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日記抄(2月12日~18日)

2月18日(火)晴れ、三ツ沢グランドの陸橋付近から頂上部を雲に覆われた富士山が見えた。

 2月12日から本日までのあいだに経験したこと、考えたこと、これまでの記事の補遺・訂正等:

2月12日
 NHKラジオ『実践ビジネス英語』の”Quote...Unquote"のコーナーで紹介された言葉:
No legacy is so rich as honesty.
            (from All's Well That Ends Well)
---- William Shakespeare (English dramatist and poet, 1564 - 1616)
(正直さほど価値ある遺産はない。)
 そんなことを言っている奴に限って正直ではないという場合が多いが、この作品の展開の中ではどうだろうか。読んだことがないのでわからない。『終わりよければ全てよし』(1603‐04?)は普通「喜劇」に分類されるが、必ずしも喜劇とは言えず、不自然な点も多いので、彼の作品の中では最も上演回数が少ない作品のようである。

2月13日
 本日の『読売』はベトナムで「日本で稼げる」と、「偽装留学」を仲介する悪質な業者が急増しているという解説記事を載せている。(このところ『読売』はこの種の記事が多い。) なぜそのような業者が増えているのか、またその口車に乗る人々が絶えないのか、背景の事情をもっと掘り下げて、ベトナム社会の問題点をあぶり出すところまで追及してほしいものである。

 昨日の『東京』は、マルチ商法の勧誘に首相夫妻と業者が一緒に写った写真が使われたことを、問題の写真入りで取り上げていた(業者の前で座って撮影に応じている首相夫妻の顔がいつもより和んで見えた)。ところが、本日の『朝日』「焦点採録」によると、首相は「その人物は存じ上げない。政治家だから歩いている時に「撮ってくれ」と言われれば」断らないと答えたそうであるが、問題の写真を見る限り、不自然な返答である。「存じ上げない」などという怪しげな敬語を使うところがますます怪しい。自分の写真を許諾なく使用されたことについて、業者を相手に訴訟を起こすくらいのことをしなければ有権者は納得しないだろう。

2月14日
 NHKラジオ『まいにちフランス語』応用編「フランスで『世界』と出会う」は、昨日に引き続きマルセイユを取り上げている。
Marseille est la ville cosmopoplite par excellence. Depuis l'Antiquité, les bateaux d'immigrés y accostaient e les migrants s'installaient dans la ville. (マルセイユは、とびきり多民族的な街。古代から、移民を乗せた船がここにやってきたし、移民たちはこの町に身を落ち着けた。)
と解説されている。1915年の大虐殺後にやってきたアルメニア人や、地中海を渡ってやってきたマグレブ系の人々のコミュニティーがあることが述べられていたが、もともとこの町がマッサリア(ラテン語ではマッシリア)というギリシア人の植民都市であったことをまず書き記すべきであろう。

 安岡章太郎『利根川・隅田川』(中公文庫)を読み終える。利根川とその水域の歴史について語る際に避けて通ることができないのが、足尾鉱毒問題であって、その点で、巻末にこの本についての平野謙の論評が掲載されているのはきわめて適切な編集であると言えよう。戦後、文部大臣をつとめたこともある経済学者の高橋誠一郎が、慶応の学生だった時代に、田中正造を招いて塾内で講演会を開こうとして、当局から禁止された、理由を尋ねたところ、本校には古河の子弟が在学しているからだと言われたことを書き記している。書き残しているところに、高橋の良心がうかがわれる。
 一方、黒岩涙香は『萬朝報』の連載記事「弊風一斑 蓄妾の実例」で「鉱毒大尽古河市兵衛は有名なる蓄妾家なるが、我輩の探り得たるものを挙ぐれば左の如し」として、6例を挙げ、「この外に未だ2,3人ある由なれば分り次第に記す可し」(黒岩涙香『弊風一斑 蓄妾の実例』、現代教養文庫、24ページ、25ページに古河の似顔絵が掲載されている)と、別の方面からの攻撃を仕掛けている。なお、古河もさるもので、ついに残りの2,3人は記事に取り上げられないままで終わっている。

 なお、足尾鉱毒問題を取り上げた小説として平野が紹介している『渡良瀬川』の作者大鹿卓は、金子光晴の実弟である(実は長いこと、大鹿の方が兄だと思っていた)。

2月15日
 『東京』は明治大学ラグビー部監督として67年にわたりチームを率い、1996年に95歳で他界した北島忠治さんの指導精神“北島イズム”に迫ったノンフィクション『紫紺の誇り』(ベースボール・マガジン社)の著者である安藤貴樹さんのインタビューを掲載している。ラグビーについてはあまりよく知らないが、「前へ」という北島イズムは好きである。学生相手の指導方針は単純明快な方がいい。

 同じく『東京』の「週刊 ネットで何が…」というコーナーで、崎陽軒のシウマイ弁当をめぐる話題を取り上げている。書き手の中川淳一郎さんはこの弁当が「ビールのつまみとして最適だ」と書いたことがあるというが、どちらかというと私は水割りの缶を開けて飲みながら、この弁当を食べるほうが好きである。

2月16日
 『朝日』の「天声人語」欄に、ゴーゴリの喜劇『検察官』のことが触れられていた。「ロシアの文豪」とあるのだが、ゴーゴリはロシア語で執筆活動をしたものの、ウクライナ人である。それで以前はロシアの5大文学者というとプーシキン、ゴーゴリ、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイだといわれていたのが、ソ連邦解体後は、ゴーゴリと入れ替わってレールモントフが挙げられるようになった。このあたり、書き方に気をつけてほしいところである。

