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ウィルキー・コリンズ『月長石』再読(3)

7月5日(木)曇り、時々雨

 1848年の6月にヨークシャーのヴェリンダー家の令嬢レイチェルの誕生日の贈りものとしてもたらされたインド伝来のダイヤモンド=月長石は、彼女の誕生祝の晩餐会が開かれた夜に突然、消失してしまった。その後、各方面の捜索にもかかわらず、宝石は見つからず、ついに殺人事件までが起きる…。
 事件が一応の決着を見た1850年5月に、当事者の1人であったフランクリン・ブレークがヴェリンダー邸を訪問し、この事件の真相を書き残す証言集をまとめようという彼の決心を語り、ダイヤモンドの消失の前後の事情についてまとめることを、邸の執事であるガブリエル・ベタリッジに依頼する。
 証言集は、ベタリッジの証言の前に、ある家の記録からフランクリンが探し出してきた「月長石」の由来についての文書を載せている:「月長石」と呼ばれるダイヤモンドは、もともとヒンズー教の「四本の手の神」である月天の神像の額を飾っていた宝石であり、月の満ち欠けとともにその光沢が移り変わると信じられ、またかわるがわる3人のブラーフマンがヴィシュヌ神の命令によりこの宝石を守っており、宝石に手を触れた神を恐れぬ者には災いが下るものと信じられてきた。やがて、この宝石はセリンガパタム(シェリーランガパトナ)のスルタンであるチッポ(ティップー)の手に入り、その短剣を飾っていたが、1799年にこの都市が英軍によって攻撃を受け、陥落した際に、英軍の将校であったジョン・ハーンカスルの手に渡った。そして英国に運ばれたものである。

 ベタリッジは、農民の出で幼いうちからハーンカスル家に奉公し、その3番目の令嬢であるジュリアに気に入られて、彼女がヴェリンダー家に嫁いだ後、ヴェリンダ―家の使用人となり、やがて土地差配人を務めるようになり、さらに執事になったのであった。早く妻を亡くしたが、娘のペネロープが無事に成長し、彼女もヴェリンダー家の令嬢であるレイチェルの召使として邸に務めるようになっていた。
 フランクリンの頼みを聞き入れて、手記の執筆にとりかかったベタリッジであるが、宝石の一件についてどのように整理して書いていけばよいのか、さっぱり知恵が浮かばない。そこで彼は娘のペネロープに相談すると、学校で教育を受けて日記をつける習慣を身につけていた彼女は、毎日の出来事をきちんと日を追って書いていけばいいと助言する。その日付については、ペネロープが自分の日記を見て教えるという。それならば手記をペネロープが代筆すればいいようなものだが、彼女には彼女なりの秘密があって、他人に自分の日記は見せられない様子である。
...her journal is for her own private eye and that no living creature shall ever know what is in it but herself. When I inquire what this means, Penelope says, 'Fiddlesticks!' I say, Sweethearts. (Penguine Popular Classics, p.23)
(中村訳) 日記は自分だけがそっと見るもので、何が書いてあるか、他の人には教えないのだといった。それはどういう意味なのかとたずねると、ペネロープは「知らない!」と言った。私はいい人でもできたんだろうと言った。(27‐28ページ)
fiddlesticksは古風な言い方で、怒りや苛立ちを表し、「しまった!」、「くだらん!」と辞書に説明されている。〔文字通りに訳せば、viddle=バイオリンの棒sticksということになる。バイオリンを弾くのは弓bowであって、棒でないのはご存じのとおりである。〕
 ベタリッジの発言には引用符がついておらず、sweetheartには「恋人」という意味もあるが、sweetheartsと複数形であるから「おやおや」というような親から子どもに対する呼びかけのことばとして理解すべきであろう。(随分、大人じみた理屈を言うじゃないか…くらいの気持ちを読み取るべきではないかと思う。)

