FC2ブログ

日記抄(1月15日~21日)

1月21日(月)晴れ、温暖

 1月15日から本日までの間に経験したこと、考えたこと、これまでの記事の補遺・訂正等:
 1月13日ごろから体調を崩し、なかなか本復しない状態が続いている。回復が遅れているのは、やはり年をとったせいだろうと思う。

1月15日
 歌舞伎の市川海老蔵さんが来年5月、市川團十郎を襲名すると発表された。
 わたしも生涯のうちに年号三代、三代の団十郎を経験することになりそうだ。
 三代を重ねし年号 団十郎

 横浜駅東口ポルタの玉泉亭でタンメンを食べる。玉泉亭は伊勢佐木町に本店のある、老舗中華料理店で、サンマーメン発祥の店として知られているが、もともとは三国料理(日本・中華・西洋のメニューをそろえる)の店として発足したそうで、本格的な中華料理というよりも、日本化した中華料理の店である。伊勢佐木町の店も一度覗いてみたいと思うが、なかなかその暇ができない。病みつきになるほどの魅力というのはないにせよ、この店なりの特色があるから、ときどき立ち寄るのである。

1月16日
 『朝日』朝刊の「天声人語」は東洋大学が毎年選んでいる「現代学生百人一首」の中から何首かを紹介している:
月曜は19時半の越後線1号車には君が居るから
 他の学校に通う生徒に思いを寄せる高校生の気持ちを詠んだものであろうか。大人になってからの話であるが、越後線の沿線に住んでいたことがあるので、懐かしく感じた。着任当時は越後線はまだ電化されておらず、単線運転だったので、はるばる来ぬるものかなという思いを強く持ったことも思い出される。

 NHKラジオ『実践ビジネス英語』の”Say What You Mean"のコーナーで、ビニェットに出てきた語句を説明する次のような文が登場した。
 We can use (trump) to mean defeat, win out over something else. Such as "Company A always (trumps) Company B in annual sales. (他のものを負かす、ほかのものに対して勝利を収める、という意味で、trumpを用いることができる。例えば、「年間売り上げで、A社はいつもB社に勝っている」のように。) trumpに「・・・に勝つ」という意味があるのは、トランプ米大統領支持者にとって縁起のいい話だろうが、名前負けというのもよくあることである。

 『NHK高校講座 コミュニケーション英語Ⅲ』で『オズの魔法使い』を英語で紹介していたのが終わった。英語で書かれた名作を紹介するといいながら、ここで取り上げられていたのは、MGMによる映画化の要約であって、フランク・L・ボームが1900年に発表した童話ではなかった(両者には目に見える違いがある)。原作にかなり改変を加えているとはいうものの、映画はハリウッド全盛期を代表する名作に数えられているのだから、それはそれでいいけれども、原作と映画が違うのだということについて、一言断る必要があったのではないか。今回は映画のあらすじを紹介しましたが、原作はこれとは違った展開の部分があります。自分で読んで確かめてみてくださいとかなんとかね。

1月17日
 NHKラジオ『まいにちスペイン語』応用編¡Japón por dentro !(もっとニッポン!)の1月放送分は日本人女性のアリサが、南米のパラグアイ出身の女性アスンと沖縄を旅行するという設定であるが、パラグアイでは先住民の言語であるグアラニー語も広く使われていて、パラグアイ人の多くはスペイン語とグアラニー語の両方を話すという。放送の中でもグアラニー語のmenerã<恋人>という語が、スペイン語に混ざって使われていた。

1月18日
 AKBの握手会に参加した後で、体の変調に不安をもって診察を受けた青年が「はしか」にかかっていることが分かったというニュースが報じられていた。アガサ・クリスティーの『鏡は横にひび割れて』は、ある女優の熱心なファンである女性が、風疹に罹って入院中、病院をごまかして、抜け出し、その女優に会いに出かけたことから起きる悲劇を描いている。ご本人が「ファンならばこの程度のことはしても当然だ」と信じ込んでいるところに、悲劇の根の深さがある。
 人生は長く、AKBの人気もまだしばらくは続くだろう。握手会に出かけるのは、病気を治してからにしよう。

