ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(18-1)

4月26日(水)曇り

 ベアトリーチェに導かれて、天上の世界に飛び立ったダンテは月天、水星天、金星天、太陽天を経て、火星天に達した。そこで彼は「己の十字架を背負ってキリストに続く者」(=広い意味での殉教者、第14歌、218ページ)たちの魂に迎えられる。その中からダンテの玄祖父であるカッチャグイーダの魂が現われ、自分がダンテの先祖であり、十字軍に参加して戦死したこと、彼の時代のフィレンツェは貴族と市民とが平和に暮らす市であったのが、その拡大とともに封建領主たちの<奪う文化>が市に入り込み、市の中で対立が起き、それに教皇と皇帝が介入したために争いが絶えなくなったと述べた。そしてダンテが近い将来、故郷であるフィレンツェから追放されて、仲間たちとも別れ、つらい亡命生活を送ることになるが、死後の世界を訪問して見聞したことを人々に語る義務を果たさなければならないと彼の将来を予言する。死後の世界の遍歴の中でダンテが有名な人々に会ったのは、彼のこの使命と関連する神慮であったというのである。

 自分の未来を予言(将来のことを示しているという意味では予言であるが、神意を受けているという意味では預言である)するカッチャグイーダの言葉を聞いて、ダンテは思い悩む。
すでにあの祝福された鏡は自分だけの思念を
楽しみ、私は苦味を甘さでやわらげながらも
考えては思い悩んでいた。
(268ページ) 「あの祝福された鏡」はカッチャグイーダを指す。彼は神からの叡知の光を反射しているから、鏡に譬えられているのである。「苦味」は追放の苦しみを味わうこと。「甘さ」は前回に触れたように、スカーラ家の食客になることである。

 その様子を見たベアトリーチェは悩むのをやめて、彼女が「あらゆる不正の重荷を取り除かれる方」(同上)である神とともにあることを思えと助言する。彼の地上での苦しい歩みは、地上を超えて神を目指す救いの道であり、神の前では取り除かれることになるという。この言葉に振り向いたダンテは、彼女の瞳の中に神の永遠の美が流れ込んで、それが自分にも伝わってくることを感じた。
微笑み一つの光で私を圧倒しながら、
彼女は私におっしゃった。「向きを変えて聞きなさい。
私の瞳の中にだけ天国があるわけではないのですから」。
(270ページ)

 ダンテに向かってカッチャグイーダは、火星天にいる殉教者たちの魂を紹介した。それは旧約聖書に登場するモーゼの後継者としてイスラエルの民を率いたヨシュア、紀元前2世紀にセレウコス朝シリアからのユダヤ人の独立戦争を指導したが、戦死したユダス・マカバイオス、カロリング朝第2代のフランク王であり、西欧を統一し、800年に教皇から西ローマ帝国の皇帝冠を受け、理念上のローマ帝国を復活させたカール大帝、その甥で大帝によるイスラーム・スペインへの遠征が失敗した際に、撤退する軍勢の殿軍を務めロンスボーで戦死したという(伝説上の人物である)ローラン、同じくカール大帝の時代にイスラーム勢力を相手に活躍したオレンジ公ギヨームと、その従者であったと言われる伝説の巨人ルノワール、第一次十字軍を率い、エルサレムを奪還したゴッドフロワ・ド・ブイヨン、11世紀に南イタリアからイスラーム勢力を撃退したロベール・ギスカールらの魂であった。
 これらの魂は、太陽天でキリスト教的な知を身につけたダンテに対し、その知を守るために必要な精神の強さを示すものである。それは地上に帰った預言者ダンテが、周囲の人々から迫害されながらも真理を語るために必要なものであった。

 ダンテは次に何をなすべきかを知ろうと、ベアトリーチェの方を向いた。
すると、あまりに澄みきった、
あまりに喜びにあふれたその眼光が目に入り、その姿は、
つい先ほどのものも含めてそれまでの彼女を凌駕していた。
(273ページ) こうしてダンテは火星天で見聞すべきものを見聞し、木星天へと向かうのである。

 ダンテが「殉教者」として挙げている人々には歴史的な人物とともに、伝説上の人物が含まれていることも彼の世界観や歴史認識を示すものとして興味深いが、彼らの事績がそれぞれいやに戦闘的であることが気になる。キリスト教の特に初期における「殉教者」の中には非暴力を貫いた人もいるわけで、そういう人についてダンテがどのように評価していたのかも知りたいところである。
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ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(17-2)