 1848年5月24日(水曜日、調べてみたところ、確かに水曜日であった、日本では天保暦で嘉永元年(戊申)4月24日ということになる、時差があるが、そんなところまで付き合ってはいられない)、ヴェリンダー卿夫人がベタリッジを呼んで、フランクリン・ブレークが外国から帰ってきて、ロンドンの父親のところに滞在中だが、明日ヴェリンダー邸を訪問し、6月まで滞在してレイチェルの誕生祝に出席すると知らせてきたという。
 前回書いたことをもう一度おさらいしておくと、フランクリンは、ヴェリンダー卿夫人の長姉であるアデレイドの息子で、レイチェルには従兄にあたる。ベタリッジはフランクリンが幼いころのことしか知らないが、
He was, out of all sight (as I remembered him), the nicest boy that ever spun a top or broke a window.
(中村訳) あの方のことはよくおぼえているが、こんなかわいらしい坊っちゃまはないほどで、よくコマをまわしたり窓ガラスをこわしたりなさったものだ。
 どうもこの個所がよくわからない。out of all sightは、中村訳では省かれているが、「目の見えないところにいても」という意味であろう。spin a topは「コマをまわす」ということだが、break a windowは「窓ガラスを破る」ということでいいのだろうか。あるいは、次のように解釈すればいいのか:「あの方は、(私が記憶しているところでは)目の見えないところにいても、最も素晴らしい少年であった。コマをまわしていようと、窓ガラスを割ったりしようと。」 ところが、同席していたレイチェルは反対の意見を述べる。記憶する限りで彼女はフランクリンから乱暴に扱われたというのである。
 
 『月長石』という小説の特徴は、様々な人間の手記から構成され、それぞれの人間が自分の主観的な目で事件を回想している。そのために個々の人物の評価が、書き手によって異なり、読者はその異なる判断をもとに、事件の真相をつきとめなければならないというところにある。ここで、子ども時代のフランクリンをめぐり、ベタリッジとレイチェルの評価が分かれているのもその一例である。もっとも、レイチェルが自分の本心を隠していることもありうるのであるが…。
 もう一つ気をつけていいことは、1848年6月21日にレイチェルは満18歳の誕生日を迎えることになるが、フランクリンは25歳ということであり、両者には大体7歳の年の差がある。レイチェルが記憶するフランクリンは少なくとも11歳くらいにはなっているはずで、もしレイチェルが言うように彼が彼女を乗馬のように扱ったとすると、これは少年と幼女の遊び方としては異常に思われる。レイチェルの記憶があいまいになって、ほかのだれかの記憶と混同されていると考えるほうがいいのかもしれない。
 さらにもう一つ、フランクリンの幼年時代に、ベタリッジはヴェリンダー邸の執事ではなく、土地差配人だったはずで、家族の人々とどの程度日常的に顔を合わせていたかというのも疑問である。

 フランクリンが子ども時代をヴェリンダー邸で過ごし、その後、なぜ邸を訪問しなかったかというと、彼が外国で教育を受けていたからであるとベタリッジは言う。すでに述べたように、フランクリンの父はヴェリンダー卿夫人であるジュリアの姉アデレイドの夫であるが、大金持ちであるとともにある公爵家の一族で、現在の当主ではなく自分こそが正統の後継者であるという訴訟を起こし、その裁判の過程で夫人(つまりヴェリンダー卿夫人の姉)と自分の3人の息子のうちの2人をなくし、しかも訴訟は敗訴に終わったので、英国に復讐するつもりになった。しかも彼は子どもが嫌いだったので、一人だけ残った息子のフランクリンをドイツの学校に送ったのである(ご本人は英国の国会議員たちを啓蒙し、現在の公爵に対する声明書を執筆するために英国にとどまっていた。ベタリッジはかなり抑えた調子で書いているが、フランクリンの父はかなり独善的で思慮の浅い人物のように思われる。)