1月19日
 『日本経済新聞』の文化欄に「台湾文学 アジアの交差点」(郷原信之)という台湾文学の最近の動向を紹介する記事が出ていた。「アジアの多様な文化が交差する舞台として、台湾文学の存在感が高まっている」のだそうだ。台湾文学の担い手は台湾人だけでなく、東南アジアから台湾に働きにやってきている人たちも含まれているということから、2014年には「移民工文学賞」が創設されたという。
 「台湾には有期の労働ビザを取得してフィリピンやインドネシア、ベトナムなど東南アジア諸国からやって来た労働者が70万人いる。介護や製造業、建設業などの現場で働く彼らは総人口の3%を占め、台湾経済を支える存在だ」という。注目すべきことは、彼らが経済だけでなく文化にも貢献しはじめていることだろうと思う。

 内田洋子『イタリアのしっぽ』(集英社文庫)を読み終える。ミラノ(ロンバルディア州)を中心にリグリア州の山間部、サルデーニャ州、ヴェネツィアなどでの生活とその中での様々な出会いがつづられている。動物の登場する話が多く、犬や猫だけでなく、タコを買っている人まで登場するので、描かれている人生の様相もかなり多彩である。

1月20日
 『日経』の美術記事「美の粋」は「ブリューゲルのまなざし(3)」でピーテル・ブリューゲル(父)の「バベルの塔」などの絵が紹介されていた。既に壊れはじめている塔を描く、この絵の左下の隅の方に、ニムロド王と塔を建設している職人たちが何やら話している場面が描かれている。旧約聖書を丁寧に読めばわかることだが、ニムロド王とバベルの塔は連続して登場するが、両者の間に関係はないのである。それを早とちりして、ニムロド王が塔の建設を命じたように理解している人が多いのはどういうことであろうか。ジョン・ヒューストンの映画『天地創造』でさえ、この誤った解釈を採用しているのは困ったことである。

 1065回のミニtoto Aが当たった。あまり大した賞金が当たるわけではないが、それでもないよりはましである。

1月21日
 『日経』の教育欄の「学びや発」は(小学校における)「英語の教科化」の問題を取り上げている。これまでの「外国語活動」としての英語の中では、英語を「書く」という活動は取り入れられていなかったので、中学校の英語で英単語のつづりにつまずく生徒がかなり多く出ている様子である。音声とコミュニケーション重視の外国語活動にはそれなりの利点もあるかもしれないが、英語の丹との綴りと発音の複雑怪奇な関係の学習を先延ばしにしているという非難も寄せられるかもしれない。「教科化で、子どもたちにどんな変化が起こるのか。分かるのは数年先」と執筆者は記していたが、確実なことが言えるのはもっと先のことになるかもしれない。
スポンサーサイト

泉井久之助『ヨーロッパの言語』(3)

1月20日(日)晴れ

 ヨーロッパがその言語および文化において特色を発揮しはじめるのは、古代ギリシアの文明が花開いて以降のことであるが、その後のヨーロッパの言語と文化の発展は東西の2つの道を通って進むことになった。西へと向かった道では、ローマが巨大化するとともにラテン語がギリシア語にとってかわり、ラテン語はやがてキリスト教の言語ともなって、各地に広がっていき、またそれぞれの固有の言語にも影響を及ぼした。東の世界では、ギリシア語がその力を保ち続け、キリスト教の教会の布教活動とともに少しずつゆっくりと道が開拓されていったのであった。こうして、ヨーロッパの西側における言語と文化は改革と革新を重ね、自由で洗練されたものになってきたのに対し、東側は保守的で停滞的な状態が続いた。

 これまでの個所で泉井はヨーロッパの言語文化を大ざっぱに2分して、その特徴を以上のように述べた。そして、個々の言語を取り上げてさらに詳しく論じようとするのだが、その前に、ヨーロッパの言語の中で英語の占める位置について述べている。
 泉井が強調しているのは、ヨーロッパの諸言語(この場合、ヨーロッパで使われている言語という意味もあるが、インド=ヨーロッパ語族に属する言語という意味合いの方が強い)の中で、英語がいかに例外的な言語であるかということである。英語はいかにもヨーロッパ起源の言語ではある。ヨーロッパの一角で盛んに使われている。しかし、インド=ヨーロッパ語族に属する言語としてはその文法が簡単になりすぎているというのである(つまり、昔はもっと複雑だったのが、歴史的な変遷を経て、簡単になった⇒なりすぎたということである)。したがって、「この言語の今日の構造的な姿を標準にして言語的ヨーロッパを考えることは、大きい誤りに導かれることになる。」(9ページ)