4月19日(水)曇りのち晴れ、依然として気温が高い
 ベアトリーチェに導かれて、天空の世界へと旅立ったダンテは月天、水星天、金星天、太陽天を経て、火星天に到着する。ここで彼は十字軍に加わって戦死した、彼の玄祖父であるカッチャグイーダの魂に迎えられる。カッチャグイーダは彼が生きていた時代のフィレンツェの貴族と市民が平和に共存していた様子を語り、この旅行から戻った後のダンテの運命を予言する。彼は金銭を必要とする画策により、彼と結んだ(大銀行家と教皇党貴族からなる)黒派によってフィレンツェを追放され、友人や家族、名誉を失い、つらい亡命生活に入るという。彼はともに追放された仲間たちからも裏切られることになるので、一人一党を貫く方がよいともいわれる。

おまえが最初に避難し最初に客として遇されるのは
階段の上に聖なる鳥を戴く
偉大なるロンバルディア人の大きな懐であろう。

この方はおまえに対して深い敬意を示してくださり、
行うことと求めることが、お前たち二人の間では、
他の人々の間で後にくるものが先に来ることになる。
(260-261ページ) カッチャグイーダは、亡命者ダンテを最初に迎え入れるのはヴェローナを支配した皇帝党スカーラ家(1311年以降皇帝代理)の当主であったバルトロメオ・デッラ・スカーラ(?-1304)であるという。(これはもちろん、1300年以後にダンテが経験したことを、「予言」の形で事後に語っているのである。)1291年にバルトロメオと皇帝フェデリコ2世の孫娘が結婚して以来、スカーラ家の旗は、階段の上に皇帝の象徴である鷲の図柄になったとされる。バルトロメオは、ダンテが何かを求める前に進んで与えたことが合わせて語られている。

この方とともにおまえは見ることになる、
生まれるにあたってこの猛き星の刻印が押された人物を。
それゆえにその人物の武勲は記憶に残るものとなるのだ。

幼い年齢ゆえ、人々はいまだこのことに
気づいてはおらぬ。なぜならこれらの天輪は
わずか九年しかこの人物の周囲をめぐってはいないからだ。
(261ページ) さらに当時まだ9歳であったバルトロメオの弟カングランデ・デッラ・スカーラ(1291-1329)がイタリアにおける帝国復活の希望を担って活動することになるだろうという。

おまえはその人物と彼の恩恵に期待の目を向けるがよい。
その方のおかげで富めるものも物乞いも境遇が変わり、
多くの人々の立場が変えられるであろう。
(262ページ) カングランデの政治によって、立場によって利害の異なる社会の各階層の状況、生活は一変するだろうというのである。そして、自分の未来の運命を知ったダンテに次のようにいう。
わしはこれが原因となっておまえが隣人たちを妬むようになってほしくはない。
なぜならお前の生命は、その者達の邪悪に罰が下る時点を超えて
未来へとはるか遠くに続いていくからだ」
(263ページ)と語っていったん口をつぐむ。

 ダンテはしかし、死後の世界の旅で多くの人の消息や出来事を聞いたが、それを地上で話せば人々の怒りを買い、黙っていれば、真実を隠したものとして、後世において自身への評価が消え去ってしまうのではないかとたずねる。
さらには星の輝きから輝きをめぐりながら空の中で、
私は聞きました、私がそのまま伝えるとすれば、
多くの人々に強烈な苦みを味わわせるようなことを。

その一方で、もし私が真実にとって意気地のない友であれば、
この時代を昔と呼ぶことになる人々の間で
生命を失うでしょう。そのことを私は恐れます。
(264-265ページ) 

 これに対してカッチャグイーダは次のように答える。
・・・「自身の、あるいは縁故のものの
恥ずべき行いにより曇った良心は、
まさしくお前の言葉を責めと感じるであろう。

