だし、報道機関も検証機能を果たすべきであろう。

 第2章~第8章の内容も要約紹介するつもりだったが、どうも力尽きた感じで、章題だけで済ませることになってしまった。第2章と第3章については、5月1日付の当ブログで触れた記事を読んでください。この書物ではベトナムとブータンからの「偽装留学生」の問題が主として取り上げられているが、法務省の「外国人労働者」についての統計を見ると、数の多さでは①中国、②ベトナム、③フィリピン、増加率の高さでは①ベトナム、②インドネシア、③ネパールということで、留学生の就労について、法務省が統計を取っているという事実の奇妙さもさることながら、まだまだわれわれの目に着かない問題はあるだろうと思う。
 この後で、望月雄大『ふたつの日本 「移民国家」の建前と現実』(講談社現代新書)を読んだが、この本と合わせ読み、またこれら2冊の本で触れられている政府や各種団体のウェブサイトを見ていけば、外国人労働者と改正入管法の問題の概略はわかるのではないかと思う。

梅棹忠夫『東南アジア紀行(上)』(8)

5月4日(土・みどりの日)晴れ、気温上昇、午後になって曇りから雷雨。気温が下がる。

〔これまでの要約〕
第1章 バンコクの目ざめ
第2章 チュラーロンコーン大学
第3章 太平洋学術会議
第4章 アンコール・ワットの死と生
 著者・梅棹忠夫(1920‐2010)は1957‐58年と、1961‐62年に当時在職していた大阪市立大学の東南アジアへの学術調査隊の一員として、タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスの東南アジア諸国を歴訪した。この書物はその旅行の個人的な記録である。
 1957年の調査隊に参加したのは、隊長である梅棹のほかに、霊長類研究の川村俊蔵(食糧担当)、植物生態学の小川房人(隊員間の連絡・調整と自動車担当)、同じく依田恭二(装備類の管理担当)、医師で昆虫学者の吉川公雄(会計担当)、文化人類学の藤岡喜愛(渉外担当)である。
 バンコクに集合した6人は、第9回太平洋学術会議に参加して研究発表を行い、(特に川村の研究発表は)好評を博す。会議の終了後、一行は自動車の運転の練習を兼ねて、3台の車に分乗して、隣国カンボジアのアンコール・ワットの見物に出かける。この旅行にはチュラーロンコーン大学に留学中の葉山陽一郎が加わる(その後の学術調査にも同行する)。梅棹はアンコール遺跡の規模に驚き、この遺跡を遺した古代クメール帝国の生態学的構造に関心を寄せ、後日の研究対象として取り上げたいと思う。バンコクへの帰り道は、3台のうちの1台=ハシゴ車が故障したり、ガソリンが足りなくなりかけたりして大変だったが、どうやらバンコクにたどりつく。

第5章 熱帯のクリスマス
 泥棒と仏さま
 今回から第5章「熱帯のクリスマス」に入る。一行が本格的にバンコクで生活を始めたのは1957年11月14日である。11月18日から太平洋学術会議が始まり、その終了後12月5日からアンコール・ワット見学に出かける。戻ってきたのは12月9日である。
 バンコクに到着して、車を車庫に入れると、小川が血相を変えてやって来て、「スプリングを取られた」という。カンボジア旅行には自動車のスプリングの予備はいらないだろうと思って、車庫に残しておいたのだが、鍵をかけていなかったために盗まれたのである。責任を感じた小川は、業者からスプリングを一時借用して、使用しなかったら返すという案を考えて、業者と交渉し、借用に成功する。
 不思議に思われたのは、5本あったスプリングのうち1本が遺されていたことで、これは数のあるものについては必ず1つを(仏さまのために)遺しておくというタイの泥棒のしきたりによるものだという。一行はさすが仏教国だと思う一方で、油断大敵と気を引き締め直した。

