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ルーカーヌス『内乱――パルサリア――(下)』(3)

5月16日(土)雨

 紀元1世紀、ローマ皇帝ネロに気に入られて厚遇を受けるが、やがて生じた確執のために執筆活動を禁じられ、皇帝暗殺を企てたピーソの陰謀(65)に加わったことにより、自殺を命じられたルーカーヌス(39‐65)の現存する唯一の作品であるこの叙事詩:『内乱』は紀元前1世紀、ローマが共和政から帝政へと移り変わる大きな節目となった、ポンペイウスとカエサルの間の戦い<内乱>を題材とするものである。この内乱は紀元前49年にカエサルがガリアからイタリアに侵攻して始まり、紀元前46年のアフリカでの小カトーの死をもって終わるが、叙事詩『内乱』は作者の死によりそこまでを語ることなく、紀元前48年にエジプトでポンペイウスが暗殺されるまでで終わっている。
 カエサル軍の侵攻に対抗できずにイタリアを追われたポンペイウスは、ギリシア西部のエペイロスに渡り、そこで東方の諸勢力から援軍を募り、カエサルに対する反撃を試みようとする。紀元前48年にカエサルもエペイロスに渡り、遅れて到着したアントニウスと合流、要衝デュラッキウムに本拠を置くポンペイウス軍を包囲する。しかし、ポンペイウスはその包囲を突破、さらに攻撃してきたカエサル軍を破る。カエサル軍はテッサリアに移動、ポンペイウスもまたカエサル軍を追ってテッサリアへと進軍する。テッサリア(パルサリア)での決戦が近づいてきた。

 運命に呪われたこの地に二人の将が陣を構えた時、来たるべき
戦を予見する心は、誰しもを動揺させた。雌雄を決する存亡の
秋(とき)が近づき、定めがすでに間近に迫るのは明らかであった。
惰弱な心の持主は怯え、巡らす思いはますます暗くなっていった。
予め心を強く持ち、定かならぬ成り行きに、恐れともども
希望をも抱いたものはわずか。
(第6巻、405‐410行、44ページ) 決戦の行方に不安を抱き、恐れていた大多数の人々の中に、ポンペイウスの次男であるセクストゥスがいた。ルーカーヌスは、彼が不肖の息子であり、この後、海賊にまで身を落としたことを附け加えている。

 セクストゥスは恐怖のあまり、戦の帰趨をあらかじめ知ろうと、未来の予言に頼ろうとした。彼が予言を聞こうとしたのは「デロスの鼎」(第6巻、417行、45ページ:アポロンの生地とされるデロス島のアポロンの神託所を指す)、「ピュトの洞」(同上:デルポイのアポロンの神託所、第5巻でポンペイウス派のアッピウスがここで神託を聞こうとしている)、「樫の実みのるドドネなるユピテルの銅釜が/響かせる音」(第6巻、418‐419行、45ページ:エペイロスにあるゼウス=ユピテルの神託所)、「内臓で定めを占える者」(第6巻、419行、45ページ:第1巻でエトルリア人の占い師アッルンスがこの占いをしている)、「鳥の兆しを解き明かせる者」(第6巻、420行、45ページ:ホメロスの『イーリアス』にこの例がある)、「アッシュリアの(天文の)知識で星の動きを究める者」(第6巻、421行、45ページ)でもなかった。〔ここに列挙されているのは、神々による予言を知る手だてであり、セクストゥスがもっと邪なやり方によって未来を知ろうとしたことが示されている。〕

彼には、天上の神々に忌み嫌われる、残酷な魔術師の秘術と、
死の儀式で陰鬱な祭壇の知識があり、霊たちと冥府の王
ディスの真実を、また、天上の神々の無知を、哀れにも、固く
信じていたのだ。空しく凶悪なその狂熱を、陣営に間近い、
ハイモニアの魔女らの住む集落と土地そのものが助長した。
(第6巻、423‐427行、45ページ) ディスはギリシア神話のプルートーにあたる、ローマ神話の冥府の主神である。セクストゥスは天上の神託ではなく、地下の死者の世界の声を聞いて、未来を知ろうとし、その術を知っている魔女たちに頼ろうとした。テッサリアの地にはそのような魔女たちが住んでいたのである。ハイモニアと呼ばれるこの土地で、魔女たちは毒草や魔草を育てていた。コルキスの王女で魔女でもあり、イアーソンとともにギリシアにやってきたメデイアがこの土地で草を集めたともいわれる。この魔女たちの威力は大変なもので、気象を意のままに操り、天体の運行さえも左右したという〔いくらなんでも大げさすぎる〕。