 いよいよ話題はダイヤモンドに及ぶことになる。
The Diamond takes us back to Mr Franklin, who was the innocent means of bringing that unlucky jewel into the house.
(中村訳)「ダイヤモンドというとフランクリンさまを思いだすが、あの方にしても、べつに悪気があってあの不吉な宝石をお邸にもちこんだわけではなかった。」(30ページ)
 持ち込んだ事情については、物語の進行につれて明らかになる。ただ、悪気がないにせよ、(父親譲りということであろうか)思慮が浅かったことだけは否定できない。

 フランクリンはドイツの学校で教育を受けたのち、フランスに移り、さらにイタリアに出かけた。文学、美術、音楽…あらゆることに自分は才能があると思い込み、手を出した。〔これは多少の才能がある人間にはありがちなことで、ゲーテやトルストイの青年時代のことを思い出せばいい。彼らはいろいろなことに本当に才能を発揮したのであるが、ただそう思っているだけで、実際にはすべて三日坊主に終わるという青年が多いことも否定できない。〕 そしてフランクリンはあちこちで借金を重ねた。「成年に達したとき、お母さまの遺産が(年額700ポンド)あの方のふところにはいり、まるでザルから洩るように、右から左へと消えてしまった。あればあるほど、お金をほしがられた。フランクリンさまのポケットには、どうにも縫いあわせようのない穴が開いていたらしい。」(30ページ)

 フランクリンのように英国の上流階級に属する少年は、家庭で親または家庭教師による教育を受けた後、パブリック・スクールに進学する例が少なくなかった。1848年に発表されたウィリアム・メークピース・サッカレーの『虚栄の市』に登場するウィリアム・ドビンは裕福な商人の息子であり、上流とは言えないが、19世紀のはじめごろに、やはりパブリック・スクールで教育を受けている。しかし、パブリック・スクールの教育が名実ともに英国の教育のdefining institution(定義的施設)になるのはトーマス・アーノルド(1795‐1842)がラグビー校の校長としてパイングランドのパブリック・スクールの改革を行った1828年から1842年にかけての後のことであるといってよい。『虚栄の市』に戻っていえば、ベッキー・シャープとアミーリア・セドリーはロンドンのチジック・モールにあったアカデミーで教育を受けており、19世紀の前半について言えば、アカデミーがパブリック・スクールを凌いで教育の主流になる可能性もなくはなかったのである。だから教育の水準ということで言えば、フランクリンは同世代の英国の紳士に引け目を感じることはなかったはずであるが、友人をつくるとか、社会のしきたりを知るとか、そういう意味での不利益を受けたかもしれないということを念頭においてほしい。それから、母親の遺産の年に700ポンドというのはかなり莫大な額であって、少し時代は前になるが、ジェーン・オースティンの小説の登場人物が年に約200ポンドの収入のある牧師禄を得たことで、結婚が可能になったという話を思い出してほしい。

 しかし、フランクリンは人好きのする青年であったので、あちこちで歓迎され、なかなか英国に戻ることはなかった。some unmentionable woman (あるいまわしい女性)が邪魔をしたのだと、少し遠慮しながらベタリッジは書いている。そして2度、帰国に失敗して、3度目にようやく帰国したのである。以上、ベタリッジが書いてきたことから浮かび上がるのは、人のいい、しかし思慮の浅い、ある意味でだまされやすい青年の姿である。人好きがするといっても、どんな人間から好かれるかということも問題である。とにかく、翌日、ということは1848年5月25日、木曜日にフランクリンはヴェリンダー邸にやってくるはずである。次回はそして何が起きたかを書いていくことにしよう。

 『月長石』を読んでいて、これが1848年に起きた事件を扱っていること、フローベールの『感情教育』とほぼ同じ時代の、同じ年代の青年たちを登場させていることに気づいた。『感情教育』は今のところ1846~7年の動きを追っているのだが、まもなく1848年の二月革命が起きる。フランクリンが1822年か1823年の生まれ、『感情教育』のフレデリックは1821年か1822年の生まれと考えられ、ほぼ同じ年齢である。しかし、両作品の中で描かれている社会の動き、主人公たちの思想と行動はかなり違うことに気づくはずで、それが国の違いによるのか、それとも作者の気質の違いによるのかを考えることは興味深い問題ではないかと思う。