しかしそれでも、あらゆる偽りを退けて、
おまえの見た一切を明らかにするのだ。
疥癬のある場所は好きに掻かせておけばよい。

というのも、お前の声は味わったばかりでは
かみつくような痛みを覚えさせるであろうが、消化されたあかつきには
生命に溢れた滋養を残すであろうからだ。

このおまえの叫びは風のように轟くであろう、
最も高い頂という頂をひときわ激しく撃つ風のように。
これが栄誉を受ける少なからぬ理由ともなる。
(266ページ) カッチャグイーダはダンテに、真実は人類の役に立ち、特にダンテの言葉は有力者や重要人物にも影響を与えるだろうから真実を語らなければならないと答えた。「高い頂」は、地上の有力者や高位の人物を意味するという説、「頂」を塔の頂と解釈して、都市の暴力的な有力者を暗示するという説があるそうである。

このことゆえに、おまえはこれらの天輪の中で、
山の中で、苦しみに満ちた谷底で、
名の知られた魂達だけを見せられてきた。

なぜならば、聞く者の心は、
目に見えぬ、人に知られぬものからなされた例や、
それ以外でも根拠のない論証による例では、

納得することも、さらには固く信ずることもできぬからだ」。
(266-267ページ) ダンテはこれまでの旅で、名高い人物ばかりに引き合わされてきたが、その死後の姿を記すことは地上の世界の多くの読者、その中には多くの為政者や学者たち(その多くは官僚である)がいるだろうが、それらの人々に確実な影響を与えるだろうと告げた。(カッチャグイーダは第15歌で彼の息子であるダンテの曽祖父が煉獄の第一環道を百年以上も回っていると告げたが、ダンテ自身はそのことを知らずに煉獄の第一環道を通過している。これは曽祖父との対話が、読者にとって意義あるものではないという判断のためと考えられる。)

 ダンテは1316年ごろにトスカーナを離れ、今回紹介したヴェローナのカングランデのもとに1320年ごろまで滞在する。ダンテは、カングランデを高く評価し、皇帝代理である彼にイタリアにおける皇帝権の復活の希望を託し、『天国篇』を捧げているが、カングランデは『天国篇』の反教皇庁的な姿勢を危惧し、出版に踏み切らなかった。原さんの「「天国篇」を読む前に」によると、カングランデの宮廷はダンテにとって必ずしも居心地の良いものでなかったようで、ダンテがカングランデに、なぜあなた(ダンテ)は宮廷の道化師ほどにも皆に喜ばれないのかと訪ねられ、人は己に似たものを評価するからですと答えたという逸話などが、ペトラルカによって伝えられているという。

 こうして彼は1320年ごろからラヴェンナのグイド・ダ・ポレンタのもとに移り、1321年にヴェネツィアへの外交交渉に出た帰りに、マラリアにかかって、ラヴェンナに戻った後この世を去っている。西ローマ帝国が亡びた時の最後の首都がラヴェンナであったのは、皇帝によるイタリア統一というダンテの希望と符合しているように思われる。

 さて、今回の文章を書きながら、私は19世紀の詩人ハイネの次のような文章を思い出した:
ダンテがベローナ(ヴェローナ)の街路を行くとき、民衆は彼を指さし、「あの人は地獄に行ってきたんだ」と囁いた。さもなくばいったいどうして地獄とすべての苦悶をあれだけ忠実に描くことができるだろうか、というわけである。そのような畏敬に満ちた信仰があるとき、…この偉大な詩人ダンテの精神から湧き出た、苦しみもがくすべての人物たちの話もどれだけか深い力を発揮するだろう…」(木庭一郎(1991)『ハイネとオルテガ』、123ページより重引)。
 ダンテが、自分の将来の運命と、自分が死後の世界への旅行によって見聞きしたことを明らかにしていくという使命とを知らされたところで、第17歌は終わる。

ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(17-1)

4月12日(水)晴れのち曇り

 ベアトリーチェに導かれて地上から天空へと旅立ったダンテは、月天、水星天、金星天、太陽天を経て、火星天に到着した。そこで彼を迎えたのは、「己の十字架を背負ってキリストに続く者」(=殉教者、第14歌106行、218ページ)の魂であり、その中からダンテの玄祖父であるカッチャグイーダの魂が彼に近づき、ダンテの質問に答えて、大銀行家に支配される以前の古き良きフィレンツェについて、さらに封建貴族と市民が一体化していたはずのこの市の各階層がどのように反目するようになったかを語った。その中では血統の高貴さが無価値であり、国や都市や家の浮沈は、天空からの影響という運命の結果でしかなく、ある人や集団や国が栄えているのは、それらが正義にかない、神に認められた高貴さをもっているからだという訳ではないことが述べられた。