 エリクトという名の魔女は、このような魔術に飽き足らず、さらに禍々しい世界に踏み込もうとして、「亡霊たちを追い払って墓地を占拠し、人気ない墓場を/住処としていた」(第6巻、501‐502行、50ページ)。天上の神々でさえ、その魔術を恐れ、彼女の非道な行為を容認していた。彼女は人々の生死を支配し、死者の体の一部を集め、冥界と連絡を取りながら、秘儀を行っていた。

 土地の人々の噂で彼女のことを知ったセクストゥスは夜の闇に紛れ、わずかな従者たちとともに、エリクトの住処を探した。エリクトは、ポンペイウスとカエサルの戦いによって、新たに多くの死者が出ることを予見して、将来の計画に耽っていた。
 エリクトを見つけたセクストゥスは、自分がポンペイウスの息子であることを告げ、来るべき戦いで、だれが死すべき運命にあるのか、死の神に打ち明けさせてほしいと頼む。
 自分の名が噂となって広がっているのを喜んだエリクトは、セクストゥスの申し出を承諾する。魔女たちには人間の生死を動かすことはできるが、人類の大事をめぐっては運命(フォルトゥナ)にその力は及ばない。「だが、禍を予め知ることで/満足というのであれば、真実に近づく数多の容易な道が/開かれていよう」(第6巻、601‐603行、57ページ)という。そして、戦場に転がっている死体の1つを選んで蘇らせ、今後のことを予言させようという。

 おそらくどちらも歴史的な事実ではなく、ルーカーヌスの創作であろうが、第5巻に登場したアッピウスがデルポイの予言に頼ったのに対し、こちらは魔女の魔術に頼っている(『旧約』に出て来るヘブライ人たちの王サウル、あるいは『マクベス』を思い出すかもしれない)。臆病というだけではなく、邪悪なものの力を信じているというように、その人間性が描き出されている。それにしても、どうも気味の悪い話であるが、セクストゥスはどのような予言を聞くことになるのであろうか。それはまた次回に。
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ルーカーヌス『内乱――パルサリア――(下)』(2)

5月9日(土)曇り

 『神曲』の語り手としてのダンテは、ローマ黄金時代の大詩人ウェルギリウスを導き手として、異界へと旅立ち、『地獄篇』第4歌で前地獄に到着し、古代の偉大な4人の詩人に出会う。ギリシアのホメーロス、ローマ黄金時代のホラーティウス、オウィディウス、そしてこの叙事詩『内乱――パルサリア――』の作者である白銀時代のルーカーヌス(39‐65)である。

 『内乱――パルサリア――』で描かれているのは、紀元1世紀の半ばごろに、ローマの覇権をめぐってポンペイウスとカエサルの間で展開された内乱であり、この内乱で輝かしい伝統を誇ったローマ共和政が事実上崩壊したことを哀惜する作者の気持ちが満ちた作品である。紀元前60年に成立した第一次三頭政治は、それまで混乱が続いていたローマ共和政に一応の安定をもたらしたが、紀元前53年に三頭の一角であるクラッススがパルティアで敗死すると、残された2人、ローマの東方進出において輝かしい戦果を挙げたが、すでに過去の英雄となりかけていた閥族派のポンペイウスと、ガリア(フランス)、ヒスパニア(スペイン)、ブリタニア(イングランド)など西方で勢力を築いてきたカエサルとの対立が激しくなった。カエサルは女神ウェーヌス、英雄アエネアスを祖とするといわれる王統の末裔ではあったが、義理の叔父であるマリウスの後継者として、終始民衆派の立場をとっていた。閥族派は特権的な人々の利害を代表し、共和政を守ろうとしたのに対し、民衆派は民衆の支持を背景に独裁制を実現しようとしていた。

 ポンペイウスは元老院と結んで、ガリア総督であったカエサルをその職務から解任し、軍隊を解散してローマに帰るように命じるが、紀元前49年にカエサルは軍隊を率いたまま、ガリアとイタリアの境界であるルビコン川を渡り(このとき「賽は投げられた」(Ālea iacta est.)といったとスエトニウスは記している)、各地でポンペイウス派の軍隊を撃破、ついにポンペイウスはイタリア半島を脱出してギリシアの西北部エペイロス地方(ギリシアだけでなく、現在のアルバニアも含まれている)に渡る。海軍力において劣るカエサルは、イタリア半島からギリシアへと軍隊を動かすことがなかなかできなかったが、紀元前48年にイタリアに渡り、なかなか続くことができなかったアントニウスとも合流、やがてデュッラキウム(現在のアルバニアの要港デュレス)に立てこもるポンペイウス軍に対し堡塁を築いて、包囲戦を展開した。対抗してポンペイウスも堡塁を築く包囲されたポンペイウス軍は秣の欠乏、馬匹の死、悪疫による兵らの死で苦しみ、補給が思い通りにならないカエサル軍も飢餓で苦しめられる。ポンペイウスは包囲網突破を試みるが、カエサル方の百人隊長スカエウァ1人の奮闘によって最初の試みは失敗に終わる。