 銃砲類所持許可証 → 時間切れ、アウト → 堂々たる官僚主義
 調査隊の荷物は大使館の人が「奇蹟だ」というくらい、スムーズに税関を通ったのだが、全部が全部そうなったわけではない。鉄砲と火薬と弾丸、ラジオとテープレコーダーがなかなか出てこなかった。
 鉄砲を受けだすためには警察の銃砲類所持許可証がいる。その許可証をもらうために、まず鉄砲類輸入許可証がいる。その輸入許可証をもらうためには、日本大使館からの口上書が必要である。ラジオとテープレコーダーは別に所持許可証がいる。これ八広報局の管轄である。そしてこちらについてもまた口上書が必要である。あれこれの手続きを踏んで、12月3日に広報局の許可は得た。警察の方の許可もまもなく出るだろうと安心して、カンボジアへの旅行に出かけた。
 ところが、かえってきても、まだ許可は下りていなかった。12月11日に掛け合ったところ、担当者はもう3日待ってくれという。3日後に出かけると、その書類を作成して上司に回したという。急ぐなら、その上司に掛け合ってくれというので、上司のところに行くと、書類をまだ受け取っていないという。そして、書類がどうなったか経過を知らせるから、また来てほしいという…。

 一方、すでに許可証の出ているテープレコーダーとラジオについては、税関から受けだそうとしたら、所持許可証のほかに、無税通関の許可が必要だといわれる。そこで担当の藤岡は、無税通関の申請をした。ところが、「テープレコーダーとラジオを、無税で通すことはできません」と言われる。それなら、初めからそういえばいいと思うところである。
 しかしこのことについてタイの外務省から助け船が出て、外務省の儀典係からの公文書が届き、それで無税通関の件が許可になった。ところがそれで終わりにならず、税関では保証金を積むかわりに、日本大使館が保証するむねの公文書を持って来いという。それで大使館でそういう手紙を書いてもらった。
 12月19日に、鉄砲の方の許可も出た。藤岡が葉山と一緒に税関に出かけたが、税関は手紙の文面に不満であるという。しかし、葉山がタイ語で説明に努めた結果、税関長のサインがもらえるところまできた。
 「そのとき、けたたましくベルがなりわたった。お昼のベルである。ベルがなったら、もう何もかもおしまいだ。時間ぎれ、アウト。あとはまた、昼からにしてください。
 午後、藤岡たちはまた税関へ行った。サインはもらえた。税関のジャングルのなかを、あちこち引っぱりまわされた。そして、ついにグランド・シーツにくるんだ、鉄砲、ラジオ、テープレコーダーが出てきた。荷物は、税関の倉庫に、ちょうど、まる一月ねむっていたことになる。けっきょくわたしたちも、一か月かかってしまったのである。」(106ページ)

 「タイにおける非能率は、人間の問題というよりは制度と機構の問題ではないかと思う。」(同上) その点では日本に似ているともいう。「タイも日本も、むかしからの独立国であって、制度を改変しようとする力が外からあまり働かなかったからではないだろうか。」(108ページ) つまり、行政改革がまったく行われてこなかった結果ではないかというのである。
 しかし、日本でもタイでもそれからだいぶたってからではあるが行政改革が行われたので、この議論はやや古くなっているかもしれない。さらに「制度そのものからいえば、植民地であった国の方が合理的になっているかもしれない。」(同上)というのは、個別的な例を調べる必要はあるだろうが、旧植民地の多くが、宗主国の制度を機械的に輸入している例が多いことを考えると、的外れになっている例が多いのではないかと思われる。

 「ここはタイです」
 タイが植民地化せずに、独立を保ちつづけたために、国民の表情には自信が見られると、梅棹は観察している。
 ある日、国会議事堂前の大通りを、一群の青年たちが隊列を整えて、行進してくるのに出会ったので、車を停めて見物したという。フットボール選手のユニフォームを着て、ボールを抱えていた彼らは、練習試合にでも出かけるところであっただろうか。同行していた葉山によると、陸軍士官学校の生徒らしいという。
 梅棹は、彼らの隊列が整然としていたことではなくて、彼らひとりひとりの表情に「自信と誇り」(109ページ)が満ちていることに感動する。「これは、自分が自分の主人であるところの人間の顔である。他人に支配されることを知らない人間の顔である」(同上)という。このような表情にはアジアの他の国々ではお目にかかることはできない。「タイ」はもともと「自由」という意味であるが、タイ人は文字通り「自由の民」なのだという感想を持つ。タイのエリートたちは、官僚も、軍人も誇りに満ちているという。「むやみに威ばったりはしないけれど、自分たちのやり方については、確信をもっている。」(110ページ)と書き添えている。〔もっとも、だから非能率になるという否定面もあるわけである。〕