 第17歌では、冒頭で、太陽神アポロンの息子であるパエトーンが無謀にも太陽の馬車を導こうとして失敗し、行動を外れて墜落した挙句、神の雷に打たれて死んだという神話が語られる。ここでは、世界の運行を制御すべき者、例えば君主や教皇や詩人、哲学者たちが、人間の能力の限界をわきまえずに行動することが批判されている。つまり、人は謙虚に己の状況を受け入れることから出発すべきだとダンテは主張しているのである。

 ダンテは、カッチャグイーダの魂に向かって、自分の未来の運命について質問を試みる。
私は、ウェルギリウスとともにあって、
魂達を治療する山に登り、
あるいは亡者どもの世界を降っていた間に、

我が人生の未来について
重くつらい言葉を聞かされました、我が身を
運命の打撃にも揺るがぬ立方体のように感じてはいても。

そこでいかなる運命が私に近づいているのか聞けば
我が願望は満たされることになりましょう。
あらかじめ来ると分かっている矢は威力が落ちるのですから。
(256ページ) ダンテはウェルギリウスとともに地獄、煉獄を遍歴している時に、自身の将来についてあいまいな形で知らされてきたが、それをはっきり聞きたいという。アリストテレス『ニコマコス倫理学』によれば、アレテー(徳)に即して活動する人は<正方形>として運を味方につけ、不運を上手に避けていくと256ページの傍注に記されている。『ニコマコス倫理学』は40年ほど前に読んだことがあるが、そんな個所があることは知らなかった。忘れたのか、読み落としたのか。

 これに対しカッチャグイーダの魂は異教(=ギリシア・ローマ)の予言者のように曖昧な言葉ではなく、はっきりした言葉でダンテに答えた。地上の世界は偶有の世界であるが、それでも神は全時空にわたる事象を映すので、神を見ると、将来のことがわかるという。それによれば
おまえはフィオレンツァを去らねばならぬ。

これは望まれ、すでに企てられている。
そしてキリストが毎日売買されている場所で
計画をもくろんでいる者により、すぐにも実行されるであろう。

罪は、敗北を喫した党派に対し、噂を理由にして
押しつけられよう、世の常のように。しかし天罰こそは
それを配剤される真理の証となるはずだ。
(258-259ページ) 「キリストが毎日売買されている場所」は教皇庁を指す。1302年に教皇ボニファティウスⅧ世はフィレンツェの黒派(急激に有力となった大銀行家と教皇派貴族)と同盟し、政権を握っていた白派をクーデターによりフィレンツェから追放した。ダンテは白派の一員であった。

おまえは何にも増して大切に愛してきたあらゆるものを
置いていくことになる。そしてこれこそが
追放の弓が最初に放つその矢なのだ。
(259ページ) フィレンツェを追放されたダンテは友人や家族、名誉を失い、つらい亡命生活を送ることになる。

おまえは身をもって知るであろう、他人のパンが
どれほど塩辛い味がするか、他家の階段を降り、登るのが
どれほど厳しい道かを。
(同上) 「他人のパン」の塩辛さとは、亡命し食客として生活する辛さのこと。また「階段を降り、登る」のは、ダンテが主人の好意で食客として3階に住むことを示す。当時の大邸宅では2階に主人一家が、3階に使用人らが住んだ。「険しい道」は政治状況等によっては彼が窮地に追い込まれることを暗示する。

そしてお前の両肩に何より重くのしかかるのは、
邪悪で愚かな仲間であろう。
おまえはその者どもとともにこのような奈落の底へ落ちることになる。
(260ページ) 亡命処分となった人々は堕落の道をたどり、ダンテにとって重荷となる。彼は1302年、1303年の夏のフィレンツェの亡命白派と皇帝党連合の対フィレンツェ黒派の軍事行動には参加したが、白派が決定的な敗北を喫する1304年のラストらの戦いには参加せず、その後は単独行動をとった。
この者どもの獣のごとき愚劣さについてはその行いが
証となるであろう。それゆえおまえの声望のためには
おまえだけで一人一党をなすがよい。
(同上) ダンテの亡命仲間の堕落について、彼は具体的には語っていない。とにかく、彼は彼らから離れて一人で歩むことになる。