 日本人の多くは、中学校以来(最近では小学校以来)、かなり苦労して英語を勉強してきているので、その勉強がほかの外国語を勉強するときにも役立つと思っている(そうとでも思わないと報われない気分になる)人が多いようであるが、そんなことはないというのである。泉井よりももっと手厳しいことを言ったのが岩波文庫の『ヨーロッパの言語』の著者であるフランス人のアントワーヌ・メイエで「文法構造の点でも発音の点でも、英語はドイツ語とまるで異なる型となった。これは別の言語であるだけではなく、異なる性質の言語である。語彙の点で少し有利なことは別として、ドイツ語を知っているからと言って、英語の習得がさして楽になるわけでもなく、逆の場合も同じである。」(メイエ、58ページ) あるいは、彼はこんなことも書いている:「英語の音声体系は、印欧祖語の音声体系とも、また世界中のどの語族の言語の音声体系ともほとんど共通点をもたない。英語の文法体系は、印欧祖語よりも中国語かスーダン語の文法と似ているくらいである。」(同上、169ページ) 英語の発音の練習には苦労するが、その苦労は英語だけのものだというのである。ヨーロッパの言語はもちろん、世界の言語にはそれぞれの発音の困難がある。中国語の発音や、韓国語の発音を勉強するときには、また別の苦労が待っている。英語の苦労が横滑りしてはくれない。

 インド=ヨーロッパ語族の言語の名詞と形容詞には性・数・格に応じた変化というものがあり、ドイツ語やロシア語を勉強すると(ラテン語でも同じことであるが)この変化というのを嫌になるくらい練習させられる(いやだといって練習しないと、結局その言語をものにできない)。フランス語やスペイン語やイタリア語だと、格変化というのは消えているし、性も男性と女性だけで、中性はない。まあ、そういうわけで、私はフランス語やスペイン語やイタリア語は、今なお勉強しているが、ドイツ語は大学時代の第二外国語だったにもかかわらず、優先順位はかなり下げている(ラテン語だけは、必要上、仕方がないから勉強を続けている)。

 実際のところ英語にも昔は、格変化があったが、時代の変化とともになくなったのである。ほかの言語も次第にこの道をたどることは予測できるし、格変化の代わりに前置詞を使うことが増えてくるであろうと思われるという。
 このように格の使用が衰退してきたのは、その用法が深く踏み込んで考えると多義的であり、また互いに重複もしている、だから微妙な感じ分けをするのに適しているともいえるのだが、意味が複雑で混乱しやすいからである。それで、様々な人々によって使用され、その間の交流のために使われてきた英語の場合、格の理解と使用に関するわずらわしさと混迷を避けるために、核変化を使わないようになってきた。この傾向はさらに進んで、泉井は英語で、今も格形を残すのは、who, whose, whomのような主として人称に関する代名詞だけとなり、そのwhomも口語では今やすたれていると書いている、これは『ラジオ英会話』で確認できる。 
 1月16日放送分によると、「あの人は私が新幹線の中であった男性です。」というのに、
 That's the man I met on the bullet train. がもっとも口語的で気軽な言い方。以下、
 That's the man that I met on the bullet train.
That's the man who I met on the bullet train.
That's the man whom I met on the bullet train. としだいにフォーマルな言い方になるという。