 戦線のこの地点で撃退されたものの、マグヌスは、包囲されたまま、
戦を先送りし、なす術(すべ)もなく、手を拱(こまね)くようなことはしなかった。
その意気込みは、さながら、東風が頭をもたげて吹きつけて、大波が
己を砕く巌を撃ち、あるいは怒涛が高い山の山腹を噛み、やがて己に落ち込む
崩落の因をなす時、消耗しながら、なおも荒れ狂う海原のよう。
(第6歌、257‐261行、34ページ) マグヌスはグナエウス・ポンペイウス・マグヌス、すなわちポンペイウスのことで、ルーカーヌスは、マグヌスという呼び方の方を好んで使っている。彼は、カエサル方の海に近い要塞を、海陸両方から攻撃して奪取し、そこから脱出に成功した。

 不覚にも、この脱出を許したカエサルは怒り狂い、ポンペイウス方の将軍の1人であるトルクアトゥスの陣営を強襲した。この動きを察知したトルクアトゥスは自軍をいったん退却させて、カエサル軍が侵入してきた段階でそれ以上の兵員を動員して敵軍を包囲しようとした。カエサル軍はトルクアトゥスの陣営に攻め込んだが、その時、ポンペイウスの軍隊が引き返してきて、丘の上からカエサル軍に攻め寄せた。カエサル軍は怯え切ってしまい、戦意を失ったままエマティア(マケドニアの一地方、ギリシアの東北の方であり、この後の両雄の対決の場であるパルサリアを含むテッサリアもこの地方に属する)を目指して逃走していく。ルーカーヌスは、この戦いでポンペイウス軍がカエサル軍の息の根を絶たなかったのを残念そうに歌っている。
 大西英文さんによる訳注には「ポンペイウスがこの時カエサル軍を壊滅させなかったことについて、プルタルコスは『ポンペイウスが何か警戒したのか、それとも偶然か、折角見事な戦果を完成させるところまで行かず」(『英雄伝』「カエサル」39節)と言い、カエサルは、ちょっとした偶然が重なった「些細なきっかけ」ゆえ(『内乱記』第3巻68節)と言っており、偶然が大きく左右したのであろう」(313ページ)と記されている。折角だから、『内乱記』(國原吉之助訳)の当該箇所を見ると、「けれども運命はあらゆる領域で、とりわけ戦争で絶大な威力をふるい、些細な契機から決定的な局面の変化をもたらすものである。その時がそうであった」(國原訳、192ページ)と記されている。

 なお、カエサルは『内乱記』第3巻70節で次のように書いている:
「このような惨敗のどん底に陥って、しかも全軍が壊滅から救われたのは、次のような事情に助けられたからである。ポンペイユスは、要撃を警戒して――と私は信じるのだ、というのも、局面が彼の期待以上にうまく展開していたからだ。実際ほんの少し前まで、彼の陣営から部下の脱走を見ていたのだ――暫くの間、冒険を犯してまで堡塁へ近づこうとしなかった。そして彼の騎兵も狭い通路にいて、これがカエサルの兵士に占拠されていたので、追跡に手間どっていた。
 こうして些細な事情が、両軍に対し重大な転機をもたらしたのである」(國原訳、193ページ)と、ここでも「些細な事情」が登場する。カエサルは「些細な事情」によって惨敗したものの、「些細な事情」によって壊滅を免れたことになる。〔カエサルの文章には多少の負け惜しみが含まれているような気もするが、戦場が広いか、狭いかというような事情も戦局を左右したのではないかという印象もある。〕

 ポンペイウスはカエサル軍を追撃しようとしたが、彼の参謀たちはもはや敵の有力な軍隊がいなくなったアウソニア(イタリア)へ戻るべきだと主張した。ポンペイウスは平和が実現しなければローマにもどることはしないと言ってその主張を退け、カエサルを追撃してテッサリアにその軍を向かわせる。こうして彼は、
・・・陽の昇る東に向けて進軍を指令し、
カンダウイアの広大な森林地帯が広がる、道なき行路を辿り、
定めが戦のために用意したエマティアの地に足を踏み入れた。
(第6歌、325‐327行、38‐39ページ)
 この後、ルーカーヌスはテッサリアの歴史、地形と地勢、故事などについて事細かに歌いあげる。 