 同じ『朝日』の「声」欄に、大分県の中学生が学校の読書の時間を楽しみにしているが、「振り仮名」つきの本を読んではいけないという規則があるのが納得がいかないという投書をしていた。指導している先生としては、振り仮名付きでない本を読んで、読み方が分からない語句は辞書で調べるのが勉強だという考えなのであろうが、もともと振り仮名が付いていない文章を、編集者が後から振り仮名をつけている場合と、著者自身がわざわざ(何らかの意図をこめて)振り仮名をつけている場合とがあるという事情が理解できていないのではないだろうか。振り仮名があるとかないとか、そういう細かいところにこだわっているのは、読書を推進するという趣旨からすればおかしい。

 横浜FCはルヴァン杯のグループ・ステージ第1節で広島サンフレッチェと対戦し、0‐2で負けた。この試合、なぜか前売り券が入手できず、当日、天気も悪いし、体調も悪かったので観戦を取りやめたのだが、後になって座席には十分な余裕があったことを知った。どうも残念なことをした。試合内容を後で分析する限り、敗戦をそれほど気にする必要はないと思う。しかし、早く白星を挙げてほしい。
 1153回のミニtoto-Aが当たった。世の中、うまくいかないこともある一方で、いいこともある。

2月17日
 『日経』に駿台教育研究所の石原賢一さんが大学入試改革の迷走は共通試験が肥大化して、いろいろな要素を詰め込みすぎた結果、性格があいまいになったことによるという意見が掲載されていた。対策として、大学側は選抜目的を明確にして、そこから試験について再考すべきだというのである。傾聴すべき意見である。

 倉本一宏『藤原氏』(中公新書)は、たしか一昨年に購入して、時々覗いては見るのだが、完全に読み通す気が起こらないままであった書物であるが、やっと本格的に読んでみようという気持ちになった。中臣鎌子(中臣鎌足)と葛城皇子(中大兄皇子)が知り合ったのは、蹴鞠の場であったというのは『藤氏家伝」の記述で、『日本書紀』には法興寺(飛鳥寺)で行われていた打毬(だきゅう、ポロのような競技)の場であったと記されている由である。(10ページ) どちらにしても、後世の創作であろうが、なぜか(『日本書紀』の方が編纂年代は古いし、史料としても信頼性が高いのに)蹴鞠説の方が一般に普及している。
 なお、『水滸伝』のはじめの方で高俅が端王といった後の徽宗に気に入られるきっかけがやはり蹴鞠であって、こちらも創作であろうが、暗主と佞臣の出会いというこの設定の方がリアリティーがある。

2月18日
 『日経』に短期連載されているエール大学助教授成田悠輔さんの「教育をデータで斬る」はその第2回で、学歴(というよりもこの場合「学校歴」であるが)に関わる言説を批判して、「有名校の生徒はその学校のおかげで優秀なのではなく、そもそも成績優秀な生徒が、有名校に入っているだけ」という研究結果を紹介している。成田さんの意見に反対ではないのだが、こういう議論は論拠を数量的に明示して進めないと説得力を持たず、そのようなデータが示されていないのが残念である。

 NHKラジオ『まいにちロシア語』では、昔ロシアが北アメリカの一部を領有していた(1867年に売却)ことが語られた。アラスカだけでなく、カリフォルニアまで影響力はおよび、毛皮交易を主な事業とする露米会社がその経営にあたっていたという。

 野村克也さんの現役時代の背番号が19であったことはよく知られているが、別のことを調べていて、阪神→毎日で捕手として活躍された土井垣武さん(1921‐99)の現役時代の背番号で、一番長く使われていたのがやはり19であったことを知った。わたしがいちばん最初に見たプロ野球の試合は大映スターズ対毎日オリオンズの対戦で、土井垣さんがホームランを打って試合後、何やら大きなホームラン賞の商品をもって引き上げているのを見たことを記憶している。それかあらぬか、野球のポジションではキャッチャーに一番興味がある。なお、私が見た中で一番すごい捕手は(その時は、子どもだったから、それほどすごいとは思わなかったが)ヨギ・ベラである。
 野村さんについて言うと、横浜スタジアムでベイスターズとタイガーズの試合があった折に、タイガーズの監督であった野村さんが抗議に出てきて、後の方で「あっ、野村さんだ! テレビで見るのとそっくり」と叫んだ女性がいたことが一番印象に残っている。テレビで見るよりも、いい男だとかなんとかいわれなかったのが、ご本人としては無念であるかもしれない。

 ただでさえ体調が悪く、体を動かすのが億劫なのに、新型肺炎の流行とは困ったことである。新型肺炎は血圧と、血糖値が高い高齢者が危ないというが、3つの条件すべてにあてはまるので気をつけている。昨日(17日)の『読売』に政府の専門家会議のメンバーの名前が出ていたが、私が通っている病院の関係者が2人も名を連ねていた。治療を受けている一方で、感染症研究の実験材料にもされているのである。
  
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日記抄(2月5日~11日)

2月11日(火)晴れ、三ツ沢グランドの陸橋付近から富士山が見えた。

 2月5日から本日までのあいだに経験したこと、考えたこと、その他、これまでの記事の補遺・訂正等:
2月5日
 NHK『実践ビジネス英語』の”Quote...Unquote"のコーナーで取り上げられた言葉:
Nothing will ever be attempted if all possible objections must be first overcome.
          (from The History of Rasselas, Prince of Abissinia)
        ---- Samuel Johnson (English lexicographer and author, 1709 - 84)
考えられるすべての反論を最初に克服しなければならないのであれば、何事も決して試みられないだろう。
 サミュエル・ジョンソンのこの作品は朱牟田夏雄により『幸福の探求――アビシニアの王子ラセラスの物語』という表題で翻訳され、岩波文庫に収められていて、この言葉はその第6章でラセラスの問いに対する、技術家の答えの中に出てくる。物語に描かれるアビシニアでは、王子・王女は王位に就くまでは谷間の宮にとじこめられ、その代わりに幸福と快楽の日々を送ることになっていた。しかし、ラセラスはその境遇に不満を覚え、外の世界に出ようと思って、技術家に空飛ぶ機械を発明してもらおうと考えたのである。