『オズの魔法使』

5月19日(土)曇りのち晴れ

 5月16日、シネマヴェーラ渋谷で「映画史上の名作」特集上映の第16回の中から『オズの魔法使』(The Wizard of Oz, 1939, MGM、ヴィクター・フレミング監督)とマルクス兄弟の第4作『御冗談デショ』(Horse Feathers, 1932, パラマウント、ノーマン・タウログ監督)を見る。この特集上映は昨日をもって終わり、本日から次の企画「.美しい女優・美しい衣装」の上映が始まっているが、この2作、特に『オズの魔法使』についてはいろいろと書きたいことがあり、というよりも、じつはL.フランク・ボーム(L.Frank Baum, 1856-1919) が1900年に発表した原作(The Wonderful Wizard of Oz, オズの素晴らしい魔法使い)とその後彼が書き続けた作品を含めたシリーズ全14作品、それらとこの映画をめぐっては本が1冊書けるくらいの知識と思索とを積み重ねてきているのであるが、とりあえず、ここでその一端だけでも書いておこうと思った次第である。

 カンザスの農家に住む少女ドロシーは、愛犬のトトとともに家ごと竜巻にのって不思議な世界にたどり着く。マンチキンと呼ばれる人々の住むこの地方を支配していた魔女の上に、彼女の家が落ちて彼女を殺したことで、彼女はマンチキンたちに英雄扱いをされるが、やはり彼女はカンザスに戻りたい。その方法を教えてくれるのは、マンチキンから黄色いレンガの道を西へと歩いたところにあるエメラルドの都に住む大魔法使いのオズだけだといわれ、彼女は黄色いレンガの道を歩み始める。途中、知恵をつけるために脳みそが欲しいというかかし、やさしい心が欲しいというブリキの木こり、勇気が欲しいという臆病者のライオンが、それぞれ自分たちの欲しいものをオズから授けてもらおうと一緒になる。
 エメラルドの都に着いた一行はオズの魔法使いに会うことができるが、もし願いをかなえてほしければ、ドロシーの家に押しつぶされて死んだ東の魔女と同様に悪い魔女である西の魔女のほうきをもって来いといわれる。一行は西の魔女の住処を目指すが、その途中で彼女に支配されている羽の生えたサルたちにドロシーとトトは捕まってしまう。残されたかかし、木こり、ライオンは、魔女の下から逃げてきたトトに案内されて魔女の城に向かう…。

 この映画は1930年代から1940年代にかけてのハリウッドの全盛期を代表する作品であり、その組織的な映画作りのすばらしさが最高度に発揮された作品の1つとなっている。例えばマンチキンたちは、原作で背の低い人々だと書かれているが、映画ではmidgetが起用され、見事な群舞を見せる。これだけの出演者を集め、群舞ができるように訓練をしたのは大変な労力が必要であっただろうと思う。羽の生えたサルのメーキャップや衣装、彼らの集団的な動きの描写もすごい。もう一つ、注意してよいことはこの映画の撮影が完了しないうちに、監督のヴィクター・フレミングが『風と共に去りぬ』を演出するためにいなくなってしまったということである。IBDbによると、ジョージ・キューカー、マーヴィン・ルロイ(製作者としてクレジット・タイトルに名前が出ている)、ノーマン・タウログ、キング・ヴィドア(カンザスの場面の撮影)の4人が監督を補ったとあり、それぞれが映画史に名前を残す監督である。逆に言えば、一人一人の監督の個性よりも、そういう個性を結集して傑作をまとめ上げていくことの方が重視されていた時代を代表する作品だといえる。