 第7歌では、いよいよテッサリア地方のパルサリアの平原で、ポンペイウスとカエサルが対決することになるが、ルーカーヌスは、まだ第6歌を歌い続け、ポンペイウスの「不肖の」子であるセクストゥスが行った、ある行為について語る。それがどのようなものであるかはまた次回に。なお、國原は「ポンペイウス」ではなく「ポンペイウス」と表記しており、ラテン語の読み方としてはたぶん、その方が正しいのだが、日本では「ポンペイウス」の方が定着しているので、このブログでは「ポンペイウス」としている。「カイサル」ではなく、「カエサル」と表記しているのも同様な理由からである。

 カエサルの「賽は投げられた」(Ālea iacta est. Iacta alea est.ということもある。ラテン語の語順は自由なので、好きな方を使えばよい)を、ほかの言語で何というかを調べてみた。
 まず、イタリア語では Il dado è tratto.
 フランス語では    Le sorte en este jeté.
 スペイン語では    La suerte está echada.
 英語では        The die is cast. (The die has been cast.ということもある。)
 ドイツ語では Der Würfel ist geworfen worden.
 ヨーロッパの言語はみな似たようなものだと思っている人は、これを見て考えを改めていただきたい。

ルーカーヌス『内乱――パルサリア――(下)』(1)

5月2日(土)晴れ

 紀元1世紀、ローマの皇帝皇帝ネロに仕えたものの、暴君と化した彼を取り除こうととするピーソーの陰謀に加担したことにより死を命じられた詩人ルーカーヌス(39‐65)の現存する唯一の作品であるこの長編叙事詩は、彼の1世紀前であるローマ共和政末期に起きたポンペイウスとカエサルの間の<内乱>を題材とするものである。
 戦を、私は歌おう、エマティアの野に繰り広げられた、
内乱にもましておぞましい戦を、正義の名を冠された犯罪を
(第1巻、1-2行、上巻5ページ)とうたいだされるこの叙事詩は、英雄たちの武勲・功業を歌う他の古代の叙事詩とは違い、戦争の悲惨さや非道さが前面に出されている。その理由はおそらく、
①作者の戦争そのものに対する批判
②しかも、その戦争がローマ人同士が闘う内乱であったこと
③この内乱によってローマ共和政が終割、独裁制→帝政への道が開けたこと
の3点に求められるだろう。

 紀元前60年にローマの版図の東方拡大に貢献したポンペイウス、スパルタクスの反乱を鎮圧したクラッスス、イスパニア総督として勢力を伸ばしてきたカエサルの3者による密約が結ばれ、それまで動揺を続けてきたローマ共和政は安定を迎えたかに見えた(第一次三頭政治)。しかし、紀元前53年にクラッススがパルティアとの戦いで敗死すると、残る2人の間の関係が険悪化し、ポンペイウスは元老院と結んで、当時ガリア総督であったカエサルの職務を解き、軍隊を解散してローマにもどるように命令する。
 カエサルは迷ったが、結局この命令に従わずに、紀元前49年に当時ガリアとイタリアの境界とされていたルビコン川を渡り、大軍を率いてローマを攻略しようとする。ポンペイウスと元老院の軍隊は各地でカエサル派に敗れ、ポンペイウスはブルンディシウム(今日のブルンディジ)からギリシアへと海路逃亡し、大軍を集めて反攻を図る。一方、カエサルはヒスパニアのポンペイウス派を破った後、ローマにもどり、ローマでの試合態勢を固めた後、紀元前48年の1月にギリシアへと渡る。しかし、彼の後でギリシアに渡り、合流するはずだったアントニウスの動きは遅く、この年の3月になってようやくカエサルと合流したのであった。