2月6日
 NHKラジオ『まいにちフランス語』応用編「フランスで『世界』と出会う」はカナダのケベック州から見たフランスという話題を取り上げていた。番組の終りのフロランス・メルメ=オガワさんのおしゃべりの中で、ケベック出身の映画俳優・監督であるグザヴィエ・ドランの話題が出てきたが、最後のところで、同じケベック出身のフィリップ・ファラルドーと、その作品『ぼくたちのムッシュ・ラザール』の話題も出た。この作品は、私も見たことがある。

 同じく『まいにちスペイン語』応用編「すばらしきラテンアメリカ」では、ペルーの国民的歌手チャブカ・グランダ(Chabuca Granda, 1920‐83)と、彼女の代表的な歌”La Flor de la Canela"(日本では「シナモンの花」として知られる)が紹介されたので、YouTubeで探してみたが、探し出すことができなかった。

 同じく『高校生からはじめる「現代英語」』は”Loch Ness mystery possibly solved"(ネス湖の謎 もしかすると解けた)という話題を取り上げた。ネス湖に住むとされる伝説の怪物について科学者たちが調査した結果、その正体は巨大なウナギ(very large eels)かもしれないということである。
 わたしは、恐竜には興味がないが、ネス湖の怪物は恐竜の生き残りではないかと考えるほうが面白いとは思っている。以前にも書いたことがあるが、エディンバラの土産物店で、ネス湖の恐竜が観光局宛に、この間食べた観光客はおいしかったので、もっと観光客をよこしてくださいという手紙を書いているという図柄の絵葉書を見たことが忘れられない。番組中のDiscussionでハンナ・グレースさんが
I actually enjoy the idea that there are some mysteries in the world that science can't resolve. (実際のとrころ、世界には科学で解決できない謎がいくつかあると思うと楽しいのです。)
と言っていたのに同感である。
 番組のあと、lochつながりでスコットランド民謡”Loch Lomond"をYou Tubeで探して聞く。

 カーク・ダグラスさん死す。103歳という長寿に加えて、息子のマイケル・ダグラスも俳優・製作者として大成。思い残すことのない人生だったと思う。出演作では『海底二万哩』(1954、ディズニー、リチャード・フライシャー監督)の銛打ちのネッド、『OK牧場の決闘』(1957、パラマウント、ジョン・スタージェス監督)のドック・ホリデー役が印象に残っている。昨年、シネマヴェーラで『三人の妻への手紙』(1949、日本公開1950、FOX、ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督)を見て、若いころの姿に接し、印象を新たにしたことも忘れられない。2月8日の記事の繰り返しになるが、ご冥福をお祈りしたい。

2月7日
 『日経』のコラム「私見卓見」に東北大学工学部長の長坂徹也さんが、「学力そぐ就活の見直しを」という一文を寄せている。学生が授業そっちのけで就職活動にはげめば、その分、学力はつかず、ご本人も、大学も、採用する企業の側も損をするので、就職者の採用について、もっと学生が勉強に専念できるように、就職・採用活動の早期化・長期化をやめてほしいというものである。工学部以外でも同じような事情があるのではないかと思う。実情に見合った改善の方向が開けていくといい問題である。

 伊藤邦武、山内志朗、中島隆博、納富信留編『世界哲学史1 ――古代Ⅰ 知恵から愛知へ』(ちくま新書)を読み終える。このシリーズは、いずれ本ブログで取り上げていくつもりだが、長大な連載になりそうだ(途中で終わることになるかもしれない)。

2月8日
 『朝日』の解説記事「いちからわかる!」ではオリオン座のペテルギウスが爆発して超新星になるのではないかという(このブログでも取り上げたことがある)最近の話題について取り上げている。その中で、「有名なのは1054年の超新星で、歌人の藤原定家が日記『明月記』に記した」とあるが、やや不正確な書き方である。なぜなら、藤原定家(1162‐1241)は超新星が出現した1054年の時点ではまだ生まれておらず、『明月記』には、過去の出来事として記載されているからである。

 『朝日』の連載漫画『ののちゃん』で父親が電話で5箱分をまとめて売っているティッシュを買ってきてくれと言われて、まちがえて5箱分のマスクを買ってくるというのは、マスクが不足している昨今の事情を考えると極めて不適切ではないかと思う。今回に限らず、いしいひさいちさんのこの漫画は、つまらないとは言わないが、笑いの質が朝刊の漫画としては適切ではないような気がする。

 『朝日』の土曜版の付録「be」で高等学校の学習指導要領における国語の科目の変更をめぐって、「教科書に小説は必要ですか」という記事が出ていたが、教科書に掲載されている小説は、部分的に省略されていることが多いのが問題ではないかと思う。授業の中で小説を取り上げることには賛成だが、その場合、教科書から離れて自由に教師が教材を選択できるようにした方がいいと思う。なお、このことに関連して、東大名誉教授で『知の技法』シリーズの編集者であった船曳建夫さんが「韻文の扱いこそ重要」という意見を述べていたのが印象に残った。ただ、韻文にもいろいろな種類があるので、そのあたりをどのように取り上げていくかは工夫を要するところである。

2月9日
 『東京』に浄土真宗本願寺派の僧侶である江田智明さんが「今どき 『お寺の掲示板』(上)』という文章を書いていて、「お寺の門前に設置されている掲示板。そこに張り出されている文言を立ち止まって読んだことがあるという方は多いのではないでしょうか」と語りかけている。そういう掲示板は、それぞれの町の古くからある寺町の寺の一つの前に設けられていることが多い…ような気がする。