 ボームの原作と映画化との違いで特に目立つのは、東の魔女が履いていて、その後ドロシーが履いてエメラルドの都まで旅することになる靴が、原作では銀の靴であるのに対し、映画ではルビーの靴になっていることである。映画の中で西の魔女を演じているマーガレット・ハミルトンは出演者たちの間ではまとめ役の役割を果たす存在であったが、子どもの頃から『オズの魔法使』の愛読者であり、この点が気になったので、製作者のマーヴィン・ルロイに質問したところ、ルロイは、この方が見栄えがするだろうと答えたという。たしかにその通りには違いない。しかし、ドロシーの履いている魔法の靴が銀であったというのは、歴史的な含意があったと論じる人々もいる。
 ボームの研究者たちは、彼が1890年代に盛んに活動をしたアメリカ人民党(American Populist Party)の支持者であったことを指摘している。この政党の有力な指導者であったウィリアム・ジェニングズ・ブライアンは銀本位制の採用を政策として打ち出していて、銀の靴にはそのことが反映されているという。ついでにいうと、オズの魔法使いは実はもともとアメリカ中西部ネブラスカ州の州都オマハの出身ということになっている(映画ではドロシーと同じくカンザスの出身とされている。ネブラスカはカンザスのすぐ北の州である。ついでながら、『オズの魔法使い』を書いたときにボームは、ネブラスカのさらに北のダコタに住んでいた)が、アメリカ人民党がその最盛期に定めた綱領は、党大会の場所に因んで「オマハ綱領」と呼ばれる。さらに言えば、人民党運動が最も盛んだったのはカンザス州である。〔カンザスの一帯では、現在もしばしば竜巻が起きて、多くの被害をもたらしているのはご承知の通り。ボームは何度か事業に失敗したが、そのたびに再起した。困難な現実から、明るい想像を生み出す底力が、『オズ』の世界にも表れている。〕

 アメリカ人民党は、その後の社会党や共産党と違って、内部にも矛盾を抱え、その思想においても夾雑物の多い政党であったが、それゆえに民衆のエネルギーを吸い上げることに成功していたと考えることもできる。『オズの魔法使』の世界を、そのような思想や社会運動の文脈においてのみ解釈するのは短絡のそしりをまぬかれないだろうが、それぞれの人間は欠点の多い存在であるかもしれないが、力を合わせ、知恵を出し合えば、問題を解決できるという物語の展開には、ボームの人生哲学や社会観の表明を見ることができる。
 映画の魅力の大半は、カラー映画初期の作品らしい熱気や創意の感じられる色彩設計、ドロシーを演じているジュディ・ガーランドの少女らしい魅力と歌のすばらしさ、既に述べたような整然とした群舞場面の魅力などに見いだされるだろうが、映画の思想的な含意にも多少は眼を向けてみていただきたいと思う。

2018年の2018を目指して(4)

4月30日(月・振替休日)晴れ

 4月に新しく出かけた場所はなく、足跡を記したのは1都1県、2市6特別区のままである。
 利用した鉄道は5社、9路線、12+1駅と変わらず。
 バスについては神奈中バスを新たに利用したので6社、新たに横浜市営の25,207、神奈中の港61、相鉄の浜5、浜1の4路線がが加わり、18路線、停留所も4か所が加わって20か所となった。 〔73+8=81〕

 このブログを含めて30件を投稿、内訳は日記が6、読書が19、『太平記』が4、推理小説が1ということである。1月からの累計は123となり、内訳は、日記が22、読書が77、詩が3、推理小説が2、未分類が1ということである。読者の方々から頂いたコメント、拍手コメントはなく、1月からの累計はコメントが10件、拍手コメントが1件ということである。拍手は637で、1月からの累計は2270ということである。〔104+30=134〕

 12冊の本を買い、1冊の贈呈を受けた。買った本・贈呈された本の1月からの累計はちょうど50冊である。読んだ本は10冊で、1月からの累計は37冊である。読んだ本を列挙すると:佐藤信弥『中国古代史研究の最前線』(星海社新書)、円居挽『京都なぞとき四季報』、司馬遼太郎『街道をゆく10 羽州街道 佐渡のみち』(朝日文庫)、トマス・モア『ユートピア』(中公文庫)、豊永聡美『天皇の音楽史 古代中世の帝王学」(吉川弘文館:歴史文化ライブラリー)、三池純正・中田正光『竹中重門と百姓の関ヶ原合戦』(洋泉社:歴史新書)、武井弘一『茶と琉球人』(岩波新書)、円居挽『キングレオの冒険』(文春文庫)、兵藤裕己『後醍醐天皇』(岩波新書)ということである。〔30+10=40〕