 叙事詩は第6巻に入り、両雄は相手から遠くないところに陣地をかまえ、いつ、戦闘が始まってもおかしくない状態となる。
  二人の将が、すでに干戈を交える臍(ほぞ)を固めて、互いにほど近い
山の背に陣を構え、両軍が指呼の間に対峙して、自ら計らう伯仲の
両雄を神々が目にしたあとのこと、カエサルは、ことごとく
攻略するまでもないと、ギリシア人の都城の攻撃を軽視し、今や
婿を破って破ってあげる凱歌以外、些かの借りも運命に負うまいと
心に決めた。
(第6巻、1-6行、下巻17ページ) ここで「婿」というのはポンペイウスのことで、彼は第一次三頭政治が結ばれた折に、カエサルの娘ユリアと結婚したのである。ユリアはその後、産後の肥立ちが悪く死んで、そのこともカエサルとポンペイウスのなかを悪くする理由となった。この叙事詩の第3巻の最初の部分では、ブルンディシウムを船出して、ギリシアの西海岸にむかおうとするポンペイウスの前にユリアの亡霊があらわれ、彼にどこまでも付きまとい、悩ませることを告げるという場面がある。(もちろん、ルーカーヌスの創作である。)

 カエサルは3度にわたって自陣の中で戦旗を翻し、戦闘を辞さない姿勢を見せつけた。しかし、ポンペイウスは軍を動かすとはしなかった。ここでもルーカーヌスはポンペイウスがカエサルの「婿」であることを強調しているが、ポンペイウス(前106‐48)の方がカエサル(前100‐44)よりも年長であること、ユリアの死後、コルネリアと結婚していることを忘れてはならない。
 そこでカエサルはポンペイウス派が占拠している要衝デュッラキウムの攻略を企てた。デュッラキウムはイッリュリアの海港で、古くはエピダムノスと呼ばれた。現在はアルバニア領内でドゥレス(Durres)と呼ばれている。アルバニアでは首都ティラナに次ぐ第2の都市で、ローマ時代の円形劇場の遺跡が残っているそうである(写真で見たが、あまり保存状態は良くない)。
 一方、ポンペイウスはこの意図を読み取って、先回りをしてペトラと呼ばれるデュッラキウム近くの丘に要塞をきずいて、カエサル軍を食い止めようとした。デュッラキウムはもともと、コリントス市の植民市であったが、要害の地にあって、そう簡単に落城はしないものと思われていた。

 そこで、法外な企てが、貪欲に戦を渇望するカエサルの
心を捉えた。広大な丘陵地に散開する敵に気づかれずに、
遠く距離を置いて堡塁をめぐらし、敵を包囲しようというのである。
(第6巻、27‐29行、19ページ) 
この狭い戦の庭で、骨肉相食む内乱の狂気は荒れ狂った。
(第6巻、60行、21ページ)

 デュッラキウムを包囲しようとするカエサルの企てに、最初のうちはポンペイウスは気づかなかったが、やがて対抗して堡塁を築く。また各地に自軍の兵を散開させて配置し、敵襲に供えた。しかし、ポンペイウス軍は自軍領内での軍馬の飼料が不足しはじめていることに悩まされていた。しかし、海上の補給路から運ばれる物資がポンペイウス軍を助けていた。一方、カエサル軍は凶作による食料の不足に悩まされ始めていた。

 ついにポンペイウスは包囲網突破を決意して、脱出点を探り、カエサル軍のミニキウスが守っているところが手薄であると判断した。ポンペイウスは包囲を破って脱出できそうに見えたが、カエサルの配下のスカエファという荒武者が踏みとどまって、脱出を阻止しようとした。「葡萄樹の職杖を携える」(第6巻、141行、26ページ、「葡萄樹の職杖」筆頭百人隊長の徴である。なお、この人物は、ルーカーヌスが創作した人物と考えられる)彼は、「味方の将兵が逃げていく中、「いかなる非道の罪でも/やってのける猛者で、同胞相食む内乱では、武勇が/どれほど大きな犯罪であるかを知らぬ蛮夫であった」(第6巻、141‐143行、26ページ)。彼は全軍に対するに/荒武者一人という、前代未聞の対戦」(第6巻、187‐187行、下巻29ページ)を戦う。救援に駆けつけた大隊の前で彼は戦死するが、ポンペイウス軍の脱出は阻止される。

 いったんは脱出を阻止されたポンペイウスであったが、やがて包囲を破ってこの地を離れ、両雄の対決は別の場所(すなわち、パルサリア)へと移されることになるが、それは今後のお楽しみということで、今回はここまで。カエサルの『内乱記』にはもっと詳しく軍事行動やポンペイウス派との交渉の内容が記されていて、ルーカーヌスが大ざっぱな流れだけを叙述していることが分かる。
 前回、「少し休んで」から下巻(第6章以下)に取り組むつもりだと書いたが、うまい具合に岩波文庫版の下巻が手に入ったので、上巻に続いて取り上げていくことにした。ご了承ください。
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