 佐藤弘夫『アマテラスの変貌 中世神仏交渉史の視座』(法蔵館文庫)を読み終える。この本については、また機会をあらためてゆっくり論じていきたいと思う。

2月10日
 NHKラジオ『まいにちフランス語』の2月の放送はインド洋に浮かぶレユニオン島を舞台にして様々な会話が展開されるが、番組の終りの方のおしゃべりで、
Quand ariive le printemps, pas de cerisiers, mais les jacarandas sont couverts defleurs violettes.
春が来ると桜ではなく、ジャカランダという気が紫色の花で覆われてきれいなんだ。
という発言があった。1月に別府葉子さんのライヴで、ジャカランダの花の話が出てきたことを思い出した。

2月11日
 『東京』には「編集日誌」というコラムがある。他紙ではあまり見られないコーナーだが、本日は連載漫画『ねえ ぴよちゃん』を取り上げていて、この漫画の家庭的な雰囲気を自賛している。この『ねえ ぴよちゃん』、『読売』の『コボちゃん』、『朝日』の『ののちゃん』と、朝刊の連載漫画には小学生を主人公にした(もともと『コボちゃん』は就学前だったのが、連載が長く続いて小学生になった)作品がそろっているが、家庭的でほんわかした雰囲気で朝の気分を和ませるという点で、『ねえぴよちゃん』が他に抜きんでていると思う。

 IR汚職で逮捕された秋元司議員が3千万円の保釈保証金を納付して、保釈された。ゴーン被告のように国外に逃亡したりする恐れは…ないだろうね。
三千万 保釈金にも格差かな
レバノンに 逃げても言葉が通じない

 『NHK高校講座 現代文』の芥川龍之介「鼻」を取り上げた回が終わる。講師の先生が作品の受け取り方はいろいろだろうというようなことを言っていたが、この点は重要である。学習指導要領の改訂で導入される「国語論理」は、生徒が様々な方向に自分の思考を展開させることを勧奨するのか、それとも画一的な方向に向かわせようとするものなのか、その点も重要な問題になるのではないだろうか。
 

日記抄(1月29日~2月4日)

2月4日(火/立春)朝のうちは晴れていたが、次第に雲が多くなる。日没後、雨が降り出す。

 1月29日から本日までのあいだに経験したこと、考えたこと、その他これまでの記事の補遺・訂正等:

1月17日
 NHKラジオ『実践ビジネス英語』の"Talk to Talk"のコーナーで講師の杉田聡さんがこんな発言をしていた。
 And even today, Japanese children are taught to be independent early on. Foreign media have reported with amazement on Japanese schoolchildren riding the subway all alone. In the United States, parents can be charged with neglect and endangerment for allowing their young children to walk to schol or play in the park without close adult supervision.
 (そして現在でも、日本の子どもたちは早くから自立するように教えられます。外国のメディアは、日本では就学児童がたった1人で地下鉄に乗っていると、驚きをもって伝えました。アメリカでは、大人の目がきちんと届かない状態で、幼い子どもを学校まで歩いて行かせたり公園で遊ばせたりすると、親は育児を放棄し子どもを危険にさらしたとして、起訴される場合がりますからね。) 
 日本の子どもがどのように小学校に通うかには、地方・地域によって違いがあり、電車やバスを利用する例もあるが、それがすべてではない。私の住んでいる地域では、徒歩で集団登校している。自分が見た一例を、ごく一般的な事例だと拡大解釈してしまうのは危険である。

1月27日
 NHKラジオ『まいにちロシア語』のロシア人パートナーは2人ともウラジオストックの出身だそうで、この日、ウラジオストック出身の有名人を挙げてほしいといわれて、1人がユル・ブリンナー(1920‐1985)の名を挙げていたのが印象に残った。講師が、ブリンナーについて『荒野の七人』に出演したと紹介していたが、ブリンナーの名を高からしめたのは、『王様と私』で、舞台でトニー賞を、映画でアカデミー賞を受賞している。

1月29日
 『朝日』の「多事奏論」のコーナーで、駒野剛記者が「太閤秀吉も宰相も 権力者は花見がお好き」という表題で、慶長3年(1598年)3月15日に秀吉が催した醍醐の花見と、首相主催の「桜を見る会」とを対比している。醍醐寺は真言宗の有力な門跡寺院で、戦乱で荒廃していたのを秀吉が復興して、花の名所として知られる吉野をはじめ、各地から桜の木を移植して、大掛かりな花見を行った。それに比べると、安倍首相の「桜を見る会」はささやかなものである。いや、ささやかというよりせこいという感じがするのは、伝統的な「花見」とちがって、「桜を見る会」は開花期の遅い八重桜を見る会だということであり、開花期が遅いから予算が組めるというところにせこさを感じるのである。
 それから、余計なことを書き添えておくと、「宰相」は「鉄血宰相ビスマルク」とか、「憂国宰相カヴール」とか、「平民宰相原敬」という風に、首相の別名として用いられることもあるが、王朝政治の官職の中では、公卿の最下位に位置する参議のことを「宰相」と呼んでいたことも忘れてはならないだろう。

 本間順治『日本刀』(岩波新書)を読み終える。戦前に出版された書物であるが、今なお版を重ねている。日本刀そのものよりも、製鉄・製鋼をめぐる興味があって読んだのだが、名刀と呼ばれるような日本刀を一振りたりとも見逃さずに、その行方を追い続けようという著者の執念が感じられる。

1月30日
 NHKラジオ『エンジョイ・シンプル・イングリッシュ』の木曜日の放送は、落語をもとにした短い話を英語で放送しているが、今回は「権助提灯」を取り上げていた。ある風の強い日、金持の旦那が奥さんに火事になると大変だから妾宅に行ってやりなさいと言われて、妾宅に出かけると、愛人の方は奥さんに申し訳ないといって本宅に返そうとする。お互いに相手のことを思い遣っている本妻とお妾さんのあいだを旦那が行ったり来たりするうちにとうとう夜が明けてしまうという噺である。
 権助というのは昔の商店で店頭ではなく、家事のために雇われていた使用人で、落語では都会に出てきた田舎者という役回りで登場することが多い。明治時代の速記本などを読むと、ただの粗野な田舎者という描き方になっていることが多いが、その後時を経て、気が利かないけれども正直で曲がったことが嫌いという性格の持主として描かれるようになってくる。これは寄席の客として、地方から都会にやって来た人が多くなってきたことと対応する変化であろう。この話では、権助が提灯のろうそくの無駄遣いを叱る旦那に向かって、本妻のほかに、妾を持つのがそもそもの無駄だなどと口答えをする辺りが面白いのだが、そのあたりは英語版では省かれていた。