 梅棹がタイのお役所仕事に自分たちの時間と労力とを奪われているにもかかわらず、全体としてタイの人々に好意的な目を向けているところが興味深い。最近のタイにおける保守派とタクシン元首相を支持する勢力との対立・抗争などを梅棹がどのように見るか(というよりも、彼の生前からこの対立はあったわけであるが)というのは興味深い問題である。
 この第5章は、さらに続き、タイの言語や生活事情、タイにおける日本人社会の観察などが語られる。それらは次回以降のお楽しみということで…。 

出井康博『移民クライシス』(2)

5月1日(水)晴れのち曇り、夜になって雨

〔これまでの概要〕
第1章 「朝日新聞」が隠すベトナム人留学生の違法就労
 日本の大手の新聞は海外からの留学生を呼び寄せ、配達員として働く(アルバイトである)一方で、アパートを提供し学費を負担し、給与を支払うという制度をとっている(この制度をはじめ、最も組織的に展開しているのが朝日新聞社である)。最近の配達所の経営困難から、留学生が法律で定められた週28時間を超えて就労している例が多く、日常の仕事の中でも様々な差別を受けている。
第2章 「便利で安価な暮らし」を支える彼らの素顔
 コンビニや飲食チェーンで働いている留学生は全体のごく一部の「エリート」層であって、偽装留学生の大部分は日本語の全く必要とされない職場で働いているのが実態である。かれらは留学資金を借金によって調達し、でっち上げの書類でビザを取得、日本語学校での勉学は名目的なもので、借金を返し、さらには実家に仕送りをするために法定時間以上に働いているという実態がある。

 今回は第3章「『日本語学校』を覆う深い闇」を取り上げる。
 第3章「『日本語学校』を覆う深い闇」は、最近急激に伸長している「日本語学校」の経営の実態を追射、その問題点をあきらかにするものである。
 著者はまず、独立行政法人「日本学生支援機構」(JASSO)の調査に基づき、2012年に24,092人であった日本語学校の生徒が、2018年5月の時点で90,079人と急増していることを紹介する。〔著者は触れていないが、この統計は1991年から集計されており、この年は25,622であった。ということは、1991年から2012年まではあまり大きく変化してこなかったということである。〕
 2007年には全国で308校であった日本語学校は、2008年7月に(福田康夫内閣の下で)文部科学省が策定した「留学生30万人計画」のもとで急増することになった。問題は、その生徒として大量の偽装留学生が含まれていることである(つまり留学生が増えたのではなくて、外国人労働者が増えたということである)。

 「大学や専門学校と比べ、日本語学校の設立は難しくない。学校法人以外に株式会社なども参入できる。最近では、人材派遣業者などが日本語学校を設立するケースも目立つ。学校で偽装留学生を受け入れ、人手不足の企業にアルバイトとして斡旋しようと目論んでのことだ。」(81ページ)〔日本語学校は、学校教育法第一条に規定する「学校」つまり「一条校」ではない。それをいえば、専門学校も「一条校」ではないが、いちおう文部科学省の管轄である。ところが、日本語学校は旧民主党政権時代の「事業仕分け」の結果、文部科学省から法務省の入国管理局(この4月から庁に昇格)の所管となっている。まったく自民党も(旧)民主党もろくなことをしない!) もっとも近年は、「特区」の制度のために、学校法人以外の法人が「一条校」を設置することも可能ではある。〕

 外国人にとっても、日本語学校に留学する方が、大学や専門学校に入学するよりも容易である。海外から日本の大学もしくは専門学校に留学しようとすれば、ビザ取得のために日本語能力試験「N2」に合格していなければならない。日本語学校はその性格上、日本語能力のいかんにかかわらず、入学できる。
 また、日本語学校は大学や専門学校よりも定員を拡大することが法規上容易であり、そのため急拡大している施設が少なくない。このため、少子化で将来に危機感を持っている塾産業など、他の業界からの参入が見られる。

 その一方で、日本語学校から失踪し、不法就労に走る留学生も増加しているという〔もともと働いて稼ぐことが目的で来日したのだから、増加は当然のことであろう〕。日本語学校は、不法残留者の輩出率が、留学生全体の5%を超えると、入管当局から「非適正校」と見なされ、入学者へのビザ審査が厳しくなり、定員が増やせなくなる。このため問題のある生徒を早めに除籍して、「適正校」の資格を維持しようとする学校が少なくない。このような傾向に対し、入管当局はさらに2017年2月、「除籍」も加えて、「10人以上」の退学者を出した学校が、「中国、ベトナム、ネパール、ミャンマー、スリランカから学生を受け入れる場合」に留学ビザの審査を厳しくするという通達を出したが、目立った効果は表れていないという。