 『神曲』の語り手であるダンテが地上楽園から飛び立ったのは1300年4月13日の正午のことであり、1302年にダンテはフィレンツェを追放される。実際に『天国篇』が書かれたのは1310年代の後半のことであるから、カッチャグイーダの「予言」は実は、ダンテの経験そのものであったのである。
 第17歌は、33歌からなる『天国篇』のちょうど中間点に位置し、前半部分を終わらせ、『天国篇』の結論部分となる後半への橋渡しになっている。ここで1300年以後のダンテの運命が語られているのは意味のあることである。次回に取り上げる後半では、追放後のダンテの運命が語られる。
 ダンテを追放したフィレンツェの有力者たちの大部分が専門の歴史家にしか記憶されていないのに対して、『神曲』とその作者である詩人の名が長く語り続けられているのは運命の皮肉以上のものを感じさせる。

ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(16-2)

4月5日(水)晴れ

 ベアトリーチェに導かれてダンテは地上から天空の世界へと旅立ち、月天、水星天、金星天、太陽天を経て、火星天に到着する。そこで彼を迎える魂たちの中からひときわ明るく輝く魂が現われ、自分は彼の玄祖父で十字軍で戦死(殉教)したカッチャグイーダであるという。ダンテはカッチャグイーダに向かって彼の先祖について、またカッチャグイーダの時代の(ダンテの時代から100年以上昔の)フィレンツェの様子について尋ねる。

 カッチャグイーダは
都市でさえ滅ぶがゆえ、
血統が絶えることを聞いても
不思議とも、理解しがたいとも思われぬであろう。

おまえたちの事物にはおしなべて死がある、
おまえたちと同様に。だがそれは
長く残るものでは隠れており、一方で人生は短いのだ。
(245ページ)と、都市や家にも栄枯盛衰があることを述べる。そしてダンテが質問したフィレンツェの貴族について、語りはじめる。

 まずカッチャグイーダの時代にはすでに衰えていた貴族たちの名を列挙し、彼の時代以前から彼の時代まで栄えていた(ダンテの時代には衰えたり、追放されたり、断絶していたりする)貴族たちの名を挙げる。
高慢ゆえに滅ぼされた者たちがあれほどに栄えていたのを
わしは見た。そして都市が偉業をなすたびに
黄金の玉が花の都フィオレンツァを花と飾っていた。
(248ページ)  前回も触れたが、フィオレンツァはフィレンツェの古い呼び方である。

 そしてダンテの時代まで名を知られていた貴族たちについて語る。最後に、カッチャグイーダの生きていた時代にはフィレンツェの市政の主導権をめぐる争いは起きていなかったという。
これらの人々とともに、また彼らと並ぶ他の人々とともに、
わしは見たのだ、あれほどに安らかだったフィオレンツァを、
涙をもたらす原因などそこにはなかった。
(252ページ) 教皇党と皇帝党の争い、さらにダンテも巻き込まれた教皇党内部における争いは、フィレンツェが都市として拡大し、その人口構成が複雑になってきたことにより起きたものである。
これらの人々とともにあって、わしは見たのだ、栄光と正義に満ちる
その市民達を。それゆえに百合の紋章は
逆さにされて竿の下に置かれることなどなく、

引き裂かれて朱に染められてもいなかった。
(同上) 「百合の紋章」はフィレンツェのものであるが、「逆さにされて竿の下に置かれる」は戦争に敗北したものの旗が受ける扱いである。1251年にフィレンツェの教皇党は皇帝党を追放して、市の紋章を白地に赤い百合の花に変えた。最後の行はこのことを批判的に語ったものである。

 ダンテは自分の先祖の口を借りて、フィレンツェの歴史についての自分の考えを述べているのであるが、彼の考えが復古主義的なものではなく、また彼の時代の社会のかなり正確な観察に基づいたものであったことについては、翻訳者である原さんの解説に詳しく論じられている。そして、彼の歴史観、政治観はその後のイタリアの社会思想の展開に大きな影響を及ぼしたことも付け加えておくべきであろう。

ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(16-1)

3月29日(水)曇りのち晴れ

 ベアトリーチェに導かれて、地上から天空へと飛び立ったダンテは、月天、水星天、金星天、太陽天を経て、火星天に到着する。そこで彼は、彼の玄祖父であるという魂に出会う。カッチャグイーダと名乗るその魂は、古き良き時代のフィレンツェの市民であり、神聖ローマ帝国皇帝であるコンラートによって騎士に叙任され、十字軍に参加して戦死(殉教)したのだという。