 『アルジャジーラ』によると、バングラデシュ政府はロヒンギャの子どもたちのために学校教育を提供するという計画を認めたそうである。最近にない明るいニュースではあるが、当然のことがニュースになるというのは困ったことだ。

1月31日
 『まいにちスペイン語』応用編「すばらしきラテンアメリカ」は、「『解放者』シモン・ボリバル」として、中南米のスペインからの独立のために尽力したシモン・ボリバル(1783‐1830)の生涯を紹介した。ベネズエラの裕福な家庭に生まれ育ったボリバルは、ヨーロッパに留学中にマドリードの由緒ある家の娘マリアと知り合い、結婚したが、帰国後まもなくマリアが黄熱病で死んだことからヨーロッパに戻り、そこで彼がいつもクリオージョ(criollo=中南米生まれのスペイン人、本国生まれのスペイン人はpeninsular)と見なされていたことから、独立への志向を高めるようになる。
 Bolívar contribuyó a la independencia de Venezuela y de otros paísajes. Por eso se le conoce como el Libertador.
(ボリバルはベネズエラと(イスパノアメリカの)他の国々の独立に貢献しました。それゆえ、彼は「解放者」として知られているのです。) 彼はイスパノアメリカの連帯を求めていたのだが、各共和国は関心を示さず、失意の中に世を去ることになる。「いったいどうやったらこの迷宮から抜け出せるんだ」というのが彼の臨終の言葉と伝えられる。ガブリエル・ガルシア=マルケスが彼の最後の日々を『迷宮の将軍』という小説の中で描いていることもよく知られている。

2月1日
 毎月、1日付の各紙に『選択』という雑誌の内容をかなり詳しく紹介する広告が掲載されていて、雑誌を講読する経済的な余裕がないので、広告だけ読んで勉強させてもらっている。今回は「カネまみれの『大学入試』利権」として、大学入試「改革」が政官民の癒着による「利権」あさりの手段と化していることが暴露されているようである。一方、『朝日』の「多事奏論」のコーナーでは山脇岳志記者が、入試改革の理念・目的について「『忖度する主体性』にならないか」という疑問をぶつけている。雑誌が「事実」を追求し、新聞が「理念」を問うのは悪いことではないが、やっていることが逆のような気がしないでもない。

 『朝日』の書評欄でクロード・レヴィ=ストロース『われらみな食人種(カニバル) レヴィ=ストロース随想集」(創元社)が取り上げられ、同紙の「大澤真幸が読む 古典百名山」でもレヴィ=ストロースの『野生の思考』が取り上げられていた。
 大学院時代に、梅棹忠夫が出張講義をした際に、レヴィ=ストロースの研究はフランス帝国主義の産物だと言ったという話を伝え聞いたことがある(別に、帝国主義の産物だから悪いと言ったわけではないと思うが、聞いた人は、そう受けとめて、梅棹の研究だって日本帝国主義の産物だと思ったようである)。それはさておき、梅棹は、近代主義者というか、進化論者というか、そういう思考の持ち主だったから、レヴィ=ストロースには批判的だったろうと思う。

2月2日
 『日経』の「名作コンシエルジュ」はジュディ・ガーランド(1922‐1969)が1961年にカーネギー・ホールで行ったコンサートの録音を取り上げている。この記事では彼女が『オズの魔法使』(1939)で成功を収めた後、「スリムな体型を維持し、長時間眠らずに働けるように、映画会社から薬漬けにされてしまったのだ」と、その後の悲劇的な人生を説明しているが、彼女はもともとあまり「スリムな体型」ではなかったので、この説明には無理があるのではないかという気がする。

2月3日
 『日経』に連載されている「大岡山通信」で池上彰さんが、新型肺炎の感染拡大のニュースからカミュの『ペスト』を思い出したと書いている。「舞台はフランスの植民地だった北アフリカ・アルジェリアの都市。ペストが発生し、外部への感染拡大を防ぐために都市は封鎖されます。」
 「封鎖」というのは比較的近代になってからの措置である。むかし、ヨーロッパでペストのような疫病が流行すると、特に裕福な人々は感染を避けるために、郊外の別荘のようなところに逃げる。ボッカッチョの『デカメロン』はそうして難を逃れた男女が時間つぶしに物語る話を集めたという構成になっているのはご存じだろうと思う。
 デフォーの『ペスト』は1665年にロンドンを襲った伝染病の脅威におののく人々を描いた記録文学風の作品であるが、このときまだ幼児であったデフォーが、この災厄を実際に体験したのか、それとも地方に逃れて傍観したのかについては意見が分かれているらしい。とにかく、デフォーの『ペスト』の語り手は、ずっとロンドンにとどまって疫病の蔓延とその終りを見届けている。そこに「神の意志」を見ているところが、注目されるところではある。 