 学校から失踪する生徒が少なくないのは、授業料が払えないという事情も絡んでいる。もともと、経済力がないのを書類の上で隠蔽して留学してきている生徒がほとんどなので、このような事態は避けることが難しい。
 改正入管法の国会審議では、日本語学校と偽装留学生の問題はほとんど取り上げられなかったし、マスコミの論調も一部に悪質な日本語学校があるという認識を示すものが多い。しかし、一橋大学大学院生の井上徹さんの研究によると、日本の高等教育機関(専門学校を含めて)に進学するために必要な日本語能力(「N1」「N2」)取得者数を、実際に高等教育機関に進学した者ははるかに上回っているという。つまり日本語学校から「N1」「N2」を取得せずに、大学・専門学校に進学するものが少なくないし、営利目的で、偽装留学生を入学させている私立大学や、専門学校が存在するということである。

 井上さんの研究の基礎となっているのは文科省の『平成29年度日本語教育機関における外国人留学生への教育の実施状況公表について』という資料であるが、これに掲載されている日本語学校は459校で、このうち、進学者全員が「N2」以上に合格した学校が、11.2%、70%以上が合格したのが16.1%であり、その一方で「N2」以上の合格者が40%以下という学校が57.2%にも上っていたという。この結果から、相当数の日本語学校が、偽装留学生によって経営を成り立たせている可能性が強いと結論せざるを得ない。また、日本語能力試験の合格者数は明らかになっているが、その国籍別の割合は公表されていない。これは、公表すると都合の悪いことがあるためと推測される。

 日本語学校の経営者には在日中国人や韓国人が多いという。〔著者は区別をしていないが、もともと日本に住んでいる人々ではなく、比較的新しく来日した人々が多いことが、この後の記述で分かる。〕 政府が「留学生10万人計画」を打ち出し、その実現に力を入れていた1990年代後半から、2000年代の前半にかけて来日した、中国人・韓国人が、その当時の体験と、出身国とのつながりを生かして日本語学校事業の経営に乗り出す事例が多い。

 2018年9月、大阪市にある「日中文化芸術専門学校」が300人以上の留学生を退学させたことが発覚し、報道された。「なぜ、『日中』を名乗る専門学校にベトナム人留学生が在籍し、定員超過の末に退学という事態が起きたのか。この事件には、日本語学校から専門学校、さらには大学にも広がる偽装留学生ビジネスの闇が象徴されている。」(106ページ)と著者は言う。
 2018年10月8日付の『読売新聞』朝刊によると、留学生の割合が9割以上という専門学校は全国で少なくとも72校、学生全員が留学生という学校も35校に上っている。日中文化芸術専門学校も9割以上が留学生だったという。
 日本で日本語学校を「卒業」した生徒は、語学力を問われることなく、日本の大学や専門学校に入学できる。〔3月1日付の『日本経済新聞』で、是川夕氏が「外国人労働者と社会統合」という連載解説記事の第8回目として「留学生、就労目的多いとは言えず」と書いて、日本語学校からの大学・専門学校への進学率は高いので、就労目的が多いとは言えないという議論を展開しているが、進学先の大学・専門学校の中身を詳しく分析してから議論を展開すべきではないだろうか。〕

 さらに最近では、留学生に特化した「学部研究生」というコースを設けている大学も見られる。これは1年制であるが、学費が安く、専門学校進学に失敗した偽装留学生の「最後の砦」として知られているという。

 わたしなりに調べていることもあって、書くことが多く、第4章まで取り上げるつもりで、第3章だけで終わってしまった。この後、第4章「『日本語教師』というブラック労働」、第5章「『留学生で町おこし』という幻想」、第6章「ベトナム『留学ブーム』の正体」、第7章「『幸せの国』からやって来た不幸な若者たち」、、第8章「誰がブータン人留学生を殺したのか」は、章題を見れば、内容が推測できると思うので紹介を省く。次回は第9章「政官財の利権と移民クライシス」について論評する。
 
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