 NHK『ラジオ英会話』を20回、『遠山顕の英会話楽習』を11回、『入門ビジネス英語』を8回、『高校生からはじめる現代英語』を8回、『実践ビジネス英語』を12回聴いている。1月からの通算では『ラジオ英会話』を79回、『短期集中! 3か月英会話』を35回、『入門ビジネス英語』を32回、『遠山顕の英会話楽習』を11回、『高校生から始める現代英語』を33回、『実践ビジネス英語』を48回聴いていることになる。このほかに『英会話タイム・トライアル』、『エンジョイ・シンプル・イングリッシュ』、『世界へ発信! ニュースで英語術』もできるだけ聞いているが、数には入れていない。
 『まいにちフランス語』、『まいにちスペイン語』、『まいにちイタリア語』の入門編をそれぞれ12回ずつ聴いている。1月からの通算では、『まいにちフランス語』の入門編が48回、応用編が23回、『まいにちスペイン語』の入門編が48回、応用編が23回、『まいにちイタリア語』の入門編が48回、応用編が23回ということである。各言語番組の応用編は再放送なので、数には入れていない。また『ポルトガル語入門』を3回聴いた。〔357+98=455〕

 神保町シアターとシネマヴェーラ渋谷で4本の映画を見た。シネマヴェーラで映画を見たのは今年に入ってから初めてなので、1月からの通算では、映画館5館で10本の映画を見たことになる。見た映画を列挙すると:『雑兵物語』(1963、大映、池広一夫監督)、『秋日和』(1960、松竹大船、小津安二郎監督)、『ジョンソンにはうんざり』(1938、オーソン・ウェルズ監督)、『女たち』(1939、MGM、ジョージ・キューカー監督)である。10本の内訳は日本映画旧作6本、外国映画新作2本、外国映画旧作2本ということで、珍しく日本映画の新作を見ていない。この辺りが今後の克服課題になりそうである。〔11+5=16〕

 ニッパツ三ツ沢球技場でJ2の試合を4試合、保土谷公園サッカー場でなでしこリーグ2部の試合を1試合見たので、1月からの通算は3か所の競技場で12試合を見たことになった。また、ミニtotoを2回あてた。〔11+6+2=19〕
 
 酒を口にしない日は3日であった。4月は予想以上に煩悶が多かったということであろうか。〔12+3=15〕

エラスムス『痴愚神礼賛』(10)

3月2日(金)晴れ、温暖

〔これまでのあらすじ〕
 鈴の房の付いた阿呆の帽子をかぶり、道化の扮装をした痴愚の女神が、自賛の演説をします。世の中を明るく楽しいものにし、神々にも人々にも若さを保たせるのは自分だというのです。人生も、国家も、学芸も、実は痴愚が支配している、痴愚こそが人間を幸福にするものであり、その証拠に王侯は阿呆者を道化師として寵愛し、彼らは現世でも来世でも幸福に暮らすといいます。何かに夢中になるというのも痴愚の一種であるが、夢中になっているご本人は幸福なのだし、迷信や作り話に夢中になる人々は彼らの時間つぶしをしているのだし、僧侶たちもそれで儲けることができるといいます。〔ここでは痴愚の女神に人間の愚かな執着心や迷信を賛美させることで、それらを批判していると受け取ることができます。〕