2月4日
 『日経』朝刊の「私見卓見」のコーナーに自修館中等教育学校進路情報室長である川澄勤さんの「大学入試 知識偏重やめよ」という論説が発表されていた。この種の主張はこれまで何度も繰り返されてきたもので「思考力や主体性は国際競争を生き抜く人材に不可欠だ。課題発見と問題解決の力を身につけさせるのが望ましい教育だ」というのも陳腐きわまりない議論である。それを強く主張したいのであれば、こういう出題をすればいいのではないかという具体案を提示すべきである。
 個人的な意見を言っておけば、「知識詰込み」ではなくて、「知識応用」あるいは「知識活用」型の試験問題を出すようにすれば、この筆者の言う問題はある程度解決できるだろうと思う。そもそも、入試に出題「科目」の指定があることが問題で、歴史について言えば、科目横断的に「紀元800年の世界がどのようなものであったかを論ぜよ」というような出題ができることが望ましいのではないか。「日本は平安京奠都から間もなく…」と書く受験生もいるだろうし、「この頃、アメリカ大陸では先住民が…」などと勝手な想像をめぐらす受験生がいても、いいのではないか。それをどのように評価し、その受験生のもっている可能性をどのように伸ばしていくか…ということこそ大学入試の本当の課題なのである。学力というのは数字に還元して、序列化しておしまいというものではないのである。

 各紙の報道によると、1963年に「こんにちは赤ちゃん」でレコード大賞を受賞した歌手の梓みちよ(本名・林美千代)さんがなくなられていたことが2月3日に分かった。76歳。受賞の場面はテレビで見ていたという記憶がある。京都大学の大学祭である「十一月祭」の前夜祭は、教養部のグランドで行われ、当時、大学の総長(法律上は学長のはずだが、京大と東大ではこういうことになっている)であった奥田東さんが、一度ならず、余興として「こんにちは赤ちゃん」を歌われたことを思い出す。そのくらい流行した歌であった。
 個人的にそれほど好きな歌い手さんではなかったが、歌はよく聞いていた。特に印象に残っている歌は「忘れな草をあなたに」である。ほぼ同年代の方なので、訃報に接して愕然とした思いにとらわれる。謹んでご冥福をお祈りする。

2020年の2020を目指して(1)

1月31日(金)晴れ、部屋の中にいる分には温暖だが、外に出ると結構風が冷たい。

 昨年同様、新年を東京で迎え、元日のうちに横浜に移動した。その後何度か東京に出かけた。
 足跡を記したのは都道府県単位では、東京都と神奈川県。
 市区町村単位では、横浜市、渋谷区、新宿区、文京区の1市3区である。
 利用した鉄道は会社別でみると、東急、東京メトロ、横浜市営地下鉄の3社、
 路線別では東急の大井町線、東横線、目黒線、東京メトロの南北線、半蔵門線、横浜市営地下鉄のブルーラインの6路線を利用している。
 飯田橋、渋谷、坂東橋、本駒込、横浜の5駅で乗り降りし、
 乗り換えのために、大岡山、自由が丘、永田町、武蔵小杉の4駅を利用している。
 利用したバスは会社別でみると、相鉄と横浜市営の2社、
 相鉄の6路線、市営の8路線、合計14路線を利用し、
 7か所の停留所で乗り降りしている。〔47〕

 この記事を含めて31件の記事を書いた。内訳は日記が1件、日記(2020)が5件、読書が8件、読書(歴史)が6件、梅棹忠夫が2件、『太平記』が4件、ジェイン・オースティンが4件、詩が1件である。コメントを4件、640の拍手を頂いた。〔35〕

 10冊の本を買い、5冊を読んだ。例年に比べて調子が悪い。読んだ本を列挙すると、マキアヴェッリ(池田廉訳)『君主論』(中公文庫)、倉本一宏『公家源氏』(中公新書)、松原隆彦『宇宙は無限か有限か』(光文社新書)、望月麻衣『京都寺町三条のホームズ⑬ 麗しの上海楼』(双葉文庫)、本間順治『日本刀』(岩波新書)
ということである。本はすべて紀伊国屋横浜店で買っている。〔6〕 

 『ラジオ英会話』を18回(1月27日と29日の放送分を聴き逃しているが、2月2日の再放送で聴くつもりである)、『入門ビジネス英語』を8回、『遠山顕の英会話楽習』を11回(1月21日の放送分を聴き逃し、再放送を聴いたのだが、途中で寝てしまって全部は聴いていない)、『高校生からはじめる「現代英語」』を8回、『実践ビジネス英語』を12回聴いている。
 『まいにちフランス語』入門編を12回、応用編を8回、『まいにちスペイン語』入門編を12回、応用編を8回、『まいにちイタリア語』入門編を12回、応用編を7回聴いている。フランス語、スペイン語、イタリア語ともに入門編は以前に放送されたものの再放送であり、聞き覚えがある内容が少なくない。応用編を聞いていると、フランス語、スペイン語に比べて、イタリア語の力が劣っているという実感がある。〔116〕

 横浜・若葉町のシネマ・ベティーで『台湾、街角の人形劇』(2018、台湾、楊力州監督)を見た。昨年に比べて、少しでも多くの映画を見ようと思っているが、さて、どうなるか。〔2〕

 神楽坂のThe Gleeまで別府葉子さんのシャンソン・ライヴを聴きに出かけた。〔1〕

 ニッパツ三ツ沢球技場で全国高校サッカー選手権の2回戦2試合を観戦した。〔3〕

 美術展に出かけたことはなく、史跡や名刹を訪問したこともない。
 体調はあまりよくないのであるが、かえって酒を控えようという意欲がわかず、だらだらとアルコール類を飲み続けている。

 この「20**年の20**」というシリーズは2011年から2020年まで続けるつもりで、記録をとってきたのだが、達成できなかった年もあるので、2025年まで続けていくことにした。もっとも、それまでこちらが体力・気力を維持していくことができれば…の話である。 

日記抄(1月22日~28日)

1月28日(火)雨

 1月22日から本日までのあいだに、経験したこと、考えたこと、これまでの記事の補遺・訂正等:

1月22日
 NHKラジオ『まいにちスペイン語』では、登場するアルゼンチン女性とガイド役の日本青年が北海道大学のキャンパス内にあるクラーク博士の銅像の前に立つ。有名な「少年よ大志を抱け」(Boys, be ambitious!)」という言葉を、スペイン語でいうと、”¡Chicos, id lejos, perseguid vuestros sueños!"(青年たちよ、成功をつかめ、夢を追え!)というのがふさわしいが、長くて複雑なので、放送では、英語からの直訳で”!Chicos, sed ambiciosos!"としておいた。というのは、スペイン語のambiciosoには「野心満々の、欲望むき出しの」という、あまりよくないニュアンスが含まれているからだとのことである。
 さて、”Boys, be ambitious!"を「少年よ、大志を抱け」と訳して、その精神を広めたのが、札幌農学校の1期生として、直接クラーク博士の薫陶を受けた大島正健(1859‐1938)で、彼は後に甲府中学(現在の山梨県立甲府第一高校)の校長になった。この学校で留年を繰り返していた生徒の1人が、そのおかげで大島に出会うことができ、彼の人格に触れて発奮し、ジャーナリスト、政治家として大成した。石橋湛山である。甲府第一高校には、石橋による”Boys, be ambitious!"の碑が残っているそうである。
 私の小学校時代の担任の先生の1人が厚木の方で、卒業してだいぶ経ってから先生を訪問した際に、大島正健の話題が出て、大島家というのは海老名の名門なんですよと教えていただいたことがある。

1月23日
 『朝日』の朝刊で、歴史家の樺山紘一さんがイスラム世界の多面性を理解すべきだという見解を示していて、少なくともアラブ、イラン、トルコの3つの部分に分けられると説いていたのは、北アフリカやその他のアフリカ、東南アジアのイスラーム世界をどのように位置づけるのかという問題に答えていないとはいうものの、なかなか説得力のある意見だと思った。英国の歴史家のエリック・ホブズボームがその晩年に、「アラブの春」は彼の生涯で出会ったいちばん大きな出来事だと語っていたのに比べると、歴史の動きを正確に見ている意見ではないかと思うのである。

 同じく『朝日』に「ジャワ原人」についての最近の研究の様子が紹介されていた。われわれが若いころは、ジャワ原人や北京原人は我々の先祖だと思われていたのが、現在では別の種であるということになっている。しかし、だからと言ってその研究が意味がないということにはならないのである。

 NHKラジオ『まいにちスペイン語』応用編「すばらしきラテンアメリカ」で、登場人物たちはベネズエラ西部の町メリダを訪問する。アンデスの山間にあるこの町は、首都カラカスのベネズエラ中央大学とならんで、ベネズエラを代表する学府であるロス・アンデス大学などがある学生の街・文化都市であるという。この日の『朝日』では、「ベネズエラ 続く混迷」として政権の正統性をめぐるグアイド派とマドゥロ派の争いによる混乱が取り上げられていた。メリダの町の現状はどのようなものなのだろうか。

 NHKラジオ『実践ビジネス英語』の”Quote...Unquote"で取り上げられた言葉:
The advancement and diffusion of knowledge...is the only guardian of true liberty. (from Letter to George Thomson)
           ―― James Madison Jr. (4th U.S. president, 1751 - 1836)
 知識の進歩と普及のみが…真の自由を守る。
 マディソンは合衆国建国の父と呼ばれる人々の中で最後まで生きていた人物であり、合衆国憲法の制定に大きな役割を果たした。アメリカ合衆国各地に、彼の名前を付けた地名が見いだされる。また彼の妻のドリーは、彼女を讃えた言葉から、ファースト・レディーという言葉が生まれたといわれるほどに、人気があったそうである。

1月24日
 『東京』の投書欄「発言」・「若者の声」にある高校生の、日本の社会は「遅刻にはうるさい半面、終了時刻を守らないことには”寛容”だ」という意見が掲載されていた。会議をだらだら長引かせることが好きな人というのはいないかもしれないが、知らず、知らず、そうしている人は少なくないかもしれない。

1月25日
 『朝日』朝刊の「耕論」:「『上級国民』流行する国」をめぐる社会学者の吉川徹さん、歴史学者の與那覇潤さん、歌人の山田航さんの三者三様の意見の開陳が読みごたえがあった。
 吉川さんの意見で現在の日本では「『上から目線』は冷ややかなのに『下から目線』は暖かいという傾向がある」、「不満や批判を強めるよりむしろ『エリートは頑張って』とお任せ状態で委任を与えているように思え」るという指摘が腑に落ちるところがあった。にもかかわらず、池袋の事件では「下から上層を見るまなざしが、これほど批判的な熱を帯び」たことを問題にしている。
 與那覇さんは「上級国民という言葉の使われ方には、独特のひりひりした感覚が伴ってい」るという。そこにあるのは、単なる階級意識にとどまらない悪意だとさえ言っている。というのは、この言葉遣いには「階級に欠かせない『われわれ』意識がそこにはない」からである。むき出しの『私』が「上級国民」を攻撃している。〔しかし、そういう「私」もある社会階層に属し、その社会的経済的な制約を背負って、自分の意見をぶつけているわけである。〕
 最後に山田さんは、カタカナ言葉が飛び交う中で、「上級国民」などという漢語が盛んに使われることに違和感を感じながら、「現在、さまざまな制度についてコミット(参加)できる、アクセスできる「権利」をもつこと自体が「特権」である、と考える層が増えているのではないでしょうか」と問うているが、その「特権」をもつことができる一歩か二歩手前で挫折した経験を持つ人々が増えているということであるのかもしれない。
 これらの点をめぐっては『日経』の「経済論壇から」で「格差拡大にどう対応するか」という見出しのもとに土居丈朗さんがまとめている民主主義と平等をめぐるアマルティア・センさんと、猪木武徳さんの議論なども合わせ読むといいかもしれないし、さらに同じ『日経』の読書欄で紹介されているマイク・サヴィジ『七つの階級』なども読んでみるといいのかもしれない。