おお、芥のごとき、血統による我ら人の高貴さよ、
人の欲求が病むここ下界で、
おまえが人々を惑わしておまえのことを誇示させようとも

私にとって驚くべきことではない。
というのも欲望が歪むことない場所、
告白すれば、天空にあってでさえ、私は自分の血筋を誇らしく思ったからだ。
(238ページ) 『神曲』という作品は、ダンテが地獄、煉獄、天国への旅を終えて地上に戻った後で、その経験を思い出して書かれたという形式をとっている。それで、地上の人々が「芥のごとき、血統による我ら人の高貴さ」に惑わされていることについて触れ、自分自身も天国で先祖が騎士であったことを初めて知り、誇りを感じたと告白する。天国にあっては、血統はどうでもいいことである。

そう、お前はすぐに短くなる外套だ。
日々継ぎ足されねば、
時の鋏に切り落とされていく。
(同上) 血統などというものは時間の推移によって、価値を減じる可能性のあるものだという。そう言いながら、ダンテは自分の先祖に向かって「閣下」と呼びかけてしまう。これを聞いたベアトリーチェは、地上世界の悪弊を引きずったダンテの貴族崇拝が、天国とは関係のない、地上事物への愛着にまつわることであるとして否定的に苦笑した。

 ダンテはカッチャグイーダに4つの質問をする。①ダンテとカッチャグイーダの先祖は誰なのか? ②カッチャグイーダはいつ生まれたのか? ③カッチャグイーダの時代のフィレンツェの大きさと人口。④そのころの貴族にどんな人々がいたのか。

 カッチャグイーダは生まれた年を、聖母マリアの受胎が告知された日を紀元の始まりとする当時のフィレンツェの暦で、1091年であると述べた。先祖たちについては、その住まいをエリゼイ家が居を構えていた当時のフィレンツェ東端のコルソ通り沿いの西端と答え、エリゼイ家との関係を暗示したが、それ以上は語らなかった。
わしのご先祖達についてはこれを聞いて満足せよ。
彼らが誰であったのか、どこからここへ来たのか、
話すより黙っている方が適切である。
(242ページ)

 フィレンツェの大きさと人口についてカッチャグイーダは
その時代に軍神マルス像と聖ジョヴァンニ洗礼堂の間にいた
武装可能な市民の総数は、
今生きている者達の5分の1であった。
(同上)と答える。「軍神マルス像と聖ジョヴァンニ洗礼堂の間」という市の大きさはカール大帝時代に築かれた古い城壁に囲まれた市域に相当し、人口については解釈が分かれていて、定説がないそうである。
 カッチャグイーダは、彼の時代には周辺の地域からの人口流入はなく、市が拡張しなければ、商業都市であるフィレンツェ本来の交換の文化とは異質の、封建制戦士の<奪う>文化が持ち込まれることはなかっただろうという。
人々の混交はいつでも
都市の災厄のはじまりであった。
むやみに詰め込んだ食べ物がおまえたちに害となるように。
(244ページ) ダンテは周辺地域からの封建領主(職業戦士)と農民(領主に従う兵)の流入や、彼らと都市住民との混交が都市に分裂をもたらし、衰亡の原因となると考えた。中世において、混交は神の定めた秩序への壊乱であり、害をもたらすとされたからである。
…また五本の剣より一本の剣が
鋭くよく切れることはままある。
(同上) ここで「剣」はフィレンツェの市民軍を指す。剣が五倍に増えたダンテ当時のフィレンツェ軍よりも、剣が一つだったカッチャグイーダのころの軍の方が強いというのである。そしてさらにカッチャグイーダは、いくつかの例を挙げて、都市や家にも栄枯盛衰があると述べた。

 ダンテが、市の拡大の歴史を否定的にとらえているのは、彼をフィレンツェから追放することになる人々の先祖が、もともとフィレンツェの市域に属さなかった周辺の村の出身であったことも影響しているようである。ここでダンテは一方で商業都市の<交換の文化>が中世の騎士の<奪う>文化よりも優れたものであるという、初期資本主義を擁護する発言をし、他方で昔はよかったという保守主義的な議論を展開している。市域の拡大が、ほかならぬ<交換の文化>によって促進された商業の繁栄の結果であるとは考えていないのである。彼の社会哲学にはこのように2つの側面があり、だからこそ、彼は「中世最後の人」と呼ばれるのではないかと思う。 
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