〔41〕
 前回に引き続き、女神はキリスト教の聖人たちを巡る迷信の数々を列挙します。あちこちの寺院で願いがかなったということで、奉納された品物を見ても、痴愚が治ったとか、頭がよくなったから奉納されたというものは皆無だといいます。〔これで思い出すのは、日本でもある部位をさすると、その部分の病気が治るという言い伝えのある仏像が時々見かけられますが、頭をなでて、頭がよくなるようにと祈っている人が結構多いようで、この辺りは文化の違いかどうかは分かりません。〕
 それから、さまざまな運の良さを列挙します。「難破船から泳ぎ出て無事だったものもいれば、敵の一撃を体に浴びながら生き残った者、戦闘のさなか仲間たちがまだ戦っているのに、勇敢だったからというよりは運がよかったために逃れ出たもの、絞首台に吊るされながら、盗賊を庇護してくださるどこやらの聖人様のおかげで首吊り縄が切れて助かり、金をしこたま貯めこんだ誰ぞを見つけては重荷になっていては気の毒だと、その懐を軽くしてやることに精進するものもいます。牢破りをして逃げだした男もいれば、熱病から治ってしまい、医者を怒らせた男もいますし、毒を飲ませたのに、腹を下したためにそれが出てしまい、そのおかげで治って死なずに済み、そのため、苦労して大金を費やしたのが無駄になったと、かみさんが浮かぬ顔をしている者もおります。馬車がひっくり返ったのに、馬も無傷のまま家に馳せて帰った者もいれば、家がつぶれたのに生きながらえた者、間男を働いて相手の亭主にとっつかまりながらも、するりと逃げおおせた男もいます。」(167ページ) 転変する運命を巧みに切り抜けていく人々の姿がまるで近世のピカレスク(悪漢)小説のように描き出されています。そして女神は、痴愚から逃れたことを感謝するものなど、この中には一人もいないと断言します。「無知であるということは、何やらとても楽しいことなので、人はほかのすべてのものを断たれてもいいが、痴愚女神の手からだけは逃れたくないと願うのです。」(107‐108ページ) 大変な自信ですね。

 このように(当時の)キリスト教会は迷信話があふれ、「すべてのキリスト教徒の一生は狂気の沙汰で満ちあふれておりますが、司祭連中は唯々諾々とそれを許し、かえって助長している始末です。それも、そこからの利得があることをちゃんと知っているからなのです。」(108ページ) 迷信深い信徒たちから収奪することだけを考えている僧侶たちの腐敗した現状を是認するような言説を述べ、このような中で、まじめに正しい生活を送りなさいなどと賢者が解いたりすれば、それはかえって幸福に水を差すようなものになるだろうといいます。〔もちろん、エラスムスは迷信を退け、教会と信徒とが正しいキリスト教に戻ることを願っているわけです。〕 さらに女神は生前から自分の葬儀についてあれこれ手配する人間を自分の仲間に数え入れています〔現代日本の「終活」が連想されますが、教会が社会生活の大部分を支配していた当時のヨーロッパと、現在の日本とでは葬儀のあり方が違っていることを考える必要があります。〕

〔42〕
 次に女神は自分自身は大した存在でもないのに、貴族の肩書や、赫々たる先祖を持っていることを自慢する連中をやり玉にあげます。〔ここでののしられている中に、当時のイングランドの国王の属していたチューダー家が含まれているという説もあります。〕 そして、うぬぼれのために自己満足に陥っている人々、自分の召使たちが優れた能力を持っているために、自分自身も優れていると思ってしまっている主人、未熟なのに自分が名人の域に達していると思っている芸能人などを自分の仲間だといいます。「才芸が拙ければ拙いほど得々として傲慢な態度に出て、自慢して、偉そうに見せようとします。それでもよくしたもので、割れ鍋に閉じ蓋、芸が拙ければ拙いほど人気を博するという具合になっているのです。」(111ページ) さらには「未熟であればあるほど自分自身も大いに心楽しく、人からもより多く褒め上げられる」(112ページ)ので、だれが努力して芸を磨こうとするものかと問いかけます。〔身近にも同じような現象があるかもしれないと思ったりします。〕