 名詞や形容詞だけでなく、英語の場合動詞もほかの言語に比べて変化が少ない。しかもその中で規則変化の占める割合が多い。このような変化にも、歴史的な経緯があるのだが、詳しいことは省略する。「要するにいずれの点から見ても、今の英語を標準として、古今のヨーロッパの言語世界をはかることはできない」(22ページ)と著者は述べている。ついでに言うと、ヨーロッパで話されている言語は、すでに述べたように、インド=ヨーロッパ語族に属する言語だけではない。田中克彦 H・ハールマン『現代ヨーロッパの言語』(岩波新書)によれば、ヨーロッパで12番目に多くの人々に話されている言語であるハンガリー語(ヨーロッパ全体で見ると約1300万人が母語としている)、22番目に多くの母語話者をもつフィンランド語(約470万人)、28番目のタタール語(約275万人)、34番目のエストニア語(約107万人)、35番目のチュワシ語(約99万人)、38番目のバスク語(61万人)、40番目のバシキール語(58万人)、42番目ノウドムルト語(52万人)、43番目のモルドヴィン語(45万人)、45番目のマリ語(40万人)、46番目のコミ語(39万人)、48番目のマルタ語(33万人)などはインド=ヨーロッパ語族には属していない。この書物に現代ヨーロッパの言語として取り上げられている67言語のうち、インド=ヨーロッパ語族に属するのは44言語で、23言語はそうでない(その大部分は上に紹介したが、話し手の数が少ないために取り上げていない言語もかなりある)。
 このような非インド=ヨーロッパ語族の言語を見わたしても、「その形態法が、英語に見られるほど簡単化されて裸となり、照応の現象を英語ほど失ってきたものはない」(23ページ)という。とにかく、英語はインド=ヨーロッパ語族に属する言語の中では例外的な存在であるということを、肝に銘じておく必要がある。
 そこで、次回はヨーロッパの言語間の系統的な関係などについて話題にすることになる。



イタロ・カルヴィーノ『木のぼり男爵』(2)

1月19日(土)晴れ

 1767年の6月のある日、イタリアの西北部のリグリア州オンブローザの貴族の別荘で、語り手の兄であるコジモ・ピオヴァスコ・ディ・ロンドーは意地悪な姉バッティスタが料理したカタツムリを食べることを拒否して、家族の昼食の席を飛び出し、そのまま庭の樫の木に登って、その後二度と地上には下りないと宣言した。〔1〕 木の枝を伝って自分の行動範囲を広げていったコジモは、隣の別荘に住む金髪の少女ヴィオーラ(ヴィオランテ)と知り合う。そして彼女にも、自分は木から降りないと宣言する。〔2〕 コジモは弟に様々の道具や毛布を運ばせて、樫の木の上の自分の本拠地を整備していく。〔3〕 コジモは自分の行動範囲を広げていくうちに、果物泥棒の少年たちの一団と出会う。彼らはシンフォローザと呼ばれる別荘に住む少女たちの手引きを受けているという。コジモはこの少女に興味を抱く。〔4〕 果物泥棒の少年たちがシンフォローザと呼んでいたのは、ヴィオーラのことであることにコジモは気づく。彼女は別荘で家族と暮らしているときと、白馬に乗って遠乗りをして家族から離れているときでは性格が変わったようになるのである。馬で走り回るヴィオーラと、樹上を動き回るコジモはしだいに仲良くなる。〔5〕

〔6〕
 コジモの樹上生活と敵対する隣人であるオンダリーヴァ侯爵家の別荘の庭への出入りに苛立った父親の男爵は、庶弟である騎士エネーア・シルヴィオ・カッレーガに従僕の一隊を引率させてコジモをとらえに出かけさせるが、オンダリーヴァ侯爵に柳に風と受け流されてしまう。幽閉されえたヴィオーラにそっぽを向かれたコジモは怒りに駆られて樹上を飛び歩くうちに山猫に出会い、市党の末にそれを倒す。ところがこの戦利品を見せようとしたヴィオーラは、一家とともに別荘を去っていくところであった。コジモは、山猫の毛皮から帽子を作り、その後、生涯この種の毛皮帽子をかぶるようになった。

〔7〕
 コジモをとらえようとする最後の試みを行ったのは、バッティスタであった。彼女はコジモが立ち寄りそうな木の枝に鳥黐(もち)を塗り付けたのだが、この企ても成功しなかった。
 コジモが家に戻らないことは、明らかになり、彼は長男で爵位の継承者であったから、父親である男爵の心配は一通りではなかった。しかし、客観的にみると、土地の人々の生活にとって男爵家の存在などはどうでもいいものであり、住民と貴族とはお互いに干渉しあわずに、自由に生活できるはずであった。
 オンブローザの民衆たちは、金持ちたちのあいだでレモネードを飲む習慣が広まってきたので、レモンがよい値段で売れることを知り、レモン栽培に熱中していた。こうした社会の変化の中で、父親の男爵は自分には何か演じるべき役割があると妄信していたが、実際には、だれからも相手にされなかった。そして宗教的な論争に関わって被害妄想を抱いていた。
 男爵が心から信頼しているのは、カッレーガ騎士だけであった。彼は弁護士であり、水利技師であり、長い間トルコ軍の捕虜であったといわれ、数奇な運命を経て兄男爵の下に戻ってきたといわれるが、本当のことはよくわからない。とにかく、彼は男爵家の差配として農奴たちを管理していた。

〔8〕
 コジモは樹上生活を始めて以来初めて、父親の男爵と対面する。和解か相互理解の場となるかもしれない再会であったが、物別れに終わる。
 コジモの母親の将軍令嬢(オーストリアの将軍の娘であった)は、雨に出会ったコジモを心配して、語り手に毛布を届けに行かせる。
 その後、コジモは弟が家庭教師のフォーシュラフルール師(ヤンセン派=ジャンセニスト派の司祭)に勉強を教わっているときに、一緒に勉強をするようになる。しかし、先生を木の上に置き去りにしてコジモがどこかへ行ってしまうというようなこともあった。

〔9〕
 コジモは樹上生活に慣れるとともに、次第に村の人々との距離を縮める。そして彼らの頼みごとを聞いてやるようにさえなる。また定住民たちだけでなく、放浪民たちとも仲良しになり、彼らの伝言を伝えたりするようにもなった。
 こうして、男爵家の後継ぎが樹上生活をしているという噂が広まっていったのに、男爵自身はそれを何とか秘密にしておこうと努力をしていた。
 ある時、デストマック伯爵の一家が、ディ・ロンドー男爵家を訪問し、男爵はコジモのことを猟に出ているなどと言って隠し通そうとしたのだが、ご本人が姿をあらわしてしまい、樹上を道具を背負いながらたくみに歩いて渡るコジモの姿を見て、伯爵は「木の上を歩くなど、まったく立派な青年だ!」(104ページ)と大いに愉快がる。」
 伯爵の気取り屋の後継ぎがしゃっくりを起こし、バッティスタが生きたままのトカゲをシャツの下に入れて、直そうとするという一幕が起きる。この訪問で、コジモの樹上生活のうわさは、ヨーロッパじゅうの宮廷の話題となる。男爵はこのことを恥じたが、それは理由のないことであった。「事実、デストマック伯はわたしたち一家に好ましい印象をもっておられて、やがてバッティスタ姉上は若伯爵と婚約することになったのだった。」(105ページ)

〔10〕
 コジモは樹上生活にますますなじんで、それぞれの木の特色をよりよく知るようになった。
 冬、彼は自分が仕留めた獣の毛皮を使って、上着やズボンを縫い、さらに靴まで作った。夜は、テントや小屋を使わずに、枝から内側に毛皮をつけた袋を下げて、その中で眠った。
 滝のような流れから、筧を使って樫の上まで水をひいていたので、朝はそれで顔を洗い、水を飲んだ。石鹸も持っていたし、たらいまで枝の上に持ち運んで、それで時々は洗濯もしていた。
 さらに木の上で火を使って料理ができるように工夫を施した。牝山羊から乳を、牝鶏から卵を確保できるようにしていた。
 また、排せつ物の処理にも都合のいい場所と流れとを見つけていた。
 このようにいろいろな事柄に不自由が亡くなっていた彼の生活ぶりであったが、不足しているものが1つあった。それは猟犬であった。ところがある日、彼は他の猟犬たちから仲間外れにされている犬を見つけて、自分の飼い犬にする。オッティモ・マッシモと名づけられたその犬は、もともとはヴィオーラが別荘で買っていた犬で、彼女が別荘を後にしたときに置き去りにされていたのであった。犬は木に登ることはできなかったが、それでもコジモになつき、その信頼にこたえようとしていた。

 カルヴィーノは子どもの頃スティーヴンソンの『宝島』を読んで感動したということだが、『ロビンソン・クルーソー』も読んだだろうし、コジモの樹上生活の様々な工夫の描写にはロビンソンの影響が見られるように思う。面白いのは、コジモの生活が絶海の孤島ではなく、貴族の別荘の生活のすぐ近くで展開されていること、そういう生活の場の近くにも目をこらせば様々な発見の余地があることを語っているように思えるのが興味深い。それから、いままでのところ、海は前面には出てこないが、まもなく物語の主な舞台の一つとして、海も登場することになるので、ご注目ください。
 

トマス・モア『ユートピア』(36)

1月18日(金)晴れ

 このブログを始めて以来、皆様から頂いた拍手の合計がお陰様で、34,000を越えました。今後ともよろしくご愛読のほどをお願いします。
 風邪はこれまでの例の通りならば、もう完治しているはずなのですが、まだ完全には治りきっていません。自分の気づいていないところで体の老化が進んでいたということでしょう。初春に咳が長引く悪い癖
 体を休めながら、少しずつ前進していくことを心がけたいと思います。

 1515年にフランドル(現在のベルギー)を訪問したイングランドの法律家で行政官でもあったトマス・モアは、仕事の合間にアントワープに赴き、ピーター・ヒレスという人文主義者と知り合う。ある日、ピーターはモアにラファエル・ヒュトロダエウスという世界中を旅してきたという人物を紹介する。当時のヨーロッパの社会の様子、王侯たちが戦争と自分たちの貪欲を満足させることだけのために政治を行っていることなどを語り合ううちに、ラファエルは彼が訪問した世界中の国々の中で、最善の制度をもっているのは新世界にあるユートピアという国だという。モアとピーターの要請にこたえて、ラファエルはユートピアの様子や、その制度の概要を語る。
 ラファエルはユートピア島の地勢について、その首都であるアマウロートゥムをはじめとする都市について、社会の役職について、職業について、市民相互のつきあいについて、ユートピア人の旅行について、奴隷について、軍事(戦争)について語り、最後に彼らのいろいろな宗教について語りはじめる。
 ユートピアでは信教は自由であり、いろいろな宗教が行われているが、一番有力なのは人間の精神を越えた、唯一絶対の存在をあがめるものである。ラファエルたちからキリスト教について知ったユートピア人たちの中からは、積極的に帰依しようと言い出すものが相次いだ。これは集団生活に慣れている彼らが、キリスト教の修道生活に自分たちがなじみやすいものを感じているからではないだろうかとラファエルは言う。キリスト教の布教に際しての障害はないが、他の宗教の悪口を言うことだけは禁じられているという。

 自分の信じている以外の宗教を悪く言い、攻撃することは、ユートピアでは国の原則として厳禁されてきた。それは島の立法者であるユートプスにさかのぼるものである。
「ユートプス王はその治世の初めに、この島の住民たちは彼がやってくる以前には宗教上の問題でいつも争いあっていたことを知り、また島民はみんな分裂して、祖国のために戦う時にもそれぞれの分派に分かれて戦うという状態だったこと、そしてそのことが全島民をひとからげに征服する機会を彼に提供してくれたことにも気がついていたからです。」(澤田訳、221ページ) つまり宗教上の対立は社会を分裂に導きやすいし、そのことが社会の危機を招くことにもなるというのである。
 なお澤田さんは「ユートプス王」と訳し、ロビンソン訳、平井訳、アダムズ訳も同様であるが、ターナー訳はUtoposと表記して「国王」であったとは述べていない。ラテン語原文はUtopusであり、ここにも国王という語は出てこない。ユートプスを「王」と考えるか、スパルタにおけるリュクルゴス、アテナイにおけるソロンのような指導者、立法者と考えるか、材料が少なくて、どちらとも判定しかねる。ただし、ラファエルが訪問した当時のユートピアは王国ではなかったように描かれている。もともと王であったのが共和国になった例は、ローマをはじめ古代にも少なくはなかった。

 そこで、ユートプスは島民たちに信教の自由を認め、また自分の信じる宗教を布教する自由も認めた。そのような布教の努力は、「自分の宗教的確信)を温和に慎み深く合理的根拠をもって論証し、他の(宗教)を手荒に攻撃せず、説得で納得させられないからといってもいかなる暴力をも行使せず、悪行暴言を控える限り許されること、こういうことについてあまりに激烈に自己主張を する者は追放または奴隷刑で処罰されること」(221‐222ページ)。

 このような規則を彼が定めたのは、宗教の対立に基づく紛争を防ぐという意図もあったが、それとともにこのように決めることが宗教自体のためにもなるのだと洞察したからであるとラファエルは語る。ある宗教が真実を語り、ほかはそうでないとすれば、それは時間の経過の中でおのずから明らかになるはずであるとユートプスは考えた。ところが最悪の宗教が暴力で自分たちの主張を広めようとしたりすると、この自然の過程がゆがめられ、正しい宗教が逼塞することになるのではないかと恐れたというのである。(確かにこの恐れは当たっている。) 正しいことならば、暴力的に相手を従わせてもいいという考え方は、長い目で見ると危険である。目的は手段を正当化しないというのはキリスト教世界がその長い経験を通じて身につけた優れた知恵の一つであると私は思う。

 真実の宗教がどのようなものであるかはユートプスにもわからなかったから、彼はその限りにおいて信教の自由を認めた。何を信ずべきかはユートピアの個々の市民の自由とされたのである。「しかし、彼がおごそかに、きびしく禁じたのは、人が人間本性の尊い価値の(高み)からみずからを引きずりおろして、魂は肉体とともに滅びるとか、世界は(神の)摂理なしに偶然に動いているなどと思うことです。したがって彼らは、この現世の生涯のあと、悪行には罰が定められ徳行には褒賞が設けられていると信じています。これに反対意見をもつひとを彼らは人間の数に入れません。」(澤田訳、223ページ) これはモアの考えそのものであろう。しかし、異論を唱えたくなる方もいらっしゃるのではなかろうか。善とか、悪とかいうことがはっきり判断できれば良いが、善意で配慮したことが、悪い結果を生んだり、悪意が思いがけない結果をもたらして相手から感謝されたりということも人生の機微の中にはある。
 しかし、このようにたましいの不滅を信じない考え方をもつ人々がそう考えることは自由だし、その考えをもって僧侶たちと論争することも認められているという。結局は狂気であっても道理に道を譲るというのがモアの考え方であった(実際には逆になることもまれではないらしい。それにしても、たましいの不滅を信じないのを「狂気」と断じるのは偏見ではないかと思う。) 

 例外はあるが、ユートピア人たちの大部分は魂の不滅と来世を信じているので、正しく生きた人々の葬儀や記念を重んじ、死者の魂は自分たちとともにあると考えている。「また、死者は生者のあいだを、生者の言行の監視人として歩きまわっているとも信じています。」(澤田訳、226ページ) 
 彼らは他の民族の間で盛んな占い術の類を信じてはいない。その一方奇跡の存在を信じており、実際に彼らの世界では奇跡はしばしば起きるという。「重大なことだがどうしてよいかわからないというような問題があると、彼らはときどき公の祈願式を行ない確信と信頼をもって奇跡を願い求め、その結果、願いはかなえられます。」(澤田訳、226ページ) ユートピアにおける奇跡には神の摂理が働いているとモアが考えていたことがここからわかると澤田さんは注記している。ということは、ユートピアには神の直接的な啓示が及んでも不思議ではないし、モア自身もそう考えていたように受け取れなくもない。

 ラファエルはさらにユートピア人たちの宗教についての話を続けるが、それはまた次回。
 『日本経済新聞』の日曜版に掲載されている美術特集記事「美の粋」は1月6日、13日とピーテル・ブリューゲル(父)を取り上げたが、彼の初期及び中期の活動の場がアントワープであることを知った。モートンが『イギリス・ユートピア思想』で論じているように(ブリューゲルはフランドルの画家であるが)、中世から近世にかけての民衆の夢想したユートピアを図像化した画家であるブリューゲルの活躍した都市が、モアがヒレスと出会い、『ユートピア』を着想し、執筆を進めたのと同じ都市であったというのは、なかなか興味深いことである。ただし、ブリューゲルが生まれたのは1525‐30年のことと考えられているから、モアとヒレスが話し合っているときには、彼は生まれていなかったのである。
 ということで、アントワープに出かけてみたくなったが、死ぬまでに出かける機会はあるだろうか。

ダンテ・アリギエーリ(須賀敦子・藤谷道夫訳)『神曲 地獄篇(第1歌~第17歌)』(9‐1)

1月17日(木)晴れ
  
 1300年4月、「暗い森」に迷いこんだダンテは、ローマの大詩人ウェルギリウスの霊に救われる。天上の貴婦人たちの要請にこたえて、ダンテの魂を救うために派遣されたウェルギリウスに従って、ダンテは地獄・煉獄を歴訪することになる。地獄の門をくぐった彼は、地獄の第1圏(リンボ)で古典古代の有徳の異教徒たちが静かに過ごしているのを見る。次に第2圏では生前、愛欲の罪を犯した人々、第3圏では食悦の罪を犯した人々がそれぞれの罰を受けるさまを、第4圏では貪欲の罪を犯した人々と浪費の罪を犯した人々が最後の審判のときまで続く衝突を繰り返しているのを見る。 地獄の第5圏の、高慢・嫉妬・憤怒・鬱怒の罪を犯したたましいたちが罰を受けているステュクスの沼を、悪魔プレギュアースの操る船で渡ったウェルギリウスとダンテはディースと呼ばれる罪の重い市民と悪魔の都市(砦)にたどりつく。この都市は地獄の第5圏と第6圏との、また上層地獄と下層地獄との境界をなすものである。ところが、悪魔たちはまだ死者ではないダンテを受け入れようとしない。ウェルギリウスが交渉に向かうが、彼らは門戸を閉ざして、城の中に退却し、閉じこもってしまう。ダンテのところに戻ってきたウェルギリウスは、やがて神の使いが到着するはずなので、それまで待とうと告げる。(以上第8歌まで)

 ウェルギリウスがディースの門の中に入ることができずに戻ってきたのを見たダンテは、酷く落胆する。しかしその気持ちをすぐに読み取ったウェルギリウスは神の使いが到着するはずだといいながら、それが遅いのに苛立つ。神の意志が必ず達せられることを信じることのできないダンテの心は恐怖心でいっぱいになる。これに対し、ウェルギリウスは、自分はこの道を以前に一度来たことがあるのでよく知っており、心配することはないという(ウェルギリウスが地獄めぐりをするルカーヌスの文学作品が念頭に置かれている)。

 すると、ディースの高い塔の頂上に3人の地獄の復讐の女神の姿が現れた。彼女たちは、ダンテを石にしてしまおうと口々に叫ぶ。彼らは見るものを石に変えるというメドゥーサを呼ぼうとする。これにはウェルギリウスもさすがに心配して、
 「後ろを向いて、眼を閉じよ、
ゴルゴン(メドゥーサ)が現れて、もしおまえがその顔を見ようものなら
上界には二度と戻れぬ」
 師はこう言って、自身で
私を後ろに向かせ、私が自分の手で掩うのを
信用できぬかのように、自身の手でまた私の顔を掩った。(55‐60行、190ページ)
 ここは、山川訳も紹介しておこう:
身をめぐらし後ろにむかひて目を閉ぢよ、もしゴルゴンあらはれ、汝これを見ば、再び上に帰らんすべなし
師はかくいひて自らわが身を背かしめ、またわが手を危ぶみ、おのが手を持てわが目を蔽へり
(山川訳、60ページ)

 この時、地獄に大音響がとどろく。それは何の前触れであろうか。
 そのときすでに濁った波の上を、耳を聾するばかりの
おそろしい騒音が伝ってきた。
そのため両岸が振動するほどであった。
 それは、相反する温度の大気[寒気と熱気]がぶつかり合って
烈風が引き起こす轟音に似ていた。
森を傷め、抗うものとてないままに、
 枝を折り、木を打ちたおし、吹き散らし、
ちりを舞い上げては高々と進み、
猛獣も牧人らも逃げさせる烈風と同じであった。
(64‐72行、190ページ) 地獄の嵐は超自然の出来事であるが、ダンテは地上の自然現象の描写を当てはめている。どうやら、この嵐とともに天の使いが到着したらしい。天の使いも、地獄の魂たちには容赦しないのである。

 今回紹介している須賀敦子・藤谷道夫訳は第17歌までの部分訳であり、9歌の中間まで見てきたことで、その半分に達したことになる。もう半分と思えば気は楽だが、描き出される罪と罰とはますます重く厳しいものになっていく。それを考えると気が重い。
プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR