FC2ブログ

『太平記』(292)

12月10日(火)曇り

 貞和4年(南朝正平3年、西暦1348年、なお、『太平記』では貞和5年の出来事として描いているが、これは誤りである)正月、京都の足利尊氏・直義兄弟によって楠討伐のために派遣された高師直・師泰兄弟は、正行・正時の楠兄弟と四条畷で対戦し、一時は苦戦したものの、これを破り、楠兄弟は自刃した。勢いに乗った師直は吉野の皇居や金峯山寺を焼き払った。師直に追われて吉野から賀名生に退去した後村上帝以下の南朝の人々は、暮らしにも事欠く有様だった。
 一方、南朝討伐に功のあった高師直・師泰兄弟はますます心驕り、見苦しい振る舞いが多くなった。師直は一条今出川にその身分を越えた豪華な屋敷を構え、高貴な身分の女性たちを次々とわがものにしていた。その弟の師泰はというと…

 「これらはなほもおろかなり」{第4分冊、249ページ、これらは(師直が豪華な屋敷を構えたり、高貴な身分の女性をわがものにしたりしたのは)まだましな方である}と『太平記』の作者は評する。「越後守師泰が悪行を伝へ聞くこそ不思議なれ」(同上)と、その弟師泰の「悪行」について語りはじめる。
 師泰が東山の枝橋(現在の京都市左京区今出川口の辺り)に山荘を造営しようと考えて、その土地の持主が誰かをたずねてみると、菅原氏の長者である宰相(=参議)菅原在登(ありのり)の領地であることが分かった。そこで、使者を送って、この土地を譲ってほしいと申し入れた。
 使いの者に対して在登は申し出の趣は承知したが(本当は承知したくないのだが、長い物には巻かれろということであろう)、この地は先祖代々の墳墓の地であり、せめて墓標を移転するまでの猶予をお願いしたいと答えた。これを聞いた師泰は何を言うのか、本当は土地を譲りたくないからそんなことをいうのだろうと怒って、その墓をみんな掘り崩してしまい、樹木を切り倒して地ならしをした。すると、地に重なり落ちた五輪の下に、苔にまみれた死骸が見えたり、割れた石碑に昔の人の名が刻まれていたり、あわれ惨たらしい情景が目の前に広がった。

 どこの誰だか知らないが、余計なことをする人はいるもので、一首の歌を書いて、地ならしをしている土の上に立てかけた。
 亡き人のしるしの卒塔婆堀棄てて墓無かりける家造りかな
(第4分冊、250ページ、故人の墓石を掘り捨てて家を建てても、永くは栄えまいよ。墓が無しと、はかなしをかけている。) 
 師泰はこの落書を見て、これはきっと菅三位(=在登)の仕業にちがいない。当座の口論にことよせて、差し殺せと言って、亀山院の皇子寛尊法親王の寵愛の稚児で五護殿と呼ばれていた大力の少年をたきつけて、強引に在登を殺させてしまったのは哀れむべき出来事であった。在登は代々の学者の家の出身で、北野天満宮の祀官であるとともに文芸の大家でもあった。何でこのような不運に出会ったのか、まことに気の毒なことであった。
 森重暁『太平記の群像』(角川ソフィア文庫)によると、師泰が菅原氏の墳墓を破壊し、在登を殺害したということをめぐっては傍証はないそうである。『常楽記』{じょうらくき=永仁3年(1295)から応永32年(1425)にかけての天皇・公家・武家・僧侶などの死没年月日を列記した一種の過去帳)には、在登は観応元年(1350)5月16日に子息在弘とともに護吾丸のために同時に殺害されたと記されているという。また『祇園執行日記』{ぎおんしぎょうにっき=京都祇園社(八坂神社)の執行(しゅぎょう≂寺務を担当する僧職、この時代は神仏混交しているからこういう役職の人がいた)の日記}にも5月16日に「西院宮児五々殿」のために殺害という記事があるそうである。それで在登父子が「吾護殿」という稚児に殺されたことは事実のようであるが、事件と師泰との関係は明らかではない。(森、168ページ参照)

