日記抄(6月18日~24日)

6月24日(土)晴れ、気温上昇

 6月18日から本日までの間に経験したこと、考えたことなど:
6月18日
 NHKラジオ「高校生からはじめる「現代英語」」は”Drones, Autonomous Cars to Buzz Special Zones" (ドローン、自動運転車は特区で忙しく往来へ)というニュースを取り上げている。これらの新しい技術をめぐり、公道などで企業が実験するのは、許可を得るまでに何か月もかかるので、特区内では自由に試験走行できるようにするという。
That is why officials are planning to let developers carry out trials much more freely in the special zones.
(そのため政府は、開発企業が特区内でははるかに自由に試験(運転)を行えるようにすることを計画しています。)
 日本語の「自由に」は「他からの束縛なしに」という意味と、「思いのまま、上手に」という意味がるが、英語のfreeは他者による束縛から「自由な」という意味で、転じて「(自由だから)独立している」「料金がない、無料」「固定されていない」「気ままに」などの意味もある。翻訳に際してはこの意味の違いを念頭に置く必要があるという。
 それはそうと、「特区」を設けても、その選定をめぐり不明朗な点が生じたり、時間がかかったりするというのではあまり意味がないのではないかという気がしないでもない。

6月19日
 『朝日』の「語る…人生の贈りもの」というコーナーは各界の著名人が自分のこれまでの歩みを語るものであるが、今回は作曲家の一柳慧さんが登場することになった。むかし、働いていたデザイン・スタジオの社長が一柳さんと面識があって、それで一度だけその姿に接したことがある。
 それ以前に、職場に電話がかかってきて、F君という私の同僚の、寺の息子で、器用だがちょっととぼけた男が電話口に出た。社長、東京の内山田さんからお電話です。社長、内山田…そんな知り合いはいないなぁ…。電話を終えた後で、F君、一柳だよ。
 一柳さんが音楽を担当された吉田喜重監督の映画『エロス+虐殺』が上映されたばかりの時だったので、ちょっと、これはひどい聞き違いではないかと、私も思ったが、F君は泰然自若としたもので、「内山田洋とクール・ファイブの内山田さんかと思いました」。音楽といっても色々ある。
 その後、しばらくして、ご本人が我々の会社に現れた。あれが一柳さんだよ。F君は依然として興味を示さない。小野洋子の昔の旦那だよ! やっと興味を示した。音楽も色々、興味も色々。長く勤める社員があまりいないことで知られる職場であったが、私よりも早く、F君の方が辞めてしまった。今頃は、実家の寺の住職になって、苦労しているかもしれないな、と時々彼のことを思い出す。寺の名前を聞いておかなかったのが一生の不覚である。

6月20日
 NHKラジオ『まいにちスペイン語』の時間を聞くともなしに聞いていたら、
Socorro, hay una cucaracha en la cocina! (台所にゴキブリがいる! 助けて)
という文が聞こえた。こういう例文が出てくるのは、スペイン語だけではないかと思ったりした。日本ゴキブリ亭主などというので、男性名詞かと思うと、さにあらず、cucarachaは女性名詞である。むかし、横浜大洋ホエールズにいたポンセ選手の応援ソングが、メキシコの名曲「ラ・クカラチャ」であったのを思い出す。

 同じく『英会話タイム・トライアル』は乗り物についての会話を話題にしているが、新幹線は英語ではbullet trainだということで、話を進めていた。日本でも太平洋戦争前には「弾丸列車」を敷設する工事を始めていて、現在の東海道新幹線の新丹那トンネルはその工事を引き継いで完成されたものだと記憶する。

6月21日
 NHKラジオ『実践ビジネス英語』は、新たに”The Office of the Future"(未来のオフィス)というビニェットに入った。情報テクノロジーの発達の結果、アメリカの被雇用者の20から30パーセントが、少なくとも月に1回は職場の外で働くようになっているという。その結果として、
Places like coffee shops and private clubs want to be what they call "a third place" for people to go, apart from home and work. (コーヒーショップや会員制クラブといったところは、家庭や職場のほかに、人々がいくいわゆる「第三の場所」になりたいわけです。)
という現象が起きているという。いまに始まったことでもないと思うが、コーヒーショップにパソコンやタブレットを持ち込んだり、何かの打ち合わせをしたりている人をよく見かける。

 サッカーの天皇杯2回戦で横浜FCは同じJ2のツエーゲン金沢に0-2で敗れた。天皇杯よりもリーグ戦を重視するというのは仕方がないことかもしれないが、昔の横浜フリューゲルスは天皇杯で2回優勝していることも忘れないでほしい。福島県社会人リーグ1部のいわきがJ1の札幌を5-2で破ったのは大金星である。このほかJ3の長野が、FC東京を、茨城県代表の筑波大学がベガルタ仙台を、JFLの八戸が甲府を破っている。筑波大学の勝利は慶賀すべきではあるが、勉強の方は大丈夫かね。

6月22日
 NHKラジオ『実践ビジネス英語』は”The Office of the Future"の続きで、
The office of the future is a concept dating from the 1940s. It was synonymous with the "paperless office."
(未来のオフィスというのは、1940年代に始まった構想ですね。これは「ペーパーレスオフィス」と同じ意味でした。)という。
American office workers print out or photocopy something like a trillion pieces of paper each year.
(アメリカのオフィス・ワーカーがプリントアウトしたりコピーしたりするのに使う紙は、毎年およそ1兆枚です。) という事態が依然として続いているのだが、それでも、
For the first time in history, there is a steacy cecline of about one to two percent a year in office use of paper.
(職場での紙の使用量は、歴史上初めて、毎年確実に約1~2パーセント減少しているのです。)ともいう。どこかの国では、ペーパーレスが別の意味で解釈されているのか、紙の書類を残さないだけでなく、電子情報がすぐに消去されてしまうようになっているらしい。末恐ろしいことである。

 同じく「まいにちフランス語」応用編「インタビューで広がるフランス語の世界」は、第21課「学校の記憶、家族の記憶(1)」で、男女2人の中学(コレージュ)の思い出が語られる。パリ郊外の公立中学校に通ったロランさんは語る:
Je me rappelle une question. J'étais au collège. L professeur demandait : 《Quels sont les élèves qui ont quatre grands-parents français ?》 On était 31. Il y a deux élèves qui ont levé la main.
(ある質問を思い出します。中学にいたころのことです。先生がこう尋ねました。「祖父母4人ともフランス人の人は?」 31人生徒がいましたが、手を挙げたのは2人でした。)
 ロランさん自身は、祖父母がポーランド人だったので、手を挙げなかったという(翌日の放送で、ロランさんの父方の祖父母は第二次世界大戦中にアウシュビッツに収容されていたという話が出てきた)。

 神保町シアターで「映画監督 鈴木清順の世界」の特集上映から『野獣の青春』(1963)と『百万弗を叩き出せ』(1961)を見る。『野獣の青春』は<青春>とはあまり関係のない話で、2つの暴力団が敵対する街(東京の一角)に流れ者のジョー(宍戸錠)が現われて、ある事件の真相を突き止めようとする・・・という話で、映画館のスクリーン裏に暴力団の事務所があったりする。当然のことながら、上映されている映画は日活映画で、見覚えがあったりして・・・。『百万弗を叩き出せ』は八丈島から出てきた青年(和田浩治)が川崎のボクシング・ジムで修業を積み、チャンピオンへの道を歩むという物語。ジムの経営者夫婦を演じている金子信雄、渡辺美佐子の演技が出色。

6月23日
 『朝日』に「売れぬ漢和辞典 改訂に苦心」という記事が出ていた。角川から出ている『新字源』が10年かけて作業を進め、新しい版を出すという。『新字源』の編纂者の1人である西田太一郎先生は、教養部時代にお世話になった先生の1人で、私がこの辞典を使っているのは、そのことが大きく影響している。だから、改訂版を買って使うかどうか、大いに迷っているところである。そういえば、高校時代は、簡野道明編の『字源』を使っていた。今、手元にあったら、結構重宝するのではないかと思う。辞書は新しい方がいいとは限らないのである。

6月24日
 『朝日』に銀座にある聖書図書館が6月30日をもって閉館し、その蔵書の大部分が青山学院大学に寄贈されるという記事が出ていた。中でも、江戸時代の終わりごろに、鎖国下の日本での布教を目指していたドイツ人宣教師ギュツラフが漂流民たちの助けを借りて訳した『約翰福音之傳』(ヨハネによる福音書)は貴重な資料だという。この福音書の最初の「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」と訳されている部分をギュツラフは「ハジマリニ カシコイモノゴザル。コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。コノカシコイモノワゴクラク。」と訳しているという。「ロゴス」を「カシコイモノ」と訳しているところに、ギュツラフの苦心がうかがわれ、これはこれで見事な翻訳ではないかと思う。

 日産フィールド小机でプレナスなでしこリーグ・カップ2部の横浜FCシーガルズとオルカ鴨川FCの試合を観戦した。一進一退の攻防が続いたが、後半に横浜が守備の乱れから1点を失い、0-1で敗北。体調を崩した能代谷さんに代わり、神野さんが采配を振るっているが、選手に勝利を目指して全力で戦うという姿勢がどうも感じられないという問題点はそのままである。  
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繋がれた小舟のように

6月23日(金)晴れ、気温上昇

繋がれた小舟のように
 元好問「内郷の県斎にて事を書す」による

夜更けに、一人 役所に残る
仕事の残りを片付けるというよりも
物思いにふける
さまざまな思いが
煙のように心のなかに燻る

役所全体 仕事は滞り
住民の暮らしは苦しいままだ
政府は国防というが
補給すべき食糧も調達できない

住み着いている鼠さえ
腹を減らした様子で
こちらの様子をうかがうありさまだ
何に驚いたのだろうか
夜だというのに
烏の鳴き声が聞こえる

わがご先祖は
わたし同様に
地方の役人だったそうだが
こんな暮らしに見切りをつけて
小舟でどこへともなく去っていったという

他人の期待に応えることもできず
自分の思いのままに生きることもできず
わたしの小舟はまだ繋がれたままだ

ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(22-1)

6月22日(木)曇り

 ベアトリーチェに導かれて、天上の世界へと飛び立ったダンテは月天、水星天、金星天、太陽天、火星天、木星天を経て、土星天に達した。そこではこれまでと違ってベアトリーチェは新しい世界に入ったことを知らせるように微笑んだりせず、魂たちの歌も聞こえなかった。ベアトリーチェが微笑まないのは、その美しさにダンテの視力が耐えられないからだと彼女は説明する。また土星天からはその頂が見えないほど高い階段が伸びており、無数の魂たちがその階段を伝って土星へと降りてくるのが見えた。その中の1人であるペトルス・ダミアーヌスの魂がダンテと会話し、魂たちの歌が聞こえないのは、ダンテの肉体の耳の聴力がその歌声に耐えられないからだという。しかし、ダミアーヌスと話すうち彼の耳に魂たちの声が聞こえるようになるが、ダンテにはその声の語る言葉の意味が分からない。

驚きに圧倒され、私は導き手を
振リ返った。まるで深く信頼を寄せる人のもとに
いつでも助けを求めてしまう幼児のように。

するとその方は、日ごろから落ち着かせるいつもの声で
真っ青になって怯える息子を
すぐに元気づける母親のように、
(328ページ) ダンテに向かって、彼が天空の世界にいることを思い出させ、彼の有限な力では理解できないことがあっても不思議はないと言いながら、教皇を取り巻く腐敗に対して神の怒りの鉄槌が下されることをほのめかす。
ここ天上の剣は性急に振り下ろされることも
遅れることもありません。それを恐れ、あるいは望んで
待っている者達がそう感じるだけなのです。
(329ページ) そして、別の魂たちと向き合うように勧める。彼の目には多くの輝く魂が見えたが、自分が出すぎた態度をとらないようにと、心のなかに湧き上がってくる質問を抑えて沈黙していた。

するとそれらの真珠のうちで
最大にして、最も光を放つものが前へと進んできた、
自らのことを伝えて私の願望を満たすために。
(330ページ) それはナポリ北方のカイロ山にモンテ・カッシーノ修道院を開いた聖ベネディクトゥス(?-543)の魂であった。ここでダンテは聖ベネディクトゥスに代表される教会刷新運動への共感を示しているようである。

 ダンテが聖ベネディクトゥスに、光の中にある本来の姿を見せてくれるように頼むと、聖人は、ダンテは至高天でその姿を見るであろうと答えた。
・・・「兄弟よ。おまえの高き望みは
究極の天輪の中でかなえられるであろう。
そこでは他の者達の望みも、我の望みもかなえられている。

あらゆる希望はその場所で
完全、完成、無欠となる。その中でだけは
あらゆる部分はそれが常にあった場所にある。
(334ページ)

なぜならそれは空間の中に存在せず、回転軸も持たぬからだ。
そして我らの階段ははるかそれに至るまで渡っていく。
それゆえにおまえの視線からは超越して飛翔しているのだ。

太祖ヤコブの前に天使たちを擁する階段が出現した時、
彼には、階段がそこに達するまで
最上部を伸ばすのが見えたのだ。
(334ページ) そして、土星天から至高天まで、観想を象徴する天の階段が述べていると述べた。それは『旧約聖書』「創世記」でヤコブが夢に見たはしごと同じものであるという。

 そして修道士たちが堕落し、神を思う観想生活をもはや送っていないことを非難した。
かつて修道院として使われていた壁は
もはや魔窟と成り果てた。
腐った小麦の詰まった袋なのだ。

だが、重い利息が神のお望みに逆らって
搾取されてはいるが、修道士たちの心をこれほど狂わせる
あの実入りによる搾取ほどではない。
(335ページ) 本来、教義上、教会は財産を所有することができず、ただ貧者の救済に役立てるためという名目で保持が許される教会財産や徴収が許される十分の一税等の課税を、実際には聖職者やその愛人や近親の者が私的に使っていることが非難されたのである。修道会の創設者に彼の後継者であるはずの修道士たちの堕落を批判させるというのはかなり効果的な手法である。

倉本一宏『戦争の日本古代史』(5)

6月21日(水)雨

 589年に隋が南朝の陳を滅亡させ、中国に統一王朝を出現させた。このため北東アジアの諸国、朝鮮半島の北部から中国の一部までの地域を支配する高句麗、朝鮮半島中部の新羅、南西部の百済、そして倭国はこれまでとは違った対外戦略をとることを迫られた。隋が4時にわたる高句麗征伐の失敗によって滅亡し、618年に起った唐が628年に中国を統一した後も、各国は隋に対するのと同様の路線を踏襲した。新羅は唐に依存することによって危機を乗り切ろうとし、高句麗は唐・新羅と戦いを続け、百済は唐と高句麗の戦いで漁夫の利を得ることを夢見ながら新羅と抗争を続け、倭国は百済との同盟を維持しながら唐にも遣使していた。その際、唐の冊封体制に入らず、独立の小中華としての地位を認めさせようとしていたところに対唐関係の特徴があった。
 このような国際情勢の中で朝鮮3国では国王あるいは権臣に権力が集中するという政治的な変化が起きた。倭国の「乙巳の変」もこの動きと軌を一にするものと考えられる。国政運営が乱脈を極めた百済では唐と新羅の侵攻に適切な対応をとることができず、660年に百済は唐と新羅に降伏、国王以下1万人以上が唐の長安に送られた。この知らせは、その後百済遺臣が唐への反乱を起こしたという知らせとともに倭国にもたらされた。

 いよいよ今回は「白村江の戦」について論じた個所を取り上げることになる。私の高校時代には、《ハクスキノエの戦い》と習ったと記憶するが、最近は《ハクソンコウの戦い》という方が一般的なようである。日本史の参考書などには両方の読み方が掲載されている。(本来ならば、それぞれの読み方の根拠まで調べるべきであるが、今のところそうする余裕がない。今後の課題ということにしておく。)

 「百済が滅亡したとはいっても、実は王都が陥落して国王とその一族、そして貴族が唐に連行されただけに過ぎなかった。」(117ページ) 唐は百済の旧来の地方統治体制を温存したうえで、高句麗征討に向かった。これは百済の支配体制と地勢をまったく読み誤ったもので、すぐに百済遺臣による反乱がおこる。660年7月18日に百済の義慈王は降伏したのであるが、8月2日には早くも、百済の敗残兵による蜂起が見られた。唐から旧都城の守備のために派遣された劉仁願は9月に王城である泗沘(しひ)城に到着したが、間もなく百済残兵の攻撃を受けて一時は危機に陥った。しかし新羅からの援軍を得て体勢を立て直すことができた。

 百済の遺臣たちの復興運動の指導者であり、国王の親族でもあった鬼室福信は倭国に使者を送り、救援軍の派遣と日本にわたり、そのまま滞在していた義慈王の弟余豊璋の帰国を求めてきた。豊璋を王として戴くことによって復興を有利に進めようとしたのである。遺臣たちの運動が成功裏に進展しているという福信の情報を信じた当時の斉明大(女)王をはじめとする倭国の指導者たちはこの要請を受けて、豊璋に彼を護衛するための軍兵をつけて海を渡らせようと準備をはじめた。

 翌斉明7年(661)正月6日、斉明を先頭に、中大兄皇子・大海人皇子ら倭王権の中枢部を載せた船団が難波を出発した。吉備を経て14日に伊予の熟田津(にきたつ)(現愛媛県松山市西垣生町の重信川河口)から石湯行宮(に到着、3月25日まで留まっているが、おそらくこの間に徴兵を行っていたと考えられる。
 熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
(熟田津で船に乗り込もうと、月の出を待っていると潮も満ちて船出に都合よくなってきた。さあ、今こそ漕ぎ出ようではないか。)
 この歌は『万葉集』に掲載されていて、倉本さんも書いているように、額田女王の歌とも、斉明大王の歌ともいわれている。なお、高校時代の国語でこの歌について習った記憶があるが、どうもそのころは国語の知識と日本史の知識とを有機的に結びつけることができず、その限りにおいて、この歌の理解もきわめて表面的なものであったと思う。
 これは遠征の前途を寿ぐはずの歌であったのだ(したがって、文脈的には斉明の歌とするか、斉明の代わりに額田女王がつくったと考えるべきであろう)。3月25日、一行は娜大津(なのおおつ、現福岡市中央区那の津)に着き、磐瀬行宮(現福岡市南区三宅)に入った。5月9日にはさらに南方の朝倉橘広庭宮(現福岡県朝倉市)に遷った。

 この間、4月に百済の福信から使節が到来し、豊璋の送還を再び要請してきた。ところが7月24日に斉明が朝倉橘広庭宮で崩御してしまう。中大兄皇子は大王に即位せず、称制をおこない、ふたたび長津宮(←磐瀬行宮)で軍事指導に当たった。ここで、倉本さんは小生=大王位に即かないまま政事を聴くことと注記しているが、称制は中国では、「天子に代わって命令を出す、天子に代わって政務をとること」であり、形だけでも天子がいることが前提になっている。だから、中大兄皇子がなぜここで「称制」という手段を講じたのかは謎が多い(そんなことは倉本さんは百も承知で、この問題はほかの学者が論じているからということで触れていないのであろう)。

 一方、百済では661年2月に、唐から劉仁軌が派遣されてやってきた。泗沘城を包囲していた百済遺臣の福信と僧道琛(どうちん)の軍勢は、新羅軍と合流した仁軌軍に敗れ、1万人を超える戦死者を出し、泗沘城の包囲を解いて任存城に拠った。
 新羅軍は食料が尽きたので、3月にいったん兵を返し、唐の高宗は仁軌に百済からの撤兵を命じたが、仁軌は百済平定の重要性を説いて駐留を続けた。この頃、唐軍は司令部を泗沘城から防御に有利な熊津城に移している。仁軌は百済遺臣の説得を試みたが、遺臣たちは徹底抗戦の道を選択した。一方、百済側では福信と道琛との間の主導権争いが表面化し、福信は道琛を殺してその軍を接収した。〔百済が次第に劣勢になり、軍の上層部で内輪もめが始まっているこの間の事情がどの程度倭国に伝わっていたか、気になるところである。

 なお、新羅では6月に武烈王が死去し、文武王が即位している。武烈王(金春秋)は国内政治に手腕を発揮しただけでなく、外交交渉においても活躍した優れた君主=政治家であったが、彼をめぐっては中大兄皇子と中臣鎌足の出会いに似た伝説があることをどこかで読んだ記憶があって、気になっている(そういえば、『水滸伝』の初めの方で高俅がまだ端王であった徽宗皇帝に気に入られる話も似ていなくはない)。それから「武烈」という諡号も我が国の天皇の諡号との関係で気になるところではある。

 今回、「白村江の戦」について述べるつもりで、その準備段階の箇所の紹介と論評だけで終わってしまった。まあ、焦らずに読んでいこうと思う。

宮下奈都『ふたつのしるし』

6月20日(火)晴れ、気温上昇

 6月19日、宮下奈都『ふたつのしるし』(幻冬舎文庫)を読み終える。2012年から2014年まで雑誌に連載され、2014年に幻冬舎から単行本として刊行された小説を文庫化したものである。

 東京で生まれ育った男の子ハル、北陸で生まれ育った女の子遙名、物語が始まる1991年5月に、ハルは小学校1年生、遙名は中学校1年生である。ハルは一人っ子で、自分の興味のあることに熱中して、学校では授業に関心を示さない。それで他の子どもたちに迷惑をかけていると担任の先生に言われ、他人に迷惑をかけることを嫌う父親と、他人に迷惑をかけたりかけられたりすることに比較的寛容な母親との口論が起きる。遙名には地域で一番の進学校に通う高校生の兄がいて、父親は彼女には数段劣る私立の女子校を勧めたりする。かわいい娘が幸せに暮らしていけることだけを考えていて、その内心には想像力が及ばない様子である。実は彼女は頭がよくて、成績もよいのだが、そのことで目立ちすぎないようにと作戦を立てて友達とつきあう。

 1997年に設定された第2話になると、ハルは中学生になり、遙名は東京の大学に通う大学生になっている。普通よりも発育が遅いハルはこの年齢になって乳歯が抜けるのだが、それを同級生に殴られたと誤解した担任がいじめがあったと思って両親に相談したことから、波紋が広がって本当にいじめを受けるようになる。幼稚園時代からずっと同じところに通っている健太は学業成績優秀、スポーツもよくできるという子どもだが、心中、ハルに敬服しているところがあって、彼をかばい続ける。遙名は就職した兄と入れ違いに同じ大学に入学する。入学はしたものの、これからどうするかが見えてこない。ある同級生からは過去から未来が見えてしまうと言われるが、そんなことはないと思っている。

 第2話の終わりの部分で、午後の授業に出ないことにした遙名が、中学校の前を通りかかり、養護教諭に付き添われて校庭に出たハルが乳歯を投げ捨てるのを見かける場面があるが、この2人がその後どういう運命をたどるかはその時点ではまだ見えない。2011年3月の大地震が物語を急転回させるとだけ書いておこうか。2人の主人公を比べてみると、遙名の方がよく書けているのではないかと思う。多かれ少なかれ、宮下さんの分身という側面もあるのではなかろうか:
「だいたい、洋司(遙名の父親)は娘に遙名ではなく駒子と名付けたかったのだという。『雪国』という小説に駒子という名のヒロインが出てくるのだそうだ。あるときそう教えられて、小学生だった遙名は緊張しながら『雪国』を手に取った。自分の名前のモデルになるかもしれなかった女性が出てくるのだ。ワクワクと読み始めて、怒りで顔を真っ赤にして本を閉じた。何を考えているのだ。あの父は娘に何を望んでいるのだ。駒子は不幸だ。駒子は愚かだ。その名前を娘につけたがるなんて。」(32ページ)
 善意は無知によって裏切られる。だから作戦が必要なのである。遙名は中学生のころから、OLになるまでずっと作戦をめぐらして生きていく。

 宮下さんの小説を読むのは久しぶりである。それで、このブログで取り上げるのも久しぶりである。1991年から約30年ということは、この小説が書かれた時点から見ても、また現在からみても未来に属する事柄までこの小説では語られているのだが、物語を構成する個々の挿話の時間的な間隔が空きすぎているようにも思えるし、説明不足を感じる部分も見られる。ハルの母親の事故死や遙名の兄が郷里での学校の教師を辞めて俳優修業を始める過程など、いわば物語の行間の謎になっている。宮下さんはこの作品と並行して、『羊と鋼の森』や『終わらない歌』の執筆にも取り組んでいたということで、その分、手間がかけられなかったのかなとも思ってしまう。

 そうはいっても、彼女の小説によくみられる展開、周囲に微妙な違和感を感じている主人公(この作品の場合は、主人公たち)と、それを理解する人々、まじめではあるが観察力と想像力が欠けているためにそれが理解できない人々との織りなす人間劇という大筋は共通する。この小説の題名は『ふたつのしるし』であって、『ふたりのしるし』ではない。二人はそれぞれ自分で見つけたしるしをもつようになる。物語の終わりの方で、遙名は娘の<しるし>に言う。「人生には意外と勘が大事です。」(211ページ) 物語は2人がどのようにしてその勘を磨いていくかについてだともいえる。作戦と勘はともに人生を生き抜くために必要なものに違いない。
 
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