 同じ土居さんの論評の中で、オックスフォード大学の苅谷剛彦さんが現在の大学入試改革をめぐり、「これまでの教育実践の蓄積から帰納して政策を建てるという発想は封じられ、実態把握を欠いたままでも、つぎつぎと教育政策の言説を生産する演繹型思考によって政策立案されてしまった」という洞察を展開していることが紹介されていて、非常に興味深かった。これは、入試をめぐってだけでなく、教育政策全般についてもあてはまる議論ではないだろうか。教育政策の策定に先立って、大規模な調査が行われた例というのをあまり聞いたことがない。
 さらに、中央大学の阿部正浩さんが、現在、敬遠されがちな職業の多くが、イメージだけで判断されているが、実はプロとしての高度なノウハウが求められているし、社会的意義もあるということが求職者に知られていないと論じているという。この苅谷さんと阿部さんの議論は、高等教育への入り口と出口をめぐる議論であって、その間の過程についても議論がもっと深まることを期待したいところである。

 同じく『朝日』朝刊にアウシュビッツ解放75年を記念する式典がエルサレムで開かれたという記事が出ていた。ドイツの大統領が「歴史から学んだと言えたらよかったが…」と複雑な胸中を吐露する発言をしたという。ナチスによる迫害の被害者であったユダヤ人の国家であるイスラエルが、パレスチナ人を抑圧しているという現状をどのように考えるかというのは、重い問いである。

 同じ『朝日』朝刊に、北京大学経済学院の教授である蘇剣さんの中国の人口統計が信用できず、その人口がすでに減り始めているのではないかというインタビューが出ていた。他山の石とすべし。

1月26日
 『日経』の朝刊で宮下志朗さん(このブログでも取り上げたラブレー『ガルガンチュワ物語』の翻訳者の1人である)が、「ある田舎貴族の日記」という文章を書いている。16世紀のフランスを生きたジル・ピコ・ド・グーベルヴィル(c1521-78)というノルマンディー最北部のコタンタン半島、シェルブールの近郊で暮らした貴族で、リンゴ栽培に情熱を注ぎ、日記にはシードルを蒸留した旨の記述があることから、現代では「カルヴァドスの父」とも呼ばれているという。実は、シャルル・ボワイエとイングリッド・バーグマンが共演した『凱旋門』という映画を見て以来、カルヴァドスは親しんできた酒で、このところ、飲んでいないが、機会があったら飲んでみたいと思っている。彼は、自分の館から外に出ることがあまりなく、そのため後世の歴史家から「出不精な田舎貴族」などと言われたが、毎日の出来事をありのままに、経済生活を中心につづった日記は、その目立たない日常のたんたんとした記述のために魅力のあるものになっているという。

 佐藤郁哉『大学改革の迷走』(ちくま新書)について、『毎日』で松原隆一郎さん、『読売』で苅部直さんが論評している。同じ日に同じ書物の書評が2紙以上で取り上げられるのは珍しいことではないが、約50年間にわたって、文部(科学)省が展開してきた高等教育政策がどう考えても〔この間に新設された「新構想大学」が、筑波大学を除いて、世界の大学ランキングの上位に顔を出していないという事実を見れば明らかなように〕、失敗だったというあまり愉快ではない事実と向き合うべき時が来ているということである。
 
1月27日
 『朝日』朝刊に同紙が河合塾と共同で実施している日本の大学を対象とするアンケート調査の結果が発表されていて、多くの大学人が私立大学が多すぎると感じていることが示されていた。

 『東京』の連載漫画・青沼貴子さんの『ねえ、ぴよちゃん』は本日でちょうど1000回を迎えた。小学校から下校するぴよちゃんと、それについてきた猫の又吉。風が強いので、又吉が風よけになろうとすると、風に飛ばされてしまい、結局、ぴよちゃんのランドセルの中に入れてもらうというもの。この漫画、登場人物が笑いの質が他愛のないものが多く、登場人物が笑顔で描かれている場面が少なくないところが好きである。さらに、連載が続くことを望む。

 『日経』朝刊に青山学院大の耳塚寛明さんが日本の子どもの読解力の低下の問題について書いていたのが、論点整理に役立つ論考であった。要するに、PISA調査で問題にされているのは一般的な読解力ではなく、IT時代に必要な読解力であるということで、この点を混乱して解釈してはならない。

1月28日
 『東京』の「本音のコラム」でルポライターの鎌田慧さんが「生活保障なき経済大国」という文章を書いている。最近、財界のえらい人たちが「生涯雇用」(終身雇用の方が一般的な言い方ではないか)、「年功型賃金」による「家族主義」的な経営=「日本的経営からの脱却」を唱えているが、そのなかで、「日本的経営」のもう1つの重要な柱であった「企業内組合」も変質を余儀なくさせられているが、それでいいのだろうかという論旨である。これは見落とされがちな論点なので、あえてここで注目を喚起しておきたい。

 『日経』に短期連載中の「装いがまとう意 十選」第7回は、藤沢の清浄光寺(=遊行寺)所蔵の後醍醐天皇の肖像を取り上げている。この図は、網野善彦の『異形の王権』の表紙にも使われたりして、『太平記』と南北朝時代の歴史に関心のある人々にはおなじみのものであるが、後醍醐天皇の即位灌頂の印明伝授者は関白・二条道平であったという記述が印象に残った。道平は、このブログにしばしば登場する二条良基の父親である。
 このブログで取り上げようと思って、機会を見失っていたのだが、1月17日に国文学者の岩佐美代子さんが亡くなられていた。京極派・北朝の歌人の研究者として独自の境地を築かれた方である。『太平記』や『増鏡』に関心を持つものとして、その業績については詳しく論じるべきなのであるが、浅学のためその域にいたらない。まだまだ努力を続けなければならないし、残された寿命の中で、なんとか頑張っていくつもりである。 
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