〔43〕
 個人個人と同様に、それぞれの国民やそれぞれの都市にも、それぞれのうぬぼれがあるように思うと女神は続けます。「たとえばイングランド人は風采が優れ、音楽に長け、洗練された食事を楽しんでいると主張し、スコットランド人は生まれのよさとか、お受けとの血のつながりとか、精緻な議論に長けていることを自慢し、フランス人は洗練された生き方こそわが民のものと唱え、パリの先生たちは、(ほかの地のものなどは問題にもならぬとして)神学の名声は一人パリにのみありと傲慢にも称し、イタリア人は古典学と雄弁は我が国の独壇場だと主張し、人間界にあって唯一野蛮ではないのは自分たちだと、民を挙げて自慢しています。幸福という点にかけてはローマの住民が断然一位を占めておりまして、今に至るもなお、古代ローマの甘い夢にひたっています。
 ヴェネツィア人は、高貴な血筋の出であることを思って、幸福な気持ちでいます。数々の学問の創始者であるギリシア人は、その昔の英雄たちの輝かしい名を挙げて、それを売り物にしています。トルコ人とまことに下等な野蛮人どもの群れも、そのすべてが自分たちの宗教がすぐれていると主張し、キリスト教徒を迷信に囚われた奴らとして、あざ笑っています。いっそう愉快なのはユダヤ人で、今日もなお引き続きメシアの到来を待ち続け、頑強にモーセにしがみついています。スペイン人は武勇の誉れにかけては誰にも譲ろうとはしませんし、ドイツ人は背の高さと、魔術を心得ていることを鼻にかけています。」(112‐113ページ) これらの描写の中にはエラスムス自身の観察も交えられているとのことですが、類型的な決めつけが含まれていることも否定できません。それでもどのあたりは思い当たる節があるが、どのあたりは賛同できないなどと検討していくのも面白いかもしれません。たとえば、イングランド人について、「音楽に長け」とあるのは、その当時のイングランドでは音楽が盛んであったことの反映でしょうが、その後、イングランドからは大した音楽家は出現しなくなります(ドイツから移住したヘンデルのような作曲家が気を吐くくらいです)。「洗練された食事を楽しんでいる」というのも意見の分かれるところでしょう。

〔44〕
 自分の心をくすぐるのがうぬぼれだが、同じことを他人に対してするとそれが追従になると女神は言います。追従は恥ずべきことだという人がいるが、けだものを例にとってみても、「犬ほど媚びへつらう動物がいるでしょうか? それでいながら、これほど忠実なものがいるでしょうか?」(114ページ)と自分の議論を補強します。そして追従は、世の中で重んじられている雄弁術の根幹部分を占めているのであって、極めて重要な存在だと結論します。

〔45〕
 他人から本当でないことを言われてそれを信じてしまう。つまり騙されることは幸福ではないという議論に対して、女神は次のように反論します。「本当のことよりも、見せかけにずっと容易にとらえられてしまうようにできているのが、人間の心というものなのです。」(116ページ) 女神はプラトンの有名な洞窟の譬えなど引用しながら、自分は幸福だと思い込むことによって幸福を得る愚者の境遇を賛美するのです。

 女神は当時の世相の中で目に付くことを次々に取り上げていくのですが、その語り口は奔放で、その背後に隠れているエラスムスの意図が巧みに隠されているようです。つまり、ここは本心とは逆のことを言っていると思われる個所があり、本心が出ていると思う個所もあります。できるだけ私は、これは本心だと思う、これはそうではない…と書いていくつもりですが、私の読み間違いというのもあるかもしれません。間違いを犯すのは一方で、私が未熟であるためですが、もう一方でエラスムスの仕掛けに引っ掛けられたということで、それはそれとして読者として名誉なことではないかと考えております。
 

お詫び

2月5日(月)晴れ

 依然として自家用のパソコンが立ち上がらない状態で、業者のものを使って編集していたのですが、原稿が途中で消えてしまうという事故にあい、本日は更新を断念せざるを得ません。あしからず、ご了承ください。
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