 さらにまた、この山荘を建てているときに、四条大納言隆蔭に仕えている青侍(公家に仕える六位の侍)上杉重藤と古見宗久とが通りかかって、山荘造営に使用されている人夫たちが汗を流してこき使われているのを見て、どうも気の毒なことだ、身分の低い人夫たちであるとはいっても、これほどまでに痛めつけなくてもいいだろうと非難の言葉を漏らしていきすぎていった。この工事の現場の責任者であった中間がこれを聞きつけて、何者かは知らないが、ここをとる公家仕えの侍が、このようなことを言って通りすぎていきましたと師泰に言いつけた。
 師泰は大いに怒って、よくも言いおったな、人夫をいたわれというのであれば、そ奴らを使うべしといって、遠くまで去っていた2人の武士を呼び戻し、人夫たちの着るつぎはぎだらけの粗末な衣服に着替えさせて、高位のもののつける立て烏帽子をへこませて、庶民の被る柔らかな烏帽子のようにして、夏の暑い日1日中、鋤をとって土を掘り返させ、石を掘っては釣り輿で運ばせるなどこき使ったのであった。これを見た人々は非難のしぐさをして、命は惜しいものではあるが、恥を見るよりも死んだほうがいいのかななどといいあったのである⦅表向き、2人の武士を非難しているが、心の中では師泰を非難しているということであろう)。
 この事件が歴史的な事実であるかについては、森さんの前記著書では触れていない。

 これらはまだまだたいしたことではないと『太平記』の作者は続ける。貞和4年の正月に師直が吉野に攻め入ったときに、師泰が石川河原(大阪府富田林市の東部を流れる石川の河原)に陣をとって周囲ににらみを利かせたことはすでに述べたが、その一帯の寺社の所領を、領主に問い合わせることなく差し押さえてしまった。のみならず四天王寺の燈明の費用に充てる荘園もその中に含まれていたので、700年にわたり一度も消えたことのなかった仏法常住の燈(仏法の不変を示す燈)も消えてしまい、それとともに仏法の威信も失われたのである。

 また、何者であろうか、極悪非道な人物が云いだしたことに、この辺の塔の九輪(塔の最頂部に立てる九重の金具の輪)は混じりけのない赤銅製であるそうだ。これを使って鑵子(かんす=茶の湯を沸かす釜)を鋳造したら、おいしいお茶が飲めるはずだなどという。それをもっともだと思った師泰はある寺の九輪の輪を1つ外してそれで鑵子を鋳造させた。すると、言われた通りじつに芳しいお茶を飲むことができた。
 上に立つものがこのように仏法を敬わない行為をするものだから、配下の者も我も我もと近くの寺の九輪をはずしてそれで鑵子を鋳造した。そのため和泉、河内の三重塔、五重塔、九重塔、多宝塔など数百か所の塔婆でまっすぐなものは1基もないという有様となった。あるいは九輪を下ろされて、柱の上の枡形の木枠だけが残っているもの、またあるいは塔の中心となる支柱を切られて、建物の土台だけが残っているもの、宝塔に座す多宝如来と釈迦如来の像を飾っている瓔珞(宝玉)が雨ざらしになり、五智の如来(大日・阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就)の肉髻が夜の雨に打たれて濡れているという仕儀である。昔々仏教の敵となった物部守屋が再びこの世に生まれ変わって、仏法を滅ぼそうとしているのかと思えるほどにあさましい様子であった。
 これらの行為についても傍証となる資料はないようであるが、森さんは配下の武士たちの「所領横領の黙認については、当時の在地領主たちの寺社本所領に対する濫妨・狼藉の停止を幕府が徹底させえなかった事情を反映しているようである」(森、169ページ)と師泰に対しむしろ同情的な評価をしていることを書き添えておこう。

 師直に続いて、師泰の兄を凌ぐ悪行の数々が記されて、兄弟の悪逆非道振りが描き出されるが、今日の歴史研究の中でそのような人間像を裏付ける史料が確認できるわけではないことも付け加えなければならない。ただ、師泰の悪行の描写を通じて、どうも『太平記』の著者が寺院の関係者だったらしいことが推測できる。
 さて、このような師直・師泰兄弟の驕慢に対し、反感を持ち、排除を企てるものが出てきても不思議はない…というのが次回以降の展開である。詳しいことは、その時に。
スポンサーサイト



日記抄(12月3日~9日)

12月9日(月)晴れのち曇り

 12月3日から本日までのあいだに経験したこと、考えたこと、これまでの記事の補遺・訂正等:
12月3日
 延期が決まった大学共通入試における英語民間試験の活用について、この取り組みに反対を続けてきた南風原朝和東京大学名誉教授が『朝日』に「大学で必要な力 重点評価を」という意見を寄せている。東京大学を始め多くの大学が、受験生に「欧州言語参照枠」(CFER) のA2の能力を求めていたが、これは「日常の事柄について簡単な情報交換ができる」というレベルで、大学の学習というよりも、一般社会で必要な能力ではないか、大学で必要な能力について改めて検討する必要があるという。
 この主張はもっともではあるが、高校生の大部分がCFERのA2の力を身につけておらず、A1(日常生活での基本的な表現を理解し、ごく簡単なやりとりができる」というレベルにとどまっているという現状、現実に大学に入学して勉強をする場合には、少なくともB1(社会生活での身近な話題について理解し、自分の意志とその理由を簡単に説明できる)程度の能力が必要だという要求水準の両方を考えると、両者の兼ね合いでA2という結論が導き出されるのだろうという弁護もしたくなるところがある。

 女子サッカーの皇后杯3回戦に進出した横浜FCシーガルズは西が丘で日テレベレーザと対戦。終りの部分だけサッカー協会の提供するテレビ画面で見たが、サッカーをさせてもらう相手ではなく、1‐5で大敗した。6‐3‐1という守備重視の陣形で臨んだのだが、それでよかったのかなという疑問も残る。

 『NHK高校講座 コミュニケーション英語Ⅲ』では広島市街地を走る路面電車が原爆投下後もすぐに運行を開始し、市民の復興の気持ちを後押ししたことが話題として取り上げられた。その中で広島電鉄が設置していた広島家政女学校の生徒たちが、学校が廃校になる9月まで運行に尽力し続けたことが語られたが、犠牲的な精神を発揮して仕事にはげんだにもかかわらず、学校が廃校になったためにその経歴が学歴として評価されなくなってしまったなどのマイナス面についても触れる必要があったのではないかと思う。

12月4日
 3日、OECDの学習到達度調査(PISA)の結果が発表され、日本の15歳が「読解力」において15位とその順位を下げたことが問題として取り上げられた。この調査では単に学習到達度のテスト結果だけでなく、生徒の生活や日常的にどのように勉強しているかという調査もしているはずで、そのあたりを視野に入れて、広く深く原因を探る必要がある。読解力の低下を学校と教師だけの責任に帰してはいけないと思うのである。

『日経』の「ASIAトレンド」のコーナーでシンガポールではプログラミング塾が増加しているという動きが紹介されていた。日本では学校教育のカリキュラムの中にプログラミングを取り込もうとしているが、どちらがより大きな効果を発揮するのか今後の動きに注意する必要がありそうだ。

 NHKラジオ『実践ビジネス英語』の”Quote...Unquote"のコーナーで取り上げられた言葉:
God gave us the gift of life; it is up to us to give ourserlves the gift of living well.
        ―― Voltaire (French philosopher and writer, 1694- 1778)
 神は私たちに、人生という贈り物を与えた。充実した人生を自分に贈るのは自分次第だ。

12月5日
 『朝日』の朝刊に鷲田清一さんが連載している「折々のことば」で「ごきげんさん」という言葉を取り上げていたのが興味深かった。関西ではこの言い方に限らず、挨拶に「おはようさん」というように、「さん」をつけることが多い。しかし、「ありがとうさん」、「おめでとうさん」、「おつかれさん」などと「さん」をつける挨拶がある一方で、「さようならさん」とか、「こんばんはさん」とか言わないのは(あるいは言っている人もいるのかもしれない)のはどういうことだろうか。「お疲れ様」という言い方もされるが、「おはようさま」とは言わないのはなぜだろうかとか、この言い方になぞが多いことも確かである。 

 ポール・アダム『ヴァイオリン職人と天才演奏家の秘密』(創元推理文庫)を読み終える。主人公ジャンニは、ロシアの天才ヴァイオリニストのために、彼が特別に演奏に使用することになっているパガニーニ愛用のヴァイオリンを修理することになる。ところが、その後、殺人事件が起こり、また天才ヴァイオリニストが失踪する…。ジャンニはクレモナ署の刑事であるアントニオとともに事件の真相の解明に取り組む。

 NHKラジオ『まいにちスペイン語』応用編「すばらしきラテンアメリカ」はキューバをめぐっているが、今回はホセ・マルティ作詞の「グアンタナメラ(Guantanamera)」という歌曲が言及された。紹介だけで、音楽を流さないので、後でYouTubeで探してきいてみた。

12月6日
 『朝日』、『日経』両紙ともに、2020年度の大学共通入試から導入予定だった国語・数学における記述式試験の見直しの動きについて報じている。断片的な知識の詰込みではなく、自分の頭で考えるような学習を推進するということで、記述式が導入されようとしているのであろうが、そうなると、記述のマニュアルのようなものが出回って学習が別の形でパターン化するという堂々巡りになる恐れがある。それよりも、高校時代の生活態度とか学習への取り組み方の方を重視する選考が少しずつ浸透してきていることの方が、長い目で見て大きな意味を持つのではないか思っている。
 ただ、大学時代に接した学生を見ていると、生活態度はしっかりしていて、まじめな学生なのだが、しかし、学問的なセンスが悪いというタイプが結構いたように思う。そのあたりは大学の中での教育で解決していく問題なのであろう。

 『まいにちスペイン語』応用編の「すばらしきラテンアメリカ」では、「二輪のくちなしの花(Dos gardenias)」という歌が紹介された。これまた言及されただけで音楽は放送されなかったので、自分で検索してどんな曲なのか調べたのである。

12月7日
 『朝日』朝刊書評欄の「杉江松恋が薦める文庫 この新刊‼』で都筑道夫の『紙の罠』を取り上げている。杉江さんも触れているようにこれは宍戸錠・長門裕之・浅丘ルリ子主演で映画化された『危(やば)いことなら銭になる』(1962、日活、中平康監督)の原作である。この映画で製版の名人を演じている左卜全が面白かったという記憶がある。

 サッカーのJ1のリーグ戦が終り、横浜FマリノスがJ1で15年ぶり4度目の優勝を飾った。1141回のミニtoto-Aが当たっていた。

12月8日
 NHKラジオ『私の日本語辞典』(再放送)は東京文化財研究所音声映像記録研究室室長石村智(とも)さんの「言葉で探る日本の港の姿形」という放送を始めた。この中で、石村さんは私見ではあるがと断りながら、天照大神は海と関係のある神ではないかという説を述べていたが、最近読んだ筑紫申真『日本の神話』では、天照大神と海の関係がかなり詳しく考察されている。石村さんが筑紫の研究を知らないのか、あるいは知っていても言及を避けたのか、判断に苦しむところである。

 サッカーのJ3の日程が終了した。J1では横浜Fマリノスが優勝、J2で横浜FCは2位で1部自動昇格を決めたが、J3のYSCCは13位に終わった。

12月9日
 NHKラジオ『まいにちフランス語』では、スペインとフランスの間にあるバスク地方で盛んなぺロタ(la pelote)というテニスやスクァッシュに似たスポーツが話題として取り上げられた。
Cousine du tennis, la pelote basque a été sport olynpique en 1992 pour des démonstrations lors des J.O. de Barcelone en Espagne, où ce sport a aussi beaucoup d'adeptes.(テニスによく似たこのバスク・ぺロタは、スペインのバルセロナで1992年に開催されたオリンピックの公開競技だった。スペインにもこのスポーツの支持者が多くいる。
 世界には、日本ではあまり知られていないスポーツがまだたくさんあるようである。  

ジェイン・オースティン『高慢と偏見』(22)

12月8日(日)晴れ

 エリザベスがサー・ウィリアム・ルーカスとその娘マライアとともに、ケント州のハンズフォードの牧師館のコリンズ夫妻(コリンズ夫人シャーロットは、サー・ウィリアム・ルーカスの長女であり、この物語のヒロインであるエリザベスの親友である)のもとに到着した翌日、コリンズ氏の庇護者であるレディー・キャサリン・ド・バーグから晩餐への招待があった。コリンズ氏はこの招待が早々となされ、しかも晩餐への招待であったことにいたく感激して、そのことをほかの人々に吹聴した。そしてコリンズ氏はこの招待に応じる際の心得について入念に話して聞かせたのである。

 天気が良かったので、一同はレディー・キャサリン・ド・バーグの邸宅であるロウジングズ・パークの庭を半マイル(0.8キロ)ほど歩いて、屋敷に向かった。こういう訪問になれないマライアは緊張のあまりおびえた様子を見せ、サー・ウィリアム・ルーカスでさえ完全に平静な状態ではいられなかったようであるが、エリザベスは落ちついていた。レディー・キャサリンが地位と財産を持っているだけの人物であるならば、それほど恐れるような存在ではないと思ったからである。

 玄関広間(the entrance hall)に入り、召使たちに案内されて一同はレディー・キャサリンと令嬢とジェンキンソン夫人が座っている部屋に入った。「令夫人は大いに気さくなところを見せて椅子から立ち上がり、皆を迎えた。紹介の役目はミセズ・コリンズが引き受けることに夫婦相談の上で決まっていたので、皆の紹介はいたって簡潔かつ適切になされた。」(大島訳、281ページ) もしコリンズ氏が紹介していたら、紹介は必要以上に長引いていたであろう。

 サー・ウィリアムはセント・ジェイムズ宮殿に伺候した経験があるのに、豪勢な部屋の様子にすっかり圧倒されてしまい、かろうじて一礼しただけで、一言も発することなく席についた。マライアは茫然自失の体(てい)であったが、エリザベスは目の前の3人の婦人を冷静に観察することができた。
 レディー・キャサリンは背の高い、大柄な女性で、かつては綺麗だったろうと思われる、くっきりとした目鼻立ちをしていたが、口のきき方が高飛車で、尊大な性格の持主であることがすぐにわかった。エリザベスは、ウィッカムの発言を思い出し、レディ-・キャサリンが彼の言うとおりの人物であると思った。また、その表情や挙動がどことなくダーシー氏に似ていることにも気づいた。
 一方、令嬢の方は母親にまるで似ておらず、痩せて小柄で、病弱な感じで、目鼻立ちも目立ったところはなく、ほとんど口もきかなかった。ただ、ときどき、ジェンキンソン夫人に何か話しかけるだけであった。ジェンキンソン夫人は令嬢の話を聞き、その健康に気を遣うことに専念していた。

 晩餐はきわめて豪勢なものであったが、食卓の下座について主人役を務めることになったコリンズ氏はこの扱いに満足して、さもうれしそうにいそいそと皆に肉を切り分け、自分も食べ、褒め言葉を口にした。「どの料理もまず コリンズが褒め、次にサー・ウィリアムが褒めた。サー・ウィリアムも今では娘婿の云うことを何でも鸚鵡返し出来る程度には落ち着きを取り戻していた。こんな褒め方をされてレイディー・キャサリンはよくも我慢が出来るものだとエリザベスは不思議でならなかった。だが令夫人はどんな褒め過ぎの言葉にもご満悦の体で、特に食卓に出た料理がみなにとって大変珍しいものであることが判ると、いかにも嬉しそうににこにこしていた。食卓の会話はあまり弾まなかった。」(大島訳、283ページ) エリザベスは話の糸口があれば口をききたいと思っていたが、座っている場所も、会話の内容も、彼女が口を利く機会を与えるようなものではなかった。〔会話を楽しむタイプの性格であるエリザベスには、形式的な追従だけのやりとりが満足できなかったということである。〕

 「晩餐が済んで、婦人たちは客間へ戻ったが、レイディー・キャサリンの話を拝聴する以外に何もすることはなかった。令夫人は珈琲が出るまでのあいだ片時も口を休めず、どんなことにでも決めつけるような口調で意見を述べた。それは、日頃自分が何を云っても反対されることのないひとの物云いであった。」(大島訳、284ページ) シャーロットによる牧師館の家事について彼女は細かい助言を与えた。「エリザベスには、この貴婦人が、他人に指図する機会を与えてくれるものなら何一つ見逃さない人であることが判った。」(大島訳、同上)
 レディー・キャサリンはコリンズ夫人(シャーロット)との話の合間にときおりマライアとエリザベスにも話しかけ、特にエリザベスにいろいろと質問した。彼女はエリザベスがどのような成り行きでこの一座に入っているのかほとんど知らなかったが、エリザベスについては「たいへん淑やかで綺麗な娘さんだ(a very genteel, pretty kind of girl)」(大島訳、同上)と、コリンズ夫人にその印象を語った。この発言を、小尾訳では「たいそう礼儀正しい、きれいなお嬢様」(小尾訳、292ページ)と訳していて、大島訳と大差はないが、齋藤秀三郎の『英和中辞典』によるとgenteelは「(賤しき身乍ら)上品な、人柄好き、紳士(貴女)らしき」ということで、レディー・キャサリンがエリザベスを見下していることが読み取れる。

 レディー・キャサリンはエリザベスに向かって、姉妹は何人いるか、彼女よりも年上か年下か、姉妹の中に結婚しそうな人はいるか、姉妹たちは美人か、教育はどこで受けたか、父親はどんな馬車を持っているか、母親の旧姓は何というのかなどと質問をした。エリザベスはずいぶんと不躾な(原文はElizabeth felt all the impertinence of her questionsで、指図好きのレディー・キャサリンは本来ならば質問を差し控えるような立ち入った事柄にまで質問しているということである)ことを聞くものだと思いはしたが、冷静に答えていた。〔以上第2巻第6章=第29章の途中まで〕

 詳しく展開をたどる必要があるので、今回もあらすじは省略した。大島訳はladyをレイディー、mistressをミセズなど、英語の発音に忠実に移そうとしていることがお分かりいただけたかと思う。噂だけでご本人が姿を見せてこなかったレディー・キャサリン・ド・バーグが登場し、まだのこっている人物はいるが、主要登場人物はほぼ顔をそろえた。この後、レディー・キャサリンはエリザベスとその姉妹たちの教育をめぐってさらに質問をして、自分の意見を述べる。ペンギン・クラシックス叢書のヴィヴィアン・ジョーンズの注によると、その内容は当時(19世紀初頭)における女子教育をめぐる主な問題に触れるものだというので、次回、少し詳しく見ていくことにしようと思う。この物語に登場したビングリー姉妹は学校(seminary)で教育を受けているが、レディー・キャサリンは学校教育には賛成していないようである。そういうことを含めて、また、次回。

ルーカーヌス『内乱――パルサリア――(上)』(6)

12月7日(土)雨が降ったりやんだり

 この叙事詩の冒頭で、作者ルーカーヌスは「内乱にもましておぞましい戦、正義の名を冠された犯罪」(第1巻第2行、17ページ)を歌うと、作品の主題を述べる。
 紀元前1世紀のローマは、一方でその版図が拡大し、海外の物資が大量に流れ込んでくる一方で、国内の生産者たちがそのことによって生活を脅かされ、不安定な状態が続いていた。そのようななかで、政治的にも軍事的にも強力な指導者が求められていた。そのような社会情勢の中で、紀元前60年、東方への軍事的遠征で勝利を収めた閥族派のポンペイウス、スパルタクスの反乱を鎮圧した富豪のクラッスス、名門の出身であるが、民衆派の指導者であったマリウスの義理の甥であることから民衆の支持を得ているカエサル(シーザー)の3人によって第一次三頭政治が成立し、元老院をけん制しながら、バランスを保ってローマの政治を動かすようになる。
 しかし、紀元前53年にクラッススがパルティアとの戦いで敗死したことにより、三頭の一角が崩れ、「樫の古木」ポンペイウスと、「雷電」カエサルの間の対立が深まる。カエサルの娘でポンペイウスの妻になっていたユリアが紀元前54年に死去していたことも、両者の関係を悪化させる一因となった。
 ガリアの地で軍事行動を展開して勢力を蓄えているカエサルを恐れたポンペイウスは、元老院と結んでカエサルが元老院の許可なくルビコン川を渡って、ローマに帰国することを禁止するが、カエサルは逡巡の末、ルビコン川を渡る(このとき、「賽は投げられた」(Iacta alea est.)といったとスエトニウスは伝える。また「ルビコンを渡る」という成句も生まれた)。彼の軍勢に、ローマを追われた政治家蛮勇クリオが合流し、内乱をそそのかし、兵士たちの指示を固めたカエサルはガリア全土に展開する大軍を呼び寄せ、ローマ進軍を指示する。
 カエサル進軍のうわさでローマは恐怖、混乱に陥り、民衆はもとより、当のポンペイウスをはじめ、高官、元老院議員の大半がこぞってローマを脱出する。追い打ちをかけるように怪しい出来事があちこちで起きる。

 こうした変事が相次いだため、古来のしきたりに従い、
エトルリアの占い師らを招くことに決められた。
(第1巻588‐589行、55ページ)
 エトルリアは現在のトスカーナ地方のラテン語による呼び名であるが、そのあたりを拠点としてローマにまで勢力を伸ばしていた部族の人々の名前としても使われる。エトルリア人はインド=ヨーロッパ語族に属さない謎の言語を話し(いまだに解読されていない)、ラテン人、サピーニ人とともに王政時代のローマの重要な部族の1つであったが、次第にその力を失っていった。彼らは動物の内臓を使った占いをしていたといわれる。
 こうして呼ばれた占い師たちの最長老はアッルンスといったが、彼は仰々しい儀式を行った後で、占いに使った動物の肝臓にこれまでに見たこともないおぞましい予兆を見て、大禍が襲いかかるだろうと告げたが、予兆をゆがめて、多くを謎めいた曖昧な言葉の中に隠してしまった。〔このアッルンスはルーカーヌスが創造した人物であろうと、翻訳者の大西英文さんは注記している。〕

 その場に居合わせた学者で、星占いの術にも長じているフィグルスが声をあげた。〔プブリウス・ニギディウス・フィグルス(紀元前98頃‐紀元前45)は、キケローの友人でピタゴラスの影響を受けた神秘主義的な学者であったとされる。〕
 彼は「都と人類とに企まれた/破滅が間近に迫っている」(第1巻649‐650行、59ページ)といい、数知れない人々が1日のうちに死ぬような事態が迫っていると予言する。
間近に迫るは兵乱の狂気、剣の威力は法をことごとく力で覆し、
非道の犯罪に武勇の美名が与えられ、その狂気は幾年月にも及ぼう。
神々に終わりを希(こいねが)うとも詮なきこと。その果ての平和は
伴いくるのだ、君主を。
(第1巻673-676行、61ページ) ローマは内乱に蹂躙され、そしてその後の平和は、君主政(帝政)を伴うだろうというのである。〔これは、実際に帝政時代に生きている詩人が創作した事後予言だと考えられる。〕

 怯える民衆を恐れさせるにはこの予言で十分すぎた。だが、
降りかかろうとする大難はそれをも越えるものであった。
(第1巻679‐680行、61ページ)
 さらにポイボス(アポロン)に取りつかれた寡婦が、市内を走り回って、狂気の内乱が起きることを予言した。ギリシアに、エジプトに、リビアに、アルプスとピレネーの山地に、またローマで戦いが続けられるだろうという。

 こうして第1巻は終わる。第2巻ではいよいよカエサルとポンペイウスの両者の間に戦闘が開始される。高校で世界史を履修すれば、その結果がどのようなものであったかはわかるはずで、現代に生きる我々読者の興味はその既知の事柄である内乱を、我々よりも時代的にはるかに近いルーカーヌスがどのように描写し、評価しているかというところに置かれる。共和制に対する郷愁を抱くルーカーヌスは、ポンペイウスに近かった元老院の人々に共感を寄せながらこの叙事詩をつづっている。その点が、注目に値するところではないかと思う。そして、自分からはるかに遠いところにいるルーカーヌスの政治観を見ることで、我々の政治に対する見方を再考してみるのも意味のないことではないだろう。
 共和政治というと聞こえはいいのだが、実際のところ、ローマにおける共和政治は少数の選ばれた人々による貴族政治(寡頭政治)というのが実態であった。だから、民衆の不満が高まっては改革がおこなわれるということが何度も繰り返され、それなりに社会階層間の勢力の均衡が図られてきたのだが、それも限界に達したことで、内乱が勃発することになる。政治についた考えるとき、表面的な言葉だけではなく、その言葉が背後に控え持っている実態を踏まえた議論が必要になると思うのである。
 そういえば、昨日(12月6日)の『朝日』の「コラムニストの眼」に『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されたデイビッド・ブルックスの「ポピュリズムの失敗」という文章が掲載された。ローマ共和制の末期に現れた民衆派の政治家たちは、結局、帝政への道を開いたのであるが、現代の世界各地で展開されている左右のポピュリズムが、ローマ時代の政治史と同じ展開をたどるとは思われない(もっとも、私がそう思っているだけで、現実にはどうなるかはわからない)。歴史は繰り返すかどうか、繰り返すようでいて、繰り返さないと思うのだが、あるいは逆かもしれない。

 一昨日(5日)に転寝をしたことで、風邪をひいてしまい、昨日は皆様のブログへの訪問を休んで休養いたしました。今年の秋から冬にかけて、すでに2度、体調を崩したことになり、健康の衰えを感じております。皆様もくれぐれもご自愛ください。
 

ポール・アダム『ヴァイオリン職人の探求と推理』

12月6日(金)曇り

 12月3日、ポール・アダム『ヴァイオリン職人の探求と推理』(創元推理文庫)を読み終え、12月4日に同じ著者の『ヴァイオリン職人と天才演奏家の秘密』(創元推理文庫)を買って、12月5日に読み終えた。引き続き、シリーズ第3作である『ヴァイオリン職人と消えた北欧楽器』(創元推理文庫)を読んでやろうと思っているところである。

 イタリア北部ロンバルディア州のクレモナはローマ時代からの歴史を持つ都市であるが、近世にグァルネリ、アマティ、ストラディヴァリといった弦楽器製作の名匠が現れ(その多くが、一族で製作に携わった)、現在もその伝統を伝えている。
 語り手であり、主人公でもあるジョヴァンニ(ジャンニ)・カスティリョーネはクレモナで生まれ育ち、子どものころにヴァイオリン演奏を習ったが、自分の限界を知って、弦楽器職人のバルトロメーオ・ルフィーノの徒弟になり、彼のもとで9年間修業して独立した。弦楽器を製作する傍ら、古い楽器の修理に取り組み、むしろ修理の方で名声をえるようになった。妻に先立たれ、子どもたちとは別居して、クレモナ郊外の工房で仕事に励む彼の楽しみは、月に一度、仲間たち、同じ弦楽器職人で元はオーケストラのひらのヴァイオリン団員だったトマソ・ライナルディ(第一ヴァイオリン)、アリーギ神父(ヴィオラ)、クレモナ署の刑事である(ジャンニの息子の友だちでもある)アントニオ・グァスタフェステ(チェロ)と弦楽四重奏を楽しむことである。

 4人で演奏と、ワインと、おしゃべりを楽しみ、トマソとアリーギ神父が帰った後、残る2人は会話を続けていたが、そこへトマソの妻のクラーラから、トマソがいつまでたっても帰ってこないという電話がかかってくる。2人(ジャンニとアントニオ)は心当たりを探し、さらにトマソの工房を覗いてみるが、そこで見つけたのはトマソの死体であった。なぜ、彼は帰宅せずに工房に戻り、しかも死体で発見されることになったのか…。

 どうやら、この事件には、トマソがその前から”メシアの姉妹”と呼ばれる幻のヴァイオリンを探していたことと関係がありそうである。「メシア」あるいはフランス語の「ル・メシー」はストラディヴァリがその絶頂期にあった1716年に製作したヴァイオリンで、何人かの収集家の手を経て、オックスフォードのアシュモリアン美術館に収蔵されている。ほとんど演奏されたことはないが、ヨーゼフ・ヨアヒムが1891年に少しだけ弾いたという。それと同じ価値のある、完ぺきで手を加えられていないストラディヴァリのヴァイオリンがあれば、とほうもない値がつけられるだろう。

 事件の性格から見て、ヴァイオリンについての専門的な知識が必要なので、アントニオの仕事をジャンニが手伝うことになる。トマソは、そのヴァイオリンについての何らかの情報を手に入れ、探し出そうとしていた。そして殺される2日前に、ヴェネツィアに住んでいる有名なヴァイオリン収集家のエンリーコ・フォルラーニという人物と接触していたことが分かり、ジャンニとアントニオは、フォルラーニに会いに出かける。フォルラーニはヴァイオリンの収集以外にはほとんど金を使おうとしない奇人であった。2人がもう一度フォルラーニに会おうと彼の家に出かけると、彼は殺されていて、彼が収集したヴァイオリンの中から”蛇の頭のマッジーニ”と呼ばれるヴァイオリンが盗まれていた。他の(もっと高価なものもあるのに)ヴァイオリンが手をつけられた様子がないのも不思議であった。これら2件の殺人事件の犯人は何者なのか。そして幻の名器は見つかるのか・・・?

 「職人仕事の世界はとくに神話づくりをしがちであり、とりわけそれをうながすところである。皮肉な人間なら、そうすれば値段を吊り上げておけるからだと言うだろう。美術品ディーラーは失われたラファエロが、ファン・ゴッホが、どこかの変わり者の老貴婦人の屋根裏部屋からほこりにまみれてあらわれた話をする。音楽学者は未知のシューベルトの交響曲が、長く紛失していたモーツァルトの楽譜が、とある無名のコレクターの書斎から劇的な経緯で見つかった話をする。そしてヴァイオリン職人は”ル・メシー”、すなわち、完璧な、誰も弾くことのない、値段のつけられないストラディヴァリの物語を語るのだ。」(47ページ) つまり、この作品は殺人事件の犯人探しとともに、宝探しの物語でもある。そういう二重の面白さがある(いやそれ以上かもしれない)。
 この二重の捜査のために、ジャンニとアントニオは走りまわる。名前を付けられ、その存在について特定されてきた有名なヴァイオリンが、いつ、だれの手にあり、誰の手に渡されたかを記す古文書を探し、探し当てるとそれを手掛かりとして、また別の文書を探すというような現在と過去の往復が続けられる。これがこの作品(シリーズ)の特色の一つである。歴史的な事実がもとになっているが、適当に虚構が織り込まれている。両者が適当に混ざり合っているところに、この作品の面白さがある。

 作者のポール・アダムは英国人で、イタリアを舞台とした推理小説を書くというのはかなりの知識を必要とするはずだが、イタリアについて、あるいは音楽について、特にヴァイオリンについての知識はなかなかのものである(本当に詳しい人が読んだら、どんな感想を持つか、聞いてみたいところがある)。二重の捜査と書いたが、あるいは三重かもしれず、語り手が徒弟として弦楽器造りを習ったルフィーノという職人は、実は名器の贋作づくりという裏の顔を持っており、そのことがこの作品にもう一つのスリルを与えているところがある。謎が謎を生んで展開していく読み応え十分なミステリーである。
プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR